日本に手を出した国は必ず滅びる・・・それが歴史の事実です。 日本は相互信頼主義を根本とする国です。 命をかけて戦った先人たちの努力を見直し、日本の素晴らしさを再認識して、階級闘争主義の汚染から日本を守ろう。

天秤棒で荷物を担いで270km・・・山葉寅楠

人気ブログランキング ←はじめにクリックをお願いします。

山葉寅楠
山葉寅楠


ヤマハといえば、いわずとしれた楽器メーカーです。
いまでは自動車のエンジンやバイク、クルーザーなども作っている。

ところで、ヤマハというのは何の略でしょう?

山葉という称号は、創業者である山葉寅楠(やまはとらくす)の名字からとったものです。
寅楠という名前は、南方熊楠(みなかたくまくす、植物学・民俗学者)や、横井小楠(よこいしょうなん、儒学者・政治家)に習い、楠木正成にならって付けられた名前なのだそうです。

ヤマハの創業時の名前は「山葉風琴製造所(やまはふうきんせいぞうじょ)」です。
「風琴(ふうきん)」というのは、オルガンのことです。
“風を送って音を出す琴”という意味でしょうか。

創業者の山葉寅楠は、嘉永4(1851)年、紀州徳川藩で生まれました。
父親は、天文暦数や土地測量・土木設計などの天文方を勤めていた人です。

山葉寅楠は、宮本武蔵のファンでもあったようです。16歳で二天一流の修行に出たそうです。

しかし明治維新で家が没落。

山葉寅楠は、二十歳のときに大阪に出て、時計や医療器具などの精密機械修理を学びます。

ところが肝心の仕事が、ない。

彼は技術者として職を求めて、全国各地を転々とします。

そんなとき山葉は、友人から静岡県浜松市で県立病院の修理工を捜しているとの知らせをもらいます。明治17(1884)年、寅楠35歳のときのことです。

その頃、明治政府の意向で小学校に随意科目として唱歌科がもうけられていたのです。
浜松尋常小学校(現・浜松市立元城小学校)でも唱歌のためのオルガンを輸入した。

オルガンはもちろん外国製です。めちゃめちゃ高価です。
そんな高価な風琴(オルガン)を、小学校が買った。このオルガンの話は、浜松だけでなく静岡県じゅうに広まり、各地から大勢の人が見学におとずれたそうです。

ところが、このオルガン、すぐに故障してしまった・・・。

修理したいのだけれど、オルガンは外国製です。部品もなければ修理工もいない。
しかも貴重品です。万一修理に失敗でもしたら、それこそとりかえしがつかない。

困った小学校は、ある日、浜松県立病院に精密機器の修理工がいるという話を聞きつけます。そして、山葉寅楠のもとに、オルガンの修理の依頼がきた。
時計や医療器具修理のできる山葉寅楠なら直せるだろうというわけです。
いまにしてみれば、かなり乱暴な話だけれど、当時のひとたちにしてみれば、まさに真剣そのものです。

山葉寅楠にとっても、そんな見たこともない貴重なオルガンを、どうやって直すのか不安でいっぱいです。

まわりの人が心配そうに見守る中、寅楠は、オルガンを点検します。そして内部のバネが二本壊れているだけだとすぐに見抜いた。
そしておもしろいことに、寅楠は、「これならバネだけでなく、オルガンそのものも俺にもつくれそうだ」と思い立ちます。

「アメリカ製のオルガンは45円もする。自分なら3円ぐらいでつくることができる!」

明治10年代の白米10キロの値段が50銭です。いまだと5000円くらいかも。てことは、感覚的にはオルガン一台4500万円のところを、30万円で作れる、と考えた、というわけです。

寅楠は決心します。
「将来オルガンは全国の小学校に設置されるだろう。これを国産化できれば国益にもなる」。

このあたりの寅楠の考え方は、非常におもしろいと思います。
オルガンの市場性に着目するだけでなく、それが「国益になる」と考えたわけです。
一介の職人さんの意識の中にも、自分の行動を「お国のために」と考えるという精神構造があった。
時は明治の始めです。

よく「お国のため、という思考は、大東亜戦争直前の軍国主義教育のたまものである」という人がいます。しかし寅楠は、江戸時代に教育を受けた人です。つまり日本人の心には、江戸の昔からお国のため、公益に尽くすという考え方があった。

さて、翌日から寅楠は、来る日も来る日もオルガンの内部を調べます。修理すべきバネだけではありません。いろいろな部分を細かく図面に書き写した。

約一ヵ月が経って、ようやく何十枚もの図面を書き終えた寅楠は、壊れたバネの修理に取りかかりった。バネそのものは、冶金術が発達していた日本では、そんなにむつかしいことではない。そして、見事にオルガンを直してしまった。

「山葉さん、すばらしい。ありがとう!」
「いいえ、校長先生。私のほうこそお礼をいいたいくらいです。おかげでオルガンを知ることができたのですから」
山葉寅楠も、内心、ニッコリです。

しかし寅楠には、オルガンをつくるための資金がありません。

あちこち尋ね歩いて、協力を求めますが、多くの人が「おまえは気でも狂ったか」というなか、5日ほどたったある日、寅楠は飾り職人である小杉屋の河合喜三郎をたずねます。そして「力を貸してほしい」と頼み込みます。

河合喜三郎は寅楠の熱意と腕にかけてみよう!と決心します。

こうして、翌日から河合の小杉屋の仕事場を借りてオルガンづくりが始まった。

とりあえず資金と場所は確保できたけれど、二人には満足な材料もなければ道具もない。
あるのは情熱だけです。

寅楠は朝4時から夜中の2時まで、ほとんど徹夜でひとつひとつ工夫しながら部品を作っていった。
そして二ヵ月かかって、やっとオルガンの第一号を完成させます。

寅楠は、真っ先に元城小学校へ運び、唱歌の先生に頼んで弾いてもらいます。

しかし「確かに形はオルガンだが、音がおかしい」と言われてしまいます。
そうです。調律がなってないのです。

しかしドレミの音階そのものが、まだ世に伝わっていない時代です。
寅楠には、なにがどうおかしいのかがさっぱりわからない。

そこで寅楠は、めげずに、今度はおなじく浜松市内にある静岡師範学校(今の静岡大学教育学部)へオルガンを持っていきます。だが、結果は同じです。音がおかしいと言われた。

音の何がどうおかしいのか。河合と寅楠にも、肝心なところがさっぱりわかりません。
どうすればいいのか。。。。

こりゃもっと偉い先生に聞いてみなきゃわからんかもしれん。

二人は、作ったオルガンを東京の音楽家に見てもらおうと話し合います。
それには、音楽取調所(現東京芸術大学)がいいだろうと話し合った。

しかし、音楽取調所で、いったい誰に会えばいいのか。
会うためには、どうすればいいのか。それすらさっぱりわからない。
電話なんてものはありません。もちろん携帯もない。104もない。
直接行ったところで、そのエライ先生が会ってくれるかどうかもわかりません。

しかし、とにかく行くしかないだろう。。。

二人は、そう結論付けると、天秤棒にオルガンをぶらさげて、浜松から東京までかついで運ぶことにした。

かつぐといっても、100kg近い重量のあるオルガンです。
まず重たい。道のりは東海道を270kmです。
雨の日は動けない。
風が吹いたらあおられる。
箱根の山越えは、ずっと坂道の難所です。
いったい何日かかったか。。。

山葉オルガン1890年
山葉オルガン1890年


ようやく音楽取調所に着いた二人は、オルガンを教授たちに見せた。

教授たちはびっくりします。
国産でオルガンをつくってしまったことにも驚いた。
そのオルガンをかついできたことにも驚いた。
そして音が外れていることにも驚いた。

音程が狂っている。音階もおかしい。これでは楽器として使えるものではない。

西洋音楽を指導していた所長の伊沢修二は、「調律が不正解なんだ。あと一歩です。君たち音楽を学習していきなさい」と言った。

伊沢所長は彼らのために、親切に宿泊所を提供し、音楽取調所で聴講生となることを許可してくれます。

寅楠は、調律、音楽理論を必死で学びます。

1ヶ月後、浜松に帰った寅楠は、先に帰っていた河合喜三郎と協力して、すぐさま2台目のオルガンの製造にとりかかります。

しかし、途中で、資金が底をついてしまいます。

河合の妻は、親戚中をかけまわって借金した。
河合の妻の衣服も、嫁入り道具の服から普段着まで、ぜんぶ質屋に入ってしまった。
残った1着は、着ている1着だけです。それを洗濯するときは、もうまる裸になるしかない。

親戚は、お前たち気でも狂ったのかと猛反対をした。

しかし、寅楠と喜三郎は「今度こそ立派なオルガンをつくるんだ!」「日本の子供たちに音楽を届けるんだ」と心に念じて努力に努力を重ねた。

そして、二ヵ月。

とうとう第二号のオルガンが完成した。

こんどは大丈夫だ。しっかりと調律もした。これならきっと認めてもらえる。

二人は、そううなづきあうと、天秤棒にオルガンをぶら下げ、ふたたび270kmの道のりを歩いて東京の音楽取調所に向かった。

天秤棒で荷物を運ぶ人
天秤棒


再び、箱根の山を越えたオルガンは、伊沢所長の前ですばらしい音色を響かせます。

「山葉さん、すばらしい! よくやりましたね。これなら外国製に負けない見事なオルガンです。これで、全国の小学校へ国産のオルガンを置くことができますよ」

やっとできた! 認められた!
寅楠と河合は、顔をぐしゃぐしゃにして泣いた。

この時代の男は、「男が泣くのは一生に1度だ」と教わってきた世代(時代)です。
その男が、だいの大人のおやじが、うれし涙を流した。

山葉寅楠はこのオルガンを、国産第1号オルガンとして、そのまま音楽取調所寄贈してしまいます。
「伊沢所長のおかげで完成したオルガンです。どうか使ってください。」というわけです。

気前がよくてオルガンを寄贈したとかそういう話ではありません。
それだけうれしかった。だからそのうれしさをカタチにしただけのことです。

これを喜んだ伊沢所長は、二人が造ったオルガンを、「国産オルガン製造成功!」と、あちこちに語ります。いわば東京芸術大学学長のお墨付き・・・どころが学長の宣伝です。
ニュースは、口コミで広がり、次第にオルガン製造の注文も来るようになった。

注文第1号は、静岡県から5台です。
その後も政府の方針によって文部省唱歌が普及したため、オルガンの需要はうなぎ登りに増えた。

山葉寅楠と河合は、「山葉風琴製造所」の看板を掲げ、本格的にオルガンの製造にとりかかるのだけれど、わずか1年後には従業員は100名を超え、ロンドンにまで輸出するようになった。

二人の努力と周囲の善意が実を結んだのです。日本はそういう社会だった。

明治22(1889)年、山葉は、東京や大阪の楽器商社と協力して個人商店だった山葉琴風製造所を、「日本楽器製造株式会社」に改組します。
そしてこの頃から、山葉寅楠はピアノの製造、国産化を目指すようになる。

伊沢修二所長の紹介で文部省嘱託となった寅楠は、アメリカに渡り、ピアノ工場を見学し、部品を買い付けた。

帰国した寅楠は、国産ピアノ第1号をつくるべく、会社の総力をあげてピアノの製造にとりかかります。
ピアノの部品には、アメリカで買い付けたものを使用したけれど、ピアノの生命といわれるアクション(響板)だけは日本で開発したものを使用しています。

天才がいたのです。響板の製造は、河合の親戚の河合小市が造った。小市は、後に「河合楽器」を創業したひとだけれど、このとき小市、わずか11歳です。

山葉寅楠は明治33(1900)年にはアップライトピアノ、明治35年にはグランドピアノの製造にも成功します。そして山葉のピアノとオルガンは、アメリカのセントルイス万国博覧会で名誉大牌賞を受賞する。

