選挙民は口蹄疫事件の悲劇を二度と繰り返してはならない



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口蹄疫事件99102436


九州・沖縄の方々にとって、2010年に起きた口蹄疫(こうていえき)事件は、まだ記憶に新しいことと思います。
3月に発生が確認され、7月の終息確認までに殺処分された牛豚の数は、合計28万8643頭です。
畜産関連の損失は1400億円、関連損失を含めると総額2350億円の大被害でした。

口蹄疫事件は、このときが初めてではありません。
2000年にも、同様の事件は起こりました。
けれどこのときの被害は、宮崎でわずか740頭の殺処分で済みました。

なぜ2000年と2010年で、これだけの被害の差が生じたのでしょうか。
理由は政治にあります。

2000年のときは、口蹄疫発生の報が、すぐに地元宮崎二区選出の江藤隆美衆議院議員議員のもとに寄せられました。いまの江藤拓さんのお父さんです。
江藤氏は、口蹄疫の報に接し、即座に(即座にです)「これは、ほっておけばたいへんなことになる」と直感し、すぐに当時の小渕総理に連絡をとりました。
小渕総理は、即座に口蹄疫対策本部の構築をするとともに、その場で(その場でです)宮崎一区選出の衆議院議員中山成彬氏(自民/当時)に連絡をとりました。

中山成彬氏は、大蔵省の出身です。
知らせを聞いた中山成彬氏は、即座に大蔵省に出向きました。
そしてその場で緊急資金として100億の緊急出動を要請し、この許可を得ました。

口蹄疫といっても、当時、その恐ろしさを知る人は少なかったのです。
その中で、いきなり「100億用意してくれ」です。
「ハイハイそうですか」と緊急予算を振り向けてくれるほど、大蔵省は甘くない。

よく、声の大きい代議士、演説の上手な代議士、マスコミ受けの良い代議士という人たちがいます。
しかし実際に政治を動かし、行政を動かし、世の中を動かすのは、声の大きさや演説のうまさ、マスコミ受けではありません。
すこし考えたら誰でもわかることですが、あなたがもし大蔵省の担当官だったとして、大声での演説のうまい代議士が眼の前にやってきて、いつもの調子で目の前で大声でいつもの毒舌を繰り広げられたら、おそらくあなたはひいてしまう。官僚だって同じ「人」です。
しかし、日ごろから信頼にたる仕事をしている人が、条理を尽くし、筋道をたてて冷静に話にきたら、やはり誰でもそれなりにちゃんとした対応をします。あたりまえのことです。
毒舌が世の中を動かすのではありません。「日ごろからの真摯な誠実」が人を動かすのです。

中山成彬氏は、誠心誠意、担当官を説得しました。
そしてなんとその場で、100億の緊急支援金の供出を大蔵省に承諾させてしまう。
日ごろの信用と信頼がなければ、そうそう簡単に資金など出るものではありません。

こうして軍資金を得た江藤議員と中山議員は、間髪を入れずに宮崎の現場に入りました。
畜産農家にとって、育てている牛は、ただの牛、物体としての牛ではありません。
大事に育てた我が子なのです。
病気になったからといって、絶対に殺処分などされたくないし、したくもない。
けれど、日ごろから尊敬する議員さんたちが直接やってきて、一緒に涙を流して「やらねばならんのだ」と説得されたのです。もう「わかりました」と返事するしかない。
こうして、2000年の口蹄疫事件では、わずか7頭の処分だけで、迅速に事態が収束したのです。

ところが2010年のときはどうだったでしょう。
記憶に新しいことなので、詳しくは書きませんが、当時は民主党内閣です。
迅速な対応どころか、口蹄疫の発生を、当時の内閣は当初、「なかったこと」にしてしまったのです。
報道管制がひかれ、すでに20万頭が処分される事態にまで至っても、これを報道する新聞、テレビはまったくありませんでした。
すべて現場まかせです。
情報がなければ、畜産農家だって手のほどこしようがありません。
気がつけば被害はどんどん拡大する。

