かつて、満州国に、通化省通化市という街がありました。
場所は、いまの北朝鮮とChinaの国境付近です。
終戦時、通化市は、中華民国(蒋介石・国民党)政府の統治下に置かれていました。
満州北部から戦災を逃れて避難した邦人達は、日本に帰国するため、いったんここに集まった。
その数17000人です。
石頭予備士官候補生の戦いにあるように、男たちが必死に命を犠牲にして時間稼ぎの戦いをしている間に、みんなで避難してきました。
しかし、彼女たちは、無事に落ち延びることができたわけではありません。
落ちる途中で、ChineseやKoreanたちによって、ようやく持ち出した手回り品やわずかばかりの財産全部を奪われた。
暴行も受けた。
強姦被害に遭った。
厳寒の地で衣類さえも奪われ、麻袋に穴を空けたものをわずかに身に着けただけの半裸の姿で、ようやく一定の治安が保たれた通化にたどり着いたのです。
そこに昭和20(1945)年8月24日、ソ連軍がやってきた。
将校20人、兵士200人です。
彼らは市内の竜泉ホテルに司令部を設置した。
将校たちといえば、立派な人を想像するかもしれません。
ところが、この連中は最悪だった。
日本人居留民の家屋に押し入り、財物や衣類を奪い、奪うモノがなくなると、日本人女性や少女を強姦し、抵抗する男性や老人は平気で暴力をふるい、殺害した。
武装解除されたとはいえ、通化市にはごく少数の日本軍憲兵隊がいました。
原憲兵准尉は、ソ連兵が白昼の路上で日本女性を裸にして強姦していた現場に駆け付けた。
女性を救おうと制止した。
しかし銃を持っていず、体の小さな日本人憲兵など、武装したソ連兵たちは、ただ笑い者にするだけです。
原准尉の制止を完全無視して、強姦をやめなかった。
准尉は、やむなく軍刀を抜き、その強姦兵たちを一刀のもとに斬り捨てました。しかしその場で原准尉は、別のソビエト兵に射殺された。
この事件以降、日本人は、憲兵といわず民間人といわず、日本刀まで没収されます。
完全に丸腰となり、身を守る術を持たなくなった日本人遺留民に対し、ソ連の軍司令部は、公然と日本人女性を慰安婦として供出せよと命じました。
ご存知の通り、朝鮮半島における従軍慰安婦などというのは、まったくのデタラメな捏造でしかありません。
Koreanの女衒たちが、同国人の女性をさらって独身男性が大量にいる日本軍兵舎横で売春宿を開いていただけの話です。
売春が合法だった時代です。
ですから日本兵はちゃんと金を払って彼女たちを買っていました。
当時、日本兵の給料が将校クラスで25円、兵隊クラスで15円です。
その時代に、Korean売春婦たちは、2年もすると3~5万円の貯金ができたといいます。
当時のお金で3~5万円というのは、いまの貨幣価値にしたら3~5億円の大金です。ですから一家の女の子が日本人相手の売春婦になるというと、当時のKoreanは、一族をあげて大喜びしたくらいです。
しかも日本は、彼女たちによって性病がまん延するのを防ぐために、公費を使って彼女たちの健康診断までしました。
ついでにいうと、当時荒稼ぎできた成功体験から、韓国ではいまでも売春がさかんです。
韓国で床屋に行くと、マッサージ嬢というのが出てきます。
売春婦です。
男性が髪を切っている間、その女性が男性の下半身の世話をします。
それが床屋の「サービス」になっている。
いまだにそんな習慣が残っているというのは、ひらたくいえば、彼ら鮮人たちにとって、売春が国家的成功体験になっているということです。
世界の常識は日本の常識とは異なります。
戦いに勝てば、負けた側の財産や女を略奪し放題にする。
それが兵士たちの稼ぎになるというのが当時の世界の常識です。
白ロシアという地名があります。これはベラ・ルーシュの訳です。ベラというのは処女の意です。
つまり白ロシアというのは、処女のロシア(ルーシュ)という意味の地名です。
