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敷島の大和心を人問わ(は)ば 朝日ににおう (ふ) 山桜花(本居宣長)。日本は天皇を国家最高権威とし、民を「おほみたから」とする「シラス国」です。


尼港事件を忘れるな!

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尼港事件
尼港事件


上にある写真には、「大正9年5月24日午後12時 忘ルナ」と書かれています。

何があったのか。

日本人として、絶対に忘れてならない歴史がここにある。
今日は、そのことを書いてみたいと思います。


これが書かれたのは、いまではロシアの「ニコライエフスク」となっている街です。
ニコライエフスクは、支那の黒龍江(アムール川)の河口から20キロの地点にある街で、ロシアの太平洋側、樺太の北端に近いところにあります。

昔はここはロシアやソ連ではなく、支那女真族(満州族)の土地で、清朝政府が漢民族ではなく、漢民族(支那人)からみた蕃族の一部である女真族、つまり清朝政府の聖地となっていた土地です。

ここには、大正9(1920)年当時、日本人700名を含む1万7千人あまりが住んでいました。

内訳は次の通りです。

日本居留民 約   700名
白系ロシア人約1万5000名
中国人   約  1000名
朝鮮人   約   500名

日本人700名というのは、日本陸軍の2個歩兵中隊の約260名、その他440名は軍属と婦女子です。

なぜそこに日本陸軍が駐屯していたかには、ちゃんとした事情があります。

大正6(1917)年、帝政ロシアでは、レーニンに指揮されたロシア革命が起こっています。
ロシア革命というと、なにやらロシアがレーニン達共産主義者によって、ただちにソヴィエと連邦共和国が成立し、ロシア全体が夢と希望に満ちた共産主義国家になったかのように、いまどきの教科書などは記述していますが、これは事実に反します。

なるほどレーニンは、ロシア皇帝を引きずり降ろし、政権を奪いました。
けれどロシア革命が行われた当時は、世界中どこの国の政府も、レーニンのこの新ソ連政府を国家として承認していません。
むしろテロによる過激派政府として警戒していた、というのが実情です。

さらにやっかいなのはロシア国内では、この革命によって各地がいわゆる「無政府状態」となったということで、このことは、多数の囚人が送られていたシベリアでは、一層やっかいな問題を起こしていたのです。

当時のシベリアでは、「シベリア送り」となっていた多数の凶悪犯罪者らが牢から出され、共産パルチザンとなって、残虐な悪行の限りを尽くすようになったのです。

牢から出されただけでは、食料も武器もありません。
けれど凶悪犯だった彼らは、民家を襲い、食べ物や財物を奪い、さらに社会の破壊と混乱を目的とする共産主義者らから、豊富な武器や弾薬を無償で提供されました。

キチガイに刃物とはよく言ったもので、もともと粗暴で凶悪な犯罪者だった彼らは、集団で徒党を組み、武器を手にし、共産パルチザン(組織化されたゲリラ集団)となって、シベリア各地を荒し回ったのです。
そして彼らは、タテマエとして外国勢力追放を叫び、各地で同国人だけでなく、外国人に対して襲撃事件を起こしていた。

これに対し、ロシア革命成立当時は、それでもまだシベリア方面には保守派のロシア極東総督のロザノフ中将、コルチャック提督などがいて、彼らがこうした共産パルチザン化した凶悪犯たちや、革命派勢力などと戦ってくれていました。

また、外国人襲撃事件の多発から、英米日の3国は、これへの対抗のために、大正7(1918)年8月には、シベリアに国際共同歩調で出兵しています。

ところが翌大正8(1919)年になると、、シベリア・オムスクにあったロシアの穏健派総督府が、武装共産パルチザンの攻撃を受けて崩壊してしまったのです。

ロシアの総督府あればこその、シベリア出兵です。
身の危険を感じた米英両国はシベリアから撤兵してしまう。
英米からしてみれば、自国とは、まさに「地球の反対側」にあるシベリアの田舎の出来事でしかないのです。
列強としての国際的責任、および共産主義革命への対抗上、やむなくシベリア出兵していただけで、ロシア総督府が壊滅してしまったのなら、自国の安全を図るため、兵を撤収し、自国の近辺に兵を配する。
英米両国にとっては、撤兵は、ある意味、当然の措置であったろうと思います。

