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敷島の大和心を人問わ(は)ば 朝日ににおう (ふ) 山桜花(本居宣長)。日本は天皇を国家最高権威とし、民を「おほみたから」とする「シラス国」です。


邪馬台国論争

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邪馬台国論争


魏志倭人伝(ぎしわじんでん)といえば、卑弥呼や邪馬台国で有名ですが、これが書かれたのは、3世紀末(280年〜297年間)頃です。
この魏志倭人伝に書かれた邪馬台国について、九州か畿内かという議論があります。
ところがこの議論、実はとっくに答えが出ている議論です。

この論争は、もともとは江戸時代の新井白石などの頃から延々と続いていたものなのですが、明治43(1919)年になって、京都帝国大学の内藤湖南が著書の「卑弥呼考」で邪馬台国畿内説を説きました。
卑弥呼というのが、実は「ヤマトヒメ」ではないかという説も、このときの内藤説に依拠します。

この内藤説が発表されるや否や、猛然と反発したのが東京帝国大学の白鳥庫吉(しらとりくらきち)教授で、著書の「倭女王卑弥呼考」で「邪馬台国九州説」を強く主張しました。
おかげで、その論争から103年も経ち、この論争以降に様々な考古学史料が発見されたにも関わらず、相変わらず、東大閥の教授は九州説、京大閥の教授は畿内説を墨守していて、いまだに論争に決着がつけられていません。


大学教授界というのは、たいへん厄介な世界です。
親分の教授の学説を否定するような学説を唱えると、教授のポストを失います。
どういうことかというと、有名大学の教授というのは、地方の大学の授業(コマといいます)を受け持つことで、ヒトコマあたりいくらで収入を得ます。
この持っているコマが多いほど、大学教授は収入が高いわけです。
そのコマ割り権を、親分の教授が握っています。
ですから親分の意向に逆らうと、地方大学の授業のコマをもらえない。
割り振り権が、親分教授に握られているから、逆らえない。

こうして、学問とは何の関係もない経済的理由や力関係で、たとえそれがカビの生えた間違った理論であることが実証されていても、これを変えるまっとうな学問的探究が阻害されてしまいます。
早い話が戦後の大学経済学部というのは、マルクス経済論が主流になったものですが、そのマル経がまったく非常識であり、国民経済になんの役にも立たないものであることは、ソ連崩壊が見事に立証しているわけです。
ところが大学は、相変わらず左翼系の経済学者が根を張り、国民経済を活性かするどころか、阻害することばかりをやっている。

こうした親分教授におもねって、まともな学問がなされないという問題は、戦前からあることはあったものです。
ただ、戦後は、GHQによる公職追放令によって、まっとうな教授陣が職を追われたこともあって、後がまに左翼思想に偏向した学者さんたちが座ったので、左翼というものは、実はたいへんに権威主義的思想の持ち主で権力さえ握れば何もかも自分の思うままになるという思想ですから、特にこの傾向が一層強まりました。
ちなみに理工系では、研究成果が主ですので、かなりこうした縛りは薄いようです。

文系に目立つこうした「大物教授による学説の縛り」というのは、たいへんに強烈なもので、大学教授界、とりわけ考古学の世界では、このことがたいへんな重石になっています。
たとえば縄文時代の衣服です。

多くの学校の教科書には、縄文人は髭もじゃで鹿の毛皮を着て、石斧を手にもってウッホウッホとやっている姿に描かれています。
ところが、縄文前期の鳥浜貝塚などから「布」そのものが出土し、また土器の底に布の編み目がついているものなどが、近年多数発掘されています。

そもそも日本のような高温多湿の国で、夏の猛暑に毛皮など着用していたら、蒸れて蒸れてしかたがありません。
「布」があれば、それを着用していたと考えるのが普通です。

だいたい常識で考えて、ウサギやタヌキなどの小動物を狩るために野山に分け入るには、男性なら大事なところを隠しておかないと、怪我をしてしまいます。
ならば何らかのものを使って、そこを隠して保護するのがあたりまえで、そのときに通風性に乏しく、蒸れ蒸れの毛皮のパンツなど穿くか?と考えれば、誰しも穿かない。
通風性の良い布でそこを隠すのがあたりまえの行動です。

縄文時代の土偶(人形)なども多数発見されていますが、それら土偶に描かれた着衣も、どうみても「毛皮」ではありません。
そもそも、縄文人自体が「毛皮」を着ていたという証拠そのものもありません。

