アクセスランキング

敷島の大和心を人問わ(は)ば 朝日ににおう (ふ) 山桜花(本居宣長)。日本は天皇を国家最高権威とし、民を「おほみたから」とする「シラス国」です。


ソ連南下と真岡郵便電信局事件

■ねずさんのひとりごとメールマガジン有料版
http://www.mag2.com/m/0001335031.htm

【警告】ねずです。
 ブログ「近野滋之・民族主義者の警鐘」様において、私のブログ「関係者」を名乗る人物が、私のブログの人気ランキング投票と、近野先生のブログの非投票を呼び掛けているそうです。そのような行為は近野先生とっても私にとっても、極めて迷惑です。即刻止めて下さい。続くようなら法的措置をとらせていただきます。


人気ブログランキング
 ↑ ↑
応援クリックありがとうございます。

九人の乙女
九人の乙女


真岡郵便電信局事件(まおかゆうびんでんしんきょくじけん)というのは、昭和20年8月20日、すでに終戦の詔勅も発せられ、日本が戦闘を終結させていたはずのこの日に、日本領であった南樺太にソ連軍が侵攻してきたことによって、最後まで本土との通信回線保持のために職務をまっとうした女史電信職員9名が集団自決した事件です。

まず事件の背景を簡単に振り返ってみたいと思います。

ソ連は8月9日に、いきなり日ソ不可侵条約を破って満州、樺太、アリューシャン列島にまで攻め込みました。ソ連はそのままの勢いで、北海道や朝鮮半島全域まで、自国の領土に収めようとしたのです。

ところがそのソ連に対して、日本は日ソ不可侵条約をもとに、米国との講和のための仲裁役をはたらきかけていました。そのことが、なにやら日本外交の失敗であったかのようにいわれていますが、では、そもそもなぜソ連はアジア東部に関心を抱いたのでしょうか。

第二次世界大戦は、昭和14(1939)年のヒットラー率いるナチスドイツのポーランド侵攻にはじまりました。
そしてフランスなども支配下におさめたドイツは、次にソ連に侵入しています。
ところがドイツの対ソ戦で、初戦で快進撃をしていたドイツは、スターリングラードの戦いを契機に、突然、敗退をしてしまう。

ところがこれについて、相当近代史に詳しい方でも、「ドイツが冬将軍にやられたせいだ」と思いこまされているようです。
けれども、これはおかしな理屈です。
なぜなら冬の寒さは、ソ連にもドイツにも、両方に均等に襲いかかってきているからです。
なにもドイツ軍にだけ冬が来たわけではありません。

ではなぜドイツが敗退したのかというと、実は経済の問題です。
当時のソ連は、まだロシア革命から日も浅く、内乱が繰り返されていた時期です。
その内乱鎮圧のためにスターリンが暴力といってよい武力で国富を独占し、独裁権を振るっているだけで、まともな経済運営なんてありません。
ですからドイツが攻めてきたとき、ソ連は、ドイツに対抗に必要な軍備さえ、実は整っていません。

国の経済というものは、民需が拡大して発展するのが普通の姿です。
ところが当時のソ連経済は、簡単にいえば暴力団経済と同じです。
末端組員から幹部へ、幹部から組長へと、常に冨が吸い上げられる。
ですからトップは、組織が拡大すればするほど、裾野が広がった分、大金持ちになりますが、大多数の末端の
構成員は、常に貧しいままに据え置かれます。
ですからソ連は、労働者の共同対社会である共産主義を標榜していましたが、実態はまさに権力者のための搾取社会となっていたわけです。

ところがそのために内乱を繰り返していたソ連は、第二次世界大戦がはじまった時点では、世界の極貧国です。
戦車や戦闘機などの近代兵器を整えるのに必要なカネがない。
ですからソ連軍の装備は、ひどいものでした。

一方ドイツは、もともと昭和4年の世界大恐慌のあと、世界中の経済がデフレに陥ったなかにあって、さらに第一次世界大戦の賠償の支払をしていましたから、その不況はたいへんに深刻なものでした。
ヒットラーがナチス党を立ち上げたころ、ドイツ国内の失業率は、なんと43%です。
国民の二人に一人が失業者だったのです。

ですからヒットラーは、国家による完全雇用を政権奪取のための約束事とし、実際ヒットラー政権が誕生すると3年後には、失業率はほぼゼロにまで至っています。
このときヒットラーが何をしたかというと、実は、いち早く不況から脱出した日本の経済運営を、すっかりコピーして真似ただけです。

何を真似たのかというと、不況が蔓延して民間がお金を遣えない状況に至り、国の経済が沈滞化しているのですから、国自体が率先して公共事業を興して経済の振興を図ったわけです。
そもそもデフレ不況は、いまの日本もそうですが、人間の身体でいえば、血液(お金)が足らなくなった貧血状態をいいます。
貧血なのに血を抜いたり(通貨供給量を減らす)、貧血だからと手足を切り捨てて身体を小さくしたり(構造改革、公共工事削減)などをすれば、死に到る。あたりまえのことです。

これに対してヒットラーは、新型兵器の研究開発、アウトバーンの建設、公共施設の建設、ドイツ軍の強化などに、まさにじゃぶじゃぶとお金をつかい、結果、ヨーロッパでいち早くデフレから脱却を果たしたわけです。
そして、さらなる需要の拡大のために、周辺国にまで手を伸ばしはじめていたわけです。
ですからナチス・ドイツがなぜ強かったのかといえば、それは要するに経済の拡大によって、まさに近代兵器の宝庫とまでいえる軍事体制を築いていたことによります。
そしてそのドイツ軍がソ連に侵入したわけです。

