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敷島の大和心を人問わ(は)ば 朝日ににおう (ふ) 山桜花(本居宣長)。日本は天皇を国家最高権威とし、民を「おほみたから」とする「シラス国」です。


斬っても突いても死なない男 鈴木貫太郎

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鈴木貫太郎
鈴木貫太郎0414


私の家からクルマですこし走ったところに、鈴木貫太郎記念館という施設があります。
最近は、訪問者も減ってしまったとのことですが、かつては小中高生の定番の外出授業コースでした。

鈴木貫太郎は、第42代内閣総理大臣として、大東亜戦争を集結させた内閣総理大臣です。
ですが鈴木貫太郎の半生は、江戸から明治・大正・昭和の歴史そのものといっても良いものです。
そして鈴木貫太郎の人生を学ぶと、人には使命があり、人は生きているのではなく、なにものかによって生かされている存在なのかもしれないということを、強く感じます。

鈴木貫太郎は、実にすごい、また魅力的な人物です。
そしてこの方は、実に奥様まですごい。


貫太郎のお生まれは慶応3(1868)年12月24日です。
お亡くなりになられたのが昭和23(1948)年4月17日)のことでした。
海軍大将、従一位、勲一等旭日桐花大綬章、功三級金鵄勲章を授章されています。

戦に立てば獅子奮迅、平時にあっては鬼貫、老いては昭和天皇からたいへんなご信頼をいただき、ご遺体からは226事件の弾丸が出てきたそうです。
とにかくたいへんな人生です。

鈴木貫太郎が第42代内閣総理大臣に就任したのは、戦況も押し迫った昭和20(1945)年4月7日のことでした。
内閣が総辞職したのが、同年8月17日です。終戦の翌々日です。
鈴木貫太郎内閣は、大東亜戦争の終結を一手に引き受け、そして解散した内閣でした。

戦いというのは、シンガリというのが、いちばん難しいといわれています。
勝ち戦のときは、みんなが盛り上がるけれど、負け戦をどう戦い、どう納めるか。
その大任を拝したのが、鈴木貫太郎であったわけです。

鈴木貫太郎は、戦況悪化の責任をとって総辞職した小磯國昭総理の後継として、重臣会議で次の内閣総理大臣に指名されました。
重臣会議の結果をお聞きになられた昭和天皇は、鈴木貫太郎をお呼びになりました。
そして総理として組閣するように命じます。

このときのやりとりを、侍立した侍従長藤田尚徳が聞いていたそうです。
あくまで辞退の言葉を繰り返す鈴木に対して、陛下は次のようにお言葉を賜われました。
=====
鈴木の心境はよくわかる。
しかし、この重大なときにあたって、
もうほかに人はいない。
頼むから、どうか曲げて承知してもらいたい
=====

おそらく日本の憲政史上、陛下から「頼む」と言われた人物は、鈴木貫太郎だけです。
貫太郎は武人です。
日頃の口癖も「軍人は政治に関わるべきではない」だったそうです。
そして「自分には政治的手腕はない」とも言っていたといいます。

けれど、陛下から直接「頼む」と言われてはそれ以上、辞退はでません。
陛下の母である皇太后節子(貞明皇后)様も、その場で陛下より30歳以上年上の鈴木に対して
「どうか陛下の親代わりになって」とおっしゃられたともいいます。

ちなみに国会議員以外から内閣総理大臣に就任したのは、鈴木貫太郎が最後です。
こうして内閣総理大臣を拝命した鈴木貫太郎は、4月7日に組閣を行いました。

貫太郎の就任直後の4月12日に、米国ルーズベルト前大統領が亡くなりました。
貫太郎は、この報道に接すると、短波放送で次のメッセージを送っています。
======
私は深い哀悼の意をアメリカ国民に送るものであります
======

同じ頃、ナチス・ドイツのヒトラーも敗北寸前だったけれど、彼は対照的にルーズベルトを罵ったといいます。
アメリカに亡命していたドイツ人作家トーマス・マンは、英国BBCで「ドイツ国民よ、東洋の騎士道を見よ」と題して声明を発表し、鈴木の武士道精神を称賛しています。

たとえ戦う相手であっても、相手の生命の尊厳を大切におもいやる。
だからこそ武器を手にする者は、自律心を持ってこれを用いる。
古来変わらぬ、日本の武士道の心が、ここにあります。

話がすこし前にさかのぼりますが、貫太郎が枢密院議長をしていた、昭和18(1943)年のことです。
会議の席で嶋田繁太郎海軍大臣が山本五十六の戦死を貫太郎に報告しました。

驚いた貫太郎が「それは一体いつのことだ」と問うと、
嶋田は「海軍の機密事項ですのでお答えできません」と官僚的な答え方をしたのだそうです。
このとき貫太郎は、齢75歳です。
老境に達し、日頃は静かで温厚なお爺さんでした。
と、日頃そのようにみえていた貫太郎が、このとき、烈火の如く怒髪天を抜く勢いで腹の底から嶋田を怒鳴りつけたそうです。

「俺は帝国の海軍大将だ! その答弁は何であるか!」

肝をつぶすという言葉がありますが、周囲にいた者はいまだ「鬼貫」が健在であることを思い知らされたといいます。
貫太郎は骨の髄まで武人であったのです。

私の尊敬するある方は旧陸軍士官学校出の方ですので、もう、すごいご高齢で、平素はたいへんにおだやかで優しい老人ですが、なにかのときに、グッと怒りの表情をされると、その瞬間、こちらの肝っ玉が縮み上がるような凄味を感じます。

そういえば、柔道のオリンピックの強化練習のときに、70代後半のご老人たちが、たまたま現役の選手たちと練習試合をしたことがあるのだそうです。
このとき、現代柔道の現役選手たちが、そのご高齢の老人たちに、まるで子供のようにポンポン投げられ、そこにいたコーチ以下、全員がぶったまげたことがあるのだそうです。

先日、鍛え上げられた武人として、根本中将のお話なども書かせていただきましたが、昔の日本のこうした武人たちの凄味というのは、およそ軟弱化した現代日本では考えられないほどの強靭さをもったものだといえようかと思います。

