アクセスランキング

敷島の大和心を人問わ(は)ば 朝日ににおう (ふ) 山桜花(本居宣長)。日本は天皇を国家最高権威とし、民を「おほみたから」とする「シラス国」です。


小園安名司令−2 信頼と公正

■ねずさんのひとりごとメールマガジン有料版
http://www.mag2.com/m/0001335031.htm

人気ブログランキング
 ↑ ↑
応援クリックありがとうございます。

小園安名司令
少佐時代の小園安名司令


昨日の続きで小園安名司令のお話です。
誰からも慕われ、偉大な実績を遺した者が、偉大であるがゆえに逆に放逐され、酷い目にあわされる。
そういうことが我が国の国史には、度々出てきます。
小園司令も、そのなかのお一人でした。

けれど、古来日本人は、人生においてもっとも大切なことは、今生における名聞名利ではなく、より多くの人の役に立つこと、自己の確かな成長にある、としてきました。
なぜならそれは、日本人が古来、仮に世の中の価値観がひっくり返り、自分が放逐されたり殺されたりすることがあっても、それでも「やり抜いた」、「信念を遂げた」ということを、大事にする民族であった、ということだからです。

伊藤博文が初代内閣総理大臣になったとき、彼は「俺もようやく殺される身になった」と喜んだそうです。
彼はその通り殺されてこの世を去りました。

内閣総理大臣になるということは、何かを変える人になる、ということです。
変えれば、恨まれることもあります。
恨まれれば、殺されることもある。
つまり、殺されるということは、一面においては世に貢献した証でもあるわけです。

伊藤博文の維新の先輩たちは、みんな殺されました。
だから自分も殺されるに「値する」人間になろう。
我が身大事ではなく、世のため人のために生きるということは、そういうことです。
それが日本人古来の道徳的価値観です。

もうひとついうならば、日本人は人を殺すことを忌み嫌います。
人を殺すくらいなら、自分の命を絶つ。それが日本人です。
ということは、自らが日本人として生き抜こうとするならば、それを暗殺しに来る者は、日本民族ではないということです。

たとえ殺されても、信念に生きる。
どんなに苦しい状況に追い込まれても、自己の使命をまっとうする。
小園司令にも、そうした日本人の日本人らしい面を、みてとることができます。
それが、昨日の記事のテーマです。

今日は、その小園司令の前半生について書いてみたいと思います。
そこから私達は、何を学ぶことができるでしょうか。

小園司令は、明治35(1902)年のお生まれです。
鹿児島県の旧制川辺中学校を経て、海軍兵学校卒業し、空母龍驤の飛行隊長や、第十二航空隊(以下、十二空)の飛行隊長を歴任されています。

昭和13(1938)年4月29日のことです。
漢口で蒋介石軍の戦闘機と大規模な空中戦が行われました。
漢口というのは、長江と漢水を挟んで鼎立する漢陽、武昌、漢口の3つの市(鎮)のひとつで、昔は「武漢三鎮」と呼ばれていたところです。

ここで行われた空中戦は、日本側の圧勝に終わっていますが、日本にやられたとなるとことさらに騒ぎ立てる支那が、このときの空中戦には、いまだにまったくの沈黙をしていることには理由があります。
この戦闘では、日本側が九六式艦上戦闘機30機だったのに対し、支那側の戦闘機は90機という三倍の圧倒的戦力だったのです。
当時は、まだ航空戦の幕開けの時代で、まさにドッグ・ファイト全盛期であったわけですが、この戦闘で自ら出撃し、陣頭指揮を執った小園司令は、敵戦闘機の半数以上を撃墜し、しかも自軍は、ほぼ無傷(被撃墜2機)という大戦果だったのです。
圧倒的戦果という以上に、もはや伝説とまでいえるすさまじい戦果です。

昭和16(1941)年10月、つまり大東亜戦争開戦の2か月前には、小園司令は、台湾に新設された台南航空隊副長(飛行長兼任)に任命されました。
ここで小園司令は、本来なら士官と下士官、兵を厳密に区別する日本海軍としては異例の体制をひきます。
なにをしたかというと、「完全な実力本位制」をひいたのです。