けれど、日本にとっては、これはたいへんな事態です。
日本にしたら、友好で穏健な総督府があればこそ、極東の平和と日本居留民の安全が図られ、ひいては日本の安全を守れることにもなる。

ところがロシアのシベリア総督府が倒れたとなると、これは日本居留民ならびに日本本土防衛上からも、危険極まりない大問題となります。
なぜなら、地理上シベリアは、北海道・樺太に直結しているからです。

英米にロシア総督府を加えることで均衡を保っていた日本の防衛線は、こうして極度の戦力不足となってしまいます。
やむなく日本は、第12師団(約1万5000名)を、シベリア各地に分散して派遣した。
こうして、2個中隊260名が駐屯したのが、当時のニコライエフス(尼港)だった、というわけです。

尼港 1900年
尼港 1900年


事件は、大正9(1920)年1月29日に起こりました。
それまで雪深いこのニコライエフス(日本名「尼港」、以降尼港と書きます)は、共産パルチザンも鳴りをひそめ、比較的静かな状態だったのです。

そこへ突然現れたのが、ロシアのトリビーチンを首領とする約4000人の共産パルチザンです。
彼らは、いきなり尼港市街を包囲した。

守備していたのは、石川少佐率いる2個中隊(約260名)と、無線電信隊の40名、それと保守派のロシア兵(共産赤軍に対して白衛軍と呼ばれていたロシア兵)、合計約350名たらずです。
守備部隊のおよそ10倍以上もの組織化された暴徒が、街を取り囲んだのです。

共産パルチザンたちは、街を包囲した後、自分たちには敵意はない、食料の補給に強力をしてほしいだけだ、と称して、市内に入りこみます。
そして市内に入るやいなや、ロシア白衛軍の将兵を捕らえて、これを全員虐殺した。

あわせて一般市民の中から「有産智識階級」と思しき市民を虐殺し、家内の家財、財宝を奪った。
さらにユダヤ人を選び出し、婦女子にいたるまで、その全員を虐殺した。

共産パルチザンたちは、次々と白衛兵と白系市民を銃剣で突き刺すと、黒龍江の結氷を破ってつくった穴から、凍る流れに人々を放り込んだのです。
たった一晩で、尼港では、ロシア人とユダヤ人約2500人が、こうして惨殺されてしまいます。

翌日、その事実を知った尼港の穏健な石田副領事は、この暴虐行為に対して「厳重抗議」を行なった。
けれど共産パルチザンたちは、もとよりそんな「抗議」など受け入れません。
当たり前です。受け入れるくらいなら、最初から虐殺などしていない。
そしてパルチザンたちは、逆に日本側に武装解除を要求してきたのです。

日本兵が武装解除したら・・・・
そのあと何をされるかは火を見るよりも明らかです。
なにせその前日に、共産パルチザンたちは2500人もの人を殺戮しているのです。

現地の日本軍部隊は、日本に急を知らせる電文を打ちます。
けれど日本からの救援隊は、小樽から発進するのだけれど、真冬の寒い時期です。
海面が凍結していてすぐには動きようがない。

満州にいる他の部隊も、いちばん近い部隊で、陸路で到着するのに40日かかる。

尼港から日本人、ならびに日本軍駐屯隊が撤退しようにも、周囲は凍っているし、尼港の街自体が、共産パルチザンによって、蟻の這い出る隙もないほど包囲されている。
彼らは、撤退するにも撤退できなかったのです。

つまり、尼港の駐留部隊は、極寒のシベリアで、完全に孤立していたのです。

座して死を待つくらいなら、勇敢に戦って死のう。
白人たちの惨殺を目の当たりにしていた日本人部隊は、義勇隊を募り、110名で武装パルチザンの本拠を急襲しました。

けれども敵は、武装した4000人の大部隊です。
衆寡敵せず。
駐留部隊指揮官石川少佐以下多数がまたたくまに戦死してしまう。

義勇隊に参加しなかった軍人、軍属と女子供達600名は、義勇隊の奮戦の最中に、日本領事館に退避します。
けれど、領事館に集まることができたのは、わずか250名しかいなかった。

逃げ遅れた人達は、武装した共産パルチザンの手にかかります。
何が起こったのか。

事後の調査記録によると、共産パルチザンたちは、子供を見つけると2人で手足を持って石壁に叩きつけて殺し、女と見れば老若問わず強姦し、おもしろ半分に、両足を2頭の馬に結びつけて股を引き裂いて殺していたのです。
こうしてまたたく間に、義勇隊110名、逃遅れた日本人約100名が犠牲となった。

