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敷島の大和心を人問わ(は)ば 朝日ににおう (ふ) 山桜花(本居宣長)。日本は天皇を国家最高権威とし、民を「おほみたから」とする「シラス国」です。


桜花と野中五郎大佐

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桜花
桜花


桜花(おうか)というのは、大東亜戦争の末期に実戦に投入されたロケットエンジンを搭載した特攻専用機です。
大東亜戦争の時代に、ロケットエンジン搭載の飛行機があったというのはすごい話ですが、この時代、「桜花」は、まだ自力で離陸することができませんでした。
なので一式陸攻の下に吊るされて敵地まで飛び、上空で親機から切り離されたあと、ロケットを噴射して、一直線に敵艦に向かって突撃したのです。

搭載する爆弾は、1200kg爆弾です。
通常の航空機による特攻の5倍近い威力の爆弾を搭載していました。
そして1040km/hという、音速に近いスピードで、一直線に敵艦に体当たり突撃しました。
成功すれば、その破壊力はすさまじいものです。

ところが桜花の搭載したロケットエンジンは、一瞬で燃料を燃やしつくしてしまいます。
つまり、航続距離がありません。
桜花の航続距離は、わずか37kmです。

30キロというのは、上空と海上とでは、最早目と鼻の先です。
すぐそこに見える距離です。

飛行機に乗って空港に着陸するとき、空港近くまで降りてきた飛行機から、付近にいる漁船などが見えますが、その距離がだいたい30キロです。
そこまで近づいて、切り離されて、まっすぐに敵艦に向かいました。

桜花は、2トンを超える重量があります。
ですから、さしもの一式陸攻も、桜花を懸吊すると「飛ぶのがやっと」という状態になります。
つまり速度が出ず、小回もきかなくなります。

ですから敵の戦闘機に襲われたらひとたまりもありません。
桜花を懸吊した一式陸攻は、戦闘機であるゼロ戦に警護を固めてもらって、敵艦隊に近づきます。

一式陸攻に懸吊された桜花
一式陸攻に懸吊された桜花


この頃の米艦隊は、特攻対策として高射砲の砲弾に「近接信管」を搭載しています。
「近接信管」というのは、砲弾を中心に半径15メートルに電波が発射されていて、その電波が飛行機を察知した瞬間に爆発するというものです。
そして砲弾の中には、無数の鉄片が仕込まれていました。

近接信管を搭載した砲弾が、特攻する桜花の近くで炸裂した瞬間、パイロットは大怪我をし、あるいは即死し、機体は穴だらけになって吹き飛びます。
こうした近接信管を搭載した砲弾を、米艦隊は突入してくる桜花めがけて、一斉に何百発と撃ち込みました。
小回りを利かせ、敵砲弾をかいくぐらなければ、とても敵艦に近づけるようなものではありません。
けれど桜花は、速度が速いかわりに、一直線にしか飛べません。
米軍の間では、桜花は、「BAKA BONG(おバカ爆弾)」とあだ名されたといいます。

私達は航空戦の素人ですが、そんな素人でも、以上の説明を聞けば、桜花の出撃がいかに危険なリスクを負ったものかがわかります。

当時のパイロット達は、航空線のまさにプロフェショナルです。
しかも、航空兵に採用されるような人たちは、とびきり優秀なパイロットたちです。
プロであるがゆえに桜花作戦の危険性、無謀性は、私達より何十倍も承知しています。
それでも彼らは飛び立ちました。

桜花の最初の出撃は、戦局押し迫った昭和20年3月21日のことです。
この5日後には、沖縄戦が開始されています。
まさに米艦隊が、沖縄めがけて続々と押しかけてきていたときです。
日本としては、なんとかして敵の沖縄上陸を阻止し、遅らせ、民間人の避難を促進したいけれど、すでにこの時点で、帝国艦隊は最早壊滅し、空母もなく、沖縄近郊の制海権、制空権は、完全に奪われていました。

飛ばせる飛行機もない。
飛行機を飛ばすためのガソリンも、残り僅かです。
この時期、日本の航空隊は、練習機に摘んだガソリンは、まともな石油ではありません。

ひとことでいえば、いまでいうサラダ油をガソリンの変わりに積んで飛んでいました。
戦後のことですが、米軍が日本陸軍の四式戦闘機「疾風(はやて・ゼロ戦の後継機にあたる)」に、米国製のオクタン科の高いガソリンを入れて飛ばしたところ、当時世界最強といわれたP51ムスタングよりも高い性能を示しています。

特攻する際は、それなりのガソリンを入れたものの、いまで言ったら、ハイオク使用の車に、軽油を入れて飛ばすようなもので、そもそも充分な性能を発揮させることができないという状況でもありました。
けれど、それでもなお、帝国は沖縄を守るために全力を尽くそうとしたのです。

圧倒的な兵力を持った敵に対し、わずかばかりの兵器で戦わざるを得ない。
かくなるうえは、問題点山積みの兵器とはいえ、「桜花」出撃やむなし、と判断せざるを得なかったという事情も背景となっていました。

万にひとつでも、攻撃を成功させれば、あるいは攻撃が成功しなくても、敵は日本本土から飛んでくる特攻隊への防戦に注力せざるを得ない。
そのために敵は、相当数の兵力を防備に割かざるを得ない。

そうなれば、米軍の沖縄上陸は遅れ、遅れた分、沖縄内では米艦隊からの艦砲射撃対策のための掩蔽壕や、民間人避難のための防空壕をほんのわずかでも強化できるし、戦場となりうるエリアから民間人を避難させることもできる。
だから「桜花」は飛び立ちました。

沖縄戦では、多数の民間人が犠牲になられました。
このことがいまだに沖縄に暗い影を落としているといわれています。

けれど、よく考えていただきたいのは、本来、軍が戦闘をするとき、民間人がいては、軍はその機能を存分に発揮することができないということです。
なぜなら、民間人の避難や保護に兵力を割かれるし、けが人が出れば、その救急対策にされに兵力を割かれます。
ただでさえ、少ない兵力、乏しい戦力で戦わなければならない日本軍にとって、戦場に民間人がいたら、正直困ることになります。

ですから、軍は、沖縄戦に先んじて、沖縄の民間人の本土への疎開を遂行しようとします。
しかし、これに反対し、沖縄県民を戦地という危険に晒したのは、ほかならぬ沖縄県知事でした。

