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刀伊の入寇と竹島

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藤原理忠の墓
藤原理忠の墓


平安時代のことです。

突然、壱岐に、50余隻の船がやってきます。
ひとつの船はだいたい15Mくらい。その船に約60人ずつ分乗し、島に上陸します。

寛仁3(1019)年)3月27日のことです。

上陸した彼らは、百人くらいで一隊をつくり、戦闘の20~30人が斬り込み隊、後ろの70~80人が弓や盾を持っています。
彼らの持っていた矢は、長さ4~50cmと短いもので、楯も射通すほどの貫通力があった。

彼らは、上陸と同時に民家に襲いかかる。
そして牛馬を盗み、切り殺して食い、老人や子供たち、抵抗する男を殺し、女を犯し、生き残った者たちを船に拉致した。

記録によれば、彼らは「牛馬を切っては食い、また犬を屠殺してむさぼり食らう」とされ、また「人を食う」との証言もあります。

船上では、拉致された者たちの中から、病人や児童は簀巻きにして海に投げ入れて殺した。
略奪後の民家はすべて焼き払い、穀物も奪った。

暴徒上陸の知らせを受けた国司・壱岐守藤原理忠(ふじわらのまさただ)は、ただちに147人の手勢を率いて征伐に向かいます。

しかし敵は3000人の大部隊です。
衆寡敵せず、玉砕してしまう。

理忠を打ち破った賊徒は、次に壱岐の真ん中にある、国分寺(嶋分寺)まで攻め込みます。
寺は、常覚和尚(じょうかくおしょう)の指揮の元、僧侶と地元住民で応戦します。
そして賊徒を三回まで撃退した。

しかし賊徒の猛攻をあきらめない。
常覚は、ひとり島を脱出し、事の次第を大宰府に報告に向かいます。

残された僧侶たちは必死に戦った。
そして最後には全滅し、嶋分寺は全焼させられてしまう。

そして、女子239人、男子若干名が捕虜として連れ去られてしまいます。
壱岐島で生き残った者は、わずか35人だけだった。


4月7日、対馬からも大宰府に対馬の危急を知らせが届きます。

対馬守遠晴の報告は以下のとおりです。

~~~~~~~~~~
対馬に刀伊国の者が五十隻あまりの船でやってきた。
彼らはて殺人・放火をはじめた。
彼らは隼のように迅速で、数が多く、とても対抗できない。

壱岐は壱岐守理忠が殺害され、ほとんど全滅状態した。

彼らは博多警固所と目と鼻のさきの能古島まできています。
~~~~~~~~~~

知らせを受けた大宰権帥の藤原隆家は、すぐに京都に緊急事態を伝える飛駅便を飛ばすとともに、応戦のために九州の豪族や武士非常招集をかけます。

しかし翌8日には、族が筑前・怡土郡(福岡県西部)に上陸する。

彼らは山野を制圧し、牛馬や犬を殺して食い、老人や子供を皆殺しにしたうえ、おびえる男女を追いかけて、4~500名を捕らえて船にのせてしまいます。
また、かず知れない米穀類が略奪された。

この時点で戦力の不足した藤原隆家は、少数の精鋭を率いて、個別撃破を狙い、敵の不意をつく戦法で応戦します。

大宰府の正規軍の前に、賊は崩れる。
賊たちは、この日の夕方には海に逃れ、能古島に去ります。

翌9日の朝、刀伊は、藤原隆家軍の本拠である大宰府警固所を焼こうと来襲します。

しかし武装を整えた正規兵を前に、逆に刀伊の側が追い詰められ、生き残った者は、再び能古島に帰還した。

そして神風が吹きます。

10日、波風が強くなり、船が足止めとなった。
族たちは身動きできない。

この隙に、隆家は、軍勢を揃えます。

11日午前6時頃、族が、再び大宰府に上陸してきます。
隆家は、上陸した賊を皆殺しにし、敵の生き残り二人を逮捕します。
一人は傷つき一人は女です。

13日、賊徒は肥前国松浦郡に至り、村里に攻めてきます。
ここでは、前肥前介・源知という武将が待ち構え、族を殲滅します。
敵の生存者一人を逮捕。

ついに賊は、恐れをなして、半島に帰国します。

帰国途中、高麗がこれを待ち伏せ、戦力の減った残りの賊を全滅させ、日本人捕虜270人を助けて、日本に送り返しています。

当初、日本側は何者が攻めてきたのか分からなかった。

逮捕した三人の族は、三人とも高麗人です。

彼らは「高麗を襲った刀伊に捕らえられていたのだ」と申し立てた。
それがほんとうかどうかは、わかりません。

古来、捕まると嘘八百並べるのは、半島人の特徴です。


この事件で、被害は、記録されただけでも、殺害された者365名、拉致された者1289名、牛馬380匹、家屋45棟以上が焼かれています。
とくに女子供の被害が目立っていた。

