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敷島の大和心を人問わ(は)ば 朝日ににおう (ふ) 山桜花(本居宣長)。日本は天皇を国家最高権威とし、民を「おほみたから」とする「シラス国」です。


アンコール遺跡とカンボジアのお話

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アンコール・ワット
アンコール・ワット


アンコール遺跡は、カンボジアにあるクメール王朝のの遺跡です。
9世紀頃から数々の建築が開始されました。遺跡の中にあるアンコール・ワットは、アンコール遺跡の一つで、遺跡群を代表する寺院建築です。アンコール・ワットは、左右対称の大伽藍と美しい彫刻からクメール建築の傑作と称えられています。
ちなみに、アンコールは「王都」、ワットは「寺院」を意味します。

この寺院は、12世紀前半に、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世によって、ヒンズー教寺院として建立されました。
完成までに30年もかかったそうです。王の死後は霊廟となりましたが、1431年に首都がプノンペンに移ると、忘れ去られ、100年以上の長きにわたり、放置され、荒れ果ててしまいます。

みかねたアンチェン1世が、1546年から1564年の間に、再興を図り、これによって寺院は未完成だった回廊などを完成させました。
1632年(寛永9年)といえば、日本では天草四郎の乱があったり、長崎に出島が作られたりしていた頃です。
この年、日本人の森本右近太夫一房という人が、このアンコール・ワットの遺跡を訪ねていました。
彼は遺跡の壁面に、「御堂を志し、数千里の海上を渡り、ここに仏四体を奉るものなり」と書いています。
文面から、森本右近太夫は最初からこの遺跡を目的に訪ねて行かれた様子がうかがえます。
当時でさえ、アンコール遺跡はそれだけ東洋で有名なところだったのです。


アンコール遺跡は、カンボジアの伝統文化と国民統合の象徴です。なにせカンボジア国旗の中央には、アンコール・ワットが国家の象徴として描かれています。アンコール遺跡は、カンボジアの人々の誇りです。

カンボジアの国旗
カンボジア王国の国旗


同時に、アンコールの遺跡群は、アジアの至宝であり、世界の重要な文化遺産でもあります。1992年、アンコール遺跡は、世界遺産に認定されました。当然だと思います。

ところがアンコールは、世界遺産に登録されると同時に、“危機に瀕している世界遺産リスト”にも登録されてしまいます。数々の遺跡が、いわば放置状態で、荒れるにまかせられていたのです。

カンボジアは、1863年にフランスの植民地となり、長く搾取を続けられるだけの国となっていました。
昭和15(1940)年、日本軍はインドシナに侵攻すると、あっという間にフランスを追い出しました。
そして日本は、シアヌーク王を支えてカンボジアの内政・行政・法制度の改革をサポートし、昭和20(1945)年3月にカンボジアはようやく独立し、カンボジア王国となったのです。

ところがこの年の8月、日本が戦争に敗れてしまいます。そして再びフランス軍がカンボジアに進駐し、カンボジアは独立国家から、また植民地に逆戻りしてしまいました。

カンボジアMAP


それでもシアヌーク国王は、粘り強く独立運動を続けました。昭和27(1947)年には、独自の憲法も作りました。そして同志たちと闘い続け、昭和28年に、ふたたびカンボジアの独立を勝ち取ったのです。

シアヌークの目指したカンボジアは、「王政社会主義国家」です。
王政社会主義というのは、シアヌーク王のもとで、仏教を保護し、計画経済を行って貧富の差をなくそうとするものです。
戦前の日本の右翼思想に近いものです。
彼は、外交面でも厳正な中立政策を守り、東西冷戦の続く中でも、反共を旗印にした東南アジア条約機構(1956年)への加盟を拒否、アメリカが北ベトナムへの爆撃を開始すると、これに反対して米国との国交も断絶しています。

シアヌーク国王の治世の17年間は、非同盟・中立を追及した国王のもと、国内は平和で、農業生産もあがり、豊かで平和な時代が続きました。
国民は王のもとに平等であり、経済優先でなく、物財は豊かではないかもしれないけれど、食には困らず道義を大切にする国家を築き上げました。

ところが昭和45(1970)年、シアヌーク殿下が外遊している隙に、米国の後押しを受けたロン・ノルがクーデターを起こします。
そして武力を用いてカンボジア政界からシアヌーク一派を追い出してしまったのです。
それだけでなくロン・ノルは、カンボジア王国を廃止して「クメール共和国」という国家の樹立を宣言してしまいます。
ロン・ノルは、政権を取ると、激しい反北ベトナム・キャンペーンを行いました。そしてカンボジア国内に住む北べトナム系住民、約30万人を虐殺してしまいます。