このことは、拙稿の≪沖縄の二人の知事・・・泉守紀と島田叡≫に詳しく書いているので、お時間のある方はご覧ください。

ともあれ、沖縄には、まだまだ多数の民間人が残っていたのです。
沖縄県民をひとりでも多く救うためには、本土に残るわずかばかりの兵力をもって、米軍に挑み、米軍の注意を本土側にそらしておく必要があります。
そのために「桜花」は出撃しまています。

それは昭和21年3月21日のことでした。
この日出撃した部隊は、桜花を懸吊した一式陸攻18機と、護衛のためのゼロ戦30機です。

部隊は、敵艦隊のはるか手前で、進撃中に敵艦隊にレーダーで捕捉されました。
そして上空で待ち構えたグラマンF6F戦闘機28機の待ち伏せにあい、迎撃されまています。
一式陸攻を守ろうとゼロ戦部隊が対空戦を挑み、一式陸攻がまる裸状態になったところに、別なグラマン部隊が襲いかかる。
そうして陸攻隊は全機が撃墜され、ゼロ戦隊も、30機中10機が撃墜されました。
無理をして一式陸攻から飛び立った桜花もあったけれど、飛距離が足らず、海中に没しています。

この戦いで後ろを取られ、必死で機体を左右に滑らせて射線をかわしながら、ついに被弾して一瞬で火を噴き爆発、桜花を吊ったまま墜落する一式陸攻の姿を記録したF6Fのガンカメラ映像が残っています。

下に動画を張りますが、翼をもぎ取られ落下する一式陸攻には、一機につき10名の歴戦の搭乗員が乗っていました。
そして全員が還らぬ人となりました。

この特攻について、後世の人たちからは、特攻を意思決定した宇垣纏中将に対し、たくさんの非難が寄せられました。
命を犠牲にして特攻を行うことを前提に出撃した桜花の搭乗員だけでなく、運搬役の一式陸攻まで全機未帰還となっているのですから、責任者の責任を追及する声が上がるのは仕方がないことだと思います。

しかし、上に述べたように、他に沖縄戦を阻止する効果的な方法がない中で、なにがなんでも敵の沖縄上陸を阻止することを至上課題とした当時の状況にあって、他にどういう判断のしようがあったのか。
防備のために同時に出撃した戦闘機ゼロ戦隊にしても、攻撃隊指揮官の野中五郎少佐が、護衛機70機を要求したのに、30機しか付けれなかった、という人もいます。

しかし、実際には、このときゼロ戦は、なけなしの飛行機のなかで、55機が出撃しているのです。
この時点では、整備できている飛行機「ありったけ」の戦力です。
ところがその戦闘機も、途中でエンジン不調となり、25機が途中で引き返しました。
結果、護衛が30機となったのです。

それにしても、この桜花は、その発射訓練からして、たいへんなロケットです。
訓練生は、上空を飛行中の一式陸攻の機体の中から、下に吊るされている桜花に飛んで乗り移ったのです。

飛行中の機体に吊るされた桜花は、それこそ上下左右に激しく揺れ動いています。
その揺れ動く小さな桜花の小さな狭いコクピットに、パイロットは上から飛び乗るのです。
上空何千メートルという航空です。
そこに、パラシュートも付けずに、飛び降りる。
一歩間違えば、そのまま転落します。
転落すれば死あるのみです。

ようやく桜花に乗り込むと、一式陸攻は、桜花を機体から切り離します。
切り離された桜花は、その瞬間、数十メートル、猛烈なスピードで落下する。

落下しながら、桜花はエンジンに点火します。
それは恐怖の瞬間です。
この時点で意識を失ったら、それも即、死亡を意味します。

そしてまっすぐに目標に向かって飛ぶ。
訓練では、桜花は、地上に着陸します。
しかし、翼の小さな桜花は、低速で着陸しません。
猛スピードで、地面に激突するようにして着陸する。

この着陸訓練で、桜花の搭乗員は、何人も命を落としています。
その過激な訓練を経由して、生き残った最強の兵士だけが、死ぬことを目的とした特攻作戦に参加しました。
彼らはそこまでして、私達の国を守るために、沖縄を守るために出撃し、散って行かれました。

そのことの意味を、私たちはもういちどよく噛みしめてみる必要があるのではないかと思います。

繰り返します。

上空で、一式陸攻にぶら下がっている桜花に飛び移る。
それがどんなに危険なことか、考えなくたってわかろうと思います。

出撃しても、敵艦隊に30キロまで近づくことが、何を意味するか。
そこまで近づく前に、桜花は一式陸攻ごと撃墜されることが、彼らプロには痛いほどわかっていたことと思います。
その一式陸攻には、一機につき10名の搭乗員が乗っています。
撃墜されれば、桜花の特攻が不首尾に終わるだけでなく、乗組員全員が死ぬことになるのです。

このことについて、戦後、指揮官がバカだったとか、日本軍は人の命を粗末にしたとか、いろいろ書いている人がいます。
戦争が終わり、自分は安全なところにいて、現に不首尾に終わった作戦には、好きなことが言えます。
ののしりたいなら、ののしれば良い。

しかし、これだけは言いたいのです。
彼ら搭乗員たちは、指揮官も含めて、誰より命を大切にする人たちでした。
そして桜花の出撃が、どれだけ危険なことかを、プロである彼らは、後世に安全なところにいて、いろいろごちゃごちゃ批判している誰よりも、その危険をよく知っていた男たちでもありました。
それでも彼らは出撃しました。
無理とわかっていても出撃しました。

何のために?
沖縄を守るためにです。
祖国の大地を敵に踏ませないためです。
それは、かげがえのない思いやりの心です。

このときの作戦で攻撃隊指揮官となった野中五郎少佐は、「激戦の中で、部下を死なせない」ことを誇りとした指揮官です。
けれど、彼はひとりだけ部下を失ったことがありました。

夜間攻撃で、敵の船に魚雷を撃ち込むために海面すれすれに飛行したところ、いきなり横から割りこんできた敵の別の船にあやうく衝突しそうになったのです。
彼は、急上昇してこれを避けようとしました。
けれど、そのとき一式陸攻の尾翼が海面を叩き、後部銃座にいた部下がその衝撃で吹っ飛んでしまったのです。

