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先人たちが目指した日本の姿。それは私達の国が常に「よろこびあふれる楽しい国(=豈国)」であり続けることです。


小町園の悲劇

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焼け野原となった名古屋


RAAというのをご存知でしょうか。

「Recreation and Amusement Association」の略です。
直訳すれば「レクリエーションとお楽しみ協会」です。
この日本国内に実在した組織です。

できたのは先の大戦の終戦直後です。


日本がポツタム宣言を受託した。
そして進駐軍を迎えるにあたって、時の東久邇(ひがしくに)内閣が、当時のお金で一億円という巨費を投じて開設した特殊慰安施設です。

そこで慰安婦は「Serving Ladies」、慰安所は「Sex House」と英訳された。

第一号店が開設されたのは、マッカーサーが厚木飛行場に降り立った日より2日早い、昭和20(1945)年8月28日のことです。

場所は東京・品川の大森海岸の駅前の老舗料理屋「小町園」を改造して設置されました。

そこで何があったのか。

当時、この「小町園」で女中をしていた人の手記が残っています。
以下にご紹介します。

戦争に負けるということ、他国に占領されるということが、どういうことなのか、以下の文で、すこしでもわかっていただけたら幸いに思います。

それは、逆に言えば、いかに「国」というものが大切でありかけがえのないものであるか、といことの裏返しでもあります。

そしてもうひとつ。
東洋において、唯一、植民地奴隷になることを拒否し、国を守り抜いた先人たちが、戦後においても、ギリギリのところでこの国が崩壊するのを踏みとどまらせ、おかげで、今日の日本の繁栄がある。