ちなみに、拉致された1289名のうち、高麗によって保護され、帰国できたのは270名です。残りの千余名は、船上で殺されている。

犯人たちの族は、刀伊(とい)と呼ばれました。
彼らは、自分達で農耕をする習慣は持たず、他国を襲い、人間を拉致して農業をさせていた集団であったといわれています。

刀伊は、女真族であるという説もあるけれど、ボクはそれは違うと思う。
彼らの戦い方は、女真族のものではない。

むしろ、自分たちが圧倒的多数で武器を持つときは、ありとあらゆる暴虐の限りを尽くし、相手が武具を整えてすこしでも強いとみるや、そくさくと退散するというのは、古来変わらぬ支那人・朝鮮人のあさましい姿です。


この時代の朝鮮半島は、統一された王朝があったわけではなく、たまたま高麗国が大きな勢力を持っていたにすぎません。
むしろ、日本の戦国時代に似て、地方ごとに群雄割拠に近い状態だった。

ただ、日本と異なるのは、日本には皇室があって、地方を治める者たちはご皇室と皆、縁続きであったこと。完全にどこの馬の骨ともわからない者が武将となるのは、ずっと後年、国内が乱れた戦国時代の斎藤道三と木下藤吉郎くらいなものです。
あとは、家系図を見る限り、ほぼすべての武将がご皇室と縁者になっている。

一方、半島や大陸には、日本における皇室のような存在はありません。
また四季のある日本と異なり、火を得るためにいったん山々の木を伐採すると、とうぶん木が生育しなくなる半島では、食うためには盗賊専門の集団が国を作って勢を張るというのは、ごく普通に行われた。

そして相手が弱く、抵抗しないとみるや、あらゆる理屈を無視して奪い、犯し、暴虐をふるう。

そうした民族的傾向というのは、近代になってもなんら変わりません。
戦後間もないころ、満洲や朝鮮から日本人の多くが引き揚げてきたけれど、なぜか満洲には日本人残留孤児がいるけれど、朝鮮にはそれがいない。
全員が殺された。

いま、その朝鮮人が、日本の領土である竹島を蹂躙しています。
竹島といえば、岩山が2つ連なっている小さな無人島と思っている方が多いと思うけれど、最近の竹島は違います。

最近の竹島の様子
竹島最近


島にはヘリポートが作られ、灯台や宿泊施設が建ち、50人ほどの韓国海上警備兵が駐屯している。
事実上の武力制圧です。

韓国は、日本で民主党が政権をとったら、とつぜんヘリポートの改修をはじめると言いだしました。

日本はいつまでこういう傍若無人を許しておくのでしょうか。

壱岐・対馬・筑前の一般民衆が殺され、略奪され、拉致されたとき、日本は勇敢に戦ってこれを防いだ。

彼らは、こちらが毅然として臨めば引っ込むのです。

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今日は竹島の日!

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竹島
竹島の写真


2月22日は竹島の日です。
みんなで、島根県に祝電または応援FAX、メールを送ろう!!

●祝電の送り先/2月22日必着
 〒690-8501
 島根県松江市殿町1番地
 島根県庁総務部総務課御中

●FAX:0852-22-5911
●メール:webmaster@pref.shimane.lg.jp

そもそも竹島問題と言うのは、どういう問題なのか、ここであらためて振り返ってみたいと思います。

下の図をみたらあきらかなのだけれど、島根県から朝鮮半島までの間には、「隠岐」→「竹島」→「鬱陵島」→「高島」があります。

この中で人が住めるだけの広さを持っているのは、「隠岐」と「鬱陵島」だけです。「竹島」は岩礁であり、「高島」は環礁です。

鬱陵島と竹島
鬱陵島と竹島


日本には、鬱陵島と竹島を朝鮮半島と隠岐諸島との間に的確に記載している古地図が多数あります。
たとえば長久保赤水(ながくぼせきすい)の「改正日本輿地路程(よちろてい)全図」(安永8(1779)年)他、です。

これに対し、韓国が古くから「竹島」を認識していたという根拠はありません。

朝鮮の古文献、「三国史記(1145年)」には、于山国であった「鬱陵島」が、512年に新羅に帰属したという記述はあります。
しかし、現在の「竹島」を意味する「于山島」に関する記述はありません。

そして古文献中にある「于山島」の記述には、その島には「多数の人々が住み、大きな竹を産する」等と書いてあります。
「竹島」は岩礁ですから、記述の内容からして、これは明らかに「鬱陵島」です。