なぜそういう地名になったかというと、かつてモンゴルが攻めてきたとき、湿地帯である白ロシア地方は、馬での交通が不便だったために、その地を避けて通った。
そのため、そこの地は強姦被害に遭わなかったから、ベラ(処女)ロシア、と呼ばれるようになったのです。
負けた側に対しては、何をしても許される。
それが世界の常識です。
私たち日本人の感覚とはほど遠い。
ですから日本が朝鮮半島を侵略し、Korean女性をセックス・スレイブ(性奴隷)にしたといわれると、大陸の人たちは、なるほど、と簡単に信じます。
それが彼らの常識だからです。
しかしそれは、彼らの常識であって、日本人の常識ではない。
しかし、もし日本人がそういう非道を行う人種だったら、台湾でも、南洋諸島でも、東南アジアでも、かつての大日本帝国の版図になっていた地域には、必ず性奴隷がいて、現地人と日本人の混血孤児が大量に生まれていたはずです。
けれど、そういう話は、まったくありません。
なぜか。
日本人は、そのような非道をしなかったからです。
話が脱線しました。
ソ連の通化市への進駐軍は、日本人から武器を奪い取るだけでなく、女性の供出を求め、さらに日本人が外部の情報を得ることがないように、ラジオを全部没収します。
さらにChina共産党軍は、ソ連進駐軍の下請けとして日本軍の脱走兵狩りを行い、男性600人を検挙し吉林へ連行した。
つまり、通化市を、日本人の女子供と老人ばかりにしたのです。
ソ連軍が撤退すると、通化の支配を委譲されたChina共産党軍は、通化市の市役所の幹部職員全員を連行しました。
そして旧満州人の役人全員を殺害します。
つまり通化市の行政機能を奪ったのです。
それが済むと、次は「清算運動」と称して、旧満州人たちの民家に片端から侵入し、金品を掠奪します。
昭和21(1946)年9月22日には、共産党軍が、公式な国際的連合国軍であった中華民国政府軍に攻撃を仕掛けます。
そして、通化市から中華民国軍を追い払った。
10月23日になると、China共産党軍の一個師団が新たに通化市に進駐してきます。
11月2日には、China共産党軍劉東元司令が着任します。
そして同日付けで、China共産党軍は、17000名を超える日本人遺留民に対して、収容能力5000名以下しかない旧関東軍司令部へ「全員、移動せよ」と命令した。
移動した日本人遺留民に対し、China共産党軍は、即日「遼東日本人民解放連盟通化支部(日解連)」の設立を命じました。
日解連というのは、日本人に対する中国共産党軍の命令下達や、日本人への共産主義教育を担当するChina共産党の下請け的な共産党組織です。
このことは大事なポイントなのですが、およそ民族支配をしようとする者たちは、必ず民族の分断工作をします。
欧米列強が東南アジア諸国を支配するに際して、最貧層だった少数民族の華僑を利用したり、日本を占領したGHQが、在日Koreanを利用して武器を与え朝鮮進駐軍を名乗らせたのも、そうした分断工作のうちです。
満洲の通化でも、日本人遺留民の分断工作のために、Chinaの共産主義を受け入れる者にある種の特権を与え、同民族同士での分断工作が行われました。
それが日解連だったわけです。
日解連は、日本人のスパイとなり、China共産兵に、どこぞの日本人宅には、これこれの財産がまだ隠されている、誰々の家には、美人の娘さんがいるなどの情報を、China共産党軍に与えます。
日解連は、China共産党軍の指示に従い、日本人遺留民の財産を全て没収しようとします。
これに対し、日本人遺留民たちは、正々堂々、最低限の衣類や食糧の確保の嘆願を続けます。
するとChina共産党は、没収を見合わせる条件として、日本人全員が共産主義者になることへの誓約を要求しました。
11月17日、China共産党に応じない元満鉄総裁の大村卓一さんが、満鉄総裁であったことを罪状として逮捕、投獄されてしまう。