もちろん布を織ったり編んだりするには、そのための道具も必要です。
そういう点について、実は尾関清子先生という実に優秀な学者の先生が、詳細に調べ上げ、さらに縄文時代の布を織る道具なども復元し、縄文人たちの布の着衣の復元なども研究され、本も出され、研究発表なども多数されておいでになります。

ところが、日本の考古学会は、いまだこれを認めない。
認めないどころか、尾関先生が年に一度の世界考古学会の国際発表会で、この「縄文人と布の衣装」について発表しようとしたところ、その詳細な研究成果に多数の学者の先生方が賞賛を送り、是非、発表しましょうとなったのに、国内の考古学会の最終選考会で、大御所といわれているある大物考古学教授がひとこと「縄文人は毛皮を着用していたことに”なっている”」と発言したことで、布の衣装は却下になりました。

何のためにそう「なっている」のか知りませんが、本来学問というものは、「〜なっている」、「〜と決まっている」という決めつけではなく、ひとつひとつがちゃんと理論的にも史料的にも解明されていくというアカデミックな場であるべきものです。

文科省、そして国立大学閥、そこにできている階層社会、そして予算の分捕り合戦といった「都合」があるのかどうかわかりませんが、いい加減、日本の大学も眼を覚ますべきではないかと思います。
このままでは、日本の文系大学は、世界の潮流からどんどん取り残されてしまう。

さて、邪馬台国の九州・畿内論争ですが、これにしても、実はとっくに結論が出ています。
では、どちらが正解か。
実は、答えは、両方正解でした。

魏志倭人伝よりも少し後の時代に書かれた、支那の旧唐書(くとうじょ)という歴史書に、そのことがはっきりと書かれているのです。
「日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名」というのがそれで、意訳すると「日本国は、倭国の別種なり。その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた」と書かれているのです。
つまり、九州王朝と畿内王朝は、「どちらもあった」わけです。

要するに確たる証拠があがっているのですが、東大閥も京大閥も、どちらも旧唐書を認めていません。
認めないどころが、偽書である可能性が高いなどと、言い出している始末なのだそうです。不思議なことです。

この「旧唐書」というのは、完成したのが945年で、魏志倭人伝よりも600年ほどあとの時代のものです。
記載された内容は、唐の成立(618年)から滅亡(907年)までの約300年間の出来事で、その中に「倭国伝」と「日本国伝」があります。

その「倭国伝」の冒頭には次の記載があります。
======
倭國者、古倭奴國也。去京師一萬四千里、在新羅東南大海中。
======
東西五月行、南北三月行。世與中國通。四面小島五十餘國、皆附屬焉。其王姓阿毎氏、置一大率、檢察諸國、皆畏附之。設官有十二等。

倭国とは、古の倭奴国なり。唐の都から一万四千里、新羅の東南の大海中に在り。というわけで、この頃の朝鮮半島は「新羅(しらぎ)」によって統一されていますから、そこから東南に海を渡った先にあるのが「倭国」だというわけです。

======
東西五月行、南北三月行。世與中國通
======
広さは、東西に五ヶ月の行程、南北に三ヶ月の行程であり、代々、支那と通じている。
ということは、四方を海に囲まれている島国だ、ということです。
そして支那と通商をしていた。

======
其國、居無城郭、以木為柵、以草為屋
======
その倭国には、居住地に城郭はなくて、木でできた柵を塀として囲い、屋根は草葺き屋根だというわけです。

======
四面小島五十餘國、皆附屬焉
======
そして倭国の四方には小島がある。
国内とそれらの島々にある五十余国が、倭国の傘下にはいっている。

======
其訴訟者、匍匐而前。地多女少男。頗有文字、俗敬佛法。並皆跣足、以幅布蔽其前後。貴人戴錦帽、百姓皆椎髻、無冠帶。婦人衣純色裙、長腰襦、束髮於後、佩銀花、長八寸、左右各數枝、以明貴賤等級
======
争いごとが起こると、這って前に進み出て訴えを起こすというわけですから、裁判制度がしっかりしていて、紛争の解決に武力を用いた戦争を好まなかったということがわかります。
そして「その地には女が多く男が少ない」、つまり、女性を大切にしていた。

