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敷島の大和心を人問わ(は)ば 朝日ににおう (ふ) 山桜花(本居宣長)。日本は天皇を国家最高権威とし、民を「おほみたから」とする「シラス国」です。


竹橋事件と軍人勅諭

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竹橋事件を起こした近衛砲兵大隊の将校たち
竹橋事件


「竹橋事件」というのは、明治11(1878)年の8月23日に、東京・竹橋付近にいた陸軍近衛部隊が起こした反乱事件です。
事件後394名が事件後処罰される事態となりました。
この事件のあと日本が行ったことは、憲兵と皇宮警察の創設と「軍人勅諭」の下賜でした。

前の二つ(憲兵、皇宮警察)だけなら、日本は他の国と何らかわりがありません。
けれど、この事件をきっかけとして、軍人勅諭が下されたということは、世界の目からみれば、実に凄いことであったといえます。

そこで事件を振り返ってみたいと思います。


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【竹橋近衛砲兵暴発、出火と同時に発砲】
(東京日々新聞 明治11年8月24日 号外)

8月23日午後11時30分頃、一発の銃声とともに竹橋内の近衛砲兵営所から火が出たとみるやいなや、営内の兵士たちが一斉にときの声をあげながら、大砲を三発撃ち放ち、皇居のお堀の外に出てきました。

知らせを受けた警視庁は、すぐに武装警官隊を組織して皇居を始め閣僚たちの私邸を警護し、陸軍も東京鎮台の諸隊を出動させて竹橋付近から鍛冶橋、和田倉、神田橋、日比谷、馬場先などの各所の警固にあたりました。
このため皇居の内外は人馬による交通が混乱し、大混雑となりました。

幸いなことに、火は12時頃に消し止められましたが、現時点では、何が起きたのか、時節訛言(じせつかご)百出していて、真偽のほどがわかりません。
詳細が入り次第、本日中に号外を再度発行します。
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事件発生の緊迫度もさりながら、ひとつには、事件が起きたのが幕末にほど近い明治11年のことです。
この時代に、こうした号外が夜間のうちにすぐに印刷され、翌朝早々には街に短文の号外として配られていました。
印刷といっても、今の時代のように、パソコンに打ち込んだら、プリンターから活字が出て来るというものではありません。
版画です。取材し、文字にし、それを木に彫って、染料を塗って版画で印刷していました。
それを夜中のうちに行燈(あんどん)のロウソクの灯りで作成し、早朝までに東京市内各所に運んで、もう配っていたわけです。すごいものです。

同時に新聞には必ず読む人(読者)が必要で、そのためには字の読める大衆が必要です。
そういう社会的インフラが、日本では外国からの輸入でもなんでもなく、日本の中で生まれ育っていたわけです。

ちなみに現存する世界最古の新聞は、日本のもので、徳川家康が大阪城を攻めた慶長19(1614)年の大阪冬の陣の報道を行った「かわら版」です。
これはヨーロッパ最古とされいる英国の清教徒革命(1660年)や名誉革命(1688年)を報道した新聞よりも50年近くも古いもので、現存する世界最古の新聞です。

そしてその時代に民営の「新聞がある」ということは、日本では、日本史上もっとも国が荒れた戦国の世でさえ、民衆に教育が行き届き、庶民の識字率が極めて高かったことを示しています。

ふたつめには、警察と軍の対応の早さです。
事件勃発とみるや、それが深夜であっても、即時警察と陸軍が臨戦態勢にはいっています。

東日本大震災のときも、自衛隊の基地も容赦なく地震や津波被害が襲っていましたが、たとえば宮城県にある陸上自衛隊多賀城駐屯地では、津波によって冠水した、ずらりと並んだ自衛隊車両には、この時点で「災害派遣」の幕が表示されていました。
地震があったのが午後2時46分、基地が津波に襲われたのが3時50分です。
つまり、地震発生の一時間以内に、地震に襲われた自衛隊基地では、災害派遣の出動準備がほぼ終わっていたのです。

陸自だけでなく、海自、空自でも、同様に、自衛隊の基地そのものが被害に遭っているのに、災害発生後、またたく間に臨戦態勢がとられ、出動まで行われています。
実は、災害発生以上に、世界の軍関係者が、日本の自衛隊のこの素早さに、「日本恐るべし」と感歎の声をあげました。
日本の軍や警察の出動の早さは、実はいまにはじまったことではないのです。