新型の兵器を整えたドイツ軍と、粗末な軍備しかないソ連軍。
闘いの初戦で、ドイツが圧勝したのは、あたりまえです。

ところが、このままドイツがソ連を奪えば、ヨーロッパは、ことごとくドイツのものになってしまう。
このことをもっとも危惧したのが、英国のチャーチルです。
そしてチャーチルは、米国のルーズベルトに、打開を依頼しました。
そしてルーズベルトが行ったのが、115億ドルという途方もない金額のソ連への貸付けです。

115億ドルといえば、1ドル=360円だった昔の為替相場で4兆1000億円です。
当時の貨幣価値に換算すれば、いまのお金にして100兆円を超える大金を、米国はソ連に貸したのです。
日本の自衛隊の国防費が、年額で4兆円程度しかないことを考えれば、その額がどれだけすさまじい金額か、おわかりいただけようかと思います。
カネだけではありません。
ルーズベルトは、アメリカが巨費を投じて開発した戦車や戦闘機などの設計図面から、それらを造るための技術者までソ連に派遣しました。

もともと国家の財源が、すべてスターリンのフトコロにはいってくる体制を作っていたのです。
そこへいまのお金で言ったら100兆円相当のお金と技術者がやってくれば、いやおうなくソ連の軍事力は強化されます。
おかげで短期間でソ連は近代兵器を整え、その軍備をもって、スターリングラードに釘付けておいたドイツ軍を破ったのです。

ドイツにしてみれば、青天の霹靂です。
昨日までやたら人数が多いばかりで、装備の貧弱なソ連軍が、いきなり近代兵器の大軍を前線に繰り出してきたのです。
ドイツは敗退し、ソ連は追いかけ、ついにはベルリンまで制圧してしまう。
ちなみにこのときソ連は、街や村を占領したら、その土地の女性を強姦して良いというお触れを、兵士達に出しています。
おかげで、当時、ベルリンの女性の5割が強姦被害に遭っています。

こうして第二次世界大戦のヨーロッパ戦線を制したソ連は、新たに造った兵器と、新たに雇ったソ連軍兵士達が大量に手もとに残ったわけです。
で、その余った兵力をもって、今度は東・・・つまり満洲、樺太、千島列島に進攻してきたのが、ソ連の対日参戦です。

このときソ連が動員した兵力は、戦車5千輌、兵力157万人です。
ひらたく言えば、武装した157万人の飢えたケモノに、満洲、樺太、千島列島というエサを与えたのです。
このソ連軍の東洋進出は、なんの「挑発」も受けていないのに、いきなり条約を破棄するという暴挙までして襲いかかった行為です。
先にも書きましたが、「挑発」されて自衛のために武力を行使(アタック)するのは、本来的な自衛権、生存権の行使です。
けれども「挑発」されてないのに「攻撃(アタック)」するのは、侵略です。
ですから、ヨーロッパ戦線におけるソ連の軍事行動は、防衛戦として正当化できるものですが、東亜への軍事行動は、明らかな「侵略行為」です。

さらに申し上げると、戦争が終わったあとのソ連も最悪です。
アメリカは、ソ連に115億ドルを「貸した」のですが、本来、借りたものは返さなければなりません。
ところが、スターリンは、この115億ドルをソ連の軍拡のために遣ってしまっています。
つまり、もう、ない。
一方、借金の返済には、国内経済の振興による産業の育成が不可欠ですが、これもない。
つまり、借金を返すアテも、返すカネもない。
あるのは、157万人もの武装した飢えたケモノ集団だけです。

そこでスターリンが何をはじめたかというと、アメリカと対峙し、冷戦をひき起こしたのです。
なぜ米ソの対立が起こったのか。
簡単な理屈です。
借金の踏み倒しを図ったのです。
すこし先の時代まで行ってしまいましたが、以上が、ソ連の対日参戦前後のおおまかな流れです。

さて、そのソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破棄して、昭和20年8月9日、突然、満州国境を侵略し、千島列島の国境を越えてきたわけです。

日本は、ソ連の侵攻を知ると、8月13日には、樺太でも緊急疎開を開始しました。
15日正午には、玉音放送が流れ、大東亜戦争が終結していますが、それでもソ連が侵攻してきている以上、とにもかくにも樺太に残留する邦人を、特に女子供を優先して本土に疎開させなければなりません。

ところがこの疎開用の輸送船を狙って、ソ連の潜水艦が攻撃をしかけています。
この攻撃によって、疎開しようとしていた1700名の日本人乗員が殺害されています。8月22日のことです。
輸送船を撃沈するというのは、明白な戦時国際法違反です。

集団疎開は23日まで続くけれど、その危険な航海に、日本の船の乗員たちは勇気をもって挑み、短期間に約8万7000人を北海道へと輸送し、脱出させています。実に勇敢な行為です。
そしてこの輸送を成功に導くために、絶対に欠かすことができないのが本土との通信連絡網の確保です。

当時、樺太と日本本土の間には、電話線が引かれていました。
そしてその電話は、郵便局にいる電話交換手の女性たちが、手作業で回路の接続業務(電話交換業務)をしていました。

さて、時計の針を少し戻します。
8月16日の朝のことです。
樺太の真岡市にあった真岡郵便局で、朝礼が行われました。

その朝礼で、交換手の主事補だった鈴木かずえさんが、部下の女性交換手たち次のように話しました。
=========
政府から、特に女性たちを優先して緊急疎開させるようにと、疎開命令が出ています。
でも、その疎開を効果的に実現するためには、電話交換業務を継続しなければなりません。
そこで、残って交換業務を続けてくれる人を求めます。
ただし、すぐに返事は聞きません。
全員、一度家族と相談したうえで、返事を聞かせてください。
==========

