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先人たちが目指した日本の姿。それは私達の国が常に「よろこびあふれる楽しい国(=豈国)」であり続けることです。


昭和天皇行幸

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昭和天皇行幸


お腹を空かせた者がいたら、パンを与えても、それでは一時しのぎにしかならない。
だから、お腹を空かせた者がいたら、パンを得る方法を諭すのがより良いことだという話を聞いたことがあります。
けれど日本には、それ以外の第三の道があります。

昭和20年8月の終戦後のことです。
日本は未曾有の食料危機となりました。
物価も高騰しました。

食料の配給制度は人々の生活を賄うに足りませんでした。
不衛生で暴力が支配する闇市があちこちに立ち並びました。
それまで、東亜の平和を願い皇国不滅を信じていた人々は、
価値観を根底から否定され、
いかに生きるべきか、
どう生きるべきかという規範さえも失い、
呆然とし頽廃と恐怖と飢えが人々を支配していました。

その日本人が、ある事件をきっかけに、
国土復旧のために元気になって立ち上がりました。
きっかけとなったのが、
「昭和天皇の全国行幸」です。

そこで昭和24年5月に行われた佐賀県行幸のときのお話しを書いてみたいと思います。
きっと感動されると思います。

昭和天皇の行幸は、
昭和21年の神奈川県を皮切りに、
昭和29年の北海道まで、
足かけ8年半にかけて行われました。
全行程は3万3000km、
総日数は165日です。

実はこれはたいへんなことです。
そもそも陛下の日常は、
我々平民と違って休日がありません。
一年365日、常に式典や祭事、
他国の元首その他の訪問、
政府決定の承認等があり、
その数なんと年間約2000件を超えるご公務です。

そうしたお忙しい日々を割いて、
昭和天皇は、全国行幸をなさいました。

この巡幸を始めるにあたり、
陛下はその意義について
次のように述べられています。

「この戦争によって祖先からの領土を失い、
 国民の多くの生命を失い、
 たいへんな災厄を受けました。
 この際、わたしとしては、
 どうすればいいのかと考え、
 また退位も考えました。

 しかし、よくよく考えた末、
 この際は全国を隈なく歩いて、
 国民を慰め、励まし、
 また復興のために立ちあがらせる為の
 勇気を与えることが責任と思う。」

当時、焼け野原になった日本で、
人々はそれまでの悠久の大義という価値観を失い、
正義が悪に、悪が正義とされる世の中を迎えていました。
しかも、たいへんな食料不足です。
物価は日々高騰していました。

お腹を空かせた家族のために闇市に買い出しに行けば、
そこは暴力が支配するドヤ街です。
嫁入り道具の着物を持って、
ようやく物々交換で米を手に入れると、
それを根こそぎ暴力で奪われる。
まるで無政府状態といえるような
たいへんな状況だったのです。

そういう状況から
国内が一日も早く脱皮し、
日本人が普通に生活できるように
しなくてはならない。
そんなときに陛下が選択されたのが、
全国行幸だったのです。

未曽有の戦災を被った日本を
不法な闇市を通さなくても
十分に食料が分配できるように
するために何が必要か。

いまの世の中なら、
すぐに財政出動だ、
何々手当の支給だ等という話になるのでしょうが、
あの時代に陛下が選択されたのは、
全国民の真心を喚起するということでした。

国民の一人ひとりが、
炭鉱で、農村で、役場で、学校で、会社で、
あるいは工場で真心をもって生産に勤しむ。
ひとりひとりの国民が復興のために、
未来の建設のために立ち上がる。
そのために陛下は、
「全国を隈なく歩いて、
 国民を慰め、
 励まし、
 また復興のために
 立ちあがらせる為の
 勇気を与え」
ようと全国を回られたのです。

ところが共産主義に感化された一部の人々は、
そうした陛下を亡き者にしようとか、
あるいは陛下を吊るし上げようと、
各地で待ち受けました。

そんな中での陛下の行幸のご様子を、
佐賀のケースで見てみようと思うのです。

陛下が佐賀県に行幸されたのは、
昭和24年5月24日のことです。
この日陛下は、
たってのご希望で、
佐賀県三養基郡にある
「因通寺」というお寺に行幸されています。

因通寺は、
戦時中に亡くなられた第十五世住職の恒願院和上が、
皇后陛下の詠まれた歌を大きな幟(のぼり)にして、
それを百万人の女性たちの手で歌を刺繍して
天皇陛下と皇后陛下の御許に
奉じ奉ろうとされていたのです。

その歌というのが、
昭和13年に皇后陛下が
戦没者に対して詠まれた次の二首です。

 やすらかに
 眠れとぞ思う きみのため
 いのち捧げし ますらをのとも

 なぐさめん
 ことのはもがな たたかいの
 にはを偲びて すぐすやからを

陛下は、このことをいたく喜ばれ、
皇后陛下はすぐに針をおとりになって、
御みずからこの大幟に
一針を刺繍してくださったという経緯があります。

また終戦後には因通寺は、
寺の敷地内に「洗心寮」という施設を作り、
そこで戦争で羅災した児童
約40名を養っていました。

陛下が寺におこしになるという当日、
寺に至る県道から町道には、
多くの人が集まっていました。
道路の傍らはもちろんのこと、
麦畑の中にも、
集まった方がたくさんいました。