数多くの航空線を戦いぬいた野中少佐の、それが唯一の部下の損失でした。
彼はそのことにずっと悩み、二度と部下を、絶対に死なせないと誓っていました。
彼は最後の突撃で、自らの命を失う日まで、その一時以外、いっさい部下を失うことはありませんでした。

その彼が、最後の出撃のとき「湊川(みなとがわ)ですな」という言葉を残しました。
「湊川の戦い」というのは、建武3(1336)年の足利尊氏と楠木正成の戦いです。
いったん九州に疎開した足利尊氏が、3万5千の大軍を率いてやってくる。
迎え討つ楠木正成は、わずか7百の手勢です。

勝てる見込みはありません。
楠木正成は、このとき「正成存命無益なり、最前に命を落すべし」と語り、5月25日、湊川で両軍は激突し、多勢に無勢ななか、六時間におよぶ激しい戦いの後、正成軍はわずか73人になってしまいました。
最期をさとった正成は、生き残った部下とともに民家に入り、七生報国を誓って全員自刃しています。

湊川の戦いの詳しいお話は↓コチラ
楠木正成と七生報国

野中大佐が「湊川」に例えたということは、彼がこのときの出撃がどういうものであるかを充分に悟っていたということです。

野中五郎大佐
野中五郎大佐


野中五郎少佐は、明治43年、東京・四谷のお生まれです。
子供の頃から明るく、周囲を笑いの渦に巻き込む天賦の才があったそうです。
学生時代は、クラシック音楽が好きで、レコード屋に入り浸ってレコードを買い求める音楽青年でもありました。

大東亜戦争の開戦と同時に、当時大尉だった野中は、一式陸攻の分隊長として、フィリピン、ケンダリー、アンボン、ラバウル、ソロモンと転戦しました。
そして、巡洋艦、輸送船合わせて四隻を撃沈しています。

ラバウル時代には、草鹿任一第十一航空艦隊司令長官から武勲抜群として軍刀を授与されてもいます。

昭和18年11月のギルバート戦では、彼が発案した「車がかり竜巻戦法」で、米軍を悩ませもしました。
これは、薄暮、単縦陣で海面すれすれに飛行し、敵艦船を遠巻きにして、その周りを回り、最後尾の機に先頭の隊長機が迫って輪のようになる。
そして照明弾を落とすと、敵が光にさらされて姿を現す。
そこを全機で魚雷攻撃するというもので、多数の米艦船がこの攻撃で沈みました。

野中五郎大佐の趣味は茶道でした。
南方では出撃前にも翼の影で野点に心を鎮めていた方でした。

彼は新任の部下に、
「若え身空で遠路はるばるご苦労さんざんすねぇ。
しっかりやんな。お茶でも入れようか」と声をかけ、面くらわせたりもしています。

言葉づかいはべらんめい調だけれど、飄々とした味があり、とにかく部下思いの優しさから多くの部下たちに慕われ、彼の部隊は、いつしか「野中一家」と呼ばれるようになったそうです。

茶をたてる野中少佐
茶をたてる野中少佐


その「野中一家」に、桜花部隊が配属されたのです。
「死ぬ」とわかっている部隊です。
下士官たちはくたびれ、若い兵士たちの気持も沈んでいる。

野中隊長は、そんな彼らを見渡し、朝礼台で挨拶しています。

~~~~~~~~~~~~
どいつもこいつも不適な面魂をしている。
誠に頼もしいかぎりである。
この飛行隊は日本一の飛行隊である事は間違いねぇ。
何となれば隊長が日本一の飛行隊長だからであ~る。
かく言う俺は何を隠そう、海内無双の弓取り、海軍少佐中野五郎であーる。
かえりみれば一空開隊当初より、大小合戦合わせて二百五十余たび。
いまだかって敵に後ろを見せたことはねぇ!
~~~~~~~~~~~~~

講談調でたたみかけるように話す野中体調に、いつしか兵たちは ニヤリと笑い、表情に力強さが戻ったそうです。
この様子を見ていた人の談によると、野中五郎少佐の訓示は、なにやら勇者の魂が乗り移っていくような不思議な魔力があったといいます。

昭和19(1944)年10月、「桜花」による特攻部隊、第721航空隊(通称:神雷部隊)が編成されたとき、野中少佐は、「桜花」を搭載して出撃地点まで運ぶ陸攻隊の指揮官に任じられました。

野中はその豊富な戦歴から「桜花」の運用の難しさを即座に見破ります。
そして、
「この槍使い難し」
「日本一上手い自分が攻撃をかけても必ず全滅する」と予想しました。

さらには、たとえ国賊と罵られても桜花作戦を止めさせようと、再三にわたり上官に進言を繰り返してもいます。
そしてもし、桜花を抱いて出撃することになったなら、本来なら一式陸攻は「桜花」を切り離したら帰還すれば良いのだけれど、
「部下たちだけを突入させて帰って来られるか、自分も体当たりする」と公言していました。

昭和20年1月、神雷部隊は鹿児島県鹿屋基地に進出します。
野中はこのとき、大事にしていた茶道具を、すべて家に送り返しました。
もはや、生きて還ろうとは考えていなかったのです。

桜花の出撃のためには、大多数の戦闘機による一式陸攻の護衛が必要です。
鹿屋基地には、3月18日の時点で、国内全基地から集められたゼロ戦や紫電改など戦闘機百数十機が待機しました。

しかし、そこに米軍の大空襲が行われる。
3月20日、同僚の林大尉に、野中は語ります。

~~~~~~~~~~~~~
戦闘機も、もうろくすっぽねえってーのに、司令の野郎(桜花攻撃を)引き受けてきやがって。
あのおっちょこちょいめ、どうしようもねえよ。
今回おれは腕っこきをよりすぐって行くよ。
それで成功すればしめたものだが、まず成功しないよ。
命にかけても(司令は)駄目だとがんばるべきだったが、引き受けてしまったからには仕方がない。
(作戦は)必ず失敗するだろう。
その結果を見て林君、特攻なんてこんなもん、ぶっつぶしてくれよ。頼んだぜ。
~~~~~~~~~~~~~

3月21日の朝、偵察機が都井岬の南東320浬付近で空母二隻を中心とする機動部隊を発見しました。
桜花を搭載した一式陸攻が出撃態勢に入ります。
岡村司令も、この作戦が万に一つも望みのない作戦だと知っています。
司令は、危険な任務には指揮官が先頭に立つという日本海軍の伝統に従い、自分が陸攻に乗って直接指揮すると、主張します。