台南空は、第11航空艦隊に所属しています。
まさにツワモノ揃いのその体制は、
 司令長官 塚原四二三中将
 参謀長  大西瀧次郎少将
 司令   斉藤正久大佐
 飛行長  新郷英城大尉
零戦の搭乗員には、坂井三郎、笹井醇一、宮崎儀太郎、西澤広義、太田俊夫らの精鋭揃いです。
もしかしたらこの当時の台南空は、まさに世界最強の空軍だったといえると思います。
小園司令は、その最強空軍を、さらに強化したのです。
まさに鬼のような人です。

そして12月8日、大東亜戦争が開戦となりました。
大東亜戦争開戦といえば、真珠湾攻撃ばかりが強調されますが、実は同時に米国領だったフィリピンにも攻撃が行われています。
フィリピンは、当時日本だった台湾(本当はいまも日本です。そのことについては、また稿をあらためます)の目と鼻の先です。
そしてそこは米国の極東における根拠地であり軍・政・経の中枢だったところです。

米軍は、そのフィリピンを、実は東洋一の軍事拠点にしていました。
とくに米国が配備していたB17爆撃機は、我が軍にとって最大の脅威です。
逆にいえば、これを叩けば我が軍は制空権を得ることができ、これにより制海権も生まれ、上陸作戦の実施も可能となるわけです。
つまり、すべては初動段階で、どれだけのB17を叩けるにかかっていたわけです。

ところが、日本軍の航空母艦はハワイ作戦に充当しています。
ならば、基地航空部隊による航空撃滅戦を実施し、制空権を獲得するしかありません。

当時、小園司令は、第11航空隊長でした。
彼は戦爆連合90機の大編隊で、フィリピンのクラークフィールドとイバの両基地上空に殺到しました。
敵も必死です。
いまでいうスクランブルで、次々と迎撃の戦闘機が舞いあがるけれど、猛訓練を積んだ我が軍は、このときの第一波攻撃で、敵機撃墜炎上100機の大戦果をあげています。

そして以降約1週間、第11航空艦隊と第五飛行集団で米空軍の掃討作戦を実施し、米空軍を殲滅してしまったのです。
これによって、日本軍は、悠々とフィリピン上陸を果たしています。

ちなみに、戦場画家として有名な藤田画伯は、この戦闘のあと、クラークフィールドの基地を視察に行っています。
そのときの手記が、溝口郁夫先生の「絵具と戦争」という本(図書刊行会)に書かれています。

せっかくなので、すこし引用してみます。
=========
この基地にいたB17爆撃機104機は、台湾を発進した日本の海軍陸攻と零戦の部隊(有名な坂井三郎も所属する台南部隊)により破壊され、基地は開戦初日で機能を失っています。
佐藤敬は「クラークフィールド攻撃」を、猪熊弦一郎は「クラークフィールド戦跡」を描いています。
向井の観察した基地の様子です。

「どの格納庫も日本軍の銃弾を浴びて穴だらけになっており、付近には米軍自慢の(空の要塞)が腰が抜けたようになって幾台も捨てられている。
中にはいってみると、何か精密工場のような広さと構造で、いかにも整備された科学の粋といった美しさであるが、その中に散らばっているアメリカの流行雑誌から切り取った女の媚めかしい写真がどことなく間抜けて見え、つい笑わせられる。
 あちらこちらに竹製の技巧を凝らした偽装機がおかれているが、これはひとつも銃弾を受けていない。
12月8日の開戦当日、この飛行場でも多くの哨戒機が舞い上がって備えていたが、日本軍の空襲がなさそうなので、昼食にひとまず着陸したところを、あっさり襲われてしまったのだという。
よほど低空まで降りて銃撃したとみえ、格納庫の中におかれたまま撃破されている機がある一方、偽装期がこうしてちゃんと敬遠されている光景をみると、伝えきく沈着ぶりも、なるほどとうなづける」
(仮名遣いはねずが口語にしています)
=========

この本は、実に読み易く、また内容の濃い本なので、みなさまにも是非お薦めです。

格納庫にしまってある飛行機は、上空からの攻撃はできません。
ではどうやって機銃を浴びせたかというと、日本の戦闘機が地上すれすれに飛び、格納庫内の米軍機を銃撃破壊して、再び空に舞い上がったということなのです。