支那軍に町を焼かれ、逃げ遅れた老婆を避難地まで背負う日本軍兵士
(「写真集支那事変」平沼赳夫氏をサポートする会さんより
支那軍に町を焼かれ、逃げ遅れた老婆を避難地まで背負う日本軍兵士 『写真集支那事変』


そして、なぜ、ここまでして日本人の出動が早いかといえば、日頃の訓練が行き届いているということもさりながら、日本人が、民(たみ)の幸せこそがもっとも大切なものという観念を共有しているからです。
自分が大事なのではなく、みんなが大事。みんなの幸せが我が身の幸せという共同体としての自覚の共有が、実は日本の柱になっている。
これは、あたりまえそうにみえて、実は日本の常識、世界の非常識に分類される事柄です。

みっつめは、消火の早さです。
反乱軍は、兵舎に放火をして兵舎の外に出てしまったわけです。
ほっておけば、大火になる。
それを消したのは、もちろん軍の消火隊の活躍もさりながら、町の火消組が大活躍しています。

こうした町火消しはいまも消防団として全国に残っていて、消防団の人たちは、みんなそれぞれに仕事を持っている方々でありながら、いざ火事だとなれば、それが深夜でも早朝未明であっても、即時出動をします。
もちろん消防署も素早い出動をしますが、消防団の素早さも、これに負けていません。いまでもです。

いまでも、消防団の方々は(もちろん消防署職員の方々もですが)、自分のことより、火災の鎮火が優先です。
ここにも、自分のことよりも、みんなのことを優先する日本人の気質が現れています。凄いと思います。


さて、翌25日になると、やはり新聞号外で、事件の詳報が伝えられるようになりました。
ふたたび日々新聞の号外を掲載します。
読み易さを優先するため、口語訳しています。

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【西南の役論功不満と減給が原因】
(明治11年8月25日 東京日日 号外)

23日夜の近衛砲兵の暴挙は、まさに「不意の騒動」で、上は大臣参議から、下は私たち庶民に至るまで、あわや大事と驚愕させられた事件でした。
けれど、皇威の及ぶところに、被害も些少に終わり、また暴徒たちもその夜のうちに逮捕され、速やかに事態がおさまったのは、明治の聖代がいよよ長らえ、久しく続く吉兆であろうと思われます。

そこで暴動がなぜ起こったかについて、取り調べを行ったところ、実はこの暴動は突発的な事件ではなくて、あらかじめ準備の上、行なわれたものであることが判明しました。

その理由は3つあります。

第一の理由は、給料です。
これまで近衛砲兵はもともとは他の諸兵より給料が多かったのですが、陸軍省が兵全員の給料を減じたときに、近衛砲兵まで一緒に減俸となったこに不平を感じていました。

第二の理由は、論功行賞です。
前年の西南戦争の折りに、植木、田原坂の戦争で抜群の戦功を立てていました。
それは敵軍からも「赤い帽子と大砲がなけりゃ」と謡われたほどだったのですが、ところが官軍凱旋の後に、他の諸隊はそれぞれの御賞誉があったのだけれど、近衛砲兵隊には、報償がない。
それを不満に思った隊長たちが、政府へ歎願しようとして乱を起こしたというものです。

彼らが不満に思った背景として、近衛砲兵隊の隊長以下多くの隊士が、もともと紀州藩その他幕軍側の出身者で固められていたことが上げられます。
つまり、自分たちは抜群の功労をあげたにも関わらず、旧幕軍のため差別されたと思い込んだというのです。

けれど、実際のところは、論功行賞は、中央から遠いところから順に行っており、いわば身内ともいえる近衛隊については、順番が最後になった、というのが真相であったとされています。
このことは逆に考えればすぐにわかることで、中央にいる近衛隊から先ずさきに報償をしたら、地方から参戦した部隊は、逆に不満に思ってしまう。

これは古くからの日本のしきたりに近いものですが、何事につけ「まずは他人様が先、身内は後、自分のことは最後」というのが、日本の古来変わらぬ習慣です。
ですから西南戦争の論功行賞も、同じ考えで、少ない予算(当時本当に明治政府はお金がなかった)で、まずは地方から政府は報償を行っていたのですが、不幸なことにそこに「元佐幕組」と「薩長閥組」という要素がからまり事情を複雑にしてしまっています。