韓国では、古地図に「竹島」の記載があるなどと言っていますが、その根拠となっているの「新増東国輿地勝覧」に添付された地図には、「鬱陵島」と「于山島」が別個の2つの島として記述されているけれど、そこに描かれた「于山島」は、「鬱陵島」とほぼ同じ大きさで、さらには朝鮮半島と鬱陵島の間(鬱陵島の西側)に位置しています。つまり、全く実在しない島です。


日本では、元和4(1618)年、鳥取藩伯耆国米子の町人大谷甚吉、村川市兵衛が、米子藩主を通じて幕府から竹島への渡海免許を受け、以降、毎年「鬱陵島」に渡航し、あわびの採取、あしかの捕獲、竹などの樹木の伐採等をしています。

両家は、将軍家の葵の紋を打ち出した船印をたてて竹島で漁猟に従事し、採取したあわびについては将軍家等に献上するのを常としており、いわば同島の独占的経営を幕府公認で行ないました。

両家は、隠岐から鬱陵島へ漁に行く航行の目印として、途中の船がかりとして、また、あしかやあわびの漁獲の好地として、「竹島」を利用しています。

このことは逆にいえば、日本は、遅くとも江戸時代初期には、竹島の領有権を確立していたということを示します。

当時、日本は、鎖国していたのです。
もし、鬱陵島や竹島を幕府が外国領であると認識してなら、そこへの日本人の渡航は禁止されています。
そうした措置が行われず、両島で将軍家に献上するあわびを獲っていたということは、この時点で日本が「鬱陵島」も「竹島」も、日本の領土という認識に立っていたとことを表しています。


ところが、江戸中期の元禄5(1692)年になって、事件が持ち上がります。

村川家が鬱陵島に行くと、多数の朝鮮人がそこで漁業を行っていた。
困ったことだと思っていると、翌年には、大谷家が同じく多数の朝鮮人と遭遇した。

大谷家は、安龍福(アンヨンボク)、朴於屯(パクオドゥン)の2名を捕獲し、日本に連れ帰ります。

当時、李氏朝鮮は、朝鮮国民の鬱陵島への渡航を禁じていたのです。
つまり、安龍福らは、不法に我が国の領海へ侵入していた。

本来なら、不法に入国した者は、その場で打ち首にされてもおかしくはない。

日本人はやさしいのです。二人を鹵獲(ろかく)し、連れ帰った。

当時、対朝鮮外交と貿易の窓口は、対馬藩が担っていました。

対馬藩では、幕府と協議し、安と朴の両名を朝鮮に送還するとともに、朝鮮に対し、同国漁民の鬱陵島への渡海禁制を要求します。

二人の命を助けただけでなく、日本側の旅費で、朝鮮まで送り届け、話し合いで問題の解決を図ろうとした。いまも昔も日本人の行動は変わりません。

ところが、当時の朝鮮は、言を左右にしてこれに回答しないのみか、逆に欲をかいて突然「鬱陵島は、朝鮮の領土である」などと言い出した。

対馬藩より交渉決裂の報告を受けた幕府は、元禄9(1696)年1月、「鬱陵島」には我が国の人間が定住しているわけでもなく、同島までの距離から見ても、領土として争いをするだけの意味はない。無用の小島をめぐって隣国との好(よしみ)を失うのは得策ではない、と判断し、朝鮮との友好関係を尊重して、日本人の鬱陵島への渡海を禁止することを決定し、これを朝鮮側に伝えます。

簡単に言ったら、「鬱陵島」を朝鮮にあげることで両国の和平を図った。(竹島ではありません。「鬱陵島」を渡したのです)

当然のことながら、幕府は、このとき「竹島」への渡航は禁止していません。
つまり、幕府にしても朝鮮にしても、当時の認識としては、「竹島」は日本固有の領土であるという認識に立っていたことになります。


ところが、ここでやっかいな問題が発生します。
先に捕まった安龍福です。

幕府が鬱陵島への渡航を禁じる決定をした後、安龍福は再び我が国に渡来します。

あたりまえのことですが、彼は、また捕まる。

日本は、安龍福を、再度、朝鮮に送り還します。

朝鮮に送り帰された安龍福は、朝鮮による「鬱陵島への渡航の禁制」を犯した者として朝鮮の役人に取り調べを受けます。

当時の李氏朝鮮の取り調べは過酷です。日本とはわけが違う。
日本では、外交問題に発展してはいけないからと、安龍福らに、たらふく飯を食わせ、布団に寝かせて風呂も入れてやって、やさしくしたけれど、朝鮮の取り調べは、白状しなければ、全身の骨を一本ずつ折る。ムチは肉を切り裂く酷いモノが使われる。