かずえさんのこの言葉に、その場にいた女性交換手全員が手を挙げて、「私は残ります」、「私も残ります」、「私も残らせて下さい」とこたえたそうです。
みんな、17歳から24歳の、若い女性たちです。

かずえさんは、みんなのその気持ちが嬉しく、しかしみんなを危険にさらさせるわけにいかず、目に涙を浮かべながら言いました。
「みなさん、今日は、希望者は募りません。家に帰り、一度家族と相談してから、残るかどうかを班長に伝えてください。」

現実問題として、ソ連兵が来たら、何をされるかわからないのです。
「残る」ということは、最後は「自害する」しかない。
だから、自分ひとりで決めちゃいけない。あくまで家に帰って、親と相談してから、あらためて希望者は名乗り出てください、と鈴木かずえさんは締めくくりました。

斉藤春子さんは、妹の斉藤美枝子さんと、ふたりで、電話交換手として働いていました。
斉藤姉妹は、二人とも、残留を志願しました。
娘たちを想うお母さんは、真岡郵便局長に電話をかけました。
「娘二人とも預けたままでは、引き揚げられない。だから、どうしてもひとりだけでも連れて帰らせてください。」

18日、上田局長は、斉藤姉妹を呼び出して母親からの電話のことを伝え、「美枝子さんと二人で相談してどちらか一人引揚げるようにしてください」と告げました。
姉妹は互いに、自分が残ると押し問答を繰り返したといいます。
そして言い合いの後、姉が母と帰ることになりました。
そんな姉妹の姿を黙って見ていた上田局長は、残留の決まった妹の美枝子さんも、母と姉の乗る復員船の出航に間に合うように、帰しています。
こうして最終的に、真岡郵便電信局には、17歳から24歳までの20名の乙女たちが残りました。

8月19日の朝、人数の少なくなった真岡郵便局は、電話交換手を平常の三交代制から、非常勤務体制である二交代制に体制を組み替えました。
電話交換手の女性たちは、上野班と高石班の二つに分けられました。

午後7時、最初の夜勤当直班として、高石班11名が勤務に付きました。
この時点で、真岡郵便局にいたのは、平井茂蔵電信主事他、男性職員6名、女性職員が14名です。
高石班11名は、電話交換業務を行う奥の建物にいました。

翌朝7時33分、ソ連の軍艦が真岡付近にやってきました。
港に近づいたソ連軍艦は、なんの布告もなく、いきなり猛烈な艦砲射撃を行います。
そしてソ連軍の上陸用艇が、真岡に上陸する。

南京のことがよく取り沙汰されますが、南京城攻略の際、総大将の松井石根大将は、南京城を包囲したあと、なんと1週間もの間、城内に向かって、降伏と軍人以外の一般市民の退去を呼び掛けを行い、その間、一切の攻撃をせず、一般人の避難のための時間を相手に与えています。
戦いに際し、一般人への被害を極力少なくしようとしたからです。
これが日本の姿勢です。

便衣兵などと呼ばれ、女子供まで一般服に身を包みながら、日本軍が近づくといきなり発砲して日本兵に損傷を負わせる。そんな卑怯なルールを無視した支那兵に対してでさえ、日本は出来うる限りの温情をかけ、一般人の被害が出ないよう最大限の配慮をしていたのです。
ところが真岡にやってきたソ連軍艦は、近づくや否や、いきなり艦砲射撃を一般人に向けて行ないました。
多くの真岡市民は、防空壕に入る間もなくこの艦砲射撃で命を失っています。

どうにか艦砲射撃を逃れた真岡郵便局の高石班長は、上田郵便局長他、局幹部に電話で緊急連絡を行い、職員全員に非常招集をかけました。
本土への応援(救援)の依頼等に際して、電話交換業務が混みあうことが予期できたからです。
地震や台風などのあと、電話回線がパンクするのを想像したら、事情はおわかりいただけようかと思います。

局員たちは、急いで郵便局に向かいました。
ところがその頃には、すでにソ連兵が市内に上陸しています。
彼らは動くものを見れば、片端から銃撃する。
武器を持たない丸腰の日本の民間人でも、容赦はありません。
見つけ次第殺し、屋内に侵入しては強姦や略奪を始めていたのです。
混乱の中で、郵便局に出勤途上の上野班の電信受付の折笠雅子さんも、ソ連兵によって射殺されています。

艦砲射撃やソ連兵の銃撃を避けて、途中の防空壕に避難した職員が、壕の中に手榴弾を投げ込まれて次々爆死しています。
そのときの様子を、混乱の中でからくも助かった上野班の藤本照子は、後に次のように証言しています。
「決死隊の一員として、空襲の時はすぐ郵便局へ行くことになっていたのですが、ソ連兵がどんどん上陸し始め、実弾が飛びかい、とても無理でした。」
まさに、猛攻がおこなわれていたのです

上田郵便局長も郵便局へ向かいました。
けれど、手当たりしだい一般市民を虐殺するソ連兵の前に、とりあえず付近の建物に避難しました。
するとその建物には、局長の他5~6名が、先に避難していました。

建物内に郵便局長の姿を見つけた真岡署の木村巡査部長は、局長らを救出しなければならないと、上田郵便局長が隠れている建物に向かって走り出しました。
ところがあと一歩で、建物にたどり着くというときに、ソ連兵の銃弾によって、後ろから撃たれてしまう。