この間も、China共産党の兵士たちは、武器捜索を名目に、日本人の家屋に押し入っては、略奪・暴行・強姦を、連日続けています。
12月23日、日解連の通化日本人遺留民大会が、通化劇場で開催されました。
劇場には、中国共産党万歳、日本天皇制打倒、民族解放戦線統一などのスローガンがおどっていた。
大会には、劉東元司令を始めとするChina共産党の幹部が列席し、日解連幹部らも檀上に勢ぞろいした。
そこに日本人遺留民3000人が出席します。
議長は、日解連幹部で元満州国官吏の井手俊太郎が務めます。
彼は、「自由に思うことを話して、日本人同士のわだかまりを解いてもらいたい」と、冒頭に発言しました。
日解連幹部たちは、自分たちのこれまでのやり方の手ぬるさの謝罪が行われ、「我々が生きていられるのは中国共産党軍のお陰です」などと、連日乱暴狼藉を働くChina共産党に媚びた発言がなされます。
しかし発言を求められた日本人遺留民たちは、その席で、日解連を堂々と非難したのです。
そして明治天皇の御製を読み上げ「日本は元来民主主義である」などの発言を、次々に繰り広げます。
そして山口嘉一郎老人が、
「宮城遥拝し、天皇陛下万歳三唱をさせていただきたい」と提案しました。
会場に、満座の拍手が沸き起こります。
議長が苦い顔で、賛意を示す者に起立を求めました。
会場のほぼ全員が起立した。
そして高らかに、宮城遙拝と天皇陛下万歳三唱が行われた。
万歳のあと、山口老人は、
「我々は天皇陛下を中心とした国体で教育され来たので、いきなり180度変えた生き方にはなれません。ですから徐々に教育をお願いしたい」と述べます。
それはきわめて常識的な発言だった。
大会は、日本人有志の正々堂々とした発言で会場を取り仕切られました。
しかし、その日の翌日以降、大会で発言した者は、全員、China共産党によって連行され、殺害されてしまいました。
大会から1週間が経過し、年が明けた昭和21(1946)年1月1日、China共産党の工作員であった内海薫が、殺害されます。犯人はわかりません。
1月10日、China共産党は、日解連幹部の高級官吏や日本人遺留民の指導者ら140名を、内海薫を殺害した容疑であるとして連行します。
そして全員を抑留した上で、日解連も強制的に解散させてしまった。
1月21日、China共産党は、日本人4名を市中引き回しの上で、渾江の河原で公開処刑します。
日本人たちが見ている前で、彼らは遺体を何度も撃ち、銃剣で突き刺し、ハチの巣にしたうえで、切り刻みます。
日本人遺留民たちの怒りは、徐々に高まっていきます。
そして昭和21(1946)年2月3日、通化事件が起こったのです。
この通化事件の情況については、筆舌に尽くしがたい艱難辛苦の末、やっとの思いでどうにか無事祖国にたどり着くことができた外科医婦人中郷三己枝さん(当時27歳)の手記があります。
まるごとご紹介します。
出典は、高崎弥生氏の著書「実録、遥かなる回想」です。
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中国八路軍のことごとに理不尽な暴圧に堪えかねた旧日本軍の一部と、在留邦人の中の抗議派の人々が、国府軍と手を組んで、ついに立ち上がった。
その中心人物は藤田大佐で、かつて戦車隊長として雷名をとどろかせた猛将として有名だった。
昨年6月、通化にやってき今利中将ひきいる第百二十五師団の参謀長だった。
この人たちが、どのような手段で決起したのか知る由もなかったが、総勢、約千名が、2月3日の未明を期して一斉に蜂起した。
それは暴動のようなものではなく、それぞれ攻撃目標を定めた組織的な反乱だった。
しかし、たのみの国民党軍は呼応しなかったし、同時に立ち上がる予定の航空隊は、八路軍(China共産党軍)の先制攻撃を受けて参加できず、それ以上悪いことに、反乱軍の動きは、八路軍のスパイによって探知されていたため、奇襲攻撃はことごとく失敗に終わった。
