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日本は「たみ」が「おほみたから」とされる天皇のシラス(知らす、Shirasu)国です。


インパール作戦とパル判事

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インパール作戦01


白骨街道というのは、ご存じのとおり、インパール作戦における退却路です。

インパール作戦で敗退した日本軍は、退却戦に入っても飢えに苦しみ、陸と空からイギリス軍の攻撃を受けながら、退路地を退いて行きました。


飢えて衰弱した体でマラリヤや赤痢に罹患し、負傷して痛む体を引きずって、この道を約7万の日本陸軍の兵士たちが退却した。

そして街道で約4万人の日本兵が亡くなり、無事に帰還できた者はわずか2万名でした。

途中の退路には、日本兵の白骨死体や腐乱死体が点々と折り重なっていたところから、白骨街道の名前がつけられました。

その道筋では、亡くなって一か月経過した者は白骨となっています。

亡くなって一週間程度の屍はどす黒い汁が流れ、黒い大型のピカヒカ光る蠅が群がり、黒い大きな固まりがそこにあるように見えたそうです。

なにかの拍子に蠅が飛び上がる。
すると遺体がもぞもぞと動いて見えたそうです。
大量の蛆が、遺体を食べながら動いているのです。
すさまじい腐臭です。

その一体、一体が、尊い命です。
歓呼の声に送られて出征した、笑顔さわやかな頼もしい皇軍兵士たちです。

生きて生還できた小田敦己さんの談話には、次のような記述があります。

~~~~~~~~~~~~~
半日前とかー時間ほど前に息を引き取ったのか、道端に腰掛けて休んている姿で小銃を肩にもたせかけている屍もある。

また、手榴弾を抱いたまま爆破し、腹わたが飛び散り「真っ赤な鮮血が流れ出たばかりのものもある。

そのかたわらに飯盒と水筒はたいてい置いてある。
また、ガスが充満し牛の腹のように膨れている屍も見た。

地獄とは、まさにこんなところか・・・・ その屍にも雨が降り注ぎ、私の心は冷たく震える。

そのような姿で屍は道標となり、後続の我々を案内してくれる。

それをたどって行けば細い道でも迷わず先行部隊の行った方向か分かるのだ。

皆これを白骨街道と呼んだ。

この道標を頼りに歩いた。

ここらあたりは、ぬかるみはなく普通の山道で緩い登り下りである。
雨があがり晴れれば、さすかに熱帯、強い太陽か照りつける。

暑い。
衰弱しきった体には暑さは格別厳しく感じられる。

≪一兵士の戦争体験ビルマ最前線白骨街道生死の境 小田敦己≫
http://www.geocities.jp/biruma1945/index.html">http://www.geocities.jp/biruma1945/index.html
~~~~~~~~~~~~~

英国軍は、この退路にも、しばしば現れて、容赦なく銃弾を浴びせました。

撃たれて死んだ者、伝染病に罹患して餓死した者の遺体や動けなくなった兵は、集団感染を恐れて生死を問わずガソリンをかけて焼却したといいます。

インパール作戦というのは、昭和19(1944)年3月から6月にかけてインド北東部の都市インパールを目指してビルマ北部で展開された戦闘です。

日本は、この戦いで敗退しました。

作戦を指揮した牟田口中将も、
「戦場でもっとも大切な兵站を無視した無謀な戦いをした」
「牟田口中将はバカである」
「はじめから意味のない戦いだった」
等々、戦後あらんかぎりの罵声が浴びせられました。

実際、日本兵9万が出撃し、3万名が戦死、4万名が戦病死したのです。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」は世のならいです。
まして多くの味方の人命が奪われる負け戦では、それを指揮した将校は、後々の世までボロかす言われる。
それはある意味しかたがないことかもしれません。

しかし、思うのです。
負けた戦いを、単に「負けたからアイツはバカだ」というのは簡単です。
けれどそんな「評価」をいくらしたところで、失われた人命が帰ってくるわけではありません。
むしろ後世を生きる人間にとってたいせつなことは、そのように歴史を「評価」することではなく、歴史から「何を学ぶか」にあるのではないかと思うのです。

インパール作戦についてみれば、後世の我々からみて不思議なことがいくつかあります。

昭和19年といえば、もはや戦局は厳しさを増してきているときです。
日本は、全体として防衛領域の縮小を図ろうとしていた時期にあたります。
にも関わらず、牟田口中将は、なぜあらためてインドへ向けて出撃しようとしたのか。

兵站が不足している。
それは行く前からわかっていることです。
にもかかわらず、敢えて、出撃したのはなぜか。

無謀な作戦、意味のない作戦だったというけれど、それならなぜ、英国軍はインド方面の総力ともいうべき15万の大軍を出撃させてこれを迎え撃とうとしたのか。
意味がないなら、迎撃する必要さえないはずです。

そしてまた、英国軍15万に対し、日本軍は9万の兵力です。
日本側には、インド国民軍の兵士4.5万人がいたけれど、なぜか日本軍はインド国民軍を6千名しか戦いに参加させていません。
4万のインド国民軍を温存したのです。
どうしてインド国民軍を、厳しい戦いとなることが分かっているこの戦いに参加させなかったのでしょう。

さらにこの戦いは、英国15万対日本軍9万という歩兵陸戦の大会戦です。

世界史に残る有名な歩兵大会戦といえば、ナポレオン最後の戦いといわれるワーテルローの戦い(フランス軍12万、英欄プロイセン連合軍14万)、明治3(1870)年のセダンの戦い(フランス軍12万とプロイセン軍20万の戦い)、日露戦争の奉天戦(日本軍25万、ロシア軍31万)などがあげられます。

インパール作戦は、これに匹敵する大規模な陸戦です。
にも関わらず、英国は、このインパール会戦について、「勝利を誇る」ということをしていません。

こうなると、巷間言われている、単に無謀な戦い、意味のない戦いというのは、なにか違和感を覚えます。

このブログで、武道の心について何度か書かせていただいています。

欧米における格闘技は、敵を殺し、倒すためのマーシャルアーツです。

ところが日本武道は、試合や勝負における「勝ち」を、からなずしも「勝ち」としていない。

スポーツにおける「勝ち」は、試合に勝つことです。
そのためには、体を鍛え、技を磨く。

しかし、日本武道における勝ちは、試合に勝てばよいという考え方をとりません。
試合というのは、どんな場合でも、単に「模擬戦」にすぎない。
本当の勝利は「克つこと」というのが、武道における勝利の考え方です。

その場の勝ちだけでなく、最終的、究極的な勝ちをもって、勝ちとする。

たとえば、小柄な男性が、好きな女性とデートの最中に、大男に囲まれて、女性を差し出せと要求される。
小男が拒否する。
小男は、ハンゴロシになるまでボコボコに殴られる。
普通なら、寝転がって「うう・・」となってしまう。

しかし「心・技・体」、「心」を鍛えたこの小男は、殴られても殴られても何度も立ち上がる。
気を失っても、まだ立ち上がる。

いいかげん気持ち悪くなった大男たちは、帰っていく。
女性は暴行されずに助かる。

殴り合いの勝ち負けでいったら、このケンカは、大男の勝ちです。
小男は負けです。

けれど、大好きな女性を護りきったという点、(目的を達成した)という点からみれば、小男は「勝ち」です。

どっちが勝ったといえるのかといえば、両方勝った。
それが武道の心です。

武家に生まれたら、たとえ武芸に秀でていなくても、たとえ小柄で非力でも、たとえそのとき病んでいたとしても、すでに老齢になっていたとしても、戦うべき時には戦わなければなりません。