日本領事館に逃げ込んだ人達も、けっして安穏としていれたわけではありません。
領事館を襲おうとする共産パルチザンたちと、領事館に立てこもった日本軍との間で、戦闘はまる一昼夜続いた。

これは実際に傭兵となって世界の戦場を点々とした人から聞いた話なのですが、一般に、銃を撃ち合う戦闘というものは、ほんの数分で決着がつくことがほとんどなのだそうです。
銃撃戦が10分も続いたら、「今日の戦闘はむちゃくちゃ激しかったねえ」などと、後々まで話題になる。
それだけ銃撃戦というのは、両軍の戦闘員たちにものすごい集中力と緊張を強いる。
そういうものなのだそうです。

それが、尼港の日本領事館では、まる一昼夜、銃撃戦が続いた。
立てこもる日本人兵士たちの緊張感、後方で震えていた日本人婦女子たちの恐怖は、想像するにあまりあります。

一昼夜が経ち、朝日が射す頃には、領事館内の生存者は、わずか28名になっていたそうです。
弾薬も底をついてしまった。
残った一同は、まず子供を殺し、石田副領事、三宅海軍少佐以下全員が自決してしまいます。

こうして一夜が明けたとき、尼港に残る日本人は、河本中尉率いる別働隊と領事館に避難しなかった民間人121名となった。

抵抗を続ける日本軍強しとみた共産パルチザンは、策を弄します。
「山田旅団長の停戦命令」を偽造したのです。

河本中尉は、これは「怪しい」思った。
けれどもし、停戦命令に従わなかったことが、後日、国際上の問題となったら、これは取り返しがつきません。
それに、軍というものは、あくまでも上官の命令によって動くものです。
こうして河本中尉は、命令を受け入れた。

このとき生き残っていた121名の日本兵たちは、全員、武装解除のうえ投獄されます。
そして、食事もろくに与えてもらえないまま、日本の救援軍に対する防御陣地構築のための土方仕事に駆り出された。
零下30度の極寒の中で、凍てついた大地に土嚢を積み上げ、陣地の構築をしたのです。

そして、陣地構築が終わると、手のひらに太い針金を突き通して、後ろ手に縛られ、凍ったアドミラル河の氷の穴から、生きたまま共産軍によって次々と川に放り込まれ殺された。

春になって、ようやく旭川第7師団の多門支隊が現地の救援にやってきました。
そこで彼らは、地獄絵図を見た。

焼け野原と化した尼港には死臭が漂い、
「いったん撤退するが再び来て日本人を征服し尽くす。覚悟せよ」
と記した共産パルチザンの声明書が残されていた。

日本の救援部隊来着近しの報を受けた共産パルチザンは、5月14日に、支那人の妻妾となっていた14名の女性以外の生き残った日本人全員を殺害していたのです。

支那人の妻妾となっていた女性たちの証言から、1月29日から5月14日までの106日間の尼港の模様が明らかになりました。

何が起こっていたのか。

日本人たちは、生きたまま両目を抉り取られ、
5本の指をバラバラに切り落とされ、
死ぬまで何度も刺されていました。

そして金歯があるものは、生きたままあごから顔面を切り裂かれて、金歯を抜き取られた。
女は裸にされ凌辱された上で、股を裂かれ、乳房や陰部を抉り取られて殺された。

獄舎の壁には、血痕、毛のついた皮膚などがこびりついていたそうです。
そして、その獄舎の中で発見されたのが、獄舎の壁に書かれた冒頭の写真です。

そこには、被害者の手によると思われる鉛筆書きで「大正9年5月24日午後12時を忘れるな」と書かれていた。

この尼港の事件は、「尼港事件」と呼ばれ、当時一部の報道はされたものの、あまりに残酷性が高いことから、報道規制が行われています。

注意していただきたいのは、この事件が起こった当時、日本とロシアは戦争状態ではありません。
もちろん日本とソビエト共産主義政権とも、敵対関係ではありません。

そもそも帝政ロシアは、ロシア革命によって崩壊しており、レーニン指揮下のソ連も、この時点ではまだ国際的に国家としてさえ、承認されていなかったのです。
つまり、この事件当時、ロシアという国家も、ソ連という国家も、国際的には存在しなかったのです。