事件当時、私が地元で防疫のお手伝いをされた方からいただいたメールです。
=========
某道の駅で休息していた宮崎県ナンバの車の窓ガラスが割られました。
宮崎県民お断りの札が店に張り出されました。
釣りに行っていた同僚が”警官”から「あんた、宮崎県人だろうが!とっとと出て行け」と恫喝されました。
毎年参加していた四半的大会に今年も参加しようと行ったご年配の方が、参加を断られて帰ってきました。
とある図書館に寄贈された絵本。宮崎県からのものだったのですが受け入れ側が「ちゃんと消毒済みです」とわざわざみなさんに断ったとか。

前農相、「種牛を殺さなければ、家畜移動の許可はださない。(競りができないことになります)」と知事を恫喝しました。
家畜埋める穴掘る場所を探して自分たちで処分しろ。「隠してないでさっさと土地をだせよ。」と前々農相は 笑いながら言いました。

宮崎県の公立小学校中学校は緊急事態宣言が終わるまで、すべての行事がストップさせられました。
修学旅行、宿泊学習、参観日、運動会、レクレーションの数々です。集団で、他の場所に移動するな!は誇張ではなく事実でした。
川南町は緊急事態解除のあとも、終息宣言(8月27日)が出るまで、子どもたちも含めて移動は自粛するという処置で町民がんばったのです。
夏休みは公共の建物は全て封鎖されており、たのしみが少なくて申し訳なかったですね、と川南町長さんが謝罪されていました。

自力の防疫でした。
銀行、学校、JA、運輸会社等の入り口には毎日多量の消石灰が撒かれ、それぞれの店、家の入り口は消毒ポイントを設置。勿論道路もです。
すべて予算なし。自腹です。
消毒液を含ませて道路や入り口に敷くバスタオルや毛布もみんなで声かけあって集めました。
「徐行してください」の看板も手書き・手作りでした。
消毒ポイントで働くのもほとんどがボランティアでした。

うそのような、本当の話です。
それなのに、宮崎県は、危機意識が薄い、防疫への対応がなされなかった と批判します。
消毒薬が足りなかったのはだれのせいでしょうか?
危機管理意識が全くなかったのは どなたでしょうか?
蔓延を防ぎたいから「選挙は延期してくれ」と県民署名活動をしたのに、無視して選挙カー走らせたのはどの政党でしょうか。

新聞もテレビもとりあげないまま終わろうとしています。
でも、私たち県民は忘れません。
これから何が起きようとしているのかも見極めて、理不尽なことになるのであれば、必死で食い止めなければならないのです。
このままでは(検証委員会)本来なら、究明・支援するはずの「国」が、国を支える基盤となる「地方」をつぶしかねませんから。

実は、本当の終息宣言は10月くらいになるだろう・・・というのが、県の見解だったのです。
ここまで、だれが考えてもおおざっぱな判断で緊急解除を”出させた”かというと、「選挙」をどうしても7月にやるためでした。
まだ、口蹄疫がおさまらず県内必死の防疫に努めている真っ最中。
とにかくこれ以上広がったら・・・県外に出してしまったら・・・という恐怖と不安の毎日だったのです。

民主党の立候補者は、テレビでは、
「消毒に気を遣います。宣伝カーには乗りません」と公言していたのもかかわらず、”あの党だけ”車を走らせまくっていたのは周知の事実。
被災地も走り抜けたという人の気持ちを察することのできない身勝手さ。

ひいきするわけではありませんが、自民党3人組はくっついて歩きでしたよ。
先に述べましたが、県民で署名運動しました。
県民の声は一体どこへ消えていっているのでしょうか。
蒸し返すようですが、GW中に、消毒ポイントを振り切って走る車は、県外車も多かったのです。
身内は怒りまくっていました。
(今でも、私は県外ナンバを見ると、怒りがぶり返します。狭い気持ちですみません。)

そして、県民も協力体制は薄かった。
何故か?
情報操作により、口蹄疫の恐ろしさやどれだけ被害が拡大しているかをマスコミが一切流さなかったということは大きいでしょう。

今でもまわりは
「おまえが話していることはありえない。ネット内の妄想」という人の方が多いのです。
何となく「現政権はおかしいような?」と感じてはいても
「あのNHKが取り上げないのだから、他は誤情報」で終わっています。

勉強不足?
県内どれだけ、ネット環境が整っているというのでしょう。
現に、一番情報が欲しかったであろう畜産農家さんは、ネットをされない方も多かった。

声を発信できる方は、まだよいです。
訳のわからない不安の中、防疫に取り組み、殺処分を命じられ、そして、今、補償もなくさらに罰則とは!