相手が野盗の群れのような大軍だったら、戦えば死にます。

しかし、たとえ自分が死んだとしても、野盗が盗みをあきらめて帰ってくれれば、みんなの生活の平穏が保たれる。

そのために自分が死んだとしても、みんなを護るためなら、喜んで戦い、死ぬ。
戦いでは「負け」たかもしれないが、みんなを守ったという点では「勝ち」です。
それが武道の「勝ち」です。

マンガ「明日のジョー」で、矢吹ジョーが、ホセ・メンドーサと試合します。
殴られても殴られてもジョーは立ち上がる。

ホセは、いいかげん気味悪くなって、さらに矢吹ジョーをボコボコに殴る。

ジョーは、もはやガードの姿勢をとることすらできない。
それでも立ち上がる。何度も立ち上がる。

普通、常識でいったら、タオルがはいって、試合はジョーの負けです。

マンガの試合結果がどっちだったかは忘れてしまいましたが、なんとなく覚えているのは、この試合でホセは、ジョーに対するあまりの恐怖のために、髪が真っ白になり、現役を引退してしまう。

リングの上の勝負ではホセが勝った。
けれども、その結果ホセは引退し、ジョーは、次の対戦に臨む。
ホセも勝った。ジョーも勝った。
ふたりともよく戦った。

要するに武道は「心・技・体」なのです。

スポーツは、逆に「体・技・心」。

なにがあっても負けない強い心、自らの死を賭してでも目的を貫き通す強い心を養う。それが日本の武道であり、武士道の精神です。

スポーツが単に体を鍛え、試合に勝つことを目的としていることに対し、武道は、心を鍛えるために技を習得し、体を鍛える。
まったく発想が逆です。

そうした武道の「心」からインパール作戦を考えると、巷間言われている筋書きとはまったく別なストーリーが、その「作戦」から見えてきます。

インパール作戦は、インド・ビルマ方面における、日本軍のほぼ全軍と、英国のインド駐屯隊のほぼ全軍が会戦した大会戦です。

実際、英国はインパールに15万の兵力を展開し、対する日本軍は9万です。
この時点でビルマにいたインド国民軍4.5万を合わせると、兵力はほぼイーブンです。

しかし牟田口中将は、インド国民軍の本体をインパールに参戦させていません。
そして、約4.5万のインド国民軍の兵士のうち、どうしても一緒に戦いたいと主張して譲らない6千名だけを連れて、牟田口中将はインパールへ出陣します。

インド国民軍を合わせれば、兵力はイーブンになるのに、わざわざインド国民軍をおいてけぼりにしているというのは、ふつうに考えて、あり得ないことです。

ただでさえ、火力が足らないのです。
これにさらに兵力不足が重なれば、これはもう、わざわざ負けに行くようなものです。

しかも補給がありません。物資がないのです。
食い物すらない。

「インパールは補給を無視した無謀な戦いである」などとよく言われますが、補給物資がすでにないことは、牟田口中将以下、軍の参謀たちも、参加した兵たちも、みんなはじめからわかっていたことです。
補給路の確保とかの問題ではありません。そもそも補給すべき物資がハナからないのです。

それでも日本軍は、ジャングルのなかを、遠路はるばる行軍します。
そして、インパールの戦場に向かった。

そして2か月を戦い抜いた。2か月というのは、ものすごく長い期間です。
かのワールテルローの戦いだって、たった1日の大会戦です。

補給がないということは、単に食料や弾薬がないというだけにとどまりません。
医薬品もありません。

場所はジャングルの中です。
山蒜(ひる)もいるし、虫もいる。
マラリアもある、デング熱もある、アメーバー赤痢もある。
日本の将兵たちは、敵と戦うだけでなく、飢えや病魔とも闘わなければならなかった。

そして戦いの早々に、日本軍の指揮命令系統は壊滅します。

それでも、ひとりひとりの兵たちは、ほんの数名の塊(かたまり)となって、英国軍と戦い続けました。

日本軍と撃ちあった英国軍の将兵は、銃声が止んだあと、日本の兵士たちの遺体を見て何を感じたのでしょう。

英国の兵士は、栄養満点の食事をとり、武器弾薬も豊富に持っています。
そして自分たちのために戦っています。

ところが日本の将兵は、他国(インド)のために戦い、武器・弾薬も不足し、食料もない。
ある者はガリガリにやせ細り、ある者は大けがをしている。
遺体は、まるで幽鬼です。

ガリガリに痩せ細り、まるでガンの末期患者の群れのような少数の兵士が、弾のない銃剣を握りしめてそこに死んでいる。
殺しても殺しても向かってくる。

最初のうちは、英国の将兵たちも、勝った勝ったと浮かれたかもしれません。
しかし、それが何日も続く。
何回も続く。

軍としての統制と機能は、とっくに崩壊しているはずなのに、ひとりひとりが戦士となって向かってくる。

降参を呼び掛ける。
でも、誰も降参しない。

弾も持たずに、銃剣ひとつで向かってくる。

そんな戦いが60日以上も続いたのです。
人間なら、誰もがそこに「何か」を感じる。

まして騎士道の誇り高い英国の兵士たちです。
彼らはそこに「何か」を感じた。

ようやく日本軍は潰走をはじめます。
街道を撤退しはじめた。

マラリアに犯され、敵弾を受けて怪我をし、食い物もないガリガリに痩せ細った姿で、街道をよたよたと下がり始めます。

そこには、日本の将兵の何万もの遺体が転がった。

インパール作戦について不思議なことがあります。
それは、現在にいたるまで、英国軍が日本軍を打ち破った誇りある戦いとしてインパールを「誇って」いない、ということです。

戦いのあとインドのデリーで、英国軍が戦勝記念式典を開催しようとした事実はあります。
英国軍よいしょのインド人たちが、おめでとうございますと、戦勝記念式典を企画したのです。

ところが、当時インドに駐留した英国軍の上層部から、これに「待った」がかかった。
結果として、戦勝記念式典は、行われていません。

15万対9万の陸戦という、ヨーロッパ戦線おいてすらあまりなかったような世界的大会戦だったのです。

それに勝利したなら、盛大なパレードと、飲めや歌えやの大祝賀会が開催されたっておかしくない。

けれども、祝賀祭も、パレードも開催されていない。

この戦いに参加した英国の将兵にしてみれば、とてもじゃないが、この戦いを「勝った」と誇る気分にはなれなかったのではないでしょうか。

実戦に参加せず、安全な場所にいて指示だけ出していた連中が、得々と戦勝記念祭を開催しようとしても、実際に戦った英国軍の将兵たちは、それをこころよしとしなかった。

英国軍は、なるほどインパールの戦闘に「勝ち」ました。
しかし、戦いに参加したすべての英国軍将兵たちにとって、その戦いは、ひとつも気持ちの良いものではなかった。

要するに、どうみても「大勝利」したはずの戦いで、彼らは自分たちの「敗北感」をひしひしと感じていたのではないでしょうか。

すくなくとも、騎士道精神を誇りとする英国の将兵には、それが痛いほど感じられたのではないかと、ボクは思う。
なぜなら、彼らも「人」だからです。

牟田口中将以下の日本の将兵は、戦いに負けることはわかっていた。
補給さえないのです。
そして牟田口中将は「皇軍兵士」という言葉を多発しています。

自分たちの戦いの相手は、騎士道精神を持つ英国軍本体です。
ならば、かならず伝わる、そう思えたから、彼らは死を賭した戦いをしたのではないでしょうか。

だから「負ける」とわかっている戦いに、敢えて臨んだのだし、最初から死ぬつもりで出撃した。

当時生き残った日本兵が書いたどの本を見ても、戦いの最初から最後まで、日本兵の士気は高かったと書いています。

たとえば、社員数10万人の大手の企業で、負けるとわかっている戦いをした。
実際会社はそれで給料も払えずに倒産したら、そりゃあ社長はボロカスに言われます。
しかしひとりひとりの社員が、あるいは社員全員とはいいません。

