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敷島の大和心を人問わ(は)ば 朝日ににおう (ふ) 山桜花(本居宣長)。日本は天皇を国家最高権威とし、民を「おほみたから」とする「シラス国」です。


対馬丸事件

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http://www.mag2.com/m/0001335031.htm

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 本題に入る前に、ひとつ述べさせていただきます。
是非、yahooニュースの以下の意識調査に票を投じてください。
「はだしのゲン」の閲覧制限は妥当?
http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/domestic/9851/result

 昨日、Facebookの方には書かせていただいたのですが、松江市教委が「はだしのゲン」を「描写過激」として閲覧制限したのは、公式には「旧日本軍がアジアの人々の首を切り落としたり、銃剣術の的にしたりする場面。子どもたちが自由に見られる状態で図書館に置くのは不適切として、昨年12月の校長会で全巻を書庫などに納める閉架図書にするよう指示した」とされています。
http://www.asahi.com/national/update/0816/OSK201308160095.html
 ところが実際の描写は、そんな生易しいものにとどまりません。
日本の兵隊さんが女性を強姦した挙げ句、性器に棒を突っ込んで殺害したなどの描写も出てきます。
はだしのゲン
(画像はクリックすると大きくなります)

 松江教委は、教育委員会だから子供たちへの配慮でそういう描写があるということまでストレートに言えない。言えないことをいいことに「どこが過激なんだ」と居直る。最低です。これが売国左翼の振る舞いと思うと、怒りに震えます。
 いくらなんでもまだ思春期さえも迎えていない子供にそんなものを見せるなんて、常識ある大人がすることじゃないです。平和教育や思想以前の問題です。日本人の見識が疑われます。
投票、ご協力をお願いします。
 
※ちなみに女性を殺害後、性器に棒などを突っ込んで辱めるという文化は、日本にはまったくありません。ところが支那朝鮮では古来からある殺し方です。この描写は、日本兵がやったというのではなく、支那人等の持つ悪辣な文化を日本に投影したものにすぎません。



さて、ここからが今日のテーマです。

疎開船「対馬丸」
疎開船「対馬丸」


8月22日は、昭和19(1944)年に、沖縄からの疎開船「対馬丸」が、悪石島付近で米潜水艦の魚雷攻撃を受けて学童700名を含む1500名が海没した日です。

沖縄に「対馬丸記念館」という施設があります。
ホームページは、以下の通りです。
http://www.tsushimamaru.or.jp/index.html
この対馬丸記念館で、ある女性が実際に体験されたお話です。

彼女が一人で見学していたときのことです。
館の関係者らしき初老男性ガイドが、5~6人ほどの男性客を案内しながら入ってきました。
展示パネルを指さしながら対馬丸の悲劇を説明していました。

「沖縄からの疎開のための学童を乗せた輸送船の対馬丸は、22時10分に魚雷攻撃を受けました。
大爆発を起こした対馬丸は、22時23分頃沈没し、子供たちは海に投げ出されました。
皆は救助を求めましたが、対馬丸を護衛するはずの2隻の護衛艦は、黙ってそのまま行ってしまいました。」

ガイドは、ここで言葉を切りました。
そして言葉がじわりと浸透するように、わざと沈黙しました。

客の一人ひとりが、小さな声で言いました。
「えっ!見殺しにしたの? ひどいね~」

ガイドはこの言葉を確認すると、
満足したように
「では次の展示に行きましょう」と移動しようとしました。

傍で聞いていた彼女は、おもわず声をあげました。
「ちょっと待ってください!
護衛の艦は、助けたくても助けられない状況だったんじゃないですか?
あなたの説明は言葉が足りません。
対馬丸は一隻ではなかったはずです。
ほかに2隻、護衛すべき船があったことを、説明に入れるべきです!」

ガイドは、ギョッとした顔をしました。
客の一人が
「そうだったの?
それなら、二次被害の可能性もあるね」

彼女は続けて言いました。
「護衛の駆逐艦は、700隻以上もの疎開船、輸送船を沖縄から長崎まで送り続けました。
唯一、沈められたのが対馬丸です。
それ以外の船は命を懸けて護衛しました。
ガイドさん、あなたは、あたかも『海軍が見捨てた』、という印象の説明をされましたが、本来、責めるべきは魚雷を撃った潜水艦なのではありませんか?」

ガイドはギロっと彼女を睨んだそうです。
けれど、彼女は、そのガイドの眼を見返します。

ガイドは反論できません。
そのうち、客が、
「そりゃそうだ。敵はアメリカだしな」
「残った2隻だけでも守らないとな」

彼女は続けて、事件の9か月前に、二次被害によって生存者の救助にあたるために停止していた護衛艦が襲撃を受けて、せっかく救助した被災者とともに爆死した事件があったことを話しました。
ガイドは、バツが悪くなったのか、そそくさと一行を次の展示に移動させていってしまった。

けれど彼女は、すくなくとも、客の2人が正常な反応をしてくれたことに、少しホッとしたといいます。

この件と同様に、沖縄、広島、長崎などにある資料館、記念館等では、毎日、このような意図的に事実をねじ曲げ、いかにも日本が粗暴な振る舞いをしたかのごとき印象操作を行うガイドが横行しています。
真っ白な見学者に向けて、意図的に歪曲した情報操作、印象操作が行われているのです。

彼女は、そうした場にいあわせると、都度、たったひとりの戦いを挑んでいるそうです。
そうして、見学者の中のひとりでもいいから、ガイドの反日偏向した説明に疑問を持ち、見学者が、実際はどうだったのか自分で調べてくれたり、その場で気付いてくれたりするように、反論しておいでなのだそうです。

彼女は言います。
「私は戦争体験者、戦闘体験者の父祖達の名誉のためにも、歪曲ガイドの説明に出くわしたら、その場で言い、修正し続けます。
サイレントマジョリティはもうサイレントではいけない!」

対馬丸事件は、沖縄戦がはじまる7ヶ月前に起こった事件です。
その一ヶ月前の昭和19年7月には、サイパンが陥落しています。

サイパン島には、戦いが始まった当初、島に約2万人の在留邦人(民間人)がいました。
けれど戦闘終了後、最終的に米軍が収容した日本人民間人は10,424人です。
約半数の邦人が戦いの渦中に命を落とされたのです。

東条内閣は、サイパン陥落の報に接すると、即座に緊急閣議を開きました。
そして東条英機首相以下、閣僚たちは全員、サイパンの悲劇をくり返さないようにと誓い、さらに米軍の動向から、次には「沖縄に戦火が及ぶ公算大」と判断しています。
そしてその日のうちに、沖縄本島、宮古、石垣、奄美、徳之島の五島からの、本土及び台湾への大規模疎開の実施を決定しました。

決定は、ただちに、その日のうちに、沖縄県に通達されました。
内容は、「60歳以上と15歳未満の老幼婦女子と学童を優先させ、本土へ8万、台湾へ2万、合計10万を即時疎開させること」というものです。

当時の沖縄県民は、周辺の島々を加えて約59万人でした。
そのうち即時疎開者10万、そして開戦までに、さらにできるだけ多くの県民を疎開させよと示達したのです。

実は、このことは、軍としてもたいへんにありがたい措置です。
なぜなら、戦う軍にとって、民間人の残留は、まことに負担が大きいからです。

民間人は、規律と統制のとれた軍人ではありません。
軍人は、命令一下整然と行動をとりますが、民間人は行動が散漫で遅滞しがちです。
加えて逃げ遅れた者がいれば、軍はそのための捜索隊を危険を冒して出さなければならない。
戦傷者が出れば、そのぶん、余分な人手をとられます。
つまり、軍の機動力と戦力の両方が損なわれてしまうのです。