その町道の一角には、
ある左翼系の男が麦畑を作っていました。
この男は、行幸の一週間くらい前までは、
自分の麦畑に入る奴がいたら
竹竿で追っ払ってやるなどと豪語していたのですが、
当日、次々と集まってくる人達の真剣なまなざしや、
感動に満ちあふれた眼差しをみているうちに、
すっかり心が変わってしまい、
自ら麦畑を解放して
「ここで休んでください、
 ここで腰を下ろしてください」
などと集まった方々に声をかけていました。

朝、8時15分頃、
県道から町道の分かれ道のところに、
御料車が到着しました。

群衆の人達からは、
自然と「天皇陛下万歳」の声があがりました。
誰が音頭をとったというものではありません。
群衆の自然の発露として、この声があがりました。

御料車が停車しますと、
群衆の万歳の声が、ピタリとやみました。
一瞬、静まり返ったところに、
車から、まず入江侍従さんが降り立たれ、
そのあとから陛下が車から降りられると、
入江侍従さんが、陛下に深く頭を下げられる。

その瞬間、再び群衆の間から、
「天皇陛下万歳」の声があがりました。

陛下は、その群衆に向かって、
御自らも帽子をとってお応えになられる。
その姿に、群衆の感動はいっそう深まりました。

ここに集まった人達は、
生まれてこのかた、
お写真でしか陛下のお姿を拝見したことがない。
その陛下が、いま、目の前におわすのです。
言い表すことのできないほどの
感動が群衆を包み込みました。

お車を停められたところから、
因通寺の門まで約700メートルです。
その700メートルの道路の脇には、
よくもこんなにもと思うくらい、
たくさんの人が集まっていました。
そのたくさんの人達をかきわけるようにして、
陛下は一歩一歩お進みになられたそうです。

町役場のほうは、
担当の役席者が反日主義者
(当時、まともな人は公職追放となり、
 共産主義者が役席ポストに座っていた)
で、まさかこんなにも
多くの人が出るとはおもってもみなかったらしく、
道路わきのロープもありません。
陛下は、ひとごみのまっただ中を、
そのまま群衆とふれあう距離で歩かれたのです。

そして沿道の人達は、
いっそう大きな声で「天皇陛下万歳」を繰り返しました。
その声は、まるで大地そのものが
感動に震えているかのような
感じだったと言います。

陛下が寺の山門に到着されました。
山門の前は、だらだらした上り坂になっていて、
その坂を上り詰めると、23段の階段があります。
その階段を登りきられたとき、
陛下はそこで足を停め、
「ホーッ」と感嘆の声をあげられました。

そうです。
石段を登りきった目の前に、
新緑に彩られた因通寺の洗心の山々が
グッと迫っていたのです。
陛下は、その自然の織りなす姿に、
感嘆の声をあげられた。

陛下が足をお留めになられている時間が
あまりに長いので、
入江侍従さんが、陛下に歩み寄られ、
何らかの言葉を申し上げると、
陛下はうなずかれて、
本堂の仏陀に向かって恭しく礼拝をされました。

そして孤児たちがいる洗心寮に向かって歩かれました。
寮の二階の図書室で、机を用意して、
そこで佐賀県知事が
陛下にお迎えの言葉を申し上げる
という手はずになっていたのです。

図書室で、所定の場所に着かれた陛下に、
当時佐賀県知事だった沖森源一氏が、
恭しく最敬礼をし、
陛下にお迎えの言葉を述べました。

「本日ここに、
 90万県民が
 久しくお待ち申し上げておりました
 天皇陛下を目の当たりに・・・・」

そこまで言上申し上げていた沖森知事は、
言葉が途切れてしまいました。
知事だって日本人です。
明治に生まれ、
大正から昭和初期という
日本の苦難の時代を生き、
その生きることの中心に陛下がおわし、
自分の存在も陛下の存在と受け止めていたのです。
知事は陛下のお姿を前に、
もろもろの思いが胸一杯に広がって、
嗚咽とともに、
言葉を詰まらせてしまったのです。

するとそのとき入江侍従さんが、
知事の後ろにそっと近づかれ、
知事の背中を静かに撫でながら、
「落ち着いて、落ち着いて」と申されました。
すると不思議なことに
知事の心が休まり、
あとの言葉がスムーズに言えるようになったそうです。

この知事のお迎えの挨拶のあと、
お寺の住職が、
寺にある戦争羅災孤児救護所について
ご説明申し上げることになっていました。

自分の前にご挨拶に立った知事が、
目の前で言葉を詰まらせたのです。
自分はあんなことがあってはいけない、
そう強く自分に言い聞かせた住職は
奏上文を書いた奉書を持って、
陛下の前に進み出ました。
そして書いてある奏上文を読み上げました。

「本日ここに、
 一天万乗の大君を
 この山深き古寺にお迎え申し上げ、
 感激これにすぎたるものはありません」

住職はここまで一気に奏上文を読み上げました。
ところがここまで読み上げたところで、知事の胸に
ググっと熱いものが突き上げてきました。

引き揚げ孤児を迎えに行ったときのこと、
戦争で亡くなった
小学校、中学校、高校、大学の
級友たちの面影、
「天皇陛下万歳」と
唱えて死んで行った戦友たちの姿と、
一緒に過ごした日々、
そうしたありとあらゆることが
一瞬走馬灯のように頭の中に充満し、
目の前におわず陛下のお姿が霞んで見えなくなり、
陛下の代わりに戦時中のありとあらゆることが
目の前に浮かんで、
奏上申し上げる文さえも
奏書から消えてなくなったかのようになってしまったのです。