中間管理職のみんなが、「自分たちのしていることは、社会的に意味のあることだ」という信念を持ち続け、最後のさいごまで、日々の業務に誠実に取り組んだら、おそらくその会社は倒産しても社員たちは、それでも製品を作り続けるだろうし、士気も高い。

インパール作戦は、そもそも「インド独立運動を支援する」ために組まれた作戦です。

その頃の日本軍は、すでに退勢にたたされていたのであって、戦線は縮小の方向に向かっていた。

にもかかわらず、インドという大陸に、第十五軍は進軍した。
インドの独立のために。
自らを捨て石とするために。


もうひとつ大事なことがあります。
餓鬼や幽鬼のような姿で街道を引き揚げた日本の将兵たちは、誰一人、街道筋にある村や家畜、畑を襲っていない、ということです。

お腹も空いていた。
病気にもかかっていた。
怪我もしていた。

退路の街道筋には、ビルマ人の民家が点在しています。
そこでは、時間になれば、かまどに火がはいり、おいしそうな食事のにおいがあたりをおおいます。

屋根だってある。
場所は熱帯です。
猛烈な暑さ、湿度、スコール等々。
自然環境は厳しい。
怪我をした体に、屋根は本当にありがたいものです。

けれど、誰一人、民家を襲ったり、食い物を奪ったり、家畜を殺して食べちゃったりとかをしていない。

退路を引き上げる日本兵は、銃を持っているのです。
銃で脅せば、飯も食える。
屋根の下に寝ることだってできる。
怪我の薬を奪うことだってできる。
腹いっぱいになったら、その家の娘や女房を強姦することだってできたかもしれない。

世界では、銃を持った敗残兵が、そのようなことをするのは、いわば「常識」です。
自分が生き残るためなのです。
しないほうが、おかしいといっていい。

けれど、約6万人が通り、うち4万名が命を落とした街道筋で、日本兵に襲われた民家というものが、ただの1件も、ない、というのは、どういうことでしょうか。

インパール作戦について、いろいろな人が、いろいろなことを書いています。

それに対して、インパール作戦に参加し、生き残った人々からは、なんの反論もされていません。

しかし、ひとつだけいえることは、インパール作戦を生き残った人たちは、インパール作戦を、「インパールの戦い」とは、いっさい認めなかったということです。

他の戦いは、たとえば硫黄島の戦いにしても、拉孟(らもう)の戦いにしても、「戦い」です。真珠湾は「攻撃」です。

しかし、インパールはいまだに「インパール作戦」です。

「戦い」は、目的の如何に関わらず、敵が攻めてきたら防戦しなければならない。
だから「戦い」と呼びます。

しかし、インパールは「作戦」です。
「作戦」というのは、目的があるから「作戦」なのです。

その目的は、「インドの独立に火をつけること」です。

インパール作戦には、当初大本営はガンとして反対していた。
それにたいし、「どうしても実行を!」と迫ったのは、当時日本に滞在していたチャンドラ・ボーズです。

チャンドラ・ボーズは、インド独立の志士です。

そして大本営は、チャンドラ・ボーズの意思を受け入れ、「作戦」の実施を牟田口中将に命じます。

牟田口中将以下のビルマ駐屯隊の将官たちは、それが「どういう意味を持っているか」。
その「作戦を実施」することが、自分たちの運命をどのようなものにするか。

彼らは戦いのプロです。
瞬時にしてその「意味」も「結果」も悟ったであろうと思います。

そして、すべてをわかった上で、作戦命令を実行した。

だから彼らは、インド国民軍の主力をまるごと温存したのではないでしょうか。

自分たちは、ここで死ぬ。
あとは君達で頑張れ。
そこに、おおきなメッセージが込めれられているように思えてならないのです。

普通なら、世界中どこでもそうであるように、この種の戦いでは、むしろインド国民軍を先頭にします。それが世界の戦いのセオリーです。

なにせ、インドの独立のための戦いなのです。
インド国民軍を先頭に立てて、なにが悪い。

しかし、牟田口中将以下の日本の将兵は、それをしませんでした。
自分たちが戦いの先頭に立った。

軍だけではありません。
個別に数名のインド兵を率いた日本の下級将校たちも、みんなそうした。
それが史実です。

「この戦いで、日本は負けるかもしれない。
しかし、ここで戦った日本兵の心は、インドの人々の心に残り、かならずやインドの人々の決起を促すであろう」

インパール作戦は、まさに「肉を切らして骨を断つ」という武道の奥義です。
だから、インパールは「作戦」なのです。

そして「作戦」は成功し、間もなくインドは独立を果たしています。

このお話は、さらに続きます。

英国にも日本の武士道に匹敵する騎士道精神が息づいています。

命を賭けた日本の将兵の戦いぶりに接したとき、たとえそれが国益であったとしても、英国の将兵たちは、果たして自分たちがインドを治めていることに、なんの意味があるのか、そんな気にさせられたのではないか、ということです。

作戦の全体を見る者、実際に日本兵と干戈を交えた英国の騎士たちは、インパールで日本の武士たちが示した、その「心」に気付いた。

実際、インパール作戦のあと、英国のインド駐屯隊が示したインド人の独立運動(英国軍に対する反乱軍)への対応は、当時の世界の常識からみて、あまりにも手ぬるいのです。

まるでやる気が感じられない。

ガンジーたちの非暴力の行軍に対して、銃を構えたまま、ほとんど発砲すらせずに、これを通しています。
それ以前の英国軍なら、デモの集団のド真ん中に大砲を撃ち込んでいる。

そして大東亜戦争のあとに行われた東京裁判では、なんと英国は、まだ独立も果たしていないインドから、わざわざ代表判事を送り込んでいます。
そうです。パル判事です。

そしてそのパル判事が日本を擁護する判決付帯書を書くことについて、当時の英国はまったくこれを容認しています。

なぜでしょうか?
どうして英国はパル判決を黙認したのでしょうか。

そもそも、植民地のカラード(有色人種)を、わざわざ判事に指名してきたのは、英国だけです。

その英国は、米国と同盟関係にあります。
ですから、東京裁判では、英国判事を出しています。

けれども英国は、自国の判事だけでなく、わざわざ有色人種のパル氏を判事として東京裁判の裁判官に名を連ねさせているのです。

およそ企業でも軍隊でも、用兵というものは、どういう人物を起用するかで、ほぼ決まる、といいます。

インド独立を希求するパル氏が判事となった場合、どういう判決を書くかは、裁判が始まる前から「わかる」話です。

加えて、英国にしてみれば、もし、英国領インドから送り出した判事が「気に入らない」なら、いつでも首をすげかえる、誰かに交代させることができたはずです。

けれど英国は、東京裁判という茶番劇(あえてこう書きます。はじめに結論ありきなら、それは裁判の名にさえ値しないからです)において、英国人判事には、米国との同盟関係に配慮して、連合国万歳の判決を書かせたけれど、植民地支配するインドの代表判事には、ちゃんとした「事実と正義」を判決として書かせています。

そこに、英国の「何か」を感じることはできないでしょうか。

インパール作戦当時の英国のインドのトップは、英国王室の人物です。
世界がどんなに歪んでも、わかる人にはわかる。

パル判決書は、インパールでメッセージを受け取った英国王室と、戦い、散って行った日本の武士たちがこの世に送りこんだ、正義の書といえるのではないでしょうか。

ボクには、そんな風に思えてならないのです。

おそらく、パル判事や、牟田口氏、インパール作戦の英国側指揮官ウィリアム・スリム中将に、「そうなのではないですか?」と問うたとしても、彼らは、笑って何も語らないと思います。