「なぜ鬱陵島に渡航したか」との朝鮮役人の問いに、
拷問に恐怖した安龍福は、言うにことかいて、

「日本に行った際、鬱陵島と竹島を朝鮮領とする旨の書契を江戸幕府からもらった。
その書簡は、対馬の藩主に奪い取られたのだ」などと、デタラメの供述をします。

当時の朝鮮の役人がそれを朝鮮の役人が信じたかどうかは知りません。
ただ、記録には、安龍福がそう言ったと書き残されている。

当然のことですが、日本側の文献には安龍福が1693年と1696年に来日した等の記録はありますが、そのような書契を安龍福に与えたなどという記録はまったくありません。
そもそも国の正使でもない一介の漁民に、幕府が領土を与える云々の国書を託すなど、常識で考えたってありえない。稚児にだってわかる話です。

さらに、韓国側の文献によれば、安龍福は、1696年の来日の際、
「鬱陵島には多数の日本人がいた」と述べたとされています。

ところがこの来日は、幕府が鬱陵島への渡航を禁じる決定をした後のことです。
当時、大谷・村川両家とも、渡航を控えている。

安龍福の供述は、現在の韓国の竹島に関する領有権主張の根拠の1つとして引用されています。

しかし、安龍福に関する李氏朝鮮の官憲による文献の記述は、同人が、国禁を犯して国外に渡航し、その帰国後に取調を受けた際の供述です。

当時の李氏朝鮮が、取り調べに際して、およそ人間の所業かと疑うほどの拷問を課していたことはよく知られた事実です。

安龍福が、拷問に恐怖して「アイゴー!」とばかり、デタラメな供述をしたことは想像に難くなく、実際、安龍福の供述には上記に限らず事実に見合わないものが数多く見られます。

そういうまさに「人権無視」の取り調べによってなされたいかがわしい供述さえも、竹島領有権の裏付けとしようとする現代韓国の底意地の悪さが感じられる事実です。

ニホンアシカ  
学名(Zalophus californianus japonicus  )
ニホンアシカ


竹島でニホンアシカの捕獲が本格的に行われるようになったのは、1900年代初期のことです。

しかし、間もなくあしかは過当競争の状態となったことから、島根県隠岐島民の中井養三郎は、その事業の安定を図るため、明治37(1904)年9月、内務・外務・農商務三大臣に対して「りやんこ島」(注:竹島の洋名「リアンクール島」の俗称)の領土編入及び10年間の貸し下げを願い出ています。

日露戦争のまっただなかの時代に、ニホンアシカの絶滅を防ぎ、保護と確保の両方を一元的に管理しようとしたのです。

中井養三郎の出願を受けた政府は、島根県の意見を聴取し、「竹島」を隠岐島庁の所管とすること、名称は「竹島」が適当であるとします。

これにより、日本政府は、明治38(1905)年1月、閣議決定によって同島を「隠岐島司ノ所管」と定め、正式に「竹島」と命名し、この旨を内務大臣から島根県知事に伝えます。

この閣議決定によって、我が国は「竹島」領有を再確認したわけです。

島根県知事は、この閣議決定及び内務大臣の訓令に基づき、同年2月、竹島が「竹島」と命名され隠岐島司の所管となった旨を告示するとともに、隠岐島庁に対してもこれを伝えます。これらは当時の新聞にも掲載され広く一般に伝えられています。

島根県庶第十一号
島根県庶第十一号


これを受けて島根県知事は、竹島を官有地台帳に登録するとともに、ニホンアシカの捕獲を許可制としています。
ニホンアシカの捕獲は、その後、大東亜戦争開戦の昭和16(1941)年まで続けられました。

大東亜戦争終戦後、連合国は占領下の日本に対して、政治上または行政上の権力の行使を停止すべき地域、また、漁業及び捕鯨を行ってはならない地域を指令しました。

世にいうマッカーサー・ラインですが、その規定には、「これは領土帰属の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない」と記載されています。