鈴木貫太郎も、ご高齢となったときのお写真をみると、とてもおやさしそうです。
けれど、武人は、たとえ齢を重ねても、どこまでも武人であったのです。

さて、死去したルーズベルトを罵ったヒットラーは、この月の月末に自殺しまし、ヨーロッパにおける戦争は終結へと向かいました。
日本では、鈴木貫太郎たちが、尚も和平の道を探し続けていました。

しかし閣内には断固戦闘を継続すべしの声も多い。
6月8日に行われた重臣会議で、貫太郎は若槻禮次郎の質問に答えて、次のように述べました。
=====
理外の理ということもある。
徹底抗戦で利かなければ死あるのみだ
=====

そう言って、彼は机を叩いたそうです。
同席した東條英機らは満足してうなずいたといいます。
ところが近衛文麿は微笑していました。
貫太郎の腹の中は決まっていたのです。

======
内大臣に会いに行くと、皇族をはじめ、自分たちの間では和平より道はもうないといふ事に決まって居るから、此事、お含み置きくださいといふ話。
若槻さんは首相はどうなのですかと訊くと、勿論、和平説ですといふ内大臣の返事で、初めて近衛さんの微笑の謎が解けたといふ
(志賀直哉著「鈴木貫太郎」)
======

6月23日には、米軍が沖縄を占領しました。
昭和天皇の終戦への明らかな意志は、貫太郎の勇気をふるい立たせます。
貫太郎は、近衛文麿をソ連に特使として送るこを決めました。
いまだ対日宣戦に参加していないソ連を仲裁者に立てて、和平の道を探ろうとしたのです。

しかし7月17日、トルーマン、チャーチル、スターリンの連合国三巨頭がべルリン郊外のポツダムに参集しました。
そしてこの席のもとに、原爆実験が成功したという知らせがトルーマンのもとに届きました。
この瞬間、トルーマンは、日本を降伏させるためという目的でのソ連参戦・・・対立的思想国家であるソ連に、戦争遂行の協力を求める必要がなくなりました。
こうして7月26日、ソ連抜きで「ポツダム宣言」が発せられたのです。

よく、大東亜戦争の終結に向けて、日本がソ連を仲介役に選んだことの間違いを指摘し、批判する人がいます。
歴史は結果ですから、現代の視点で過去をみれば、ソ連に仲裁役など、なんとつまらないことをしたのだろうかと思う気持ちもわからないではありません。
けれど、もし、米国の原爆実験成功の知らせがなければ、ポツタム宣言は、ソ連の介入で、まったく違ったものになったであろうし、貫太郎の選択も、近衛文麿のソ連訪問も、有効な手段となったであろうといえるのです。

要するに、原爆実験成功によって米国は共産主義政権であるソ連に、大東亜戦争に参戦してもらう必要はなくなったし、疎外されたソ連にしてみれば、日ソ不可侵条約を破棄してでも強引に大東亜戦争に参戦しなければ、領土的野心(共産圏の拡大野心)を満たせず、まさに時代に乗り遅れるという判断が働いたわけです。
それによって、ソ連はヨーロッパに展開していた120万のソ連陸兵を、大急ぎで満州、樺太、カムチャッカ半島に展開する必要に迫られたわけです。

原爆は、「戦争は制服を着た軍人同士で戦い、一般市民を巻き込む無差別殺戮は固く禁じる」という、国際条約に明確に反する大量殺戮兵器です。
では、なぜ、トルーマンが原爆実験成功によって、ポツタム宣言へのソ連の参加を拒否したかといえば、この原爆を日本に対して使用することを決意していたからに他なりません。

ならば、なぜトルーマンは、日本に対して、明らかに国際条約に反する原爆投下を決断したのでしょうか。
その理由は、ひとつには、この時点で米国は、同じ大量殺戮兵器(原爆)をもって米国が日本から報復攻撃されるおそれがまったくなくなくなっていたこと、そしてふたつめには、500年続いた白人種の植民地主義の中で、東洋人や黒人は「人ではない」という思考が働いていたことによります。

市民の大量殺戮は禁止行為です。
けれど市民というものは、人間を指します。人間が市民です。
当時の米国では、黒人は人間でなく、動産です。動産というのは、家畜と同じでモノの一種です。

ですから彼らの概念からすれば、日本人もモノの一種であって、人間ではありません。ヒトモドキです。
そしてそのヒトモドキが、人である米国人に危害をもたらなら、害虫と同じで、殺虫剤をまいて駆除するのが、人間の仕事だし、白人米国人に与えられた、当然の権利(Right)と考えられていたわけです。

こう書くと抵抗感を持たれる方もおいでになるかもしれませんが、米国が黒人に公民権を与えて、市民の一員として黒人を迎え入れたのは、昭和37(1962)年、東京オリンピックが行われたあとのことです。
それまで米社会において、黒人は人ではありません。ヒトモドキです。

けれど大東亜戦争の影響で、アフリカなどで黒人国家が次々と誕生し、国連(United Nations=この名称は大東亜戦争の際の連合国「United Nations」と同じ名称です)に、黒人国家が次々と参加し、米国内だけ、黒人に人権(Human Rights)を与えないでいる、というわけにいかなくなりました。
だから黒人に公民権を与えたのです。
つまり、米国人に公民権が与えられた原因を、ずっとたどって行くと、そこにも戦前の日本の働きがあるということです。

ともあれ、結果は原爆実験成功によって不幸な結果になったものの、鈴木貫太郎は、ソ連に和平の仲介役を依頼しようとしました。
戦争を終わらせるためです。
そしてこれが不調に終わり、ポツタム宣言が発せられると、貫太郎はこの7月26日に米、英、支那国民党の名で発せられた「ポツタム宣言」が、まちがいなく終戦の糸口になるとして、翌27日に、その宣言の内容を少しでも緩和させるために、「日米が戦うことの無意味さを説いた新聞談話」を発表したのです。