なぜなら彼らは、まさに武士であり、騎士であるからです。
そして武士であり、騎士であるからこそ、敵味方の将兵に多くの死者を出したことへの悔いを持ち、それがあるから、いっさいの言いわけをしない。

しかしだからと言って、彼らの行った事実を、うわっつらだけみて、安全な場所にいるわれわれ後世の人間が、感謝こそすれ、評価するのは間違いだとボクは思います。
それこそ卑怯者のすることです。

インパール作戦は、まさに世界史に残る「男たちの戦い」であった。

すくなくとも騎士道を持つ英国陸軍には、それがわかった。
わかったから彼らは、世界史に残る大会戦であるインパールの戦いについて、それを無用に誇ったり、記念日を作って祝ったりしなかった。

インパールの日本獅子たちは、私たち日本人の誇りだとボクは思うのですが、みなさんはいかがでしょうか。

最後にもうひとつ。

インパール作戦の退却行は、誰ひとり民家を襲うような非道な真似をしなかったのだけれど、そのことを誇るような記述をした人は、戦後、誰もいない、ということは、見過ごせない部分だと思います。

誇るどころか、関係のない民家を襲わないなんて、そんなことは「あたりまえ」のことにすぎない。
それが日本人だ、ということです。
そして、そうやってきたのが私たちの祖父の若き日であった、ということです。

世界では、襲うのがあたりまえで、襲わないことがありえない。
日本では、襲わないのがあたりまえで、誰ひとりそのことを誇ろうとさえしない。

さらにいえば、あの苦しい退却行において、生き残った人たちの手記を読むと、途中でビルマ人の青年に助けてもらった、あるいは民家の人たちが沿道で食事を振る舞ってくれたということに、心からの感謝を捧げている。

それが、日本人なのです。

なお、インパール作戦について、本文では、「負けるとわかって戦った」という一般の考察をそのまま記載させていただきましたが、異説もあります。

それは、インパール戦が、前半まで圧勝であったという事実です。
日本軍は、インパール街道の入り口をふさぐコヒマの占領に成功している。
コヒマの占領は、味方の補給ラインの確保を意味します。
従って、この段階では、日本軍側に補給の問題はなく、戦線は日本側有利に動いています。

このあと、牟田口中将は、近くにある敵の物資補給の要衝であるディマプールをつこうとしてます。
これが成功していれば、インパール作戦は、日本の勝利に終わっています。

そのことは、戦後になって敵将が、はっきりと認めています。

戦後左翼のああだこうだの評論よりも、戦った相手の言う事と、その後、何が起こったのかをきちんと見ることの方がよほど真実に近いのではないかと思う次第です。

【参考記事】
◆勇敢で高潔で、誰からも好かれた日本軍人
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-712.html

◆チャンドラ・ボーズ
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-668.html">http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-668.html

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コメント
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2013/12/30(月) 21:33 | | #[ 編集]
ありがとうございます。
父は インパール作戦に出兵し帰還しました。
55期は 父が陸士の55期生だからです。
戦後帰還して商売をしました。部下からは 大変したわれ
いつも誰かがきていました。
従軍慰安婦の件、南京虐殺いつも うそだといっていました。
92歳ほとんど 誰かわかりません。
ただ 本日 父の書類を整理しました。
かずかずの写真や記録があります。
ビデオで 慰安婦が日本軍がしてないことの
確認をとりますと たしかに 首をふって
違うと申しておりました。
父のことは アメリカのマイケル、ノーマンという
かたの本にものってます。
昨日 かれがそんなに有名な作家であると
はじめて知りました。(ネット)
りっぱな日本人の父や戦友のことを思うと
韓国の卑劣な行動許せません。
ノーマンが 会ってくれるなら
即刻アメリカにいき 彼らの
卑劣な行動を指摘して
日本軍の 高潔さを訴えます。
2013/07/20(土) 18:25 | URL | 55期 #-[ 編集]
泣けました
父が生前、インパール作戦の生き残りだと言っておりましたが、ろくに調べておりませんでした。今回初めてこの記事を読み、涙を流しました。ありがとうございました。父はアルツハイマーになった後も、急にミャンマー語を話し始めたりして私を驚かせました。これを機に学んでいきたいと思います。
2012/05/23(水) 19:25 | URL | #-[ 編集]
No title
大東亜戦争(この場合場所的にこっちの方がしっくりきます)で日本は負けてしまったけれども、インパール作戦は実は成功して、インド独立が成された…と。
2012/03/22(木) 11:41 | URL | #-[ 編集]
真実を知り、真実と向き合い、今後を生きる為に
私は戦後教育の集大成の様な若い世代です。
まず初めに、深く感謝申し上げます。
民主党の政策に疑問を持ち、色々と調べていく過程でねずきちさんのblogと
出会い色々な事に気付く事が出来ました。


私は戦争について多少の興味を持っていました。
と言っても
 『善悪は置いておいて、日本の為に命を懸けて尽力してくださった
  おじいちゃん達の事は概要くらいは知っておくべきだ』
程度の心構でした。

自分でも何冊か戦争に関する本を買いました。
(コンビニに置いてある文庫本程度ですが ^^;)
ご年配の方々を大切にし、可能な限りお話をお伺いしてきました。
(ただし、多くは語らないご年配の方がほとんどでしたが。)

その甲斐あってか同世代の中では多少知識がある方だと思います。
周りの人はインパール作戦について知っている人はほとんどいないでしょう。
多少知識のある私でさえも『牟田口中将は酷い作戦をした』という認識でした。


そんな私はねずきちさんのblogに出会い、心の底から驚きました。
これ程深く、そして背景からご解説いただいた文書/情報を私は知りません。
その最たるものが『インパール作戦』についてです。
ですのであえてこのタイトルにコメントさせていただきました。

本blog以外でも色々と情報収集させていただいた結果
『戦争は『侵略』ではなく『併合』が目的だったのではないか?』
という仮説に至りましたが、本blogで確信に至りました。
最終的にはアジア独立の礎となったのですね。

●プラモードさん(タイ首相)
 日本のおかげでアジアは独立できました。
 日本というお母さんは、母体を壊してまでもアジア諸国という子どもを産んでくれました。
 今日、アジア諸国が欧米と対等に話ができるのは誰のおかげか。
 我々は12月8日という日を忘れてはいけない。

最大の愚策の一つと言われているインパール作戦がインド開放の礎になっていたとは、、、
この一点のみを考えても尊敬と感謝の念で胸がいっぱいです。
日本人とはなんと高潔で謙虚で志の高い民族なのでしょうか。
歴史を正しく学ぶ事はなんと大切な事なのでしょうか。


今の政治は酷すぎます。
ですが自分はと考えるととても恥ずかしい気持ちになります。

どうか末永くご健康でご活躍いただける事をお祈り申し上げると共に
私は現役世代という立場で微力ながら日々精一杯頑張りたいと思います。
2012/03/21(水) 17:18 | URL | 目覚めた日本人 #-[ 編集]
No title
久しぶりに読ませてもらいました。