自分たちを助けようとしにきた木村巡査部長が目の前で倒れたのです。
上田局長は、なんとか彼を建物の陰に引きずり込もうと、路上に飛び出しました。
すぐあとを同僚の局員が続きました。
その二人をみつけたソ連兵が、また発砲しました。

上田局長は、左手に貫通銃創を負い、もうひとりは右足に盲管銃創を負って倒れてしまう。
血だらけになった局長の姿を見て、一緒にいた若い男が、棒の先に白布を縛り付け、ソ連兵に降伏の意思表示をしました。
その場の全員がただちにソ連兵によって拉致される。

さらに真岡郵便局では、平屋建ての本館と、奥の2階建ての別館があったけれど、本館は艦砲射撃で破壊され、そこにいた全員が死亡してしまいます。
こうして、指揮系統を失った電話交換手の女子11名だけが取り残されたのです。

彼女たちは、ソ連の攻撃が始まってからも、各方面からの電話交換業務を1時間以上も継続しました。
けれど、はじめのうちは遠くにあったソ連兵の銃撃の音が、どんどん間近に迫ります。
さらに表側にあった郵便局本館が吹き飛ばされる。
もはやこれまでと悟った彼女たちは、本土に向けて最後のメッセージを送りました。
それが、
「皆さんこれが最後です。さよなら、さよなら」というものです。

11名の女子は、この電文のあと、全員足を縛り、手にした薬包紙に包まれた青酸カリを口にしました。
ソ連兵が電話交換室に乱入してきたとき、そこに裾が乱れないように足を縛り、きれいに並んで死んでいる11名の乙女たちの姿があった。

その凄惨さに、さしものソ連兵にも人の心が息を吹き返しました。
ひとりひとりの状態を丹念に調べ、まだ息のあった女性二人を救出しています。
けれど残りの9名は、そのまま還らぬ人となってしまいました。

このことから、戦後、アホな学者などが、真岡郵便局の女性たちは、何も死を選ぶ必要がなかった。なぜなら2名の女性は、ソ連兵によって救助され、命を永らえているではないか、彼らは悪魔ではない、などといい加減な議論をしている者もいるのだそうです。

そういう学者たちは、通化事件その他、満蒙で起こった事件にほおかむりしています。
ソ連兵にとって強姦は戦利品のようなものです。
青酸カリを飲んで、仮死状態になっている女性では、ソ連兵にとっては戦利品となりえなかったというだけのことです。
残酷だけれど、それが事実です。

ちなみに、大正9年5月に、いまではロシアのニコライエフスクと名前を変えた尼港で起こった尼港事件では、露・支・韓人の混合パルチザンが、日本人の民間人121名を殺害しています。
ここでは、日本人は生きたまま両目を抉り取られ、5本の指をバラバラに切り落とされ、死ぬまで何度も刺されて殺された。
そして金歯があるものは、生きたまま顎(あご)から顔面を裂かれて、金歯を抜き取られ、女は裸にされ、死ぬまで強姦された上で、股を裂かれ、乳房や陰部を抉り取られて殺されています。

このとき、酸鼻をきわめた現場の壁には、血痕や毛のついた皮膚などがこびりついています。
≪参考:尼港事件≫
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-542.html

このような危険が間近に迫ったとき、真岡郵便局の乙女たちが、おのれの人間としての尊厳を守るために、他にどういう選択肢があったのでしょう。

彼女たちのご冥福を祈り、昭和天皇と香淳皇后は、御製を残されました。

【昭和天皇 御製】
 樺太に命を捨てし たおやめの
  心思えば 胸せまりくる

【香淳皇后陛下 御歌】
 樺太につゆと消えたる おとめらの 
 みたまやすかれと ただいのりぬる

この事件は、後に「氷雪の門」というタイトルで映画化されました。
その冒頭のナレーションです。

========
樺太(からふと)・・・
いまはソ連の支配下にあり「サハリン」と呼ばれているこの島は、ともすればもう、人々の記憶から遠ざかろうとしている。

だが、今日もこの海の向こうに見えるあの樺太は、多くの人々にとっては、いつまでも懐かしく心を去らない故郷(ふるさと)である。
また、ある人々にとっては、父や母や子供を失った悲しみの土地でもある。
その思いをとどめようとするために、ここ北海道稚内市稚内公園に、ひとつの門が建っている。

この白御影石を使用した十メートルあまりの二本の塔。
その下に、厳しい樺太の風土に耐えて生き抜いた人々をあらわす女人像。
これは「氷雪の門」と呼ばれている。

この碑文には、次の言葉が刻まれている。
・・・・・・
人々はこの地から樺太に渡り、樺太からここへ帰った。
戦後はその門も固く閉ざされた。
望郷の念止みがたく、樺太で亡くなった多くの同胞の霊を慰めるべく、
肉眼で樺太の見えるゆかりの地の丘に、
この塔を建つ
・・・・・・・

またその近くに、いっそうの屏風のように形作られた九人の乙女の碑。
「皆さんこれが最後です。さようなら」
この言葉の意味を知らない人は多い。
また、初めてこの碑の存在に気付く人も。