======
米国が無条件降伏を主張する限り、日本は戦いを継続するしかない。
わが国民の信念は七生尽忠である。
わが国体を離れては、我が国民の存在はない。
敵の揚言する無条件降伏なるものは、わが一億国民の死を意味する。
我々は、一に戦うのみである。
======

ここには「我が国体を離れなければ、講和を受け入れる容易がある」という明らかなメッセージがあります。

貫太郎のメッセージを読んだ米国心理作戦課のザカリアス大佐は部下に次のように語りました。
======
鈴木は戦争のことを語っているが、彼が実は平和のことを考えているということをこの演説は明瞭に示している。
鈴木は、もう我々の無条件降伏要求に条件をつける材料のないことを覚悟している。
それでいて、なお降伏を受け入れることを鈴木がためらっているのは、将来の天皇の位置が不明だからだ。
======

メッセージは伝わりました。
米国は、天皇の位置さえ安堵すれば、日本は講和を受け入れることを悟ります。

ところがここで、どんでん返しが起こります。
ひとつは日本のメディアです。
日本の大手新聞社らは、この談話の「(ポツタム宣言を)ただ黙殺するだけである」という言葉尻だけを捉え、ポツタム宣言の全文を掲載したうえで、
「首相、ポツタム宣言黙殺」
「笑止、対日降伏條件」
「笑止!米英蒋共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戰飽くまで完遂」
「白昼夢 錯覚を露呈」
などと、派手に報道しました。

その新聞記事を、日本の当時の代表通信社である同盟通信社が
「ignore it entirely(全面的に無視)」と翻訳し、
ロイターとAP通信ではこれを
「reject(拒否)」と訳して、世界中に報道します。

実は、日頃から貫太郎ら閣僚と接する機会の多い新聞記者たちは、貫太郎が和平の道を探っていることを承知していたのです。
承知していて、彼らは意図的に歪めた報道を行ったのです。
これは、まさに「軽はずみ」というべき報道です。

貫太郎のメッセージは伝わったものの、こうした日本のメディアの情報の歪(ゆが)めによって、米国は「日本は断固戦闘継続の意向」との見方をすることになりました。
当時の米国は、すでに戦争によって国費を使い果たし、国家財政が破綻寸前の情況にありました。
また、多数の戦死者を出していることから、市民の間には厭戦気分が広がり、さらに共和党を中心として、戦争継続反対の気運が盛り上がっていました。

ですから米国政府は、当時、米国側に被害のない大勝利の成果を、のどから手が出るほど欲しがっていたし、一方において原爆実験に成功していたことから、ついに、人道的には誰がどう考えてもやってはいけない人類史上初の、市民に対する原爆投下を、8月6日広島に、8月9日長崎に行ってしまうわけです。
そして、直後にソ連が参戦しました。

ですから、これは日本の常識として、私たちが明確に知っておかなければならない歴史だと思うのですが、広島と長崎に投下された原爆被害は、「日本のメディアの軽はずみな報道が原因であった」といえるのです。
もしこのとき、日本のメディアが「鈴木首相、ポツタム宣言受け入れの以降、ただし国体の護持が条件」と、正確な報道をし、それが全世界に配信されていたら、どうであったでしょう。
それでもトルーマンは、原爆投下という非人道的行動をとることができたでしょうか。
むしろ、和平のための外交部による話し合いの場を設けようとする行動を起こす必要が出たといえるのではないでしょうか。

原爆投下は8月6、7日、ソ連の対日参戦は9日です。
貫太郎の談話は7月27日です。
もし、7月末までの間に、そうした和平をめぐる動きが出ていたとするなら、原爆投下はなかったであろうし、ソ連の対日参戦も行われなかった可能性があるのです。

くどいようですが、もし日本のメディアが、鈴木貫太郎が7月27日に発した「日米が戦うことの無意味さを説いた新聞談話」の趣旨を正確に伝えていたら、米国は原爆投下まですることなく、日本との間に講和の糸口を見いだした可能性が十二分にあったのです。
そしてまた、ソ連軍が参戦することで、満州地域にいた日本人が婦女にいたるまで、大量に虐殺され、多くの日本人がその後も長くシベリアに抑留さえも、なかった可能性が大なのです。

この点は、是非、みなさまにも、よく考えていただきたいのです。
鈴木貫太郎の談話は「日米が戦うことの『無意味さ』を説いた新聞談話」です。
戦うことが「無意味」と言っているのです。
ということは、日本は、もう、戦いたくないということです。
そして、天皇の地位を安堵するなら、いつでも和平に応じるよとメッセージを発しているのです。

それがどうして、「ポツタム宣言黙殺」や「笑止」、「聖戰飽くまで完遂」、「錯覚」となり、ポツタム宣言の「ignore it entirely(全面的に無視)」になるのでしょうか。
どう読んだら、そういう報道になるのでしょうか。
メディアの無責任、無節操さには、ほとほとあきれ果てます。

そしてこのことは、もうひとつの大切な歴史を私たちに教えてくれます。
よく、戦時下の日本では「厳しい情報統制が行われていた」という記述を見かけますが、実際にはかなりの報道の自由、言論の自由が我が国において「認められていた」ということです。

なるほど、先日このブログに書いた治安維持法の記事内容にあるように、天皇を抹殺しようとする共産主義者や、国家体制の転覆を目論む不逞朝鮮人等については、これを逮捕し拘留しました。
戦時中に限らず、これは当然のことで、そうでなければ国内の治安は維持できません。

とりわけ共産主義者というのは、平時においても殺人を平気で行う無法者集団であり、また不逞朝鮮人たちは、日本国家を転覆させるためなら、爆破テロなど平気で行う者たちであったわけです。
実際、終戦時に戦艦ミーズリ号上で降伏文書に調印した重光葵外相は片足がありませんでしたが、それは不逞朝鮮人による爆弾テロに遭ったからです。