部分的に要所を占領した部隊もあったが、それも数時間で壊滅してしまい、敵弾にたおれ、傷ついて捕虜になった者も多く、壮絶な戦死を遂げた者もすくなくなかった。
この反乱は、わずか数時間の後に完全に鎮圧されてしまった。
血に彩られた旧正月の朝は明けた。
おびただしい死体が各所に散乱していた。
この事件は八路軍に大きな衝撃を与え、日本人に対する怒りは頂点に達した。
これは日本人弾圧の絶好の口実となった。
やがて恐ろしい報復が行われ始めた。
元旦を祝って家族がささやかな朝食についたとき、八路軍の兵士が侵入し、夫たちを引き立てて行った。
通化市内では、16歳以上60歳までの日本人男子は、ことごとく八路軍兵舎その他に集合せよと眼入れされた。市内は恐怖のるつぼと化した。
八路軍側は、抗戦派だけでなく、すべての日本人に対して、仮借なく復讐しようとしたのである。
この反乱にまったく無関係の者も、反乱に反対だった者も、ほとんど差別されなかった。
とくに兵舎の前に集合させられた数百名の日本人は、身震いしておののいていた。
そこにひとりの将校があらわれて、絶叫するように叫んだ。
「今朝、日本人を主とした反乱軍のために、わが軍は多大の犠牲を受けた。諸君は同胞として、その罪を免れることはできない。わが軍は報復として、ただちに諸君を銃殺に処する」
その瞬間、兵舎の窓から十数台の機関銃が一斉に火を噴いた。みるみるうちに、ばたばたと倒れた。
重傷を負って死にきれない者に対しては、容赦なくピストルが撃ち込まれた。
死体は待機していたトラックに次々と積み込まれ、一部は渾江の橋の上から凍結した川面に投げ捨てられ、一部は近くの谷間に投げ込まれた。
逮捕拘引された日本人は、およそ三千人に及び、元憲兵隊の監獄や、公署の防空壕の中に分散監禁された。
監禁された日本人は、狭い部屋に何十人も押し込まれ、身動きすらできない中で大小便垂れ流しのまま5日間もの間立ったままにされた。
苦しさのあまり「出してくれ」と叫んだ者があると、銃弾が撃ち込まれてくる。
発狂する者もあれば、中には立ったまま死んだ者もあった。
しばらくして取り調べがはじまると、ひとりひとり引き出され、反乱軍との関係の有無を詰問される。
そのとき態度が悪かったり、言葉に詰まったりすると、こん棒や革のムチで容赦なく、力いっぱい打ちのめされた。
その場で悲鳴をあげて倒れる者、全身を殴りつけられて意識を失い、ついに動けなくなった者も少なくなかった。
そうすると、そのまま戸外に放り出されてしまう。
酷寒二月のことである。たちまち寒気のために不動のまま凍死してしまった。
やがて材木のようにトラックに積まれ、谷間に投げ込まれる。
するとどこからともなく貧民が集まってきて、硬直した死体から着衣をはぎとってゆく。
全裸の死体は、荷物のように運ばれて、渾江の橋の上から投げ込まれる。
これが毎日のように行われた。
なんという地獄絵図だろうか。
一週間目ごろから、ぽつぽつ釈放者が出るようになったが、帰って来た人も、無傷な人はいなかった。
手を折られた人、足を折られた人、杖にすがってやっと家にたどり着いた人。
帰ってからも発熱のために苦しむ者。凍傷のため、廃疾者同然になった者などが大部分で、五体満足で帰って来た人はわずかであった。
抑留中は精神に異常をきたし声を出すものなどが続出したが、そのたびに窓から銃撃され、窓際の人間が殺害されました。
殺害された者はそのまま立ったままでいるか、他の抑留者の足元で踏み台とされました。
また、数百人が凍傷に罹り不具者となりました。
拘束から5日後、部屋から引き出されると、Korean民義勇軍の兵士たちにこん棒で殴りつけられ、多くが、その場で撲殺されました。
撲殺を免れたものの多くは、骨折した手足をぶらぶらさせていました。
その後、China共産党軍による拷問と尋問が行われ、凍結した川の上に引き出されて虐殺が行われました。