さらにロン・ノルは、北ベトナムへの補給ルート(ホーチミン・ルート)を粉砕するため、米国・南ベ連合軍をカンボジア国内にひきいれました。
米・南ベ連合軍は、カンボジア国土全域に空爆を開始したのです。この空爆のために、カンボジア国民数十万人が犠牲になりました。当然農業生産は激減する。輸入でなく国内産の農産物で食べていたカンボジア国民は、瞬く間に飢えに苦しめられるようになってしまっています。

食えなければカンボジア国民だって怒ります。多くの若者が武器をとって立ちあがりました。こうしてカンボジア国内は内戦状態になってしまったのです。
昭和46(1971)年、内戦陳圧のために、カンボジアに米軍が侵攻しました。ロン・ノルは軍事独裁体制を宣言しました。
カンボジア国内は血みどろの内戦状態になりました。

そんな状況に変化が起きたのは、昭和48(1973)年の米国のベトナムからの撤退です。ロン・ノルは後ろ盾を失ないました。
この隙を突いたのが、支那の援助を得たカンボジア共産党(クメール・ルージュ)です。
クメール・ルージュは武装し、ロン・ノルを追い詰めました。そして在カンボジア米国大使館から米国大使も追い出します。

昭和51(1976)年、クメール・ルージュのポル・ポトは、カンボジアを「民主カンプリア国とすると宣言しました。「民主」と名前はついていますが、共産主義政権です。
「民」というのは、あくまでカンボジア共産党員だけを指しますから、言いかえればカンボジア共産党員だけに人権を認める国家です。

当時のカンボジアは、長引く内戦によって農業インフラが破壊され、食糧輸入援助も停止されてしまっていました。
国内が長引く内戦によって極度に疲弊していた中で、ポル・ポトは、それまで流通していた貨幣制度を一方的に廃止し、共産主義の理想に基づいて都市住民を農村部へ強制入植させ、そこで強制労働を課したのです。
極端な“原始共産制社会制度”への回帰を実行したのです。そしてさらに、旧政権関係者、都市の富裕層や知識層などを、カンボジア全土で虐殺しました。

極端な原始農本主義政策、ろくに考えもなしで人だけ入植させた非効率的な農業経営、そこにカンボジアの大旱魃が襲います。
ポル・ポト政権のカンボジアは、わずか4年の間に、飢餓と虐殺で、全人口の2割にあたる300万人の命を奪ってしまったのです。

これに追い打ちをかけたのが、出生率の極端な低下です。共産主義は男女の性差を否定する。
男女の違いが否定され、武器と暴力が支配し、ごく少数の共産党員以外の人間には一切の人権が認められません。
非共産党員であり、男性に比べて体力に劣り、武器を持てない女性たちは、単に共産党員たちの性の道具となりました。
そして妊娠したら用済みとして殺害されたのです。

こんな話があります。
村を管理していた共産党の幹部が一人の少女を見初め、結婚を申し込んだ。
しかし少女は断った。すると翌日その兄と父が呼び出され、二人は帰って来なかった。
数日後二人が着ていた服が共産党から村への支給品として村人に渡された・・・

ポル・ポト軍は、思想的には、毛沢東の文化大革命に強い影響を受けていたといいます。
偏狭なナショナリズムと共産主義思考に凝り固まったポル・ポト軍は、ベトナム戦争終結後ソ連に接近したベトナムに対しても、伝統的な反越感情と相まってあからさまな敵対政策をとりました。
要するにポル・ポト共産党にとっては、すべてが階級闘争であり、同じ共産主義者同士であっても、それは闘争の対象だったのです。

ベトナム共産党は、あからさまな反ベトナム政策をとるカンボジア・ポル・ポト共産党政権と対立を深めました。
そしてついにカンボジアに侵攻を開始します。
そして昭和54(1979)年1月、ベトナムは、ポル・ポトを倒し、カンボジア国内に親ベトナム派のヘン・サムリンを擁立して「カンプチア人民共和国」を樹立しました。

これに対し、ベトナムにカンボジアを奪われた中国共産党は、ポル・ポトを支援していたこともあり、これに猛反発します。
中国共産党は、カンボジア政権の後ろ盾になったベトナムへ侵攻しました。こうして始まったのが中越戦争です。