けれど、そうした極端な思想以外については、日本社会においては、共産主義国はもとより、欧米等と比較してもかなりの自由な言論が認められていました。
なぜそうした自由が認められていたかといえば、我が国の民は「天皇の民=皇民」と考えられたからです。
皇民である以上、そこに自然と尊厳が認められ、自由な言論も認められたわけです。

けれども日本のメディアは、そのことに対する「ありがたみ」を忘れ、メディアがいたずらに戦争をあおり、さらには鈴木首相の「これ以上の戦争は無意味だからやめよう」という談話についてまで、故意にこれをねじ曲げて報道したという、実にとんでもない暴挙を行ったわけです。
そしてこれを行った新聞各社は、現在にいたるまで、この無責任な報道について、誰ひとり責任をとった者はいません。
しかし、この事実は、本来、厳しく弾劾されてしかるべきものです。


さて、長崎に原爆が投下され、ソ連が対日参戦した日の夜、貫太郎は緊急閣議を召集しました。
その席で、貫太郎は、なかば強引にポツダム宣言受諾を取り決めようとしました。
けれど閣僚の半数が賛成、半数が反対です。
結論がでないのです。

そこで結論は、御前会議で天皇のご聖断を仰ぐことになりました。
これは、実は「あってはならないこと」です。
政治における意思決定は、内閣の仕事です。
その意思決定を内閣ができないで、天皇にご聖断を仰ぐというのは、内閣が政治ができないこと、つまり内閣が内閣の存在そのものを否定するという意味を持つからです。

けれど貫太郎は、たとえ内閣の総責任者としての身がいかなる恥ずかしめを受けようと、これ以上、日本人が米国の大量破壊兵器によってほしいままに殺されるという事態を防ごうとしました。
だからこそ御前会議が行われたのです。
このことも、戦後史を語る上で、とても重要な点であろうかと思います。

そして日本は8月14日の御前会議で、正式に宣言受諾を決定しました。

そしてみなさまご存知の、終戦の玉音放送が、8月15日の正午から、とりおこなわれました。
けれど実はその日の早朝、鈴木貫太郎は、東京小石川の私邸を襲撃されています。
貫太郎夫妻は警護官の手によって、私邸を脱出して、なんとか一命をとりとめましたが、私邸は焼き払われ、財産もろとも全焼してしまっています。

貫太郎は、8月17日、内閣を総辞職しました。
本来であれば、ポツタム宣言の受諾を承認した以上、9月4日の降伏文書調印も、鈴木貫太郎内閣で行うべき仕事です。
にもかかわらず貫太郎が辞職したのは、御前会議でご聖断を仰ぐという、内閣として本来あってはならないことまで、してしまったことによります。
貫太郎は、全責任を自分ひとりに負ったのです。

鈴木貫太郎は、主戦論渦巻く当時の内閣、国会、世論に対して、ひとりで対峙し、日本を終戦へと導きました。
生粋の軍人でありながら時代の要求によって首相となり、わずか4か月の在任期間で、必死に日本を支え、戦争終結という大業をなし遂げたのです。

精根を使い果たした貫太郎は、このわずか2年半後の昭和23年4月17日、享年82歳で逝去しました。
辞世は、ただ一言、「永遠の平和」の5字でした。
そして、遺灰の中からは、彼が226事件で受けた弾丸が出てきたそうです。


その2・26事件のときのエピソードをお話します。

貫太郎は、日清・日露に従軍し、数々の大功を立てたのち、大正12(1923)年に海軍大将に進級し、連合艦隊長官、軍令部長などの重責を歴任しました。

大功あった貫太郎ですが、彼は昭和4(1929)年1月からは、海軍ではなく、宮中の侍従長に任命されてしまいます。
侍従長というのは、それまで貫太郎が在職していた海軍の軍令部長より、席次で30位くらいランクが下がった役職です。

貫太郎にしてみれば、薩摩藩出身が優遇される当時の海軍内で、旧幕臣であるがゆえの降格とみえたかもしれません。そういう意味でははなはだおもしろくない人事だったといえます。
しかし彼は、「格下になるのが嫌で天皇に仕える名誉ある職を断った、と人々に思われたくない」と、侍従長の職を素直に引き受けました。
そのことで、昭和天皇から篤い信頼を得るようになります。

要するに、孟子にいう「天のまさに大任をこの人に降さんとするや、必ずその心志を苦しめ」です。
使命のある者は、かならずこういう仕打ちにあう。
それに打ち勝って、はじめて天は、その人に天命を与えるのかもしれません。

けれど「陛下のお傍にいる」というだけで、貫太郎は若手青年将校らから、「君側の奸」といわれるようになってしまいます。
そして、昭和11(1936)年2月26日、226事件が起こる。
近衛、第一両師団に属する若手青年将校たちが暴発して、首相官邸はじめ重臣たちの官邸や私邸を襲撃したのです。

この前日、貫太郎は、タカ夫人と一緒に、駐日米国大使ジョセフ・グルーの招待で夕食会に出席した後、午後11時過ぎに麹町三番町の官邸に帰宅し、就寝しました。

そして午前5時、鈴木の官邸に、安藤輝三大尉が指揮する麻布歩兵第三連隊の兵204名が来襲します。
第三連隊の兵士らは、貫太郎の官邸に侵入し、貫太郎夫妻を寝室で発見しました。

寛太老夫妻は、布団から起き上がります。
下士官が兵士に発砲を命令する。
銃声が響きます。
貫太郎は、左脚の付根に3発、左胸、左頭部に各1発の銃弾を撃ち込まれ、その場で昏倒しまし
た。

その間、タカ夫人は、眉ひとつ動かさず、その場に正坐していたといいます。
そして血の海になった八畳間に、安藤大尉が到着する。
下士官のひとりが、
「中隊長殿、とどめを」と安藤に促しました。

安藤が軍刀を抜くと、貫太郎の横で正坐していた夫人が、凛とした一声を放ちます。
「それだけはおやめなさい!」
軍刀をかざした安藤大尉の腕が止まります。
するとタカ夫人は静かに次のように言いました。