地上すれすれの降下と飛行は、ほんの一瞬の誤操作で地上に激突してしまうたいへん危険な飛行です。
しかも場所は、敵の地上兵がうようよいて、物量にものをいわせて対空砲火をメチャクチャに撃ってきている米軍基地上の戦場です。

その戦場で、偽装機には、いっさい目もくれず、ご丁寧に格納してある敵機まで、ひとつひとつ破壊していったというのですから、当時の台南空のパイロットたちの技量たるや、はかりしれないものがあります。
これを鍛えあげたのが、まさに小園司令だったわけです。
ちなみにこの戦闘で、味方の将兵をほったからして、さっさと国外逃亡してしまったのが、マッカーサーです。

ちなみに米国はこのクラークフィールド攻撃にあたって、終戦まで、日本軍が空母でフィリピンに接近したと信じていたそうです。
けれど実は、この作戦の成功は、日本の零戦の航続距離の産物でした。

さて、台南空は、昭和17年4月に、ラバウルに転進しました。
小園司令は、ここで大型爆撃機B17による空襲の威力を 痛感させられます。
とにかく飛行高度が高いのです。
しかも夜間に上空に飛来し、そのままの高度で爆弾を投下して去ってゆく。

戦闘機でB17を撃墜しようとすれば、敵の前方から垂直ダイヴで何度も反復攻撃をくり返すという 離れ業が必要です。

敵の前方上空に出て、垂直降下しながら銃撃するのです。
当然攻撃は垂直運動でしかないし、敵からみたら、まさにネタになってしまう。
その垂直運動に工夫をこらし、敵弾を避けてなおかつ攻撃を成功させるには、相当の練度が要求されます。
しかも、攻撃が夜間となれば、要求される練度の高さは、飛躍的に高まります。
ひとことでいえば、夜間襲来するB17に、零戦でまともに迎撃することは不可能だということです。
そのB17が、日本のラバウル航空基地に毎日飛来するのです。

一方、日本のラバウル基地はというと、戦闘機搭乗員のほとんどがニューギニア戦線に進出している。
おかげで戦闘機はあっても、操縦する戦闘機搭乗員が足らない。
それでもB17が飛来すれば、残された少数の搭乗員で立ち向かう。
絶対的な戦力不足です。
そんな状況にあったのです。

そこへ台南空から到着したのが、小園司令でした。
状況からすれば、ふつうなら、上層部にパイロットの増員を督促するのだけれど、小園小園副長は、まったく逆の発想をします。

まず、自隊の偵察機のパイロットに、現地で戦闘機の操縦訓練を施したのです。
同時に、偵察機に空対空爆弾として知られる三号爆弾(当時の最新兵器)を搭載します。

どういうことかというと、偵察機は、高高度への飛行が可能です。
飛行高度が、B17にひけをとらないのです。
その偵察機に、空対空爆弾を搭載し、B17の高度に飛翔させて、これを倒す。

結果は、というと、まさに効果てきめんでした。
たった三機の偵察機が「3号爆弾」を搭載しただけで、一ヶ月のうちにB17をなんと15機も撃墜してしまったのです。
恐れをなした敵は、その後しばらくラバウルに来なくなってしまった。

さらに小園司令は、高度が足らない戦闘機に「斜め銃」を搭載することを建言しました。
戦闘機の機首近くに、斜め前方を向いた機銃を取りつけるのです。
そして地上から急上し、B17の腹部にもぐり込んで、敵を下から叩く。

この斜め銃も、とくに夜間の敵機来襲にてきめんな効果を発揮しました。
敵爆撃機は、地上から探照灯に照射されています。
こちらからは腹が見えているのです。
一方で敵からは、探照灯の光がまぶしくて、こちらの戦闘機が見えない。

ちなみにこの「斜め銃」は、中央(本土)でほとんど相手にされないものでした。
正式にこの案が採用されたのは、サイパンが陥落して、B29による本土空襲が本格化し、小園司令が本土防衛のために厚木基地に赴任となってからです。
しかも搭載したのは、わずか三機だけでした。
陸上偵察機として使用され、戰闘機としては、もう見捨てられたような状態にあった飛行機に、ようやく斜め銃取り付けの許可がでたのです。
これが、のちに夜間戰闘機・月光と呼ばれるようになる一三試双発陸上戦闘機、後の二式陸上偵察機です。