こう書くと、「何のために戦っているのだ。民間人の保護のためじゃないのか」とお叱りの声が聞こえて来そうです。
けれど、そこが「戦場」になれば、敵の砲弾が飛んで来るのです。

それだけじゃありません。
沖縄は、数々の離島で構成された島です。
周辺の島々に住民がいれば、日本側の守備隊は、それぞれの島の防衛のために、ただでさえ少ない兵力を、余計に割かなければならなくなる。

戦いは、戦力が集中した方が有利なのは、古来、戦場の常識です。
離島に戦力が分散し、また本島の民間人保護に戦力を取られたら、それだけでも、戦いは非常に不利なものになってしまう。
まして、高齢者や婦女子は、戦いの場にいたら危険なだけです。

まだあります。
食料です。
当時の沖縄は、年間に消費される米の3分の2を、県外からの移入に頼っていました。
沖縄で戦闘が始まり、海上輸送が途絶したら、県民への食糧補給が困難になります。
ですから一日もはやく沖縄県民を集団疎開させることは、日本にとっても、軍にとっても、ましてや沖縄県民にとっても、まさに喫緊の課題だったのです。

だからこそ、東条内閣は、とにもかくにも、一刻も早く、沖縄県民を、本土や台湾に疎開させようとしました。
けれど、疎開をする側の民間人からしてみれば、その時点では、まだ敵弾が飛んできているわけではありません。
いつもと変わらぬ青空が広がっている、いつもと変わらぬ日常がそこにあるだけです。
郷土への執着もある。
見知らぬ土地への疎開に対する不安もある。
手荷物のこともある。

女房がウチからいなくなったら、明日からの飯はいったい誰が炊くのか。
疎開先で、子供たちの学校はどうなる?
疎開先での食事の面倒は誰がみるのか?
体の具合の悪い年寄りの面倒は誰がみるのだろう?
かかりつけの医者があるけれど、疎開先に医者はいるのか?
飼っている牛や犬や猫をどうするのかも、民間人にしてみればたいへん大きな問題です。

現実に疎開ということになれば、それぞれの家庭ごとにいろいろな問題があるのです。
集団疎開なんてしないで済めば、それにこしたことはないし、沖縄が戦場にならないなら、それがいちばんいい。
誰だってそう思います。

見上げる空は、今日も青い。見渡す海は今日も青く広く輝いています。
その海原を埋め尽くすほどの米軍艦船が、巨大な主砲から嵐のように艦砲射撃を加えてくるなんてことを、その時点で、どうして想像できましょう。
沖縄戦が起こるのは、それからまだ8カ月も先のことなのです。

この瞬間は、あくまで、「もし、敵軍が来たら、こうなる」という仮定の話でしかありません。
来ないかもしれない。
昨日と変わらぬ日常を送る一般の人たちにとって、昨日と変わらぬ今日があり、今日と変わらない明日があるだけです。

ひとくちに疎開といっても、ですから、そうそう簡単なことではないのです。
国が事前に疎開をさせようと思う時は、だから住民にきちんと事情を説明し、理解を得ながら、疎開誘導を円滑に進めなければならないし、そのためには沖縄県の行政の協力と働きが不可欠です。

ところが、当時の沖縄県知事であった泉守紀(いずみしゅき)が、疎開に真っ向から反対しました。
「沖縄県が戦場とならないために努力するのが軍の仕事である」などと、わかったようなことまで言い出しています。そして県が疎開行動に協力するのを拒んだのです。

風雲急を告げているときです。
すぐそこまで敵が迫っている。
愚図愚図しているヒマはない。

「沖縄県が戦場とならないために」もちろん最大限の努力はする。
けれど、戦闘はこちらが望んで起こすものではないのです。
こちらの事情に関わりなく、相手が相手の都合で、攻めて来る。

沖縄に日本軍がいなければ、攻めて来ないなどということもありません。
当時の航空機は、日米とも、まだ燃費が悪いのです。
米軍が日本本土を攻略するためには、そのための攻撃拠点となる基地が必要です。
だからこそ、サイパンに次いで沖縄の占領は不可避なのです。

ならばサッサと降参したらいい、という人もいるかもしれません。
これも違います。
降参すれば、米軍は悠々と沖縄を占領し、そこから日本本土を攻撃する。
もっと多くの命が失われてしまうのです。
ですから、理屈はともかく、兎にも角にも、疎開は実施しなければならない。

ところが沖縄県の泉守紀県知事は、昭和18(1943)年の赴任当初から、いわく付きの人物でした。
着任早々から、やれ「沖縄は遅れている」だの「だから沖縄はダメだ」などと、県の職員たちを見下し、こき下ろし、県庁職員たちの反感を買っていたほどです。

さらに昭和19(1944)年3月に、沖縄防衛のために陸軍第三十二軍が着任すると、そこでも軍の幹部と揉めています。
なにを揉めたかというと、軍が駐屯すると、そこに民間施設の「慰安所」ができます。
その民間の慰安所(売春施設)の設置を、拒んだのです。

理由は、「皇土の中にそのような施設は望ましくない」というものです。
けれど、当時、赤線が世の中の常識だった時代です。
沖縄にも遊郭はありました。つまり現実に施設はあったのです。
それを、泉守紀県知事は拒みました。

ひとついえることは、この手の、いっけんもっともらしい理屈をいう人間に、ろくな奴はいない、ということです。
なぜなら、人間には本能があり、その本能の欲求を否定する者というのは、必ず「自分だけは別」と、特別扱いされることを当然と思っているからです。

たしかに「売春宿はよくない」といえばそれまでです。
言っていることは、ご説、ごもっともです。
けれど、明日をも知れない命である兵隊さんたちにとって、性の捌け口は必要なものです。

このことは、女性の方にはちょっとわかりにくいかもしれません。
けれど男というものは、私くらいの年齢になるともはや現役引退になるけれど、若い適齢期の男性にとっては、ほっておいても精子が溜まるのです。
毎朝、起き抜けには、倅が相手を求めて大騒ぎする。
それが適齢期の男性というものです。
人類普遍の男の生理です。

溜まれば、下痢して漏れそうになったのと同じです。
切羽詰まり、放出しなければ、頭に血が昇る。

とりわけ戦地においては、明日をも知れない命です。
そうなると、これまた人類普遍の真理で、なんとかして自分の遺伝子を後世に残そうとする本能が働きます。
若い男性なら、女性に対して渇望的になる。

一方、女性の場合は、明日をも知れない命となると、逆に平和と安全を強く求めるようになるといわれています。
なぜなら胎内に子を宿した状態で、戦火を迎えたら、安心して子を産めないからです。
これまた女性の本能です。

戦いの前に、子を残すために女性の胎内に放出して子孫を残そうとする本能がはたらく男性と、これを受け止めて安全なところで子を産みたいという本能が働く女性。
そして男性は、そんな女性たちを守るために、死地に赴く。
女性たちの安全と安心を確保するためです。
そういう意味では、人もホ乳動物のうちです。

下痢で漏れそうなときに、トイレを使うことを禁じれば、そこらへんに漏れてたいへんなことになります。
たとえは悪いかもしれませんが、どんな綺麗な家でもトイレは必要です。

ちなみに、いまでも自衛隊の駐屯地がありながら左翼系の県知事がいる都道府県では、いわゆるピンク産業について、非常に厳しく規制的です。
自衛官のみなさんは、それでもじっと我慢して日々の厳しい訓練にいそしんでいますが、これは男性に一方的に無理を強いるものであり、生物学的には、決して正しい選択ではない、ということを、ひとこと申上げたいと思います。