最後のあたりに「インパールの日本獅子たちは、私たち日本人の誇りだとボクは思うのですが、みなさんはいかがでしょうか」とありますが、全く同感です。「インパール作戦体験記」というブログに同じような感想を2008年6月12日に投稿した記憶があります。このブログのアドレスは以下に示すとおりです。
 http://www.kcnet.ne.jp/~kubota/
2012/03/04(日) 16:50 | URL | おっさん #-[ 編集]
No title
私のおじさんもこの戦いで戦死しました。
おそらく地獄の苦しみを味わいながら死んでいった
ことでしょう。
それに引き換え牟田口はのうのうと生き延びています
死んでいった英霊に対しても自決すべきです。
絶対に許せないやつです。
 満州から真っ先に逃げた町村司令官と同じでこいつも許せません。
 日露戦争当時に比べ指揮官の質がおちたといわれています。
今も支配者は何も責任を取らないのは日本の伝統となっています

元来第二次世界大戦そのものが国際金融資本家の
陰謀で日独伊をはめるために起こしたものでそれに
まんまと乗った日本が愚かだったのです。
 ただそれでアジア人に勇気を与えた多大な功績は認めます。
 しかしそのために多くの平凡な日本人が地獄の苦しみを味わって死んだのを忘れてはいけません。
 今も虎視眈々とシナとロシアが日本を我が物にしようと狙っているのに多くの日本人がのんきなのは驚愕です。
2012/02/19(日) 23:57 | URL | M.T #mQop/nM.[ 編集]
牟田口という武士
 七万人を超える部下の兵士の死の上に牟田口氏の戦後があった。昭和41年で逝去されるまで「インパールは部下の無能で負けた」と公言されていたと聞きますが、これも朝日新聞あどのねつ造談なのでしょうか?
2011/12/16(金) 23:04 | URL | 伊藤正雄 #-[ 編集]
生きていたら聞きたかった
うちの父も、インパール作戦の生き残りです。昭和43年に54歳で亡くなりました。母が戦争の話は嫌がると聞いていたので私は聞いた事があとませんが、兄は、男の子なので、関心があり聞いたそうで、兄からいろいろ最近聞くと、インパール作戦で生き残られた方の話と一致する事などあります。現地の方がご馳走してくれた話、それから現地の人の水かけ祭りの様子を書いたり風景画などが楽しく描かれています。もし日本兵が嫌われていたらそんな様子やふるまいはしてくれなかったと、この還暦を前にして亡くなった父たちの苦しくても希望を失わずに頑張ってくれた事に、もっと早く知りたっかったと残念でなりません。そんな日本人達を貶めてきた日教組許しません。
2011/03/06(日) 01:35 | URL | 桜子 #6Vxx0CkY[ 編集]
新たな気付きを有難うございます
  大規模な陸戦であったこと
  英国が戦勝を誇りにしていないこと

…新たな気付きをいただきました。
有難うございます。
2011/02/26(土) 18:41 | URL | よのすけ #-[ 編集]
考えなければならない部分
「・・・世界では、襲うのがあたりまえで、襲わないことがありえない。
日本では、襲わないのがあたりまえで、誰ひとりそのことを誇ろうとさえしない。」

日本人の美徳はあっても。
南京でもそうだが、謙虚であることが両刃の剣で、後世に害をなす面もあるということ。

日本人が日本人的であればあるほど、他国に付込まれ禍になるという矛盾。


2011/02/22(火) 13:36 | URL | Pin #-[ 編集]
戦後自己弁護に終始した牟田口をよく持ち上げられますね。
もう少し事実関係を精査されたらどうです?
こいつだけは許せない。
2011/02/12(土) 00:03 | URL | #4JcWZNxE[ 編集]
負けると分かっていても
負けると分かっていても男なら戦わなきゃならないときもあります。奴隷志願者には一生かかってもわからないんでしょうね。

八紘一宇の信念の下に兵士ひとりひとりが欧米列強の植民地支配からアジアの国々の独立のために命をかけた作戦であることがよくわかります。
肉を切らせて骨を絶つとはこのことでしょうか。
日本は敗れましたが、アジアの国々は独立し、欧米列強の植民地支配は再起不能に陥りました。
2011/02/11(金) 23:12 | URL | 大東亜共栄圏 #-[ 編集]
最初から

負ける戦争だったんだよ

いい加減に気づけ ねず吉

いつも日本賛美ばっか?


2011/02/11(金) 20:50 | URL | MR2 #B0Nyfkl2[ 編集]
本当は1943年に行うはずだったインパール作戦
1943年には、日本軍はインド進攻を予定しており、カルカッタをはじめとする英軍事拠点に連日空撃を実行、インド制空権を掌握していました。

しかし、実施に移されなかったのは、
南太平洋に米艦隊を引きずり出したい山本五十六長官の武士道に培われた負けじ魂(笑)に陸軍が折れ、航空戦力をあらかた引っこ抜かれたからです。

大東亜経済圏を確保、インドを落としてイギリス・中国を脱落させ、アメリカに不敗の態勢を構築しようとしたようとした帝国の戦略は、海軍の武門の意地によって叩き潰されましたとさw

武士道を褒めすぎるのも考えもの。   
2011/02/10(木) 12:19 | URL | リトル愚礼 #-[ 編集]
インパール作戦が大東亜戦争での失策のようなスタンスで語られる
のを目にする機会が多かったけれど、我が国がいまだ白人達の植民地にされた事がないのも当時家族や祖国を守って下さった先人の方々のまさに捨て身の行動があったからこそなんですね

命を差し出してまで護ろうとしていた今の日本を天国から見られていたら、恥ずかしいです

個人主義をはき違えたような自分勝手な生き方をする人、欲に目がくらんで日本人でありながら祖国を陥れる公人、偏向番組を垂れ流すテレビ局

ねずきちさんのブログは涙ながらに拝読させていただきました

これだけの文章力と構成力をお持ちの方でも相当な労力を持ってお書きになってらっしゃるでしょうにそれを無償でブログ提供なさっているとは

ねずきちさんの高い志が原動力となっていらっしゃるのでしょう

これからも訪問いたします
2011/02/10(木) 04:35 | URL | フー #-[ 編集]
インパール作戦をWikiで調べたら、自虐そのものでした…。
2011/02/10(木) 03:43 | URL | ミノル #-[ 編集]
訂正 失礼致しました
遺骨を出来るだけ召集して >遺骨を出来るだけ収集して
2011/02/09(水) 15:05 | URL | #-[ 編集]
白骨街道に慟哭
戦争直後のひもじさ貧しい苦しみからも希望を持ってまっしぐら65年.
飽食の時代を当たり前のように生きてきた日本人。

『インド独立のために』と、純粋で高潔な志を持って堂々と立派に戦い果てた日本の英霊。

その英霊の遺骨は今でも雨が降ると地中からさらされ出されています。遠い異国で。

ミャンマーに住んでいる日本人の方のブログを先日読んでその実態を知り、悩んでいたところでした。
遺骨を出来るだけ召集してミャンマー日本大使館に届けてあるにも係わらず、日本には帰されずそのままの状態になっているようです。

一時も早く靖国に祭って安らかに永眠してほしい。

      ”私達に何かできることはないでしょうか”


 ”ミャンマーのつぼ”戦争関連(25件)

http://www.yangonow.com/jpn/blog/index.php?c=-
2011/02/09(水) 14:50 | URL | #-[ 編集]
No title
「インパール作戦」を詳しく説明してくださりありがとうございました。言葉一つ一つに意味があるのですね!!