このとき野中は「司令が出るのはおかしい、海軍の規制どおり飛行隊長の自分が指揮をとる」と主張し、二人は大声で激しい言葉で応酬しています。
そして野中大佐は言いました。「司令、そんなに私が信用できませんか」

そのひとことで、野中大佐は押し切り、部隊の指揮を執りました。
同日午前、第一桜花攻撃命令が発せられます。

一式陸攻18機が 鹿屋基地に並びました。
搭載する桜花は、編隊の都合で15機。
護衛戦闘機は72機の予定が、空襲で破壊されて、55機に減っています。
野中は岡村司令以下、整列した幹部と別盃を交わしたあと、改めて岡村と惜別の挙手の礼をし、指揮官機のほうに向かいました。

このときの様子を、当事七二一空の整備分隊長であった高科伸一氏が、次のように伝えています。
~~~~~~~~~~~~~
野中隊長は、二、三歩進まれたところで、ひょいと振りかえられました。
私と目が合い、そのとき私には、隊長の眼がかすかに笑ったように感じられました。
野中隊長は、おう、貴様も見送ってくれているのか、あとを頼むぞという感じで、左手に軍刀をぶら下げ、淡々とした足取りでした。
そして野中隊長は、軽く首肯して再び歩き出された。
~~~~~~~~~~~~~~

野中大佐は、高科らが格納庫で機体を整備中に二回訪れて「ご苦労さん」と、ねぎらってもいるそうです。
多忙ななか、機体整備という、陰の作業に気配りを示す野中に、整備員たちは感激したという。
そのときの野中大佐の笑顔が思い出され、高科さんはこみあげてくるものを抑えることができませんでした。

野中大佐は出撃隊員の正面に立ち、大音声で訓示します。
~~~~~~~~~~~~~
ただいまか ら敵機動部隊攻撃に向かう。
まっすぐに猛撃を加えよ。
空戦になったら片っ端からたたき落とせ。
戦わんかな、最後の血の一滴 まで。
太平洋を血の海たらしめよ!
~~~~~~~~~~~~~

次いで桜花隊の三橋分隊長が部下に訓示しています。
「いまさら言うこともない。 みんな一緒に行こう」

21日、午前11時35分、部隊は鹿屋を発進しました。
空母群から60海里の上空で、部隊は、グラマンF6F戦闘機群の襲撃に遭います。
重い荷物を抱え、スピードの遅い一式陸攻は残らず撃墜されてしまう。
敵戦闘機からやっと 逃れて帰投した直掩機が、味方は十数分で全滅したと桜花特攻の最期を報告しています。

未帰還者は野中隊長をはじめ総勢160名。
34歳の野中大佐は、妻と二人の幼児を残したままの死でした。

以下は、野中五郎少佐(没後二階級特進して大佐)が、亡くなる前に愛児に宛てて書いた手紙です。

~~~~~~~~~~~
ぼー まいにち おとなちく ちてるか
おばあちゃまや おじちゃまが
いらっちゃるから うれちいだろう

おたんじょうび みんなに かわいがられて
よかったね おめでとう おめでとう

おとうちゃまは まいにち あぶーにのって
はたらいている

ぼーが おとなちくして みんなに 
かわいがられているときいて うれちい

もうちょろちょろ あるかなければいけない
はやくあるきなちゃい

おかうちゃまの いうことをよくきいて 
うんと えいようをとって ぢょうぶな よいこどもに
ならなくてはいけない

ちゅき きらいのないように なんでも 
おいちいおいちいってたべなちゃい

でわ さようなら 

おとうちゃまより
ぼーへ
~~~~~~~~~~~~~

私は「日本軍は沖縄を見殺しにした」などと言っている人に言いたいのです。
「あなたは、失敗する、死ぬとわかっていても、それでもなお、沖縄を救うために出撃した野中五郎大佐以下160名の前で、その言葉を言えますか」と。

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桜花を搭載した一式陸上攻撃機 カラー映像
被弾して墜落するのが野中隊長機


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コメント
No title
今も昔もこの国は「バカばっか」 だねぇ。
2015/11/20(金) 02:29 | URL | #-[ 編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2015/02/19(木) 11:47 | | #[ 編集]
野中少佐から学ぶべきこと
決して、今の価値観で、過去の出来事を計るべきものではないだろう。

実際は、過去の不便な時代には戻りたくないと誰しも思うことだからだ。

誰でも、自分がかわいいし、自分だけは、損したくないとおもっているのではないだろうか?

そんな私であったのに、しかし・・・どうして、この神雷部隊の映像をみる毎に、涙が出てくるのか?

「敵が出てきたら、遠慮はいらいねぇから全部たたき落とせ!戦場は、快晴だ!」とも言われた野中少佐だって、人間だ。

やはり、死への恐怖心がないわけではないだろう。

ややもすれば、本当は、自分も、弱音を吐いて、「死にたくない」とわめき散らすかもしれないほどの絶望感にあったかもしれない。

ましてや、自分より若い兵士が置かれている状況に関心がない隊長ではないと推察されます。

そのような底根に対して、野中少佐は、若い兵士一人ひとりを大事に、そして、たくましく逝くことを、身をもって、示された我が大日本帝国海軍の軍人として、大人として、為されたのだとも思えます。

今の日本国と日本国民(政治家、警察、公務員含)は、政治方面をはじめ、各分野に渡って、嘘偽りを堂々と人前でベラベラと語り、世界の笑われ者に自らが率先しているような政策、外交等々をしているように感じています。

だから、この野中少佐の示された最後の出撃における日本男児の生き様が、少なくとも、この日本社会に罹る病を根絶する唯一の薬になると信じているもう一人の自分の声ない声が、涙を流しているじゃないかと分析しました。

大東亜戦争をはじめ、この我が日本国とその国民を護るべく散華された先人の赤誠をしっかり胸に秘めて、日本の為すべき責務を国内に国外へと実践していってほしいと願う気持ちが、この神雷部隊の映像には秘められてると思います。

今の日本人と昔の日本人の違いは、死ぬか生きるかの覚悟の違い。

しかも、その覚悟も、半端ではない。
2012/06/30(土) 12:16 | URL | woodman #-[ 編集]
野中五郎少佐について
陣羽織を羽織って一式陸攻隊を指揮した野中少尉に興味がありましたが、なかなか資料が見つかりませんでしたので楽しく拝読しました。一度、映画の主人公として取り上げてほしい人物です。隊長としては有能な人物ですが個性が強いので上層部に煙たがられ出撃させられたのでは?
現在、学校に勤めていますが、予算も人員も増やさず、指示だけ現場に伝えてくるだけで個性の強い者を嫌う県教委や文化省・・・・・国中、焼け野原になったにも係わらず本質は何も変わっていない日本には脱力感を感じます。
2011/12/04(日) 11:56 | URL | o-kupyon #hwPdZVhU[ 編集]
No title
現場の声に耳を貸さない
お役所仕事は
今も昔もかわりゃしねえって

野中さん。

笑ってませんか?