オルガン、ピアノの量産化で山葉寅楠は「日本の楽器王」と呼ばれるようになりました。
山葉寅楠の死後、「日本楽器製造株式会社」は「ヤマハ株式会社」となり世界一の楽器製造を誇る企業へと成長した。

東海道を、天秤棒で担いで歩いて運んだ山葉寅楠と河合喜三郎。

彼ら二人の努力が、全国の小学校にオルガンを普及させ、文部省唱歌を全国に広めた。

老人ホームに行くと、ボケ老人でも、文部省唱歌をみんなで歌うと、目を輝かせて、これを歌う。歌っているおじいちゃん、おばあちゃんの顔は、そのときばかりは尋常小学校生の顔になっています。

歌は、彼らの少年少女時代の共通の思い出でもあります。

しかし最近では、学校で昔からある文部省唱歌を教えなくなったといいます。
子供たちは好きな歌を歌えば良いというのです。

しかし本当にそれで良いのでしょうか。
子供たちから唱歌を奪うということは、子供たちから彼らの未来における共通の思い出を奪うことです。その思い出は、その子の思い出であると同時に、同じ世代を共有する共通の思い出でもある。
人はひとりで生きているわけではないのです。
人と人とのかかわりの中で、みんなが生きている。

何かを一緒にやった仲間というのは、生涯の友になります。
知らないおじいさん、おばあさんどうしでも、同じ文部省唱歌を歌った思い出が共有されることは、共通の友に出会うということでもある。

逆に子供時代の歌が、ひとりひとりみんなバラバラとなると、それはなるほど個性化というものかもしれないけれど、共通の思い出を失うことにもなる。ほんとうにそれでいいのだろうか、と思うのです。

だから、ちょっとだけ、ねずきちは言ってみたいのです。
子供たちから文部省唱歌を奪う日教組教師は、全員、天秤棒でオルガンを担いで270kmを歩け!なんてね^^v

田舎の山の中の小学校にも、古いオルガンが置いてあります。
かつて、そのオルガンを必死で作った人がいて、それをその小学校まで歩いて運んだおじさんたちがいる。トラックなんてなかった時代です。みんな担いで運んだ。

そうやって子供たちに歌が届けられました。
そして同じ国の同じ国民として、みんなで共通の思い出を刻んでいった。

その先人たちの思いや努力、歴史というものを、個人主義とか個性化とかいう能書きひとつで、ぜんぶぶち壊しにするということが、本当に良いことといえるのか。ねずきちにはよくわかりません。

ただひとつ思えるのは、子供たちから共通の思い出を奪う者、世代を超えた思い出を奪う者は、もはや教育者の名に値しない。そんな気がします。

すくなくとも、そうやって造ったり、運んだりしてくれた先人たちに対する感謝の気持ちは、ぜったいに忘れてはならないことだし、伝えるべきことだと思うのです。

オルガン担いで270kmはすごいなぁと思った方
 ↓クリックを↓
人気ブログランキング

仰げば尊し(唱歌)


日本の心を伝える会では、いま会員の募集をしています。
登録無料!! ご入会は、
.魯鵐疋襯諭璽
△住まいの都道府県
メールアドレス

の3つを書いて、assist@nippon-kokoro.com にメールするだけ。
ご入会受付後、メーリングリストへの招待メールをお送りいたします。
この機会に、あなたも是非、どうぞ^^♪
日本の心をつたえる会ロゴ

臨死体験

人気ブログランキング ←はじめにクリックをお願いします。

靖国神社
靖国991


臨死体験というものがあります。
事故や病気などが原因で一度死亡した後、生き返った人の体験です。

エリザベス・キューブラー・ロスが、約200人の臨死患者に聞き取りし、『死ぬ瞬間』という本(1965年)にまとめ、有名になりました。

戦時中にもそうした臨死体験は数多く寄せられています。

そのなかのひとつ、昭和18年12月のニューギニア戦線での記録です。

敵からの爆撃を受けて、山の斜面にある本部の壕が直撃を喰らいます。みんな我を忘れて飛びだしたのだけれど、豪に生き埋めになった人たちも出た。

みんなは、まだ敵の爆撃下であることも忘れて、必死に仲間の救出作業をしたそうです。

しかし、みんなの必死の救出にも関わらず、2名を除く、将校・下士官・兵、合計21名が帰らぬ人となった。ほとんど圧死だった。

その時、長い長い人口呼吸の末、生きかえったひとりが、そのときの臨死体験を語っています。

-------------------------
爆弾が落ちたとき、一瞬土砂に圧しつけられた。

ケガはたいしたことはなさそうだった。
しかし空気穴がない! だめだ! と思った瞬間、スーッと霧のなかに吸いこまれるように意識をうしなった。

すべてが終わった・・・。

それから、どれくらい時がたったのかわからない。

自分は一生懸命、海を泳いでいた。
静かな、きれいな大海原だった。

ふと気がつくと、遠く水平線のかなたに富士山が見えた。

あ! 日本だ! 俺は日本に帰るのか!

泳ぎに力が入った。

もうそうなると帰心矢のごとく。
泳ぎに泳いだ。

富士はだんだん近くなってくる!

一生懸命泳ぐ・・・

妙なことにそのときは、今まで戦場にいたことも、どこから日本に向かって泳いで帰るのかも、ふしぎに全然頭になかった。
ただただ、いっしょけんめい泳いだ。

すると、皇居が見えた。
皇居だ!!

そして靖国神社が見えてきた。

あ! 俺は死んだんだ! 俺は戦死したんだ!
そうか! それで靖国神社に帰ってゆくのか・・・。

そう思った。

死の恐怖も不安も感じなかった。

ただひたすら、靖国神社に向かって泳いだ。
泳ぎつづけた。

すると遠くから、かすかに人の声がしているような気がした。

自分は気にもとめないで泳いでいたが、だんだん声がはっきり聞こえだした。

あ! 俺を呼んでる声だ!
うしろの方で多くの人たちが俺を呼んどる!

自分はゆっくり振り返ろうとした。
「あっ! 気がついたぞ!」
「助かった」「助かった」
ざわめきに我にかえった。

----------------------------

彼は生きかえりました。
そして、ふたたび戦友たちの戦列に復帰しました。

彼は、この体験を戦友たちに語ったとき、こう言ったそうです。

「俺たちは死んだら靖国神社に帰るんだなあ、先に死んだやつも、後から死ぬやつも、皆靖国神社に帰ってゆくんだ。『靖国で会おう!』と言い合っている言葉は嘘ではないんだなぁ」

そう語る彼の顔は平安だったそうです。

話を聞き入った者たちは、みな、これが死後に確信を持った人間の顔なのかと思ったといいます。

戦前、日本の将兵たちが知っていた靖国神社とは、春秋二回の例大祭には必ず陛下御自ら御参拝あそばされ、国民こぞって感謝の祈りをささげる場所でした。

靖国は、散華された将兵と、生きる私たち日本人が、ともに死生を超えて出会う場所でもあった。

「靖国神社の歌」

1.
日の本の 光に映えて
尽忠の  雄魂祀る
宮柱   太く燦たり
ああ大君のぬかづき給ふ
栄光の宮 靖国神社 

2.
日の御旗  断乎と守り
その命   国に捧げし
ますらをの 御魂鎮まる
ああ国民の 拝み称ふ
いさをしの宮靖国神社

3.
報国の   血潮に燃えて
散りませし 大和をみなの
清らけき  御霊安らふ
ああ同胞の 感謝は薫る
桜さく宮  靖国神社

4.
幸御魂   幸はへまして
千木高く  輝くところ
皇国は永遠に厳たり
ああ一億の 畏み祈る
国護る宮  靖国神社



日本は信教の自由があって、神社に行く行かないは、それぞれ個人の判断。それはそうかもしれません。

しかし、この国を守るために散華された英霊のみなさん方に、やはり私たちは目をそむけてはいけないと思うのです。

しっかりと正対し、真正面から英霊と向き合い、心から感謝する。

彼らの誇りを、彼らの涙を、しっかりと感じ取る。

出発点は、もしかするとそこにあるのではないか。
そんな気がします。
 ↓クリックを↓
人気ブログランキング

奉頌歌 靖國神社の歌


日本の心を伝える会では、いま会員の募集をしています。
登録無料!! ご入会は、
.魯鵐疋襯諭璽
△住まいの都道府県
メールアドレス

の3つを書いて、assist@nippon-kokoro.com にメールするだけ。
ご入会受付後、メーリングリストへの招待メールをお送りいたします。
この機会に、あなたも是非、どうぞ^^♪
日本の心をつたえる会ロゴ

学校の先生が国を滅ぼす

人気ブログランキング ←はじめにクリックをお願いします。

これが大臣らの筆字


昨日の記事で、上村彦之丞中将の半生と彼の見事な字をご紹介し、そのあとで菅直人の子供じみたひどい書を掲載したのだけれど、その記事へのコメントで、八目山人さんが、福島瑞穂や鳩ポッポの字の写真を紹介してくださいました。
それが上の写真です。

ちなみに、下は、麻生前総理の書です。
実に見事な書です。
違いをぜひ、見比べていただきたい。

麻生前首相の書
麻生太郎書


ボクもあまり人の字のことはいえないけれど、福島瑞穂や、岡田克也、鳩山由紀夫の字は、ちょいとばかりひどすぎる。
岡田克也は、「交代政権」と書きたかったのだろうか、それとも「政権交代」と書きたかったのか。
福島瑞穂に至っては、署名や色紙ををバカにしているのかと問いたくなります。
悪いけど、もう一回、小学校に通いなおせ!!といいいたい。

学校といえば、「学校の先生が国を滅ぼす」という本があります。

大阪府内の養護学校の元校長が学校の運営を乱し続ける組合教師の振る舞いを明らかにした本です(一止羊大著、産経新聞出版)。櫻井よしこさんがこの本の解説を書いています。
そこには、「教育現場は想像を絶した荒廃のまっ只中にある」と書いてある。

MSNニュースでも紹介された記事ですが、あまりのことなので、ご紹介します。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/091120/edc0911202253001-n1.htm

-------------------------------
赴任後、初の職員会議。職員を前に挨拶をしようにも、議長の教師は発言させない。発言を求めても議長がけげんに「このまま議事に入ります」。
「おかしい」と訴えると職員から反発を伴うざわめきが起こる。

法律では学校の校務の全決定権は校長にあり職員会議ではない。
にもかかわらず組合教師は「民主的な学校運営」を掲げて要求を突きつける。

この日も校長の発言後、「議長!」。教員同士の連絡調整役を果たす主任教員への任命の反対決議が提起された。一斉に起こる拍手に呆然とする校長。
主任教諭も現場の勝手な決議でゆがめられていった。

校長が長年の慣行に異議を唱え、勤務時間中の組合活動や「中抜け」と呼ばれる“職場離脱”を正そうとすると、組合教師が押しかけてくる。

教師「なにわ方式を知らんのですか」
校長「何ですか」
教師「組合に出席するさい、年休届を出さなくて良いという教育委員会との取り決めです。一応届けを出して後で破り捨てる。いわゆる『破り年休』です」
校長「そんな話は聞いたことがない」
教師「うそだと思うなら教委に聞いてみたらいい」
教委に確認すると「あります」。
悪しき慣行は教委のお墨付きだったのだ。