女性にも多数の処刑がされました。
渾江川の上には、服をはぎ取られた女性の裸の遺体が転がっていました。
男たちが拘束されている間、China共産党軍の兵士たちは、日本人住居に押し入り、家族の前で女性を強姦することもあり、凌辱された女性の中には自殺するものもありました。
事件後、3月10日になると、市内の百貨店でChina共産党軍主催の二・三事件の展示会が開かれました。
戦利品の中央に、蜂起直前に拘束された孫耕暁通化国民党書記長と、2月5日に拘束された藤田実彦大佐が見せしめとして3日間に渡り立たせられました。
3月15日に藤田大佐が獄死すると、遺体は市内の広場で3週間さらされました。
渾江(鴨緑江の支流)では、夏になっても中州のよどみに日本人の虐殺死体が何体も浮かんでいました。
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日本は良くない国だ、という人たちがいます。
Chinaと仲良くすることが良いことだと言う人たちがいます。
China、朝鮮、日本を東アジア共同体として、ひとつの国にまとめあげようという人たちがいます。
しかし、実際にそうなったときの実例が、通化事件にあります。
そんなことは何十年も昔の話だろう、という人もいます。
しかし、天安門事件、あるいはウイグル弾圧、チベット弾圧等々。いまも昔も、China共産党はなんら変わらない。
家庭を守る。それは夫ならあたりまえに思うことです。
家族の平穏と安全、子供たちがすくすくと育つ環境。平和な社会。
それは、私たち普通の市民が、普通に思う心です。
しかしそうした家族の平穏、安全、社会環境、平和の一切は、国家がきちんとしていてはじめて成り立ちうる。私たちはそのことを決して忘れては行けないと思うのです。
国を失うということ。
それがどんなにみじめでたいへんなことなのか。
通化事件は、そのことを、私たちに教えてくれています。
私たちは、絶対に日本を失っちゃならない。
日本をもっと大事にしなきゃならない。
この国を守るために、必死に戦ってくれた先人たちに、もっと深く感謝しなければならない。
そして未来のために、私たちの子や孫のために、この日本を守り抜かなきゃならない。
ボクはそう思います。
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通化事件 (通化大虐殺)亡国の現実から学ぶべきこと
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私は今までこの事実を知らなかった
戦争の真実を、日本の真実を
南京事件 従軍慰安婦
そして米国に対する感情
それらは全て、プロパガンダ、悪意に満ちた真っ赤な嘘。
ネットがなければ、知ることも出来なかった敗戦国の悲哀
自分自身の血の歴史
同胞の無念を思うと心が張り裂けそうです
恐ろしい、知らされなければ私は一生嘘を信じ、真実を知らず死んでいったことでしょう
本当に感謝します
そして現在、未来のすべての日本人にこの真実を語り継ぎましょう
「2月3日の未明を期して一斉に蜂起」の通化事件ですが、この「蜂起計画」自体、いわゆる日本人や国民軍の残党狩りのための謀略情報で、これを在日スパイが日本人自治会などを通して流し、招集をかけた。集合場所に指定された学校の校庭に行くと、既に八路軍が機関銃を構えて待ち構えており、集まった日本人は一網打尽にその場で殺され、襲撃音は一晩中轟いていたと言います。「招集情報を広めてくれ」と頼まれた某日本人自治会長は、即座に謀略の匂いを嗅ぎ付け、病気を理由に断ったと言います。
付記URLより
更新中です「 外国人犯罪の増加からわかること 」元通訳捜査官 坂東忠信氏サイトです。 坂東忠信氏の新刊 「 日本が中国人の国になる 」 徳間書店より m(_ _)m乱文にて 敬具
ネット普及前の君ら左翼の言論弾圧覚えてる?