2011/04/13(水) 02:00 | URL | 12-23 #v0bujNaM[ 編集]
最期のワルツ
野中大佐が東京の自宅に妻子を残し、出撃の為に出発する朝、珍しく雪が降ったそうです。そして薄く雪の積もった庭に足跡をつけて奥様とワルツを踊ったそうです。部隊では、べらんめい調の言葉も家庭では決して使わず、とても優しい夫、父親だったとか。
まるで映画のような美しい生き方であり、最期です。
私たち日本人は、野中大佐を初めとする美しく雄々しい先人の魂を後世に伝えていく義務があります。
2011/02/03(木) 20:15 | URL | ヨシ #-[ 編集]
深謝


決して忘れません。
2010/10/01(金) 15:07 | URL | お染 #nVifU0Dk[ 編集]
桜花
桜花は日本初のジェット機で、終戦間際に完成したので戦争に間に合わなかった。
もっと早く完成していたらば戦局は変わっていたかもしれない・・・・・・って勝手に思っていた48年でした。
それが全然違って、こんな逸話があったとは・・・・・・・
野中少佐及び戦闘に赴かれた諸先輩の事を思うと、不埒な私ですが涙が溢れました。
沖縄は決して見捨てられたのではなく、全力で護りに向かったってのは嘘偽りがないと改めて知りました。

戦争反対は当たり前。
しかし、万が一戦争になってしまった時には、国と家族を精一杯護ろうと思います。

有り難うございました。

TBさせて頂きます。
2010/09/27(月) 21:07 | URL | 南風海治郎 #6sb.ALR.[ 編集]
野中少佐の補足
ねずきち様、

いつも拝読しています。

野中少佐の顔写真、なんとも言えずカッコいいですね。
修羅場をくぐってきた人の顔は、面構えからして一般人と違い「只者」ではない顔つきになるのですね。
この野中少佐については、以前「戦場の名言(草思社)」で読みました。たった2ページ半の説明でしたが、人間対艦ミサイル「桜花」の突入と少佐の「この槍、使いがたし」についての描写も載っていました。

また同書のエピソードによれば、野中少佐は当時の海軍内でも既に伝説的な人物だったらしく、

-少佐の指揮する部隊第721飛行隊、通称神雷部隊は「貴様と俺とは同期の桜~」の軍歌「同期の桜」が歌われ始めた部隊ではないかといわれ、桜花の特攻よりもそれで有名になったり、

-部隊の看板は「野中一家屯所」。その指揮所には「南無八幡大菩薩」の幟と、楠木正成の「非理法権天」の幟。

-部隊内に(何故か)「陣太鼓」があり、何かあるとよく打ち鳴らす。

-更に部隊内では、野中隊長は「親分」、航空攻撃は「殴りこみ」、
少佐の自己紹介は「野中というケチな野郎でござんす。以後お見知りおきを」
とまるで昔の任侠映画のような、
厳格な帝国海軍内では考えられないブッ飛んだ会話。

-父親は厳格な陸軍少将、兄は真面目な青年将校で、国益よりも自分たちの利益第一で腐敗していた(今のような)当時の政財界を正すために決起した226事件の首謀者の一人で、自決した野中四郎大尉。

-その弟だった少佐は出世が止まるも、本人は気にせず、
少佐の部隊を訪れてその自由奔放ぶりに
「これは何だ!」怒りだした人間に対して
「手前、出世しないことでは有名で。」
と任侠映画のノリで平然と言い放ち、相手も
「ああ、お前か、海軍一出世の遅い男は。」と納得。

-部下思いで(指揮官としての)腕が確かで、
出世放棄なら怖いものはないので、やりたい放題。

と全体では悲しい話であっても、笑わずにはおえない痛快な大物だったようです。



沖縄を捨石にした等の主張をする人については

>>「日本軍は沖縄を見殺しにした」などと言っている人に言いたいのです。

>>あなたは、失敗する、死ぬとわかっていても、それでもなお、沖縄を救うために出撃した野中五郎大佐以下160名の前で、その言葉を言えますか、と。

私も大賛成です。

私も沖縄を捨石にしたと主張をする人に是否以下のことを聞きてみたいです。

沖縄が本土防衛の時間稼ぎのための捨石なら、

-4000人以上の特攻隊員(大半は20歳前後の未来ある若者達)の内3000人以上が何故、沖縄戦で戦死しなければならなかったのか?

-本当は特攻をしなくてもよいのに関東軍から台湾に移動中に沖縄に給油のために立ち寄っただけなのに、「敵艦船への特攻をしてもらえないか。」と沖縄防衛第32軍の航空参謀に頼まれて「こんど生まれ変わったら、たとえ蛆虫になろうとも、国を愛する忠誠心だけは失わないようにしよう。」という名言を残した21歳の廣森達郎陸軍中尉は何故、即座に「やりましょう。」と承諾し、8人の部下と共に特攻をしたのか?

-戦艦大和を含めた6000人もの人間が何故、水上特攻(菊水作戦)をしなければならなかったのか?

-沖縄防衛第32軍所属の第24師団は北海道旭川の第7師団から分派し編成された北海道出身の兵隊が中心でした。私は昨年、沖縄の那覇市小禄にあるあの「沖縄県民斯ク戦ヘリ」で有名な太田実海軍少将が自決された海軍壕に見学で言ったことがありますが、そこで案内・解説の御老人から当時沖縄には北海道・東北の兵隊さんが沢山来ていたと直接伺いました。
捨石なら何故、沖縄の暑さに慣れていない北国出身の北海道・東北の兵隊がわざわざ沖縄防衛に来てその大半が何万人も戦死しなければならなかったのか?