関連する連合国総司令部覚書(SCAPIN)の概略は以下のとおりです。

~~~~~~~~~~~
【SCAPIN第677号】

一部の地域に対し、日本国政府が政治上または行政上の権力を行使することを暫定的に停止する。

(ロ)この指令において日本とは、日本四大島(北海道、本州、九州及び四国)及び約一千の隣接諸小島であり、日本の政治上・行政上の権力を行使しうる地域に「含まない」地域には、鬱陵島や済州島、あるいは伊豆、小笠原群島等に並んで、「竹島」も含む。

ただし、この指令中のいかなる規定も、ポツダム宣言の第8項に述べられている諸小島の最終的決定に関する連合国の政策を示すものと解釈されてはならない。
(ポツダム宣言第8項:「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」)と明記されています。


【SCAPIN第1033号】

1946(昭和21)年6月、連合国は、いわゆる「マッカーサー・ライン」を規定する。

日本船舶又はその乗組員は竹島から12マイル以内に近づいてはならない。
またこの島との一切の接触は許されない。

ただしこの許可は、当該区域又はその他のいかなる区域に関しても、国家統治権、国境線又は漁業権についての最終的決定に関する連合国の政策の表明ではない。(第5項)


【マッカーサー・ラインの廃止】

マッカーサー・ライン」は、1952(昭和27)年4月に廃止が指令され、またその3日後の4月28日には平和条約の発効により、行政権停止の指令等も必然的に効力を失うこととなりました。

韓国側は、上記SCAPINをもって、連合国は竹島を日本の領土と認めていなかったとし、韓国による竹島の領有権の根拠の1つとしていますが、いずれのSCAPINにおいても領土帰属の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと「解釈してはならない」と明示されています。

つまり、韓国の主張は、まったく的を得ていません。

日本は、昭和26(1951)年9月に署名されたサンフランシスコ平和条約で、領土を確定します。

ここでは、日本が放棄すべき地域として「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」と規定されました。

この部分に関する米英両国による草案内容を承知した韓国は、同年7月、梁(ヤン)駐米韓国大使からアチソン米国務長官宛の書簡を提出しています。

その内容は、「我が政府は、第2条a項の『放棄する』という語を『(日本国が)朝鮮並びに済州島、巨文島、鬱陵島、独島及びパラン島を含む日本による朝鮮の併合前に朝鮮の一部であった島々に対するすべての権利、権原及び請求権を1945年8月9日に放棄したことを確認する。』に置き換えることを要望する。」というものでした。

この韓国側の意見書に対し、米国は、同年8月、ラスク極東担当国務次官補から梁大使への書簡をもって以下のとおり回答しています。

~~~~~~~~~~

合衆国政府は、1945年8月9日の日本によるポツダム宣言受諾が同宣言で取り扱われた地域に対する日本の正式ないし最終的な主権放棄を構成するという理論を(サンフランシスコ平和)条約がとるべきだとは思わない。

ドク島、または竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島支庁の管轄下にある。

この島は、かつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない。」

米国は、韓国の主張を「明確に否定」したのです。


これには実は伏線があります。

米軍が、昭和26(1951)年7月、爆撃訓練区域に「竹島」を指定しているのです。
根拠となるのは、連合国総司令部覚書(SCAPIN)第2160号です。

そして米軍は、サンフランシスコ平和条約発効直後の昭和27(1952)年7月、引き続き竹島を訓練区域として使用することを希望し、日米行政協定によって竹島は在日米軍の爆撃訓練区域のひとつとして指定しています。

しかし、竹島周辺海域におけるあしかの捕獲、あわびやわかめの採取を望む地元からの強い要請があること、また、米軍も同年冬から竹島の爆撃訓練区域としての使用を中止していたことから、昭和28(1953)年3月には、日米合同委員会において、同島を爆撃訓練区域から削除することを決定している。

日米行政協定によれば、日米合同委員会は「日本国内の施設又は区域を決定する協議機関として任務を行う」とされています。

つまり、竹島に関して日米合同委員会で協議され、かつ、在日米軍の使用する区域としての決定がなされたということは、とりもなおさず竹島が日本の領土であることを証明しているといえます。


ところが、いちどは北朝鮮の南下によって韓国最東南端まで追い詰められ、旧帝国軍人によってようやく巻き返しができた韓国初代大統領李承晩は、「海洋主権宣言」を行って、いわゆる「李承晩ライン」を国際法に反して一方的に設定し、同ラインの内側の広大な水域への漁業管轄権を一方的に主張し、そのライン内に竹島を取り込みます。

この結果、昭和28(1953)年3月には、韓国漁民が不法に竹島領海域に進出し、これに注意を促した海上保安庁巡視船が、韓国漁民を援護していた韓国軍によって銃撃されるという事件が発生します。

さらに昭和29(1954)年6月には、韓国内務部が韓国沿岸警備隊の駐留部隊を竹島に派遣します。
そしてこの年の8月には、竹島周辺を航行中の海上保安庁巡視船が同島から銃撃される。