意識は、懸命に文字を探そうとしていました。
けれどその文字はまったく見えず、
発する言葉も声もなくなってしまいました。
ただただ、目から涙がこぼれてとまらない。
どう自分をコントロールしようとしても、
それがまったく不可能な状態になってしまわれたのです。

そのとき誰かの手が、
自分の背中に触れるのを感じました。
入江侍従さんが、
「落ち着いて、落ち着いて」と
背中に触れていてくれたのです。

このときのことを住職は、
前に挨拶に立った知事の姿を見て、
自分はあんなことは絶対にないと思っていたのに、
知事さんと同じ状態になってしまったと述べています。

こうしたことは外国の大使の方々も
同様のことがあるのだそうです。
外国の大使の方々は、
日本に駐在していていよいよ日本を離れるときに、
おいとまごいのために
陛下のところにご挨拶に来る習わしになっています。

駐日大使というと、長い方で6~7年、
短い方でも2~3年の滞在ですが、
帰国前に陛下にお目にかかって
お別れのご挨拶をするとき、
ほとんどの駐日大使が
「日本を去るに忍びない、
 日本には陛下がおいでになり、
 陛下とお別れをすることが
 とても悲しい」と申されるそうです。

この言葉が儀礼的なものではないことは、
その場の空気ではっきりとわかります。
陛下とお話しをされながら、
駐日大使のほとんどの方が、
目に涙を浮かべて、言葉を詰まらせるのです。

特に大使夫人などは、
頬に伝わる涙を拭くこともせず、
泣きながら陛下においとまごいをされるといいます。

こうしたことは、
その大使が王国であろうと
共和国であろうと、
共産圏の方であろうと、
みな同じなのだそうです。

むしろ共産圏の国々の方々のほうが、
より深い惜別の情を示される。

さて、ようやく気を取り直した住職は、
自らも戦地におもむいた経験から、
天皇皇后両陛下の御心に報いんと、
羅災孤児たちの収容を行うことになった
経緯を奏上しました。

この奏上が終わると、
何を思われたか陛下が壇上から床に降り立ち、
つかつかと住職のもとにお近寄りになられました。

「親を失った子供達は大変可哀想である。
 人の心のやさしさが
 子供達を救うことができると思う。
 預かっているたくさんの仏の子供達が、
 立派な人になるよう、
 心から希望します」と住職に申されました。
住職はそのお言葉を聞き、
身動きさえもままなりませんでした。

この挨拶のあと陛下は、
孤児たちのいる寮に向かわれました。
孤児たちには、あらかじめ
陛下がお越しになったら部屋で
きちんと挨拶するように申し向けてありました。

ところが一部屋ごとに足を停められる陛下に、
子供達は誰一人、ちゃんと挨拶しようとしません。
昨日まであれほど厳しく挨拶の仕方を教えておいたのに、
みな、呆然と黙って立っていました。

すると陛下が子供達に御会釈をなさるのです。
頭をぐっとおさげになり、
腰をかがめて挨拶され、
満面に笑みをたたえていらっしゃる。
それはまるで陛下が
子供達を御自らお慰めされているように
見受けられました。

そして陛下はひとりひとりの子供に、
お言葉をかけられました。
「どこから?」
「満州から帰りました」
「北朝鮮から帰りました。」

すると陛下は、この子供らに
「ああ、そう」とにこやかにお応えになる。
そして、
「おいくつ?」
「七つです」
「五つです」と子供達が答える。

すると陛下は、子供達ひとりひとりに
まるで我が子に語りかけるようにお顔をお近づけになり、
「立派にね、元気にね」
とおっしゃる。

陛下のお言葉は短いのだけれど、
その短いお言葉の中に、
深い御心が込められています。
この「立派にね、元気にね」の言葉には、
「おまえたちは、
 遠く満州や北朝鮮、フィリピンなどから
 この日本に帰ってきたが、
 お父さん、お母さんがいないことは、
 さぞかし淋しかろう。悲しかろう。
 けれど今こうして寮で立派に日本人として
 育ててもらっていることは、
 たいへん良かったことであるし、
 私も嬉しい。
 これからは、
 今までの辛かったことや悲しかったことを忘れずに、
 立派な日本人になっておくれ。
 元気で大きくなってくれることを
 私は心から願っているよ」
というお心が込められているのです。
そしてそのお心が、短い言葉で、
ぜんぶ子供達の胸にはいって行く。

陛下が次の部屋にお移りになると、
子供達の口から
「さようなら、さようなら」
とごく自然に声がでるのです。
すると子供達の声を聞いた陛下が、
次の部屋の前から、
いまさようならと発した子供のいる部屋までお戻りになられ、
その子に
「さようならね、さようならね」
と親しさをいっぱいにたたえたお顔で
ご挨拶なされるのです。

次の部屋には、
病気で休んでいる二人の子供がいて、
主治医の鹿毛医師が付き添っていました。
その姿をご覧になった陛下は、
病の子らにねんごろなお言葉をかけられるとともに、
鹿毛医師に
「大切に病を治すように希望します」と申されました。
鹿毛医師は、そのお言葉に、涙が止まらないまま、
「誠心誠意万全を尽くします」
と答えたのですが、
そのときの鹿毛医師の顔は、
まるで青年のように頬を紅潮させたものでした。

