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敷島の大和心を人問わ(は)ば 朝日ににおう (ふ) 山桜花(本居宣長)。日本は天皇を国家最高権威とし、民を「おほみたから」とする「シラス国」です。


小園安名司令−1 ほんとうにたいせつなこと

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整列する海軍厚木三〇二航空隊
三〇二空-1


みなさんは、小園安名(こそのやすな)という名前をお聞きになられたことがおありでしょうか。
小園安名氏は、元大日本帝国海軍航空隊の大佐です。
所属は海軍厚木三〇二航空隊です。

三〇二航空隊というのは、本土防衛にあたって帝都上空を守る、日本海軍史上最強最精鋭の航空部隊です。
精鋭の中の最精鋭の隊員を揃え、最精鋭かつ最強の軍人を長につける。あたまえのことです。
小園大佐が、いかに優秀な方であったかがわかろうというものです。


しかし戦争が終わり、日本が占領統治となり、サンフランシスコ講和後も実質は被占領国で居続けたことにより、小園大佐は、ある種の異常者として語られるようになりました。
要するに、終戦を境に、正が邪に、邪が正として語られるようになったのです。

けれどみなさん、私は思うのです。
政治な歪みから物事を見るということが、いかにくだらないことであり、いかに人々に不幸をもたらすか。

その良い例が、中華人民共和国です。
中共政府は、いうまでもなく中国共産党による政府です。
その中共の国家は、昨日の記事にも書きましたが、国名や国歌からして日本と多大な関係がありながら、反日を国家の柱とし、日本と支那共産党軍は、いちども干戈を交えたことはないのに、支那人民解放軍は抗日戦線の英雄とされています。

そして、それらを推進した中共政府は、諸湯輪33年からの毛沢東の大躍進政策によって、15年で英国の経済力を抜くと豪語しながら、かえって経済を衰退させたのみならず、三千万人以上と言われる餓死者を出しています。

そしてさらに昭和40年にはじまる文化大革命では、一説によれば、一千万人以上の死者を出したとされています。
さらにチベットでは、150万人を虐殺。
そのどこが人類や国民に平和と幸福をもたらす政権、政治といえるのか、世界はもっと冷静に実情をみるべきです。

さて、今日のお話は、小園安名大佐です。

昭和20(1945)年8月15日の正午に玉音放送が流された後、海軍厚木基地では、小園司令が、三〇二航空隊隊員に総員集合を命じました。

このときの小園司令の訓示です。
~~~~~~~~
降伏の勅命は、真の勅命ではない。
ついに軍統帥部は敵の軍門に降った。

日本政府はポツダム宣言を受諾した。
ゆらい皇軍には必勝の信念があって、降伏の文字はない。

よって敵司令官のもとに屈した降伏軍は、皇軍とみなすことはできない。
日本の軍隊は解体したものと認める。
ここにわれわれは部隊の独立を宣言し、徹底抗戦の火蓋を切る。

今後は各自の自由な意志によって、国土を防衛する新たな国民的自衛戦争に移ったわけである。
ゆえに諸君が小園と行動を共にするもしないも諸君の自由である。

小園と共にあくまで戦わんとする者はとどまれ。
しからざる者は自由に隊を離れて帰郷せよ。

自分は必勝を信じて最後まで戦う。
~~~~~~~~

そして小園司令は、全員に向かって、
「帰郷せんとする者、離れてよしっ!」と声をかけました。

全員に、自己の判断で行動しなさいと言ったわけです。
そして、戦いの継続を望まない者は、その場を離れなさいと、命じたのです。

けれど、誰一人その場を立ち去る隊員はいませんでした。

翌、8月16日、小園司令は厚木航空部隊の独立宣言を、海軍の各部隊宛に緊急電報で発信し、陸軍や国民に向けて檄文のビラを用意しました。
そのビラの文章です。

~~~~~~~~
国民諸子に告ぐ。
神州不滅、終戦放送は偽勅、だまされるな。
いまや敵撃滅の好機、われら厚木航空隊は健在なり。
必勝国体を護持せん。勤皇護国。
皇軍なくして皇国の護持なし。
国民諸君、皇軍厳として此処にあり。
重臣の世迷言に迷わざることなく吾等と共に戦へ。
之真の忠なり。之必勝なり。
~~~~~~~~