そして傍(からわ)らの碑文を読む人は、これが樺太西海岸真岡町、真岡郵便局電話交換手九人の、最後の言葉であることを知るだろう。
=========

九人の乙女の碑
九人の乙女の碑


この映画は、昭和48(1973)年に撮影され、翌昭和49(1974)年に上映開始予定となりました。
ところが、同年3月7日、モスクワで、モスフィルムという会社の所長がたったひとこと、
「非常にソビエトにとって面白くない映画が日本で公開されようとしているのは理解に苦しむ」と発言したことで、予定されていた全国での映画配給が、いきなり中止になりました。
上映されたのは、北海道と九州の一部の映画館が、わずか2週間ほど公開しただけです。
映画はお蔵入りになりました。

真岡の郵便局で、尊い命を捧げた9人の乙女たちの命より「人類の理想の国家ソ連」への礼賛が、戦後反日左翼主義者たちには大事だったのです。

けれども彼らが礼賛したソ連がどういう国だったのか、ソ連崩壊を目の当たりにしてきたいま、世界中の人が、その事実を知っています。

真岡郵便局でお亡くなりになった九名の乙女たちです。
 高石ミキ   24歳 
 可香谷シゲ 23歳
 伊藤千枝  22歳
 志賀晴代  22歳
 吉田八重子 21歳
 高城淑子  19歳
 沢田きみ  18歳
 渡辺 照   17歳   
 松崎みどり 17歳  

============
【碑文】
8月20日、ソ連軍が真岡上陸を開始しようとした。
その時突如、日本軍との戦いが始まった。
戦火と化した真岡の町、その中で交換台に向かった9人の乙女らは、死をもって己の職場を守った。
窓越しに見る砲弾の炸裂、刻々迫る身の危険。
今はこれまでと死の交換台に向かい
「皆さんこれが最後です。さようなら、さようなら」
の言葉を残して、静かに青酸カリを飲み、夢多き若き花の命を絶ち、職に殉じた。
============

ひとつだけ、大切なことを加えておきます。
南樺太は、日本領であり、戦前まで日本人が入殖していました。
もともと、樺太は北海道より北側の、緑も何もない荒涼とした赤土の大地でした。

みなさま、機会がございましたら、是非、google MAPの航空写真で、その樺太を見てください。
日本領だった南半分だけが、いまでも緑の大地となっています。
日本人が、冷たい寒帯の島で、土を耕し、たくさんの木を植えたからです。

その緑が、いまでも南樺太の大地に育っています。

真岡郵便局の乙女たち、そして我が国北方領土ででお亡くなりになった皆様のご冥福を捧げ、このお話を皆様にお送りします。

【参考】≪映画「氷雪の門」オフィシャルサイト≫
http://hyosetsu.com/index.html

人気ブログランキング
 ↑ ↑
応援クリックありがとうございます。
励みになります。

映画「氷雪の門」
あの時のことは、何故忘れ去られたのか?(1/13)


(2/13)(3/13)(4/13)(5/13)(6/13)(7/13)(8/13)(9/13)(10/13)(11/13)(12/13)(13/13)

【メルマガのお申し込みは↓コチラ↓】
ねずさんのひとりごとメールマガジン有料版
最初の一ヶ月間無料でご購読いただけます。
クリックするとお申し込みページに飛びます
↓  ↓
ねずブロメルマガ

日心会メールマガジン(無料版)
クリックするとお申し込みページに飛びます
↓  ↓
日本の心を伝える会 日心会
拡散しよう!日本!


ねずブロへのカンパのお誘い
ねずブロで感動したら・・・・
よろしかったらカンパにご協力ください。
【ゆうちょ銀行】
記号 10520
番号 57755631
【他金融機関から】
銀行名 ゆうちょ銀行
支店名 〇五八(店番058)
種目  普通預金
口座番号 5775563
【問い合わせ先】
お問い合わせはメールでお願いします。
nezu@nippon-kokoro.com
関連記事

コメント
ありがとう、感謝です。
まず、最初にタイトルにもありますように、お礼を述べさせていただきたく思います。
ねずさん、本当に有難うございます。このブログは大変勉強になります!とはいえ、まだ数件しか記事を読んでいないのですが、追って読ませて頂きます。


私の両親ともに戦前の生まれで、父の実家は瀬戸内海に浮かぶ島のひとつにあり、また母の実家は東北の田舎でして、どちらも直接空襲は受けてないものの、父は海の向こうの広島市、母は山の向こうの某市が空襲を受けるのを見ており、その話を幼いころ聞かされました。
小学校の時、対馬丸の映画(アニメ)を観ておりましたのでブログ内の「対馬丸事件」を読み、思い返されました。
また小中高等学校の社会の授業では第二次世界大戦のことを勉強してきました。
戦争についてしっかりと触れる機会は少なかったのですが、一貫して思っていたことは「戦争は二度と起こしてはならない」ということです。
高卒で就職してから働きづめ、バブルを経験し、20代後半で結婚し、お次は育児に追われ・・・と、40を過ぎた今日までゆっくりと世の中のことを考える時間がなかったのですが、子供もやっと手のかからない年齢に成長し、家事の合間のネット閲覧を楽しんでおります。
昨今、尖閣諸島・竹島の領土問題やら慰安婦問題、韓国、中国の反日関連のニュースを目にしない日がなく、また日本のメディアも中国、韓国の悪い記事があれば大々的に掲載する風潮があるように思います。
本日、このブログにたどり着いたきっかけは某サイトで
「オランダ人女性の慰安婦事件」の記事を読み、そこに
「元々植民地だったインドネシアの人々に対して蛮行を繰り返していたオランダ人のほうがひどい」というコメントを見て
「インドネシア 植民地」で検索した結果です。