こうして各お部屋を回られた陛下は、
一番最後に禅定の間までお越しになられました。
この部屋の前で足を停められた陛下は、
突然、直立不動の姿勢をとられ、
そのまま身じろぎもせずに、
ある一点を見つめられました。

それまでは、どのお部屋でも
満面に笑みをたたえて、
おやさしい言葉で子供達に話しかけられていた陛下が、
この禅定の間では、
うってかわって、
きびしいお顔をなされたのです。

入江侍従長も、田島宮内庁長官も、
沖森知事も、県警本部長も、
何事があったのかと顔を見合わせました。
重苦しい時間が流れました。

ややしばらくして、
陛下がこの部屋でお待ち申していた
三人の女の子の真ん中の子に
近づかれました。
そしてやさしいというより静かなお声で、
「お父さん。
 お母さん」
とお尋ねになったのです。

一瞬、侍従長も、宮内庁長官も、
何事があったのかわからりません。

けれど陛下の目は、一点を見つめています。
そこには、
三人の女の子の真ん中の子の手には、
二つの位牌が
胸に抱きしめられていたのです。

陛下はその二つの位牌が
「お父さん?お母さん?」
とお尋ねになったのです。

女の子が答えました。
「はい。これは父と母の位牌です」

これを聞かれた陛下は、
はっきりと大きくうなずかれ、
「どこで?」とお尋ねになられました。
「はい。父はソ満国境で名誉の戦死をしました。
 母は引揚途中で病のために亡くなりました」
この子は、よどむことなく答えました。

すると陛下は
「おひとりで?」とお尋ねになる。
父母と別れ、
ひとりで満州から帰ったのかという意味でしょう。

「いいえ、奉天からコロ島までは
 日本のおじさん、おばさんと一緒でした。
 船に乗ったら船のおじさんたちが
 親切にしてくださいました。
 佐世保の引揚援護局には、
 ここの先生が迎えにきてくださいました」

この子がそう答えている間、
陛下はじっとこの子をご覧になりながら、
何度もお頷かれました。
そしてこの子の言葉が終わると、陛下は
「お淋しい」と、
それは悲しそうなお顔でお言葉をかけらました。

しかし陛下がそうお言葉をかけられたとき、
この子は
「いいえ、淋しいことはありません。
 私は仏の子です。
 仏の子は、
 亡くなったお父さんともお母さんとも、
 お浄土に行ったら、
 きっとまたあうことができるのです。
 お父さんに会いたいと思うとき、
 お母さんに会いたいと思うとき、
 私は御仏さまの前に座ります。
 そしてそっとお父さんの名前を呼びます。
 そっとお母さんの名前を呼びます。
 するとお父さんもお母さんも、
 私のそばにやってきて、
 私を抱いてくれます。
 だから私は淋しいことはありません。
 私は仏の子供です。」

こう申し上げたとき、
陛下はじっとこの子をご覧になっておいででした。
この子も、じっと陛下を見上げていました。
陛下とこの子の間に、
何か特別な時間が流れたような感じがしました。

そして陛下が、この子のいる部屋に足を踏み入れられました。
部屋に入られた陛下は、
右の御手に持たれていたお帽子を左手に持ちかえられ、
右手でこの子の頭をそっとお撫でになられました。

そして陛下は、
「仏の子はお幸せね。
 これからも立派に育っておくれよ」と申されました。
そのとき、陛下のお目から、
ハタハタと数的の涙が、
お眼鏡を通して畳の上に落ちました。

そのときこの女の子が、小さな声で、
「お父さん」
と呼んだのです。
これを聞いた陛下は、
深くおうなずきになられました。

その様子を眺めていた周囲の者は、
皆、泣きました。
東京から随行してきていた新聞記者も、
肩をふるわせて泣いていました。

子供達の寮を後にされた陛下は、
お寺の山門から、お帰りになられます。
山門から県道にいたる町道には、
たくさんの人達が、
自分の立場を明らかにする掲示板を持って
道路の両側に座り込んでいました。

その中の「戦死者遺族の席」と掲示してあるところまで
お進みになった陛下は、ご遺族の前で足を停められると、
「戦争のために大変悲しい出来事が起こり、
 そのためにみんなが悲しんでいるが、
 自分もみなさんと同じように悲しい」と申されて、
遺族の方達に、深々と頭を下げられました。

遺族席のあちここちから、すすり泣きの声が聞こえました。

陛下は、一番前に座っていた老婆に声をかけられました。
「どなたが戦死されたのか?」
「息子でございます。
 たったひとりの息子でございました。」
そう返事しながら、
老婆は声を詰まらせました。

「うん、うん」と頷かれながら陛下は
「どこで戦死をされたの?」

「ビルマでございます。
 激しい戦いだったそうですが、
 息子は最後に天皇陛下万歳と言って
 戦死をしたそうででございます。
 でも息子の遺骨はまだ帰ってきません。
 軍のほうからいただいた白木の箱には、
 石がひとつだけはいっていました。
 天皇陛下さま、
 息子はいまどこにいるのでしょうか。
 せめて遺骨の一本でも
 帰ってくればと思いますが、
 それはもうかなわぬことでございましょうか。
 天皇陛下さま。
 息子の命はあなたさまに差し上げております。
 息子の命のためにも、
 天皇陛下さま、長生きしてください。
 ワーン・・・・」