このビラは、零戦が首都圏に散布し、月光が関東東北に、彩雲が中部に、銀河が北海道・中四国に散布しました。

同日、厚木の小園司令のもとには、米内海軍大臣から翻意をうながす意向が伝えられます。
けれど、小園司令はこれを拒絶しました。

米内海軍大臣は、横須賀鎮守府三航艦司令長官である寺岡謹平海軍中将に小園司令の説得を命じました。
寺岡中将は、厚木基地に向かいました。
寺岡中将と小園司令は、30分ほど会見しました。
そして会見は「決裂」しました。

8月17日、小園司令の問題は、深刻な事態となります。
米国から、マッカーサーが8月30日に厚木基地に降り立つと連絡があったからです。

ところが厚木基地には、小園司令らが徹底抗戦を主張して立て籠っている。
武装も解いていません。
いまだ戦時体制のままです。

やむをえず海軍上層部は、陛下にこれを上奏し、陛下に直々に「隠忍自重の勅語」を発していただくことにしました。
同時に米内海相は、横須賀鎮守府に厚木基地の「強硬鎮圧」を命じました。

ところが、命じられた横須賀鎮守府の寺岡中将は、断固としてこれに抵抗しました。
寺岡中将の心は、むしろ小園司令とともにあったからです。

しかし日本は、広島・長崎に原爆まで落とされています。
すでに本土防衛線も突破され、日本中の都市は空襲で焼け野原です。
陛下の大御心は、常に民の安寧にあらせられます。

このうえさらに日本の大都市部に、次々と原爆を投下されたらどうなるか。
だからこそ、陛下は日本はポツタム宣言受諾をご英断されたのです。
日本という国家が、終戦という選択をしたのです。

軍は、国家の意思によって動くものです。
たとえ納得できないことであったとしても、軍人は国家の意思に逆らうことは許されるべきことではありません。

8月18日、小園司令はその心労からか、突然40度もの高熱を出してしまいます。
南方戦線在任中に感染したマラリアが再発したのです。

しかし高熱を発していても帝国軍人です。
彼は床に伏せませんでした。
8月の酷暑の中を、軍服をしっかりと着たまま、床にも伏せずに満々とした闘志を揺るがせません。
これだけでも常人には真似のできないことです。
いかに小園司令が気迫のひとであったかがわかります。

8月20日になると、海軍兵学校で小園の一期後輩でもある高松宮宣仁親王海軍大佐、 第三航艦参謀長・山澄忠三郎大佐らが厚木基地にやってこられました。
小園司令を説得するためです。

そして小園以下、厚木基地に立て篭もる隊員たち全員を集め、「陛下の大御心」を伝え、抗戦体制を終結させようと説得しました。

みなさん、厚木基地は、どうなったと思います?

誰も説得に応じなかったのです。
彼らは猛暑の中を正装して滑走路に整然と整列し、親王殿下と参謀長の話に聞き入りました。
けれど、誰ひとり、その闘志を迷わせることはなかったのです。

8月21日になりました。
この日、さしもの豪傑の小園司令も、高熱のために意識が混濁を始めます。
このままでは司令の命が危ない。

山澄参謀長らは、軍医長の少佐に命じて、小園司令に解熱のための鎮静剤を打つことにしました。
けれど、小園司令は、これを拒みます。
みんなで小園司令を押さえ込んで、注射しようとするのだけれど、そうすると小園司令は、暴れてまでしてこれを拒まれました。

ようやく全員で取り押さえて注射をすると、小園司令は軍刀を抜いて、抵抗しました。

普通、40度を超える熱を出していたら、人間、そうそう動けるものではありません。
まして鎮静剤まで打たれたら、人間、もはや体は動かなくなるものです。
にもかかわらず、小園司令はモウロウとしながらも、断固その意思を貫こうとしたのです。
その気迫たるや、まさに鬼気迫るものがあります。

やむなく付近にいた全員で小園司令を取り押さえました。
そして革手錠まではめて、海軍病院に搬送しました。
当然、基地にいた誰もが、司令の療養のためと思いました。

ところが小園司令が搬送された先は、野比にある海軍の精神病院(現・独立行政法人国立病院機構久里浜アルコール症センター)、しかも収容先は精神科病棟への強制収容だったのです。