対馬丸事件の後のことになりますが、慰安所設置をめぐって、これに反発した泉守紀県知事は、昭和19(1944)年10月10日の那覇大空襲のとき、逃げまどう市民や県庁職員をほったらかして、自分だけさっさと防空壕に隠れてしまっています。
職員すらほったらかしにしました。
自分だけ逃げたのです。

さらに空爆が終わると、民間の被害現場さえもほったらかして、こっそり那覇市を脱け出し、沖縄本島中部の普天間に公用車を使って、いちはやく逃げています。
そして普天間で、自分ひとりだけの「県庁本部」を名乗りました。
もちろん県の職員達は、那覇の県庁にほったらかしです。

さらに昭和20(1945)年1月、沖縄戦の2ヶ月前の、敵上陸がもはや眼の前に迫ってきているときには、泉知事は、自ら上京して沖縄からさっさと去ってしまっています。
大蔵省幹部であった実兄に頼み、自分だけが沖縄から転任できるよう、工作を依頼していたのです。

泉知事が着任してからの在任帰還は、約一年半(約500日)ですが、そのうちの三分の一近い175日間もの間、彼は沖縄県を留守にしました。
どこに行っていたのかと言うと、東京との調整と称して、風雲急を告げる沖縄をほったらかしに、ずっと中央で転勤のための根回しをしていたのです。
それも沖縄県の歳費を使って、です。

要するに泉知事は、沖縄が危ないということを沖縄の民衆の誰よりも早い段階で知っていたからこそ、軍に圧力をかけ、軍が嫌がっていちはやく自分だけ沖縄から逃げ出そうとしていたわけです。
そのために、県知事という立場を利用して、内閣や軍の指示にさえ「きれいごと」を言って竿をさし、反発し、邪魔だてしたのです。
もっと簡単にいえば、「沖縄県民の安全を人質にすることで」自分だけが戦地からうまく逃げ出す算段をしていたわけです。最低です。

こんな体たらくの県知事であっても、県の職員のなかには、ちゃんと危機意識を持つ人もいてくれました。
たとえば沖縄県の警察部長であった荒井退造氏なども、そのひとりです。

荒井退造県警部長も、本土からの赴任組です。
彼は、昭和18年7月、42歳で沖縄県警察部長として沖縄に赴任しました。
そして赴任からちょうど一年後に、東条内閣からの疎開指令を受けたのです。

形ばかりのつもりだったのかもしれないけれど、泉知事は、荒井退造を、県民疎開の責任者に任じました。
荒井退造は、すぐに県下の全警察署に指示して、説明会や家庭訪問を実施させました。
県民一人ひとりに疎開の必要性を説いてまわらせたのです。

それはたいへんな作業でした。
沖縄県の全警察官が、一件、一件のお宅に訪問して、事情を説明し、疎開へと誘導するのです。

「おやじさん、7月7日には、サイパンが陥落したんですよ。
3万1000名の守備隊は玉砕、1万2000名の在留邦人も運命を共にしたんです。
沖縄で同じことがおこったらどうするか。
ここは、つらくても一時的に疎開するのが一番良い。
みなさんが疎開することで、沖縄守備隊も精いっぱいのご奉公ができるんです」

けれど、県民の反応はイマイチでした。
警察官の言う理屈はわかるのです。
けれど、先祖伝来の土地からはそうそう簡単には離れられるものではありません。

やむをえず退造は、県の職員や警官の家族を先に疎開船に乗せることを企図しました。
本来は、順序が逆です。民が先、官が後です。それはわかっている。
けれど、まず、役人や警官の家族が動き出したとなれば、県民たちだって安閑としてはいられなくなるのではないか。
それに、老人や妻子を本土に疎開させた暁には、残った職員たちだって後顧の憂いなく奉公ができる。

昭和19(1944)年7月21日、疎開船第1号が那覇の港を出発しました。
船は輸送船「天草丸」です。
県庁職員や警官らの家族752人を乗せて那覇港を出発しました。

このとき、沖縄県警察部輸送課長だった隈崎俊武警視(当時42歳)の妻と5男2女もその中にいました。
当時6歳だった四男の勝也さんは、当時の状況を鮮明に覚えていて、それを手記に書きのこしています。

~~~~~~
追い立てられるような、慌ただしい旅立ちだったと子供心に記憶しています。
その日、一張羅を着せられ、まだ新しい帽子をかぶり、ランドセルを背負い、新品の革靴姿でした。
母は乳飲み子と3歳の妹をつれ、兄や姉は持てるだけの荷物を持って、那覇港に行きました。
埠頭(ふとう)は乗船する家族連れ見送りの人たちで一杯でした。
父も見送りに来ていました。
~~~~~~
見送る夫、見送られる妻。
これが永遠の別れになるかもしれない。
去来した思いはいかばかりだったでしょう。

輸送船第一号として那覇港を出港した「天草丸」は、すこし走っては停まっては耳を澄ます、また少し走っては、停まってあたりを警戒するという動作を繰り返しながら、すこしずつ航海をすすめました。
敵潜水艦による攻撃を警戒したのです。
通常ならわずかな道のりの航海も、だからこのとき、鹿児島に着くまでに2週間もかかっています。

航海の途中、勝也少年は、ある日、黒く長い物が水面すれすれに、ジャブジャブと泡を立てながら、船体をかすめていったのを目撃しています。
大きな魚かと喜ぶ勝也少年を、大人たちは「じっとしなさいっ」と叱りつけて、ぎゅっと体をつかまえたそうです。
それは敵潜水艦の魚雷だったのです。
天草丸は間一髪で助かったのです。

ひとつ、たいせつなことを付け加えます。
非戦闘員を運ぶ船舶への魚雷攻撃は、国際条約に従い明らかな「戦争犯罪」だ、ということです。

戦後日本は、東京裁判で、戦後の事後法である平和に対する罪などで裁かれました。
しかし、法律不遡及の原則といって、法というものは遡って罪をなすりつけてはいけない。
法には不遡及の原則があるのです。
けれど、東京裁判は、事後法で裁かれました。
一方、輸送船を意図的に攻撃してはならないという、国際法は、米国を中心とする連合軍によって、公然と破られました。
そして勝った連合軍は、そうした不法行為について、一切裁かれることはありませんでした。

日本の輸送船は、当然のことながら非武装輸送船(疎開船)であることを示す標識を掲げて航海していたのです。
しかも、走ったり停止したりを繰り返しています。
さらに、進路は戦地に兵員や軍備を運ぶ「行き」のコースではなく、沖縄から本土に向かう「帰り」のコースです。

誰がどうみても、素人判断でさえも、あるいはよほど頭の足りない戦闘員であったとしても、それが「非戦闘船」であることは、明白でした。
それでも、こういう船を一方的に攻撃されたのだということを、私たちは事実として忘れてはならないと思います。

また、非戦闘船でありながら、ジグザク走法をして敵潜水艦による魚雷攻撃を警戒したことにも理由があります。
実は、沖縄疎開開始決定に先立つ8ヶ月前の昭和18(1943)年12月21日に、沖縄那覇から本土に向けた定期航海の輸送船団が米国潜水艦によって、撃沈させられるという事件があったのです。
「湖南丸事件」です。

場所は、対馬丸が沈没した海域と同じ海域です。
攻撃を受けたのは、日本の「沖903船団」でした。
船団は、輸送船が湖南丸、大信丸、延寿丸、慶山丸の四隻、護衛は佐世保防備戦隊所属の特設捕獲網艇の第二新東丸と柏丸の二隻でした。