前を向いて復興支援に精力を注ぐ波に乗り始めた矢先の、国からの卑劣な対策。
宮崎県が反撃しないとなめているのであれば、大間違いです。

この事件を風化させてしまったら次の伝染病蔓延の際に同じ悲劇が引き起こされます。
今度はもっと酷いことになるかもしれません。

==========

これが2010年の現実の現場の声です。
民主党の身勝手な選挙対策のためだけの「終息宣言」。
「自粛」といいながら、平気で選挙カーを走らせる無神経さ。

民主党政府が情報を隠蔽し、被害対策を遅らせたおかげで、殺処分された牛豚は28万頭です。
そしてすべてを県の「せい」にして、当時の民主党内閣は頬かむりしたのです。

有志の働きで、ようやく殺処分が開始されてからの様子もあります。
当時現場で、実際に埋却処分と消毒作業に携わっていた方のメールです。

=========
埋却現場は非常に蒸し暑く不快指数も急上昇で、埋却した牛や豚の腐敗が始まり、ガスとともにピンクの体液がいたるところで噴出し、畑は血の海と化しました。
私たちは、その死臭+糞尿の臭いで嘔吐しそうになりながら、さらには大量に発生したハエがまとわりつく中を作業が終わるまで出られず、その場で体力を維持するために無理矢理弁当を胃に詰めこんだんですよ。
消毒石灰(少し臭い)まみれになりながら。
ただ、私らは作業が終われば臭いのない自宅に帰ることができましたが、近所に住居がある方々は、臭いが落ち着く1週間前後耐えなければならなかったのです。



携帯電話の故障が相次ぎました。雨や大量に出る汗が原因です。
そのため、現場と指示を出す対策本部とのやりとりに支障を来すこともしばしばでした。
防水袋に入れていても湿気でやられます。



汗と言えば、作業車両の運転をする関係で免許証を持参するのですが、免許証を財布に入れている人が大半で、財布の中の紙幣が財布の革の汁で茶色に染まってしまいました。
仕方なくその濡れて染まってしまった紙幣を使用するのですが、お店の人は必ず怪訝な顔をされます。
なんとか事情を説明した上で受け取ってもらいましたが、嫌な顔をされました。
その後は財布をビニールに入れることを学習しました。
また、作業終了後は着ていた服を全てその農場のゴミ箱に入れて処分しなければならないのですが、服に貴重品等を入れたたままにした結果、それを紛失する人もいました。



獣医さんが殺処分用の注射針を牛でなく自分の手に刺す(牛も暴れますし獣医さんの疲労もピークだったのだろう)も、注射の中の薬は体内に入らなくて無事でした。
その他、ギックリ腰、消毒薬による目・皮膚の炎症は多数で、骨折する人もいました。
血圧も軒並み上昇です。



糞尿(生)がたっぷんたっぷん詰まった埋却穴(深さ4m)に作業員が落ちました。
穴は底なし沼状態でつかまるものもなく、もがけばもがくほど沈んでいきます。
幸い目撃者がいてすぐに救出しました。
白い防護服(タイベック)及びゴーグルで視界が非常に悪く、他の作業員も作業に集中するため、誰も気づ
かなかった場合、もしかすると行方不明者がでていたかもしれません。
別の穴にはトラックも落ちたみたいです。

=========

繰り返しますけれど、2000年にはたったの7頭の処分で済んだのです。
これが同じ国で起きた出来事なのでしょうか。

2000年のとき、大活躍をされた江藤隆美氏は、その後自民党の幹事長代理、総務庁長官、運輸大臣、建設大臣を勤め、正三位、勲一等旭日大綬章をいただきました。
いまはその選挙基板を、息子さんの江藤拓さんが継いでおられます。

その江藤拓さんは、2010年の口蹄疫被害の時、国会で民主党内閣に「与野党の壁を乗り越えて、なんとかして宮崎を助けてほしい」と訴えました。
ところがその日の国会では、不思議なことに全マスコミの報道は、議会のメディアの報道席にいませんでした。
ほんとかどうかは知りませんが、噂によれば、事前に「来なくて良い」と政府筋から指示があったのだそうです。
けれど、普通、国会審議のときは、どんな場合でも、議会の二階にある報道の席には、全メディアのカメラの砲列が並び、取材の記者たちが後ろに控え、国会の本会議中は、いつも報道席は満席なのです。
にも関わらず、この江藤拓さんの質問のときだけは、不思議なことに報道席は空でした。