そうしたいわば無政府状態の中で、極寒のシベリアで共産パルチザンが起こした事件が、この尼港事件です。
そして武装した共産パルチザンは、共産主義を標榜しているけれど、その実態は凶悪犯と夜盗の群れでもあった。

いま、日本の歴史教科書には、日本のシベリア出兵について、次のように書いてあります。

~~~~~~~~
日本がシベリアでの勢力拡大を狙い、連合国間の協定に違反する大兵を派遣し、撤退したのも最後になった。
(中学社会 歴史 教育出版)
~~~~~~~~

これだけ読んだら、まるで日本が悪者です。
でも、上の文をお読みになった方にはわかるはずです。

ロシア革命によってロシア、とりわけシベリアは無政府状態になっていたこと。
その結果、シベリアに流刑されていた帝政ロシア時代の凶悪犯達が、ソビエト共産党の支援を受けて武装し、共産パルチザンとなっていたこと。
そうした中で、ロシアのシベリア総督府は、治安維持を図るため、共産パルチザンたちと必死に戦っていたこと。
民間人たちへの殺戮を防ぎ、治安を維持するため、英米日三国が、一致協力して軍隊をシベリアに派遣していたこと。
総督府が共産パルチザンに制圧されると、英米の軍隊は、さっさとシベリアを放棄して逃げだしてしまっていたこと。
日本は、本土防衛上、やむなく軍の駐屯を続けざるを得なかったこと。

なるほど日本は第12師団をシベリアに派兵していますが、あの広大なシベリアに、師団ひとつでわずか1万5000名の派遣です。
そしてその師団は、各地に分散したから、尼港のような、当時としてみれば比較的大きな市街でさえ、守備隊は、わずか2個中隊しかいなかったのです。
中隊というのは、1中隊136名の小規模部隊です)

そして日本軍が少数であることをよいことに、4000人という大人数で、武装した共産パルチザンが尼港に襲いかかったのです。

なるほど日本は、尼港事件の救援に、師団規模の救援隊を差し向けました。
事実の経過を見れば、明らかに日本の行った措置は、「手遅れ」と言っていいほど、手ぬるいものでしかなかった。

にもかかわらず、戦後の私たちは学校で、「日本がシベリアでの勢力拡大を狙い、連合国間の協定に違反する大兵を派遣し、撤退したのも最後になった」と教わるのです。
これは、死力を尽くして戦った同じ日本人の先人達に対する、後世の子や孫(つまり私たち)による冒涜行為以外のなにものでもない。

この尼港事件は、一定の報道規制はあったものの、一大国辱事件として日本の全国新聞で当時大々的に報道されたし、国際的にも、大きなニュースとなったものです。
つまり、事件は間違いなく「あった」ことです。

にもかかわらず、いまどきの歴史教科書は、この事件に全く触れないし、なぜか日本の立場だけを悪し様にののしるような記述をする。

当時、シベリア派兵したのは日本だけじゃない。
英米も派兵した。

なぜ派兵したかといえば、各国が共産主義の拡大に脅威を感じていた、ということです。
そしてどこの国の政府も、「共産主義革命」なんて歓迎していません。
だからこそレーニンの革命政府は、列国のいずれからも承認されなかったのです。

そして日本は、米英と比べてロシアに対する地理上の近さが違います。
シベリアの赤化は日本本土に対する直接的脅威です。

そして現実にこうして犠牲者を日本は出しているのです。
亡くなられた日本人に、心から哀悼の意を捧げ、二度と同胞がこうした恥辱や殺戮被害に遭わないよう、しっかりと守ることこそ、本来の日本国政府の役割です。

世界政府とか、民族や国境を越えて人類がひとつになって平和な世界を築くというのは、まさに理想でしょう。
そうなったら、ほんとうにいいな、と思います。

けれど、世界のGDPは、日本を含むわずか5カ国で、世界全体のGDPの50%を持っているのです。
それが現実です。

つまり日本人が世界市民となる、ということは、日本人は、いまの豊かな生活を全て捨て去って、世界の貧しい国々と同程度の生活環境に戻りなさい、という主張に等しいのです。