けれど、この「斜め銃」は、まさに大当たりでした。
本土上空に侵入した超大型爆撃機B29を下から、次々と撃墜したのです。
なんと、たった三機で、B29を80機撃墜するという、これまた大戦果をあげています。
後には、あの最強の空の要塞のB29が、あまりに簡単に撃墜されるので、この斜め銃は、陸軍の屠龍の一部や、零戦、雷電にも装着され、果敢な成果をあげています。

ただ、この時点ではすでに石油の輸入もなく、物資が不足し、飛行機の生産そのものさえ停滞していた日本は、集団で密集し、まるでイナゴの大軍のように飛来するB29に対し、圧倒的に飛行機の数が足りませんでした。
しかし、高高度で、飛来するB29が、その高度に達することさえできないほんのわずかの斜め銃搭載機に、80機以上も撃墜されたという事実は、小園司令の存在と、司令を心から信頼する熟練パイロットの腕前と会わせて、歴史の事実として記憶すべき快挙だと思います。

この斜め銃について、パイロットたちの評判がすこぶる悪かった、と書いている本などがあります。
だから斜め銃は、無能な企画だったと結論づけているようです。
私は思わず笑ってしまいました。
なぜなら、あたりまえのことだからです。

銃口が、まっすぐに正面を向いていれば、敵を狙いやすいです。
銃口が、斜め上を向いていたら、狙いにくいです。
あたりまえです。

しかも日本の飛行機に搭載している機銃は、弾が少ないのです。
ですから、シューティングゲームよろしく、乱射することができません。
あくまでも狙い澄まして、ドドンと放ち、敵を落さなければ、先に弾がなくなってしまうのです。
「当てにくい弾を、少数しか持てない」という状況の中で「当てにくく狙いにくい斜め銃」での対戦を命じられたら、それは、パイロットにとっては大変です。大きな負担でもあります。
ですから、パイロットに評判が悪かったのは当然です。

けれどその斜め銃によって、高高度で飛来するB29を撃ち落とすという戦果をあげたのも事実です。
同時に、その狙いにくくてパイロットに負担をかける斜め銃を、猛烈な訓練で「使える銃」にしたてあげた小園司令の上官としての能力と、「当てにくいのに当てるように、使えるように」してしまった当時のパイロットたちの凄味というものを、私達は学ばなければならないと思うのです。

ラバウルに話を戻します。
昭和の撃墜王坂井三郎氏の著作に、次のようなお話が書かれています。

当時、ラバウルは最前線基地です。
最前線ということは、それだけ危険が多いということです。
しかも徐々に制海権を失いつつある日本は、ラバウルに十分な補給物資届けることが困難になっています。
当然ながら、将官はともかく、一般の兵士たちの食生活は最悪なものになります。

そこで「これでは気力・体力を消耗してしまい、空戦に差し障りが出る」と考えた坂井一等飛行兵曹(当時)が、悪いことと知りつつ時々士官用の食材を盗み出して部下に分け与えていました。
これを海軍用語で「銀バイ」と言ったそうです。

ある日、坂井氏は、補給物資を管理する士官に「銀バイ」を見つけられてしまいます。
その士官は、兵士たちの事情を無視して怒りまくりました。
坂井一飛曹(当時)は、ついに腹を据えかねて、銃を発砲してしまったのです。

もちろん威嚇射撃です。
しかし上官への発砲は反乱罪です。
即銃殺に相当します。

その日の夜、坂井一飛曹は完全武装した衛兵によって副長室に連行されました。
坂井氏は、小園副長の前で、下士官兵の劣悪な生活環境を怒鳴るようにして訴えました。

小園副長は、坂井の話をずっと黙って聞いていました。
最後に坂井氏は「私は銃殺でしょうか」と尋ねました。
黙っていた小園副長は、その瞬間、裂ぱくの気迫で、坂井氏を怒鳴りつけたそうです。
「何で最初から俺に言いに来ないかっ!」

坂井氏は「胆がふるえた」と、このときの模様を伝えています。
烈火の如き小園副長の気合いに、歴戦の勇者の坂井氏でさえ、このとき魂の底から震え上がったそうです。

そして小園副長は、ひとこと、
「宿舎に戻れっ!」といいました。
坂井氏は、悄然と小園の部屋をあとにしました。

翌日のことです。
いきなり、下士官兵の食事が改善されました。
食事の内容が、貧しく物資がない中でも、最大限配慮されたものに変わったのです。
しかも小園副長は、すべてを腹に収め、坂井氏への責任追及は一切ありませんでした。