>インパール作戦当時の英国のインドのトップは、英国王室の人物です。
その後最後のインド提督になったマウントバッテン卿ですね。

以下、夕映えのブログさんより
http://blog.livedoor.jp/yuubae1/archives/1405774.html
戦後、ネパール国王の戴冠式に臨まれた皇太子殿下(現、今上陛下)に対し、往時、ビルマ戦線で戦ったイギリス軍の最高指揮官マウントバッテン卿は「私が戦った日本軍は史上最強と思われ、かかる軍隊は今後、地球上に現れないでありましょう」と、いとも丁寧にお話しがあったと伝えられております。


パル判事が東京裁判に送り込まれた背景には裁判自体に批判的であったとされるマウントバッテン卿の意向もあったのかもしれません。
既にインド独立も視野に入れていたのでしょうか。。。

昭和天皇訪英の折レセプションは最後まで辞退したとか、IRA暫定派によるテロで亡くなりましたが葬儀に(遺言により)日本人の参列は拒否したとか、いろいろありますが日本軍を正当に評価していたとはいえるでしょう。

マウントバッテン卿の妻とネルーが親密な関係にあったというのも興味深いところです。
http://www.japanjournals.com/dailynews/091023/news091023_3.html

最後に、いつも感動の涙を浮かべて読んでいますが、今回のエントリーには悔し涙が溢れました。
日教組に騙され、愛国心の持てない人間になっていたのが悔しいです。

子どもの頃当然学ぶべきことを学べませんでしたが、これから日本の心を学んでいきます。
今後ともよろしくお願いします。


2011/02/09(水) 14:03 | URL | 春風 #-[ 編集]
No title
祖父がシナ事変に従軍したことだけしかわかりません。
それも形見の記章をみて知りました。
祖父は戦後すぐなくなり故に父は一人っ子です。祖母も父が30のときには亡くなりました。父は戦争の事知らないんですよね。祖父と話したことないから。父は戦後の母子家庭で生きることで精一杯でだったようで祖父のことわからないのが悲しいです。母方は健在なのですが母が毛嫌いしており遠路もあって、まともな会話すらしたことがないです。悲しいです。さらに母方の祖母が亡くなった時に着物をたくさん形見わけしてもらったにも関わらず母はすぐに売り払ってしまいました。私に相談もなく。我が家では着物なんてそうそう購入できるものではありません。家族ばらばらですね。
世代間の断絶ここに極まれり。
2011/02/09(水) 13:24 | URL | k #-[ 編集]
大東亜共栄圏のために
失礼します。最終的に「インパール作戦」を許可したのは、東條英機閣下です。大東亜会議を実のあるものとするために、日本の絶対国防圏が不安定になっている時期に、インド独立の為に、敢えて実行したのです。「チェロ・デリー!」は、今でもインドの人々に膾炙されています。
補給の問題に関しては、東條閣下は、作戦許可前にかなり厳しく質問をされたそうです。その点、牟田口将軍を手放しで讃える気にはなりません。
しかし、「インパール作戦」がイギリスをして心胆を寒からしめ、インド独立に繋がったことは、紛れも無い事実であり、イギリス、オランダがアジアから去っていったということは、「大東亜戦争は、本当は勝った」のです。
2011/02/09(水) 13:05 | URL | 歩三・安藤大尉 #-[ 編集]
大東亜戦争は植民地、奴隷解放戦争だ
インパール作戦の意味が良く分るエントリ内容です。
ガンジーの非暴力デモは、日本軍の崇高な戦争行為が為されたからこそ、成功したのですね。
インドを白人から解放し独立させるインパール作戦は、結果として勝利したと言えます。
2011/02/09(水) 08:44 | URL | 祖国復興 #3/VKSDZ2[ 編集]
No title
誇り高き日本兵にただ感謝です。
2011/02/09(水) 07:07 | URL | イシコウ #-[ 編集]
勉強になります
昨年末にインドツアーしたときの現地添乗員に「”チャンドラ・ボース”って知ってる?」って言ったら、「知ってるよ!」。
「まだ、彼は日本に居るんだよね?」って言ったら「うん」。

歴史をしっかり伝えること。”辛かった事、頑張ったことへの敬意と感謝”こそすれ、そこで生きた人達を今私達が貶めるような評価は絶対にしてはいけない。
MLで国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の展示について書き込んだが、ねずきちブログや西尾幹二さんなどの活動と、”平和、人権、差別、平等などを駆使して侮日、反日活動に邁進する連中とのイタチゴッコになっている。
そこにもうひとつ『民俗』に”歴史”を合体させ、利権と共に加わったツールを得てきた。”放置”は”痴呆”ですよ!

日本で全く語られないのは
「なぜ、日本は戦争をし続けなければならなかったのか?」。
「日本軍はどこでどの国と戦っていたのか?」
「当時、欧米諸国以外に国があったのはどことどこなのか?」
「当時、移動に何ヶ月もかかるという遠い国の人がどうして日本の周り(東南アジア、シナ、朝鮮)で活動していたのか?」
「植民地支配というのは自国の国税で鉄道をつくったり、学校をつくったりしたことだったのか?」
「なぜ同じ政策のはずなのに台湾や南方諸島の人達から感謝されてるのに、半島やシナからだけ非難されるのか?」
そんなこんなの質問をしましょうネ。
2011/02/09(水) 01:27 | URL | お達者クラブ #RSYgFLbA[ 編集]
インパール作戦は負けたのか?
20年8月18日まで戦い引き上げてラングーンで捕虜になったと聞いています、敗残兵ではありません、それは「小野田少尉」が帰還されたとき「あれは、生きた兵隊の目だ」といってました。
父はインパール作戦で日本兵は戦闘には勝ったが、病気と食料不足に悩まされた、兵隊は絶対に生水を飲むことは禁じられていましたが喉の渇きに負け生水を飲んでしまうとおなかを壊し次第に衰弱してしまう、食料はジャンクルの中は意外に食べるものはあるそうです、ただそれらを食べられるか食べられないかは兵士の生死を分けたそうです、猿に食べせてから安全を確かめ、父は生きる為に何でも食べたそうで、必ず火を通して、ジャングル線で生き延びた兵隊の原則だといってました、そしてこの戦争はアジアから白人の支配をなくす為の戦争だと兵士たちは理解して戦ったそうです、大東亜戦争が無ければ世界の植民地は未だに独立もできて居ないであろうと昭和40年ころ語ってました、終戦時、原隊に戻らずビルマ独立の為残った戦友がずいぶん居たそうです、ネットに書かれている「インパール作戦」無謀さで牟田口中将の作戦を一笑する人が居ますが、インパール作戦からの帰還兵は誇り高い兵士だったと思います、戦後の印象操作で敗残兵にすり替えられたか、語る事を「慎んだ」のでしょう。
大東亜戦争の正しい姿を伝えないと日本の心が全て曲がってしまうと思います。
2011/02/08(火) 23:38 | URL | ★★★★★ #-[ 編集]
No title
ねずきちさん、いつもありがとうございます。私の夫の父は元日本兵で終戦後満州から帰還しました。私の母の夫は支那とロシアの国境で戦死し、父と結婚して私が生まれました。なので私の命は戦死した方からも頂いていると思っています。又、夫の父が生きて戻ってくれたおかげで夫や子供達が命をいただきました。私達は決して忘れてはなりません。命をかけて守りぬいてくれた人たちのことを。
2011/02/08(火) 22:21 | URL | きなこ #-[ 編集]
No title
ねずきち先生、木村昌福小将「キスカ撤退作戦」は過去の記事に有りました。ありがとうございました。
2011/02/08(火) 21:59 | URL | 本土の兵隊に感謝する沖縄人 #-[ 編集]
No title
ねずきち先生、いつも勉強になりありがとうございます。自分の祖父は元日本兵ですし親戚のおじさんは日中戦争に行き戦いました。ですから日本兵には小学校の頃から悪い印象は持っていませんでした。ちなみに沖縄の学校教育は酷い反日教育で子供達を洗脳しています。自分は日本軍オタクで沖縄を守った本土の兵隊さんには感謝しています。もし宜しければ陸軍のインハ゜ール作戦[宮崎繁三郎中将]と海軍のキスカ撤退作戦[木村昌福小将]を取り上げていただけないでしょうか?お願いします。
2011/02/08(火) 21:40 | URL | 本土の兵隊に感謝する沖縄人 #-[ 編集]
No title
インパール作戦の意味、よく判りました。