そして、元々音楽好きの私は「ヤマハさんと河合さん」のタイトルを発見、すぐに楽器の話?ととびつきました。次に「対馬丸事件」。次に以前少しだけTV番組で見て記憶にあった「真岡郵便通信局」。
これらを読み、再度思ったことは
「やはり、二度と戦争は起こしてはならない」。
ですが付け加えて
「悪い歴史は二度と繰り返さぬよう、次の世代に教えさとす、と同時に素晴らしい歴史も伝え話していかねばならない、特に今のこの便利な世の中、平和な日本は誰がどんなことをおこなってそうなったのかということを子供達全員に知ってもらいたい、いや母親である私は知らせなければならない、教えてゆくのが使命だと。」

そう、強く思っております。
他にもいろんなことを書きたくなりますが、今日はこのへんで。
お読み頂き、有難うございました。
2013/09/19(木) 15:51 | URL | 3児の母です #hhJmrJr2[ 編集]
はじめまして
はじめまして、NIHEY!(にへい)と申します。
いつもブログを興味深く拝見しております。

私はこの九人の乙女の碑が建つ稚内出身で今も住んでおります。
この事件は職務に殉じ、純潔を守ったうら若き女性たちの悲劇であり、ソ連が罪のない日本国民を殺したという理不尽な出来事として、我が街では慰霊祭も開かれており、私自身、親が電電公社(現NTT)に勤めていたことから、この出来事は決して人事ではなく、許すことのできないことだと思っております。

私が放送研究会に所属していた大学時代にこの出来事をラジオドラマ化しました。
少しでも多くの人にこの悲劇を知って欲しかったからです。
案の定、聴いてくれた人の感想で「知っていた」という人はほとんどいませんでしたが、微力でも聴いてくれた人の意識に刻んだだけでもよかったと思っております。

この出来事はよく「ひめゆりの塔」と比べられますが、この事例の持つ辛さの優劣はつけられません。
どちらも辛い出来事からです。
しかし、先生がこのように紹介していただいたことで、当地における歴史の真実を見つめる機会となれば、ありがたいです。

稚内は経済的な日露の結節点として友好を標榜しています。
しかし私はこの出来事と、調べれば調べる程に出てくる戦後教育の歴史観・国家観の異常さが頭に残り、腑に落ちない何かを感じます。

2013/08/22(木) 21:02 | URL | NIHEY! #-[ 編集]
独ソ戦について
失礼ながら、ねずさんの今回の記事中の独ソ戦に関する記述について疑問があります。

>ドイツの対ソ戦で、初戦で快進撃をしていたドイツは、スターリン
>グラードの戦いを契機に、突然、敗退をしてしまう。

ドイツ軍の快進撃は、開戦から1年もしない最初の冬に終わってしまいます。モスクワの戦いにおいて、ドイツ軍はジューコフ将軍率いるソ連赤軍の前に撃退されてしまいました。

>ところがこれについて、相当近代史に詳しい方でも、「ドイツが冬
>将軍にやられたせいだ」と思いこまされているようです。
>けれども、これはおかしな理屈です。
>なぜなら冬の寒さは、ソ連にもドイツにも、両方に均等に襲いかか
>ってきているからです。
>なにもドイツ軍にだけ冬が来たわけではありません。

失礼ながら、牽強付会な印象を受けますね。ドイツ側は短期決戦のつもりで、冬の戦闘に向けた装備も録に用意もせず、冬の厳しさを熟知していた地元で戦えるロシアの白熊の前に敗れ去ったのです。

独ソ戦開戦時のソ連側の装備では全くドイツ軍に歯が立たないとのことですが、開戦時には既にT-34戦車も配備されていました。ドイツ軍が初戦で赤軍を圧倒できたのは、奇襲効果もありソ連軍側も未熟であったせいだと思います。

また、米国がソ連に貸し付けた金額について説明される際に1ドル=360円という戦後のレートを引き合いにして説明されていましたが、不適切なデータだと思います。1941年当時のレートは1ドル=4.2円です。
2013/08/22(木) 00:27 | URL | KU #-[ 編集]
近野様へ
〉貴ブログ関係者を名乗る人物が「極右の近野に負けるな」と貴ブログの人気ランキング投票と、拙ブログの非投票を呼び掛けているそうです。

近野様
ネットで検索しても見つかりませんでした。
どちらで呼びかけているのでしょうか。


〉しかし、外野がうるさいのでここにご連絡をさせて頂きました。

外野の方とは、近野様の信頼のおけるお友達なのでしょうか。
もし、ただのネット友達でしたら信用なさらない方がよろしいかと思います。
巧妙に工作員が紛れ込み、近野様を疑心暗鬼にさせ妨害を企んでいるのかもしれません。

これからも、日本のためにブログ更新頑張って下さいませ。
心より応援させていただきます。
2013/08/22(木) 00:27 | URL | あずき #MMIYU.WA[ 編集]
遊就館に遺品が展示されていて初めて知りました

ヤルタ協定
1944年12月14日、南樺太と千島列島を欲しがったロシアに日本を攻めるようアメリカが勧める

占守島
終戦の3日後にロシアが攻めて来た

日露戦争の仕返ししたくて堪らんかったのでしょう
2013/08/21(水) 23:26 | URL | 神雷 #b.gOjMcQ[ 編集]
鴬谷の韓国デリヘルは悪の巣窟

http://50064686.at.webry.info/201203/article_2.html
2013/08/21(水) 21:29 | URL | junn #p4GOlP7Y[ 編集]
映画「氷雪の門」恥ずかしながらヤフオクで入手することとなりました。
アマゾンでは日テレのリメイク盤が扱われているようですが、カスタマーレビューを見てこちらの入手は断念、ヤフオクではオリジナル盤が複数出品されてます。
ほんとうなら靖国神社遊就館の売店で購入すべきですが、地方在住ですので、どうかお許しください。