私たちが、いま、こうして一定の生活ができるようになったのも、すべて先人たちのおかげである、ということをみんなで再確認したいと思うのです。

文章は、昭和20年代に書かれたものです。
読みやすくなるように、現代文に編集しています。

原文には、書いた人の記名がありますが、ここでは割愛します。
あまりにかわいそうで悲惨だからです。

以下に引用します。

~~~~~~~~~~~
大森海岸の「小町園」といえば、いまの中年の御紳士方で、ずいぶんなつかしがる方がいらっしゃるのではないでしょうか。

戦前は、今のように、温泉マーク(注:ラブホテルのこと)が都内のあちこちにありませんでしたので、そういう場合にたちいたりますと、京浜国道をひと走り、大森の砂風呂へ行こうなんて、みなさん、よく大森海岸までいらっしゃいました。

小町園も、そういう目的のために建てられた、海に面した宮殿のような大きい料亭でございました。

そういう戦前の、落ち着いた、奥ゆかしい小町園を知っている方に、終戦当時に小町園が描き出したあの、悪夢のような姿を、想像していただけるでしょうか。

現に、その光景を目にした私でさえ、今はウソのようで、これからお話することを誰も信じていただけないのではないかとおそれるのですが、でも、小町園の柱のひとつひとつ、壁の一面一面には、日本の娘の、貞操のしぶきが、流した血のあとが、しみついているはずなのです。



忘れもしません。
終戦の年の、昭和20年8月22日でした。

ご主人が銀座の方へお出かけになって、かえっていらっしゃると間もなく、私たちのいる女中部屋の方へ、
「ここがRAAの第一施設になるらしい」という噂が伝わってきました。

女中部屋はそれを聞いて、ハチの巣をつついたような騒ぎになりました。

私には、そのRAAというのがわかりません。
聞いてみると、特殊施設協会とかいって、政府と警察と、それから私たち業者などが一緒になって作っているお役所で、お金は政府が一億円も出しているということでした。

でも私たちが驚いたのは、まだ見たこともないアメリカ兵がここへ入ってくる、ということでした。
そのRAAというのは、進駐軍を迎えてサービスをする施設だということですから。

「それじゃ、毛唐(けとう)の慰安所じゃないか」と、みんなびっくりしました。

その頃はまだ、パンパンという言葉もなく、アメリカ兵は「鬼畜米英」などと新聞に書かれ、私たちも素直にそれを信じて、アメリカ兵は人肉を食うなどと思っていたのですから、皆の不安も無理ありませんでした。

しかし、あとの騒ぎをいま振り返ってみますと、アメリカ兵は人肉こそ食べなかったけれど、それを同じことをした、と思わずにはいられません。

RAAの施設には、はじめ、日本橋の三越があてられる予定だったそうですが、さすがに三越側で承知しないので、大森海岸の料亭ということになり、悟空林や楽々が挺身隊の寮として荒らされているところから、うちに決まったという話でした。

その話が伝わった翌日には、なんと大工さんが50人もやってきて、昼も夜もぶっつづけで、こわれたところや、いたんだ箇所を直しはじめました。

さあ大変です。
いよいよアメさんがくるのが本当だとわかると、女中の中にはひまをもらって、辞めていく人もあるし、毒薬を懐にして、いざとなったらこれを飲んで死んでやるといきまく者もいます。

私も家さえあれば、逃げて行きたいところですが、家は焼けて住むところさえありません。
それで、ええ、ままよ、と悪く度胸を据えてしまった訳ですが、その当時は、女中も、あとから来た慰安のひとたちも、そういう家がないから仕方がないという人が多かったのです。

ご主人は、私たち20人ほどの女中を集めて、この小町園は、御国のために、日本の純潔な娘たちを守るために、米兵の慰安所として奉仕することになった。慰安婦たちは、ちゃんと用意してあり、あなた方女中には手をつけさせないようにするから、安心して働いてくれるように、訓示をなさいましたが、私たちはパンティを2枚履くやら、大騒ぎでした。

いよいよ明日の28日、厚木へ進駐軍の第一陣が乗り込むという、その前日になって、お店の前に二台のトラックがとまり、そこから若い女の人ばかり30人ばかりが降りて、中へぞろぞろと入ってきました。

リーダーみたいな男の人が、RAAの腕章をしているので、その女の人たちが、進駐軍の人身御供になる女だとすぐわかり、私たちは集まって、いたましそうに、その人たちをみやりました。

モンペをはいている人もいますし、防空服みたいなものをつけている人もいます。
ほとんど誰もお化粧をしていないので、色っぽさなど感じられませんが、しかし何と言っても若い年頃の人たちばかりですから、一種の甘い匂いのようなものがただよっていました。

この人たちは、みんな素人(しろうと)のひとでした。
のちに応援にきたひとは玄人(くろうと)の人もいましたが、はじめ小町園に来た人は、みんな素人の娘さんでした。

銀座の八丁目の角のところに、新日本の建設に挺身する女事務員の大看板を出して集めた人たちですから、進駐軍のサービスをするということはわかっていても、そのサービスが肉体そのもののサービスだとは思わなかった人たちもいて、なかには、そのときまで生娘も何人かまじっていました。

前にちゃんとした官庁に勤めていたタイピスト、軍人の御嬢さん、まだ復員してこない軍人の奥さん、家を焼かれた徴用の女学生など、前歴はさまざまで、衣服、食糧、住宅など貸与の好条件に飛びついてきた人たちでした。

その30人の人たちは、もちろん、ちゃんと着物を与えられ(まちまちの着物でしたが)食物も与えられ、部屋ももらいました。

しかし、おぉ、その上に、何をもらわなくちゃならなかったか、その人たちは、翌日から知ったわけでした。



8月28日、厚木進駐、何というはやさなのでしょう。

もうその晩、新装をこらし、灯りをあかあかとつけたお店の前に、組み立ておもちゃみたいな自動車が停まり、そこから5人の兵隊が、何かお互いにがやがや英語でしゃべりながら、入ってきました。

それが記念すべき、はじめてのお客でした。

その人たちは、缶詰のビールを持ち、めいめい腰にピストルを下げていましたが、私たちが考えていたより、ずっと紳士的な態度で、

「ここに御嬢さんたちがいると聞いてきたが」といって、カードを通訳のひとに見せました。

それには、お店の地図が書いてあります。
いつの間にかRAAの方で、こんなカードを印刷したらしいのです。

主人はよろこんで、この5人の「口切り」のお客様をもてなそうとしました。

この人たちは、靴のまま上がろうとしたり、ふすまをドアと間違えて、押して外してしまったり、そんなヘマをやりましたが、上がると広間でおとなしく持参のビールを飲みはじめました。

広間で特別に招いた大森芸者の手踊りを見せましたが、彼らはそんなものはさっぱり興味がないようで、しきりに、お嬢さんはどこにいるのだ、と聞き、料理をはこぶ私たちを抱きすくめようとしたり、なかには、いきなり部屋のすみで押し倒して裾に手をいれようとしたりする兵隊もありました。(和服がめずらしかったのでしょう)

それで私たちは、ご主人に言って、5人の兵隊に、慰安婦の部屋にひきとってもらいました。

なにしろ、素人の娘さんたちですから、はじめてみる外国兵の姿にふるえ、おののいて口もきけません。

それをまるで赤ん坊でも抱くように、ひざの上に抱き上げて、ほおずりしたり、毛だらけの大きな手で
「かわいい」とでも言っているのでしょう、何か言いながら、あちこち体を撫で回したりしているのを見て、私は急いで障子を閉めました。

廊下で聞いていると、あちこちの部屋で悲しそうな泣き声やら、わめき声やらがしました。
泣き声は女で、わめき声は男です。

おそらく何か月もの間、殺伐な戦場で、女の肌に一度も触れないできたのでしょう。
その、たまりにたまった思いを、一度にとげようとしているのでしょう。

その物音や、声を聞いていると、女の私でさえ、変な気持ちになりました。
もう何年もそういうことからは遠ざかっていた私ですから。

そして、ああ、やっぱり、日本は負けたのだと、日本の娘がアメリカの兵に犯されている物音を廊下で聞きながら、はじめてそのとき、敗戦の実感が胸にしみ、涙が出てきました。

5人のアメリカ兵は、その夜、12時頃までいて帰りました。
私はタバコを1箱、チップにもらいました。

部屋へ行ってみると、部屋中にアメリカ人の体の匂いが甘酸っぱく漂い、そのなかで、RAAの娘さんが顔をおおっていました。
素顔で体中汗でひかり、いかにも苦しそうに息をはいています。

聞いてみましたが、恥ずかしがって何も言いません。
しかし、皆の話を総合してみると、彼らは思ったよりずっと親切だったそうですが、何しろ体が大きいし、はげしいので、みんなくたくたにされてしまったようでした。

その5人の兵隊たちが満足したのも無理はありません。
彼らは幸せだったのです。
処女もその中にひとりいましたし、そうでないのも、ながい間、そううことから遠ざかっていた、おぼこな女ばかりでしたから。
だから、女の人も疲れてしまったのです。



しかし、そんなのんきなのは、この晩だけでした。
この5人は、嵐の前触れのようなものだったのです。

翌日は、ひるまから、彼らはウワサを聞いて続々とやってきました。

大勢になれば、もう遠慮なんかしていません。
土足でずかずか上り込み、用のない部屋に入り込んだり、女中や事務員まで追い回したりします。

10日ほど経ったとき、その騒ぎはどうしようもなくなりました。
ほかにも、ポツポツそういう施設ができかかっていたのでしょうが、私たちからみたら、なんだか東京中の進駐軍が、みんな私たちのろころへやってくる気がしました。

ジープが前の広場に、十台も二十台もとまっていて、あとからあとから、兵隊たちはやってきました。

はじめてやってきた30人の女のうち、ふたりは、最初の晩にどこかへ逃げて行って、残った娘さんたちが、お客を迎えたのですけど、部屋が足りないので、まるで体格検査上みたいに広間をびょうぶで仕切って、そこに床を敷いて待たし、一部屋になっているところも、兵隊たちが障子をこわしてしまったので、開けっ放しです。

女たちはそれを嫌がりましたが、兵隊たちの方は平気で、かえって面白がって口笛を吹いたり、声をかけたりして楽しんでいました。

ひとりの男が中にはいると、あとの列が、ひとつづつ前へ進みます。
まるで配給の順番でも待っているようです。
その列が廊下にあふれ、玄関に延び、ときには表の通りまで続くときがありました。

私たちも、ぶっ倒れそうになりながら、その兵隊たちの間をかけまわって、用をたしました。
気を張ってないと、待っている気なぐさみに、どんなことをされるかわかりません。

接吻をされたり、お乳に手を入れられたり、私もしまいには神経が太くなってしまって、接吻なぞ、何度もされました。
なにしろ、右を向いても左を向いても、そんな風景ばかりなのですから。

ひどい目にあったのは、募集で集まってきた女の人でしょう。
みんな素人の娘さんたちなのです。

はじめての日に処女をやぶられて、一晩にひとりの男の相手をするだけでも、心が潰れるほどのことだったでしょうに、毎日、昼となく夜となく、一日に最低15人からの、しかも戦場からきた男の人を相手にしなくてはならないのです。

素人の女ですから、要領というものを知りません。
はげしく扱われれば、正直に女の哀しさを見せてしまいます。
それではたまったものではありません。

たちまち別人のようになって、食事もろくにとれず、腰の抜けた病人のようになってしまう人が多かったのです。

どうしてこんなアシュラのようなところから、みんな逃げ出さなかったのか不思議に思うのですが、逃げようにも逃げる気力さえなくなっていたのかもしれません。

どこの部屋からも、叫び声と笑い声と、女たちの嗚咽(おえつ)が聞こえてきました。

それを聞いていると、日本の女が、戦勝国の兵隊の蹂躙にまかせられているという気がしみじみとしました。

それは、それから何年にもわたって、日本の全土にわたって行われたことの縮図だったのです。
見本だったのです。

私たち女中のなかからも犠牲者が出ました。

よっちゃんという19の子は、布団部屋にはいったところを、数人の兵隊に見つけられ、なかでイヤがるのを無理に輪姦されて、
「お姉さん、あたし・・・」
と私に泣きついてきました。

キズ口を洗ってやりましたが、裂傷を負っていました。

「わたし、好きな人がいたの。こんなことになるんだったら、復讐してやるわ、兵隊たちに!」

そういって、翌日から慰安婦の方へまわって、お客をとるようになりました。

しかしこの子は、もともとそういうことが好きだったらしく、それに外人の体がめずからしく良かったのでしょう。
復讐どころではなく、何人のお客を迎えても、鼻歌交じりで、きゃっきゃっといって、兵隊たちと騒ぎまわっていました。

一日に60人のお客をとったという女が表れたのも、その頃の話です。
そのときは、ペーディだったのです。
朝から横になったきりで、食事も寝ながらとるという調子だったそうです。

でもその人は、もうそれっきり立てなくなって、病院に送られましたが、すぐ死にました。
精根を使い果たしたのだと思います。



そんな毎日が続いても、お客はあとから、あとから増えるばかり。
収拾のつなかい混乱におちいってしまいました。

女たちは、もちろん短期の消耗品みたいなものでしたけど、それでも使い物にならなくなれば困ります。

ご主人は、銀座のRAAに応援を求めました。
RAAの方では、はじめの失敗に懲りて、今度は新宿や吉原から集めた玄人の女を、補充に30人ほどこっちへ送り込んできました。

そしてRAAのほうに応募してくる素人の娘さんは、いったん吉原などへ送り、そこで泣いたりわめいたりしないように実地訓練をするという方法をとったようです。

こんど来た人たちは、何といっても、そういうことには慣れている人たちですから、一晩に10人や20人のお客をとるのは平気です。

「それでもねぇ、やっぱりなんだかヘンよ。体が違うでしょ? それに言葉は通じないし、おまけに向こうでは、女のご機嫌をとろうと思って、いろんなことをしてくるでしょ? こっちはなまじっか、そんなことされないで、早く切り上げてくれた方がいいと思うんだけど・・」

などと、くわえタバコで、私たちに、そんなことを打ち明ける人もいるほど、なれていました。

この人たちが来てからは、だいぶうまくいくようになり、兵隊同士のケンカや、女中の犠牲者たちも少なくなりました。

はじめにきた30人の女の人は、その2~3か月の間に、病気になったり、気が違ったりして、半分ほどになっていました。

しかし、その半分の人も、現在ではきっとひとりも、この世に残っていないと思います。
それほどひどかったのです。
まったく消耗品という言葉がぴったりとあてはまる人たちでした。
とても人間だったらできないだろうと思われることを、若い、何も知らない娘さんたちがやったのです。

そしてボロ布のようになって死んでいったのです。

そうこうしているうちに、方々に同じ施設ができました。
お店の近くにも、やなぎ、楽々、悟空林と続いて開業しましたので、うちへ入るお客も、自然少なくなり、一時の地獄のような騒ぎもおさまりました。

でも、今度は、世の中全体に、そういう風潮がひろがっていくのが、私たちにもわかりました。

若いお嬢さん風の女の人が、玄関にはいってきて、主人に「働かせてください」と頼むことがありました。

理由を聞いてみると、路でアメリカ兵に強姦されて、家に帰れないから、というのでした。

そうして自分から、アメリカ兵に媚を売る女になっていく人も、何人かありました。

今思うと、こうしてあの頃、東京中にパンパンなるものが生まれつつあったのですね。

私はそれから何か月か経って、とうとうアメリカ兵のひとりに犯され、お店をやめましたけれど、あの頃の小町園のことを思い出すと、悪夢のように思われます。