第三の理由は、徴兵です。
幕末の農民兵は、幕軍なら各旗本や大名などが幕府に命じられて、知行地や藩内の庄屋さんたちなどと語らい、ある程度互いに納得ずくで屈強な若者が農兵として出仕しました。
その多くは農家の次男、三男で、家にいても無駄飯食い扱いされてしまう(実際にはそんな扱いはなくても、本人がそう感じてしまっている)人たちで、家でやっかいになっているくらならむしろお国のために役立とうと志を抱いて兵になる者も多かったのです。長州藩の奇兵隊でも同じです。むしろ、本人の意思が優先されていました。

ところが明治新政府になってからは、欧米に倣って徴兵制がひかれました。
その気もないのに強制で兵役にとられる。
そのことについて、農兵側から苦情がでることはなかったけれど、中には家の様子を心配するご長男さんなどもいるわけで、しかもそうした人たちが、西南戦争という実戦で命を失ったり、あるいは大怪我をしたりしているわけです。

こういう点について、元幕臣だった鎮台予備砲隊隊長岡本柳之助大尉や、紀州藩の剣客、松尾三代太郎騎兵中尉、近衛歩兵第二連隊第二大隊第二中隊兵卒三添卯之助、近衛砲兵大隊第一小隊小隊馭卒小川弥蔵、同第二小隊馭卒長島竹四郎、同じく小島萬助らは、たいへんに心苦しく思い、薩長新政府にたいして、「軍は民を守る武士の役割ではないのか」という根本的疑問を抱いていたわけです。

東京・青山霊園には、竹橋事件殉難者のための「碑」が建てられていますが、そこにも「徴兵制度への根本的疑問、明治維新以後の政治に対する不満が、天皇への直訴をふくむ行動へと兵士たちを駆りたてていった」と書かれています。

こうして3つの理由によって、近衛砲兵隊は決起したわけですが、夕方7時半過ぎには、近衛局に「不穏な動きあり」との情報が寄せられています。
そこでそのあたりの情況を上の東京日日明治11年8月25日号外から追ってみます。

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その夜の暴挙の通報を受けた大山巌少将は、早速騎馬で近衛局に駆け付けました。
そして近衛参謀長野津大佐が直ちに皇居へ赴いて警護の手配を指揮するとともに、西寛二郎少佐(薩摩藩)率いる近衛歩兵隊が、近衛砲兵の挙動を窺おうと砲兵兵営に赴きました。

一方騒ぎを聞いて駆けつけた近衛砲兵の大隊長宇都宮茂敏少佐は、急いで竹橋内の営内に向かいました。
兵舎に行ってみると、いかにも隊内騒がしく今にも暴発しそうな気配だったので、下士官たちを呼び、とどまるように説得したのですが、彼らは聞き入れずにますます騒ぎ出し、午後11時過ぎになると、砲兵一同は銃を持って営外へ出て、早くも隊列を組みはじめました。

この時まで宇都宮少佐は二階に居たのですが、もはやこれ以上捨て置くべきではないと判断し、屋外に出て、しきりに制止の号令をかけられました。
けれどいきりたつ兵たちはいうことを聞かず、いまにも反乱を起こしそうな気配だったので、宇都宮少佐はやむなく風紀衛兵に命じて、非常ラッパを吹かせました。

ところがこれを聞いた兵たちは、逆に「すわ、我々は誅せられるぞ、目の前の敵の宇都宮少佐を討ち果せ!」と、銃剣を打ち振って宇都宮少佐に斬りかかりました。
少佐も腰の剣を抜いて抵抗したのですが、衆寡敵せず、乱刀の下に討死にしてしまいます。

一方、すでに営門前で整列していた近衛砲兵の第一、第二聯隊は、この乱戦の様子をみて、士官が「打テ」の号令を放ち、兵舎の入り口付近にいる宇都宮大佐の同行者たちに小銃を乱発しました。
すると兵舎付近にいた砲兵隊たちも、これに呼応して大砲を二発撃ち放ちました。

砲兵大隊付きの週番士官である深沢巳吉大尉は、その様子に「静まれ、静まれ」と声をあげながら砲兵隊員たちの中に飛び込みますが、その声も終らないうちに、たちまち銃剣で刺殺されています。