そして国家が国境を失なったとき、その国の人々がどのような目に遭わされるのか。
その現実は、戦前戦後を経由して、まさに枚挙にいとまがないのです。

私たちは日本人です。
秩序を守り、約束を守り、人を殺したり、奪ったりすることはいけないことと信じている国民です。
それは、正義の国民である、ということでもある。

そしてその正義は、常に力の裏付けがなければ、酷い眼に遭わされてしまうというのが、世界の現実であるということです。
そうした現実の前に、二度と被害に遭わないよう、日本は常に強い国であり続けなければならないと、ボクは思うのです。


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日本視点の戦争
(前3分の1くらいから通州事件、尼港事件が紹介されています)
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コメント
祈念。 世界平和 個人安心安全
 貴重な記事を 有難うございました。

先の戦争で叔父・伯父と呼べる人を5人。
お国に捧げました。

小市民のワタクシですがささやかながら
平和な社会を造りたく願って生きて参りました。が、精神を病んでしまいました。一番辛かった言葉は、
「優しいすぎるんやね」でした。

殺人を犯さなければ成らない教育。
を受けた人たち。人々たち。 
地球人、ひとりひとりが
安心安全安らぎのある生活。
を出来る日が、一日も早く訪れますように。
                      
                        誓願 ・ 感謝
2012/05/28(月) 08:19 | URL | 邂 逅 #-[ 編集]
教えていただきありがとうございます
2011/12/16(金) 20:21 | URL | 心より #-[ 編集]
>2011/10/01()19:07 パラボラ
>思い込みの激しい奴だなw

パラボラさん、『思い込みの激しい奴』はあなたで
『重症』なのもあなたですよ!

だから気になってしょうがないんでしょ。
2011/10/02(日) 12:43 | URL | ボラ #-[ 編集]
重症
>毎日、毎日日本人の政治ブログを徘徊し自虐目的で投稿するチョンのSHIN!
>最近、短文専門に切り替えたようだ、
>『日本人に真実を知られたら不味い!!!』SHINより。
09/27 05:28 By:アンテナ

思い込みの激しい奴だなw
2011/10/01(土) 19:07 | URL | パラボラ #-[ 編集]
>09/27(火)00:28 名無し=朝鮮人のSHIN
>朝鮮人を叩くことでしか生きられないかわいそうなネトウヨ


毎日、毎日日本人の政治ブログを徘徊し自虐目的で投稿するチョンのSHIN!

最近、短文専門に切り替えたようだ、

『日本人に真実を知られたら不味い!!!』SHINより。
2011/09/27(火) 05:28 | URL | アンテナ #-[ 編集]
日本全国にシナ人、朝鮮人が蔓延している現実
>おもしろ半分に、両足を二頭の馬に結び付けて股を引き裂いて殺していたのです。

>支那人の妻妾となっていた14名の女性意外生き残った日本人全員を殺害していたのです。

<<殺し方がシナ人の手口です。
見せしめの為に、日本女性を大勢の面前で馬4頭に結びつけ引き裂いて殺した、シナでの実話がありましたね。

シナ人朝鮮人らが殺されていないのは。
積極的に日本人虐殺を請け負って罪人パルチザンに喜んで協力したからでしょう。


>そして金歯のあるものは、生きたままあごから顔面を切り裂かれて、金歯を抜き取られた。

<<福島原発で民主党により何日も、放りぱっなしにされた口が、顎が開きっぱなしの遺体があちらこちらに、金歯を抜き取られ、指を切断して指輪を取った。

避難する日本人と反対に、シナ人らが福島に入ったと目撃されています。

ATM機をそのまま盗むのは朝鮮人の手口です。


最近の事件を観ても、シナ人朝鮮人らの嗜好、思考は現在も変わらず、永遠に変わらず。

酷すぎる実話だからこそ伝えなければいけない、無知なままでは殺されるだけだ、未来永劫伝え続ける義務がある!!!
2011/09/27(火) 05:15 | URL | アンテナ #-[ 編集]
朝鮮人を叩くことでしか生きられないかわいそうなネトウヨ
2011/09/27(火) 00:28 | URL | #-[ 編集]
犠牲になった方々にはお気の毒ですが、この事件には我々日本人の欠点が全て出てますね。先ず第一に自分逹を取り巻く環境の変化に全く関心を持たない。第二に外国人の悪意にたいして異常な位、鈍感。第三に過去のことはすぐに忘れる。そもそも、当時のロシア情勢を考えれば、自分逹に危険が迫っていること位、分かっていなければいけなかったはずですよ。それなのに、日本に応援を頼むこともせず、やって来た敵をわざわざ自分逹の町に引き入れるなんて・・・・・その後も大陸では日本人が虐殺される事件がいくつも起きていますが、この事件を教訓にした様子も無い。読んでいて、ひたすら悲しくなってきました。
2011/09/26(月) 23:41 | URL | ありがとう #-[ 編集]
在日同胞対象の移住集落建設へ、韓国南部の南海郡
在日同胞対象の移住集落建設へ、韓国南部の南海郡
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2011/09/26/0200000000AJP20110926003100882.HTML