~~~~~~~~~~~~

進駐軍を迎えるのにあたって、ときの日本政府は、性の侵略をされるということを恐れたのです。

だから「善良で清純な婦女子を守るために」、日本全国の都道府県に「外国駐屯慰安施設等整備要項」を出し、公娼、私娼、芸妓を中心に、慰安婦を集めたのです。

しかしそれでは数が足りず、昭和20年の9月下旬には、全国紙に慰安婦の募集記事がRAAによって掲載されました。

そこにはこう書いてあった。
~~~~~~~~~~
女子事務員募集
年齢18~25歳まで
宿舎、被服、食糧支給
~~~~~~~~~~

戦後の焼け野原で、住むところも食料も衣服さえも替えがなかった時代です。
しかも、優秀な適齢期の男たちは、みんな戦地に行き、そこで多くが戦死し、抑留されています。

この結果、日本国内の適齢期の男女比率は、男1に対して女5の割合だった。

しかも国内経済は壊滅状態です。
就職の宛てもない。

敗戦後二年間の失業者は600万人であり、女性に限っていえば、ほんとうに職がなかった。

本文にある小町園では、三井銀行の事務員をしていた娘さん(処女だったといわれている)が、はじめての客に黒人兵をとり、気が変になって、その日のうちに京浜急行の電車に飛びこんで亡くなったという実話も残されています。

横浜では、やはりRAAによって山下町に「互楽荘」に80人ほどの女性が集められています。

開業が小町園から4日遅れの9月1日だったのですが、どこでどう話を聴きつけてきたのか、開業の前日に百人を超える米兵がカービン銃を突きつけて押し込み、そこにいた14人の女たちを蹂躙しています。
翌朝、泥靴の跡も生々しい女たちが、虫の息で転がっていたといいます。

さらに開業二日目、黒人兵からひどい目に遭わされたことのある女性が、別の黒人兵に嫌悪感をあらわにして相手をするのを嫌がった。

女性を無理やり犯そうとしたから、女性が逃げ出した。
黒人兵がそれを追い、首を絞めて殺してしまうという事件が起こっています。

MP(米軍の憲兵)が駆けつけ、逃げようとしたその黒人兵を射殺した。
この結果、横浜の慰安施設第一号は、その日のうちに閉鎖になっています。

世界の軍隊の中では、まだマシなほうと言われている米軍でさえ、これなのです。

これが悪名高い中共の人民解放軍だとどうなるか。
チベットを見ればわかります。

チベットは、2千年の歴史のある国です。
そこに中共が自国の中華固有の領土であると一方的に宣言して進駐した。

その結果、4500あった寺院は破壊し尽くされ、今は45です。
僧侶は15万人いたけれど、今はわずか1400人、虐殺されたものは128万人で、国民の5人に一人は殺された。
女たちは強姦され、殺され、子供たちは教育の機会を奪われて、いまやチベットの文盲率は男子で60%、女子で82%です。
これは現在進行中の話です。

本稿で、日本政府がRAAを用意したことには、嫌悪感を持たれる方も多いかと思います。
けれど当時の政府は、より多くの国民を守るために、そういう選択をせざるを得なかったのだということを最後にひとこと書いておきます。

つまり、慰安施設を、ちゃんと用意しておかなければ、一般の婦女子が犠牲になる。
それを防ぐために、職業慰安婦を雇い、慰安所を設けたのです。

もし、政府がそれをしなければ、上に書いたような悲劇は、単にその施設内のできごとというのではなく、日本女性みんなが、無差別にそうした悲惨な目に遭わされる危険があった。
現に、すこし前に占領されたベルリンでは、街の女性が少女から老婆まで8割が強姦されたし、同様の事例は枚挙にいとまがない。

そういう事態を防ぐために、苦汁の選択をしたのだ、そうやってひとりでも多くの日本の婦女子を守ろうとした人たちがいたのだ、そのおかげで、日本が7年間もの占領統治を受けながら、日本人として純潔をいまだに保つことができているのだ、ということに、私たちは感謝しなければならないと思います。

また終戦という混乱の時期にあって、国内においてさえ「小町園」のような悲劇が起こった、だから「戦争がいけないんだ」という議論の飛躍も、いけないことだと思います。

なぜなら、敗戦によって占領を受けた国は、戦後65年経った今でも、「小町園の悲劇」がいまだに延々と継続しているのだ、という、この事実を見落としてはならないからです。
先ほど述べたチベットしかり、ウイグルしかり、です。