そう言って泣き伏す老婆の前で、
陛下の両目からは滂沱の涙が伝わりました。
そうなのです。
この老婆の悲しみは陛下の悲しみであり、
陛下の悲しみは、老婆の悲しみでもあったのです。
そばにいた者全員が、この様子に涙しました。

遺族の方々との交流を終えられた陛下は、
次々と団体の名を掲示した方々に御会釈をされながら進まれました。
そして「引揚者」と書かれた人達の前で、
足を停められました。

そこには若い青年たちが数十人、
一団となって陛下をお待ちしていました。

実はこの人達は、
シベリア抑留されていたときに徹底的に洗脳され、
日本革命の尖兵として日本の共産主義革命を目的として、
誰よりも早くに日本に帰国せしめられた人達でした。

この一団は、まさに陛下の行幸を利用し、
陛下に戦争責任を問いつめ、
もし陛下が戦争責任を回避するようなことがあれば、
暴力をもってしても
天皇に戦争責任をとるように発言させようと、
待ち構えていたのです。

そしてもし陛下が戦争責任を認めたならば、
ただちに全国の同志にこれを知らしめ、
日本国内で一斉に決起して
一挙に日本国内の共産主義革命を実施し、
共産主義国家の樹立を図る手はずになっていました。

そうした意図を知ってか知らずか、
陛下はその一団の前で足をお止めになられました。
そして「引揚者」と書いたブラカードの前で、
深々とその一団に頭を下げられました。
「長い間、
 遠い外国で
 いろいろ苦労して
 大変であっただろうと思うとき、
 私の胸は痛むだけでなく、
 このような戦争があったことに対し、
 深く苦しみをともにするものであります。
 みなさんは外国において、
 いろいろと築き上げたものを
 全部失ってしまったことであるが、
 日本という国がある限り、
 再び戦争のない平和な国として
 新しい方向に進むことを希望しています。
 みなさんと共に手を携えて、
 新しい道を築き上げたいと思います。」

陛下の長いお言葉でした。
そのときの陛下の御表情とお声は、
まさに慈愛に満ちたものでした。
はじめは眉に力をいれていたこの「引揚者」の一団は、
陛下のお言葉を聞いているうちに、
陛下の人格に引き入れられてしまいました。

「引揚者」の一団の中から、
ひとりが膝を動かしながら陛下に近づきました。
そして、
「天皇陛下さま。
 ありがとうございました。
 いまいただいたお言葉で、
 私の胸の中は晴れました。
 引揚げてきたときは、
 着の身着のままでした。
 外地で相当の財をなし、
 相当の生活をしておったのに、
 戦争に負けて帰ってみればまるで赤裸です。
 生活も最低のものになった。
 ああ、戦争さえなかったら、
 こんなことにはならなかったのにと
 思ったことも何度もありました。
 そして天皇陛下さまを恨んだこともありました。
 しかし苦しんでいるのは、
 私だけではなかった。
 天皇陛下さまも苦しんでいらっしゃることが、
 いま、わかりました。
 今日からは決して世の中を呪いません。
 人を恨みません。
 天皇陛下さまと一緒に、
 私も頑張ります!」
と、ここまでこの男が申した時、
そのそばにいたシベリア帰りのひとりの青年が、
ワーッと泣き伏したのです。
「こんな筈じゃなかった。
 こんな筈じゃなかった。
 俺が間違えていた。
 俺が誤っておった」
と泣きじゃくるのです。

すると数十名のシベリア引揚者の集団のひとたちも、
ほとんどが目に涙を浮かべながら、
この青年の言葉に同意して泣いている。

彼らを見ながら陛下は、
おうなずきになられながら、
慈愛をもって微笑みかけられました。
それは、何も言うことのない、
感動と感激の場面でした。

いよいよ陛下が御料車に乗り込まれようとしたとき、
寮から見送りにきていた
先ほどの孤児の子供達が、
陛下のお洋服の端をしっかりと握り、
「また来てね」と申しました。