そして「甚だ文字を知り、俗人は佛法を敬う」。
つまり、一般の民衆に至るまで読み書きが普及していて、仏教も敬われていたとあります。

さらに服装は、みんな裸足であり、幅の広い布の衣装を着ている。
貴人は錦(めん)の帽子をかぶり、百姓たちもマゲを結っている。
婦人の衣装は、鮮やかな色のスカートに、長い腰襦袢で、髮を後に束ねていて、銀でできた花のカタチの簪(かんざし)をさしている、というわけです。
優雅でみやびな生活のいったんが伺えます。

おもしろくなるのは、ここからです。
=======
日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。或曰:倭國自惡其名不雅、改為日本。或云:日本舊小國、併倭國之地
=======
「日本国は、倭国の別種だ」とあります。
そして、その日本国は、日の出の場所、つまり「倭国」からみて東方にあるというのです。
そして東にあるから「日本」と名づけたと書いてあります。

いささかわかりにくいのがこの後の文で、「倭国という名が雅(みやび)でなかったので、あらためて日本という名にした、あるいは日本は、昔は、小さな国だったのだけれど、倭国の地を併せた、というわけです。

この日本がどういう国かという記述が、この後ろにあります。
=======
其國界東西南北各數千里、西界、南界咸至大海、東界、北界有大山為限、山外即毛人之國
=======
日本国の境目は、東西南北に各数千里、西のはずれと南のはずれは、いずれも大海であり、東の方角には大きな山があり、その山の向こうは、毛人の国だというのです。

冒頭で、「倭国」は四方を海に囲まれた島国であり、四方の海には多数の小島がある、と書いているわけです。
ところがこの段では、「日本国」は、西と南は大海に面しているけれど、東の方角には大きな山(富士山?)があって、その向こう(富士山の東)は、毛人(アイヌのこと?)の国である、としているわけです。
つまり、国の形状が「倭国」とは異なる。

実はこれについて、支那に唐の国が起こる前の隋(ずい)の時代に書かれた「隋書(ずいしょ)」に、おもしろい記載があります。
かなりストレートです。

=======
有阿蘇山、其石無故火起接天者、俗以為異、因行禱祭。有如意寶珠、其色青、大如雞卵
=======
倭国の真ん中には「阿蘇山」があり、そこの石は故無く火柱を昇らせ天に接し、俗人はこれを異として祭祀を執り行っている、というわけです。
倭国の中央には「阿蘇山」がある。
しかもその阿蘇山は、火を噴いています。
どうみても、この山は富士山ではない。
つまり「倭国」は、九州王朝だったということになります。

その九州王朝だった「倭国」とは別に、本州側に「日本国」が起きた。
そしてその日本国は、旧唐書には「倭国とは別種だ」と書かれていて、その日本国は「日の出の場所、つまり倭国からみて東方にあるから「日本」という名前がついている、と書かれているわけです。

では、すこしわかりにくい、「倭国という名が雅(みやび)でなかったので、あらためて日本という名にした、あるいは日本は、昔は、小さな国だったのだけれど、倭国の地を併せた」という記述は何を意味しているのでしょうか。

実は、このことについて、「旧唐書」のあとに書かれた「新唐書」に、次の記述があります。
========
日本、古倭奴也。去京師萬四千里、直新羅東南、在海中、島而居
(中略)
彦瀲子神武立、更以「天皇」為號、徙治大和州。次曰綏靖、次安寧、次懿德、次孝昭、次天安、次孝靈、次孝元、次開化、次崇神、次垂仁、次景行、次成務、次仲哀
========
日本は、いにしえの「倭奴国」なり。
唐の都から一万四千里、新羅の東南にあたり、海中に在る島である、というわけです。
島・・・ですからこれは旧唐書と同じことを言っていて、つまり九州だ、というわけです。

そしてその「倭国」に、彦瀲(ひこなぎさ)の子の神武が立ち、改めて「天皇」を号して、大和州に移って統治した。次は綏靖、次は安寧、次は懿德、次は孝昭、次は天安、次は孝靈、次は孝元、次は開化、次は崇神、次は垂仁、次は景行、次は成務、次は仲哀という、というわけです。

彦瀲(ひこなぎさ)については、記紀にも記述があります。
「海彦、山彦」の物語でよく知られた「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと=山幸彦)」と、海神の娘である豊玉姫(とよたまひめ)の子で、「古事記」には「天津日高日子波限建鵜草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)、「日本書紀」では彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)と表記されている神様です。