司令が何処かに連れ去られた厚着基地では、三〇二空の航空隊員たちが、一部の仲間たちの制止を振り切り、零戦・彗星・彩雲など32機に分乗し、基地から脱出しました。
このうち、零戦18機は陸軍狭山飛行場へ、彗星など13機は、陸軍児玉飛行場へ降り立っています。

残る一機は、消息不明です。
おそらく単機、敵艦船を求めて太平洋をさまよい、ひとり太平洋に散華されたのだと思います。
その心を思うと、私などは泣けて泣けて。

小園司令がいなくなり、航空兵が飛び立ったあとの厚木基地は、8月22日、軍の命令によって、残る士官全員が、強制退去となりました。
そして8月23日、厚木基地に山澄大佐率いる大本営厚木連絡委員会がはいり、飛行場の片付けと整頓にはいます。
そして8月26日、米軍先遣隊の輸送機13機が厚木に着陸し、8月30日連合軍最高司令官マッカーサーが厚木に降り立っています。

以上が、終戦直後の厚木事件の顛末ですが、小園司令はその後どうなったのでしょうか。
司令はそのとき、精神病棟にいました。
病院内での小園司令に対する処置は、それは酷くて苛烈なものだったそうです。

なお闘志をあきらめない小園に、最重要危険人物に対するもっとも峻烈な後ろ手を十字に組ませた手錠をかけ、食事さえも与えなかったといいます。
もっとも後ろ手に拘束された小園司令自身が、むしろ食事を与えられても断固それを口にしなかったのかもしれません。

けれど、病棟は、水さえ一滴も与えませんでした。
これは史実です。
小園司令は、猛暑の中で、喉の渇きを潤すために、床を転げて自分の小便をすすられたといいます。

10月15日、巣鴨拘置所で厚木航空隊騒擾事件の横須賀鎮守府臨時軍法会議が開かれました。
軍法会議出席のため、小園司令は巣鴨に移送されました。

つい二ヵ月前までは、鎮守府参謀として執務した、懐かしい司令部の建物です。
けれど、こんどはその建物が、今おのれの裁きの庭になる。
この日、小園司令の目には、そんな感慨めいた光が宿っていたという話もあります。

小園司令が巣鴨に到着したとき、遠巻きに小園を取り囲んだ輪の中から「小園参謀!」と声をかけた者がいます。
それは若い、情報係の山梨少尉でした。
山梨少尉は、8月11日の朝、日本がポツダム宣言を受諾したとの海外放送を、小園司令に伝えた男です。

山梨の方を見た小園の口元に、かすかな微笑みが浮かび上がりかけたそうです。
けれど、それはほんの一瞬の出来事でした。
小園司令は、MPにせかかれて、建物の中に姿を消してしまわれたのです。

山梨少尉は、拘束衣に縛られ、見る影もなく痩せた小園司令の姿に、「あの参謀長が・・・」と絶句し、涙がとまらなかったそうです。

小園司令は、かって横須賀鎮守府の名参謀として知略をふるい、戸塚長官や幕僚たちまで震え上がらせた猛将です。
厚木基地では、敵戦闘機や爆撃機をなんと120機も撃墜、そのうち80余機は、あの空の要塞B29の撃墜です。
若い士官たちは、小園司令を心から尊敬していたのです。

その小園司令のあまりにも変わり果てた姿に、山梨少尉は、青年らしい怒りと、同時にその理不尽な姿に、悲憤の涙を流したのです。

小園司令に対する裁判は、その日のうちに判決が出されました。
判決は、「党与抗命罪」です。
そして失官し、無期禁固刑が言い渡されました。
これが昭和20年8月から10月にかけての出来事です。

昭和27年、サンフランシスコ講和条約が発効しました。
けれど、小園司令が刑務所から出所となったのは、昭和28(1953)年になってからのことでした。

出所した彼は、生まれ故郷の鹿児島県加世田(かせだ)市に帰り、そこで農業をしながら、静かに余生を過ごされました。
そして昭和35(1960)年11月4日、家族に看取られて57年の生涯を閉じられました。