「老人です。とどめは止めてください。
 どうしても必要というなら、
 わたくしが致します」

安藤はうなずくと、軍刀を納め、

「鈴木貫太郎閣下に敬礼する。
 全員、気をつけ!
 捧げ銃(つつ)!」

そして安藤大尉は、タカの前に進むと、夫人に、

「まことにお気の毒なことをいたしました。
 われわれは閣下に対しては何の恨みもありません。
 国家改造のためにやむを得ずこうした行動を
 とったのであります」と静かに語りました。

タカは、その物静かな物腰に、
「あなたはどなたです」と問います。
安藤大尉は、官職もなにも付けず、ただ、
「安藤輝三」とのみ答えたそうです。

そして安藤大尉は、「自分は後で自決をするつもりです」と述べ、兵士を引き連れて官邸を引き上げました。

実は、安藤大尉は、この事件より以前に、鈴木貫太郎に会っているのです。
それは、安藤大尉が「時局について話を聞きたい」と、貫太郎を尋ねたときのことでした。
このとき貫太郎は、安藤大尉に親しく歴史観や国家観を説き、安藤大尉は大きな感銘を受けたことを周囲に洩らしています。
「噂を聞いているのと実際に会ってみるのでは全く違った。あの人(鈴木貫太郎)は、西郷隆盛のような、懐の深い大人物だ」
そして貫太郎は安藤大尉の要望に答え、書を送っています。

反乱軍が去った後、鈴木は気がつき、自分で布団から起き上がると、なにやら間のびした声で、
「もう賊は逃げたかい」と尋ねたそうです。
しかしその口からは、言葉を発するたびに血が噴き出す。

タカ夫人は傷口に応急の止血処置をすると、すぐに宮内大臣湯浅倉平に電話をかけました。
湯浅は医師の手配をして駆けつけてきます。
貫太郎の意識は、まだはっきりとしていて、湯浅に、「私は大丈夫です。ご安心下さるよう、お上(昭和天皇のこと)に申し上げてください」と述べています。
けれど、やはり声を出すたびに傷口から血が溢れ出る。

ようやく医師が現場に到着しました。
ところが鈴木のあまりの大量の出血に、急いでいた医師は、血ですべって転んでしまったのだそうです。
どれだけすさまじい出血だったかわかります。

医師は、タカ夫人らとともに、貫太郎を円タクに乗せて、日本医科大学に運びました。
しかし、手当の甲斐なく、やがて貫太郎は意識を喪失します。
心臓も停止しました。

医師たちは、直ちに甦生術を施しました。
けれど、貫太郎は息を吹き返さない。
医師があきらめて、「ご臨終です」と述べたとき、枕元にいたタカ夫人が、凛とした声で、
「あなた! 起きなさいっ!」と言ったのだそうです。

人間、死に際したとき、最後に失われるのが聴覚だそうです。
この声が、貫太郎に聞こえたのでしょう。
貫太郎は奇跡的に息を吹き返します。
いつの時代も、旦那にとっては、かあちゃんほど怖いものはない(笑)。

貫太郎が一命をとりとめたのは、胸部の弾丸が心臓をわずかに外れたことと、頭部に入った弾丸が貫通して耳の後ろから出ていたことなどが幸いしたそうです。
けれどやはり、夫人の勇気ある機転が、見事、貫太郎を蘇生させたといえるのではないかと思います。

このタカ夫人という方は、明治38年から大正4年まで皇孫御用掛として、幼少時の迪宮(昭和天皇)、秩父宮、高松宮の養育に当たっていた方です。
昭和天皇は、侍従長・総理時代の鈴木に、
「タカは、どうしておる」
「タカのことは、母のように思っている」と、語ったと言います。
すごい女性だったのですね。
それにしても、タカ夫人は、まさに武人の妻というにふさわしい女性であったと思います。

貫太郎を襲った安藤大尉は、その後逮捕され、処刑されました。
その安藤大尉について、貫太郎は、
「首魁のような立場にいたから、止むを得ずああいうことになってしまったのだろうが、思想という点では実に純真な、惜しい若者を死なせてしまったと思う」と記者に対して述べています。
また「安藤がとどめをあえて刺さなかったから自分は生きることができた。彼は私の命の恩人だ」とも、記者に語っています。
貫太郎も、若くて純粋な安藤大尉を武人として好感を持っていたのです。


鈴木貫太郎は、慶応3(1868)年1月18日の生まれです。
つまり江戸時代に生まれています。
そして江戸から、明治・大正・昭和と激動の時代を生きました。

若き日の貫太郎の生きざまは、まさに痛快であり、爽快であり、男の人生そのものでした。

彼は、大阪府堺市中区伏尾ので産まれましたが、父親は関宿藩(千葉県野田市)の家老職であった鈴木由哲です。
鈴木家というのは、もともとは三河の渥美郡の出で、代々徳川直参旗本の家柄でした。

貫太郎は、子供のころからやんちゃだったそうです。
3歳のとき、おもてで遊ぶのに夢中になって、暴走してきた馬に蹴られています。
このとき、家族全員が貫太郎の死を覚悟したそうですが、なぜか彼は命をながらえます。

ものごころつくころには、父親の仕事の都合で前橋市に転居するのだけれど、そこでは冬に魚釣りをしていて、何を血迷ったか、氷った川面に乗っかって、川に落ち、あやうく死にかけています。
普通、湖でも川でも、氷った川に落ちたら、死にます。
ところがこれも貫太郎は、なぜか助かっています。

明治20(1887)年に、海軍兵学校卒すると、翌、明治21年に、日清戦争が勃発し、貫太郎は任官したての海軍大尉として、排水量50トンのトイレもない小さな水雷艇の艇長に任官されています。

彼は、その小舟を操って、威海衛という敵の艦隊が駐留する港に、僚艦とともに夜遅くに潜入し、なんと、敵主力戦艦に50Mの距離まで近づくと、魚雷を発射し、見事命中させ、敵の戦艦隊を沈めてしまいます。