2011/02/08(火) 20:57 | URL | 楽仙堂 #LkZag.iM[ 編集]
第177回国会予算委員会
第177回国会予算委員会

2月9日16:00~
国家基本政策委員会合同審査会(党首討論)中継を
見ています。
URL 未定

2月9日10:00~
衆議院予算委員会審議中継を見ています
http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmp.asx?deli_id=40773&live=yes&media_type=wb

【動画ニュース掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj6.cgi
【動画ニュース最新版タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。
2011/02/08(火) 20:09 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
No title
作戦の名前と悲惨だったことは聞いた事ありましたけれど、こんなだったとは・・・・・


ガンジーの非暴力がどうして当時のイギリスに通用したかも、不思議でした。


もっともっと学ぶことはたくさんありそうです。
2011/02/08(火) 20:05 | URL | #-[ 編集]
替え歌「金正恩は愚鈍」
替え歌「金正恩は愚鈍」
http://kakutatakaheri.blog73.fc2.com/blog-entry-2528.html
韓国の童謡「三匹のクマ」の歌詞を基に北朝鮮の
三代世襲を皮肉った替え歌が、北朝鮮で出回った。

【前航空幕僚長の国防問題の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj10.cgi
【前航空幕僚長の国防問題タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。
2011/02/08(火) 17:58 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
三等国兵士
日本兵は、略奪しない。
白人兵は、敵からだけ、略奪する。
支那兵は、敵味方、関係無く略奪する。
2011/02/08(火) 16:45 | URL | ケッセルリング #-[ 編集]
マスゴミの意図
マスゴミの意図
http://qazx.blog.eonet.jp/docdoc/2011/02/post-6df1.html
オバマ大統領の一般教書演説について、日本では
全文が伝えられていない。その要点を、2月5日に
「「抗議運動」は「民主政治」ではない」の中で書いた。
それではマスゴミは、何を隠そうとしているのか。
それが分かれば、マスゴミの意図が分かる。

ニュースを隠蔽・捏造・偽装して報道する反日売国テレ
ビ局・マスコミは公共電波を占有する許可を得て公正
な報道を行う責務がある。
テレビ局の独自の判断や意図的に事実を隠蔽した
偏向報道をして視聴者を騙す行為は許されない。 
判断は視聴者に委ねるべきである

【マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。
2011/02/08(火) 16:38 | URL | aixin #EBUSheBA[ 編集]
日本では「日本の英雄」と呼ばれる人はいないですね。
インド人であるパル判事が何故東京裁判の場にいたのだろう?という疑問は自分の中に今までなんとなくありました。元々どういう立ち位置で東京裁判に呼ばれたんだろうか?と、なんとなくですが不思議に感じていました。それが今日納得できました。

また、日本ではインド「独立の父」としてガンジーは誰もが周知のところですが、「独立の闘士」チャンドラ・ボーズはあまり馴染みがないです。
これだけ、日本と関わりがあるにも拘わらず、日本人の多くの人の知るところではないのは何故なのか。
インドでは今でもチャンドラ・ボーズは広く国民の間で人気があるというのに、です。

これも結局は、イギリスからのインド独立のために日本軍と協力し「武力で戦う」というボースを全く日本では歴史上認めず、「非暴力」を徹底したガンジーだけを極端に持ち上げて「歴史」を教えられてきた結果だと思います。

ガンジーの「非暴力」による抵抗が、結果として「インドの独立」をもたらしたけれど、そこに至るまでには、チャンドラ・ボーズの「武力による戦い」があり、また、その戦いは日本軍の「戦い」があってこそだったことは、全く日本人の子供達には教えられない。

日本人に、「『武力』は兎にも角にも『悪』である」と刷り込ませるには、ガンジーは格好の「教材」だったのだと。

ずっと前、ねずきちさんが「ビルマの建国に学ぶ」という記事を書かれたとき、ミャンマーの今の軍事政権とアウン・サン・スー・チー女史について、マスコミの報道と西村眞悟氏の「慎吾の時事通信」に書かれていたことが余りにも違いすぎるので驚いた旨をコメントで書いたことがあります。

ミャンマーの国際的イメージは、『軍事政権の国、アウンサン・スー・チーを軟禁している人権抑圧の国』。でも・・・。↓

【西村真悟の時事通信 バックナンバー 】
『ミャンマーについて 』(平成20年7月18日)
http://www.n-shingo.com/jijiback/357.html

【ミャンマー教育推進プロジェクト同志会】
『慰霊から始まった教育支援』
http://www.shinseisobi.co.jp/myanmar-index.htm

↑マスコミが意図的に流す「一方的な方向」からだけではなく、違った方向から物事を見ることが如何に大事であるかを思い知らされた内容でした。

スー・チー女史の父、アウン・サンが日本を裏切った人物であることもスー・チー女史を持ち上げる力として働いているのか・・とさえ思ってしまいます。

何もかもが日本を咎めるために利用され、日本人は知らずに歪んだ教育や情報を浴びていると感じます。

先日、どこのテレビ局か忘れましたが、スポーツニュースで李選手を「一躍英雄となった李忠成選手」と冒頭紹介していました。本人が「ヒーロー」という言葉を使っていたからかも知れませんが、「英雄」という言葉には違和感を覚えました。

英語の「ヒーロー」は「英雄」と訳すけれど、正直、全く同義語であるとは思えませんし、日本人は殆ど「英雄」という言葉を使わない気がするからです。むしろ、「英雄気取り」などと揶揄することのほうが多いです。

日本人の感覚とはそういうものだと思います。「リーダー」は望むけれど、「英雄」は特に望まない。そして「和」を望む、だからこそ「日本」があるのだと思います。
2011/02/08(火) 16:02 | URL | 共通一次世代 #HfMzn2gY[ 編集]
No title
ねずきちさん、いつもありがとうございます。
昭和5年生まれの父(戦地へは行っていません)にねずきちさんのブログで勉強した事を話すと、「悪い事をしようとすればできたけれど、やっていない。」と言いました。
ただ大東亜戦争に負けたからか、あまり戦争のことは話しません。                    よく母は、「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言ってます。  
おかげさまで、両親とは今までにない会話をすることができています。

ねずきちさんには本当に感謝しています。           

                         
2011/02/08(火) 13:03 | URL | 二児の母 #-[ 編集]
★日本の伝統芸能が総悪役 プリキュア
テレビ朝日のプリキュアでは、お祭りでおなじみの獅子舞、おかめ、ひょっとこ、天狗など・・・ぜーんぶ悪役に!  ↓
http://whisper-voice.tracisum.com/?eid=173

これ見た子供たちは、お祭りへ行くたびにプリキュアの悪役を思い出すわけですね!
さすがは筋金入り反日のテレビ朝日! とってもよくできてます。

さらに、プリキュア・ダンスは北朝鮮の幼児体操ソックリ!