組合教師の中傷に反論文書を作ると、教委が「こんな文書を校長が組合に渡してどうするつもりか」「新聞沙汰になったらどうする」。

校長批判はやりたい放題で許される。
しかし、一切の釈明、反論は教委に封じられる。
正常化に向けて動いてもはしごを外すのは教委で、校長を支える気などない。

国旗国歌の指導はどんなに言葉を尽くしても「戦争賛美」「強制」「押しつけ」「内心の自由」などと聞き入れられない。職員会議は深夜まで連日続く。

その際に組合教師によって持ち出される論理が「学習指導要領は大綱に過ぎない」という理屈だ。

学校現場で何を教えるかは指導要領に明記され、無視は許されない。しかし、指導方法や授業には教師の個性や創意工夫に委ねられる面もある。過去の裁判でも指導要領は「法規」であると同時に「大綱」とも認められ、一定の教師の裁量を容認する。

ところが組合は「大綱」を理由に、指導要領を蹂躙する。

校長はこう述べている。「この本に書いたことは程度の違いはあってもわが国のどの公立学校でも普通に見られる現象だ」
学校の先生が国を滅ぼす

--------------------------------

学校教育が荒廃しているのは、主として日教組教師による左傾化によるというのは、すでに公知の事実です。

そもそも日本国の国旗は、遣隋使・遣唐使の昔から用いられてきた日本の旗です。これを「戦争賛美」というなら、教師を辞めて、小学校から勉強しなおしてきなさいと言いたい。

日本国に雇われて教師をやっている者が、日本国の国旗や国歌を「強制」「押しつけ」と思うなら、さっさと教師を辞めて民間企業に就職するがいい。しかし国旗や国歌と同様、社旗や社歌を「強制」「押しつけ」とゴタクを並べるような人物なら、まず民間企業でもまともな会社は絶対に採用しない。そのような主張をする偏狭なヤカラは、一般社会で通用しない狂人であるということです。
そして、一般社会に通用しないような人間に、教師をやる資格はない。

「内心の自由」は言葉の乱用です。自由は「道理」とも訳される。日本国に生まれ、日本国に在住する者が、日本の国旗や国歌斉唱を拒むのは道理に反する。道理に反した自由は、すなわち反社会的行為である。

こんな記事もあります。

--------------------------------
「君が代不起立で処分は不当」大阪の教諭が提訴
2009年11月3日 asahi.com関西
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200911030030.html

昨年3月の卒業式で、君が代斉唱の際に起立しなかったことなどを理由に訓告処分とされたのは不当として、大阪府門真市立第三中学校教諭の川口精吾さん(56)が2日、処分の取り消しと、府と市に200万円の慰謝料を求める訴えを大阪地裁に起こした。

訴えによると、卒業生のクラス担任だった川口さんら教諭8人と、卒業生160人のうち159人は卒業式の君が代斉唱時に起立しなかった。

市教委は今年2月、当時の校長と川口さんを文書訓告、他の教諭7人を口頭厳重注意とした。
川口さん側は「起立を求める職務命令は出ておらず、処分は思想信条や表現の自由を侵害している」と主張している。

提訴後、記者会見した川口さんは「こうした処分で国歌斉唱が強制されると、いずれ教育内容の強制につながるのではないか」と話した。

市教委と府教委は「訴状が届いておらずコメントできない」としている。
-----------------------------------

さすが朝日の記事で、提訴した教師ばかりがクローズアップされているけれど、問題は、教師という子供たちを指導し、子供たちを立派な大人になるよう育てることを職務とする教師たちが、「君が代斉唱。起立!」の号令に従わなかったこと。

教師みずからが率先して号令に従わなくてよい=規律に従わなくてよい、と生徒たちに教え込んでいる。

子供たちは生徒です。そして教師は生徒からみれば社会人です。その社会人が、生徒たちに、上からの指示は破ってよい、規則や規律は破ってよいと教え込んでいる。

さらにいえば、160名の生徒中、159名が不起立。1名が起立した。
この生徒に対し、教師はどう接するのか。
君の起立は、不道徳だと教えるのか。まわりみんなが不起立だったから、空気ヨメ!と言うのか。であるとするならば、上長の指示・命令より、周囲の空気が大切だと教えていることにならないか。

そこには、みんなが嫌がることでも、やらなければならないことは率先して行うという美意識はカケラもない。みんながしないから、しない、という安易な妥協しかない。

会社に入って、まわりのみんなが仕事キライ、好きじゃない、と言っていたら、空気を読んで、仕事をさぼるのがあたりまえ、そういう意識を育成することが、教師の役割なのか。


以下は、日本の心をつたえる会のメーリングリストに掲載されたものです。
上述した反日侮日売国教師たちの思考とは対極にあるものです。

----------------------------

日本人の皆さん、私たちの祖先は、国を建て初めた時から、道義道徳を大切にする、という大きな理想を掲げてきました。

そして全日本人が、国家と家庭のために心を合わせて力を尽くし、今日に至るまで美事な成果をあげてくることができたのは、わが国のすぐれた国柄のおかげであり、またわが国の教育の基づくところも、ここにあります。

日本人の皆さん、あなたを生み育ててくださった両親に、「お父さんお母さん、ありがとう」と、感謝しましょう。

兄弟のいる人は、「一緒にしっかりやろうよ」と、仲良く励ましあいましょう。
縁あって結ばれた夫婦は、「二人で助けあっていこう」と、いつまでも協力しあいましょう。
学校などで交わりをもつ友達とは、「お互い、わかってるよね」と、信じあえるようになりましょう。

また、もし間違ったことを言ったり行った時は、すぐ「ごめんなさい、よく考えてみます」と自ら反省して、謙虚にやりなおしましょう。

どんなことでも自分ひとりではできないのですから、いつも思いやりの心をもって「みんなにやさしくします」と、博愛の輪を広げましょう。

誰でも自分の能力と人格を高めるために学業や鍛錬をするのですから、「進んで勉強し努力します」という意気込みで、知徳を磨きましょう。

さらに、一人前の実力を養ったら、それを活かせる職業に就き、「喜んでお手伝いします」という気持ちで公=世のため人のため働きましょう。

ふだんは国家の秩序を保つために必要な憲法や法律を尊重し、「約束は必ず守ります」と心に誓って、ルールに従いましょう。

もし国家の平和と国民の安全が危機に陥るような非常事態に直面したら、愛する祖国や同胞を守るために、それぞれの立場で「勇気を出してがんばります」と覚悟を決め、カを尽くしましょう。

いま述べたようなことは、善良な日本国民として不可欠の心得であると共に、その実践に努めるならば、皆さんの祖先たちが昔から守り伝えてきた日本的な美徳を継承することにもなりましょう。

このような日本人の歩むべき道は、わが皇室の祖先たちが守り伝えてきた教訓とも同じなのです。

かような皇室にとっても国民にとっても「いいもの」は、日本の伝統ですから、いつまでも「大事にしていきます」と心がけて、守り通しましょう。

この伝統的な人の道は、昔も今も変わることのない、また海外でも十分通用する普遍的な真理にほかなりません。

そこで、私自身も、国民の皆さんと一緒に、これらの教えを一生大事に守って高い徳性を保ち続けるため、ここで皆さんに「まず、自分でやってみます」と明言することにより、その実践に努めて手本を示したいと思います。

------------------------------

以上は、明治23年(1980)年)10月30日の教育勅語の現代語版です。明治神宮崇敬会刊「たいせつなこと」に掲載されたものを、日心会の自転車屋さんが紹介してくれた。

教師みずからが率先して規則を破り、それを咎められると損害賠償の請求の裁判を起こすという日本。

日本古来の美風を守り、規則や規律を遵守し、家族を愛し、友と助け合って世のため人のために生きようと教える日本。

どちらが住みやすく、明るい日本といえるのか。

教育勅語は、陛下ご自身が、「まず自分から率先して実践します」と明言されているのが特徴です。自分に甘く他人に厳しいのではなく、まず自分から襟を正すと明言されている。

臣民としては、陛下にそう云われたら、そりゃもう自分たちひとりひとりも襟を正して生きるしかない。

このことは、会社でいえば社長自らが、学校でいえば教師みずからが、率先して実践するということです。そこに「戦争賛美」「強制」「押しつけ」「内心の自由」もくそもない。

上に立つ者が、自ら率先して、夫婦仲良くし、いつも思いやりの心をもってみんなにやさしくし、進んで勉強し努力して、喜んでお手伝いしますという気持ちで世のため人のため働くと宣言し、さらに約束は必ず守りますと誓い、そう生きるというのです。全員が身を律すつしかない。

社長や教師が、そんな生き方をしていたら、そりゃあ部下や生徒だって、しっかりと生きようとする。あたりまえのことです。

そういう教育からは、やはり人の人格は人格は陶冶され、立派な人も育つし、見事な書も生まれる。英霊となられた特攻隊のみなさんも、どなたを見ても素晴らしい字を書いている。

そしてそもそも、教育勅語の内容自体は、明治天皇によるお仕着せでもなんでもない。奈良平安のご治世、や鎌倉、江戸幕府時代の庶民文化に深く根ざした日本人の一般的道徳観です。

日本は、元来、そういう社会だったのです。

明治初期に来日した英国人女性イザベラ・バードは「日本こそ世界の望む理想を体現したまさにユートピアそのものである」と明言している。

もし今の日本にイザベラ・バードが来日して、冒頭のような学校教師を見たらなんというか。彼らは日本人ではなく、シナか朝鮮半島人に違いないとため息をつくに違いない。
すくなくとも、冒頭の実情を見て、ここをユートピアと評することは絶対にないと思う。

ユートピアというのは、戦争がない、金持ちだというのが、ユートピアではありません。
戦争がなく金持ち国家でありながら、道徳の荒廃が著しかったソドムとゴモラは、神の火によって、焼き尽くされ完膚なまでに粛清されている。

いまの日本の道徳の荒廃が、日教組に支配された教育界にあるとするならば、日本の神は、それら腐敗した教育者たちを神の業火で焼き尽くさなければならないようにも思えてきます。

あまりにひどい道徳心の欠如を見れば、日本には、再びGHQを作るか、戒厳令をひいて国旗、国歌に敬意を表しない、反日・侮日・売国思考を持つ者たちを、あらゆる公職から追放し、反日的・侮日的・売国的出版物ならびに報道も、ことごとく検閲を施したくもなります。

しかし、そんなことをしなくても、日本にはれっきとした神がいる。
その神とは、漱石がいう「向こう三軒両隣りに住むただの人」です。

いまの日本がGHQの占領政策、その後の日教組の暗躍という人の手によって生まれたとするならば、日本を取り返すことも、やはり人の手でできる。

なにかあると「政治が悪い」という人がいるけれど、その政治を行っている政治家を選んでいるのは、わたしたち国民です。冒頭の反日教師をのさばらせているのも、わたしたち国民です。

ひとのせいにするのではなく、わたしたちひとりひとりが目を覚まし、襟を正すこと。
すべての出発点は、そこにしかないと、ねずきちは思うのです。

まわりくどいと思われる人もいるかもしれない。
しかし、では反日侮日売国に走る日本人を、どこかの国のように粛清し、殺しつくせばことが足りるのか。そんなことをしてはたして陛下がお喜びになるのか。

そう考えたとき、わたしたちにできること、しなければならないことは、おのずとみえてくるように思えるのです。

この国の素晴らしさを取り戻そう!と思う方
 ↓クリックを↓
人気ブログランキング

書道/御物【李嶠詩】 16嵯峨天皇


日本の心を伝える会では、いま会員の募集をしています。
登録無料!! ご入会は、
.魯鵐疋襯諭璽
△住まいの都道府県
メールアドレス

の3つを書いて、assist@nippon-kokoro.com にメールするだけ。
ご入会受付後、メーリングリストへの招待メールをお送りいたします。
この機会に、あなたも是非、どうぞ^^♪
日本の心をつたえる会ロゴ