中越戦争はわずか1か月で終息しました。
ベトナム戦争で実戦経験豊富なベトナム軍に対し、中国共産党軍は、そこここで惨敗してしまったのです。
ちなみに中国共産党が指揮するシナが、ちゃんとした軍事力を持つ国家と戦争をしたのは、この中越戦争だけです。
他のものは軍事力を持たない国のみへの侵攻です。
要するに武器を持たない相手に対しては、暴略の限りを尽くせるシナ軍も、まともな戦闘力を持った国家との戦争では、一瞬にして惨敗・・・惜敗ではありません、惨敗です・・・しているということです。
このことは記憶すべき史実です。

話をカンボジアに戻します。
親ベトナム派のヘン・サムリンによる「カンプチア人民共和国」は、国家は名乗ったけれど、国内は再び内戦の渦となりました。
5~10月の雨期には、反ベトナム勢力である民主カンボジア三派連合(KR、王党(シハヌーク)派、共和(ソン・サン)派)が、タイ国境付近からゲリラ戦を展開しました。
11月~4月の乾期にはベトナムから武器の供給を受けたヘン・サムリン政権も参戦し、重火器で攻勢する。
この内乱は、その後まる10年続いています。そしてシナは欧米で開発された武器のコピー商品の武器を、大量にヘン・サムリン陣営に売り捌きました。
この交易でシナは大もうけをしています。売られたシナ製の地雷は、カンボジアの国中にばら撒かれまています。

戦火を逃れたカンボジア人は、国境を越えてタイに流入しました。
多くの人々が祖国を追われたまま、タイで「難民」として保護されています。
こうした情勢を憂慮した国際社会は、カンボジア和平に向け様々な取り組みを行いました。
平成元(1989)年には、パリで、第1回カンボジア問題国際会議が開催されました。
この会議に、日本は招かれて参加したのですが、実は、国際的な和平会議に日本が呼ばれたのは、この会議が戦後初めてのことでした。
それまで日本は敗戦国であり、第二次世界大戦の敵対国として、こうした平和会議には戦後まったく呼ばれなかったのです。

ようやく国際和平会議の席に呼ばれるようになった日本は、翌年(平成2年)には、今度は日本の主催で、「カンボジアに関する東京会議」を開催しました。新たに国際平和会議に参加した日本が、今度はイニシアチブをとって国際会議を開催しています。
この国際会議も、日本が音頭をとっての国際的地域紛争の解決のための国際会議開催として、戦後の初の出来事です。当然、日本には大きな責任が課せられます。

席上、日本は、カンボジアの4派の政党が、みんなで対等に参加する最高国民評議会の設置を提案しました。
これからは武器ではなく言論と選挙で戦え、というわけです。提案は全会一致で採択されました。

すこし補足しますが、この全会一致というのは、実は日本の政治文化の特色といえるものです。江戸時代までの日本語には、リーダーという単語(訳語は指導者)はありません。日本社会は、あくまでも集団で合意を形成するコンセンサス(Consensus、一致)社会だったからです。

さて、翌年(平成3年)、パリ和平協定で、カンボジアの内戦は終結しました。日本外交と、日本的コンセンサス合意形成が、まさに大勝利したのです。

平成4年になると、国連カンボジア暫定機構(UNTAC)の事務総長に日本人の明石康氏が就任し、UNTACによるカンボジア暫定統治が開始しました。
日本国内では「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」が成立し、この年、日本による初の自衛隊、PKO部隊が派遣されています。
このときのことは、覚えておいでの方も多いと思います。
まさに国論が真っ二つに割れて、自衛隊派遣賛成か反対か、大論戦が展開された。
自衛隊を派遣しようとする政府と自民党に対し、当時の社会党などが猛反対を繰り広げました。憲法9条を死守して一切日本はその軍事力を海外に派兵すべきではないというのです。

道路補修にあたる自衛隊
道路補修にあたる自衛隊


国内に多くの否定派の意見を受けながら、ようやく日本の自衛隊はカンボジアに到着しました。
カンボジア国内での公正な選挙の実現のために、道路を作り、地雷を撤去してカンボジアの国民が安全に生活し、かつ安全に生活できるよう、国家インフラの整備のお手伝いをしたのです。
同時に、医療支援、食糧支援を行いました。こうして日本は、「武器で争わなくても生きることができる」国土の整備事業を、カンボジアの民衆と一緒に展開したのです。