この混乱の中で一部の砲兵隊員が、さらに気勢をあげようと厩(うまや)に行き、積み重ねられた累ねた馬のエサの秣草(まぐさ)に火を放ちました。
また別の一手は土手に上って眼下にある大隈重信参議の邸内に発砲しました。

また別な一手は近衛砲兵の営門へ向い、しばらく戦うと、こんどは二門の山砲をひいてきて近衛砲兵営門の正面に据え付け、弾薬を込めようとしました。
そこにやってきた近衛の番兵が、背後から小銃を撃つと、山砲をひいてきた隊士たちは大砲をその場に棄てて引き退き、銃撃戦となりました。
ところが弾薬が続かず、午前0時を過ぎる頃にはまったく潰走し、その場で討ち殺された者6名、その場での逮者が70余名、そのほか104名が代官町から半蔵門をさして敗走しました。

この時砲兵の周番だった池田少尉は、情況を皇居へ注進しようとして表門に駈け出たのですが、門にいた反乱兵に斬りつけられて、やむを得ずいったん引き返し、竹橋の石垣から皇居のお堀に飛び込んで、そのまま皇居へ走りっています。

また磯林中尉は、この夜近衛局の宿直だったのですが、野津大佐から「各隊を巡回し不審の挙動があれば報告せよ」との命を受け、ただ一騎で皇居を出で、西ノ丸下に向かいました。
ところが大手門前に差し掛ったところで竹橋の砲声を聞いたので、馬を飛ばせて歩兵の営内まで乗り付けると、そこではもう銃撃戦がはじまっている。
そこで戦況を探ろうと模様を探っていると、反乱兵たちが代官町を南の方角に潰走し出したので、官軍全勝と情況を本部に報告に行こう馬を走らせました。

すると半蔵門あたりで、麹町方面に向かう百余名の兵士と出会いました。
これはおかしいと、馬を駐めてしばらく容子を伺っていると、その兵たちが磯林中尉をみとがめて、「そこにいるのは士官と覚えたり、疾く討ち殺せ」と叫びながら七、八人が駈け来ってきました。
中尉は、まずいところに来たと思いましたが、さりとて今更引くにひけない。
そこでいっそのこと、諭してみようと思いたち、暴徒が近づくを待って、「汝らは何者ぞ」と問えば、「我々は砲兵なり」と答える。
そこで「砲兵が今ごろ何用ありてこの辺を行軍するぞ」と云えば、「歎願の筋ありて皇居へ推参するなり」と云う。
「しからば大隊長は誰なるぞ」、「大隊長の宇都宮少佐はただ今討ち果して来りたり」
「しからばここより兵営へ立ち戻り、聯隊長野崎中佐(時に中佐は竹橋内の歩兵営にあり)に面会して願意を陳べよ、将校の手を経ずして皇居へ直参するは不都合なるべし」と説論すると、暴徒は二つに分れ、百余名の内30余名が兵営へ立ち戻り、残り93名は皇居の表門まで押し寄せて御門前へ整列しました。

この時皇居に詰めていた将校は、暴徒が御門前まで押し寄せたりと聞いて、この上は詮方なし、もし敵対せばたちまち討ち掃うべしと評議一決し、西少佐は磯林中尉とともに門内から出て暴徒のリーダーを呼び出しました。

すると隊中から一人の軍曹が数歩前に出て停まったので、西少佐はその軍曹に向き、「今夜の近衛砲兵の挙動は実に非常である。既に大隊長宇都宮少佐を殺し、かつ深沢大尉を害したれば、もはや暴賊の名を免れず、イザその方の兵器をこちらへ引き渡せよ」と申し渡しました。
軍曹は不平の顔をして、今にも抜刀して西少佐に切り掛かろうとし、少佐の護衛兵が対抗に進み出ました。

少佐は再び軍曹に向って、「この上は隊士全員、ことごとく兵器を脱せしめよ」と命ずると、軍曹はこれに答えて、「もし令に従わなければいかが取り計らいますか」というので、少佐は「令に従わざる者あらば、こちらにて処分に及ぶべし」と言い棄て、御門内に待機する近衛歩兵一中隊に、「前へ!」と号令をかけました。

中隊が銃剣を付けて暴徒の前に迫り、否と云わば打ち掃わんという勢いを見せると、暴徒のなかの大久保某が、銃を腹に押し当て自らを撃ち貫いて、自害しました。即死でした。
他の暴徒は大久保の自殺で戦意が砕けて、異議なく兵器を引き渡し、全員が縛に就きました。