 世界中で広まる引き戻し運動で各国から追い出される不逞朝鮮人、日本には60万人以上に
対して20世帯程度の規模を予定しているそうです、民主党政権の東北地方震災復興事業と同様
にやる事が遅すぎる。 
朝鮮人は自国民に対しても騙しの手口がまかり通るのだろうか、招かざる客人に帰国勧奨され
ても、在日も厳しいものがあるようです。

【マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
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ps:
爆弾発言!韓国大統領「北朝鮮の復興は日本に金を出させる」と YouTube
http://satehate.exblog.jp/16900868/
2011/09/26(月) 23:19 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
放射能都市から再生可能エネルギーの実験場に
放射能都市から再生可能エネルギーの実験場に
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2011092334178
5月6日に掲載した【東日本大震災 復興への視点】農業を高付加価値化させる必要のコメント欄
に愛信が提案した事業内容が実施されていく。
ttp://www.aixin.jp/axbbs/sgr/sgr0.cgi#5月6日_10時05分49秒
高層の植物工場ビルを建て下の方を居住区にする。 
災害発生時は上の方や屋上に避難所を開設する。 このような方法で東北地方沿岸部の都市
再生と野菜や牧草の生産工場と雇用の確保に防災対策、住宅問題や農耕地の汚染などの
問題を一挙に解決する。・・・・
詳細は
【植物工場の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/sgr/sgr0.cgi
【植物工場のタイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。
2011/09/26(月) 21:55 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
予算委員会審議中継を見ています
第178回国会審議中継
9月27日9:00~
予算委員会審議中継を見ています
URL 未定

開会日 : 2011年9月26日(月)
会議名 : 予算委員会
収録時間 : 7時間 05分
案件(議題順):
理事の補欠選任 国政調査承認要求に関する件
予算の実施状況に関する件(基本的質疑)
中井洽(予算委員長)  8時 57分  02分
前原誠司(民主党・無所属クラブ)  8時 59分  1時間 01分
城島光力(民主党・無所属クラブ)  10時 00分  42分
岡田克也(民主党・無所属クラブ)  10時 42分  57分
田中康夫(国民新党・新党日本)  11時 39分  15分
中井洽(予算委員長)  13時 00分  01分
石原伸晃(自由民主党・無所属の会)  13時 00分  1時間 01分
塩崎恭久(自由民主党・無所属の会)  14時 01分  1時間 01分
田村憲久(自由民主党・無所属の会)  15時 02分  44分
吉野正芳(自由民主党・無所属の会)  15時 46分  41分
稲田朋美(自由民主党・無所属の会)  16時 27分  33分
http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmpdyna.asx?deli_id=41310&media_type=wb&lang=j&spkid=19575&time=07:39:13.6
【動画ニュース掲示板】最新版
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【動画ニュース最新版タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。
2011/09/26(月) 20:24 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
最近特に感じるマスコミの「日本を貶めるための手口」
最近特に感じるのは、国民兵として召集された一般人は「日本国の犠牲者である」という伝え方です。
「一般人は、軍国主義だった日本国によって無理矢理召集され、戦争に加担させられた」という形です。

「悪いのは日本という『国』である。あなた方日本人ではないよ。」
いわば、日本という国自体を日本人自らで貶めさせる方法です。

確か8月だったと思うのですが、NHKで「原爆が落とされるのを知っていた軍部、何故そのまま落とさせたのか。何故対処しなかったのか」なる番組がありました。
これも一種、その「手口」だと感じます。
とにもかくにも日本という「国」が悪かった、という洗脳です。(私は、最初の5分だけ見て、意図がわかったので、うんざりして勿論テレビを消しました。)