また日本は、有色人種として植民地奴隷になる道を選ばず、自存独立のために明治以降、必死になって国を支えてきた。
だから日本人は、奴隷にならずに済んだのです。
もし、黙して奴隷になる道を選んだのなら、いまのアジア諸国も、アフリカ諸国も、いまだ植民地のままであり、日本も日本人も生まれたその日から死ぬ日まで、一生、男はタダ働き、女は操を無視され、私有財産もプライバシーも自由もない生涯を、何百年も過ごさざるを得なかった。
このことも、たいせつなポイントだと思います。

いま、沖縄を中共にくれてやろう、などという不埒なたくらみをする連中がいます。
いうまでもなく、反日左翼の連中です。

選挙になると、わざわざ住民票を1000人単位で移してまで、インチキ選挙を繰り広げ、沖縄を中共に売る工作をしています。
同時に、彼らは反日を扇動し、あおっている。

彼らは、沖縄が日本で亡くなったとき、沖縄県民が受けるであろう悲惨な道を、ひとつでも想像することができるのだろうか、と思うのです。

家族国家日本であるから、みんなが支えあい、助け合って生きていることができているのです。

それは家族が支えあうのとおなじ構図です。
一歩家の外に出れば、いくらでも危険がある。

日本を外に売り渡そうなどと、ろくでもないことを考える前に、いかにして日本が往年の姿を取り戻し、住みよい日本になるかをちゃんと考えるのが、筋というものです。

ボクはそう思います。

ともあれ、戦後の時代に犠牲になった多くの女性たちに、感謝をこめてご冥福を祈ろうと思います。

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本日の引用文は、新人物往来社「証言昭和二十年八月十五日―敗戦下の日本人(0021-40088-3306)」から抜粋させていただきました。

朝鮮進駐軍


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コメント
歴史に学ばないといけないですね。
まずはじめに、あの戦争はいくらでも避ける方法はあったという意見に対して反論します。
それはインディアンに対して時代を読みとれず無駄な血を流したと言っているのと同じことですし、幕末のペリー艦隊の来航によって、開国した徳川幕府に対して弱腰と言っているのと同じ論理です。
弱肉強食は自然界の中の普遍の原理で、人間も自然の中にいる生物の1種なのです。肉食系の欧米諸国のアジア利権に対する過度な欲望こそが第2次世界大戦の起源なのです。
日本史の中での画期的な路線変更だった明治維新までもが不平等条約からのスタートだったのです。
国策レベルで白人社会と対等な交渉が過去に一度でもあったのでしょうか?

少なくとも私達は日本人として、先人の行為をそれがどんなものであったにせよいたずらに批判することはなによりおろかな行為だと知るべきでしょう。

その方達がいたから 私達があるのです。
今の我々に何よりも必要なものは日本人としての誇りを醸成することではないでしょうか?
2011/07/13(水) 07:06 | URL | こうちゃの #69qvYmT6[ 編集]
No title
南無阿弥陀仏、御国の為に戦って亡くなられた方は男性だけではなかったのですね…先人たちの御蔭で今の私たちがあると云うことを改めて感じるお話でした。私は先の大東亜戦争は反省よりも恨みの感情の方が強いです。我々大和民族は決してこのような実話を忘れてはいけないと強く思います。
2011/05/21(土) 13:34 | URL | 名無しさん@ニュース2ちゃん #-[ 編集]
全くその通りですね
a6m5さん

<さらに悲劇だけでなく美談は戦後に日本人に自信と誇りを取り戻させてくれる。そういう意味でもねずきちさんのブログは続いてほしいと思っているのです。>

全く仰るとおりです。現代日本社会は自虐史観全盛で戦争の悲劇部分だけを強調して反戦平和という綺麗事を論じるばかりで、その戦争中に先人たちが行った立派な行為までも貶めて戦争を美化するなと言っています。

そういうことではあの戦争の真実は見えてきません。どのようなことにもマイナスとプラスがあり、その両方を公平に見ることが今後の役に立つことだと私は思っています。

そのような観点から、このねずきちさんのブログは他のどこのブログよりも傑出して居ると感じています。このブログが末永く続いて日本中の人々が読んでくれるように祈るばかりです。



2011/03/08(火) 18:23 | URL | terag3 #KVPRtAI6[ 編集]
私もです
苦言2さん
この件を調べている途中、何度も辛くなり止めようかと思いました。(私の認識が甘かっただけでベトナムで散々なことやっている米軍を思い出せば容易に想像がつくはず)でも目を背けず真実を知り、後世に伝え続けることが次のよりよき日本を作ることになると思うのです。
さらに悲劇だけでなく美談は戦後に日本人に自信と誇りを取り戻させてくれる。そういう意味でもねずきちさんのブログは続いてほしいと思っているのです。
2011/03/08(火) 17:57 | URL | a6m5 #Ri0.Nt7g[ 編集]
terag3さん,お返事有り難う御座いました
terag3さん

>その身の上をを悲しんで歌われたのが、あの歌なのです。<

そうだったんですか、哀愁をさそうメロデーィが好きでした。ですが、歌の内容を知ったのは今日が始めてです。

何ともただ、気が重い、、、です。

「小町円の悲劇」も「敗戦の現実1~4」もできることなら知りたくありませんでした。聞かなければよかった、が本心です。 でも語り、伝え続けます。無かったことにはできません。
2011/03/08(火) 14:02 | URL | 苦言2 #-[ 編集]
敗戦の現実4
>始めから勝てない戦争と知りながらアメリカと戦争なんかするから 回避する手段は(当時でも)いくらでもあったはずなのに ‥・
山本五十六長官も反対した日独伊三国同盟の時点での選択がポイントだったように思います。(長官の言葉に『陸軍との争いを避けたいから同盟を結んだというが、内乱では国は滅びない。戦争では国が滅びる。内乱を避けるために、戦争に賭けるとは、主客転倒もはなはだしい。』と残ってます)
対米交渉の時はすでに米国としては白人によるアジアの植民地支配体制の維持と不利な英国のために対独参戦する必要があった、さらに88%反戦という米国世論を動かすために日本を挑発して戦争行為をするよう計画。開戦前にもかかわらず米英蘭仏による日本資産凍結や対日石油禁輸など挑発に乗ってしまったというかやむなく開戦に至ったという事実。歴史にifなどなく、先人の犠牲を忘れず無駄にしないよう歴史の真実を知って未来に活かすことが大切だと思います。
2011/03/08(火) 13:05 | URL | a6m5 #Ri0.Nt7g[ 編集]
敗戦の現実2
しかし、この性の防波堤を以てしても完全に守りきることが出来なかったことも事実です。米軍が紳士?世界の警察官?なんてあり得ません。日本に進駐軍が来た第一日目から横須賀市内の民家に侵入し母(36歳)娘(17歳)を強姦するという不法行為が発生しています。横浜市内の店の女中(24歳)を野毛山米軍宿舎に連行、米兵27人輪姦され仮死状態になるなど、日に30~40件近い不法行為があったらしく、武蔵野市では3人の小学5年生の女児が強姦・傷害を受けるなど神奈川県は女生徒を休校にしたり対策に追われたようです。内務省警保局外事課(特別高等警察)の調書「進駐軍ノ不法行為」(昭和20年10月4日特高解散命令後、不名誉な記録のためGHQに没収され昭和48年12月に返還され翌年1月国立公文書館に所蔵)で記録されています。
泣き寝入りも多く、昭和20年9月19日のGHQ「プレスコード」により事件が公に出なくなったこともあってまだ事実確認が出来ていませんが、昭和21年4月200~300人の米兵が東京・大森の病院に侵入し看護婦など30数人の女性職員、重症患者を除く40数人の女性患者を輪姦され、産婦の赤ちゃんが蹴落とされて死亡という事件もあり小倉事件など情報統制されて公になっていない事件は多数存在します。
2011/03/08(火) 12:57 | URL | a6m5 #Ri0.Nt7g[ 編集]
敗戦の現実1
占領軍慰安所創設についてですが、女性従業員募集で集めて受付時に仕事内容は説明したようですぐ帰ってしまった女性もいたようです。
この戦後の事実を知り自分なりに調べた結果、確かに性の防波堤としてより多くの日本人婦女子を守るためということは理解できますが、守られた婦女子と犠牲となった婦女子との間に何の違いがあるのかと心情的に納得いかないものがあるのも正直な気持ちです。日本政府は戦争で多くの国民の命を犠牲にして負けたらまるで占領軍に女体を献上するがごとく多くの婦女子を犠牲にしたという事実。病気の蔓延と米大統領夫人の反対で慰安所がなくなった後もパンパンという形で最大約7万人いたという事実。(左系のサイトではロマンス的な情により日米の混血児が多く存在し、南京事件ではまびきをしたから混血児がいないだけで大虐殺はあったという無理な論理に腹が立ちましたが)
2011/03/08(火) 12:55 | URL | a6m5 #Ri0.Nt7g[ 編集]
苦言2さんへ
苦言2さん