12月19日に那覇を出た船団は、20日には奄美の名瀬港に着きました。
ここまでは何事もなく航海を続けることができたのです。

同日午後5時、船団は名瀬港を出発し、鹿児島に向かいました。
そして21日午前1時38分、沖永良部島西方18km付近で、湖南丸が、米国潜水艦からの魚雷攻撃を受けたのです。

魚雷は、2本が湖南丸の右舷に命中しました。
湖南丸は、わずか2分で沈没してしまったそうです。

けれど、そのわずか2分の間に、湖南丸の船員達は、湖南丸に付属している救命艇を海に降ろし、また筏になりそうなもの、浮き輪などを、海に放り投げました。

湖南丸に乗っていたのは、海軍飛行予科練習生予定者や女子挺身隊などを含む民間人が683名、船員72名、海軍警戒隊4名の合計759名です。

沈没した湖南丸から海に投げ出された乗客たちは、船員達が必死で投げてくれた救命艇や浮き輪などによって、その多くが一命をとりとめました。
一方、沈没のその瞬間まで、乗客達のために救命艇や浮き輪を用意した船員達は、湖南丸と命をともにして、海中に沈みました。

海上にただよう乗客達は、救命艇や筏につかまり、海に漂いました。
人命第一は、今も昔も変わりません。
護衛艦の柏丸は、海に漂う乗客達を助けるために、エンジンを停止させ、人命救助にあたったのです。
柏丸は、こうして湖南丸の乗員約400名を救助しました。

ところが、です。
明らかに停船して、海上に漂う人々を救助し、その救助活動によって海上のほとんどの人が柏丸に乗り込んだのをみとどけた米潜水艦は、その護衛艦の柏丸に向けて、魚雷を放ったのです。

いくら護衛艦とはいっても、停船している状態では戦闘能力はありません。
動くことも、避けることもできないまま、護衛艦柏丸は、魚雷をまともに受けてしまうのです。

魚雷は、海から救助され、暖を取るために遭難者の多くが集まっていた、柏丸の機関室を直撃しました。
柏丸は大爆発を起こし、救助された人々と、命がけで救助にあたってくれた柏丸の乗組員たち全員を連れて、ほとんど瞬時に沈んでしまっています。

当時、米潜水艦は、ウルフバックといって、3隻くらいの複数艦で行動することが多いという情報が寄せられていました。
そして、被災者の救助活動を終えたところを、目の前で撃沈されたのです。

護衛艦の第二新東丸は、柏丸と湖南丸の生存者の救出をいったんあきらめ、他の輸送船(大信丸、延寿丸、慶山丸)の乗客たちを守るため、輸送船団を指揮して、いったん全艦で、その場を離脱しました。
なぜなら、それぞれの輸送船には、他の大量の乗客がいたのです。

他方、知らせを受けた日本海軍は、即時、対潜艦4隻を現場に急行させるとともに、夜明けとともに航空機を現場に急派しました。
そして、海軍の増援艦隊を確認した護衛艦の第二新東丸はは、再び現場に戻り、生存者の救命活動を行ったのです。

けれど、発見できた生存者はわずかでした。
湖南丸だけでも、死亡者は、船客576名、船員69名・海軍警戒兵3名の合計648名です。
助かったのは、わずか111名だけでした。

沈められた湖南丸、柏丸に乗船していて亡くなられた方々のおひとりおひとりには、それぞれ家族があり、友人があり、それぞれに人生がありました。
それだけでなく、湖南丸には、沖縄や奄美から本土にいる家族らに宛てたたくさんの手紙が乗っていました。
その手紙の一枚一枚には、遠く離れた家族への思いが綴られていたことでしょう。

非武装の輸送船を攻撃することも国際法上違法なら、救命活動中の船舶への攻撃も、明らかな違法行為です。
それでも攻撃されてしまう。

すでに沖縄〜本土間の制海権は、半ば敵の手に落ちています。
けれど、それでも沖縄決戦となれば、そこに残る人々は、まず生きて帰れない。
だからこそ、危険を承知で、精一杯の注意を払いながら、疎開船を出さなければならなかった。
それが、昭和19年夏の、沖縄の情況だったのです。

対馬丸事件は、こうした状況の中で起こりました。

対馬丸が那覇の港を出港したのは、昭和19(1944)年8月20日午後6時35分のことです。
目的地は、長崎でした。

一緒に船団を組んでいたのは、
 輸送艦 対馬丸、暁空丸、和浦丸
 護衛艦 蓮、宇治 
の5隻です。

対馬丸には、一般人及び那覇国民学校の児童、その介添者合わせて1,788名と、86名の乗組員が乗船していました。

他の2隻は、和浦丸に、学童疎開者だけで1,514名、暁空丸には一般疎開者だけで約1,400名が乗っていました。

子供達の対馬丸での様子は、「まるで修学旅行でも行くかのよう」だったそうです。
「先生、ヤマトに行くと雪が見られるのでしょう?」
「雪って、どんなかなぁ」
「先生、長崎ってどんなとこなんですか?」
「あ、向こうに船が見える!、先生、あの船、なんて名前?」

子供達で沸きかえる船内では、手が空いた対馬丸の乗務員が、子供達に付き合って、「戦争の話や、前に遭難して助かった話など」をしたりしていたそうです。

一方、米海軍は、暗号解読などによって、対馬丸ら一行の予定航路をおおよそ把握していたそうです。
そしてその航路に網を張った米潜水艦のボーフィンは、8月22日午前4時10分に、レーダーによって対馬丸を含む船団の位置を探査し、特定しています。

米潜水艦のボーフィンは、潜航状態で観測を行いました。
船団には、哨戒機が2機が張り付いていました。
しかも船団は、レーダーを妨害するために、強烈なジャミングを発していました。
これにより、ボーフィンは、「当該輸送船団は、重大任務を負っている」と判断。
航空機の援護ができない夜間に攻撃をしかけることを決め、船団から約40キロの距離を置いて、ひそかに追尾しました。

夜になり、対馬丸では、引率教師たちが児童に、救命胴衣の着用を指示しています。

午後10時9分、米潜水艦ボーフィンは、船団との距離を2.5kmにまで詰め、艦首発射管から魚雷6本を発射しました。

対馬丸は、見張員がその魚雷を視認します。
ブリッジでは、艦長がただちに「取舵一杯、両舷全速前進」を命令しました。
けれど、近距離での発射です。
魚雷はみるみる接近する。

艦長の指揮で、1本目の魚雷は船首前方をかすめ去りました。
しかし、続く3本が、左舷の第一、第二、第七船倉に命中したします。
そしてすこし間を置いて、別の魚雷1本が第五船倉右舷に命中する。

魚雷の命中によって、船内にはおびただしい海水が流入します。
船体の保持困難とみた艦長は、即座に「総員退船」を命令しました。

子供達を引率していた先生たちは、寝付いたばかりでなかなか起きない子供達を、蹴っ飛ばしてまで起こしたそうです。
そして海水の浸入するなか、船内から乗組員たちと一緒に、子供達をいちはやく梯子を登らせて甲板に出そうとしました。
けれど、梯子を踏みはずして下に転落する子供、おびえて体が動かなくなる子供。そして、みるみるうちにせまってくる海水。

一方で、甲板にいる乗組員達は、やはり大急ぎで、救命艇や浮き輪、筏になりそうな器材等を海に放ります。
そうこうしているうちに、乗客の児童や教師たちが甲板に上がって来る。