また、先日、サンデーフロントラインという番組をはじめて見たのですが、杉原千畝を特集していて、その伝え方といえば、ユダヤ人を「人道的立場で」「人として」助けたのが杉原氏。そして、杉原氏の思いと行動を押さえ込み潰そうとしたのが同盟国ドイツにおもねる「日本国」。

杉原氏はその後、国家反逆者のような形で外務省を追い出され、名誉回復したのは、助けたユダヤ人が彼を探し出し、感謝の意を伝え、表舞台に出したからだ、という内容でした。

その後のスタジオでの話は、杉原氏だけが称えられ、それに対して「日本という国は最低だ!!」と散々なものでした。
結局は杉原氏を利用して日本を咎めようとしているのがありありでした。

そして、改めて思ったのは「実際はどうだったのか。」ということです。ネットで調べてみました。↓

【我が子に伝える誇りある近代史】
《第4章 戦後以降 『第6話 人種差別の壁を崩した日本 』》
(3)世界が誤解している、日本のユダヤ人の保護政策
http://wwwi.netwave.or.jp/~mot-take/jhistd/jhist4_6.htm

=========(以下抜粋)
もっとも有名なのは、命のビザを発給して、ユダヤ系住民を国外に逃がした、当時リトアニア領事代理、杉原千畝である。筆者は、杉原氏についても、ワシントンのホロコーストミューゼアムにその功績が記されているのをこの目で見た。しかし、杉原氏の功績は、当時、ドイツと同盟関係にあった日本政府の意向を、独断で無視した、いわば個人的な人道行為であったとされてきた。しかし、当時の日本政府が、同盟国ドイツからの強い抗議を無視して、半ば公然とユダヤ人の救出にあたったと言う事実が、次第に明らかになってきている。
(中略)
よく人は、オスカー・シンドラーと杉原氏を比較するが、シンドラーは、ユダヤ人を自分の経営する工場で、奴隷労働させるために助け、後に同情的になっただけだと言う。杉原氏は、人道的な見地からユダヤ人を救ったわけで、もし杉原氏がいなかったら、間違いなく大勢のユダヤ人が殺されていた。
(中略)
当時欧州各国の日本領事館から、ユダヤ人ビザ申請者を不平等に扱うべきか否かを問い合わせた通信文書が見つかっている。結果的に、これら日本領事館は、ユダヤ人申請者に対しても平等に対応した。

さらに驚いた事に、これらユダヤ人難民達が日本にたどり着いたとき、日本政府はすんなりと彼らを受け入れた。
「日本の入国官吏官は、通過ビザのチェックに意外なほど寛大だった」(生存者の一人、杉原ビザのリスト17番、イサック・レビン)と複数のユダヤ人が証言している。

それだけではない、最終目的地のビザも旅費もなく、途方にくれていたユダヤ人難民が、ごく普通の日本人によって手厚く遇された記録も次第に明らかになってきつつある。

日本側の当時の対応は、逆に多くのユダヤ人がいたはずのアメリカが取った非協力的な対応に比べ、天と地の差があるという。

杉原氏以外にも、実はもっと大規模にユダヤ人の救済に奔走した人物があると言われる。
1938年(昭和13年)当時、関東軍ハルビン特務機関長であった、「樋口季一郎少将(後に中将)」である。

1938年3月、ドイツからシベリア鉄道経由で約2万人のユダヤ人難民が、ソ連と満州の国境の駅、オトポールに集まった。国境を挟んで満州側には、満州里の駅がある。
ユダヤ人たちは、満州経由で上海へ向かいたかったのであるが、満州国外交部は、友好国ドイツへの配慮から、ユダヤ人の入国を拒否した。このため、ユダヤ人避難民達は、満州国境まで来て足止めを食らい、オトポールの駅で野営生活を強いられたのだった。満州国境の3月は、寒さが厳しく食料もなく彼らは凍死寸前だった。そこで、ハルビン在住の極東ユダヤ人協会会長、アブラハム・カウフマン氏の要請により、樋口少将が満州国外交部の責任者と会って説得した。一方で、樋口少将は、南満州鉄道の松岡洋右総裁に救援列車を要請し、12両編成の列車13本が、行き場を失ったユダヤ人救出のため出動したと言われる。

=========(以上抜粋)

