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ちょうど、7月が廊坊事件や通州事件などが重なった時期であったこともあって、何日か暗いお話が続きましたので、今日は、お口直しの意味も込めて、百人一首の解説をお届けします。
今回は、66番の前大僧正行尊(さきのだいそうじょうぎょうそん)、67番の周防内侍(すおうのないし)、68番の三条院(さんじょういん)です。
ちなみに、なぜねずブロで百人一首を書くのかといいますと、理由は3つあります。
ひとつには、百人一首の歌が、戦後あまりにも貶められているということへの憤(いきどお)りです。
「あんまりだ」と思うわけです。
これは個人的な怒りというよりも、公憤です。
ふたつめは、保守層の拡大です。
保守派にはさまざまな集会がありますし、どれもたいへん貴重なものですが、集会等に集まるのはいつもだいたい同じ顔ぶれ(ごめんなさい)です。
もちろん集会は大事です。大切な意味があります。
しかし同時に、もっともっと、保守層を拡大していかなければ、日本は変わらないと思うのです。
少数の先鋭化した純粋な護国団は必要です。しかしその周囲に、なんとなく保守、ゆるゆる保守でも構わないから、日本が好きという多くの人たちが集ってくれないと、いまの日本の仕組みでは、日本は変われないのです。
そのためには、花形の政治問題や歴史認識を扱うだけでなく、ちょっと搦め手から、違う層の開拓も必要だと思っています。
みっつめは、日本を取り戻すことです。
西欧文化やChinaの文化、つまりそれらを総称すれば大陸文化といえるのかもしれませんが、それらの根底にあるのは、個人主義思想です。
個人主義は、自分がすべてです。
ですから自分をとりまくすべてとは、常に「対立と闘争」の関係になります。これは国と国の関係においても同じです。ですから対立に打ち勝ち、闘争に勝利するためには、たとえ周囲を騙しててでも、目先の勝利という目的を遂げようとします。
ところが日本は、神話の時代に、そういう対立と闘争、そして勝利し支配し収奪するという文化を「ウシハク文化」とし、そうではなくてみんなが共同してみんなの和を根本としてみんながひとつになる共同体を構築する日本古来の文化を「シラス文化」として、明確に区別しました。
このことは、古事記の大国主神話にちゃんと出てきます。
7世紀の大化の改新も、19世紀の明治維新も、まさにそのシラス国を取り戻すことを目的として行われた大改革でした。
戦後の日本は、GHQの戦時国際法を無視した押しつけ憲法によって、日本人の古代から受け継ぐ日本的精神性を拒否し、西欧的個人主義や、それにもとづく対立と闘争の文化を受け入れてきましたが、そうした文化による社会の歪みが、昨今ますます顕著になっているように思えるわけです。
ですから、シラス国日本を取り戻そうとするなら、19世紀の明治維新を学ぶだけでなく、7世紀の人々の心も、学んで行かなければならないものと思います。
そしてその国風文化の最大の柱となったのが「シラス」という概念であり、その「シラス」を具体的にカタチにしたものが、日本独自に発達した和歌という文学であったわけです。
ですから和歌は、あらゆる日本文化の原点です。
幸い百人一首は、全国の神社などが中心となって、毎年各地で百人一首大会が行われ、教育界でも、思想的左右の別なく百人一首のファンというのは、確実にいます。
そうした人たちが、また、日本を取り戻すうえでの核となってくれれば、まさに望外の喜びと思うのです。