昭和17(1942)年10月、小園ら台南空は人材と機材の消耗が激しく、再編成のために、いったん内地に引き上げる事になりました。
ガダルカナル島をめぐる攻防で、笹井醇一中尉 、宮崎飛曹長、本田二飛曹ら主だった面々が戦死し、坂井一飛曹も重症を負って内地に送られていたのです。

ラバウルを去った台南空は、同年11月には、内地の第二五一航空隊と改名されました。
12月になると、斉藤大佐にかわって、小園副長がが司令に任命されました。

小園新司令のもと二五一空は、昭和18(1943)年4月、ふたたびラバウルに進出しました。
そして4ヶ月後、日本に帰還した小園司令は、首都周辺に存在する海軍施設の防空を任務とする第三〇二航空隊司令に任命されたのです。

すでに本土空襲がはじまる中での首都圏防空隊です。
皇居をお守りする最重要任務を持つ三〇二空です。
並の司令ではつとまりません。
日本海軍が首都圏防空のために、最後に選んだのが、小園司令だったのです。

ソロモンや中部太平洋を巡る激戦によって、この頃の海軍は、戦闘機搭乗員を多数失っていました。
三〇二空も、一般大学生を採用した予備士官や爆撃機等の他機種から転科した戦闘機搭乗員が大勢を占めています。
もちろん、三〇二空に選ばれるくらいですから、腕はいい。
けれど一般に、海軍兵学校を卒業し、戦闘機搭乗員出身の将官は、やはり同じ海軍兵学校卒業生を可愛がる。
同門の後輩にあたるからです。

ところが小園司令は、パイロット、整備員、その他職員について、一切の差別というものをしませんでした。
完全に実力本位の統率を行ったのです。
おかげで、部隊の士気は猛烈に高まりました。

ここでひとこと付け加えます。
「完全実力本位の統率」というのは、文字にしたら、たった9文字の簡単な文字でしかありません。
けれど、これほど難しいものはありません。
このことは、会社における社員の統率を考えていただければわかると思います。

入社年月や、役職に関わらず、完全実力本位とする。
そのためには、上司に完全な公正が求められるのです。
クチでいうほど簡単なことでないことは、すぐにおわかりいただけようかと思います。
まして軍は常時死と隣り合わせです。
いつ死ぬかわからない。
そういういわば極限という状況の中で、誰からも不満の声ひとつなく、全隊員たちの心を見事なまでに掌握し、実力本位で無理無駄のない完全合理主義の体制をひく。
並の力量では勤まらないことです。

小園司令について、ひとついえることは、彼が歴戦の勇者であり、数々の武勲を立てた戦績を持ち、しかも隊長としても豊富な実績を積んでいたということが、まずあります。
けれど、小園隊長のもと、全員の気持ちがひとつにまとまった背景には、もうひとつの大切なファクターがあります。それが「公平」です。
隊員たちを「平等」に扱ったのではありません。
学歴や門籍、あるいは入隊年月や成績順位といったものをもとに、格差をつけるのは、そうした基準をもとに、ある意味「平等」な考課をするということです。
何も考えなくて良いのですから、考課者にとって、これほど楽な考課方法はありません。

けれど、実力本位で公平に考課するということは、考課する側、される側の両方に、互いのしっかりとした信頼関係がなければ成り立ちません。
いいかえれば、小園司令は、それだけ部下から絶対の信頼を得れる希有な司令であったということです。

戦争も後期となり、マリアナ諸島が米軍に占領され、そこを基地としてB29が関東・東海地方を中心に日本本土への空爆を行うようになりました。
小園司令の指揮下で首都方面防空隊として、海軍最大の戦力を持つ三〇二空は、B29と激戦を繰り広げています。

航空高度の性能が、2割以上も格上のB29に対して、戦いを挑むのです。
前にも書きましたが、方法はただひとつ。
全速力で(敵の弾を避けながら)垂直上昇を行い、その勢いで機銃を発射して、ようやく弾を上空のB29に届かせる。