ところでこうした自衛隊の活動に、わざわざ現地まで出かけて行って反対運動をした日本の国会議員もいます。
社会党(当時)の辻本清美議員です。
彼女は自ら所有するピース・ボートという大型観光船に乗って、支持者とともに暑いさなかに、カンボジアのトティエ駐屯地まで赴きました。
このときの様子が「ああ、堂々の自衛隊 PKO従軍奮戦記」(宮嶋茂樹著)に書かれていますので、すこし引用します。

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 さすがに自由を愛する方々である。一行はてんでばらばらに行動され、まったく統制が取れていない。
太田三佐(広報担当)が声を嗄らして説明しようとするが、その周りには人が寄り付かぬ。
人だかりがしているのは、代表の辻元清美さんの周りである。無視されつつ頑張っていた太田三佐が、質疑応答を始めると、ようやく人びとが集まってきた。
その目は敵意に輝いている。
いまなおこんなに戦意旺盛な同胞がいるのかと、私は感心する。
その表情そのままに、敵意あふれる声で質問が飛んだ。
「この山では一日どれだけの土砂を採るのですか?」
太田三佐が丁寧に数字を答える。質問者はしてやったりと声を励ます。
「それだけ採って、環境への影響は?」
「は?」
さしもの三佐も目をぱちくりさせている。
「ですから、雨が降って、土砂が水田に流れ込むなどにより、環境への悪影響があるでしょう。それは調査してるんですか」
 それは異様な光景だった。背後の兵舎には、汗とドロにみれ、基地にすら帰ることができぬトティエ駐屯の自衛隊員がが、埃まみれで死んだようになっている。
自分たちの利益のためにやっているのではない。カンボジアの人びとのためにやっているのである。
その前で、化粧の白い顔を曝した同じ日本人の一行が、「環境への影響は」と尋ねる光景。
超現実主義の映画を観ているようで、私はかすかな吐き気すら感じた。
太田三佐は誠実に答える。
「正直言って、環境の調査は行っていません」
答える三佐の顔がやや紅潮する。
「そりゃあ、環境への影響はあるでしょう。しかし、私たちの仕事は、選挙をスムーズに進めるために、橋や道路を修復することです。そのためには採石場が必要なのです。私たちがしていることは、将来的にも、きっとカンボジアの人たちの役に立つと信じています」
堂々、太田三佐は言い切った。言い逃れも一切しない、立派な態度であった。
(P183)
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自衛隊員による地雷・不発弾等の除去作業
(カンボジア)
自衛隊員による地雷・不発弾等の除去作業


続いて辻本清美ご一行は、自衛隊の中心的な宿営地であるタケオ基地を訪問しました。そこでの出来事です。

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 国連旗の前で記念写真を撮る方、荷物運搬車に乗り込んでしまう方、そこらの建物に勝手に入ってしまう方。
まことに自衛隊は民主的軍隊である。
イランあたりでこんなことをすれば、すぐに数名の射殺者が出ていたであろう。自衛隊は、数名の広報が声を嗄らして幼稚園の先生のように走り回るだけであった。
「あ、そこの人、隊員のテントに勝手に入りこまないでください」
「お願いですから、ちゃんと団体行動してください」
さすがの切れ者、山下一尉も疲労困憊した表情で呟く。
「わしらはツアー・コンダクターか……」
自衛隊迎撃部隊は、劣勢を余儀なくされていた。ピース・ボート部隊は、さらに頭脳的な作戦に出た。兵站の道を絶つは、バルチザン型攻撃の基本である。彼らは、基地の厚生センターに集中攻撃をかけ始めたのである。
「おおっ、キリンビールが70円だって」
自衛隊がシンガポールから苦労して運んで来た糧秣に目をつけたのである。慌てて、山下部隊が、これの阻止に回る。
「そこの人、飲物は隊員のための物です。皆さんが飲むと、隊員の分がなくなってしまいます」
引き続き、駐車場で、ピース・ボートのメンバーと隊員との対話集会が開かれた。
なんだか、その内容はオフレコとのことで、辻元さんはピリピリしていたが、結局この時のピース・ボートの方々の質問は産経新聞が書いてしまったので、私も記念に書いておこう。
「従軍慰安婦を派遣するというウワサがあるが」
「・・・」
「隊内でコンドームを配っているとか。(相手の隊員を指差して)あなたのポケットにもあるんでしょう」
「・・・」
「防衛大学では、帝国時代の軍人を尊敬している人がたくさんいるんでしょう」
「・・・」
などなど。
 やがて、一同はまたバスに乗り込み、プノンペンへと去って行かれた。戦いすんで日が暮れて。太田三佐は幽鬼のように憔悴し、一言私に呟くと、宿舎へと消えて行った。
「疲れた・・・」
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 日本の自衛隊は、カンボジアの平和と安定実現のため、あちこちに埋まった地雷や不発弾の処理をし、安全な道路を作り、落ちて壊れた橋を架け、住民に食糧や水、衣類などの物資の支援を行い、医療活動を行ったのです。
すべては、カンボジアで公正な選挙が行われるように、との配慮からです。