菅直人のへたくそな字

人気ブログランキング ←はじめにクリックをお願いします。

上村彦之丞中将
上村彦之丞中将


東京の目黒区青葉台1丁目に、上村坂という坂道があります。
山手通りの一商高交差点から少し曲がりながら下る坂道です。
坂下は比較的緩やかですが、坂上になるほど傾斜が急になります。

なぜこの坂に上村坂という名前がついたかというと、戦前、この上、つまり山手通りの交差点あたりに、海軍大将上村彦之丞(かみむらひこのじょう)の家があったからです。

上村彦之丞は、実は日本武士道の華として、世界的に広く知られている人物です。

日露戦争の頃の話です。

上村艦隊は、ロシアのウラジオ艦隊と交戦し、1艦を撃沈、2艦に壊滅的打撃を与えます。

このとき撃沈されたロシアの巡洋艦リューリックは、沈没するときに乗組員の将兵達が船から飛び降り、海上に漂った。

海上に漂う敵の将兵626名。

敵艦のリューリックは、日本の海上輸送を妨げ、十数隻もの船を沈めて、一般人を含む多くの日本人の命を奪った仇敵です。

戦艦沈没時というのは普通、乗員の95%は、沈没時に海に避難します。助かるのです。
現代の人なら、戦闘が終わったら、敵の兵であれ、人命救助はあたりまえと思うと思います。

しかし当時、ウラジオ艦隊に沈められた日本船で、ロシア船に救助された者は誰もいません。ほぼ全員の日本人が、海上で殺された。

時代は少し異なりますが、皆様御存じ戦艦大和も、沈没したときには乗員3,332名のうち、約3000名が海に飛び込んで漂流した。飛び込んだ日本の将兵には武器はありません。つまり攻撃力は皆無だった。

しかし雲霞のごとく群がった米軍は、海に漂流する戦艦大和の乗員に対し、容赦なく飛行機や艦船からの機銃掃射を加えた。その結果、生還したものは、わずか269です。

黄色人種の命など、虫けらと同じ・・・そういう時代だったのです。


いま、上村の目の前には、ロシア巡洋艦リューリックの乗員が、波間に浮かんでいます。
そして戦闘は終わっています。

上村は、迷わず全艦に命令します。

「溺(おぼ)れる者をことごとく救助せよ」

さらに上村は、部下が敵兵に復讐の念をもって虐待行為をしないよう、各艦に「捕虜を厚遇せよ」と重ねて命じた。

日本艦隊は、漂流者全員をひとり残らず救助した。

さらに上村は、救助したロシア兵に対し、日本軍が暴行を働いていないか、参謀の佐藤鉄太郎中佐に、見に行かせます。

佐藤参謀長が見に行くと、負傷して横たわる敵兵に対して水兵が、真夏の猛暑の中で、ロシア兵の周りを取り囲み、手に扇を開いてあおいでやっていた。

水兵は佐藤に言った。
「こいつらは憎い奴ですが、こうなるとかわいそうです」

佐藤が上村に報告すると、上村は「それはよかった。それで安心」と喜んだそうです。

この物語は、当時、全世界で絶賛され、いまでも海軍軍人の手本、フェアプレイ精神の手本として各国海軍の教本に掲載されています。
世に言う「蔚山沖海戦(うるさんおきかいせん)」です。


蔚山沖海戦(うるさんおきかいせん)について、すこし背景を述べたいと思います。

日露戦争が始まったころ、ウラジオストクを母港とするロシア・ウラジオストクには、装甲巡洋艦ロシア、グロモボイ、リューリックの3隻からなる艦隊がいました。

この艦隊は、旅順にいたロシア太平洋艦隊とは別行動を取り、日本の商船や輸送船を狙って活発な海上破壊活動展開していた。

日本海軍は、上村中将を司令官とする第二艦隊を遊撃部隊としてウラジオストク方面に展開させ、ロシア艦隊の捜索を行い、撃破を図ろうとした。

明治37(1904)年6月15日には、陸軍兵士を輸送中の常陸丸、佐渡丸が撃沈され、須知源二郎中佐以下の近衛後備歩兵第1連隊等の兵員千名余りが戦死しています(常陸丸事件)。
さらに7月にはウラジオストク艦隊は東京湾の沖に出現した。

ウラジオストク艦隊の海上破壊活動は、日本の帝国議会でも問題になります。

上村中将が濃霧のためウラジオストク艦隊を見失ったと東京の大本営に打電したところ、ある議員は
「濃霧、濃霧、逆さに読めば無能なり」と野次った。

民衆は怒り狂って上村の自宅へ投石し、上村を露探(ろたん=ロシアのスパイ)呼ばわりした。
この事に部下たちが憤慨すると、上村は「ウチの女房は度胸が据わっているから大丈夫」と笑って取り合わず、批判や中傷にじっと耐えたと言います。

上村という人物は、薩摩藩出身で幕末の戊辰戦争にも従軍した男です。耐える上村の胸の内はいかばかりだったことでしょう。

上村という男は、明治4年には海軍兵学寮に入り、在学中に台湾征伐にも出征し、日清戦争も戦ってきた勇士です。

無類の酒好きで豪傑。先日ご紹介した山本権兵衛が艦長、上村が副艦長をしていた頃に、こんなエピソードがあります。

陸上で大酒を飲んで戻ってきた上村が艦内で暴れ出した。
山本権兵衛は静かに上村に話しかけ、抱きかかえるようにして甲板に連れていったそうです。
この様子を目撃した少佐が心配してあとをつけると、権兵衛は上村の胸ぐらをつかんで殴りつけていた。権兵衛といえば相撲取りを目指したこともある剛腕の男です。

明治21年、ロシアの戦艦ドミトリー・ドンスコイが修理のために横須賀のドックに入ったとき、日本海軍が地元の水交社を宿泊所にあてたのだが、日本など眼中にないロシア水兵たちは水交社でも我が物顔に振る舞っていた。
上村は水交社に行き、ロシア水兵とビリヤードを始めた。
すると一人のロシア士官が「君は何という名前だ」と尋ねてきた。

上村は「大和艦副長 海軍大尉 上村彦之丞だ」と答えるのだけれど、もとよりロシア兵には、日本語など分からない。

ロシア士官が再び名前を聞きなおすと、上村は「大和艦副長 海軍大尉 上村彦之丞である!」と大声で怒鳴った。
その様子を見てロシア士官がクスクスと笑った。

上村は、「人の名前を聞いておきながら笑うとは、無礼千万!」と怒鳴ると、手にしたキューでロシア士官を殴り倒した。
なにせ幼いころから薩摩示現流で学んだ打ち込みです。
キューは、真っ二つに折れ、ロシア士官は、一撃で倒れ込んだ。

激怒した他のロシア水兵が全員で上村に襲いかかってくると、上村は、ビリヤード台に上って天井のランプを引き外して投げつけ、さらに椅子を振り回して大暴れした。
ロシア水兵全員は、上村の迫力に押されて逃げていった。

また、日清戦争のあと渡英した折には、英国アームストロング社のナンバーワンのノーブルを怒鳴りつけている。
当時、日本は英国のアームストロング社に、軍艦「千代田」を発注していたのです。
ところがアームストロング社は日本を見くびって、千代田用に発注された12センチ砲を無断で南阿戦争中の英軍に振り分けてしまった。

これに怒った上村は、ノーブルを呼びつけて抗議した。
しかしノーブルは英国造船界の大物です。上村など眼中にない。平然とトボケている。
通訳もノーブルの影響力を恐れて、上村の発言を笑顔で恐る恐る訳していた。

上村は、「君じゃ話にならん。ほかの通訳を呼べ!」と通訳の交代を命じます。
そして代わってやってきた通訳に対し、
「通訳はただ訳せばいいのじゃない。怒った時は怒ったように、叱った時は叱ったように、すべて本人の態度と同じようにせよ!」と怒鳴りつけ、ノーブルを徹底的に叱り飛ばした。
その堂々とした姿にノーブルは、日本という国を見直し、これを機に、アームストロング造船所の日本に対する態度は一変したといいます。

その上村にとって、ロシアのウラジオストック艦隊の行状は、最早許しがたい一線を越えていた。

さらに8月10日、旅順からウラジオストクへ向かう旅順艦隊を援護するため、ウラジオストク艦隊はウラジオストクを出港したとの情報が伝わります。

上村中将も、ウラジオストク艦隊を捕捉すべく、装甲巡洋艦「出雲」「吾妻」「常磐」「磐手」、防護巡洋艦「浪速」「高千穂」からなる日本海軍第二艦隊を出撃させた。

8月14日、上村艦隊は、蔚山沖でウラジオストク艦隊を発見する。

ウラジオストク艦隊は、敵が輸送船団ではなく、巡洋艦隊であることに気が付くと、即時、直ちに北へ向けて逃走を開始した。

農霧の中です。ロシア艦隊は、霧の向こうからめちゃくちゃに大砲を撃ってくる。

その砲弾の中を、全艦火になった上村艦隊が全艦、全速力で猛追する。

追撃戦のさなか、「出雲」の後続艦「磐手」に乗っていたあるカメラマンが逃走するウラジオストク艦隊を撮影した。後で現像してみたら、それは先行していた友軍の「出雲」であり、同僚に笑われるという喜劇も起きた。

敵の砲弾が炸裂する。味方の艦首大砲が轟音とともに火を噴く。

そしてついにウラジオストク艦隊の3つの巡洋艦のうちのひとつ、リューリックを撃沈した。リューベックは、沈没しながらも、半沈しながらも砲撃を止めなかったといいます。
味方の船を逃がすため、最後の最後まで砲撃を止めなかった。
これを見た上村は「敵ながら天晴れな者である」と述べたという。

リューベックの主砲が鳴りやみ、上村艦隊は残りの2艦を追撃します。
2艦は、はたびたび反転しては、上村艦隊を砲撃した。

上村艦隊も、これに反撃する。

あまりの騒音と喧騒で、艦内は隣の人とも話もできない轟音に包まれます。
その砲撃戦のさなか、上村艦隊の砲弾が残りあとわずかになってしまう。

参謀がそのことを上村に伝えようとするのだけれど、艦内の轟音で、話ができない。
参謀は、黒板に「我レ、残存弾数ナシ」と書いて、その事実を上村に伝えた。

上村は、それを受取ると、参謀から黒板ごと奪い取り、床に叩きつけ、足で踏みつけて悔しがった。

やむなく上村艦隊は2艦の追撃をあきらめ、沈没した「リューリック」いた場所に戻り、乗組員の救助を行った。

ついでにいうと、逃げたウラジオストク艦隊の2隻は、なんとかウラジオストク港まで逃げ込んだ。しかし、2隻とも日本軍によって上甲板に大穴を開けられており、二度と出撃することはないまま廃船にされています。

この蔚山沖海戦(うるさんおきかいせん)で、日本は日本近海の制海権を取り、その後の日本海海戦、奉天戦の戦い等を遂行し、日露戦争を勝利に導いています。

上村彦之丞中将の書
上村彦之丞中将の書


うちのオヤジの口癖は、「書いたものを見れば人柄がわかる」というものだったけれど、上村彦之丞の書を見ると、実に見事としか言いようのない筆致です。
古武士のような力強さと豪快さ、大義のために尽くす強靭な精神と、人に対するやさしさが書に見事に表れている。

上村彦之丞の書は、人間を鍛えあげると、ここまで凄味が出るものかと、いまさらながら感心します。

書といえば、省庁の看板文字は発足時の大臣が書くことになっています。

下の写真の国家戦略室の看板の書は菅直人の字らしいのだけれど、気障でかっこをつけた字でありながら、一字一字が子供じみててバランスが悪い。
国家戦略室の墨字

リキミは感じるけれど中身がない。この程度の人物が国家戦略を語る?
片腹痛いというのはこのことです。

日本男児が育つ環境造り、日本はそこから出直さなきゃなんない。ねずきちには、そんな気がします。

日本を立て直せ!と思う方
 ↓クリックを↓
人気ブログランキング

鳩山由紀夫vs 鳩山由紀夫
本文とはまったく関係ないのですが
この動画、笑えます。


日本の心を伝える会では、いま会員の募集をしています。
登録無料!! ご入会は、
.魯鵐疋襯諭璽
△住まいの都道府県
メールアドレス

の3つを書いて、assist@nippon-kokoro.com にメールするだけ。
ご入会受付後、メーリングリストへの招待メールをお送りいたします。
この機会に、あなたも是非、どうぞ^^♪
日本の心をつたえる会ロゴ

行政刷新会議という名の文化大革命人民裁判・・・民主党議員を離党させよ!