-最後に、戦後の沖縄に駐留する最近改変された陸自第13旅団所属の不発弾処理隊は過去50年に渡って県民の安全のため日本で最も不発弾を処理しています(世界でも一部隊が処理した不発弾数では最多。そして、他国では不発弾処理隊は殉職者を出していますが日本の不発弾処理隊まだ殉職者を出していません。)。そして、第13旅団所属の飛行隊(以前は第101飛行隊と呼ばれていましたが第13旅団への改変に伴い第13飛行隊と呼ばれています。)は、沖縄県の他の離島で救急患者がでた時に大病院のある他の島へヘリコプタ-・プロペラ機を使った「緊急患者輸送」をしており、年間250回の出動(3日に2回)だそうです。ただ、24時間体制で危険な夜間も飛ぶため最近でも墜落事故で多くの隊員が殉職しています。
そして、出動回数は通算1万回を超え(ということは、それで助かった1万人近くの沖縄県民を救っている)、世界の軍隊・警察・消防の航空レスキュー部隊の中で最多の出動回数を誇っています。

これらの事実をどう思うのでしょうか?
是否、納得のいく答えを聞きたいものです。

ところで、この桜花についてはその突入を再現した松本零士氏のアニメ「音速雷撃隊」が有ります。次々に餌食にされる一式陸攻、護衛の零戦・紫電改と米軍グラマン艦上戦闘機との空戦等のこの記事に書いてある様子がそのまま描いてあります。
http://www.youtube.com/watch?v=wYL0QKVe348
2010/09/27(月) 03:08 | URL | tiamat #-[ 編集]
国軍と核装備
 今回の尖閣事件で日本国民は自国国土(島嶼を含む)を護るためには強力な軍備が必要と観じたと想う。その為にはまず自衛隊をいつでも戦える国軍に変えなければならぬ。次に核武装をするのである。
核を秘密裏に創ればよい。もし実験が必要ならばインドか米国の場を借りたらよい。完成したところで世界に 発表し敵国に抑止力を感じさせればよい。まあ、売国奴政権から保守が政権を奪還しなければ叶わぬことであるが。世界より絶対に核はゼロとはならぬ。また現保有国だけが核を もち他国は持ってはならぬという論理は理不尽である。
現保有国が核をつくるとき、他国に許可を得て創った国は一つとない。この人間の世界、どんな倫理、宗教、 哲学等があっても外交、争い、戦争等の揉め事には強いものが勝つのである。優勝劣敗は人間の世界でも真理である。  
2010/09/27(月) 00:19 | URL | revsumaro #-[ 編集]
No title
近いうちに靖国神社に参拝する予定です。なぜだかよくわかりませんが、靖国神社を何度訪れても涙が出そうになります。日本民族のDNAがそのようにさせているのでしょうか。前回参拝したときは昇殿参拝をしなかったので今回は必ず昇殿参拝をします。前回参拝時に昇殿参拝を怠ったので今回の昇殿参拝時は必ず1万円以上のお玉串をしないと気が済みません。英霊の苦労を思えばたかが数万円の出費などどうってことはありません。
2010/09/25(土) 05:00 | URL | 楠公忠烈 #-[ 編集]
時空を超えて
昭和5年生まれの私の父は少年工として徴用され、桜花の製造工場で働いていました。
物資が極度に不足し主翼部分に木材をも使用、当時15~16歳だった父にも戦況はすぐに察知できたようです。
食糧事情も悪化、腹をすかせた少年達はトカゲや野草を採取し(内緒で)夜中に茹でて食べたりしました。
軍需工場への空襲で命を落とした少年工も大勢います。
しかし…
そこまで追い詰められても日本人は戦ったのです。
まさに総力戦でした。
現代に生きる我々はただ合掌するのみです。
2010/09/25(土) 03:28 | URL | M.I #.HB74SU6[ 編集]
救国軍事クーデター希望
自衛戦争であった大東亜戦争と我が国の戦争参加者を否定する事は、我が国の国家、国防を否定する事に繋がっているので、この点を改めなくては、何時まで経っても満足な自衛も出来ず、独立国家としてもやって行けなくなるので、政府は一刻も早く改革を進めて頂きたいが、それは到底無理なので、自衛隊と警察は軍事クーデターを起こして、救国軍事政権を打ち建てて大和民族を救って頂きたいと思う次第。
2010/09/24(金) 23:57 | URL | 支那殲滅 #Iaot57Qk[ 編集]
追伸です
動画のこと、「神雷部隊始末記」という本のカラー口絵に出ていました。
今拝見してみまして、涙を禁じえませんでした。
どんな思いで散ってゆかれたのでしょう。
その思いを無駄にしてはなりません。
2010/09/24(金) 22:52 | URL | 見張り員 #-[ 編集]
◆声明文「尖閣諸島領海侵犯事件の中国人船長の釈放方針に抗議する」
◆声明文「尖閣諸島領海侵犯事件の中国人船長の釈放方針に抗議する」

尖閣諸島は歴史的にわが国固有の領土だ。
領海侵犯という主権侵害行為に対して、独立国家
としての対応を放棄した今回の決定を、我々は
断固糾弾する。
たちあがれ日本
 代表 平沼赳夫
http://www.youtube.com/watch?v=lPzoEVvweR0
(動画)
【動画ニュース掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj6.cgi
【動画ニュース最新版タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。
2010/09/24(金) 22:52 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
昨日も
月一回の靖国神社参拝してまいりました。
「桜花」の模型や、神雷部隊のジオラマを拝見してきました。
淡々と戦場に赴いた皆さんを想う時、今を安穏と生きている自分が恥ずかしい気がします。
ちょっとの不満など口に出すまい、と思いました。
ご英霊に恥じない生き方をしたいと思いました。
2010/09/24(金) 22:45 | URL | 見張り員 #-[ 編集]
ねずきち様、アンケートです。お願いします。
ロイターの船長釈放を支持するか否かのアンケート
http://special.reuters.co.jp/contents/japanchina.html?rpc=122
2010/09/24(金) 22:43 | URL | #l/xeLTcU[ 編集]
沖縄海軍斯ク戰ヘリ
■沖縄海域における帝国海軍部隊の戦果
[昭和20年☆米軍資料と照合するもの]