いつの日か、稚内の九人の乙女の碑を訪ねてみたいと思います。
2013/08/21(水) 17:34 | URL | いりや #-[ 編集]
ただただ、無念の涙が流れるのみです。
facebookでシェアさせていただきます。
2013/08/21(水) 17:27 | URL | 坂井信夫 #-[ 編集]
アホな学者と、護憲派は救いようがありません
このお話は良く知っていたつもりでしたが、11名の交換手が服毒自殺して、そのうちの9名が死亡。2名がかろうじて生きていて、ソ連軍に救助されたというのは初めて知りました。

<戦後、アホな学者などが、真岡郵便局の女性たちは、何も死を選ぶ必要がなかった。なぜなら2名の女性は、ソ連兵によって救助され、命を永らえているではないか、彼らは悪魔ではない>・・・・と

ねずさんが仰るように、この件を取り上げてソ連軍を擁護するようなコメントを出した日本人?アホ学者?は何と捻くれた考え方なのだろうと、そして戦後68年経過した時点で未だに、GHQ押し付け憲法を後生大事に、これぞ平和憲法、世界遺産にするべきだなどと言う、シャミンや、いわゆる進歩的文化人どもは、もう救いようがありませんね。

戦後に起こったベトナム戦争を見てごらんなさい。韓国軍の悪逆非道ぶりはどうですか、とても現憲法の前文に書いてあるような平和的諸国民の信義や信頼があるとは思えません。
それでも愚かな、シャミンや反戦平和主義者たちは、あくまでも信じようとするのか全く、もう救いようがありません。




2013/08/21(水) 16:28 | URL | terag3 #KVPRtAI6[ 編集]
日本人の敵。目に見える形での特亜3カ国は其の点実に正直なのかもしれません。
厄介なのは日本人でありながら特亜3カ国一緒に自国を貶める反日日本人や日本に世話になりながら日本を貶める在日でしょう。
日本人の美徳は世界の非常識なのでしょうが通じる人達には情けを掛けても通じない者達には欧米人のように冷徹冷酷であろうと何倍にも仕返しをしないと舐められてしまうのでしょう。

日本の国や日本国民はもとより在外邦人や日系企業までもが特亜の良い様に振り回され国益を毀損しているのに日本外務省は何もせず静観ですか。?

野蛮極まりない国が隣にいるのに何故ひどくならぬうちに対策を練り実行しないのか。?日本の政治家や役人は戦前も現代も何も変わっていないのではないかと訝しく思います。

有権者はとにかく日本をシナ、朝鮮に売るような人を議員に当選させてはならない。またそのような政策を行おうとする政治家、役人の監視をしなくてはならないでしょう。
2013/08/21(水) 15:51 | URL | 一有権者 #-[ 編集]
統一教会】私の姉は韓国統一教会に洗脳され、事実上の奴隷として韓国に連れ去られてしまいました。
http://hayabusa2.blog.fc2.com/blog-entry-113.html
2013/08/21(水) 14:24 | URL | junn #p4GOlP7Y[ 編集]
野蛮、気違い国家を相手に理不尽に早世された方々のご冥福をお祈りしますとともに、何をおいても、どんな手を使っても、我が国を守り抜くこと、その誓いを新たに宣言いたします。出来ることからコツコツと・・。
2013/08/21(水) 12:13 | URL | 団塊の世代の後輩 #-[ 編集]
ブログ管理者へ

ブログ「近野滋之・民族主義者の警鐘」主宰の近野、本人でご
ざいます。
貴ブログ主宰者にお電話(お会いした新宿で名刺交換)をさせて頂きましたが不在のため、ご伝言をお願い致します。


貴ブログ関係者を名乗る人物が「極右の近野に負けるな」と貴ブログの人気ランキング投票と、拙ブログの非投票を呼び掛けているそうです。

すでに私の拙いブログが上位になったこともあり、また、日本青年社に共感されていた貴ブログ主宰者にはあり得ないと確信しております。

しかし、外野がうるさいのでここにご連絡をさせて頂きました。


>ねずきち(ねずさん)のドス黒いカネ儲け!! ねずきちは創価系仏具店に飴玉を卸してカネを貪っていた!! 詳しくはblog『日心○を糺す会』をご覧ください!