人気ブログランキング ←はじめにクリックをお願いします。

2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏が、行政刷新会議による事業仕分けを見学されたそうです。

ちょうど事業仕訳では、次世代スーパーコンピューターやロケット開発などの最先端科学技術に関する仕訳が行われていた。

そして会議の結果は、「無駄」と認定された。

仕分け作業はほぼ“財政論”に終始し、科学技術立国として、種をまき育てるという議論に踏み込むことはほとんどなかった。

17日の事業仕分けでは、文部科学省所管で官民共同で開発が進められてきた中型ロケット「GX」(概算要求額58億円)が俎上に載せられた。

統括役である民主党の枝野幸男(ちなみにねずきちは、どうにもこの男が昔から大嫌いです。顔を見ただけで反吐が出る。声を聞いただけでも虫唾が走る。どうしてこのような低レベルで見識のない最低男に投票する有権者がいるのか、まるで理解できません)は、次のように切り出した。
「ロケット開発自体、ビジネスになる見通しが立っていないのに税金を使うのはどうか」

はじめから結論ありき。ハナから否定です。

そして取り巻きが言います。
「米国、欧州、中国が成功したら日本のロケットは海外に売れなくなる」
「ビジネスとして将来性がない」等云々。

結果、GXロケット計画は「廃止」となりました。

液化天然ガス(LNG)を使った新型エンジン開発も予算計上が見送りとなりました。

LNGエンジンというのは、いわば超低燃費エンジンです。
だから長期間運用する軌道間輸送機や惑星探査機に適している。
そして日本は、いま、この分野で世界最先端を走っているのです。
LNGエンジンというのは、世界の宇宙開発に対しても日本の技術の優位性を確保できる。

しかし枝野らは、これを「効果的な事業とは言えない」として、なんと打ち切ってしまった。ただ感情的に、斬り捨てを行った。

その他文部科学省の「先端計測分析技術・機器開発事業」(概算要求額55億円)に関しても、民主党代表団は、「効果的な事業とは言えない」などと指摘。
結果は「1〜2割の予算削減」となった。

13日のスパコンに関する仕分け作業では、蓮舫参院議員が、「世界一を目指す理由は何か。2位では駄目か?」
結果は、開発事業費を「事実上の凍結」です。

バカなことを言っちゃあいけません。2位ではダメなのです。

最先端分野というものは、1位となったものだけに特許が生まれます。
その特許権の使用は、先端かつ高度なものとなるほど高額となります。
直接利益が得られるものなら、独占も可能です。
最先端分野というのは、自国で研究に投資しない限り、研究成果を使用するには高額の特許料を支払うか、そもそもその使用をあきらめるかしかなくなるのです。
2位じゃダメなのです。

スパコン開発は科学研究やジェットエンジン開発などで必須のコンピューター・シミュレーションの発達に影響する分野です。

だから米国は不況下でも開発予算を増額している。
中国も最高性能の国産スパコン開発を国家戦略に位置付けています。

文部科学省の担当者は、「中止すれば日本は最先端コンピューターをつくる技術を失い、1、2年の遅れが致命傷になる。国際競争は一度下りたら復帰することは困難だ」
と危機感をあらわにしている。

最先端分野というものは、直接的に近々にどのような成果が得られそれがどのように利用できるか、どれほどの利益をもたらすかなどは不明なものです。

しかし、そうした無駄を数知れないほど積み上げるところに、研究者が育成され、研究する体制が維持され、研究成果が生まれる。
研究を止めてしまっては、その成果を期待することはできません。

そして、研究分野の予算が大きく削減されると、多くの研究者は研究できる環境を求めて日本を離れざるを得なくなる。優秀な日本の頭脳が海外に流出してしまうのです。

そして研究の成果は、資金を提供した研究所等に帰属します。

日本の優秀な頭脳が海外に流出することは、日本が将来得られるかもしれない利益を外国に差し出すことになる。
その結果、日本人が生んだ研究成果を、日本が利用するために、日本は外国から多額の特許料等を請求されるという事態を招く。

いま、行政刷新会議による事業仕分けをやっている民主党の原口一博だの枝野幸男だの蓮舫だの津川、寺田、菊田、田嶋各衆院議員および尾立だの、まさに国賊です。日本の未来の繁栄を根を、根こそぎ摘み取ろうとしている。
その振る舞いは、万死に値する。

なぜなら科学技術分野での研究を怠るということは、いまの日本の子供たちが成長した時に、雇用してくれる企業の存在を失うことにもなりかねないからです。子供手当が聞いてあきれます。

そもそも予算折衝を行う場において、あのような公開人民法廷のようなパフォーマンスを行う必要など、いったいどこにあるのでしょうか。

一般の企業でも、各部門から好き勝手に予算を出させた挙句、公開人民裁判のような狂気の世界の中で、あれはダメ、これもダメとバッタバッタと叩き切る。そのようなことをすれば、まじめに予算を積み上げて折衝をしようとした多くの社員はやる気をなくし、下手をすれば優秀な社員は、他所の会社に移ってしまいます。

常識で考えても、あらかじめ、予算の大枠はこれだけ、という枠組みを決めたうえで、各省庁(部門)に、十分に議論してもらい、中で予算を煮詰める。
そのうえで、国家としての重点項目に相当する部分には、一定の割増予算を与える。
そのほうが、誰がどうみても互いにやる気も生まれ、この国のために努力しようという姿勢が生まれる。

世界中、すべての国において、共産主義、階級闘争主義を選択した国家というものは、経済運営で大失敗をしています。

その大失敗をした階級闘争主義のやり方を、まるごと日本の行政に持ち込んで、民主党はいったいこの日本をどうしたいのか。

まさか、民主党の議員のみなさん、あなたがた、シナが2050年に描いている未来図・・・日本の関西以西を「中華人民共和国東海省」、中部以北を「中華人民共和国日本自治区」に分割統治させたいと願っているのではありますまいね?

日本の出生率が下がっているところに、家族制度反対、女性の育児反対の福島瑞穂を少子化担当大臣に据えて、ますます日本人の若いカップルから出産・子育てへの情熱を冷ます。
日本人が子供を作らなくなったところに、繁殖力旺盛な漢人やコリアンを大量に日本に誘致する。

日本人の子供たちから競争心や闘争心を奪いとり、そこに競争心・闘争心の固まりのような漢人やコリアンを大量に解き放つ。しかも彼らに手厚い生活保護、最低賃金保証、子供手当、日本国籍を与える。

同時に最先端事業分野に関する日本の研究開発予算を軒並みカットして、技術大国日本の技術開発力を根こそぎダウンさせる。競争力を失わせ、日本企業をバタバタと倒産に追い込む。

これらの政策を実施した先の日本がどうなるか。

この方向で30年たったら、日本国内では日本語より、北京語や韓国語を話す人のほうが増えてしまう。

そしたら?・・・学校でも公用語は北京語にするのですか?

民主党の議員さん。

あなた方も人の子だ。あなた方に正義のかけらのひとつでも残っているなら、いますぐ民主党を離党しなさい。せめて党内で執行部に対して、異論を唱えなさい。
でなければ、あなたがたは、未来永劫、ひとつの国を崩壊させた無能な議員として、世界に名をとどめることになる。

もうひとつ述べます。

すでに地方では、民主党の崩壊が始まっているという事実です。

補欠選挙では、なるほど勝利した民主党ですが、地方の市長選、議員選挙では、民主党はここにきて、次々と落選している。

国政と異なり、地域に密着した地方候補は、有権者と密着している分、風やブームでは票に結びつきません。いくらメディアを利用して民主マンセーとやってみても、身近な生活者の視点はゴマかすことなどできないからです。
もはや民主党の政策は、足元から崩壊しはじめていると知るべきです。

先日も、民主党の市議、町議が民主党を離党しました。

そのときの決意文を掲載します(たぬきちさんからの紹介です)。

------------------------------
【決 意 書】

吉川市議会議員安田真也は平成21年11月4日に、杉戸町町議会議員田中敦美は同月5日に民主党埼玉県連代表に対しまして離党届を提出致しました。
短い期間でしたが政治活動の場を提供くださった民主党に感謝申し上げます。

政権与党となった今、なぜ党を離れるのか。
民主党を離党するに至った経緯・理由については、大きく分けて2点あります。

まずは、私どもと民主党との考え方の違いであります。

日頃、私どもは地域住民を大切にし、地域の政治家として、保守系の議員として活動してまいりました。

しかしながら、総選挙前に発表された「民主党INDEX2009」では外国人地方参政権、靖国に替わる国立追悼施設問題、国立国会図書館法改正等が触れられ、到底私ども保守系議員にとって受け入れられないものであります。

国民一般には「マニフェスト」の実行を約束、「INDEX」はマニフェストでも公約でもないとの認識から、選挙中は公認候補者必勝のための活動を行いました。

今回民主党が大勝し、政権交代が成った今、マニフェストに記載のない、前述の外国人地方参政権問題をはじめとする、極めて国家を二分するような「INDEX」に記載されている事項が実行されようとしており、地域を守る者として、保守系議員として危機感を覚えました。

この「INDEX」の危険性に関し、同じく民主党の東京都議会議員の一人がこの問題を月刊誌や多方面で指摘し、党の逆鱗に触れたのか離党勧告を受けています。

このように極めてイデオロギーが先行する政策を党内議論もなく、また、一部の国会議員だけで決めてしまい、物申す者は排除するという姿勢は「全体主義」そのものではないでしょうか。


2点目は、私どもの所属する埼玉14区総支部長(注:衆議院議員の枝野幸男)の資質の問題です。

総支部長たるもの、少なくともその地域のため、地域住民の為に実情を把握し、問題点があれば的確にアドバイスができ、地方議員の良きアドバイザーとなることが本来の姿ではないかと考えております。

しかしながら当該総支部長は14区内の地方議員選挙において、公認候補者以外の他候補者陣営へ数か所応援へ行き、自らマイクをとり街宣している事実もあり、このような行為は大変遺憾であり、これは党紀違反行為そのものであり、総支部長だからと許される行為ではないと思います。

仮に地方議員がこうした行為をとったらどうでしょう。

除名・除籍処分ではないでしょうか。

過去にも数多くの支援者や地方議員、秘書とトラブルを起こしております。

今回の選挙後、支援者周りを行わず、各地方議員の元にクレームが寄せられていて、今始まったばかりのことではなく、以前から指摘されている問題でありますが、全く改善する気もなく改善の見込みがありません。

義を見てせざるは勇なきなりという言葉がすべてではないでしょうか。

私どもは、まだまだ未熟ではありますが地域を守るという責務は、心してしっかりと果たしているつもりであります。

上記のような地域を自ら壊すような動き、「地域のことは地域で」と、私どもは、地域がまとまった形が国であると思いますが、この総支部長は「私は国会の方なので国のことしかやりません」。