すると陛下は、この子をじっと見つめ、
にっこりと微笑まれると
「また来るよ。
 今度はお母さんと一緒にくるよ」と申されました。

御料車に乗り込まれた陛下が、
道をゆっくりと立ち去っていかれました。
そのお車の窓からは、
陛下がいつまでも御手をお振りになっていました。

宮中にお帰りになられた陛下は、
次の歌を詠まれました。

 みほとけの
 教へ まもりて すくすくと
 生い育つべき 子らに幸あれ

※出典:しらべかんが著「天皇さまが泣いてござった」


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昭和天皇御真影

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コメント
No title
また来てねと言った子供に昭和帝はまた来るよ今度はお母さんと一緒にねと返したエピソードには感動。自分は常々日本とは天皇陛下を中心とした一つの家族だと表現していますが昭和帝もそのおつもりで全国を巡幸していたんですねぇ、、、、
2016/02/07(日) 00:26 | URL | e2 #2x.LPFvg[ 編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2014/05/16(金) 15:04 | | #[ 編集]
No title
涙が止まりませんでした。歌にも深い背景があるんですね。
2013/01/21(月) 17:36 | URL | 南 #-[ 編集]
No title
むかーーしニュ-スで見た覚えがあります。
話し方がぶっきらぼうというか、ちょっとニューアンスが違うというか、上手く表現できなかったのですね。短い会話の中には、深ーーい心の意味があったのですね。
一般人と話したことがなければ表現のしかたも自ずと違ってきますよね。
国思う重責を一身に背負い、敗れたあとには疲弊した国民を勇気づけと言うか、励ましに精根かたむけ悲しみを共有していたのですね。
国を司る人達に陛下の爪の垢はもったいないので豚の鼻糞でも煎じて飲ませたいくらいの気持ちですね。
歴史の事実を知れば知るほどつくずく日本って素晴らしい国なんだなーーと思います。
戦後の歪曲した左巻き教育を早く正常に戻せるように安倍政権にお願いし
我々国民もマスゴミに騙されないようにし、これから生きていく日本の子供たちをしっかり育てて行かなければならないのではないでしょうか。
ネットを見ていたら土曜の授業が復活しそうですね。
ゆとり教育なんぞは、先生の為のゆとりでしかなかったような気がしていました。
一生懸命やっている先生方もいます、尊敬します。
教育現場で指導方法に悩む先生も多分数多くいると思いますが、自虐史観教育は子供たちにしないでください。
子供たちに希望を与えるような教育を望みます。
先生は神聖なる仕事と思い、決して日教組の思う教育労働者ではありません。
2013/01/13(日) 14:04 | URL | 虎さん #52438jAI[ 編集]
No title
自分ももし今上陛下の前に出たら例え百万遍暗唱した言葉であろうとも上手く喋られない自信がある。

増して戦後の行幸たるや、確実に泣く。
2012/07/29(日) 19:37 | URL | #-[ 編集]
天皇陛下
天皇陛下のことについて色々調べているうちに
「天皇陛下について」というブログを見つけたので紹介したいと思います。

http://blogs.dion.ne.jp/tenzan/archives/cat_362800-1.html
2012/07/20(金) 19:02 | URL | 知りたがり #-[ 編集]
No title
千歳の土地問題からあなたの書かれたブログを読み始めました。 天皇陛下のこと 今までで 一番感動しながら涙しながら読ませていただきました。 美しい風景の文章ですね
2012/07/07(土) 14:38 | URL | 楓 子  fu~~ko #vdXS97RM[ 編集]
ありがとうございました
子どもの頃は国民を死に追いやった天皇は悪だ、と馬鹿なことを考えていました。
そう考えてしまうような教育を行っているのが、今の日本なのですね。

このような素晴らしいお話を知ることができ、とても幸せです。ありがとうございました。
陛下がいつまでも健やかに、微笑んでいてくださる国を作っていかなければと強く思いました。
ねずきち様、これからも日本をもっと好きになれるお話をぜひ紹介してください。
宜しくお願いいたします。
2012/03/17(土) 22:48 | URL | 菜子 #G9QS5.UQ[ 編集]
No title
素敵なお話をありがとうございます
昭和天皇の話に不覚にも涙が止まらなかったw

他サイトで過去天皇家が日本人女性を外国に売って
金儲けをして財を成したという話があってそれを調べたくて色々回った所でここ見つけちゃいました
2012/01/28(土) 17:31 | URL | aoi #-[ 編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2012/01/23(月) 11:13 | | #[ 編集]
正に韓直人内閣と反日売国テレビ局・マスコミの隠蔽している情報です。
ドイツZDFーFrontal21 福島原発事故、その後(日本語字幕)

なぜ行政はこうした検査を受け付けないのか、ドイツの記者が原発担当大臣を問い詰める。
正に韓直人内閣と反日売国テレビ局・マスコミの隠蔽している情報です。
http://www.youtube.com/watch?v=5n_3NK-tsOU&nofeather=True
(動画)
ドイツZDFーFrontal21 福島原発事故、その後(日本語字幕)
http://www.youtube.com/watch?v=5n_3NK-tsOU&nofeather=True
もはや食べ物ではなく、放射性廃棄物だと。
日本政府の無責任ぶりは犯罪的だと思う ークリス・バズビー博士

【東日本関東大震災の真相は!の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj13.cgi
証拠記事を集めた簡約版はこちらをカッチとね
2011/08/29(月) 21:13 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
ああ・・・
泣いてしまいました。
昭和天皇のお心の深さ優しさ・・・しみました。この大御心が今上陛下にも脈々と受け継がれ、いまも国民をいたわりねぎらってくださっていると思うと、私はこの日本に生まれた喜びをひしひしと感じるのです。
私はこのように素晴らしい天皇陛下を頂く日本にここまで育ててもらいました。日本に対して恩返しを遅まきながらもしてゆこうと思います。
2011/08/28(日) 21:26 | URL | 見張り員 #-[ 編集]
ゆっくりやってください
ねずきちさんありがとうございます。いつもこちらをみると日本人でよかった。誰かに伝えたいと思います。今の幸せがあるのも天皇陛下をはじめとする先人の皆様のお力だと思います。
毎日のブログは大変だとおもうのでゆっくりとまた読ましてください。どうぞお体に気を付けて
2011/08/27(土) 21:51 | URL | rarakyo #-[ 編集]
No title
天皇陛下万歳
2011/08/26(金) 17:30 | URL | 志士 #-[ 編集]
No title
こころが痛くてたまりません。
涙がでてとまりません。
天皇陛下、さぞ、お辛かったことでしょう。
そして、この時代をともに生きたきた方々・・・。
今まで、何も知らないでいて、ごめんなさい。
自分がいかに、高慢に生きてきたことか、改めて恥ずかしく思います。自分の命や全てのものを捨て、美しい日本を残して下さって本当にありがとうございました。私達の心に、まだまだ、日本人の美しい心が残っていたことに感謝し、これから、精一杯御恩返しをしたいと思います。
ねずきちさん、いつもありがとうございます。
早く、お元気になって、また、私達を泣かせて下さいね。
早く戻ってきてくださいね。
2011/08/26(金) 07:02 | URL | ひとり #uGtSWrsk[ 編集]
No title
こころが痛くてたまりません。
涙がでてとまりません。
天皇陛下、さぞ、お辛かったことでしょう。
そして、この時代をともに生きたきた方々・・・。
今まで、何も知らないでいて、ごめんなさい。
自分がいかに、高慢に生きてきたことか、改めて恥ずかしく思います。自分の命や全てのものを捨て、美しい日本を残して下さって本当にありがとうございました。私達の心に、まだまだ、日本人の美しい心が残っていたことに感謝し、これから、精一杯御恩返しをしたいと思います。
ねずきちさん、いつもありがとうございます。
早く、お元気になって、また、私達を泣かせて下さいね。
早く戻ってきてくださいね。
2011/08/26(金) 07:01 | URL | ひとり #uGtSWrsk[ 編集]
コメント欄に・・
このブログにて記事をご紹介させていただいたら、
美しいコメントをいただきましたので、
張らせていただきました<(_ _*)>