その末子の若御毛沼命(わかみけのみこと)が、神倭伊波礼琵古命(かむやまといはれびこ)で、後の神武天皇)です。
戦後の歴史学者は、古事記や日本書紀に書かれた出来事を、信憑性のないただの神話にすぎないと一笑に付し、教科書からも日本神話を削除していしまいましたが、日本ではなく、支那の歴史書(文献史料)にも、ちゃんと、神武天皇とその東征が書かれているわけです。
要するにこれは、神話に書かれている事実は、「あった」ということです。

さらにいえば、「新唐書」に書かれた神武天皇以降の天皇のお名前も歴代天皇のお名前と、一致しています。
そしてその新唐書に、「倭国にいた神武天皇が大和に移って統治をし、改めて天皇と号した」ということも、記載されているわけです。

記紀には「神武東征」が明確に書かれているわけで、九州においでだった神武天皇が、東へと向かい、大和の地を都と定めたとあります。
ここまでくれば、邪馬台国は、もともと九州にあった「倭国」を指し、その倭国が東に上って大和朝廷を築いたとわかります。

ちなみに九州にあった「倭国」は、「倭奴国」とも表記されます。
「倭奴国」といえば、後漢書東夷傳に、
======
建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬
======
という記述があります。
「建武中元二年(西暦57年)、倭奴国、貢を奉じて朝賀す、使人自ら大夫と称す、倭国の極南の界なり、光武、印綬を以て賜う」と読みますが、このときに下された印鑑が、江戸時代天明年間に発見され、昭和6(1931)年に国法となった「漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん)」です。

つまり、九州にあった倭国は、1世紀には国際交易を行うだけの力を身に付けていたわけで、しかも金印を賜ったということは、印鑑を付くという習慣もあったということになります。
印鑑は、文書につくものですから、つまりその頃、すでに漢字を用いて文書を取り扱っていたということです。
そして、旧唐書によれば、倭国では「頗有文字」つまり、よく文書を用いていたとあるわけです。

戦後の学者は、記紀の神話を否定し、我が国の正史から削除し、そしてさらに邪馬台国について、あたかもいまだに九州説、畿内説の「対立」というドグマに陥っているのですが、そのいずれもが、史料によって完全否定されてしまうわけです。

そしてもっというなら、誰がどう考えても、この高温多湿で猛暑の日本で、毛皮の衣装など通常衣として用いる筈などないのに、縄文人は毛皮を着ていたと言い張る。
ここまでくると、言葉は悪いけれど、もはや子供の我執の世界です。

ヲシテ文字などについても、頭から偽書だとの決めつけがなされているようですが、そうしたさまざまな発見や調査について、もっとアカデミカルに議論され、調査され、試行錯誤されていく学会こそが、あるべき姿であろうと思います。

ちなみに、最近では、韓国系の在日学者などが、邪馬台国朝鮮説などという「とんでも説」をあたかも真説であるかのように宣伝さえし出しています。
邪馬台国朝鮮説などというものは、隋書・倭国伝によれば、
======
倭國、在百濟、新羅東南、水陸三千里、於大海之中依山島而居
======
とあり、これは「倭国は、百済や新羅の東南に在り、水陸を越えること三千里、大海中の山島に依って居する」というわけですから、要するに倭国は、新羅や百済などの朝鮮半島南部の国から、東南の方角に海を渡った先にあるわけで、どうみても朝鮮半島内に倭国は存在し得ません。

もっというならこの隋書には、
=======
有阿蘇山、其石無故火起接天者、俗以為異、因行禱祭。有如意寶珠、其色青、大如雞卵
=======
とあります。倭国の真ん中に「阿蘇山」があって、その阿蘇山は火柱を昇らせて天に接し、俗人はこれを異となし、因って祭祀を執り行うというのです。
倭国の真ん中には「阿蘇山」がある。しかも火を噴いている。
この、どこをどう読んだら倭国が朝鮮にあったということになるのか、見識を疑います。
そんなことで学者を名乗れるのなら、学者も地に落ちたものです。