ようやく国連カンボジア暫定機構監視のもとで、カンボジア第1回の議会選挙が行われたのは、平成2(1990)年のことです。自衛隊が懸命になって命がけでの地雷撤去作業を行った結果です。
選挙自体には、当然のことですが日本はいっさい干渉していません。
誰を選び、どういう政治体制を望むかは、あくまでカンボジア国民が決めることだからです。
日本は、住民の安全を図ることだけに注力したのです。
いわば無私の貢献です。
私たち日本に住む者にとっては、そんなのは「あたりまえ」のことにすぎないかもしれないけれど、こうした地域住民の意思を最優先した外国の干渉というのは、実は世界の歴史で実際にその経験を持つのは日本だけです。
このあたりが、他国支配による選挙と日本が関与した外地との大きな違いです。
戦前も戦後も、これは変わらぬ日本の姿勢です。

こうして選挙は無事に終了しました。選挙結果は、王党派のフンシンペック党の大勝利でした。
カンボジアは議会を開催し、自分たちの手で作った新憲法の施行を発表しました。
彼らの作った憲法、それは、カンボジアに王制を復活させる、というものでした。
そしてシアヌーク殿下が再び国王に即位されました。
国王の下には、第一首相、第二首相の2名の首相による連立政権が発足しました。
国名も、新たに「カンボジア王国」と定められました。
そしてカンボジアに「カンボジア王国」の国旗が掲揚されました。
冒頭に掲載した国旗です。
それは、旧日本軍に支えられて独立国家を勝ち取ったときにシアヌーク殿下がカンボジア国旗として制定した国旗でした。
カンボジアの多くの国民にとって、この国旗こそが、カンボジアの誇りだったのです。

カンボジアの国旗変遷


下のグラフは、カンボジア共産党(クメール・ルージュ)政権終了から26年経った2005年度のカンボジアノ人口ピラミッドです。
図を見ると、25歳以上と24歳以下の人口が対照的です。
人々が殺し合った時代と、助けあう時代。どの時代がほんとうにカンボジア庶民の幸せの時代といえるのか、グラフをみたら一目瞭然です。。

カンボジアの人口(2005年)
カンボジアの人口


ここまでのことを行ったのは、当時外務大臣だった宇野宗佑氏です。
後に彼は、こうした貢献を認められて内閣総理大臣に就任しました。
けれど金満政治家として有名な糸山英太郎に、神楽坂の芸者とのスキャンダルを暴露され、失脚してしまっています。

このスキャンダルは、 神楽坂の美人芸妓に、宇野総理が、「もし自分の愛人になってくれたらこれだけ出す」と言って自分の指を三本出した(30万という意味)。
それを300万円だと思ったが、宇野氏は30万円のつもりだった。
これに憤慨した美人芸妓憤慨した、というものでした。
その話を糸山英太郎議員がマスコミにリークしたことで、大騒ぎになっています。

指三本事件をリークした糸山英太郎は、金まみれの大規模選挙違反で、選対本部長以下1287人が検挙されるという、異例の選挙違反事件を起こした人物でした。
一説によれば、宇野外務大臣の努力によって、カンボジアに平和がもたらされ、地雷や武器の販路を失った某国が、そうした貢献と実績のある宇野外務大臣が日本の総理になることに腹をたて、宇野氏を総理の職から引きずりおろすために糸山氏にカネを渡して工作をしたとのウワサもあります。
実際のところは闇の中です。

平成6(1994)年に、河野洋平氏が外務大臣に就任したあたりから、カンボジアは、ふたたび悪化していきました。
総選挙を控えた平成9(1997)年、ふたたび国内で武力衝突が発生してしまったのです(7月事変)。
そしてラナリット第一首相が失脚するなど、カンボジア情勢は再び不安定化してしまいました。