一直線に上昇して来る敵機というのは、非常に狙い撃ちしやすい標的です。
その狙い撃ちしやすい標的となって、みずからの機体を敵前にさらし、そのうえで攻撃を行う。
悲しいほどに危険な作戦です。
そういう死闘を繰り返す最前線の兵を抱える小園司令にとって、お偉いさんたちのノホホンぶりは、日ごろから腹に据えかねるものだったであろうことは、容易に推測できることです。

小園司令が「斜め銃」装備の有用性を必死になって説いてまわったときも、あまりに上層部の反応が鈍かったといいます。
小園司令にしてみれば、
「こいつらは戰争を始めておいて、一体勝つもりがあるのか」という憤りすらある。

後日、厚木基地で叛乱を起こした小園司令の憤激の根底にあったのは、「キンタマぶらさげた男が、正しいと思う喧嘩を始めておいて、簡単に降参できるもんか」という気概です。
同時に、小園司令の心の中に、ふぬけたお偉いさんに対する不満が鬱積したとしても、これは不思議なことではありません。

小園司令は、思っていることを腹にためておくことができない性格の人です。
二度目の司令としてラバウルに赴任したときも、歯に衣着せない意見具申を艦隊司令部に何度も出し、ついにはお偉いさんをおちょくったような短歌をつくって 部下に配布して、上官のミコを悪くし、わずか四カ月でとばされた、という経歴ももっています。

しかし、戦いというものは、常に現場が第一であるべきものです。
戦争は会議室で行われているのではない。
戦場の最前線で行われているのです。

私がかつてサラリーマンをしていた頃にも、部下に小園司令と顔つきも気性もそっくりな男がいました。
頑固一徹です。
たとえ相手が本社のお偉いさんであっても、歯に衣をきせず、真正面から大声を張り上げた。
彼は、上からはずいぶん嫌われていました。
けれど、責任感が強く、やり抜くまで絶対にあとにひきませんでした。
単に口舌の徒ではなく、そういう生一本で純粋で責任感のかたまりのような男こそ、いざというときにほんとうに役に立つものだと思います。

昨今の日本人は、腰抜けになったといわれています。
けれど、かつてこの日本に、小園大佐のような、勇猛果敢かつ実直一筋の男がいたし、いまもそこらじゅうにたくさんいる。
そしてその彼らが、皇国を護りぬくという決意に立ったとき、日本は必ず変わる。
私はそのように思います。


※この記事は平成22年5月の記事を再編集してお届けしました。

人気ブログランキング
 ↑ ↑
応援クリックありがとうございます。
励みになります。

さだまさし 防人の詩


【メルマガのお申し込みは↓コチラ↓】
ねずさんのひとりごとメールマガジン有料版
最初の一ヶ月間無料でご購読いただけます。
クリックするとお申し込みページに飛びます
↓  ↓
ねずブロメルマガ

日心会メールマガジン(無料版)
クリックするとお申し込みページに飛びます
↓  ↓
日本の心を伝える会 日心会
拡散しよう!日本!


ねずブロへのカンパのお誘い
ねずブロで感動したら・・・・
よろしかったらカンパにご協力ください。
【ゆうちょ銀行】
記号 10520
番号 57755631
【他金融機関から】
銀行名 ゆうちょ銀行
支店名 〇五八(店番058)
種目  普通預金
口座番号 5775563
【問い合わせ先】
お問い合わせはメールでお願いします。
nezu@nippon-kokoro.com

関連記事

コメント
燃料電池車 日本主導で普及促進を(8月25日)
燃料電池車 日本主導で普及促進を(8月25日)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/487582.html

 エネルギーの消費量を考える時に自動車のガソリンの消費量が特別多いい、家庭用の
エネルギーで暖房費、冷房費、ガスや水道光熱費に使われている費用が水素の費用に置
きかえられる。 その訳は水素から電気を作れて純水を作れる。 燃料電池車の普及が
家庭や工場のエネルギー事情を激変させると思われる。 水素がタダ同然で手に入り空
気中の酸素は無尽蔵にあり廃棄物は純水だけなので大気汚染の心配も無い。
 水素ガスを輸送する大型飛行船による物資の空輸でトラック便や航空便の需要が激減
する。 大量輸送が可能に成るので高速輸送の需要も激減する。 今まで電気を作る為
に使っていた化石燃料は不要となり、同時に有り余った電気で電力のコストは下がり核
燃料廃棄物の処理に問題が有った原子力発電所も不要になる