●1月3~13日の間、潜水艦ソードフィッシュ:機雷により喪失。慶良間列島近海。

●3月26日、駆逐艦ハリガン:機雷又は、甲標的丙型64號の魚雷により大破喪失。162名戦死。慶良間列島近海。

●3月27日、艦隊用掃海艇スカイラーク:機雷又は、第27魚雷艇隊の攻撃により沈没。残波岬北方。

●4月4日、LCI-42砲艇:第22震洋隊の体当たりにより沈没。中城湾。

●5月18日、駆逐艦ロングショー、油船[約200t]、曳船:沖根部隊の砲撃により大破処分。小禄西方沖2km。

☆これらの戦果は、大和や櫻花の特攻隊と比較して決して見劣りするものではなく、
むしろ敵の包囲下に連日の砲爆撃を受けながら、
よくぞこれだけの戦果を挙げたものだと感心するものです。
2010/09/24(金) 21:55 | URL | 愛国志民 #-[ 編集]
抗議メール
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100924/stt1009241809006-n1.htm
【中国人船長釈放】民主有志の松原、金子各氏らが抗議声明 「法秩序を蹂躙。釈放の撤回を」

さきほどmy日本で情報を拾いました。
http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-142.html
水間さんが活躍されているようです。
2010/09/24(金) 20:33 | URL | 楽仙堂 #LkZag.iM[ 編集]
No title
いつもありがとうございます。

それにしても野中五郎大佐の写真が凄いですね。
生き方が顔を作ると言われていますが、野中五郎大佐の顔は、静けさの中に、只ならぬ威厳と尋常ならざる熱意を秘めている迫力があります。
尊敬します。
2010/09/24(金) 19:15 | URL | #-[ 編集]
No title
保守は宣伝が下手
「尖閣には石油がありこれを産出すれば消費税上げずに
子供手当も満額支給・年金も2倍」と宣伝すれば
愚民はすぐ乗ってくると思うのですが?
「そのために軍備を整え核開発」
ミンスに票いれる程度の知識しかもたない愚民であれば
利で釣るしかないと思うのですが?
2010/09/24(金) 18:19 | URL | あいべり #-[ 編集]
No title
それほどにして守ろうとした沖縄

那覇地裁が船長を釈放!?

理由、日中関係に配慮して??

意味が解りません、
民主党政府の恫喝でも有ったのでしょうか?
とにかく、司法は政治に屈しました。

那覇地裁の管轄区域内は中国人の犯罪は罪にならないようです。
日中関係に配慮しますので。
沖縄にお出かけの皆さま
中国人観光客には極力近づかないように、
触らぬ神に祟り無しでございます。
2010/09/24(金) 17:48 | URL | #-[ 編集]
No title
日本人の現代の下手な優しさは世界を破壊します。
日本はもう極右軍事政権でいいです。
戦前のような民主主義も要りません。
2010/09/24(金) 17:28 | URL | jp #-[ 編集]
No title
ねずきち様 このブログで「日本人」であることを誇りに思えるようになりました。

「反ネトウヨさん」のコメントですが???意味がわかりません。負けてしまいましたが、勇敢に戦ったご先祖様達のお陰で日本があるのです。何もしないでただ見てるだけだったら、地図上に「JAPAN」があったでしょうか? おそらく全員殺されてるか、よくて奴隷だったでしょう。
「感謝」を忘れたら日本人ではありません。
「ネトウヨ」=「ネット右翼」という言葉は民潭が日本人を陥れるために言い出した言葉なので、その言葉を見るとぞっとします。
2010/09/24(金) 16:44 | URL | 半世紀 #-[ 編集]
No title
反ネトウヨさん、貴方は日本が戦争を起した日本が悪いと
仰りたいのでしょうか。確かに真珠湾への攻撃をして大東亜戦争(アメリカでは太平洋戦争と呼称しますよね)を起したのは事実でしょう。
しかし其の前にアメリカが何年も前から援蒋ルートを通じて本来は中立を保たねばならないのに中国へ兵器、物資の支援を行っていた事。

ABCD包囲網を作り日本が経済的に立ち行かなくなるように仕向けたのは宣戦布告の無い戦争を仕掛けられたとは思いませんか。?当時の中国(中華民国政府)も事あるごとに挑発を行ってきた事実はどう説明なさるのですか。?今の中国も全く同じじゃありませんか。?
まさか反ネトウヨさんは日本が中華人民共和国日本省になれば良いとおもってらっしゃるのでしょうか。?

戦争は片っ方だけが悪いと言う考えは私は色々調べるうちに戦勝国側の歴史捏造だという結論を持つようになりました。憲法九条を日本が守ったとて日本を攻撃しようと画策し準備してる国には通用しません。
相手をかえって喜ばせるだけです。貴方は平和で宜しいですこと。
2010/09/24(金) 16:20 | URL | 一有権者 #-[ 編集]
No title
はなから日本が戦争を起こさなければ
野中五郎大佐以下160名はもとより
多くの人命が助かりました。
2010/09/24(金) 15:25 | URL | 反ネトウヨ #Hyf0ngDc[ 編集]
もう一度、大和魂。
何故だろう、ねずきちさんの文章はやたら長く、最後まで読む気しないのに、コレだと思う記事は最後まで読み、知人にメールまでしている。
この記事も『いのち』が吹き込んである。保守は、不惜身命の心で特攻せねばならない。日本が丸ごと無くなろうとしている。
もう一度、大和魂を!!
もう一度、神風を!!
2010/09/24(金) 15:23 | URL | 憂国激誠 #djblponI[ 編集]
沖縄県民の心
沖縄を守るために多くの若者が尊い命を捧げました。当時の沖縄県民も一緒になって戦ったのです。太田中将は沖縄県民の奮戦に対して「沖縄県民斯く戦へり」の電報を海軍次官に打っています。

「沖縄県民の実情に関しては県知事より報告せらるべきも 県には既に通信力なく 三二軍司令部又通信の余力なしと認めらるるに付 本職県知事の依頼を受けたるに非ざれども 現状を看過するに忍びず 之に代って緊急御通知申上ぐ