これが清国の海軍力を奪い、日清戦争を早期に終結させるきっかとなっています。
貫太郎は、初戦で大手柄をあげたのです。
彼は意気揚々と帰還しました。
大勝利、大武勲です。
よほど気分が良かったのでしょう。
あまりに気分が良すぎて、彼は帰還の途中に、夜中の海に落ちてしまいます。

まだ行燈くらいしか、灯りがない時代で、いまみたいにサーチライトなんて気の利いたものはありません。
この時代、夜の海に落ちたら、まず助かる見込みはないとされていました。

ところが、なぜか貫太郎は、ここでも偶然に奇跡的に発見されて、助かっています。
これまた奇跡としかいいようがありません。
貫太郎には天命があったのかもしれません。

続く日露戦争では、貫太郎は中佐として軍艦春日の副長となり、そこから駆逐隊司令に転じました。
彼は、日清戦争での自身の体験から、駆逐艦による高速近距離射法(肉薄強襲)を実現しようと、部下を猛訓練しました。
あまりの猛特訓に、このときついたあだ名が「鬼貫」です。
よほど厳しい訓練を施したのでしょう。

ちなみにこの時代の魚雷というのは、100Mの距離で発射して、敵艦にあたれば幸運、というシロモノです。
100Mといえば、敵艦の主砲どころか機関砲や、ライフルの弾すら飛んでくる距離です。

その敵の猛攻をかいくぐって、敵艦に、眼と鼻の先まで近づき、魚雷を発射する。
近づくルート、そのルートに乗るための波の避け方、艦の速力の調整、発射のタイミングの取り方、魚雷の整備、敵の砲弾で損傷した自船の応急措置、戦闘途中で怪我をした水兵の手当。なにせ小型艦です。ひとりひとりの兵士に与えられる任務は細かく、しかも敵弾とどく危険の中で、いっさいを効率的に処理しなくてはなりません。
それだけに「鬼貫」の訓練は、熾烈を極めたそうです。

けれど訓練の成果は、日本海海戦で、如何なく発揮されました。
「鬼貫」の駆逐艦は、なんとロシア戦艦3隻、巡洋艦2隻を撃沈させてしまったのです。
おかげで貫太郎は、戦いのあとに連合艦隊の秋山真之参謀から、
「オイ鬼貫、1隻くらいは他の艦隊の手柄にしてやってくれよ」とまで言われたそうです。
それくらい彼の船の活躍はすさまじかったのです。


鈴木貫太郎の人生を概観したとき、思うことが2つあります。

彼の前半生は、海軍軍人としての武人ですが、軍人としてではなく、それ以前にも彼は何度も死にかけています。
226事件では、実際に心停止までしていました。

それでも彼は息を吹き返し、80歳になって、大東亜戦争に幕を引くという最大限の胆力と集中力を必要とする仕事を、見事にやってのけています。
真実は「神々こそ知る」ですが、もしかすると貫太郎は、そもそも日本の終戦処理という重大使命を帯びて、この世に生を受けた人だったのかもしれません。

そう考えると、人は勝手に生きているのではなくて、どんな人でも何か、こう、大きな力によって「生かされている」存在であるのかもしれないと思えてきます。
そして天が誰かに大任を委ねようとするとき、天はその人に必ず、これでもか、というほどの艱難辛苦を与える。
その艱難辛苦に見事打ち勝った者だけが、最後になって天命を得るのではないか。
そんな気がします。


そしてもうひとつは、彼は80歳という高齢で、陛下から全幅の信頼を帯びて戦争の幕引きをしようとして米国との間で重要な駆け引きを行ったとき、その貫太郎の大切なメッセージを日本のマスコミが、全部パアにしてしまった、という事実です。
そしてそのメディアの行為が、単に貫太郎の仕事の足を引っ張ったというだけでなく、広島、長崎に原爆を投下させた直接的引き金となった、ということです。

広島の原爆での死者は14万人、長崎のそれは7万4千人です。
それだけの多くの命を、結果として当時の大手メディアは奪ったのです。
けれど、それだけの人命の犠牲を出しながら、大手新聞社で、その責任をとって辞職した、あるいは自ら腹を斬ったという人は皆無です。

政治には、責任がついてまわります。
けれどマスコミには、その責任はない。
責任の一端を担えとは言わないかわりに、メディアには、国民に正確な情報を提供する義務があるのです。

けれど、当時もいまも、大手メディアのやっていることは、火のないところに煙を立て、世論を非ぬ方向に誘導し、無責任に意図的に事実を歪めた報道を垂れ流しています。

現実に、広島、長崎合わせて21万人余の人命が失われているのです。
そのような、事実の歪曲が、戦前も、戦中も、戦後となったいまも続いているなら、このことは法をもってなんらかの規制をするか、あるいは報道の審査委員会のような機構に一定の権限を持たせて、厳しい処罰を下すことも考えて行かなければならないと思います。

ともあれ、使命のある人は死なない。
そして、使命のある人には、かならず艱難辛苦が訪れる。
それに負けない心を身につける。
いま、安倍内閣のもとで、教育問題がクローズアップされていますが、これまた、教育の重大なテーマのひとつなのではないかと、思います。


※今日の記事は、平成21年10月31日に一度アップした記事を、大幅にリニューアルしてお届けさせていただきました。

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鈴木貫太郎の戦い


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コメント
強い衝撃を受けました。 ありがとうございます。
この国のメディアというものの、浅ましさ、醜さは今も昔も変わらないんですね( ̄◇ ̄;)
悲しいです(ーー;)
2013/04/20(土) 01:18 | URL | さと #.vjKhiP6[ 編集]
No title
天から与えられた使命…私もそう思います。

大将夫人・孝子さんが聞いた話として
次のようなものがあります。

鈴木大将が銃撃されて、3日目、大将は夢を見たといいます。
真っ白い着物を着た観音様のような人物が現れて、
「私は大和からきた お前を助けるからもう大丈夫だ」と
言われたといいます。

大将は、その人物について信貴の毘沙門ではないかと、
夫人に語ったといいます。
それは、大将の母が娘を3人授かったものの、
男子には一向に恵まれないので、
信貴の毘沙門に参詣したところ、すぐに妊娠、
そして生まれたのが鈴木大将でした。