なんら関心も寄せないような国会議員とは真剣に全力で闘っていきます。

今後の動きですが、私どもは地域・国家・国民を守るために離党したわけですから、党派を超えた同じ志のある同士を集め、同士らと共に、誠に地域のため、国家・国民の為に生命を燃やしていこうと考えています。

また、こういった志をもった若者を育てていくことも必要であると考えており、真の「平成維新・改革実現」のため草莽崛起の志で闘っていきます。

以上

杉戸町町議会議員 田中敦美
吉川市議会議員 安田真也
-------------------------------

民主党の地方議員に離党と促し、民主党を解体に追い込めと思った方
 ↓クリックを↓
人気ブログランキング

【土屋たかゆき】民主党離党勧告に物申す![桜H21/11/17]


日本の心を伝える会では、いま会員の募集をしています。
登録無料!! ご入会は、
.魯鵐疋襯諭璽
△住まいの都道府県
メールアドレス

の3つを書いて、assist@nippon-kokoro.com にメールするだけ。
ご入会受付後、メーリングリストへの招待メールをお送りいたします。
この機会に、あなたも是非、どうぞ^^♪
日本の心をつたえる会ロゴ

敵さえも味方にしてしまった男・・・草鹿任一海軍中将

人気ブログランキング ←はじめにクリックをお願いします。

シャープEL-805
シャープEL-805


会社組織などでは、大きな功績を残しても、それを“誰がやったか”があまり表にでないことが多いです。

たとえばいま、ご覧いただいているパソコンや携帯の画面には、液晶が使われていますが、これを“誰”が実用化したなどかは、ほとんど伝えられていません。

ちなみに液晶は、液体と固体の中間的な状態を保つ物質で、1888年にオーストリアのライニツァによって発見されたものですが、その後多くの研究者による研究を経て、1964年に米RCA社のハイルマイアが、DSM (Dynamic Scattering Mode)液晶を発明した。

RCAは、このDSM液晶を使った時計を発売するのだけれど、寿命が短く、実用に堪えない。

これを実用化させたのが、日本のシャープで、シャープはDSM液晶にイオン添加剤を加える方式を1971年に開発し、世界初の液晶表示電卓「EL-805」を1973年に開発します。

さらに液晶は、DSM液晶に代わって、電圧駆動素子であるTN液晶が、1969年に米ケント州立大学のファーガソンによって発明されます。
TN液晶は、DSMに比べて電流消費が少ないので、腕時計を始めとして急速に商品化が始まり、いま、眼の前の液晶画面にまで発展しています。

ここまでの記載の中で、オーストラリアや、アメリカなどでは、どこの“誰”が発明したかがあきらかになっていますが、日本のシャープは、シャープというだけで“誰が”というのは問題にされていない。

もちろん発明や開発には、それなりの天才が関与して熱心な研究を続けることによって成果をあげているのだけれど、日本では、そうした結果はチームによる成果として認識されることが多いです。

個人主義型の欧米に対して、集団主義・家族主義の色彩の強い日本では、たとえひとりの天才が発明・発見・開発したことであっても、それはあくまで“みんなの協力があってなしえたこと”として認識される。

実際どんなに素晴らしい貢績であっても、ひとりで一から十まで全部できるなどということは、まずなくて、ひとつひとつのすべてが、みんなの支えがあってはじめて偉業が成し遂げられる。

こうした傾向は、船乗りの中では一層顕著になります。

陸と違い、ひとたび外洋に航海に出れば、おなじ船内で何か月も同じ仲間達と顔を突き合わせてすごす。とにかく人の和が大切になる。
それだけに船乗りには人格者と呼ばれる人が多い反面、そんなすごいことをいったい“誰が”やったんだろう? と不思議に思って糸をたぐりよせてみても、なかなかむつかしい。

不思議なことに、戦後行われた東京裁判で、海軍からはA級戦犯がひとりも出ていません。
これも実に不思議な話です。

で、なぜかと思って調べてみたら、どうやら終戦のときラバウルにいた海軍中将、草鹿任一(くさかじんいち)氏が、その原因らしい。

草鹿任一海軍中将
草鹿任一海軍中将


GHQにアメリカ人でモンローという検事がいます。
彼は東京裁判のときに、海軍の戦犯を暴くことが任務で、なかでも南東方面艦隊の事件を担当した。激戦地です。

当然南方最大の日本海軍基地であるラバウルの調査をすることになる。
ところがモンローは、ラバウルの指揮官であった草鹿任一に会うと、すっかり彼に心服してしまいます。

そしてモンロー検事は、草鹿を“オールド、ジェントルマン”と呼び、自分から彼の家にに何度も出かけている。

そして“オールド、ジェントルマン”のために海軍関連の事件を全部取り下げたいからと資料を集め、結局“Case is dismissed”として事件そのものの立件を見送ってしまった!

当時、日本に駐屯していた米海軍には、アーレイ・アルバート・バーク(Arleigh Albert Burke)という人もいた。米海軍の軍人で、最終階級は海軍大将です。
アメリカ海軍史上でただひとり、海軍作戦部長を3期6年の長きにわたって務めた実績のある人で、当然GHQの中でも発言権が強かった。

バークは、大東亜戦争の最中も、終戦後も、公の場で日本人を「ジャップ!」、「黄色い猿!」と侮蔑的に呼び、露骨に日本人をさげすみ、頭から反日・嫌日感情を隠そうともしなかった。それくらい日本人嫌いだった。

そのバークも、取り調べのさなかに草鹿任一と知り合います。
その出会いが、彼の人生を一転させた。

バークは、草鹿との出会いのあと、うって変わって親日家となり、モンローとともに日本海軍軍人の裁判をことごとく不起訴にしたばかりか、日本が早く占領状態から解放されるよう尽力し、挙句の果てが日本の海上自衛隊の創設のために全力をあげて貢献します。

その功績によって彼は、昭和36(1961)年には、陛下から“勲一等旭日大綬章”を授与されています。

平成8(1996)年、彼は94歳でこの世を去ったのだけれど、さすがに米海軍の大物のバークです。
彼は米国だけでなく、世界各国から多数の勲章を授与されていた。

ところがバークは、彼の葬儀のとき、本人の遺志によって遺体の胸に、日本の旭日大綬章ただひとつだけを取り付けた。
彼にとって、他のどの勲章よりも、日本で陛下から授与された勲章が栄誉だったのです。


他にも草鹿は、東京裁判開始前にキーナン検事を筆頭に、GHQで日本を敵視していた人々にいちいち会っては大喧嘩をし、大口論をした。
その結果、彼等は逆に日本人を認識し直し、草鹿を尊敬してしまう。

結果、帝国海軍軍人からは、A級戦犯として起訴される者が誰も出なかった。
のみならず、反日的だった彼らをして、逆に日本海上自衛隊の創建にまで協力させてしまった。

アーレイ・バーク
アーレイ・バーク


バークやモンローを、そこまで親日家にした草鹿任一中将というのは、どのような人だったのでしょう。

草鹿任一は、石川県出身の海軍軍人です。

戦艦艦長、海軍砲術学校校長、艦隊参謀長、海軍兵学校校長などを歴任し、大東亜戦争では、昭和17年12月から終戦まで、ラバウルで指揮を執った。

非常に頑固で短気。筋の通らないことには一切妥協せず、たとえ上官であっても激しく叱責した人物だったそうです。

海軍兵学校・校長時代の彼には、特別“これが”というような記録はないけれど、在校生徒には絶大な信頼と人望があったそうです。
彼の校長時代の言動や訓話などは、卒業生によって語り継がれ、ジンチャン校長と呼ばれ、兵学校校長退任後もたいへんな尊敬を集めていた。

ある日のことです。
軍人勅諭奉読式のとき、草鹿は、五箇条のみを読み、生徒に「軍人たるの本分は何か」と質問した。

優秀な生徒たちです。
いろいろな回答が返ってきた。

いちいちうなづいて聞いていた草鹿は、最後に全員の前でひとこと、こう発したそうです。
「軍人は戦いに勝つことが本分である」

たったこれだけです。
しかし生徒たちは、自らの不明を恥じ、草鹿校長の言葉を胸に刻んだといいます。


昭和17年12月に、草鹿はラバウル基地の司令官として赴任します。

翌昭和18年4月の「い号作戦」の翌日のことです。

搭乗員に訓示敬礼する山本五十六連合艦隊司令長官
(向かって右が草鹿任一南東方面艦隊司令長官)
山本五十六


「い号作戦」というのは、ラバウル周辺に日本軍の航空兵力を集結し、ソロモン諸島およびニューギニア島東部への集中的な攻撃によって戦局の打開を図ろうとした作戦です。
山本五十六司令長官が、直接ラバウルにやってきて指揮をしています。

作戦の翌日、朝8時から作戦の反省会議が開かれた。

この会議は、夕方6時40分まで、延々実に10時間におよぶ会議となったそうです。
出席者全員、疲労も極限に達していたころ、最後に宇垣聯合艦隊参謀長が立って、まとめとしてこう言った。

「航空兵力の不足が今日の戦況をまねいた主因です。現地部隊の一層の強力をのぞむ」

これを聞いた草鹿は、とつぜん立ち上がり、宇垣参謀長を怒鳴りつけた。

「そんな考えの者は、一人もおらん!!」

現地で指揮をとっていて、連日のように戦死していく部下を直接見ている草鹿にとって、これ以上、何をどう「強力をのぞむ」というのか。そんな安直な考えで、部下を死なせろというのか。全員が死を賭して闘っている。甘く見るな!

草鹿はよほど腹にすえかねたらしく、会議が終わって宿舎に帰ってからも、宇垣の顔をみるとふたたび彼を怒鳴りつけています。


宇垣参謀長に草鹿が激怒した翌日、ブーゲンヴィル島方面への視察を目的として飛び立った山本五十六の搭乗する飛行機が米軍機に迎撃されて墜落します。
司令長官以下全員が戦死した。

単機で出向くという山本長官に、草鹿は、無理やりゼロ戦6機の護衛をつけた。

しかし、草鹿の心の中には、終生このときの責任が棲みついていたようです。


「い号作戦」を含め、草鹿は、終戦までの2年9か月をラバウルの責任者として過ごします。
当時の様子が彼の著書「ラバウル戦線異常なし(草鹿任一著、光和堂)」に書かれています。

すこし抜粋してみます。

---------------------------
魚はようやく一ヶ月2回くらい入る程度で、お話にならず、余り期待されなくなった。

ある日爆音に驚いたのか何に戸惑いしたのか、鯨(くじら)の子供が3匹連れ立って港の奥に向かって突進し、海浜に乗り上げてしまった。

その辺にいた通信隊の兵員は、思わぬお客様に面喰らったが、早速緊急呼集で皆つかまえて大喜び。

子供でも鯨の子供だから相当なもので、一番大きいのは全長3m40cm、小さいので2m半もあり、その付近の部隊で一食くらいはお陰を被ったらしい。

引き続いてまた来ないかと、いく分あてにしていたが、そう何度も、柳ではない椰子の下に鯨は来なかった。
---------------------------
動物性蛋白の補給としては(成長期間の長い豚よりは)鶏でいこうということになった。

一年あまりで、ひとり当り一羽半か二羽くらいにはなっていたように覚えている。

私も初め、今村(均)大将にすすめられて、幕僚達の食卓用を引き受ける決心でやり始め、大いに奮励努力した。

何時の間にか三、四十羽に殖えて、時々卵の一つずつくらいは食卓にならべられるようになって本当にうれしかった。
-------------------------
酒は、いちばん普遍的なものは椰子酒で、いも焼酎も造られた。