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

美しいお話

心洗われる大変美しいお話ですね。

昭和天皇のお話は本当に美しいものばかり。

戦後の悲惨な時代に生きていた方々が
何故か羨ましくさえ思えて来ます。

天皇ご自身の神々しい御姿はもちろんの事、
天皇の御心に素直に感応した当時の日本国民の心の透明さがとても眩ゆく映ります。

今後日本人が未来に向け何を大切に引き継いで行くべきなのか、世界に向け何を広め何を発信していくべきなのか、はたと教えられる尊いお話でした。

素直で透明な心、天照の望んだ
美しい日本の心をこそ、
今後世界に広め伝えて行きたいものです。

今、再び国難の時代が来て、
周辺邪国群の悪しき思惑に対し
心頑なにして立ち向い、
戦いを挑み、粉砕、勝利する必要性が
嘗て無く高まって来ておりますが、
それら悪しき野望を打ち砕いた暁には、
鎧の中に隠し持った嘗ての日本人のような、
透明で玉のような美しい心をこそ
与え広めていかねばならないと、
思わせて頂いた次第です。

大変良き話をありがとうございました。

感謝 
2011/08/25(木) 13:04 | URL | 舞桜 #ncVW9ZjY[ 編集]
今日のお話は最高でした!!
涙とともに感動しました。
ねずきちさん
これからも、このような日本の素晴らしい感動のお話を語り伝えて下さいませ。
毎日、楽しみにしております♪

天皇陛下万歳!!
2011/08/24(水) 22:02 | URL | みー #-[ 編集]
小沢王国の県都・盛岡の微妙な権力構造
小沢王国の県都・盛岡の微妙な権力構造
http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20110822-OYT1T00333.htm
【関連情報】
今日の内閣支持率はこちらをカッチとね
http://www.jra.net/ank/online/naikaku.php
【有権者の皆様へお願い】は必ずお読み下さい。
http://www.aixin.jp/axbbs/ktr/chsk.cgi

民主党は市長選挙でも候補者が立てられない程に有権者から見
放されている。 
小沢王国の県都でさえもこの有様。 
反日売国テレビ局・マスコミが捏造した偽装報道で多くの有権者は
民主党の支持率が10%代と認識しているようだが、しかし実情は
2~3%である。

【新党勝手連の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/ktr/ktr.cgi
【新党勝手連タイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。
2011/08/24(水) 21:07 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
No title
涙が止まらない
2011/08/24(水) 19:18 | URL | ハゲチャビン #JnoDGgPo[ 編集]
No title
「天皇さまが泣いてござった」
こちらの本はどこで読めるのでしょうか?
国会図書館あたりに出向かないと難しいでしょうか
2011/08/24(水) 13:40 | URL | たきすけ #-[ 編集]
お知らせです<(_ _*)>
9月3日(土)国防シンポジウム
2011年9月、中国の覇権主義の脅威が現象化した
「尖閣諸島中国漁船衝突事件」から一年を迎えます。

今、外交・国防における重大な岐路に立っている日本の現実を踏まえ、
「尖閣諸島中国漁船衝突事件」を風化させることなく、
この事件が提起した日本の課題を再認識し、日本のあるべき
外交・国防政策を提言する機会として「国防シンポジウム」
(於:永田町・星陵会館)を開催させて頂きます。


【開催日時】
9月3日(土) 開場12:00~/開演13:00~15:30
入場無料 どなたでもご参加いただけます!