乗組員達は、急いで海に飛び込むように指示するのだけれど、舷側が高くて、これを乗り越えられない者、夜の暗闇の海への恐怖にふるえて海中に飛び降りれない児童もいます。
船はどんどん傾いて来る。
乗組員達は、子供達を舷側から海に放り投げもしていたそうです。

そして魚雷命中からわずか11分後の午後10時23分、対馬丸は、大爆発を起こして沈没します。
爆風で、舷側にいた救命ボートが転覆し、何人かは吹き飛ばされて海に消えました。

その日、海は近づいている台風の影響で、大しけに荒れていました。
その荒れた海の上で、大声をあげて生存者を捜す者、せっかく来ていた救命胴衣が大きすぎて、そのまま海で溺れて沈む者。

護衛艦の「蓮」は、敵潜水艦による次の攻撃を避けるために、持っている機雷を全て海に放出しました。
そして護衛艦蓮と、宇治は、残った輸送船の暁空丸と和浦丸を連れて、全速力で現場を離れました。

これは正しい判断です。
すぐ前に、同じ海域で、湖南丸事件があったのです。
しかも、米潜水艦は、常に複数で行動している。
その場にいたら、他の輸送船の乗客達まで、犠牲になる危険がある。

一方、対馬丸の生存者は台風で荒れる海の上で、漂流しながら救出を待つことになりました。
漂流は、暴風雨、三角波、眠気、真水への渇望、飢え、錯乱等との戦いでもあったそうです。

漂流中、対馬丸の小関保一等運転士は、当初、10名ほどの児童が乗った筏につかまりながら、漂流している児童を見つけてはいかだに乗せました。
そうしてまる17時間、小関さんは救助した乗客達を筏に乗せ、自分は海に浸かったままで一昼夜を耐え、8月23日午後3時ごろ、付近を航行していた漁船2隻に救助されています。
このとき漁船に救助されたのは児童、一般人83名、兵7名、乗組員21名でした。

わずか10名の乗る小さな筏で、それだけ多くの人数の人命を保ったのは、海水が腰の高さまで浸水している筏にあって、小関さんが、とにかく「座れ、座ってろ!」という強い指示があったからでした。
彼は、嵐と高波に翻弄される筏にあって、重心を下げることで筏の転覆をついに防ぎきったのです。

同じく乗組員の吉田薫夫さんは、児童3名と筏で漂流しました。
子供達を励まし、軍歌を歌ったりして気を紛らしたりしたそうです。
けれど、体力の衰微とともに、2名の子供が相次いで死んでしまいます。
悲しみにくれながらも、吉田さんは、万一助かったときのためにと、亡くなった子供の遺体とともに、漂流を続け、翌々日の8月24日に捜索隊によって救助されています。

こうして、312名が救助されました。
生存者の多くは、トカラ列島の無人島に漂着したり、嵐がやんでから軍の救助隊や、軍から連絡を受けた奄美などの漁師たちの船によって救出されました。
いちばん長い人で、10日間もの漂流をしています。

けれど対馬丸の乗員1788名のうち、児童804名を含む、1,418名が、犠牲となられました。
犠牲者の遺体の多くは、奄美の宇検村などに流れ着いたそうです。
現地には慰霊碑が建立されています。

沖縄からの疎開船は、昭和19(1944)年7月21日の第1号の天草丸からはじまり、翌昭和20(1945)年3月まで、延べ187隻が繰り出され、合計で8万名以上が日本本土と台湾へ疎開しています。

そして、同年3月23日、洋上を埋め尽くした米国の大艦隊の艦砲射撃とともに、延べ二千機におよぶ米航空機による空爆が始まりました。
沖縄戦のはじまりです。

激戦は6月下旬まで続きました。
そして、日米両軍合わせて約18万人が死傷しました。
結果として、沖縄の民間人9万4千名が犠牲となっています。
 
開戦前に、沖縄から逃げ出した泉知事に代わって、1月から県知事に赴任した島田叡(しまだあきら、当時43歳)氏は、県警部長の荒井退造氏とともに、最後の最後まで県民の疎開に尽力し、もはや海上輸送による疎開では間に合わないとなるや、沖縄県本島北部に、避難施設を作って、3月までに約9万人を疎開させ、さらに医者と半年分の食料を避難民のために確保しました。

こうした努力によって、当時の沖縄本島の住民49万のうち、約20万人が、何らかの形で疎開することができたのです。

けれど、牛島軍司令官が6月23日に自決し、その数日後、荒井県警部長はアメーバ赤痢で亡くなり、島田県知事は、近くの海岸の自然壕でピストル自決してお亡くなりになりました。

沖縄戦のときの、泉知事、後任の島田知事、そして荒井退造県警部長のことについては、当ブログの
「命をかけて守る、荒井退造」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1069.html
に詳しく書かせていただいていますので、ご参照下さい。

戦前の日本にも、ろくでもない人物はいました。
いい人もいました。

けれど、いつの時代にあっても、大切なことは、「思いやりの心」です。

対馬丸事件で、護衛官の蓮と治は、輸送船の暁空丸と和浦丸を連れて現場を離れました。
けれど、その判断によって、すくなくとも輸送船和浦丸の学童1,514名、暁空丸の一般疎開者約1,400名は、無傷で助かっています。

そして、沖縄からの疎開船による約8万名の輸送のうち、犠牲となったのは、あの制海権を奪われた環境のなかで、対馬丸の1,418名だけです。
これは、むしろ驚異というべきです。

さらに、最後の最後まで乗員達を助けるために、命を賭けて必死の活動をした対馬丸の船員達の最後まで思いやりの心を失わずに、乗客たちを助けるためにした努力の数々と死を、犠牲者への哀悼とともに、私達は心に刻んでおかなければならないと思うのです。

歴史は、ジグソーパズルのピースのいくつかを拾っただけでは、全体像は見えて来ません。
そして全体像をみなければ、昨日の記事の対馬記念館のガイドさんのように、間違った判断をしてしまうということも、あわせて学ばせていただきたいと思います。

対馬丸の犠牲者のみなさまに、心からのご冥福をお祈り申し上げます。
そしてもうひとつ。
冨山先生から以下の文をいただきました。
=======
輸送船などに乗務し、大戦中に亡くなられた船員は約6万人、死亡率は軍人を上回る43%。戦没した船の数は7,240隻です。武器も持たず制空・制海権を失った海域で任務を全うした船員の皆さんに敬意を払いたいと思います。
=======
心からの敬意を払い、ご冥福をお祈りしたいと思います。


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コメント
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2014/08/22(金) 17:27 | | #[ 編集]
遠い昔に
この対馬丸の事件を子供の頃、少女マンガで読んだ微かな記憶がありました。
ググったら、今も読めるHPが出来ていました。

木内千鶴子
「ああ!七灘島に眠る友よ!」
http://kiuchi.art.coocan.jp/

いま読んだら、結構日本軍が悪者扱いされてる感もありますが、読んだ当時はそう受け取らず、船が攻撃を受けて沈没したことで、子供達を疎開船に乗せるよう説得して回った方が、島民から責められ、段々と正気を失っていくところなどが印象に残っています。
対馬丸が1隻ではなかったことなどは、こちらで初めて知りました。

作者は、あの当時のことをよくご存知の世代の方らしく、他に青い目の人形を題材にした漫画も載ってます。
当時の少女漫画には、たまにこういう作品が、普通に載ってました。