【燃料電池の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kfn/kfn0.cgi
【燃料電池タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。
2013/08/27(火) 22:43 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
飛行隊員の食事が豪華であったのは知っていたのですが、単純に危険な業務に就いているために、配慮されていたと思っていました。兵隊ですから第一戦の部隊はどの業務も危険であったことに変わりはないと思いますが、飛行隊員の寿命は特に短かったので、食事だけでも特別にしていただかないと隊員の士気が上がらなかったと思います。

軍隊と政治家を比べることに意味はないのかも知れませんが、政治家の中には自分の利益を国の利益にすり替えて、大言壮語する輩がいるように思います。
国土強靱化政策の実施に伴い、自己の利益を算段している建設土木を得意とする議員には、今から目を光らせておきませんと、せっかくひねり出した予算も東日本大震災の復興遅れと同じように、訳の分からない処理をされます。



韓国を訪問中の国連の潘基文事務総長は26日、ソウルの韓国外務省で記者会見し、歴史認識問題をめぐり日本と中韓との対立が深刻化していることについて「日本政府と政治指導者は自らを深く顧みて、国際的な未来を見通すビジョンを持つことが必要だ」と述べ、日本政府に注文を付けました。
潘基文事務総長を始めとして今の韓国人は、李承晩政権以降のトンチンカンな韓国史で教育されていますから、正確な韓国史を知りません。
だから、自分が何を言っているのか判っていないのです。
日本が併合するまでの韓国の李氏朝鮮の不幸な歴史と、併合後に急速に整備された韓国を学び、李承晩による出鱈目な政治を韓国人は知る必要があります。(特に、日本の恩恵を被っている在日朝鮮学校には必要です。)
また、国連事務総長ともあろう者が立場をわきまえず、無知をさらけ出してどうするのでしょうか?
こんな潘基文を事務総長の改選時に推薦するよう、日本の国連大使に指示を出した日本の政治かは誰なのか?
日本のプライドを、守る政治家を育てていかねばならないと思います。
(同時に、日本人に自虐史観から逸脱するための、正しい日本の歴史を与えてください。)



安倍首相が政権を取り返してから、もう八ヶ月を超えています。
そろそろ衆議院と参議院の選挙方法について、根本的な改革を検討しないと、次の選挙に間に合わなくなります。ともかく、政党はそれぞれの利益に基づいて希望がありますから、そんなに簡単に統一見解は出せないと思いますので、早々に本格的な選挙改革に取りかかっていただかないといけないのです。

私は選挙方法について、衆議院は全国1区とする非拘束名簿式比例選挙を提案します。ただし、最低当選人数を1党で11名(又は6名)とする。理由は11名で議案の提案権が発生するためです(6名の場合は、2党で協力することを配慮した)。合計人数は400名程度(国民30万人当たり1名とする。)
5名以下を排除するのは、各種の委員会への参加者数や政治全般を見回し、国民との対話するとき、これ以下では行動できないと考えるためです。
もし、地域特性を出す場合には、全国を8選挙区に分けても良いと思います。

参議院は、衆議院と異なる選挙方法をとります。
全国1区の個人投票、又は中選挙区(一つの選挙区は、1県とする必要はない。合計人数は200人程度ですが、任期6年で3年ごとの選挙で1回当たり100人程度とします。)また、参議院は良識の府として1党1派からの影響を受けずに行動するため、政党への所属及び政府への参加は認めない他、政党助成金の対象としない。ただし、個人への政治活動費を文書費と同額程度、支給すれば政治活動はできると思います。
2013/08/27(火) 15:32 | URL | #-[ 編集]
小園指令の行動をこのブログで知りました。降伏命令が出されてもそれに正直に従ったばかりにケダモノソ連のおかげでだまし討ちにあい、亡き義父はシベリア抑留の憂き目にあいました。武装解除すれば終わりではないことはこれまでのお話でもよく分かることです。しかしながら昭和20年夏、戦艦大和を建造した呉の海軍軍需工場は大規模な空襲にあい、壊滅状態となり、その工場に勤労学徒として動員されていた私の母は九死に一生を得ています。この上、徹底抗戦を叫ぶ人々を抑えきれず本土決戦となった場合、どれだけの死傷者が出たか?想像を絶するものと存じます。かえすがえすも終戦のご聖断に感謝するばかりです。・・私はこの世に存在していなかったかも・・
2013/08/27(火) 11:45 | URL | 団塊の世代の後輩 #-[ 編集]
2013/08/27(火) 07:35 | URL | junn #p4GOlP7Y[ 編集]
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
最新刊
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』