たまには陸稲から濁酒を造るものもあったようだ。

日常労働の後の一服の煙草、一杯の酒、それは理屈を超越した醍醐味がある。

いわんや御国をあとに数千里の前線で、一意敵に対して張り切っている親愛なる強者どもには、なろうことならば酒も煙草も充分に満足せしめたかったのである。
-----------------------
塩は、火山の麓の海岸に熱湯の出る場所があり、その付近に穴を掘って、湧き出る熱湯の中にドラム缶を幾つも並べ、これに海水を汲み入れておけば白然に塩が出来るという寸法である。

煙も出ず、敵機が上空から見ても、うまくカムフラージュしておけば、なかなか判らぬので爆撃の心配も少く、比較的苦労せずして塩が採れることになり、これは大成功であった。
-----------------------

この本には、その他バナナの茎を材料に、オクラの根を糊にして美濃紙の類を一日4千枚生産したり、ギンゴジカという灌木から採った繊維で布を織り、照明弾底部の黄燐と火山の硫黄でマッチを製造した話なども描かれています。

補給の途絶えたラバウルで、とにかくみんなが食えるようにする。

この文章には、部下たちの食に気を配った草鹿のやさしさがにじみ出ています。


その草鹿が、終戦によって終戦のときオーストラリア軍がやってくると、鬼の草鹿に一変します。

降伏調印のためにやってきたオーストラリア軍は、文書調印に、日本軍代表として陸軍の今村大将を指名してきた。

これに対して草鹿は噛み付きます。

「海軍は陸軍の指揮下に入ったことはない!
建軍の本筋から考えて陸軍には海軍の降伏調印の権限は有さない!」

草鹿は、火のような剣幕でそう頑なに主張し、海軍側の指揮官として今村大将と連名で調印します。

連名で文書に調印するということは、自ら最高責任者と名乗りをあげることであり、それはそのまま「死」を意味します。
ふつうなら、指名を受けなければホッとする。

しかし草鹿は、頑として陸海併記でなければ認められないと主張し続け、結局、これを通し切った。

さらにオーストラリア軍によるBC級戦犯調査が始まると、自分自身が知らない部下の事件や問題に対しても、
「それは自分が命令した」
「それは自分の責任である」
と逐一、烈火のごとき剣幕で、横から口をはさんだ。

ものすごい剣幕だったそうです。
その剣幕に、オーストラリアの担当官は、驚きあきれた。

そもそも現場の最高責任者である指揮官が、自分が逐一命令したというのでは、取り調べにもなったもんじゃありません。軍は、指揮官の命令で動くものだからです。

ぜんぶが指揮官の指示によるものなら、実行犯は、ただ命令を遂行しただけとなり、軍事裁判で責任の追及のしようがない。

結局、草鹿は、ラバウルのBC級戦犯でも、海軍関係者全員の不起訴を勝ち取ってしまった。


終戦後の草鹿は、復員局に足しげく通っては、ラバウルで苦楽を共にした部下の状況を確認するために、自分も苦しい生活費の中から、ひとりひとりを訪ねていたといいます。

復員局の職員は「日本海軍の司令官は数多いが、「俺の部下に変わったことがないか?」といまだに訪ねてこられるのは草鹿さんだけだ」と述べています。(『ビッグマンスペシャル 連合艦隊・下巻激闘編』世界文化社、p.172)

困窮した生活を送っていた井上成美が胃潰瘍で倒れた際には、彼の教え子や部下達と共に治療費集めに尽力している。

草鹿は、戦後はずっと鎌倉に住んでいました。

昭和45年、彼はその鎌倉からはるばる南の果て、山本長官らの墜落現場をおとずれます。

墜落現場で香華を手向けた81歳の草鹿は、

「長官、遅くなりましたが、草鹿ただいま参りました」と手をあわせた。

一緒にいた者は、平素、涙など見せたことのない草鹿の目から、滂沱の涙が流れ落ちるのを見た。


同じ鎌倉に住んでいた方に、ガダルカナルの中将・木村進元氏がいます。
彼の回想です。

----------------------------
そういえば、任一氏が亡くなる半月ほど前のことでした。

何を思ったか、ひょっこり何の前ぶれもなくやってきて、

「木村、貴様だけは元気なのだから、しっかりやれ」とハッパをかけて去っていった。

何をしっかりやればいいのか、こちらにはサッパリ見当がつきませんでしたが、いや、亡くなる直前まで、あの人は憂国の士だったですな。

自分はもう歳だから、そんな元気はないと断ると、ご機嫌斜めでした。
---------------------------

このとき草鹿83歳。

ラバウルでの耐乏生活を3年近くも体験し、その後敗戦のショックを経た上でこの意気軒昂ぶり。

草鹿は、若い頃は血色の悪い顔をしていて、どとらかというと体格も貧弱だったといいます。
しかし、彼には強靭な精神力があった。

その年の8月24日、草鹿任一は、常世に旅立ちます。享年83歳でした。

草鹿の功績は、日本側の文書にはあまり登場していません。

しかし、お国のために生き、部下を思い、戦後もGHQと闘い、日本国海上自衛隊の創建に尽力し、戦後も旧軍人である部下たちのために生涯をささげられたその功績は、大であるといわざるをえません。


草鹿任一中将は、あまり名前の知られていない人かもしれないけれど、そういう名もなきひとりひとりが、必死にささえることで日本という国はできあがっている。

有名人になどならなくていい。
そんなことより、大切なことをずっと守り通す生き方の方が、はるかに大切で貴重で意義深いものといえるのではないか。ねずきちにはそんな気がします。

それとね、もうひとつ。

最近の日本人は、怒らなくなったといわれます。

なかばあきらめて、怒らない。
顔を真っ赤にして怒る者がいると、怒っている事柄や内容ではなくて「怒っている」そのこと自体が、みっともないとか、いい年をしてとか、非難の対象にされる。

でもね、思うんです。
草鹿氏が、GHQの多くの人を虜にしたのは、ある意味、彼が怒ったからなのではないか。
筋を通して、言うべきことをちゃんと言い、時に感情を大爆発させて怒りまくったからではないのか。

昨今、民主党の議員さんたちが、横暴としかいいようのない乱暴な政治運営をしています。
自民党の代議士さんたちは、それに対し、筋と理屈を通して質問し、議論をしている。

しかしね、おとなしく紳士的にものをいえば、つけあがるだけのゲスというのは、やはり世の中にいると思うのです。
そういうヤカラには、やはり怒ることも必要なのではないか。

たしかに自民党は選挙に負けた。しかしその敗北というのは、大東亜戦争の終戦のときのショックと比べたら、はるかに軽いものでしかない。

先の衆院選など問題にならないくらいの大きなショックの中でさえも、草鹿中将のように、しっかりと戦いきって主張を通しきった男がいた。

わたしたちは、そんな草鹿中将に、いま、ふたたび学ばなければならないところがあると思うのです。

亡くなった方の名前を勝手に献金者として名簿に記載したり、内閣総理大事にもなって地球46億年の歴史がどうのこうのだから憲法違反の外国人参政権を与えろなどわけのわからないことをいいながら豪華な御殿に住むような人物より、草加中将のように生涯「誠実」の二字を貫き通す生き方の方が、ねずきちには、日本人としてとってもとっても大切で誇らしいと思えます。

日はまた昇る!昇らせる!と思う方
 ↓クリックを↓
人気ブログランキング

ラバウル海軍航空隊


日本の心を伝える会では、いま会員の募集をしています。
登録無料!! ご入会は、
.魯鵐疋襯諭璽
△住まいの都道府県
メールアドレス

の3つを書いて、assist@nippon-kokoro.com にメールするだけ。
ご入会受付後、メーリングリストへの招待メールをお送りいたします。
この機会に、あなたも是非、どうぞ^^♪
日本の心をつたえる会ロゴ

外国人参政権反対が98.4%

人気ブログランキング ←はじめにクリックをお願いします。

北海道のローカルニュースサイト「北海道365」が「外国人参政権」についてアンケートを実施しました。
http://www.hokkaido-365.com/news/2009/11/post-540.html

実施期間は11月9日〜15日までの一週間です。

アンケートの結果は以下の通りです。
http://www.hokkaido-365.com/news/2009/11/post-563.html#more

(1) 必要      169票 1.18%
(2) 不要   14,053票 98.41%
(3) 判断できない 15票 0.11%
(4) 無回答      43票 0.30%
-----------------------------
回答者総数 14,280名 100.00%

不要と考える人が、国民の98.4%と圧倒的です。

このことは逆にいえば「必要」と考える人は、ごく限られた特殊な人たちでしかない、ということを示しています。

あたりまえのことです。

自動車税を払ったら、誰にでも運転免許証を与えるなどと言ったら、どう常識で考えても気違い沙汰です。国民生活の安全そのものが脅かされる。

まして自動車右側通行の国の人たちが大挙して日本にやってきて、日本国内にコミュニティを作り、自分たちの国では左側通行だからと、一般道の反対車線を集団で暴走しはじめたら、もう国内で自動者の運転することすらはばからせるし、そうした集団を排除するには、国軍の出動でもさせなけばならなくなり、日本国内の治安は一気に悪化する。

賛成するほうがどうかしてるのです。

そういう危険な法案を出すこと自体、すでにシナ資金やコリアン資金などにまみれて、欲に目がくらんでいるとしかいいようがない。

そもそも憲法9条死守などと言っている者たちが、外国人参政権なる重大な国益無視・憲法違反の法案を、ろくな議論もなしで国会に提出しようなどということ自体、見識を疑います。

さらに言うならば、昨今の民主党は「地方主権」なる言葉を使いだしているけれど、「主権」というのは、そもそも交戦権をも含むもので、この場合、地方が国に対し、戦争を起こす危険さえ含まれる言説です。

ましてただでさえ国内が不況にあえぎ、れっきとした日本人ですらまともな就職口がなくて苦労している昨今において、外国人労働者を1000万人も受け入れ、しかも、彼らに参政権を与え、彼らの子供たちに子供手当を支給し、大人たちには参政権まで与えるという。もはやここまでくると彼らを外国との通牒による内乱の罪で刑事訴追しなければならない。

そもそも外国人を大量に日本に招き入れるということは、彼らが国家内国家を形成するおそれすらある。カナダのケベック、欧州のフランドル地方その他各国で民族対立が発生しており将来日本でも国を割る重大な内政問題の火種となる。

民主党の議員の方々に言いたい。
あなたがたに、もはや未来はない。

外国人参政権に賛成している議員を許すな!という方
 ↓クリックを↓
人気ブログランキング

小沢民主党が、外国人参政権を急ぐ理由


日本の心を伝える会では、いま会員の募集をしています。
登録無料!! ご入会は、
.魯鵐疋襯諭璽
△住まいの都道府県
メールアドレス

の3つを書いて、assist@nippon-kokoro.com にメールするだけ。
ご入会受付後、メーリングリストへの招待メールをお送りいたします。
この機会に、あなたも是非、どうぞ^^♪
日本の心をつたえる会ロゴ
さくらちゃん
さくら
おススメ記事
〜是非ご一読を〜
≪大東亜戦争≫
開戦の詔勅と終戦の詔勅
大東亜戦争に勝利した日本
日本に手を出した国は、必ず滅びる
大義のために戦った日本
大東亜戦争に関する各国の評価
たおやかに やまとなでしこ 咲きにけり
パラオ・ペリュリュー島の戦い
エクゼターとエンカウンター
マレー沖海戦と戦艦大和
硫黄島の星条旗と日章旗
アッツ島の戦い
通州事件
尼港事件
斉南事件
リットン調査団の虚構
重慶空爆について考える
グアム島の戦い
アッツ島の戦い
玉砕までして戦った理由
植民地支配への戦い
ノモンハン事件
腰の軍刀は竹光か
バシ―海峡の慰霊
日本兵の手紙
戦没者の遺書
沖縄の集団自殺の虚構
占守島の戦い(1)
占守島の戦い(2)
花嫁人形
回天の志
小灘利春元海軍大尉の遺稿