この夜の暴動で討死したのは、宇都宮少佐、深沢大尉、坂本少尉の三名、負傷が田中少尉(同第一中隊)、野木中尉(同第二大隊第四中隊)、池田少尉(砲兵大隊)、中村軍曹(同第一大隊第四中隊)、この外に砲兵大隊七名が負傷しました。
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新聞号外といいながら、まるで舞台や映画を見るような描写となっていますが、以上が事件のあらましです。

この事件は、出来て間もない明治新政府に、たいへんな衝撃を与えました。
戊辰戦争を戦い、西南戦争を経て、ようやく国をまとめてひとつの国として、欧米列強の国力に追いつき、欧米諸国と肩を並べる世界の一等国になろうする矢先に、内乱が立て続けに起きるようでは、いつまで経っても世界の一等国になるどころか、国内がまとまりません。

そもそも、幕末のペリー来航に始まる維新は、尊王攘夷か開国佐幕かの戦いといいながら、究極的は、欧米列強に負けない独立自存を維持するために、国をどうするかという内乱でした。
そのためにどうするか。

武器を手にして暴れる者があれば、それは再び内乱を招くことになります。
江戸幕府は、徳川家が圧倒的武力を持つことで、国内各藩の武力衝突を一切封じ込めるというやり方をしました。
明治新政府は、軍そのものを明治新政府の直下に置こうとしましたが、その足下の薩摩で大規模な反乱がおき、今度は近衛砲兵からまで、反乱が起きてしまったわけです。

これらを統御し、日本が一国としてまとまって総合力を発揮できる体制にするためには、では何が必要なのかといえば、方法は二通りしかありません。

そのひとつは、武力をもって上から完全に押さえつけるという方法です。
支那や西欧と同様に、国内に上下関係を完全に打ち立て、部下が言うことをきかなければ、その者だけでなく、家族までをも皆殺しにするという恐怖や、常に武器を後ろから突きつけて兵たちを働かせるという方法です。

けれど、こういう展開は、我が国の風土には馴染みません。
なぜなら我が国は、天皇のもとに、すべての民(たみ)が、皇民とみなされることで、人々の間に上下関係はあっても、それはあくまで「役割分担」であり、根源的に誰もが人としては対等という関係を古くから構築してきた社会だからです。

そうであれば、国民が納得できる別なカタチで、国をあげて一国の伝統に基づき、一致団結できる体制を構築していく、第二の方法を、我が国独自に考案し、作るしかありません。

実は、こうして、「第二の方法」としてできたのが「軍人勅諭」です。

「軍人勅諭」は、明治15年1月4日に明治天皇のお名前で、陸海軍の軍人に下賜した勅諭ですが、そこに書かれているのは、神武天皇みずからが大伴や物部氏の兵を率いた古代から、中世における国の体制、幕末の情勢などの古くからの我が国の歴史がまず描かれ、軍人は忠節、礼儀、武勇、信義を重んじよということが書かれています。
(過去記事→軍人勅諭を読む

実は「軍人勅諭」というのは、それができた時点では、他の国には同様のものは、まったく存在しなかった、我が国オリジナルの勅諭です。

そしてそこに書かれているのは、軍が、兵が、我が国の歴史や伝統に基づいて、組成された天皇の軍(皇軍)であること、そしてその皇軍兵士は、常に清く正しく、忠節、礼儀、武勇、信義を重んじなければならないということを、高らかに、かつ明確に、謳い上げています。

この軍人勅諭について、「天皇への忠義は山よりも重く、国民や兵の命は髪の毛よりも軽く、わざと文章を難しくすることで、得体の知れないありがた味を与えて、兵士たちに全文暗記を強制した」などと書いている本などがありますが、いささか、考えの浅い、あるいは甘い著者だと言わざるを得ません。

理由は3つあります。

ひとつは、上下の支配と隷属の関係という第一の選択と比べれば、この軍人勅諭による、歴史的背景に基づいて、みんなが納得して兵となろうという「軍人勅諭」の心は、その時点で世界に類例のない人道的な兵の取り扱いであるといえるからです。
上長の「動産」となって、無理矢理働かされるのか、それとも歴史、伝統に基づいて自らの意思と価値観に基づいて積極的に働くのか、その差は、天と地ほどもある差です。