AdSense
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新記事
最新コメント
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

リンク
このブログをリンクに追加する
リンク2
AdSense
カテゴリ
月別アーカイブ
AdSense
解析
スポンサードリンク
ねずさん(小名木善行)著書
↓最新刊↓


↓好評発売中↓






ねずさんメルマガ
ご購読は↓コチラ↓から
ねずブロメルマガ
ご寄付について
ねずブロはみなさまのご支援で成り立っています。よろしかったらカンパにご協力ください。
【ゆうちょ銀行】
記号番号 00220-4-83820
【他金融機関から】
銀行名 ゆうちょ銀行
支店名 〇二九(店番029)
種目  当座預金
口座番号 0083820
口座名義 小名木善行
【問い合わせ先】
お問い合わせはメールでお願いします。
nezu3344@gmail.com

講演のご依頼について
最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
テーマは、ご自由に設定いただいて結構です。
講演時間は90分が基準ですが、会場のご都合に合わせます。
E-mail nezu3344@gmail.com

講演テーマ
<ご参考>
古事記に学ぶ経営学
古事記に学ぶ日本の心
百人一首に学ぶ日本の心
女流歌人の素晴らしさ
日本人の誇り
その他ご相談に応じます。
検索フォーム
AdSense
関連サイト
祝日には国旗掲揚を!
御国旗セット
¥2,190

大型御国旗セット
[ステンレス製3mポール付き]
¥4,800

御国旗伸縮ポールセット【大サイズ】
¥3,000

御国旗セット L
[ マンション設置用 Lタイプ テトロン 国旗 ]

台灣民政府
台湾民政府
サンフランシスコ講和条約で、日本は台湾に関して処分権は連合国に提供しましたが、領土の割譲は行っていません。条約以降、連合国も日本も台湾の処分先を決めていません。つまり台湾はいまも日本であり、台湾にいる1500万人の戦前からいる台湾人は、日本国籍を有する日本人です。私は台湾民政府を支持します。
お薦め書籍1

日中戦争-戦争を望んだ中国 望まなかった日本


江戸の自治制


幻の黄金時代


ドキュメント自衛隊と東日本大震災

AdSense
コメントをくださる皆様へ
基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメントは、削除しますのであしからず。
最新トラックバック
AdSense
コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人である私の判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
エディタ・コミュニティ
edita.jp【エディタ】
amazon
通州事件の真実
通州事件を実際に体験された女性の手記です。
クリックするとテキストファイルが開きます。
https://docs.google.com/file/d/0B9Dh1-gISO9CZERHN2oxempSeEk/edit
パチンコをはたき出せ!
パチンコ撲滅
パチンコ市場は21兆円
そのお金を消費に向ければ莫大な経済効果が生まれる!

 ↓関連記事↓
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1197.html
やまと新聞を守れ!

やまと新聞は、戦後GHQの圧力に屈することなく、日本のジャーナリズムの正義を貫いた唯一の新聞です。
みんなの力でやまと新聞を応援しよう!!
やまと新聞社の公式HPは
 ↓コチラ↓
http://www.yamatopress.com/ 購読料は月500円です。
下の窓の中味をコピペすると、上のバナーをご自分のHPに貼ることができます。
やまと新聞の紹介記事はココをクリック
殲滅支那大連盟
殲滅支那大連盟

■満州国臨時政府■
 ↓ ↓ ↓
http://www.manchukuo.net/
ねずブロの拡散・転載について
当ブログの日本の心を伝えるための適法かつ前向きな拡散はおおいに歓迎です。 ただし適法な引用でないと、著作権侵害で処罰されることがありますのでご注意ください。
RSSリンクの表示
FC2ブックマーク

PING送信プラス by SEO対策

QRコード
QRコード
スポンサードリンク