少しでも防衛や中韓問題、反日左翼のねつ造や矛盾でも
指摘したものなら軍国主義者だの右翼だのとか、
報道関係や左翼知識人、左翼学者に
弾圧されていたの忘れたの?
それで多くの政治家議員が干されたり
辞職を強要されましたよね。
そんな左翼に牛耳られた社会だもの
目先の利益のみに関心の政治家が出るのも当然ですよ。
君ら左翼の責任は重大ですよ。
現在は左翼の実態や捏造もかなり知られているので、
騙される人も以前と比べたら減ったと思います。
そういう人が増えれば、日本人のための
政治を志す議員の人も動きやすくなるといえます。
今まで(現在も)売国政治家、反日学者、知識人が
これまた反日メディアに後押しされて、
偏った情報を植え付けられた国民に
後押しされているようにね。
↑これと逆になればいいんですよ。
そしたら貴方が言うことと、違う方向に
向かっていた可能性もあったでしょう。
もうひとつ、、国家や文化を否定して解体したいと
願っている君ら左翼には言う資格はありませんね。
捏造は世界をまたに架け一人歩きする!
捏造がある限り抗議し続けなければならず、止めてはいけない、何故ならば世界の人々はそれでしか判断しない。
頭の単純な人たちばかりですからね世界は実際!!
とてもわかりやすくて勉強になります。
他の記事もゆっくり読ませていただきますね
自民党でまだよかったんだ。最初から民主党だったら、中国共産党に食べられていた。アメリカ側について成功だ。
しかし冷戦が終わり、安心した時に、平和平等人権の名に隠れて、陰謀がすすめられていた。テレビが敵に落ちて、政権交代詐欺にあった。 今は目に見えない情報戦争をしかけられている。
これほどの虐殺
なぜ世にでない?なぜ?なぜ?
因果応報 次は朝鮮半島 イスラエル 中国 米国 英国ロシア どこからでしょうね
目先の小銭に騙されて利用するだけ利用されたら消される運命にあるのが工作者
表に出てもらっては困るからね
自民党の工作者、民主党、公明党、社民、共産の工作者
いつまでも自由に動けるとは限りません
自称市民団体の過激派
日本国籍を取得して政治家を目指す帰化、婚姻をしたスパイ
これらもいつまでも好き放題が出来ないでしょうね
図書館にもない。
サヨクたちが、
「歴史の事実を記述している、(自分たちにとって)都合の悪い本」
として抹殺してしまったのだろうか?
出版界は連中のの巣窟なので、なにか嫌な予感・・・。
亡国度が倍増です・・・とんでもない政党になりつつあり、
拉致問題もなし崩しになりそうな気配が!
・日本国籍大バーゲンの「国籍法改正案」を成立させた自民党
・竹島を奪われて数十年間、何の対抗策も取ってこなかった自民党
・中国の唐突な尖閣領有権主張に抗議しなかった自民党
・で、中国に言われて尖閣にあったヘリポートを撤去した自民党
・朝銀に日本人の税金2兆円あげた自民党
・在日チョンの優遇措置も自民党
・韓国人のビザ無しも自民党
・中国人のビザ無しも自民党
・パチンコ放置して禁止
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110822/trl11082221470004-n2.htm
小沢一郎の政治資金規正法に違反する虚偽記載の犯罪は
次の点で明らかである。
借りて来た4億円で土地を買い4億円を払った、そして借りて来た4億円は返した。
これは人を騙す手品のような嘘である。
嘘も100回やっても400億円には成らない。
日本の裁判所では証拠を確りと押さえて有権者に判りやすく説明する義務がある。
3名の秘書もこんな道理も判らないようでは国会議員の資格がない。
【関連情報】
【小沢の悪事マスコミ隠蔽】
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【小沢の悪事政治経済】
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同感です。
金子甫という市井の歴史家が(毛沢東思想の全体像/東洋出版)で以下のように書いています。
「1945年8月9日、ソ連が、日ソ不可侵条約を犯して突然満州に侵攻し、ソ連軍による人間狩り、物資・設備の大略奪・暴行・強姦の嵐が八ヶ月もの間吹き荒れ、二十万人を超える日本人が命を失った」