さらに韓国は、現在も引き続き警備隊員を竹島に常駐させ、宿舎や監視所、灯台、接岸施設等を構築しています。

「李承晩ライン」は、公海上における違法な線引きです。
国際法上何ら根拠がない不法占拠です。

韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。

そして彼らは、武力を用いて、誰がどうみても日本固有の領土といえる土地と海を、自国ものと主張し、占有しています。

これに対し、日本は、韓国による「李承晩ライン」の設定以降、韓国側が行う竹島の領有権の主張や、漁業従事、巡視船に対する射撃、構築物の設置等について、累次にわたり抗議を続けています。

そしてこの問題の平和的手段による解決を図ろうと、昭和29(1954)年には、口上書をもって竹島の領有権問題を国際司法裁判所で争おうと韓国に提案しています。

その後も、なんどとなく日本は国際司法裁判所付託を韓国に提案しているけれど、韓国はこれを拒否している。

ここに大きな問題があります。

「国際司法裁判所」というのは、紛争の両当事者が同裁判所で解決を求めようという合意があって初めて動き出すというものだということです。

ですから日本が一方的に提訴を行ったとしても、韓国には裁判に応ずる義務はない。

韓国が自主的に裁判に応じない限り、国際司法裁判所での裁判は行えないのです。

これは、国際社会というものが、それぞれ独立した主権を持った国であるという大前提を理解しなければならない。

昨今、地方主権だの主権在民だのという言葉が勝手に一人歩きしているけれど、主権というものは、かくほどまでに強力な権利なのです。

領土問題(竹島)問題の解決方法は、ひとつだけ。

すなわち、韓国が竹島をこのまま不法領有するのなら、日本は韓国に対し宣戦を布告し、韓国民を皆殺しにするぞ、という覚悟と、それを実現するに足る軍事力の裏付けを持ち、外交努力によって世界を日本の味方につけ、韓国に戦闘の援助が起こらないようにする、それだけです。

それが現実です。

そしてそれくらい確固たる信念を持った政治体制を持たなければ、逆にまじめに生活している日本国民が、韓国という仁義のない極道国家に呑みこまれてしまうということです。

政治というのは、バランスです。

右寄りに行きすぎれば、左に舵を切らなければならない。
昨今のように、左に舵がきられすぎて、日本人の安全が脅かされるような現況下では、むしろ右寄りに極端といえるくらい大きく舵を切らなければならない。

考えてみると、日本はロシアの南下策に対抗するために行った日清戦争で、あれだけの戦果をあげておきながら、文民統制の名のもとに、ボヤボヤしている文民のおかげで、結局最後には武人(軍)が膨大な命を捧げて日露戦争を戦わざるを得なくなった。

国際法上、正当な権利を有して外国人租界に駐屯した日本人が、文民統制という美名のもとに、何も決めれず、なにもしなかった政府のおかげで、多くの日本人が支那で残虐な犠牲に遭い、結局は北支事変、上海事変と最後は武人(軍)が多くの命を捧げて戦わざるを得なくなった。

第二次上海事変など、文民たちが愚図愚図している間に、2万か所ものトーチカを支那に作られ、結果、帝国軍人が1万人も尊い命を犠牲にせざるを得なくなった。

日本人が、やさしくてきれいごとを主にしたい民族であるということは、たいへん誇りに思うことです。

しかし、そういう日本人を護りぬくためには、政治はきれいごとではなく、必要なときには、素早く大きな鉄槌を下せるだけの体制がなければ、正義は守れない。

考えてみると、江戸300年の太平は、武人統治によってもたらされています。

日本は、文民統制は不向きな国かもしれません。
すくなくとも、「いざというときの覚悟」を持った武人政治のほうが、「話し合い」を最終兵器と考えて、なにひとつ決めれない、なにひとつできない文民政治よりは、はるかにマシなのかもしれない。
最近、そんなふうに思います。


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【竹島問題】仮想敵国は日本!


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さらに困難が予想される竹島問題の解決

国際海洋法裁判所(ITLOS)の裁判官に、ソウル大国際大学院教授の白珍鉉(ペク・ジンヒョン)が、選出されました。

白教授は今月6日(現地時間)にニューヨークの国連本部で開かれた国連海洋法条約(UNCLOS)特別当事国総会で、155カ国が参加した第1次投票で113票を獲得し、競争相手だったインドネシアのヌグロホ・ウィスヌムルティ元国連大使(68)を破り当選。