中田整一さん書いた「真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝」という本があります。
いまは講談社文庫にもなっています。
その本の中に、淵田美津雄氏が戦後、小園司令に会われたときのことが書いてあります。
その日、小園元司令は、「あの時降伏などするのではなかった」と、快活に語っていたとのことです。

たしかに客観的に考えてみると、終戦当時日本をさんざん悩ませていたB29は、終戦後まもなく戦場の第一線から姿を消しています。
なるほど、終戦までの時点では、B29は世界最強の空の要塞でした。
高度8000メートルで飛来するB29に対し、零戦などの旧型戦闘機は、どんなに頑張っても高度6000メートルがやっとであり、まるで勝負にならなかったのです。

これを小園大佐は、作戦をもってB29の高度を下げさせ、さらに飛行機の銃頭を斜め上に向けることによって無理矢理弾を届かせるように工夫し、B29を撃墜していたのです。

ところが同じ頃、日本の長崎の工廟では、ジェットエンジンの開発が行われていました。燃料は麻油です。
これが量産段階にはいっていれば、日本は戦争に勝ってしまったかもしれないのです。
なぜなら、当時世界最強だったB29は、大東亜戦争終結後まもなく戦場から姿を消していますが、速度が早く、上昇高度が高いジェット戦闘機の前では、ただの空に浮かぶ速度の遅くて的の大きいただのネタにしかならなくなったからです。

このエンジンを搭載した戦闘機や爆撃機が登場していたら、おそらく戦況は一変していたことでしょう。
なぜなら、ジェットエンジンを搭載した航空機の前には、当時のいかなる戦艦も航空機も、まるで歯がたたなかったからです。

けれど、陛下の大御心は、戦争の終結を望まれました。
なぜなら、日本が戦況を一変させる前に、もうあと2〜3発の原爆を日本は投下された危険があったからです。
そうなれば、何十万の無辜の民が死ぬ。
陛下は、戦いに勝つことよりも、無辜の民の命を守ることを選択されたのです。
そのおかげで、私達は生きている。
そのご恩を、やはり私達は、しっかりと感じ取る必要があるのではないかと思います。

それともうひとつ。
今日、どうしてもお伝えしたいことがあります。

それは、日本の社会では、実績があり誰からも慕われる偉人が、必ずしも幸運な晩年をすごしてはいないということです。

小園司令は、数々の武勲をたてた空の勇者であり、大東亜戦争末期には帝都上空を守る最精鋭航空隊の司令に任ぜられるという優秀さに加え、部下からもたいへんに慕われる、まさに「立派な帝国軍人」です。
にもかかわらず小園司令は、戦争が終わると、こんどは逆に精神病患者という扱いを受け、拘束着を着せられ、刑務所に入れられ、日本がサンフランシスコ講和で独立を回復してもなお1年、刑務所から出してもらえず、晩年は細々と農業を営み、静かにこの世を去っています。

歴史をたどれば、土佐藩の改革に見事な実績を残した野中兼山、治水事業で実績を残した水戸藩の松波勘十郎、関宿藩の船橋随庵も同様に、さみしい晩年を迎えています。
これはいったいどういうことでしょうか。

ひとつ思うのは、人生の最後がどうあれ、民衆のために、そして国のために藩のために、誠意をもち、勇気をふるい起こして人生を捧げ抜いたという意味において、小園司令もまた、まさに「我が人生に悔いなし」という誇りを胸にお亡くなりになったのではないかということです。

そしてそれは、何にも替えがたい、至高とさえいえる人生の勲章なのではないかと思います。
さみしい晩年を送りながら、なぜ、それが至高といえるのか。
それは、彼らが日本人であり、日本人としての価値観を濃厚に持った方々であったからです。