【講演者紹介】

〇奥山 真司(おくやま まさし、地政学者)
1972年横浜生まれ。カナダのブリティッシュ・コロンビア大学卒業。
イギリス・レディング大学大学院で修士号を取得。
今年、同大学院の戦略学科博士号を取得。アメリカ地政学研究家、
国際平和協会主任研究員。
著書に『地政学─アメリカの世界戦略地図』『"悪の論理"で世界は動く!
地政学─日本属国化を狙う中国、捨てる米国』等、多数。

〇一色 正春(いっしき まさはる、元・海上保安官)
1967年京都府生まれ。平成22年10月、尖閣諸島沖・中国漁船衝突事件の
ビデオを「sengoku38」のアカウント名で公開、大きな注目を集める。
わが身を省みず、職を賭してビデオを公開したことにより、日本が中国に
屈服することを防ぐと共に、日本人の国防意識を覚醒した功績は極めて大きい。
著書に『何かのためにsengoku38 の告白』⇒ http://p.tl/zpe4

〇ついき 秀学(ついき しゅうがく、幸福実現党 党首)
1971年大阪府生まれ。東京大学法学部第3類(政治コース)を卒業後、
宗教法人幸福の科学に入局。財務局長、専務理事などを歴任。
2010年に幸福実現党党首に就任。

【開催会場】
星陵会館 東京都千代田区永田町2丁目16-2

http://www.seiryokai.org/kaikan.html

銀座線・丸の内線:赤坂見附駅下車 徒歩7分
有楽町線・半蔵門線:永田町駅下車6番出口 徒歩3分
千代田線:国会議事堂前駅下車5番出口 徒歩5分
南北線:溜池山王駅下車(国会議事堂前駅5番出口)徒歩5分

※駐車場はございませんので自家用車でのご来館はご遠慮ください。

【プログラム】(敬称略)
・開会の挨拶:日本の国防を考える会 代表 吉井利光
・基調講演:奥山 真司「地政学から見た日本の安全保障戦略」
・来賓講話:一色 正春「尖閣事件が突きつける日本の課題」
・来賓講話:ついき 秀学「日本のあるべき国防政策」
・パネルディスカッション:奥山真司、一色正春、ついき秀学

主催:日本の国防を考える会
協賛:予備自衛官制度を普及する会、幸福実現党

「国防シンポジウム」チラシ(PDF)⇒ http://p.tl/NXnJ

☆゜・*:.。. .。.:*・゜
◎本メルマガは自由に転送、転載いただいて結構です。


2011/08/24(水) 13:27 | URL | ひな菊 #ncVW9ZjY[ 編集]
ねずきちさん、本日も更新お疲れ様です。

昭和天皇についてのエピソードは
今回のようにに心が洗われるようなお話から
クスリと笑ってしまうようなおちゃめなお話まで色々あって大好きです。
この記事も、以前どこかで読んで知っていた部分がところどころありましたが
それでも気が付くと泣いてしまっていました。

「天皇さまが泣いてござった」という本、ぜひ読んでみようと思います。
これからもブログ、楽しみにしています。
2011/08/24(水) 12:47 | URL | 紅狐 #-[ 編集]
No title
【昭和天皇の広島巡幸_1947.S22.12.7_背景に原爆ドーム 】
http://www.youtube.com/watch?v=3iYTW3iTces

↑この動画を見て、「日本」という国を思わずにはいられませんでした。

ところで「佐賀」といえば、あの毎日新聞の在日記者の傲慢な態度を思い出しました。

平成18年9月28日
【毎日新聞の在日記者「朴鐘珠」が天皇皇后を呼ぶなと知事にかみつく】
http://www.youtube.com/watch?v=7qZ1UTKqtmI

内容は佐賀県の「こちら知事室です」に載っていました。↓

【質疑応答:天皇皇后両陛下におかれましては第26回全国豊かな海づくり大会に御臨席、併せて地方事情御視察のため御来県になります】(佐賀県・『こちら知事室です』)より
http://www.saga-chiji.jp/kaiken/index.html

朴鐘珠という在日記者には心からの怒りを覚えます。
吐き気を覚えます。

でも、古川康佐賀県知事の対応には改めて感心しました。
↓大会終了後の知事の記者会見の内容も良かったと思います。

【報告項目:全国豊かな海づくり大会と行幸啓についての報告】
http://www.saga-chiji.jp/kaiken/06-11-1/houkoku1.html
2011/08/24(水) 12:33 | URL | 共通一次世代 #HfMzn2gY[ 編集]
なぜかとまらない
少し前に夜勤を終えて帰ってきました。
ただ、ただ、ただ、・・・・・涙が止まりません。
おもわずコメントを・・・
2011/08/24(水) 11:54 | URL | なずもも #-[ 編集]
経済産業委員会審議中継を見ています、再生可能エネルギー買取法案審議中
第177回国会審議中継
本会議審議中継を見ています、
ttp://www.webtv.sangiin.go.jp/generator/meta_generator_wmv.php?sin=1062&mode=LIBRARY&un=c935862a8f0de07146bcda3e549fce9c&ch=n&pars=0.9435459096786833
8月24日13:00~
経済産業委員会審議中継を見ています、再生可能エネルギー買取法案審議中
http://www.webtv.sangiin.go.jp/generator/meta_generator_wmv.php?sin=1063&mode=LIVE&un=3a2c57c2224df2f2548fb3380bd8784d&ch=n&pars=0.1501079795586579
【関連情報】
【ひのもと情報交差点】
再生エネルギー法案、成立間近 その実体は「低所得者ほど負担
率が大きくなる”悪法”」です。(拡散と意見提出のお願い)
http://johokosa.blog98.fc2.com/blog-entry-363.html

【動画ニュース掲示板】最新版
http://www.aixin.sakura.ne.jp/axbbs/kzsj/kzsj6.cgi

ps:
前原のバックグラウンドと政策
1.過去の行動とバックグランド
http://politiceconomy.blog28.fc2.com/blog-entry-1271.html

至急拡散依頼!!
 シナのスパイR4ついに本性剥き出し!!
http://ariesgirl.exblog.jp/
2011/08/24(水) 11:10 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
最新刊
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』

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