唯一、記者クラブに所属しないやまと新聞の記者が、カメラを持って、ポツンと報道席に座りました。
「今日はどうしたんだろう。報道は誰もいないけど・・・日時を間違えたのかな。そんなわけないよな」と思って待機していると、定刻になり議員さん達が議場に入ってきました。
そして江藤拓さんの質問が始まりました。
江藤さんは、涙ながらに宮崎の口蹄疫の被害を訴えました。
与党や野党と言っている場合じゃない。対立なんて関係ない。
ただただ、牛たちを救ってくれ、宮崎を救ってくれ、本当に涙を流して訴える江藤さんに、議場では圧倒的多数の民主党の議員たちが、床を足で踏み鳴らし、大声で罵声をあびせ、マイクで話す江藤さんの声が、議場で聞き取れないほどの罵詈雑言が飛び交いました。

そのときの映像が、下の動画です。

まるでヤクザ者みたいなヤジが飛び交っています。
おそろしいことです。

同様に2000年の口蹄疫のときに、100億の資金を一瞬で引っ張りだした中山成彬氏は、その後、文部科学大臣に就任すると、日教組によるとんでもない教育の実態について、ご自身の足でなんと400校を視察し、そして任期中に、なんと教育基本法の改正案を出してしまいました。

およそ法律を変えるというのは、とてもむつかしいことです。
とりわけ労働法と教育法と刑法は、まさに左翼の牙城で、これを行うことは、まさに至難の業とされてきました。
これを中山成彬氏は、実態調査を踏まえて、文部科学大臣として、教育法の抜本改革に踏み切ったのです。

法の改正は、改正案が出されて、すぐに改正されるものではありません。
すべての法律は、さまざまな関連法と複雑に関連していて、さらに政令、省令が発布されています。
そのすべてについて、調査し、改正案をつくり、包括的な改正を図っていきます。
これを未来の子供達のためにと、なんと中山成彬氏は、実現してしまったのです。

この功績を元に、中山成彬氏は、続いて国土交通大臣を拝命しました。
当時(いまもですが)、全国の都道府県の中で、県内に高速道路が走っていないのは、宮崎県だけです。
従って中山氏が国土交通大臣になるということは、宮崎県民からしてみれば、やっと宮崎に高速道路が実現するという大きな期待をもたらすものでした。

ところが、そうなると、実績ある中山氏の基板は完全に固まります。
つまり、中山氏は選挙において、絶対的な強者になるわけです。
左翼はそれを恐怖しました。
自分たちにとって都合の悪いように、教育基本法を正常化された左翼は、中山氏の国土交通大臣就任時のインビューに微妙に、前任である文科大臣時代の意欲についての質問をまじりこませ、中山氏から教育に関する発言を引き出すと、「国土交通大臣が文部科学省に口出しするのは、筋違いだ」と狂想曲のような煽動をはじめたのです。

多くの市民が、その煽動にまんまとはまりました。
そりゃそうです。誰もが報道は正しいものだと信じていた時代です。
中山氏にはありとあらゆる中傷が浴びせられ、ついに中山氏は大臣辞任、議員辞職にまで追い込まれたのです。

当時は私も、「なぜそこまでされるのか」がわかりませんでした。
けれど、いまならはっきりとその意図がわかります。

中山成彬氏は、当時、教育改革という、戦後誰も成し得なかった大規模改革を実現しました。
その中山氏が国土交通大臣になれば、宮崎にはまたたく間に高速道路が敷かれることでしょう。
そうなれば、中山成彬氏は、文科省における教育改革、国土交通省における地元成果によって、選挙は盤石となり、次は財務大臣、副総理、総理と、おそらく日本の政界のトップともなられたことでしょう。

だから、反日勢力は、中山氏の国道交通大臣就任が脅威だったのです。
だから意図的に氏を引きずり下ろしたのです。

当時は、まだ反日勢力というものが、そこまで酷いことをするものであるということを、日本の政治家も、日本人も、誰もわかっていませんでした。
ですから、誰もがまんまと「嵌められた」のです。
そういうことをする連中を、「極悪がんぼ」というのだそうです。
世の中には、実際にそういう連中がいる、ということです。