この日の選挙は、昨年11月に亡くなった故・朴椿浩(パク・チュンホ)国際海洋法裁判所裁判官の後任を選ぶためのもので、任期は9年間(2014年9月まで)。

白教授は同日、当選直後の記者会見で、

「韓国が周辺諸国と海洋問題で衝突することが多い状況で、
海洋問題解決の最高機関の裁判官を保有するということは大きな意味がある」
と語った。

白教授は、韓国が日本との間の竹島問題や、
中国・日本との間の排他的経済水域(EEZ)確定問題などの国際紛争を解決するに当たり、

「関連諸国との交渉を通じ解決するが、
必要な場合には司法的解決を追求することも避けるべきではない」と指摘した。

国連事務総長に準ずる待遇を受けるITLOS裁判官の任期は9年で、再任も可能。

■関連記事:「独島問題、必要なら司法的解決の追求も」
http://news.livedoor.com/article/detail/4051955/

竹島問題については、その経緯を勘案すれば、明らかにこれが日本固有の領土であることは明白な事実です。

韓国の領有権主張は、明らかな不法行為であり、日本はこれまでに何度となく「紛争の解決のために、国際裁判をしようと、韓国に対し働きかけています。

これに対し韓国は、もともと竹島は韓国固有の領土であり、裁判をするまでもないと、日本の申し立てを突っぱねてきてる。
そして、竹島を不法に占拠し、その海域で軍事演習をして日本に対する威嚇までしてきている。

しかも韓国は、万一、竹島問題が国際裁判となったときに備え、その裁判所の裁判官に韓国人の朴判事を送り込んでいた。

そしてようやく、その朴判事が任期満了でリタイヤしたと思ったら、新任で、白教授を判事として送り込むことに再び成功した。

韓国はそこまでして、自国の不法行為を正当化しようとしている。

日本人の感覚からしたら、「あれまぁ、よくやるよ、ネー^^」程度のことかもしれないけれど、彼らにしてみれば、竹島問題は、自国のナショナリズム喚起と、日本へ刃を突きつけ続ける意味で、このことは非常に大きな意味を持つ。

なにせ、日本は、文句を言いさえすればいくらでもカネを出してくれる便利な国だし、韓国の外貨準備高がいくら不足しようが、足りない分は日本に貸してもらえばまにあうし、日本から借りた金は、まったく返済の必要がない(笑)
日本が「貸したカネ返せ」と言ってきたら、従軍慰安婦だの、戦争責任だの、竹島問題だのを持ち出せば、弱腰の日本の外務省が、みずからすすんで払わなくてもいいように、日本国内をなんとか調整してくれる。

ちなみに日本から韓国に渡る多額のカネは、決して韓国庶民の生活を豊かにすることに使われない。韓国政府高官のポケットにはいることで、政府高官の懐を肥やし、韓国庶民と政府高官達との間に、圧倒的な富の差を築き上げている。

韓国庶民は、洗脳され、利用され、ナショナリズムを扇動されて、日本=悪の枢軸国と思いこまされる。竹島は古来韓国領だと信じさせられる。だから韓国における竹島の領有の問題は、事実の問題ではなく、ほとんど韓国教上の信仰上の問題となっている。

信仰上の問題なのだから、事実は関係ない。太陽が昇る方角が西だ、と教えられれば、韓国の一般庶民は、そう信じ、従うだけである。

日本は庶民文化の国である。
日本では、他の誰よりも庶民が大切にされる。
日本は、そういう文化を育んできた。

こういうと、「だって、日本の政府は戦争で多くの日本人を殺したじゃないか」と言い出す人がいるけれど、それは違う。

もし日本が戦わなかったら、日本は列強の植民地化され、おそらくいまだに東南アジア諸国、そしてアフリカの諸国は、欧米の植民地のまま独立を果たせず、差別され、人格権を認められず、教育も私有財産も取り上げられ、無教養で汚く、ムチで打たれなければ働かない怠惰な奴隷となっていたであろう。

日本の庶民が、そうなりたくない。ちゃんと教育も受け、自由な言論、私有財産、生存件が保障された国家でありたいと願ったから、みんなが苦しい戦争を戦った。

内地ですら食い物もない中で、「欲しがりません。勝つまでは」と、貧しさに耐え、苦しい生活に耐え、夫や子を戦地に送り出した。

そうしなければ、もっと悲惨な生活が待っていると、当時の日本人が知ってたからです。

だから日本では庶民が戦った。町内会での竹槍演習など、米兵が上陸した際に、機関銃や火炎放射機の前で、何の役にも立たないかもしれないけれど、それでも、みんなが学校の校庭に集まって、命がけで竹槍の突き方の練習をした。

後世になって、それがバカげた政府のとんでもない政策だったようなことが言われているけれど、そうじゃない。そこまでしてでも、当時の人たちは、日本の自由を、日本人の生活権を、私有財産権を、言論の自由を、教育を受ける権利を守ろうとした。それは政府の政策というよりも、むしろ庶民の意志であったといえると思うのです。