これも含めてです。


近野
2013/08/21(水) 11:42 | URL | 近野滋之 #-[ 編集]
決定(けつじょう)
もう、我慢なりません!特亜3国・米露、そしてイスラエルには滅んで頂きます。人民の滅亡ではなく、あくまで国家として。日本をいじめる国々には存在意義はない!
しかし、その前に、ロシアが人類に向かって最後の大戦争をしかけてくる気がする。アメリカはその時滅んでいるのだろうか?特亜3国はどうなっているのだろう?『ヨハネの黙示』に書かれていることがいよいよ起こるのか?
カトリック教会は、イエス没後2000年の救世主の再臨を見逃した。もはや2000年紀は過ぎ去った。キリストはもう現れない。残念ながら。
キリスト教も、イスラム教も、そしてユダヤ教も、救世主を出すことは出来ない。個人としての救世主は、もう必要ない。
その救世主の役割を果たすのは、日本人であるべきだ!日本人は、救世主の心情に最も近い。
世界は待っているのだ!日本人の智慧と勇気と無私の愛を!そこにこそ、救世主の心情が現れているからだ!
日本人は、不党不偏の心を持ちなさい。最大の敵に打ち勝つには、嘗ては敵だった者とも手を結ばねばならぬ。日本と組むことで、最大の利益が生まれるのだと認識させなさい。利用されたり、搾取されるのではなく、対等に付き合いなさい。そして、精神において屈服させるように。世界のリーダーになるのは日本人なのです!
それと、本日のねずさんのブログで、ヒトラー政権発足時のドイツはデフレであったかのように読み取れますが、正しくは、「天文学的なインフレ」に苦しんだのが、第一次世界大戦後のドイツでした。ヒトラーの首相就任演説の中でも、「インフラチオン」(インフレーション)と確かに発言しています。また、ナチスの経済政策が、日本のそれの追随であったかのように言われますが、明らかに違うと思われます。ドイツは日本と違い、自給経済を目指したのであり、貿易額は最大でも20%程度に過ぎません。その中で戦争の準備をしたのであり、100%雇用も達成しました。しかし、賃金はそれほど高くなかった。国民共同体という概念で何とかそれを乗り切った、というのが実情です。
ヒトラーは、首相就任以降、給料を国家に返納しており、後に大統領兼首相(総統)となってもそれは続いたそうです(給料の代わりに、自著『我が闘争』の印税を充てていたそうです。それが国民からの給料であると言って)。戦費が潤沢であったとは言えないのでは?
今は、ナチスやヒトラーの肩を持つと批判されますが、言うべきことは言います!
歴史認識は、各国で違う!違っていい!だが、自国の歴史認識を他国に押し付けるな!特亜3国とイスラエルは、その点で兄弟だ!こんな団子3兄弟(4兄弟?)に負けてたまるか!
2013/08/21(水) 10:59 | URL | 越智富雄 #hRorm7e.[ 編集]
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
最新刊
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』

AdSense
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最新記事
最新コメント
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

リンク
このブログをリンクに追加する
リンク2
AdSense
カテゴリ
月別アーカイブ
AdSense
解析
スポンサードリンク
ねずさん(小名木善行)著書
↓最新刊↓
↓好評発売中↓





ねずさんメルマガ
ご購読は↓コチラ↓から
ねずブロメルマガ
ご寄付について
ねずブロはみなさまのご支援で成り立っています。よろしかったらカンパにご協力ください。
【ゆうちょ銀行】
記号番号 00220-4-83820
【他金融機関から】
銀行名 ゆうちょ銀行
支店名 〇二九(店番029)
種目  当座預金
口座番号 0083820
口座名義 小名木善行
【問い合わせ先】
お問い合わせはメールでお願いします。
nezu3344@gmail.com

講演のご依頼について
最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
テーマは、ご自由に設定いただいて結構です。
講演時間は90分が基準ですが、会場のご都合に合わせます。
E-mail nezu3344@gmail.com

講演テーマ
<ご参考>
古事記に学ぶ経営学
古事記に学ぶ日本の心
百人一首に学ぶ日本の心
女流歌人の素晴らしさ
日本人の誇り
その他ご相談に応じます。
検索フォーム
AdSense
関連サイト
祝日には国旗掲揚を!
御国旗セット
¥2,190

大型御国旗セット
[ステンレス製3mポール付き]
¥4,800

御国旗伸縮ポールセット【大サイズ】
¥3,000

御国旗セット L
[ マンション設置用 Lタイプ テトロン 国旗 ]

台灣民政府
台湾民政府
サンフランシスコ講和条約で、日本は台湾に関して処分権は連合国に提供しましたが、領土の割譲は行っていません。条約以降、連合国も日本も台湾の処分先を決めていません。つまり台湾はいまも日本であり、台湾にいる1500万人の戦前からいる台湾人は、日本国籍を有する日本人です。私は台湾民政府を支持します。
お薦め書籍1

日中戦争-戦争を望んだ中国 望まなかった日本


江戸の自治制


幻の黄金時代


ドキュメント自衛隊と東日本大震災

AdSense
コメントをくださる皆様へ
基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメントは、削除しますのであしからず。
最新トラックバック
AdSense
コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人である私の判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
エディタ・コミュニティ
edita.jp【エディタ】
amazon
通州事件の真実
通州事件を実際に体験された女性の手記です。
クリックするとテキストファイルが開きます。
https://docs.google.com/file/d/0B9Dh1-gISO9CZERHN2oxempSeEk/edit
パチンコをはたき出せ!
パチンコ撲滅
パチンコ市場は21兆円
そのお金を消費に向ければ莫大な経済効果が生まれる!

 ↓関連記事↓
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1197.html
やまと新聞を守れ!

やまと新聞は、戦後GHQの圧力に屈することなく、日本のジャーナリズムの正義を貫いた唯一の新聞です。
みんなの力でやまと新聞を応援しよう!!
やまと新聞社の公式HPは
 ↓コチラ↓
http://www.yamatopress.com/ 購読料は月500円です。
下の窓の中味をコピペすると、上のバナーをご自分のHPに貼ることができます。
やまと新聞の紹介記事はココをクリック
殲滅支那大連盟
殲滅支那大連盟

■満州国臨時政府■
 ↓ ↓ ↓
http://www.manchukuo.net/
ねずブロの拡散・転載について
当ブログの日本の心を伝えるための適法かつ前向きな拡散はおおいに歓迎です。 ただし適法な引用でないと、著作権侵害で処罰されることがありますのでご注意ください。
RSSリンクの表示
FC2ブックマーク

PING送信プラス by SEO対策

QRコード
QRコード
スポンサードリンク