なるほど中山氏辞任後、宮崎にも宮崎県民が待ち望む高速道路の計画はできました。
いまでは、5年後に九州縦貫に接続する宮崎高速道路が出来上がる予定です。
これは、簡単にいえば、いまある九州縦貫道路に、もっとも安い距離と経費で宮崎高速を接続するというものです。

けれど、中山成彬氏の構想は、そんなものではなかったし、氏はいまでも、別な構想を実現しようとしています。
それは九州大環状高速です。

いまある九州縦貫は、その名の通り、九州を縦に流れる一本ラインです。
中山氏は、そうではなく「環状線」を構想しておられます。

そしていまある「九州縦貫高速」に「九州大環状線」が実現すれば、九州の観光も産業も間違いなく大発展します。
しかもそれを実現する実行力と、官僚を巻き込むことができる人格と人望、そして財務を動かす力を、中山氏はもっておられます。

さらに中山成彬氏は、総額200兆円の政府基金の設置を実現しようとしています。
200兆円というのは、日本のGDPの4割にあたる規模の金額です。
そして政府予算の5倍の金額にあたります。
基金というのは、利子もつかないし、返す必要もない政府のお金です。日銀の帳簿に残るだけです。

それだけの基金を設け、これを国内産業基盤の整備、防災対策等にという構想を実現しようとしているのです。
そんなことを構想し、これを実現できるのは中山氏くらいなものです。

そしてこの基金が経済にもたらす影響は、よく経済効果という言葉が使われますが、日本の産業をまさに大躍進させるだけの巨大なインパクトを持ちます。
ある経済学者の話ですと、もしこの日銀の200兆円基金構想が実現すると、単年度の経済効果は低く見積もってもおそらく900兆円を下回らない。
日本国政府の借金云々を言う人がいますが、その借金がなくなってしまうだけのインパクトをもつのです。

いま、税収が云々という議論がかしましいですが、税金というのは民間が、その利潤の中から支払うものです。
民間利潤がないのに、税率や税額だけアップしたところで、思うように税収があがらない。考えなくてもわかることです。場当たり的な、お饅頭を分け合うことの調整しかできない政治の限界です。

国の役割は、民間の利潤が増すように、国家としての産業基盤を整備することにあります。
その基板によってあがった利潤から、納税が行われ、その税が再び民間活力のために消費される。それが税の本質です。

どうでしょう。
反日左翼の人たちが、かつて、よってたかって中山氏をつぶしにかかった理由が、いまならはっきりと見えるのではないでしょうか。
二心なく日本のための政治をまっとうできる政治家というのは、そうそういるものではありません。

その器量を持った政治家が、今回の選挙では、九州沖縄ブロックの比例で次世代の党で出馬されます。
私は、全力をあげて、九州沖縄ブロックの比例は「次世代の党」を応援したいと思います。

すこし脱線します。
「次世代の党」では、たとえば東京一区の小選挙区に、渡辺徹という候補者が出馬します。
彼は明治天皇の玄孫です。ものすごく良い若者です。
彼は、おそらく自民から出馬すれば、無風で選挙に通ることでしょう。
けれど彼は、あえて「次世代の党」から出馬しました。
なぜでしょう。
次世代の党こそ、本気で日本の再生を願う政党だと思うからです。
たとえ不利な条件になったとしても、信念のために次世代の党から出馬し、正々堂々と戦う。
まさに日本男子ではないでしょうか。

西村眞悟先生も、「次世代の党」に合流されました。
山田宏先生、杉田水脈先生、西田譲先生、千葉の田沼隆志先生、広島の中丸啓先生をはじめ、埼玉13区の中村匡志先生など、まさに日本を守る国士が目白押しです。

田母神先生も次世代からの出馬です。
田母神先生は自身のHPに政策要項を発表されましたが、100%同意できる内容です。
http://www.tamogami-toshio.jp/platform.html

日本の政治を取り戻せるのは、選挙民であるわたしたちです。
わたしたちが日本を取り戻すのです。
そのために本物の政治家をみんなで応援するのです。

選挙民は口蹄疫事件の悲劇を二度と繰り返してはならない。
私は強く、そう思います。



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