この事態を受け、日本は、訪日したフン・セン首相に働きかけ、停戦とラナリット殿下の選挙参加など4項目の提案を行ないました。
そして平成10(1998)年7月に実施されるカンボジア総選挙への資金的協力を行うとともに、選挙専門家1名と監視員32名を派遣し、自由・公正な選挙の実施に向けて貢献しています。
そしてこの選挙で、カンボジアには第一次フン・セン首班連立政権が発足しました。

平成11(1999)年には、上院が新しく設けられ、カンボジア王国は二院制へと移行しました。そして同年ASEANへの加盟も果たします。

平成15(2003)年の第3回選挙では、第二次フン・セン首班連立政権が発足。翌年にはシアヌーク国王が引退し、シハモニ新国王が即位しました。
同年WTOへ加盟とASEMへの参加も決定。
カンボジアは着実に民主化への道を歩みはじめました。
これにあわせて、日本は、カンボジアの法治と同国人同士の人権擁護法ために、司法体制の整備と向上のため現地に専門家を派遣し、民法・民事訴訟法の起草に協力しています。

30代の女性判事や検事たちも、何度もカンボジアに行って、現地の人と一緒に国の根幹である法律を作りました。民事訴訟法は2006年7月、民法は2007年12月にそれぞれ公布されています。
冒頭に述べたアンコール遺跡についても、日本は平成5(1993)年10月、「アンコール遺跡救済国際会議」を東京で開催し、翌年には「日本国政府アンコール遺跡救済チーム(JSA)」を結成しています。
そして、ユネスコ文化遺産保存日本信託基金(注1)を通じ、これまでに延べ680人以上の日本人専門家を現地に派遣し、遺跡の保存・修復活動を行ってきました。
しかも日本は、カンボジア人自身の手による保存・修復の実現を目指し、あくまでカンボジア人専門家と共に現場での保存・修復活動をしています。こうすることで、彼らへの技術移転を図ったのです。

冒頭のアンコール遺跡は、このような日本をはじめとする国際社会からの支援の結果、平成16(2004)年7月、第28回世界遺産委員会の席上、「危機にさらされている世界遺産リスト」からの除外が決定されました。
日本の、このカンボジアにおける実績は、アフガニスタンやイラクなどが現在直面している紛争後の文化遺産保護という課題の解決の成功例として高く評価されています。

(注1)平成2(1989)年8月、世界の文化遺産保存のために日本がユネスコに設立した基金。これまで同基金を通じて、バーミヤン遺跡(アフガニスタン)など、24か国において計30件の保存・修復プロジェクトに協力を実施。

以上、カンボジアの近代史を概括しましたが、日本の貢献は、戦前も戦後も、こうした無私で見返りを求めないという姿勢は、ずっと一貫しています。
いろいろ言われはしますが、満州にしても、台湾や朝鮮半島、パラオ、インドネシア、フィリピン等々にしても、常に日本は現地の人々の幸せと安寧を最優先にしてきました。
戦前も戦後も、日本の心はまったく変わっていないのです。
それをいい加減なデマゴーグで葬り去り、歪曲や捏造までして誠実な日本の貢献を貶めようとする。あるいは、日本を常に悪と決め付け、あらゆる努力や貢献には目をつぶる。
日本国内に巣食う、反日左翼の人たちに、果たして「誠意」という言葉はあるのか、と聞きたいです。

そうそう!もうひとつ書いておきます。
ピース・ボードさん達が帰国したあと、日本の自衛隊の皆さんに、著者の宮嶋さんがインタビューしています。そのときのお話です。

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私はいつもの屋台へ行き、隊員たちに今日の感想を聞いた。
「いや、ひさびさに綺麗な日本の女性を見て、目の保養になりました」
「見るだけで手が出せなかったのは残念です」
みんなはしゃいでいた。
(p188)
------------------------------

きれいな女性と言われたのは、いわずもがな辻本清美議員です。
実際にきれいかどうかは別として、どんなに嫌なことでもみんなで笑ってすごす。危険な作業でも愚痴さえいわずに現地の人たちのために貢献する。

机に座って文句ばかり言っている反日の人たちよりも、私にはそうした明るい笑顔の自衛隊員の方が、よほど誇らしく、また頼もしく思えます。


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カンボジアCBD地雷処理作業


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コメント
武士道精神
ねずさん、そしてねずファンの皆さん今日は。
 