ふたつめには、武力にものをいわせ、銃を突きつけて無理矢理言うことをきかせ、言うことをきかなければ、みせしめとして出来る限り残忍な方法で射殺するという体制と、ひとりひとりが高い教育と忠義の心をもって礼節を失わず、武勇を鍛え、信義を重んじて兵役を担うという体制と、どちらが人の命が大切に扱われているといえるか、ということです。
ひとたび軍人となって、戦(いくさ)に赴けば、生きて帰れる保証などどこにもありません。
そのときに、「後ろから銃を突きつけられて戦う」というのと、「自ら率先して戦う」というのとでは、やはりその精神性において、雲泥の差があります。
日本は、後者を選択したのです。

第三に、文章の平易さです。なるほど軍人勅諭は文語体で書かれてはいますが、候文でもなければ、草書文字でもありません。当時書かれた他の文学作品や新聞記事等の水準からすれば、むしろ「平易な文章」とさえいえる勅諭です。
しかも後に印刷された軍人手帳などの軍人勅諭のページをみれば、漢字にはふりがなまでふられています。
当時としては、極力わかりやすい平易な文章で書かれたものであり、全兵士が、その意味をしっかりと理解できるよう、配慮された文となっています。
勅語といえば、古文調で書かれた、それこそ難解な文であることがあたりまえである中で、軍人勅諭がそこまで配慮された文であるということは、ひとつには当時の日本人の教育レベルの高さであり、もうひとつには、歴史、伝統に基づくアイデンティティを喚起することで、世界に誇れる正しい軍を築こうとした、当時の志の高さが、感じ取れるものとなっているといえます。
事実は、むつかしい文にしたどころか、まったく逆に平易にして、誰もが納得できるものにしているのです。

「竹橋事件」があり、二度と国内で同様の事態が起こらないよう、日本が行ったこと。
それが、憲兵と皇宮警察の創設と「軍人勅諭」でした。

前の二つ(憲兵、皇宮警察)だけなら、日本は普通の国と何らかわりがありません。
けれど、この事件をきっかけとして、軍人勅諭が下されたということは、世界の目からみれば、実に凄いことであったといえるのです。

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明治天皇 軍人勅諭


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コメント
徴兵制度は時代考えれば当然。
四民平等になったのだから当然。
「天皇陛下が山より重いのは当然だし、国民を髪よりも軽く扱っていないし、暗記を強制させていない。」
バカサヨこそ「バカチョンバカシナを反日の奴らを山より重い存在として扱い、日本人を親日国の人を髪よりも軽く扱い、反省の文を暗記を強制させた。」ですね。
奇兵隊は帰農した武士で、純粋な百姓町人ではありません。
碑の解説はバカサヨ臭くなってますね。
徴兵制度への根本的疑問ではなく、恩賞が少なかったからでしょう。
バカサヨなど反日共への根本的疑問を抱きます。
2013/08/27(火) 16:58 | URL | アジア #-[ 編集]
今手元に親父の軍隊手帳があります、この年になり親父から読まされているような気がします、
 最初に明治天皇勅諭があり、そのあとに大正天皇、昭和天皇と勅諭が続いています
  ・軍隊手帳に係る心得
  ・応召及出征時の心得
戦陣訓
  ・序
本 訓  其の一
  ・第一  皇 国
  ・第二  皇 軍
  ・第三  軍 紀
  ・第四  団 結
  ・第五  協 同
  ・第六  攻撃精神
  ・第七  必勝の信念
本 訓  其の二 
  ・第一 ~ ・第十
本 訓  其の三 
  ・第一 ~ ・第三
  ・結
(メモ欄数頁に配属、転属、転戦地への途中経過などびっしり記入されています)
 
 大東亜戦争でアジアが西洋世界に勝利した意味が理解できるような気がします
 一兵卒の親父の胸のポケットに携帯されていたであろう古びた薄い小さな手帳が今輝いています
2013/08/24(土) 23:20 | URL | 鬼丸 #-[ 編集]
思い出しました
以前読んだ二冊の本の事です。題名は思い出せません。
一方は右派、もう一方は左派ですが共に昭和維新運動の研究家だったと思います。(後者は客観的に研究、でしょうが)