沖縄島に敵攻略を開始以来 陸海軍方面 防衛戦闘に専念し 県民に関しては殆ど顧みるに暇なかりき 然れども本職の知れる範囲に於いては 県民は青壮年の全部を防衛召集に捧げ 残る老幼婦女子のみが相継ぐ砲爆撃に家屋と財産の全部を焼却せられ 僅かに身を以て軍の作戦に差支えなき小防空壕に避難 尚 砲爆撃下○○○(文字不明)風雨に曝されつつ 乏しき生活に甘んじありたり 而も若き婦人は率先軍に身を捧げ 看護婦烹炊婦はもとより 砲弾運び 挺身斬込隊すら申し出るものあり

所詮敵来たりなば老人子供は殺されべく 婦女子は後方に運び去られて毒牙に供せらるべしとて 親子生別れ 娘を軍衛門に捨つる親あり

看護婦に至りては軍移動に際し 衛生兵既に出発し身寄りなき重症者を助けて○○(文字不明) 真面目にして一時の感情に駆られたるものとは思われず

更に軍に於いて作戦の大転換あるや 自給自足 夜の中に遥に遠隔地方の住民地区を指定せられ輸送力皆無の者 黙々として雨中を移動するあり

之を要するに陸海軍沖縄に進駐以来 終始一貫 勤労奉仕 物資節約を強要せられつつ(一部の兎角の悪評なきにしもあらざるも)只管(ひたすら)日本人としての御奉公の誇りを胸に抱きつつ 遂に○○○○(文字不明)与え○(文字不明)ことなくして本戦闘の末期と沖縄島は実情形○○○○○○(文字不明)

一木一草焦土と化せん 糧食六月一杯を支ふるのみなりと謂う 

沖縄県民斯く戦へり 県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」
(ひらがなは原文カタカナ)

この後に太田中将は自決しました。

下記の文章は当時沖縄県立第二高女四年 大嶺美枝さん(17歳)のものです(沖縄高嶺村にて戦死)

お母様
いよいよ私達女性も、学徒看護隊として出動出来ますことを、心から喜んでおります。お母様も喜んで下さい。お母様は女の子を手放して、御心配なさることでせうけど、決して御心配はなさいますな。

散る時には立派な桜花となって散っていきます。その時は、家の子は「偉かった」とほめて下さいね。

お母様、空襲時はよく御用心下さいね。そして善ちゃんと弘ちゃんを良く守って下さいませ。決して私の御心配はなさいませんようにして下さい。

ネルはお母様のものか、善ちゃんのものを作って着せて下さい。波の上宮のお守りを入れて置きますから、善ちゃんの出動の際には、お母様の髪の毛と共に、弘ちゃんにお守り袋を作って貰って、善ちゃんにやって下さい。

なるべく自分でやる心算でしたけど、到底忙しくてできませんから、弘ちゃんに作ってもらひます。

お母様、今まで口ごたえばかりして来てすみませんでした。これからは、きっと立派な一人前の看護婦になって、お國の為にはたらきます。

お母様、御身体を無理なさらぬように、又善ちゃん弘ちゃんを怒らずに、朗らかに暮らして下さい。大島兵曹、信一兄さんによろしくおっしゃって下さいませ。

最後に一家の御健康をお祈りいたします。

沖縄の皆さんは何故自分たちの祖先を冒涜するのでしょうか。



2010/09/24(金) 14:44 | URL | にっぽんじん #-[ 編集]
目頭が熱くなります。。。
http://www.youtube.com/watch?v=zpATGf-1tA0&sns
2010/09/24(金) 12:52 | URL | 野中少尉 #-[ 編集]
今年も暑い夏でした。
水難事故のニュースを聞かない夏はありませんが、それとあわせて必ず報道される二次災害。
あんな流れなかを助けに行くなんて無茶だ、とかロクに泳げないのに馬鹿な事をとか言う人は必ずいるものです。

でも助けられた本人は?
助けることが出来なかったとしても、その遺族は?

自分の、あるいは身内のために命を落とした人を馬鹿呼ばわり出来るだろうか?

2010/09/24(金) 12:51 | URL | ぷれっくす #cEw9QcXU[ 編集]
『中村粲先生を偲ぶ会』に参加しました。
●中村粲作詞、高澤智昌作曲・編曲
【♪大東亞聖戰の歌】
http://www.youtube.com/watch?v=9YQYxQMypn0&feature=related

■昨日は雨の中、世田谷観音にて特攻隊慰霊祭に参加いたしました。
実のところ、米軍は非常に『櫻花特攻隊』を恐れておりました。
『ステーションNo.4では、駆逐艦マナート・L・エイベル(艦長A・E・パーカー中佐)が最初の「バカ・ボム」[櫻花:連合軍のコードネーム]により、
戦闘行動中に最初に撃沈されるというありがたくない栄誉をになうことになった。…
 小型なことと、とてつもないスピードのため、「バカ」はわが軍の艦船に対する最悪の脅威となった。
それは、ロンドンを襲ったドイツの誘導ミサイルにほぼ匹敵する脅威となった。
この初期の「バカ」攻撃は、タイミングよく行われた。
4月12日1445、エイベルに体当たりした零戦は、後部機関室に突き抜けた。
積んでいた爆弾が炸裂し、龍骨と推進軸を折り、同艦は動力を失って海上で行動不能に陥った。
約1分後、500ノットで「バカ」がやってきた。
「バカ」は、前部煙突下の左舷に突入し、第一ボイラー室に貫通し爆発した。
艦の中央部セクションは破断し、艦首部と艦尾部は分離した。
そしてエイベルは急速に沈没し、5分後には残骸と生存者のほか海上には何も残らなかった。…

4月13日は明るい晴天で明けたが、そのほかのすべての局面では、‘ブラックフライデー'となった。
暁の最初の光が沖縄本島を染めたとき、破滅的なニュースが艦の拡声器から流れた。
「総員、アテンション!アテンション!ルーズベルト大統領が死去された。
繰り返す。われわれの最高司令官ルーズベルト大統領が死去された」…』

【『モリソンの太平洋戦史』より】
2010/09/24(金) 09:59 | URL | 愛国志民 #-[ 編集]
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秋の夜に桜花を思い咽ぶ僕

敗色極めて濃い昭和20年3月。 沖縄を護る為に、あらん限りの精鋭が飛び立ち、 待ち伏せる米軍の迎撃に散ってしまった。 青空に散るもどかしや桜花。 不埒なアタシも流石に来ます。 右翼も左翼も反日もノンポリも日本人なら一読あれ。 ねずきちの ひとり?...
ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
最新刊
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』

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