この暴行の嵐の中に当時十二才の金子氏はいました。著者はこうした凄まじい経験をして、命からがら日本に引き上げて来た訳ですが、母国で再び衝撃の体験をすることになります。
転向した中学(旧制)で権威有る先生達から「ソ連軍は解放軍だ」という主張を聞かされたのです。著者は驚き呆れて自身の体験を交えながら彼らソ連、中共の非道ぶりを切々と訴えるのですが、全く相手にされませんでした。それどころか、逆に君は歴史の細部にばかり気を取られて全体が見えていないなどと罵倒されてしまいます。
著者は、日本でのこの理不尽な体験こそが、自身の共産主義研究の出発点になったと云っています。
どうやら、戦後のリベラル文化人や革命勢力、左翼人士とは、自由、平等、博愛の精神とは全く無縁な、むしろ日本の敗戦を奇貨として、あざとく左派革命勢力に擦り寄ることで、自己の保身と立身出世を目論んだ利己主義者と云えそうです。もちろん逆に米占領軍にすり寄った日本人も同様ですが・・
そう考えると彼らが、歴史認識や歴史教科書にひどくナーバスに反応する理由も分かります。彼らが真に恐れるのは日本人に、本当の裏切り者は誰か?本当の敵は誰かということがばれてしまう事なのです。彼らが立派な日本人の話や愛国的な話に脊髄反射でネガティブに反応するのは、彼らがそもそも日本人ではないか、もしくは自身の過去に忸怩たる思いを持っている証拠です。
東西冷戦が終わった今、彼らが擦り寄ったソ連や中共の権力はもはや過去のものです。だからこそ彼らは反日、侮日という歴史のイリュージョンに必死にしがみついているのでしょう。
しかしながら、自己の栄達のためにあっさり祖国を裏切った彼らを笑ってばかりはいられません。なぜなら、彼らの教え子や、そのまた孫が、今やマスメディア、出版、教育、官界等の各界の主流派となって国民監視の目を光らせているのですから。
彼らの力に較べれば、残念ながらネットなどプライベートメディアの力はまだまだ非力です。しかしこれにより目覚めた若い世代は確実に増えて来ています。先人の積み重ねた苦難の山の上に我々の繁栄があり、子孫の繁栄を願った祖先への感謝と供養の先にこそ未来の日本の繁栄があるのではないでしょうか。
それでチャラになる話じゃない。
人でなしだな。お前は。
二度と来るな。
なぜ行政はこうした検査を受け付けないのか、ドイツの記者が原発担当大臣を問い詰める。
正に韓直人内閣と反日売国テレビ局・マスコミの隠蔽している情報です。
この動画は削除されましたので
http://www.jtube.net/tag/?s=&o=&tag=%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84ZDF%E3%83%BCFrontal21+
代用動画でご覧下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=5n_3NK-tsOU&nofeather=True
(動画)
ドイツZDFーFrontal21 福島原発事故、その後(日本語字幕)
http://www.youtube.com/watch?v=5n_3NK-tsOU&nofeather=True
もはや食べ物ではなく、放射性廃棄物だと。
日本政府の無責任ぶりは犯罪的だと思う ークリス・バズビー博士
【東日本関東大震災の真相は!の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj13.cgi
証拠記事を集めた簡約版はこちらをカッチとね
ps:
★原発50Km 福島・郡山 子どもに体調異変
大量の鼻血、下痢、倦怠感... 草莽崛起
★日本の学校で教えられる近代史は嘘です★
/ウェブリブログ
http://soumoukukki.at.webry.info/201108/article_7.html
ただ、妨害する力もより強大になりますから、ねずきちさんの身の安全のためには、賛成できませんが…
英語版を作って世界に知らしめた方がよろしいのではないでしょうか。
国内は当然ですが。
如何なものでしょうか。