「軍人勅諭の精神が一言一句守られていれば、
昭和の悪しき軍閥の台頭はあり得なかった」と、
まったく同じ事を述べていました。

今後この問題については改めて取り組もうと思います。

なお前回のエントリーですが
「これがキリスト教の正体か」と改めて思いましたね。
橋下さんも、良かれと思ってあの提案をしたのですが
それが「性に厳格な米国様の逆鱗に触れた」というのは
理解しがたい話です。
 清教徒(はじめは性教徒と変換されました)とやらの精神は白人間のみに共有される、ということでしょう。有色人種の女性は人間とみなしていなかったんですね。
本当に腐りきっています。新だろうが旧だろうが神域たる日本国に伴天連は「異物」なのです。1000年経とうが。
なお伴天連は反天連とも読めますが、これは偶然とは思わないですよ。実際、反天連の主体はキリスト教なのですから。
まだ読んでいませんが新潮社の高山正幸氏最新刊「マッカーサーは慰安所がお好き」(だったでしょうか?)が参考になるかもしれません。
少々話がずれてしまい失礼いたしました。
2013/08/24(土) 21:41 | URL | 読者 #MAcqijD.[ 編集]
2013/08/24(土) 21:20 | URL | junn #p4GOlP7Y[ 編集]
【動画】南京日本兵の証言

http://www.hoshusokuhou.com/archives/31096534.html
2013/08/24(土) 21:18 | URL | junn #p4GOlP7Y[ 編集]
元慰安婦証言の検証
元韓国慰安婦(コリアン プロスティチュート)の一人が自伝本を作成して安倍首相に送ったそうです。元慰安婦が最初に名乗り出たのは金学順で1991年8月です。12月には文玉珠が名乗り出ました。

韓国で名乗りを上げ、韓国挺身隊問題対策協議会に登録された元慰安婦は110名です。その中で話を聞くことが出来た40名のうち、韓国側の研究者によって調査が難しい人を除いた19名の身の上話が「強制で連れて行かれた朝鮮人軍慰安婦たち証言集Ⅰ」です。

19人の元慰安婦のうち、15人が軍による強制以外の理由で慰安婦になっています。権力による強制連行は4人しかいません。その4人のうちの二人が金学順と文玉珠で最初の証言では軍による強制ではありませんでした。

最後に残った二人は姜徳景と尹頭理です。姜徳景は日本の富山の、尹頭理は韓国の釜山の慰安所に連れて行かれたと言っています。しかし、富山と釜山には日本軍の慰安所はありませんでした。

今回自伝を出した慰安婦の名前は知りません。が、登録されていた慰安婦なら過去に証言があるはずです。今回の自伝と突き合わせてみれば真偽が明らかになります。墓穴を掘ることになるかもしれません。

楽しみです。是非検証願います。
2013/08/24(土) 16:51 | URL | にっぽんじん #-[ 編集]
先ほどの署名(慰安婦教科書阻止)の件 追記
※英語に自信のない方は、以下(なでしこアクションHP)に和訳をしてくださった方がいますのでご参考に。(少し下にスクロールしてください。記事の下のコメント欄にあります)
http://nadesiko-action.org/?p=4545&cpage=1#comment-2865
2013/08/24(土) 09:12 | URL | Paco #9moh1.ck[ 編集]
今度は米で慰安婦を教科書に載せようと【阻止の署名を!!】
ラスベガスで慰安婦の件を教科書に載せようと韓国系団体が目論んでいるらしく、阻止するための署名活動(Petition)をされている方がいます。(お名前からすると日本人ではなさそうです。)
http://petitions.moveon.org/sign/comfort-women-fabrication.fb28?source=s.icn.fb&r_by=8546588

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2013/08/24(土) 08:58 | URL | Paco #9moh1.ck[ 編集]
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
最新刊
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』

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口座番号 0083820
口座名義 小名木善行
【問い合わせ先】
お問い合わせはメールでお願いします。
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台湾民政府
サンフランシスコ講和条約で、日本は台湾に関して処分権は連合国に提供しましたが、領土の割譲は行っていません。条約以降、連合国も日本も台湾の処分先を決めていません。つまり台湾はいまも日本であり、台湾にいる1500万人の戦前からいる台湾人は、日本国籍を有する日本人です。私は台湾民政府を支持します。
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コメントをくださる皆様へ
基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメントは、削除しますのであしからず。
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コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人である私の判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
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