プリキュア・パワーで母娘揃ってパッパラパー洗脳!
2011/02/08(火) 13:01 | URL | アイリス #3eQvvr92[ 編集]
マスゴミ洗脳装置
『騙されやすい日本人』(宮脇らい介)の流儀に従えば、なぜこの時期、急に八百長事件が公表されたのか?と疑いたくもなる。
いま菅内閣は政治的劣勢・・・・・それと愛知県知事選挙、名古屋市長選挙での惨敗・・・・4月末統一地方選挙を前にして、大変な時期にある。
すると警察当局に影響のある勢力は?となれば、ご承知のとおり。官憲は、ときの政府には従順。何でも公表時期やタイミングには“意味”がある。
3S政策ですっかりオメデタクなった国民といい、政治権力に安易に踊らされる、どうしようもなくバカなマスコミ・・・・・・
なにしろ、火事と喧嘩は江戸の華・・・朝から晩まで大切な紙面を使って、八百長問題を報じる新聞とテレビのどんちゃん騒ぎ。
劣化日本のすがたを象徴します。国民とマスコミの目をあることからそらすには、八百長事件も、もってこいの材料です。
こういうとき、誰がいったい得をするのか?・・という視点で眺めてみると何かが視えるかも知れません。

■毎日変態新聞の高木某が書いた『インパ-ル作戦』本が
今も売られていることに問題がありそうです。
2011/02/08(火) 12:59 | URL | 亜 #-[ 編集]
情報操作
■「交通インフラこそ国力の要石」(藤井聡 京都大学教授)
1960年代につくられた橋梁は老朽化している。日本の道路は多いという世論の認識との乖離。
95年から減り続ける公共事業の背景には、公共事業不要論の物語に沿って、日本の道路は多いという有利な統計数字が用いられている。不況の今こそ、公共事業への投資が大事である。
TPP(環太平洋連携協定)への推進をいう大手新聞。関税撤廃でさらにデフレが深刻化する。
デフレの今こそ、公共事業が必要である。
http://www.mxtv.co.jp/nishibe/archive.php?show_date=20110205
80年代の米国の空港、橋、道路の状態を思い出しましょう。

■「オバマ一般教書演説の報道」に見る我が国のメディア環境 (藤井聡 京都大学教授)
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-10791914854.html

2011/02/08(火) 12:45 | URL | #-[ 編集]
父祖達の觀
われわれの傳へてきた觀は、ヨーロッパ人の觀を以て解しうるものではなかつた。我々が、無造作に所有してゐる驚くべき人間學、驚くべき哲學、そして驚くべき文學的テーマは、今も昔も、日本の民衆の〝くらし〟の中で、と人とのけぢめを何ほどにも思つてゐないといふことである。だからキリストの驚くべきへ、富をいやしむといふへは、我々の國に於ては日常のくらしの中にころがつてゐる實踐倫理のほんの一つの戸口である。キリストのさかんな西洋、アメリカ的繁榮が將來人類の目標と考へられてゐる國々で、永劫に守られぬ驚くべきキリストのへだつた。しかし我々はキリストのへを知らず、〝人間〟としてこの國土に生まれてきたのである。西洋に於ては、このの子の出現がなければ、人はつひに〝人間〟たり得なかつたであらう。話に於ける人ととの距離についての考へ方が、その事情を明らかにしてゐる。しかも話は過去に終焉したものでなくして、今のもの、今日に生きてゐるものである。かういふことも異徒の私がいふのではなく、内村先生がはぼ同じことを外國宣師に對して斷言されてゐるのである。

保田輿重郎「現代畸人伝」涙河の辯
2011/02/08(火) 12:37 | URL | #-[ 編集]
No title
>負けた戦いを、単に「負けたからアイツはバカだ」というのは簡単です。

そしてそういう歴史から肝心なことを学ばない人達が今や権力を握ってバカをやっています。当然といえば当然の帰結でしょうが。

>戦いでは「負け」たかもしれないが、みんなを守ったという点では「勝ち」です。

欧米にしろ中国にしろ、主要国の指導者がまだ戦中派世代だった頃までは、日本を本気で怒らせたら怖いという意識があったのではないかと著名な知識人が言っていたことがいました。クリントンなど戦後世代が台頭するとすっかり舐められてしまいましたが。

また、山本七平の『私の中の日本軍』だったと思いますが、フィリピンで敗戦をむかえ米軍の捕虜になった当初は意外に扱いが悪くなかったのが、直接戦った敵であった米兵らが帰国し新たに本国から派遣されてきた米兵に交代するにつれて、扱いというかむこうの態度が悪くなっていったというようなこ話が出てきます。凄惨な現代戦での敵とはいえ真剣に戦いあった相手への何らかの共感というものは生まれうるということでしょうか。
2011/02/08(火) 11:04 | URL | #-[ 編集]
No title
大英帝国は、勝って負けてしまった帝国。あの戦争で、得た物など、ほとんど無い。戦後も、復興するまで、とても大変な思いをしています。(実は決して完全な復興などありえませんが。)この国の歴史教育もかなり歪です。義務教育では、ほとんど、しっかりとした歴史を教えていません。日本と違うのは、その歴史の無知の部分が、あろうが無かろうが、王国のそれぞれの国々の人々は、自分の生まれた国を愛して止まない。この自然な事が、今の日本人が出来ないわけが無いと思っています。
2011/02/08(火) 08:49 | URL | 白地に赤十字の旗から赤丸様へ #aIcUnOeo[ 編集]
No title
34歳の主婦です。主人の祖父がインパール作戦弓兵団の帰還兵です。孫には戦争のことは語りたがらなかったようですが、壮絶だったと聞きました。目の前で一部隊が瞬時に消失したと語っていたようです。
私の祖父は満州より帰還、主人の祖父がビルマより帰還し、私達に命が繋がりました。すごい確率だと思います。日本に帰還出来なかった英霊の方々のことを考えると胸が痛みます。祖父母の強い精神性、道徳心を少しでも受け継げるように生きていきたいと思います。昔の日本人のことをねずきちさんのブログで拝読する度に、申し訳ない気持ちと憤りを感じます。しかし、私達は強い精神性を持った日本人のDNAを確実に持っています。教育によって呼び覚まされると信じてます。自分の子供たちに当たり前の日本人としての教育が出来る世の中にしたいです。
2011/02/08(火) 08:35 | URL | ゆかり #-[ 編集]
なんと、悲しいことなのでしょうか、インド独立のために戦い死んでいった方々いて、戦後日本軍がアジアに侵略したと教えこむ奴がいる、我々は彼らに対し敬意を払い語り継がなければならないだろう。
2011/02/08(火) 07:26 | URL | 玄米 #-[ 編集]
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無門庵

JUGEMテーマ:気になるご飯やさん  十何年か前に、たまたま通りがかって入り、最近突然思い出してまた訪れた、JR西国立駅近くの料理屋、日本料理・懐石料理「無門庵」を紹介します。 本格的な懐石料理だけでなく、地ビールの製造販売もしているんです。 さらに驚くべきは、かつては旅館で、戦時中に神風特攻隊として出陣する兵隊さんたちに、せめて最後の夜を穏やかに過ごしていただ...
ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
静岡県出身。国史啓蒙家。倭塾塾長。日本の心をつたえる会代表。日本史検定講座講師&教務。
連絡先: nezu3344@gmail.com
著書
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』第1巻〜第3巻
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』
日々、先人たちへの感謝の心でブログを書き綴っています。それが自分にできる唯一のお国への、先人たちへの、そしていま自分が生かさせていただいていることへのご恩返しと思うからです。こうしてねずブロを続けることで、自分自身、日々勉強させていただいています。ありがたいことです。

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サンフランシスコ講和条約で、日本は台湾に関して処分権は連合国に提供しましたが、領土の割譲は行っていません。条約以降、連合国も日本も台湾の処分先を決めていません。つまり台湾はいまも日本であり、台湾にいる1500万人の戦前からいる台湾人は、日本国籍を有する日本人です。私は台湾民政府を支持します。
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基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメントは、削除しますのであしからず。
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コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人である私の判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
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