こういうものを読んでいた私ですが、旧日本軍を責める気など、これっぽっちも育っていません。


2013/08/31(土) 17:20 | URL | SIDO #d/CpiV46[ 編集]
こんにちは。
子供の時からの矛盾がありました。
同族が同族の非難をする、当たり前の風景。
いわゆる平和授業、図書館にある歴史書、これまた当たり前に聞いていた子供の私。
そして当たり前に書かされる作文、しかし学校から一旦外に出るとこれもまた当たり前に置かれている鎮魂碑、慰霊碑。

どうして戦争をやった悪い人達に碑を建てるんだろう?
これが幼少の時に気付いた矛盾というか、疑問です。
ささやかなものです、例えれば道端に転がっている小石のようなものですか。
気にする程のものではない、と。

しかし気にしました
子供ながらに納得いかないからです。

そこから真実が何処にあるのか、事実はどうなのか、果たして私達は歴史のバトンを正しく次世代に渡す事が出来るのか。
今だ模索しています。

ねずさんのご健康とご健勝をお祈りすると共に益々の執筆活動を応援致します。
2013/08/24(土) 12:41 | URL | 住み家 #r/TEbjt6[ 編集]
ねずさん
いつもありがとうございます。
「はだしのゲン」は遠い昔に読んだきりですが(不思議と又読みたいと思える本ではなかったので…今はなんとなくその理由が分かります)、確かに子どもには諸処の理由で読ませたくないので閲覧制限は妥当かなと思っていました。
御紹介いただいた投票ページを見て意外に制限反対の人が多くてびっくりしました。更にそのコメントにあんぐり・・・
かつての私もそうでしたが、まだまだ左翼の反日工作&教育にやられたままの人が沢山いるんだなと結構ショックです。悔しいです。
それで思わずコメントを書いてきました・・・少しでもあの戦争の本当の姿、私達の祖国や先人の皆様に思いを馳せてくれる人がいて下さればと思い、一生懸命書いてきました。ちょっとまとまりに欠けているかもしれませんが・・・
戦争の悲惨さを伝える方法は「はだしのゲン」のような本でなくても出来ると私は思います。ダイレクトにそのものを見せたり聞かせたりする以外にも、方法は沢山あると思います。
例えば特攻の人達の手紙や、残された女性達の涙、子を思う親の愛、祖国を思う兵士の愛、そんな美しいものの中にだって戦争の悲惨さを見ることは出来ると思うんです。子ども達にはそれで十分です。
原爆のことも、もっと様々な伝え方があると思うから、子どもに対しては制限してもかまわないと思います。本当の歴史を学んだ大人が読めば良いのかなと。
2013/08/24(土) 00:52 | URL | aiai #-[ 編集]
知りませんでした
私のところはもともと日教組の勢力が強い所で、対馬丸の映画も、原爆投下の映画も小中学生の時に散々見せられましたが、そのような裏事情があったなど知りませんでした・・

http://www.youtube.com/watch?v=Y83JywicfZA

その場にとどまって救助活動するには、当時こんなイージスでもなかった限り無理でしょうね。
2013/08/23(金) 22:33 | URL | 名無しさん #BQn5cGd2[ 編集]
謎解き
ねずさんおはよう御座います。

ねずさんのブログで勉強し色々と戦後の日本の歴史の間違いが解ってつくづく日本人、日本の国に生まれてよかったな~~と思える今日このごろです。

薄学な小生のまとめ、

話は飛びまくりますがご了承願います。

元寇の役に耐え、清と露の圧力にも耐え、欧米列強に追いつき
国際法を守り合法的に満州、朝鮮、台湾、南洋諸島を治める。

統治のしかたが白人とは違い大和心(神の国)の考え方での国造りをする。白人以外は人間ではないと思われた時代に。

米英は亜細亜における権益確保のため、蒋介石をつかい狡猾に日本の大陸からの追い出しを仕掛けてくる。
資源輸入国である日本に対して経済封鎖を行い、ヨーロッパ戦線でのドイツ軍に敗北間近の英国を助けるためにも、不戦を誓い大統領になったルーズベルトは米国市民を立ち上がらせ、チャーチルを喜ばせる。これでやっと私は安心して眠れる。

仕掛けられた大東亜戦、資源確保のため天皇の開戦のご聖断により南方へ進出し、白人の植民地であった亜細亜から追放する

永野修身海軍大将曰く

戦わざれば亡国、戦うもまた亡国であるなら、戦わざりし亡国は民族永遠の亡国である。

東條英機陸軍大臣兼、首相

左翼に乗っ取られた教育界で悪者あつかいされ、茶番劇であった東京裁判で吊るしあげられ、アメリカの数々の(各都市への無差別焼きつくし作戦、実験用の原爆投下、戦時国際法無視
他色々、)
天皇が信頼し、戦争反対にもかかわらず時の首相に選ばれた悲劇の人物。
知性と見識のあった首相でした。
今の閣僚諸氏どもは足元にも及びません。



2013/08/23(金) 06:26 | URL | 虎さん #-[ 編集]
韓国輸出入銀行 みずほ銀から5億ドル借り入れ
韓国輸出入銀行 みずほ銀から5億ドル借り入れ
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5171.html

 国際金融機関で用立不可能な資金を融資する「みずほ銀行」は貸付金を回収する事を考慮していないと見
るのが妥当。 自分自身が巨額の税金を投入して、かろうじて再建された「みずほ銀行」が反日
敵国の不良債権まみれの韓国は通貨スワップ協定の失効で30兆円の清算も済んでいない。
 韓国輸出入銀行に融資するとは言語道断でありみずほ銀行取締役員の善管注意義務違反の謗り
を免れない。

【株式ニュース】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/jsks/jsks.cgi
【株式ニュース】最新版タイトル一覧はこちらをクリックして下さい。
2013/08/23(金) 05:28 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
大粛清の嵐
自衛隊が強いので、あり得る話ではないですが、仮に中共が日本侵略に成功した場合、日本の左側の連中がどうなるなってしまうのか分かっているのでしょうか?日本の左翼の黒幕(親玉)は中共だと言う事は、最早誰しもが知る常識です。侵略に成功した中共は、必ずや証拠隠滅の為に日本人の左翼や手先の不逞鮮人達を大粛清し、ユートピア実現した事を中共の支那人達の手柄にすり替え(捏造)をして、綺麗事をまくし立てるでしょう。中共様の為に身を削ってご奉公したのに、最後は見るも無惨に散らされる事を分かっていないのでしょうか?歴史が証明してると思いますが…(爆)キリスト教的表現で言いますと、○獄の炎で焼かれてしまう訳です。因果応報。サヨウナラ(笑)
2013/08/22(木) 21:10 | URL | 電光石火 #-[ 編集]
訂正
×日清戦争物語
○日露戦争物語
タイトルは日露戦争物語でした。
2013/08/22(木) 21:08 | URL | #-[ 編集]
はだしのゲンの内容に吃驚しました
自分も島根県民で子供の頃に少しだけ読んだ記憶がありまして
自分が読んだのは原爆の悲惨極まりない描写だったので
今回の騒動も大袈裟だと思っていました。
あんな描写があるなんて吃驚です、子供に見せるべきではないですね。
実際、大半の人が原爆の悲惨さを書いたマンガだと思っているので
公開すべきとの意見が強いかも知れません。
またしてもメディアの偏向報道です
この国のマスメディアの腐れぶりに辟易します。
しかし、あんなものを披露するくらいなら
日清戦争物語や嫌韓流でも図書館に置いて
子供達に自由に見せた方が有益ですね。
2013/08/22(木) 20:45 | URL | #-[ 編集]
疑問点
戦乱の中で女性を強姦するのが種の保存本能なら、強姦だけでなく、その場で殺害する場合の心理が分かりません。畑に種をまいた後、すぐさま土地をほじくり返して荒らす行為に思えます。なぜなのでしょう?
2013/08/22(木) 20:00 | URL | お猪口 #-[ 編集]
はだしのゲンを小学生の頃に読みました。原爆の悲惨さが一番印象に残っていますが、冒頭の画像の場面も覚えています。私は当時それを本当だと鵜呑みにしていました。私の場合は幸いにも、それが誤解だと知る機会がありました。でも誤解したままの人(子供)も多くいることでしょう。でも槍玉にあがったこの漫画以外にも、偏向した歴史を教える人物や書物がまだまだ存在するのが悩ましいです。
2013/08/22(木) 19:53 | URL | お猪口 #-[ 編集]
はだしのゲンについて
発言小町にはだしのゲンのトピックがたっていますが、ほとんどの人がはだしのゲンを読んだほうがいい、という意見になっているようです。先日反対意見をレスしてみましたが、載せてもらえませんでした。こういった問題に普段関心のない主婦層が多く見ているサイトですので、問題点がきちんと書き込まれれば、多くの子持ちのお母様型に知っていただけるチャンスだと思ったのですが残念です。
2013/08/22(木) 18:03 | URL | メタ子 #-[ 編集]
裸足のゲンはアニメと漫画で内容が異なります。
異なると言うよりは、アニメでは表現が多少軟らかくなっています。対極に立って騒いでいる方々は恐らくアニメを見て漫画を見ていなかったり、漫画を見てアニメを見ていなかったり、戦後教育下の悪影響に影響されかつ正義感の強い人だったり、確信的に騒いでいる輩といったところでしょう。