外国人から日本人を見るとチャイニーズですかと聞かれることが多いと聞いていますが、一見似ているのでしょうか。

西欧人から見れば区別がつかないのでしょう。
くやし~~。

南北朝鮮人は支那隷属小中華人と呼ばれるにふさわしい行為を
最近した女性がいましたね。
頼りになる出来のいい大嘘つきの兄貴分とこれからどうやって
お人好しの日本を貶めて領土と金を巻き上げるか話し合ったんでしょうんね。

北を見れば昔コスイギンと言う首相がいましたがこすっからい
露助の国があるし、日本てつくづくおかしな国に囲まれていますね。

支那の大帝国中華思想と思われる狂ったおかしな思想を振りかざして海洋権益を狙い、大東亜戦後の左翼教育によって骨抜きにされた日本を実験国家であるアメリカ戦争屋にかわって
亜細亜の盟主となるべき日本を貶めている。

安倍政権が着々と進めている外交政策に多いに期待をし、
誇りある日本を取り戻していただきましょう。
目先のことは経済でしょうが、将来的には沖縄、尖閣をどう
守るのかが大事な優先順位ではないでしょうか・


2013/08/10(土) 04:20 | URL | 虎さん #-[ 編集]
現地在住として感慨深く拝読いたしました
非常に良いまとめ、日本人として誇らしくなるまとめ、現地在住として感慨深く読ませていただきました。

なお、一点のみ
「それでも国王のシアヌーク殿下は、粘り強く独立運動を続けました。」
この時点では国王であらせられるので、非常に細かいことを申し上げれば「陛下」が適切かと思いました。
2013/08/10(土) 02:30 | URL | 廣田健一郎 #ru5gN0Uk[ 編集]
先日横浜での慰安婦についての講演会に参加させて頂きました。
会場は満員御礼で、会場に入りきれない程の人集りでしたね。
多くの方々が、反日勢力の存在に、これからの日本を心配して、興味を持つ人が増えたと言う事ですね。

本当の反日は外国人にあらず。
日本人が反日をしていると言う事です。

原爆の日を迎え、また新たな原爆死没者名簿に名前が刻まれる事に、原爆の恐ろしさを痛感します。
しかし、広島市のホームページや原爆資料館には、被災した外国人に対し「強制連行をされて、原爆の被害になった」と言った内容の解説があります。
戦後日教組による敗戦の自慰を学んだ我々は、何ら抵抗も無く、原爆を投下された理由を認めていました。

韓国の「強制連行されて被爆した」と言う主張、しかし「強制連行は無い」が日本政府。
この見解に対して、広島市のホームページ、及び原爆資料館の原爆被災者に対する解説はおかしい。
世界中の人がこの原爆資料館に見学に訪れていると言うのに、「強制連行によって‥‥‥」はとんでもない事です。
知らず知らずに、歪曲された歴史を疑問に思うわけでもなく、今だにメッセージを放置している。
自分は広島県人として、広島市に「強制連行」と言う、文面の削除をして下さい。とメールをしました。
2013/08/08(木) 23:32 | URL | 広島県人 #-[ 編集]
ピース(平和)が名前にある団体ですが、実際はカンボジアのためにどれだけ役に立ったのか…。自衛隊の方々に余計な負担をかけましたね。でもそんな邪魔する存在すらもユーモアで流す自衛隊の方々は遥かにうわてですね。大きな使命感の前には、狭量な左翼の妨害などものともしない。自衛隊の活躍、尊敬します。
2013/08/08(木) 20:47 | URL | お猪口 #-[ 編集]
いつも拝読しております。ちょっと前まで相当の脳内お花畑で自分のことしか考えておりませんでしたが、最近こちらのブログも参考にさせていただきながら歴史的事実、日本人としての誇りを再認識はじめました。
先日は広島原爆が投下された日でした。小学生の長男の同級生のお母さんと、子供たちに向けた戦争の歴史に触れる会を開催しました。彼女は原爆のお話を、私は特攻隊のおにいさんたち、ということで子供たちにお話しをさせていただきました。
こちらの記事で知りえたこと、日本人の道徳心なども伝えさせていただきました。教育は、地域活動でも草の根的ですができると思います。まずは身近な子供たちから伝えていきたいと思います。
ありがとうございました。
2013/08/08(木) 17:43 | URL | 街のおかあさん #8kSX63fM[ 編集]
カンボジアの地雷除去と言えば、雨宮 清さんも大変貢献して下さっています。
彼は、地雷原を畑に変えました。是非ご覧になって下さい!!