こう書くと、さらに左翼系の人から、「そもそも歴史にIFは禁物なんだよなぁ」という声が聞こえてきそうです。
それも違う。

過去の歴史も、未来を作る現代も、すべて「もし・・・であったなら」が先にくる。
誰もがその時代を必死で生きた。
現代人にとっては過去の出来事でも、当時の人にとっては、それが「現在」だった。
そして「現在」の現実のなかで、未来を模索し、未来に備えた。

いまだって同じです。
もし、株価が5000円を割るような事態になったら。
もし、致死性の悪性のインフルエンザが大流行したら。
もし、竹島の領有を日本が放棄したら。

いろいろな選択肢の中で、最善と思われる選択をし、行動する。
そのことは過去の人たちも、いまを生きる私たちも同じです。
そして、もし日本が戦わなかったらどうなっていたかという現実から、眼をそむけさせること自体が、サヨクのプロパガンタだと、ボクは思っています。

話を戻します。
日本人は、江戸の昔から識字率が90%を超える、高教育国家でした。
それだけに庶民の力が非常につよい。
「おかみは、民のためにある」と、日本人の誰もが、心のどっかでそう信じてる。
大岡裁き、水戸黄門、暴れん坊将軍。。。。

おかみは、常に庶民の味方だと、心のどっかで信じている。

現代だってそうです。
おかみが間違って、無辜の民を逮捕したりしたら、冤罪事件だと大騒ぎになる。

国政を担う政府にとっても、議員にとっても、最大の関心事は、国民の支持です。

私たちは、それがあたりまえと思っている。ふつうにどこの国もそういうもんだと、勝手に思い込んでいる。

しかし、世界を見れば、暴力団の組長が総統をきどって、勝手に政府と名乗っているような国家の方が、はるかに多い。日本の常識は世界の非常識でしかない。

ひるがえって見るに、お隣の韓国は、ヤンバンの国です。今も昔も変わらない。
ヤンバンと呼ばれる一部の貴族階級が、庶民から徹底的に収奪した。
庶民には私有財産は一切認められなかった。教育も与えられなかった。
韓国人の遺伝子には、火病がしっかりとインプットされているけれど、愛妻を勝手に収奪され、連れて行かれたり、ろくに残っていない食い物を床まで剥がして役人にもっていかれたりという庶民の暮らしの中で、彼らが抵抗する手段は、ひとえに、泣き喚くことしかなかった。派手に泣き喚いて自己主張すれば、かわいそうに思うか、うるさいと思って、少しは食い物を残して行ってくれる。

収奪と自己主張。これが韓国の文化の根底にある。

日本は、隣にこういう遺伝子を持った国がいて、にもかかわらず日本は「国債紛争の解決の手段としての戦争を永久に放棄する」と日本国憲法第9条で定めている。

しかし、その9条のために、日本の領土・領海がおびやかされ、カネをむしり取られ、ひいては日本の庶民の暮らしにヒビがはいる。

はたしてそれでいいのか。

日本と日本人は、憲法9条のために存在しているわけではない。
日本と日本人のために、憲法がある。

すくなくとも、日本の領土である竹島を軍事占領するような行為に出たものにたいし、実際に戦争をせずとも、もし日本が怒り、報復にでたら韓国軍は、一瞬で壊滅するぞ、くらいの威厳は、日本にあってもまったくおかしくない。それができるだけの技術・資金・人材は、日本には十二分にある。

「権利の上に眠る者は保護しない」・・・これが日本国内、国際司法を問わず法というものが持つ大前提です。

いくら歴史的事実が、竹島=日本固有の領土であると規定していたとしても、領有権を主張し、そこを占領する国があったら、その時点で領土も領海も、奪われる。

勝てば官軍。あの祭りで国際司法裁判所におそまきながら訴えても、すでに判事は韓国人・・・・

日本、これでいいんでしょうか??

「領土」と「資源」 実効支配の有効性


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わたしの竹島ですが、何か?

これも、前に書いていたブログからの転載です。
竹島問題についての動画ですが、竹島問題を、個人主義と共同体主義の対比とともに述べています。
島根県青年会議所作なのですが、非常に示唆にとんだないようなので、こちらにも掲載します^^

わたしの竹島ですが、何か?


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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
静岡県出身。国史啓蒙家。倭塾塾長。日本の心をつたえる会代表。日本史検定講座講師&教務。
連絡先: nezu3344@gmail.com
著書
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』第1巻〜第3巻
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』
日々、先人たちへの感謝の心でブログを書き綴っています。それが自分にできる唯一のお国への、先人たちへの、そしていま自分が生かさせていただいていることへのご恩返しと思うからです。こうしてねずブロを続けることで、自分自身、日々勉強させていただいています。ありがたいことです。

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