リ・コメント有難うございます。その後のコメントが見たくて戻ってきて、苦言2さんの私への質問を拝見しました。

<「星の流れに身を占って....こんな女に誰がした...」この流行歌は今回のお話と関係があるのですか? >

それは、この「小町園の悲劇」では何も知らない素人のしかも無垢の女性までもが事務員募集の広告で来てみたら何と予想もつかなかった占領軍の慰安婦という職業だったと言う悲劇ですが、終戦直後の日本はみんな満足に食料も無く食うや食わずの悲惨な毎日でした。

お百姓さんたちはまあまあ、自分たちで作った食物を食べて餓えはしませんが、いわゆる勤労者は職も無く金も無く食料も無く、やむなく自分たちの箪笥の中の着物などや家財道具などを売って食料に変える日々でしたが、それも底がついて売るものも無くなってしまい、あと残るのは女性であれば春を売るしかない状態に追い込まれていたのです。

日本全国がそのような状態でした。そこでそれらの女性たちは、夜になるとガード下や街角に立って客を引く、それもいわゆる進駐軍のアメリカ兵の客が多かったのですが、当初は素人娘を騙してまでも進駐軍の慰安婦にしたが、その後は食うために自らパンパンになって春を売らざるを得ない状況になった、その身の上を悲しんで歌われたのが、あの歌なのです。


2011/03/08(火) 07:35 | URL | terag3 #KVPRtAI6[ 編集]
『戦死』
…この方達は、『戦死』なされたのだと思います。日本国と日本の民を守って、闘って亡くなられたのです。絶対に忘れてはいけない。こういう方々の存在が在ったという事を。我々が知る事が出来なかった、我々が知らなければならないお話を、ねずきちさんが沢山ご紹介して下さるお蔭で、知る事が出来ています。本当に有難うございます。これからもどうぞ宜しくお願い致します…(_ _)(T^T)。
2011/03/07(月) 01:33 | URL | 守り抜こう日本!! #-[ 編集]
terag3さん へ
すみません「さん」を忘れました。
2011/03/06(日) 13:22 | URL | 苦言2 #-[ 編集]
terag3
terag3さんご賛同ありがとうございます。
ねずきちさんには大変ですがずっと続けて戴きたいと常に思っています。

「星の流れに身を占って....こんな女に誰がした...」この流行歌は今回のお話と関係があるのですか?

戦後の混沌とした情勢が落ち着くのには最低でも10年はかかったのではないでしょうか?私は戦後生まれですがこの歌は歌えます、歌詞は最初のほうだけ覚えています。意味は分かっていた様で分かっていなかったんっではないかと複雑な心境です。日本は世界最強の軍備と軍隊を持つべきです。ハイテクを駆使しての最新の守備機も。



2011/03/06(日) 13:18 | URL | 苦言2 #-[ 編集]
「苦言」さん見てますか?
苦言さん、3月6日のエントリー読みましたか?

東條英樹閣下の遺稿が改ざんされているそうです!

持ち前のねちっこさでもって糾弾お願いします!!期待しています!!!


ねずきちさん、いつも読んで辛いですが貴重なお話紹介してくださりありがとうございます。
2011/03/06(日) 12:36 | URL | 苦言4 #-[ 編集]
文句言う奴
意味分からん。
別にブログで金儲けてないし。これでブログ主が本を出版してたり、有料メルマガだったら話は別だけど、ブログって、利益出るの?出てないんだから良いんちゃうの?
苦言なんて綺麗な言葉使ってるけど、ただのイチャモンやろ?それとも因縁か?w 何の利害関係もない奴が、他人の趣味のブログにイチャモンつけるのって、どうよ?嫌なら読まんときゃ良いだけの話やん。読む読まないは読者一人一人の価値観で決める事やん。違う?自分の価値観が読者全員と一緒のわけないやろ?日本人の心云々ほざく前に自分の価値観を他人様に押し付けるような真似辞めたら?

************ねずきちさん、読者の皆様、汚い言葉を使ってしまいすいませんでした。
************
2011/03/06(日) 11:11 | URL | 苦言3 #w1/.2S.M[ 編集]
No title
皆さんこんにちは。「百の真実に一つの嘘をまぜ・・・」確かに其の通りではありますね。

この手口は反日勢力や大手マスコミ等がよく使っている手口では有りませんか。
ただかつて学校で地理、歴史の授業を受けていたときは
特に近現代史は時間が無いといわれほとんど勉強は無くなっていたのを記憶しております。
全てを鵜呑みにする事はよくありませんが180度見方が違うがこのような意見や主張があるという事を教えなくてはいけないのではないのでしょうか。?
今の日本国政府、民主党議員らこそ中国、南北朝鮮の主張を鵜呑みにして自国の国益を失い日本国民の安全保障を駄目にしているではありませんか。
2011/03/06(日) 10:51 | URL | 一有権者 #-[ 編集]
苦言さんに一理あり
出典元がどうでもいいとは思えません。感動、感謝、涙なくして読めない話が多いが、百の真実に一つの嘘を混ぜ、話に尾ひれをつけてたらどうすればいい?。

なんでも鵜呑みにしてたら、インチキ宗教と信者の集まりと同じだぜ。
2011/03/06(日) 07:27 | URL | サムライ #-[ 編集]
苦言さんへ
この、ねずきちのひとりごとに集う読者さん達は、ネタ元云々なんか誰も気にしてませんょ。
中身が大事なんです。
私自身も、ねずきちのひとりごとを知って、初めて、本物の日本の歴史や、日本人ってスゴイじゃん!という事を知りました。