杉原氏だけではなかった。また、「日本国」もドイツとの関係を考慮しつつも、結果として「人道的」行動をちゃんと優先しているのです。

震災後、日本国民のほとんどが「日本人であること」を強く意識することになったと思います。
でもそれを利用するのがまたマスコミです・・・。
2011/09/26(月) 18:23 | URL | 共通一次世代 #HfMzn2gY[ 編集]
「凛として愛」
『日本視点の戦争』という動画は、最近政治ブログランキングに登録された「花うさぎさん」が以前からずっとブログで貼り付けされてる『凛として愛』ですね。
この動画を初めて見た時、胸が締め付けられるような思いがしました。

しかし最初は、「軍歌」にはすぐには馴染めなかった。それほどに自分も「日本は軍国主義で悪い国であった」という洗脳と、軍歌はパチンコ店で大音量で面白おかしく流されている「非常にマイナスなイメージ」を払拭することが自分にとって相当難しかったのです。
それでも段々と、あの時代日本を守るために生きた方たちが日の丸の小旗を力強く振って歌う様子を見て、その中に「俺たちは仲間とともに命がけで日本を守ったんだ」いう思いと、「それを何故わからないのだ」という悔しさが自分には伝わってくるように感じるようになりました。


動画の第4部で語られる言葉の重み・・。
======
「あなたがもし日本人ならば、そして正義を愛するならば、かつての日本人も同じ日本人です。
あなた方が誇れる先人の方々です。
あなたが自分を信じるならば日本を守った先人を信じてください。」
=======
この動画をぜひ学校で見せるべきだと心から思います。

2011/09/26(月) 17:19 | URL | 共通一次世代 #HfMzn2gY[ 編集]
日本のマスコミを震撼させたマルコポーロ廃刊事件
アメリカを支配するアシュゲナジー系ユダヤ人と反日朝鮮人との関係

http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-812.html

1995年1月に、日本のジャーナリズム界を震撼させる事件が起きた。
この事件は、アウシュヴィッツのガス室に疑問を投げかける記事が、雑誌『マルコポーロ』(文藝春秋社)に載ったのがきっかけだった。
●この記事のことを知った、アメリカのユダヤ人組織「サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)」は、ロサンゼルス駐在日本領事の駐米大使に抗議し、更にその後、イスラエル大使館とともに文藝春秋社に抗議した。
また「サイモン・ヴィーゼンタール・センター」は『マルコポーロ』への広告差し止めを呼びかけ、フィリップモリス、マイクロソフト、フォルクスワーゲン、三菱自動車などが広告出稿を拒否することになった。
●結局、文藝春秋社側は一方的に謝罪し、『マルコポーロ』は廃刊となり、花田紀凱編集長は解任され、田中健五社長は辞任した。

●「SWC」による日本ジャーナリズム界への圧力は更に続いた。

2001年10月15日、テレビ朝日の番組「スーパーモーニング」で、コメンテーターとして出演していた川村晃司氏(元カイロ支局長)が、アメリカの炭疽菌事件に関連して、「アメリカのメディアを支配しているユダヤ人を狙ったものではないか」という趣旨の発言をした。

すると「SWC」が即座に反応し、「その内容は全くの虚偽。『支配している』という部分が、ユダヤ人差別につながる」と猛抗議した。

●ところで、現在、「SWC」は「創価学会インターナショナル(SGI)」と連携している。

池田大作(会長)が最初に「SWC」のロサンゼルス本部を訪れたのは1993年1月である。

この時、「SWC」は池田大作に対して「国際寛容賞(人類愛国際賞)」を贈り、池田大作を称えた。



2011/09/26(月) 15:29 | URL | 358 #NFo.whdU[ 編集]
尼港事件を忘れるな!

日本人として、決して忘れてはいけない、語り伝えて現在の防衛意識に繋げていかなかればいけないお話を、ありがとうございました!!

といっても、すぐ忘れてしまうといけませんので、脳裏に焼き付き染み込むまで、何度でも、パソコンに向かうことが可能な限り、伝え続けていただけましたらありがたいです。
ねずきちさんにとりましては、苦難と茨の道となりますが、可能な範囲で宜しくお願いいたします。
2011/09/26(月) 11:21 | URL | みー #-[ 編集]
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公共放送の幹部…

☆フランスの哲学者フィンケルクロートの言葉・・・ 「『子供はもう市民だ!』という考え方は極めて 危険な考え方である。 子供を完成した人格として見ることは、子供達 の本的な
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小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
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またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

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私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

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