「前半と後半では掲載紙が違う」さんの引用元にもあるとおり、漫画のほうは後半は明らかにプロパガンダでしょうが、前半は体験を通じての戦争をしてはいけないという思いを訴える内容で、誰もが当たり前に共感を持てるお話です。

マスコミがどういう意図でこれらを取り上げたのか、恐らくは「はだしのゲン」という作品を残せとかなくせとかそういう次元ではなく、騙されたままで居る正義感の強い左翼思想になってしまっている人やそれに共感を覚えてしまう方々と、正義感も強く保守的だがそういう部分まで見ていない方々とを対立させることではないでしょうか。これはまさに白か黒か、1か100か、戦後教育で育った日本人なら本質を見ることなく影響されてしまうと思います。

良い部分もあれば悪い部分もある。そこで悪い部分があるからなくすとか、良い部分があるから残すとかではなく、良い部分があるなら悪い部分だけなくして良い部分だけ残そうという考えが普通ではないでしょうか。そして騒ぎの中心となっている方もそう考えていたのでしょうが、マスコミに一部分だけを取り上げられて分断工作の材料にされてしまった。といったところではないでしょうか。

今現在存在する大手メディアが流す情報の大半は、そういう部分が隠れています。最近では地方紙などにもそういう傾向は見られます。もちろんそこに正しい方向へ導くための意図があるならば大いに結構ですが、間違った方向へ誘導するようなものばかりの現状においては、よくよく考え、その場の感情でその情報に乗せられない様にするべきだと思います。

今まで日本人は無関心という悪い部分を乗せられてもすぐ冷めるという形で回避してきたのではないでしょうか。それが昨今、色んなことが明るみになり、日本人が目覚め始め、戦前に多くの方が持っていた正しい心を取り戻しつつあります。しかし一部にはいきすぎた想いから、メディアなどの情報に乗せられ軽はずみな対立や、過激な行動に出てしまうことがあってはならないと私は思います。その先にあるのは、昨今の中東諸国等の状況ではないでしょうか。それこそがそれをしている側の思惑ではないかと・・・、考えすぎかもしれませんが、色々と思い当たる節があり、それが一連の流れの中にあるようにさえ感じられます。

ひとつ、若者向けコンテンツでは政府への反乱を促すようなもの、国への不信感が心に残るようなもの、軍隊という力への抵抗を描いたもの、過激な性表現の(いわゆる戦時中諸外国が行っていたような行為に繋がりそうな)もの、こういった描写が作品ごとにパズルのピースのように散見できます。こういったものと思春期に接することで、恐らくその人の価値観は左翼よりで反国家的な考えへとなってしまうと思います。もちろん寄るだけだと思いますが、そこへネットやメディアや教育などで反日的意図を持った情報に接してしまうと、それらがリンクし、反日に利用される左翼思想へと向かっていきます。私の場合はそこからなんとか真実の歴史などに触れることができ、目を覚ますことが出来ましたが、下手をすればそこで止まってしまう可能性も有ります。無論そういう方は正義感などからそういう情報を欲する訳なので、いずれは正しい情報に触れ、時が解決してくれるかもしれません。「はだしのゲン」の話題同様最終的にどうなることが良いのか、という風な見方をすれば、こういう許しがたい状態も、後に繋がる通過点だとも見れます。それまで待てるか待たずに強引にいくか、私は強引にいきたい派です。本心は強引にいって一気に解決しようって思います。しかし今の日本の状況でそれをすればと考えると、私達は良くても、未だに多くを知らない方々はどう受け取るのか、そこを考えなければ、左翼思想から少し脱皮した程度に留まるのではないかと、日々これらの問題を考えていた結果、今の時点ではそうではないかと思う次第です。

耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・

このお言葉の意味を考えています。

戦後から今までなのか、それとも今も尚続いているのか



2013/08/22(木) 17:34 | URL | 愛国日本!反日撲滅! #-[ 編集]
松江市の「はだしのゲン」の閲覧について、子供には刺激が強すぎる内容であること良くないから、閲覧制限を掛けることも必要です。
その前に、中身は事実なのでしょうか、
内容が正しいものであれば、歴史の真実を教えることは必要との説明も成り立ちます。
しかし、これが虚偽であったり、捏造である場合、これを教育として子供に与えることは、説明として成り立ちません。
本来ならば、作者の中沢啓治氏に確認せねばならないところですが、中沢氏は既に故人となっていますから、内容を歴史家、または研究家に精査していただき、それから判断しても良いと考えます。
著名な方でも本多勝一氏などは「中国で聞いたから、そのまま著作に書いた。」と、全く情報を検証することなく記述する方もいます。ルポライターとして全く失格の著作家ですが、その影響は極めて大きいです。
「はだしのゲン」を中沢氏が検証の上、書かれていたのならば、行政の問題ですが、事実を検証せず、聞いたことをそのまま書いていたのならば、子供の教育に全く必要のないものだと思います。
描写にあります強姦したあげく、性器に棒を突っ込むのは中国人のやることです。
余談ですが、韓国の光州事件のときは、17歳の女性の乳房を切り取ったと一般新聞に掲載されていたことを、記憶しています。
この他に、日本で起こった事件では、1989年に東京都足立区で発生した女子高生のコンクリート事件や、光市の母子殺人事件もまれに見る残酷な事件でした。


戦争は残酷です。戦争が始まったときアメリカは、無制限潜水艦作戦を宣言しました。
そして、軍艦だけでなく民間の輸送船も潜水艦の標的として行動したため、日本は多大の被害を受けました。
民間船も含める無制限の作戦の先に、広島や長崎に通じる原爆投下が含まれていた可能性も想像しますが、武器を持たない女性や子供をころせる民族性は、日本人の感覚ではついて行けないです。
大陸での三光作戦も、日本の軍隊の想像を超えていたと思います。その前に、中国軍にあって、日本軍になかったのが三光作戦ではなかったでしょうか。