その結果、日本を守りたいと思いました。

ねずきちさんが、日本って国はスゴイんだょ、日本人て素晴らしいんだょ、英霊が守ってくれた国を大事にしようよ!と語りかけてくれるだけで、どれだけの日本人が平和ボケから目覚めたかを考えたら、ネタ元なんかどうでも良い話っちゃうの?
2011/03/06(日) 01:24 | URL | なっちゃん #w1/.2S.M[ 編集]
(^_^;)ナルホドそうだな
沖縄戦当時、第三十二軍全体にいた憲兵は僅か50名でした。
彼らが警察官が逃げ去った地域の治安維持に奮闘したのです。
嘘つきサヨク粉砕!
--------------

そもそもサンフランシスコ平和条約に批准していない中韓は、
靖国問題に言及する資格すらありません。

日本と48カ国との間で交わしたサンフランシスコ平和条約には、戦犯に関する取り決めが盛り込んであります。
そこに何と書いてあるか。
『この条約に署名、批准していない国々は戦犯について発言する権利はなく、
日本の立場を損ねたり害したりするような行動に出る資格はない』と記してあります ( 第25条 )。

そして、この肝心な条約に、中華民国 ( 台湾 )、中華人民共和国、韓国は署名も批准もしていません。

つまり現在、日本との間でトラブルを抱えている中韓いずれもが、
国際条約の上でA級戦犯に関しては発言資格なしとされた国々です。

さらに不思議なことに、今まで、資格ありとされる国からは日本は一度もクレームを受けていない。
( しかも左翼はもちろん中韓も、★ 朝 鮮 人 が 含 ま れ る B 級 戦 犯 合 祀 に は 絶 対 に 抗 議 し な いw )
2011/03/06(日) 00:13 | URL | 嘘つきサヨク粉砕 #-[ 編集]
No title
>国が(政府トップが)馬鹿だったんだよ,始めから勝てない戦争と知りながらアメリカと戦争なんかするから 回避する手段は(当時でも)いくらでもあったはずなのに ‥

日本は必死に戦争をしない道を模索していたのです。アメリカは日本と戦争したかった。ABCD包囲網作られ、石油止められ、ハルノート突きつけられ、アメリカは、ただ、最初の一発を日本に打たすそれだけを考えていたのです。この時代、アメリカにとって日本は、敵国でしかありません。アメリカが日本の意見なんか聞くはずないでしょ。
開戦していなければ、日本は欧米の植民地を座して受けいれる事になっていたのです。
あなたの意見は、その時代の立場に立って考えれていませんよ。
2011/03/05(土) 23:09 | URL | #-[ 編集]
No title
苦言さん、
日本人の心って何?
どういう定義?
それって、あなたが決めることなの?(笑)
というより、ねずきちさんの名前をここで晒すくらいなら、あなたも自分の名を名乗るのが礼儀じゃないの?
そんな礼儀知らずに日本の心を語る資格はないと思いますよ?(嘲笑)
2011/03/05(土) 21:03 | URL | #-[ 編集]
この件についても左翼の自虐がある
この進駐軍用慰安所について、産経の古森記者が、アメリカの命令で開設したと書いたところ、反日左翼が「日本が率先して開設し、米軍はそれに許可を与えたのだ。」と、また例によっての自虐をやっています。(まあ産経も訂正したようですが。)

しかし以前、黒磯市の助役をやっておられた人に聞いたのですが、昭和20年に進駐軍が黒磯市に来ることになり、何を言われるかとびくびくしていたところ、ジープで乗り付けてきた将校が最初に言った命令は「慰安所を作れ」だったそうです。
やはり命令じゃないか!

慰安所が最初に開設された東京や神奈川の経緯は、確か当時の首相とか大蔵大臣が、野蛮な米兵が強姦をやりまくるのが見えていたから、こんな事はやりたくないのだが、先手を打って大金を使って慰安所を作ったのであって、命令が無かったのに日本が勝手にやったなどとこじつける反日日本人には反吐が出ます。
それでも強姦は何万と行われ、何千人という混血児が出来ました。
南京大虐殺と違ってデータもあるでよ。
2011/03/05(土) 17:36 | URL | 八目山人 #4lXsiBFM[ 編集]
戦争したかったのは米国
であるから独立を保とうとすれば戦いは避けられなかった。
戦い方を間違えた指導者が馬鹿だったというのはわかりますが無謀な戦いに挑んだとはいいきれない。

戦力は、根拠地からの距離の2乗に反比例するという戦いの原則のようなものがあります。
日本から1、アメリカから3ぐらいの場所で戦うならアメリカは日本の9倍の戦力をもって互角となる、また、攻者3倍というのもある、十分に準備した防者を攻めるには3倍の戦力が必要というものであるが開戦当初、日米間の戦力にそれほどの差はなかった。

解放した東南アジアを固め、西太平洋、インド洋の制海・空権を握り援蒋ルートを遮断し、来寇する敵を討つという開戦前に策定した通りやっていれば・・・米国を占領することは無理だがその間にアジアの独立と大東亜共栄圏を確立すれば勝てたかも。

事実は海軍が短期艦隊決戦を求め、逆に日本から遠いところへ行って消耗し悲惨な敗戦を迎え悲劇が起きた。
今、自分が此処にいるのは先人が尊い命を投げ出し戦ってくれたおかげだと思います。
2011/03/05(土) 16:30 | URL | masa #-[ 編集]
苦言2さんの仰る通りだと思います
苦言2さんへ、私も苦言2さんの仰ることに賛同します。

<過去の引用文すべての出典先を明らかにできなければ、ブログを閉鎖することが日本人の心です。>

          ↑
苦言さんの、このお言葉はあまりにも杓子定規というものです。


<毎日大勢の方がねずきちブログを楽しみに訪れ。大勢の方が覚醒し社会の貢献にも役立っています・・・また引用された作者もこんな形で公開され役に立ったことを知ったなら光栄と思わざるをえないでしょう。・・・日本人の心とはこういうことを言うんですよ、・・・>

         ↑

私も苦言2さんの仰ったこのお言葉に全く同感です。すべて出典を明らかにしなければという、そのような無味乾燥的な考え方は日本人には馴染みません。





2011/03/05(土) 16:18 | URL | terag3 #KVPRtAI6[ 編集]
人間の権利なんて何を言っているのか分からない。臣民の権利なら分かる
 英国では、中世より、英国民の権利および英国民の自由についても、相続による財産すなわち、「世襲」による一種の家産とみなされてきた。この「世襲の原理」は1215年のマグナ・カルタから1689年の権利の章典に至る約450年の歳月の間、不変であった。

 バーク(エドマンド・バークEdmund Burke)曰く、
 「我々の自由を主張し要求するに当たって、それを祖先から発してわれわれに至り、更には子孫にまで伝えられべき限嗣相続財産entailed inheritanceとすること、またこの王国の民衆にだけ特別に帰属する財産として、何にせよそれ以外のより一般的権利(=人権、人間の権利)や先行の権利(=自然権)などとは決して結び付けないこと、これこそマグナ・カルタに始まって権利宣言(=権利の章典)に及ぶ我が憲法の不易の方針であった」(『フランス革命の省察』、みすず書房、43頁、カッコ内の人権、および自然権は中川先生)