妻たちの太平洋戦争 50頁 から
2013/04/16(火) 11:38 | URL | アロン #-[ 編集]
アメリカ、ソ連の終戦間際の行動は歴史の必然では?
>原爆投下は8月6、7日、ソ連の対日参戦は9日です。
貫太郎の談話は7月27日です。
もし、7月末までの間に、そうした和平をめぐる動きが出ていたとするなら、原爆投下はなかったであろうし、ソ連の対日参戦も行われなかった可能性があるのです。<
いつも愛読させていただいております。記事の中でこの部分は違うと思います。アメリカにしてもソ連にしても日本の新聞が何を書いていようが関係なく同じことが行われたと思います。原爆は実験であると同時に世界に向けての「威し」でもあったと思いますのでヒトではないヒトモドキを使っての実験は行われなければならなかったと思います。ソ連の侵攻もこれが帝政ロシアから一貫しての政策なのですから相手が弱いとみれば必ず実行されたでしょう。まあ、マスコミは今も昔も糞みたいなものだというのは同意しますが、それだけにそんな大事を左右するほどの存在ではないとも思います。
2013/04/16(火) 08:46 | URL | 谷内口 #-[ 編集]
こんにちは
終戦の御聖断、これは「大政奉還」です。

日本では、大政奉還は実は二度行われていたんです。

一度目は幕末、二度目は大東亜戦争末。

日本では国内で混乱の収拾がつかなくなった場合、天皇陛下から御令を授かった施政者は“失格”となります。

失格ですから、事実上、施政権を失っているので、天皇陛下に大権をお返しする。

当然といえば当然です。

憲法が云々ではなく、それが日本の国体だと思います。日本は天皇の国ですから。

ポツダム宣言に関しては、軍部が在外日本軍の武装解除を認めないと一点張りして、内閣が不一致になりました。正確には、軍部の主張は、在外日本軍の武装解除は「現場の判断に任せる」ということです。

軍部の主張は至極真っ当でして、戦地において敗戦国民は悲惨な目に遭います。満州、朝鮮、北方領土などでもそうでした。

関東軍の根本中将、占守島守備隊がポツダム宣言受諾後も交戦権を放棄しなかった理由はまさにそれです。

軍部はそのことを予期し、「武装解除は現場の判断」としたわけですが、他の閣僚からは、それでは連合国は納得しない、第三の原爆が落とされると主張し、物別れに終わりました。それも確かにそうです。

この時点で内閣は事実上、「天皇の内閣」としての能力を失ったわけですから、施政権を天皇陛下にお返ししたわけです。

そのときの天皇陛下の大御心を私如きが察することはまかりなりませんが、ただ、陛下は“最善の選択”をなされたと、私は解釈をしています。

結果としては、軍部の主張を“ご尤も”として、ポツダム宣言に条件を付ければ、第三・第四の原爆のみならず、まさに、「一億玉砕」へと突き進んだと推測するのは決して野暮ではありません。

そういう意味で、一人でも多くの陛下の赤子を救うために、陛下は最善の選択をなされたと、私は思っています。
2013/04/15(月) 20:29 | URL | 硫黄島 #-[ 編集]
最近人権擁護法案へのアクセスが増加しています。 反日勢力の活動は注意が必要です
最近人権擁護法案へのアクセスが増加しています。 反日勢力の活動は注意が必要です。

http://youtu.be/CfcxEJkcu80
(動画)

閣議決定されたものは政権交代しても効力があります。

【民主党政権では、日本が滅びますの掲示板】
緊急事態!絶対阻止!『人権救済機関設置法案が閣議決定へ!』
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj2.cgi#11月11日_16時53分44秒

この様な危機が迫った現実を反日売国テレビ局・マスコミが隠蔽して日本国民に報道しないのです。 
それはこれらのテレビ局・マスコミは支那人や朝鮮人に支配されているので真実を報道できなくなっている
ためです。 このマスコミが東北地方太平洋沖大地震で事実を報道しないで日本国民を騙して来たことで、
多くの国民が最近に成って事実を知って、まさかこんな事に成っているとは思わなかったこと感じている人が
多く居るでしょう。 悲しみに耐えていた被災地の方々の声も隠蔽されていたのです。  
我々愛国系日本人はけして反日売国テレビ局・マスコミの偽装報道や捏造報道を鵜呑みにしないで自分の
目と耳で確かめて下さい必ずその事が嘘である事が分かります。

詳細は
【民主党政権では、日本が滅びますの掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj2.cgi
【民主党政権では、日本が滅びますの掲示板タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。
2013/04/14(日) 22:34 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
「0増5減」成立、急ぐ首相 「違憲」回避へ急務だが、W選なら大勝濃厚
「0増5減」成立、急ぐ首相 「違憲」回避へ急務だが、W選なら大勝濃厚
http://blogs.yahoo.co.jp/hisao3aruga/archive/2013/4/13

前政権の民主党の怠慢で一票の格差が是正されないまま行われた先の総選挙は無効であるした判決が
下った。 最高裁判所も是認するとの事。最高裁判所の判決に従い衆議院の選挙結果を無効にする場合
は再び衆議院選挙をやり直さなければならなくなる。 その場合には格差を是正した後、直ちに衆院解散・
総選挙になれば、違憲批判を回避できるという見方は、衆議院と参議院のねじれ現象を解消する為に有効
である。
そして憲法改正と国防軍の設立及びスパイ防止法を成立させれば、支那朝鮮の反日売国勢力の排除を行い、
核の保有が出来るようににして日本の安全と安心を自分の力で守る事が可能になる。