ところで、鹿児島市の日教組幹部は給与の減額の代わりに、ポイント100万円分の支給を提案しています。
今年の7月にも鹿児島市は、中国春秋航空の旅客が少ないことから、市職員と教職員1000名を上海に研修名目で派遣しました。
鹿児島市は余程、予算が潤沢なのでしょう。地方交付金は不用として、給付する必要が内容に思います。


民主党の海江田氏及び枝野氏は、東京電力福島第一発電所事故の対応を巡る業務上過失致傷などの容疑で告発されていた、東京地検からの出頭要請を受け入れて事情聴取に応じました。内容は、おそらく無罪を主張するのでしょうが、国民として許す気にはなれません。
しかし、海江田及び枝野氏の他にもう一人、菅元首相は事情説明の説明書だけで済まそうとしています。菅氏は元首相が聴取に応じたら、今後要請される首相は皆が応じなければならならないと拒否していますが、逆だと思います。元首相が応じれば、今後、疑問を持たれた首相は皆、出頭するのです。
さすがは第4列の男、逃げることしか頭にありません。
彼からは、東京電力のことだけでなく、「市民の党」への6,300万円の献金のことも、聞き出していただきたいと思います。
2013/08/22(木) 16:34 | URL | ポッポ #-[ 編集]
作業の休憩中に読ませていただきましたが、涙が自然と流れてきました。
私も日本人として誇りをもち、先人達に恥ない生き方をしていきたいです。
2013/08/22(木) 14:20 | URL | #-[ 編集]
<韓国製品不買運動を!>

韓国はGDPの輸出依存度が50%と異様に高いです(日本は10%台)
そのため、韓国製品が売れないことは韓国経済に大打撃となります。
サムスン、ヒュンダイ、LGなど有名どころの不買はもちろんですが、
普通にスーパーや100均などに置いてあるものにも韓国製品があります。

見分け方は、バーコードの最初の数字を見て「880」のもの。
その前後の番号は親日的な国が多いので、どんどん買ってあげましょう。

869 トルコ
87 オランダ

880 韓国←×

885 タイ
888 シンガポール
890 インド
893 ベトナム
899 インドネシア
2013/08/22(木) 12:45 | URL | junn #p4GOlP7Y[ 編集]
戦争はどんな卑怯な手段を使ってでも勝たねばならない、鬼畜アメリカのやった悪魔の所業を絶対忘れてはなりません!それ以上にたちの悪い野蛮国家が我が国に隣接し、過去、現在、未来にわたり我が国を貶めようとしていること、あわせて我が国の中に売国勢力がのうのうと存在していること、こと何かあった場合、鍛えに鍛えた老骨鉄拳がさく裂することを宣言いたします。・・長生き出来そうにありませんね・・
2013/08/22(木) 12:08 | URL | 団塊の世代の後輩 #-[ 編集]
何年か前に「」はだしのゲンの録画を見たことがあります
正直あまり覚えていません。覚醒もしていませんでしたから。しかしながらこんなに酷かったかなと、納得がいきませんでした。

多分この映画を見た人たちが反対に廻っていて、漫画本の内容は知ってはいないのではないかと。ユーチューブで答えている方たちの表情から窺えました。

今日これを読んで謎が解けました。前半と後半の掲載誌が違うのですよ!


http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130821-00010000-agora-soci

朝鮮鬼畜は日本解体の道具になると踏み早速利用したということなんですね! 拡散をお願いします。


2013/08/22(木) 11:18 | URL | 前半と後半では掲載誌が違う #-[ 編集]
何年か前に「」はだしのゲンの録画を見たことがあります
正直あまり覚えていません。覚醒もしていませんでしたから。しかしながらこんなに酷かったかなと、納得がいきませんでした。

多分この映画を見た人たちが反対に廻っていて、漫画本の内容は知ってはいないのではないかと。ユーチューブで答えている方たちの表情から窺えました。

今日これを読んで謎が解けました。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130821-00010000-agora-soci

朝鮮悪魔は余念がない常に日本解体方法を探し実行する!

2013/08/22(木) 11:11 | URL | #-[ 編集]
以下は未発達な共産主義の考え方です。

>戦いの前に、子を残すために女性の胎内に放出して子孫を残そうとする本能がはたらく男性と、これを受け止めて安全なところで子を産みたいという本能が働く女性。

少なくとも先進国では排泄行為と相手ある性行為は同列ではありません。

人間は哺乳類ですが、動物と人間は違います。

現代の医学的な見解では、排泄のコントロールはほぼ可能だということがわかっています。

今後は生物学的だけでなく、哲学的な見地も含めて解説をお願いします。






2013/08/22(木) 10:32 | URL | 北米在住者 #-[ 編集]
やっぱり歴史は、全体像を見なければ分かりません
この対馬丸で疎開中の学童たちが犠牲になった事件については、私も良く知っていましたが魚雷攻撃により沈没させられたという、部分的な知識だけで、それまでの全体的な経緯は不明のまま単に、そういう事例があったというだけのものでした。

対馬丸記念館のガイドのように、サヨクはこの部分だけをことさら取り上げて、さも民間人を護衛すべき日本海軍が見捨てたというような認識を白紙の見学者に植え付けようとしたのですね。

それにしても沖縄からの疎開船による8万名の輸送のうちで、米海軍潜水艦の犠牲になったのは、対馬丸の1,418名だけだったとは、よくそれだけの犠牲で済んだものだということで、やっぱり全体像を見なければ分からないものだと痛感しました。

それからこのたびのお話の中で、<「沖縄県が戦場とならないために」もちろん最大限の努力はする。けれど、戦闘はこちらが望んで起こすものではないのです。こちらの事情に関わりなく、相手が相手の都合で、攻めて来る。>・・・と仰っていますがまさに正論です。

このことをシャミンや、反戦平和主義者、いわゆる進歩的文化人たちは全く理解していないのです。
兵器や軍備がなければ相手は攻めてこない、国際間の問題は話し合いで・・・などと言っているやつらは、それこそ「○コウ○カ」の典型だと言えるでしょう。

それにしても当時の沖縄県知事であった、泉守紀というやつは、どうしようもない国賊ですね。その後、どうなったのですか?
いけしゃぁしゃぁと何も罰せられず生き延びたのでしょうか??

また当時の軍の疎開勧告に対して悩んだという沖縄県民の気持ちも、このたびのお話で良く理解できました。どうも有難うございました。

2013/08/22(木) 10:24 | URL | terag3 #KVPRtAI6[ 編集]
対馬丸の話しは、その前後の経緯を含めて、正しく日本人の記憶に留めて行くべき話だと思います。
それに対して、先日のTBSドラマは、島田一人を持ち上げて、軍と、その関係者を貶めるという最悪のドラマを「ドキュメント」と称して放映するというもので、怒りを覚えました。
船も油も無い当時、あれだけの船腹を使って疎開を推し進めた政府や軍の幹部、そして命を掛けて疎開船を守り続けた護衛艦船の乗員には、頭が下がります。
2013/08/22(木) 09:54 | URL | 水雷艇 #8l8tEjwk[ 編集]
ねずさん、更新ありがとうございます。年々民度が低くなっている韓国が、オリンピックの日本共同開催を画策しています。もういい加減、日本から離れてくれないかな。 腹では日本の悪口を言い、外面だけ良くして日本から経済援助を受けようとする、韓国人の功利性丸出しじゃないですか。
恥を知れ! まあ、言っても無駄か。
2013/08/22(木) 09:41 | URL | ひろし #-[ 編集]
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小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
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私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

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