 権利の章典は「英国国王陛下の臣民」に限って与えられる権利/自由を定めたのであり、普遍的な人間であるが故の権利という「人権」の思想を、完全に排除している。

 国王陛下の「臣民の権利」は自由を含めて財産や名誉その他を複合したものであるから、文明社会のもたらす高級な権利である。一方「人間の権利(=人権)」は非文明的な未開・野蛮社会での単なる生存という原初的な権利のことである。

 また、「臣民(または国民)の権利」は、国王陛下(または政府)などの、権利を擁護しうる権力主体をもつが、「人間の権利」などを擁護しうる権力主体が明確でないし、無いと言ってもよい。このような「人間の権利(人権)」とは、いくら主張しても、擁護する権力主体がないのであるから、権利など無いのと同じである。

 そして、国家を無くした共同体なる組織で社会を構成する「共産主義社会」では、そもそも唯物論・無所有・無家族・無道徳(無法)・無宗教・無国民性という、最悪の暗黒社会であるから、「人間の権利」のうち、最低の生存権すら擁護されない。
http://burkeconservatism.blog88.fc2.com/blog-entry-85.html
2011/03/05(土) 16:12 | URL | #-[ 編集]
苦言さん へ
>ブログを閉鎖することが日本人の心です。

毎日大勢の方がねずきちブログを楽しみに訪れ。大勢の方が覚醒し社会の貢献にも役立っています。

それで十分ではないですか?著作権に違反していているとかならしない方法を考えたらよいことです。また引用された作者もこんな形で公開され役に立ったことを知ったなら光栄と思わざるをえないでしょう。

日本人の心とはこういうことを言うんですよ、苦言さん。
もうそろそろ目覚めてもいいんじゃないんですか?
2011/03/05(土) 15:20 | URL | 苦言2 #-[ 編集]
国家主権と人権と
日本国憲法で、おかしいと思うことは、私は国民主権という言葉だと思います……
http://blogs.yahoo.co.jp/sitiyu33/10836471.html
※投稿欄にはバークの哲学についての投稿もあります。
実際にサッチャー首相は、『フランス革命二百年祭』の1989年にG7でパリを訪問した際、『ル・モンド』紙上で、

「自由、平等、博愛とは言うけれど、フランス革命は責任と義務を忘れたのだと思います。無論“博愛”は長い間、顧みられる事はありませんでした。」
2011/03/05(土) 15:11 | URL | #-[ 編集]
人権擁護法案=人権救済機関が成立したら
日本に蔓延る在日らは、最近の日本人の覚醒を感じ取っている、だから急いで民主の権力下のうちにこの法案を通さなくてはいけないと焦っている。

言論の自由はなくなり通報社会の到来、そして共産化される。

在日を徹底して駆除をしなければ日本国民は安心してくらせない。一人一人の心構えが大きな力となる。
2011/03/05(土) 14:57 | URL | トラ #-[ 編集]
No title
まずは敗戦直後の日本国において多くの日本の婦女子を救う為に犠牲になられた幾多の日本女性の御冥福をお祈り申し上げます。

そしてこのような措置を取らざるおえなかった日本国占領下の実態を私達はほとんど知る事、知らされる事もなく全て日本国が悪いという教育を学校で受けてきました。

そのためなのかどうか防衛、国防、あるいは国家意識という根幹を成す部分の一部が非常に欠落した国民として今まで生きてきた。経済がよければ自分がよければという考えが横行する今の日本国は本当に亡国への坂道をひたすら転げ落ちていると思います。

何故日本国は周辺国や米英との戦争の道を選ばざるおえなかったのか。?島嶼の領土はいつどのようにして日本国の正式な領土となったのか。?このような近現代の歴史を学校では意図的に?教えない。

すくなくとも大東亜戦争敗戦後に奪われ不法占拠された日本固有の領土の日本固有たる理由や敗戦後の特亜3カ国人民や連合軍兵士の日本国内における蛮行の数々等もしっかり私達日本人は記憶し決して日本人同士のような付き合いは出来ぬ人達である事を念頭に置き付き合いをせねばならない。

そのためには日本国内における侮日勢力を一掃し教育を正常化する事や民主党のような輩を選挙に当選させぬように候補者の信念、政策、考えを見抜き日本国と日本国民を騙すような者達を排除せねばいけません。

戦争を起さぬように反省し教訓から学ぶ事は必要です。
しかし戦争を起した日本が全て悪いというおかしな考えでは日本国を子々孫々に引き継ぐ事はできません。

今現在の日本国は世界を見ても稀なほど平和を希求し外国の方達に対してもオープンであると思います。
日本国の独立を乱し亡国へ追いやろうとしているのは
全て都合の悪い事を日本国に押し付けようとしている中国、南北朝鮮、ロシア等が其の筆頭でしょう。

戦争を反省し中国や南北朝鮮ロシアの言い分を鵜呑みする事と自国の防衛をしっかり行う事はまた別な問題です。

私達が日本国の独立を守り子々孫々へ引き継ぐのは至極当たり前のこと。日本国内の反日勢力や中国等に騙されてはいけません。

2011/03/05(土) 14:36 | URL | 一有権者 #-[ 編集]
出典先を!
著作権に違反しているか否かを問われているようですが、著作権を云々する前に、引用文にはすべて出典先を表記するのが国際的常識です。

つい最近も、ドイツの国務大臣が他人の文章を無断引用したことが明らかになり、辞任に追い込まれました。


小名木善行氏よ、過去の引用文すべての出典先を明らかにできなければ、ブログを閉鎖することが日本人の心です。
2011/03/05(土) 13:47 | URL | 苦言 #NkOZRVVI[ 編集]
No title
>国が(政府トップが)馬鹿だったんだよ,始めから勝てない戦争と知りながらアメリカと戦争なんかするから 回避する手段は(当時でも)いくらでもあったはずなのに ‥

回避しようとぎりぎりまで努力したが、どうしても戦争をしたいアメリカの謀略で戦争をせざるを得なかった
結果的にアメリカはこの戦争で大恐慌から立ち直った
アスワンハイダムなどの公共事業で立ち直ったわけではありません

戦争をせずに黙って服従し蹂躙されるか、たとえ負け戦になろうとも最後まで抵抗するか

あなたならどちらを選びますか

自分はこの戦争は決して忘れることの出来ない日本史上最大の悲劇だと思います
結果的に戦ったことで今があると思っています
もしたたかわずに降伏してたらアメリカの植民地となってさらにひどい仕打ちにあっていた、もしくは日本という国は無かったと思います
2011/03/05(土) 13:28 | URL | #-[ 編集]
パンパンの語源
Perempuan(マレー語で女という意味、インドネシアではプル<小文字>ンプァンと私には聞こえる)ニューギニアからフィリピンへと転戦してきた米兵の間で語り継がれた言葉だと勝手に思い込んでいたのですが、今回検索してみると諸説あるようですね。
2011/03/05(土) 12:41 | URL | #-[ 編集]
戦争を回避するには
あの戦争を回避するには日本が正当に得た海外の権益を
全て放棄しアメリカの属国になる事しかなかった。
それ以外に方法があったとおっしゃるなら
是非その御高説を伺いたい。
いくらでも戦争を回避する方法はあったなどと
全ての結果を知ってから言うのは誰にだってできる。
歴史を現代の価値観に基づいて批判するのはナンセンスである。