人生の目的や価値を、名聞名利においたのではない。
人生の目的や価値を、立身出世や経済的成功においたのではない、ということです。

日本人は、古来、肉体は滅び、形あるものはいつか壊れても、魂は連続し、永遠に営むと考えてきました。
いいかえれば、心は不滅なのです。
一年草の雑草が、生えては枯れ、また翌年にはつぼみを出して花をさかせるように、人もまた、生を繰り返す。
人は、繰り返し産まれ、生き、そして死んで行く中で、自己の持つ魂をより至高なものに成長させていく。
そして、より多くの人々の幸せのために生きることが価値あることとするならば、今生の名聞名利や経済的成功などよりも、やるべきことをやりぬいた、という人生にこそ、価値があるといえるのではないか。
それが、日本人の日本的考え方であったように思うのです。

小園司令については、いまでは、賛否両論、さまざまな評価がなされていると聞きます。
けれど私には、そのような他人の評価など、なんの関心もありません。
それ以上に、小園安名という人が、この日本にいて、国土防衛の柱として、見事その人生を捧げられた。
そのことに、私は最大限の感謝をし、また小園安名司令という人が、私達日本人と同じ日本人であったことを、心から誇りに思うのです。

小園大佐の半生については、明日、続きの記事を書きます。

【ご参考】
◆野中兼山
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1089.html
◆松波勘十郎と船橋随庵
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1569.html

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コメント
No title
「淵田美津雄自叙伝」読みました。
小園司令はとても個性的で人情の人でした。
他の戦記本にも良く登場されています。
また、映画「日本のいちばん長い日」というのにも、俳優は確か、菅原文太さんだったと思います、出ています。
今日は笹井醇一海軍中尉の命日でもあります、小園司令はラバウルで中尉の上官でもありました。

ねずさんの言われるように、当時日本を、我が身に替え護られた皆さんの戦後は本当に惨めなものでした。
これでは「先の戦いで日本が負けたのはあんた達のせいだ、責任取れ」って同じ日本人が言ってるという事に他なりません。
実におかしな事です。
彼等は金、名誉、出世の為に戦ったのではない、ただただ日本国を護る、この一念で戦ったのです。

そのような彼等を、なぜ日本人は日本の英雄として扱う事が出来ないのでしょう、本当に不思議です。
普通の頭をお持ちでしたら分かりそうなものですが・・・。
先の戦いで従軍された皆さん、階級はどうであれ、皆さんは日本国の英雄です。
どこかの腹黒い国の英雄と訳が違います。


>人生の目的や価値を、名聞名利においたのではない。
人生の目的や価値を、立身出世や経済的成功においたのではない、この信念の基に人間としての崇高な、何物にも変えられない誇りをお持ちになり、小園司令は旅立たれたのです。

勿論私も含めてですが、どれ程の人がこの様な信念を持っているのでしょう。
そして、今の日本を舵取りしている全ての役人に、「もう一度勉強して、出直して来い」と言いたいですね。
2012/08/26(日) 22:40 | URL | 桜子 #PyZMa2bE[ 編集]
幕末の開国以来、どうも売国奴が英雄扱いされ、英雄が貶められているケースが結構ありそうです。尺度は国際金融資本のオーナーの意向に沿って活動したか否かと考えられますね。
2012/08/26(日) 22:12 | URL | 志士 #-[ 編集]
GHQで歪められた戦中戦前の真実を掘り下げて観ると対米戦でも硫黄島、沖縄とかなりアメリカを追い詰めている。戦費が底をつき予想外の死傷者でアメリカは正直窮地、九州上陸など実際にあったら凄まじい米軍死傷者で、米国世論は反戦に動いた可能性がある、陸軍はむしろ勝ち戦だった、講和の可能性もあった、勝ったとはいえ火事場泥棒のソ連や棚からぼた餅の中国国民党や中国共産党、どちらもレンドリースなど大量のアメリカ支援を受けている事実がある。おかしいと思ってさらに掘り下げていくと、米も共産勢力もナチスも一部の日本の売国奴も同じスポンサーにたどり着くではないのか。日本の戦後支配の構図や最近の意味不明な増税の動きなどこのスポンサーの都合だろう、最近このスポンサーの影響を排除しかけてる国もあるが…まだまだ 日本の右翼まがいの幹部も左翼活動の経歴を持つものが結構いる。国政狙いのどこぞの首長も右発言だが高校時代はトロッキストだし。 半島本山の壺と判子の輩が巧みに背後から政治支配する構図も崩壊の兆しがある、国内の南無妙団体もしかりで後継争い崩壊の兆し、出事を三代遡れと書いたのは、なにやら政界に○日やどさくさ紛れ偽物日本人が多いのと、○日とあとは満州鉄道人脈が戦後支配を決定付けしている事実を、読者に覚醒して欲しいので、このブログファンとして炎書され封印た日本人の美しさ、強さの真実拡散が日本の再起につながって欲しいと願う一人ですよ。みなさんの覚醒のきっかけを稚拙ながら書かせていただきます。
2012/08/26(日) 21:55 | URL | 志士 #-[ 編集]
薩摩いろはうた
月光に斜銃をつけてB17をばんばん落とし、地上の友軍を歓喜させたのも小園大佐でしたね。しかし、それを考案して許可が降りるまで二年近くかかったという、大本営の頭の固さこそ敗戦の因でした。終戦の年には小園の郷里加世田の万世飛行場からも特攻機が多数飛び立ちました。小園大佐は郷中教育の中心地でもあった加世田から出るにふさわしい人物だったといえそうです。
2012/08/26(日) 20:26 | URL | 古雲 #6Q/wyNA.[ 編集]
ねずさん、今日も素敵な記事をありがとうございました。
やはり、陛下の大御心があってこその終戦であったし、日本なのですね。
そこに熱い想いが様々に交錯して、ドラマがある。
そしてそこには、必ず愛が存在していたはずですね。