詳細は
【経済・政治の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj.cgi
【経済・政治の掲示板】最新版タイトル一覧はこちらをクリックして下さい。
2013/04/14(日) 18:29 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
No title
終戦前に、日本はソ連に連合国との間の休戦に付いての講話を、依頼すべく努力しました。
日本が休戦の努力をするのは、時局柄、やむを得なかったと思います。しかし、ソ連はこれを無視して、終戦直前に原爆を投下されると、日ソ中立条約を無視して参戦しました。日本がソ連に休戦講話を依頼するのは、他に中立国がなかったから仕方なかったのでしょう。ソ連はイヤなら断れば良いのですが、これを適当な返事でごまかしました。
ソ連はそういう国なのです。(もっとも、外交とは、基本としてそうなのかも知れません。・・・・・)
今、日本はロシアとの間に、北方領土返還交渉や天然ガス問題等で交渉することが幾つもあります。今回は騙されることなく、粘り強い交渉をすることが必要で、焦ることはないと思います。(そう言えば、数年前に天然ガスのパイプラインが停止になったような・・・・)

マスコミの言うことを鵜呑みにすると、痛い目に遭うのは今も昔も変わりません。
橋下大阪府知事は、週刊朝日の個人批判に対して怒り、一度落ち着いたハシシタ問題をもう一度持ち出し、訴訟を起こすとして話題になっていますが、マスコミ対策としてこれは、正しいことだと思います。
考えて下さい。
韓国はいわゆる従軍慰安婦問題について、河野談話でけりと付けるとして謝らせたのです。しかし、その後も何度もこれを持ち出し、今では、千年経っても忘れないとしています。(日本のマスコミも、これを支持しています。)
問題は違いますが、これと同じことを橋下大阪府知事は、マスコミを相手に仕掛けるのです。マスコミも多少は反省するのではないでしょう。


ところで、京都府知事は、外国人の大学留学生が卒業後に、外国人の永住権を可能とする特区申請を要望する方針を示しました。京都府知事は、昨年のロンドンオリンピック後、京都府出身のメダル獲得選手等を表彰しましたが、このとき、韓国のサッカー選手鄭又榮(京都サンガ所属)にスポーツ特別栄誉賞に授与しています。
このときの、韓国のサッカーチームは皆さんご存じだと思います。3位決定戦で勝利してメダルを獲得したときに、選手が「独島は我が領土」という紙を持って競技場を走り回りました。
京都府知事は、日本のことより外国人のことを優先します。
2013/04/14(日) 17:41 | URL | ポッポ #-[ 編集]
日本人の良さが今はあだになってませんか?
日本の危機に心が乱れます。
デモに参加しても、周りの人たちは人事のようです。
朝鮮人は、大騒ぎし、ごねます。
日本人は冷静に判断し大騒ぎすることを良しとしません。
どうすれば、この危機を伝えられるのか。
税金が特亜の人たちによい様に使われ、政治を奪われ土地を奪われ。
確かに嫌韓嫌中は増えていますが、ミツバチのように国民で
立ち上がろうという気迫がありません。
あまりに無関心です。
テレビが一局でもまともなら・・・・。

いろいろな情報ありがとうございます
2013/04/14(日) 17:07 | URL | りん #mQop/nM.[ 編集]
【神動画】●関東では韓国批判はタブーだと神発言連発
●たかじんNOマネーで韓国大批判 (2013年4月13日放送)

俳優えなりかずきが韓国大嫌い発言。

◆えなりかずき韓国フルボッコ
http://www.dailymotion.com/video/xyzeg1_2013-04-13-1_news
15分45秒~

◆対馬仏像窃盗で出演者全員激怒
http://www.dailymotion.com/video/xyzegm_2013-04-13-2_news
12分42秒~
2013/04/14(日) 14:14 | URL | えなりかずき #amXlFcx2[ 編集]
幣原喜重郎内閣
彼もまた大東亜戦争戦争終結に向け働いたひとりです。機会がおありでしたら、是非筆を執って下さいませんでしょうか。
2013/04/14(日) 13:16 | URL | いのまたなおひこ #hSCFVYi.[ 編集]
言論の自由というけれど
鈴木貫太郎の話は、今まで十分に聞き及び知っています。
実に凄い、これぞ豪傑、これぞ真の日本人、真の武人であると心から
尊敬し、敬服している偉人です。

このたびのお話で、またそのことを良く思い出させて頂きました。
その中で特に次の部分<天が誰かに大任を委ねようとする時、天は
その人に必ずこれでもかと言うほどの艱難辛苦を与える。そして
これに見事に打ち勝った者だけが最後になって天命を得る>という
お話に全く同感です。

そして次は<戦争の幕引きをしようとして米国との間で重要な駆け引き
を行ったとき、その貫太郎の大切なメッセージを日本のマスコミが全部
パアにしてしまった、という事実です>・・・・

<当時もいまも、大手メディアのやっていることは、火のないところに煙を
立て、世論を非ぬ方向に誘導し、無責任に意図的に事実を歪めた報道を垂れ
流しています。>・・・・

これを阻止するために<報道の適正化審査委員会のような機構に一定の権限
を持たせて厳しい処罰を下すことが必要>と言うご指摘にも全く同感です。

しかし現実的には何だかんだと、へ理屈、いちゃもんを付けたがる奴らの
事ですからきっと「それは言論の自由を脅かすとんでもない話である」と
言ってくるで有ろう事も明白です。
このような現状を何とかして打開しないと日本は言論の自由、言論の自由と
言いながら、このままでは自縄自縛の状態から身動きができません。
実に困った事態です。



2013/04/14(日) 12:57 | URL | terag3 #KVPRtAI6[ 編集]
原爆投下について
原爆投下はどんな状況に於いても避けられなかったのではないかと思います
何故ならウラン、プルトニウムとも実践データが欲しかったからです
人間と思ってないので罪の意識もない
東京大空襲と同じですよね
しかしソ連や支那も含めて、こんな卑怯なやり方で同胞先祖が命を失ったかと思うと悔しくてたまりません
さらにいまだに日本が悪いという反日日本人がいることも…
これからも日本人として誇りに思える話、楽しみにしています
2013/04/14(日) 12:45 | URL | 下町キング #-[ 編集]
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斬っても突いても死なない男 鈴木貫太郎

ねずさんの ひとりごと 斬っても突いても死なない男 鈴木貫太郎
ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
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『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』

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