≪歴史のできごと≫
台湾2・28事件
日本の台湾統治
日本の台湾統治の真実
台湾・高砂義勇隊
奴隷にされた50万人の日本人女性
三宮事件
日清戦争
日露戦争・・・亡くなられた方の気持ち
日露戦争の勝利はアジアの偉大な救い
戦没者の遺書
公正な世界を目指して戦った日本
義和団事件をふりかえる
紫禁城の黄昏
夢の超特急「あじあ号」

≪人物の日本史≫
大山巌・・・西郷の再来といわれた男
明治の貴婦人・大山捨松
楠木正成
愛心覚羅溥傑と嵯峨浩
442部隊に学ぶ
大塩平八郎
北条時宗と元寇
曽我物語
金原明善・・・明治の気骨
和井内貞行・・・十和田湖のヒメマス
ダショー・西岡の貢献
鳴門の第九・・松江豊寿大佐
警神・増田敬太郎巡査
沖縄の舞天さん
佐久間勉艦長
言葉の重み・・・大西瀧治郎中将
陸軍大将今村均
本当の日中友好・・・吉田保男憲兵曹長
鈴木貫太郎総理
広瀬武夫中佐
山川健次郎
昭和恐慌と高橋財政
W.M.ヴォーリズ
チャンドラ・ボーズ
松浦斌
岡藤五郎先生
緒方貞子さん
クーデンホーフ光子

≪日本人の心≫
「日の丸」
「君が代」
「靖国」
「教育勅語」
「八紘一宇」
「蛍の光・仰げば尊し」
大和心とポーランド孤児
トルコ軍艦エルトゥールル号遭難事件
アロハ・オエ
武士の娘
公のために働いた武士
キャプテン翼・大作戦
チリひとつなかった江戸日本
日本人の誇り
日本の再生こそ世界を救ふ
戸籍について考える
人間を矮小化してはならない
飴を買う幽霊
シコロの木
世界に誇る日本の交番
イザベラ・バードの日・中・韓紀行
弁慶の勧進帳
悪代官のお話

≪中国の脅威≫
中国人の残虐性

中国人の“避諱”観念と虚言
中国「日本支配工作要領」
中国に支配された国の実情
「日本は唯一の被爆国」に隠された嘘
日中合意を一方的に破り天然ガスを盗掘している中国政府を許すな!
カネを吸い取られ続ける日本企業
ロシアも怒る中国のパクリ
中国・文化大革命の恐怖

≪韓国の横暴≫
「警戒」を「差別」とすり替える在日朝鮮人
従軍慰安婦問題
在日コリアンたちの本音
犯罪をしたら日本人になりすませ
民団の驚くべき活動
李氏朝鮮の時代(1)
李氏朝鮮の時代(2)
閔妃殺害事件
韓国建国の英雄

≪メディアの偏向≫
毎日新聞英語版のあまりにひどい報道

≪時事≫
自国の防衛は自国で
日教組に立ち向かえ
外国人参政権
政治資金規正法
アフガンの地雷

≪コラム≫
階級闘争主義と信頼主義
二つのアメリカ
「ススキ」と「セイタカアワダチソウ」の仁義なき戦い!
大麻についての考察
悪は断じて許さないという心が大切
犬種と人種
ヤプー人の伝説
文化は武器より強し
カレンダー
10 | 2009/11 | 12
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
プロフィール

ねずきち

Author:ねずきち
日本が好きです。ていうか人間が大好きなのかな。心って、ものすごく大きなこともなしとげる。その時代時代に、真剣に生きた人たちから学ぶこと。歴史って、いまを生きる人が過去に学ぶためにあると思う。だから、歴史にIFは禁物だなんて思わない。歴史を学び、もし〜だったらと考えることで、人は何かを感じることができるんだと思う。

政治に混迷が続く中で、もういちど私たちは過去を振り返ってみる必要もあるのではないか。そうすることで、もしかしたら一条の新しい光を見出すことができるのかもしれない。

このサイトで扱っている動画はYouTubeにアップロードされているもので版権物の知的所有権は、それぞれの著作者・団体に帰属してます。問題があればすぐ削除しますので、
nezu621@yahoo.co.jp
までメールでご連絡ください。

最新トラックバック
足跡
特定IPからの投稿/閲覧の禁止について
5月6日付のこのブログ「外国人による凶悪犯罪が日本人の生活を脅かしている」という記事において“大阪のおっさん”と称する人から、連続した投稿がなされました。
記事:http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-492.html
調査しましたところ、それらコメント投稿には、IPアドレスにすべて同一の末尾が“eonet.ne.jp”というIPが用いられていることが判明しました。
IPアドレスは、パソコンをインターネットに接続する際のモデム(弁当箱のような機械)ごとに割り当てられるものです。
たとえばひとつの事務所に複数台のパソコンが設置してある場合でも、ひとつのモデムから複数台のパソコンを接続しているならIPアドレスは同一のものとなります。
従いまして、ネットカフェのように多数のパソコンを設置しているところでも、IPアドレスは同一のものとなります。
ところが、大阪のおっさんさんから投稿されたIPアドレスは、いずれもIPアドレスが異なっており、しかも末尾は決まって“eonet.ne.jp”となっています。
このことは、次のいずれかの場合に起こることといえます。
 ‖膾紊里っさんなる人物が複数いる(組織的活動である)
◆。稗丱▲疋譽垢鯊真使い分けれる環境にあり、しかもそのPCはすべて“eonet.ne.jp”を使用している。
 特別なソフトを用いて、IPアドレスを偽装している。
そして、大阪のおっさんなる人物の投稿に用いられたIPアドレスは、古いものから順に次の通りとなっています。
121.80.34.224.eonet.ne.jp
59.80.162.240..eonet.ne.jp
121.80.162.240.eonet.ne.jp
121.80.35.80.eonet.ne.jp
59.190.75.28.eonet.ne.jp
59.190.97.23.eonet.ne.jp
121.80.34.144.eonet.ne.jp
121.80.27.166.eonet.ne.jp
121.80.33.57.eonet.ne.jp
121.80.14.1.eonet.ne.jp
59.190.103.81.eonet.ne.jp
59.190.71.32.eonet.ne.jp
121.80.16.134.eonet.ne.jp
121.82.192.42.eonet.ne.jp
ごらんいただいてわかります通り、彼の14件の投稿は、すべて異なるIPを使用しており、それらすべての投稿はすべて“eonet.ne.jp”を経由していることがわかります。
なかでも、大阪のおっさんからの5月7日の投稿は、投稿時間が22:16と、22:24と2件が連続された投稿でありながら、それぞれのIPアドレスは別々であり、しかも末尾は同じ “eonet.ne.jp”です。
この“eonet.ne.jp”をネットで検索しみますと、このアドレスについて、2ちゃんねるで、「無意味な文字列の連続投稿(連続コピペ)による2ちゃんねるに対する迷惑行為」が発生しており、このため2ちゃんねるでは、このIPからのアクセスを全面的に禁止処分にしていることがわかりました。
参考:http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/sec2ch/1076733717/l50
本ブログに投稿されたすべてのコメントを精査しましたが、末尾“eonet.ne.jp”のIPは、他のコメントには見当たりませんでした。
そこで当ブログにおいても、2ちゃんねる同様、“eonet.ne.jp”からのアクセス、ならに閲覧を全面的に遮断することにしましたので、あしからずご了承ください。
なお、問題のあった記事につきましては、なななさん、四姉妹(ししまい)でおしまいさん等から、中立(?)ともとれる内容の投稿がなされていますが、この2件も、やはり末尾が“eonet.ne.jp”経由の投稿です
もしかしたら大阪のおっさんさんとは、関わりのない方かもしれませんが、多くの方が訪れるこのブログの健全性を保つためのやむをえない手段ですので、何とぞご了承いただきたいと存じます。

ねずきち 拝
コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、ねずきちにはとっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。
同時に、議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。
ねずきちは、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。
ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。
従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人であるねずきちの判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
“けんぶつ”氏からの投稿禁止措置について
これまでこのブログに投稿された“けんぶつ”さんの投稿について、調査しましたところ、その投稿のすべてが、ひとつひとつの投稿が、全部、異なるIPアドレスで行われていることが判明しました。
本来、IPアドレスは、パソコンそれぞれに割り当てられる固有のアドレスです。
コメントをくださる方が、複数のパソコンを用いていたり、ネットカフェを転々としながら投稿される場合にも、もちろんIPアドレスは、コメント毎に異なることになりますが、この場合は、IPアドレスの末尾にあるプロバイダの固有記号が、違う業者のものになるのだそうです。
ところが、”けんぶつ”さんの投稿は、同一のプロパイダから、IP部分だけを数字であからさまに改ざんしたアドレスが用いられています。
これは、以前あった、大阪のおっさんさんと同じく、故意になんらかのソフトを用いて、IPアドレスを詐称して、投稿をしていないかぎり、起こりえないものです。
このブログでは、自由な言論、自由な意見を尊重するものですが、不正ソフトを用いる者まで、受け入れるつもりは毛頭ありません。投稿の内容や趣旨以前の問題です。
したがいまして、当面、以下の措置をとらせていただきます。

(1) みなさまは、“けんぶつ”と称する者からのコメントには、いっさいお答えの必要はありません。
(2) ”けんぶつ”さんの用いているIPは、投稿禁止措置をとらせていただきます。

“けんぶつ”氏がコメントで用いているIPは、九州のBBIQという光ブロードバンド事業者のものが、大半を占めます。他にもいくつかの事業者のものをご利用されているようです。
今回、BBIQ経由のコメントを禁止措置としましたので、“けんぶつ”以外の一般の読者の方で、BBIQを利用されている方まで、コメントの書き込みができなくなります。
たいへんご迷惑をおかけして申し訳ないのですが、不正者排除のため、当面、この措置を継続させていただきます。
以上よろしくお願いします。
解析
ねずきちくん
ねずきち
みなさまにお知らせ
「日本の心をつたえる会」は、
只今、会員募集中です♪

↓↓クリック↓↓
つ

みんなのチカラで日本を再生!
 「日本の心をつたえる会」は、
 草の根徳育推進を行う会です。
登録無料!手続簡単!
【入会申込方法】
以下を書いてメールして下さい
(1) ハンドルネーム
(2) お住まいの都道府県
(3) メールアドレス
(4) ひとこと

宛先:assist@nippon-kokoro.com

設立 2009.9.6
2009.11.16時点会員 1061名
メーリングリスト参加者 537名


【カンパのお願い】
日本の心をつたえる会では、皆様からのご支援をお願いしています。
 ****ご支援先****
 銀行名  三菱東京UFJ銀行
 支店名  春日部支店
 普通    No. 0051756
 ニホンノココロヲツタエルカイ
*************
1口千円から。何口でもOKです
検索フォーム
最新コメント
リンク
amazon
ブロとも一覧

■ ブログ名:ダメ人間のつぶやき

■ ブログ名:Atashiジャーナル

■ ブログ名:THE.平成論壇進講所
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSリンクの表示
FC2ブックマーク

PING送信プラス by SEO対策

QRコード
QRコード
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ



人気ブログランキングへ

Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ


orengebanner
エディタ・コミュニティ
edita.jp【エディタ】
Yahooログール
署名のお願い
世界有数の親日国トルコが、新潟県柏崎市の暴君市長によって嫌日国家になろうとしています。 是非、署名にご協力ください。