ハルノートが対米戦の一因である事と同時に
その起草者がコミンテルンのスパイであった事も報道すべき。
そうすればあの戦争は一体何だったのかがおぼろげながら見えて来る。

2011/03/05(土) 11:23 | URL | MERCURY #-[ 編集]
【青山繁晴】「普通の日本人」であるという事[桜H23/3/4]
独自且つ的確な視点と情勢分析による鋭い提言や価値ある情報発信において他の追随を許さない青山繁晴が、視聴者からの質問に答える形で、日本の現状と未来を展望していく『青山繁晴が答えて、答えて、答える!』。今回は、長年海外で暮らしてこられた視聴者から寄せられた、「普通の日本人」論についてお話ししていきます。
http://www.nicovideo.jp/watch/1299226584
2011/03/05(土) 11:06 | URL | #-[ 編集]
神州・日本の財産
地図に現在明記されている日本列島とその島々は日本国民の持ち物である。中国のものでも、ロシアのものでも、米国のものでもない。この領土~領海~領空を、「神州日本の財産」と呼びたい。伊勢平次郎 ルイジアナ……
http://falcons.blog95.fc2.com/blog-entry-602.html
※同ブログの一番下〝女性から、メールを頂いた〟も読んでください。
2011/03/05(土) 11:02 | URL | #-[ 編集]
戦争は米国が望んだ、ハルノートを検索して
ねずきちさんの言うとおりです。国が無くなる事は大東亜戦争で敗れたドイツや日本の様に男子は強制的にシヘ゛リア抑留[強制労働]、女性は強姦され一般国民は虐殺されます。
その事実を日教組や学校の先生、テレビ、新聞は、これらの事実を報道せず大日本帝国が悪いの一辺倒です。沖縄の新聞とテレビは中国の危険性を一切、報道しません。中国の危険性を知っているのは政治と歴史に興味の有る一握りの沖縄県民だけだと思います。
清国と現在の中国は違うという事も大多数の沖縄県民は分かっていません、清国は満州民族の国です。
ちなみに日米戦争を回避しようと日本政府は尽力したがト゛イツ、日本の勢力拡大を恐れた米国が日本政府に最後通牒[ハルノート]を渡しました。米国は日本政府の和平案「甲案、乙案など」をことごとく無視し拒否しました。これにより日本は大東亜戦争を開戦したのですよ。マスコミはこの事実を報道してほしいです。

2011/03/05(土) 10:22 | URL | 本土の兵隊に感謝する沖縄人 #-[ 編集]
No title
>国が(政府トップが)馬鹿だったんだよ,始めから勝てない戦争と知りながらアメリカと戦争なんかするから 回避する手段は(当時でも)いくらでもあったはずなのに ‥

あなたの気持ちは痛いほど分かる。でも米国との戦いは、さけられなかったんですよ。絶対絶命のとき、先人は、戦う事を選択した。これからは、決して負けない日本国を未来の子孫のためにも、みんなで作りましょう。過去から学ぶとは、そういう事。お互いがんばろう。
2011/03/05(土) 09:57 | URL | #aIcUnOeo[ 編集]
民主が人権救済機関PTを設置へ
人権救済機関法案が復活しようとしています。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110305/stt11030501210004-n1.htm
【民主が人権救済機関PTを設置へ】
民主党が政策調査会に「人権侵害救済機関検討プロジェクトチーム(PT)」を設置することが4日分かった。座長は川端達夫衆院議院運営委員長が就任予定。人権侵害救済機関設置法案の国会提出に向け、5月上旬までに党の考え方をまとめる。
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110303-00000583-san-pol
【仙谷代表代行、人権救済法案は「民主党政権の義務」】
産経新聞 3月3日(木)16時46分配信
 民主党の仙谷由人代表代行は3日、都内で開かれた部落解放同盟の全国大会で、人権侵害救済機関設置法案(旧人権擁護法案)について、「マニフェスト(政権公約)に掲げており、民主党政権で成立させることが義務だ」と述べ、法案成立に向け強い意欲を示した。

 仙谷氏はさらに、「昨年9月、千葉景子法相が辞任するときに、『内閣官房で責任を持ってやってほしい』と要請を受けた。今後、野党とも協議を重ね、必ず成立させるよう尽力したい」と語った。

 同法案は、強大な権限を持つ人権委員会の新設を柱としているため、自由な言論を阻害する可能性があるとして、永住外国人への地方参政権(選挙権)付与法案や、選択的夫婦別姓を導入する民法改正案とあわせ、日本の伝統・文化が破壊されると懸念する声が根強くある。
    ・・・・・・・・・・・・・・・
2011/03/05(土) 08:42 | URL | 赤いチューリップ #LkZag.iM[ 編集]
No title
>【一言】国が(政府トップが)馬鹿だったんだよ,始めから勝てない戦争と知りながらアメリカと戦争なんかするから 回避する手段は(当時でも)いくらでもあったはずなのに ‥

今の民主党政権が当時の政権であったなら、すぐに言いなりになり、自分たちの命だけを乞い、「下僕」となり、そして日本国民は「奴隷」になっていただろうと想像します。
2011/03/05(土) 08:36 | URL | 共通一次世代 #HfMzn2gY[ 編集]
戦後生まれの人々に理解出来るかなぁ~
当時、このように素人の娘さんが事務員募集などの宣伝文句に騙されて募集され占領軍の慰安婦にされてしまった話もありますがその後、食べるためには自ら身を売らざるを得ない、いわゆるパンパンと言う街娼が濃いルージュを塗ってガード下などに立って米兵に春を売る女があちこちに現れた。

「星の流れに身を占って・・・・こんな女に誰がした・・・」という流行歌も出来ましたが戦後当時の日本の状況を現代人は正確に理解できるでしょうか?

おそらく現代の感覚や価値観で物事を考える人達には先人たちの複雑な想いは理解できないだろうと思います。
2011/03/05(土) 07:57 | URL | terag3 #KVPRtAI6[ 編集]
左翼でも何でも無いが

【一言】国が(政府トップが)馬鹿だったんだよ,始めから勝てない戦争と知りながらアメリカと戦争なんかするから 回避する手段は(当時でも)いくらでもあったはずなのに ‥

トップに(国の)馬鹿を据えると 大変な想いをするのはいつも国民か?
現在の日本の社会もだが
(苦)


2011/03/05(土) 07:15 | URL | #B0Nyfkl2[ 編集]
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
最新刊
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』

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台灣民政府
台湾民政府
サンフランシスコ講和条約で、日本は台湾に関して処分権は連合国に提供しましたが、領土の割譲は行っていません。条約以降、連合国も日本も台湾の処分先を決めていません。つまり台湾はいまも日本であり、台湾にいる1500万人の戦前からいる台湾人は、日本国籍を有する日本人です。私は台湾民政府を支持します。
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コメントをくださる皆様へ
基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメントは、削除しますのであしからず。
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コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人である私の判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
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