今でも日本は、妖精の住む国だと思います♪
2012/08/26(日) 18:51 | URL | みーたん #-[ 編集]
No title
こんにちは!
以前、ドクター中松さんのアパ論文がこのブログで紹介されてました。
今回の小園さんの記事を拝見して、中松さんの論文を思い出しました。

あの8月15日は多くの日本人にとって、「耐え難きを耐え、忍びがたきを忍」んで、まだまだ戦う気力を持ちながらも、停戦した日だったのだと改めて思います。

小園さんは故坂井三郎氏の著書で存じ上げてましたが、あの厚木基地でマッカーサーが降り立つ前に、そんな出来事があったとは知りませんでしたが、そのような真の武人がいたからこそ、やはり戦後の日本の繁栄があったし、また今日の米国国民の日本に対する敬愛の念は、そういった武人の戦いぶりや生き様に起因しているように思いました。



2012/08/26(日) 18:38 | URL | あつし #-[ 編集]
憲法九条改憲か死守かアンケートやってます
産経がアンケート実施中です

<憲法論議の際、戦争の放棄を規定した第9条は死守すべきだとする意見と、時代遅れで改正が必要だとする見解とが真っ向から対立し、常に焦点となってきました。 >
https://enq3.csview.jp/question/SankeiAk/eank_0466/eank_0... .
2012/08/26(日) 17:31 | URL | #-[ 編集]
天照大神のお怒りについて
私たち日本人は“世間体”を大切にします。
しかし、それも自我によるものか、利他に向けての行動かをよく見極めなければなりません。
経済的な問題や親戚付き合いなど家族的な心配事から、範囲を広げて国家的な問題など常に現実問題と向き合わなければなりません。避けて通ることの出来ない問題に直面したときにどのように対応しなければならないかよくよく考えさせられます。
この時に世間体を気にしすぎて見栄をはり、自分の立場を良くしようとして、後になって間違っていたと気付いても手遅れになるような事がよくあります。
一時的に自分や家族が世間から冷遇されても“世の為に役立つ事なのだ”としっかりと見極めが出来るようになれるように偉人の生き方を学びたいと思います。
今の民主党政府の日和見的な発言や弱腰外交に対して世間体や見栄だけを優先し、本来の使命を放棄して何の功績も残さないでいる総理大臣は日本国には必要としていません。
韓国の大統領も同じく見栄ばかりで実なしです。
書籍「天照大神のお怒りについて」信仰なき日本人への警告 
を読んでみてください。
2012/08/26(日) 07:21 | URL | はっちょもん #-[ 編集]
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小園安名司令−1 ほんとうにたいせつなこと

ねずさんの ひとりごと 小園安名司令−1 ほんとうにたいせつなこと
ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
最新刊
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基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメントは、削除しますのであしからず。
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コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人である私の判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
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