YOUTUBE 地雷原を畑にする、雨宮 清。
http://www.youtube.com/watch?v=2ebmdJW0WgA&list=PLqHdtCV2Fx8InInd4iV4GPdolOasHqtC8

あと、ねずさんが以前紹介して下さった中田厚仁さん。。。
YOUTUBE カンボジア 内戦の地に命を捧げた、中田厚仁
http://www.youtube.com/watch?v=6ieZ6G2eUvs&list=PLqHdtCV2Fx8InInd4iV4GPdolOasHqtC8

日本による、無私で見返りを求めない貢献は、もっと広く知られ評価されるべきです。
自衛隊の方々に暴言を吐いた反日左翼は許せません。
反日左翼といえば、最近は麻生さんに関する捏造、揚げ足取り…うんざりです。
日本を、愛国者を貶め続ける反日勢力に怒りで一杯です。
2013/08/08(木) 16:03 | URL | 梅子 #-[ 編集]
最近、やたら政治家が発言を撤回するが、一体誰に言われて撤回するのだろう。

自分で自信を持って、信念に基づいて発言したのだろう。いちいち撤回するなよ。みっともない。

2013/08/08(木) 15:27 | URL | あ太郎 #-[ 編集]
辻元清美衆議院議員のことが紹介されていました。
辻本氏の発想がよく分かります。確か、北朝鮮へ人道支援の米を送る運動の中から出てきた、活動家だと記憶していますが、反日、売国の国会議員です。
東日本大震災では、当時の菅首相からボランティア担当大臣に任命されましたが、実態として何をしていたのか不明です。テレビでは菅首相の後について歩く姿は放送されましたが、具体的な活動は不明でした。
機会があれば、担当大臣の行動と活動の結果を読んでみたいと思います。その中には、NPO法人「大雪リバァネット」関連の報告書も含まれていると思いますので・・・・・担当大臣の間の事件ですから、きっちりとした経過報告がされていると思います。(ボランティア担当大臣は、辻元氏ただ一人ですから、書類として完結しているはずです。)
日本は自然災害の多い国です。これからも様々なボランティアが組織され活動することになるでしょう。そのときに、大いに参考になる書類だろうと、期待しています。

これに関連して、民主党政権のときに閣議内容の記録が、余り残っていないようなことを噂されました。
せっかく自民党以外の政府が作られたのです。しかも、政党名に民主と名乗っている政党が主体として、内閣を作ったのです。私は後の世に、さすがは民主党だったと賛辞される、民主的かつ正確な閣議録が残されたと信じています。

それから、今年4月10日に開催された予算委員会において、午後から中山議員は、いわゆる従軍慰安婦の虚偽について質問されましたが、この日の午前に訳の分からないことで、貴重な質問時間を時間を無駄にしたのが辻元氏でした。


カンボジアでの自衛隊員の活動には、頭が下がるだけです。
地雷・不発弾等の除去作業と言いましても、相手は内戦後まで放置された爆弾ですから、決められたマニュアルに従って作業しても爆発しない保証はありません。大変だったろうと、想像するしかありません。

この地雷を売った中国は、金を儲けるだけで後は知らん顔です。
共産主義の理想を、実践したのでしょう。
2013/08/08(木) 14:16 | URL | ポッポ #-[ 編集]
紛争の裏には必ずアメリカがいるというのはなんとも・・・・
2013/08/08(木) 13:11 | URL | #-[ 編集]
二十年間共産党に投票してきましたが、このブログを読んでからは、極力他の党に投票するようにしました。
知らないって恐ろしい。
2013/08/08(木) 12:16 | URL | #-[ 編集]
アメリカもシナもロクでもない国であることがよく分かりました。またどんな手を使ってでも戦争は勝たなければならないこともよく分かります。まともに戦ってもいない歴史をねつ造しまくりの野蛮国どもにいちゃもんつけられても毅然としてればよいのです!今度は負けるものか!!
2013/08/08(木) 11:45 | URL | 団塊の世代の後輩 #-[ 編集]
カンボジアといえば、ニュースグループfjが発端となった本多勝一氏の著書の書き換え問題を思い出します。ネット時代の到来を実感したことを懐かしく思い出します。
2013/08/08(木) 11:00 | URL | デンスケ #rZtJR6xo[ 編集]
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
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『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』

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いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

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