せっかくなので、もうひとつ付け加えると、この隋書に、次の記載もあります。
=======
新羅、百濟皆以倭為大國、多珍物、並敬仰之、恒通使往來
=======
新羅や百済は皆、倭を「大国」で珍物が多いとして、これを敬仰して常に通使が往来しているというのです。
「隋」というのは、古代の支那に生まれた強大な軍事大国です。
そして「隋」の歴史書である「隋書」は、その強大な軍事大国である「隋」の公式文書です。
当然、記述は隋の立場で書かれているし、本来支那は中華思想の国ですから、朝貢を受ける国は自分の国だけだというのが大前提です。

にも関わらず、その隋が「倭国は大国だ」と書き、朝鮮半島にあった百済や新羅が日本に朝貢していたと、この一文には書かれているのです。
つまり、強大な軍事大国である隋でさえ、不承不承ながら、百済や新羅が倭国に朝貢することを事実上認めざるを得ないほど、倭国の実力が大きかったということが、この一文から明らかになるのです。

ついでにもうしあげると百済も新羅も、国王は後継ぎとなる長男の王子を、倭国に人質に出しています。
要するに、百済も新羅も、そこまでして倭国の実力を認めていたわけです。
そしてその倭国には、阿蘇山があった。
そのどこをどう読んだら、倭国(やまと国=邪馬台国)が朝鮮半島にあったことになるのか。
アホらしさを通り越して、呆れてしまいます。

いずれにせよ、いつまでも学閥や国家意思のようなドグマにとらわれるのではなく、論理的にも考証学的にも正当な学問的研究がちゃんと進む日本の学会に、なっていただきたいものだと思います。
なぜ、わけのわからない邪馬台国朝鮮半島論などが登場するのか。
要するに、我が国の学会にも、同様のドグマがまかり通っているから、つけ込まれるのです。

毅然とした日本というのは、何かを言い張ったりレッテル張りをしたりする日本のことではありません。
事実を事実として、冷静にちゃんと受け止め、謙虚に学び、語り、伝える。
そういうことが、これからはもっともっと大切になると私は思います。

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縄文人の生活再現


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コメント
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2015/03/30(月) 02:52 | | #[ 編集]
肥後大津【邪馬壹國(ヤマトの国)】説
魏志倭人伝には【詳細】に邪馬壹國(ヤマトの国)の一地域【女王の住まう都(津)】に向かう距離と方位が記載されています。
たとえば郡から狗邪國(後の小伽耶)までは七千餘里と有りますが、この間の距離は963kmですから、倭人伝の一里は【137m】になります。

また方位は、現在の方位より【反時計回りに25°】のズレが有ります。
この事は、三国志全体の方位について言える事です。
魏志倭人伝によれば、郡から不彌國までは10,700里と記載されています。

すると不彌國から女王の住まう宮室【都(津)】まで、残り1,300里になります。
現在の距離にして178kmです。
奴國が博多湾付近に在ったとすれば、女王は熊本平野に居たことになります。

奴國は二萬餘戸と有りますが、考古学から一戸当たりの人数は4~5人と言われています。
すると10万人が奴國で暮らしていたことになります。
当時は【自給自足】の生活ですから、一人あたりの消費エネルギーから計算すれば、奴國の人々は現在の福岡平野全域に居住していたと思われます。

奴國の南に在った投馬國は五萬餘戸ですから、奴國の2.5倍の土地を必要とします。
さらに南の邪馬壹國は七萬餘戸ですから3.5倍の土地を必要とします。
こうした土地を求めるとするなら、投馬國は筑後川流域(かつての妻地方)そして邪馬壹國は熊本平野に在ったと考えざるをえません。
2014/10/15(水) 10:18 | URL | wajin128 #Mfz31Oyw[ 編集]
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このコメントは管理者の承認待ちです
2014/10/09(木) 09:47 | | #[ 編集]
その通りです
私は理系で、最近古代史に興味をもって調べています。文系学者、小説家の論理は独りよがりですね。全体の整合性がとれないから、どこかで破たんしています。そもそも魏志倭人伝の女王国を邪馬台国と表記するところがおかしい。原典通りに邪馬壹國または邪馬壱国と表記すべきです。それを無理やり邪馬台国と表記するからおかしな妄想へと発展している気がします。戦後の古代史はパラダイムの転換が必要ですね。
私は日本書紀通り、神武天皇は日向から大和へ移ったと考えています。年代は長浜浩明さん(この人も理科系です)が推定されていますが、非常に説得力のある推定です。
2014/08/09(土) 11:45 | URL | 鯨面文身の理科系 #-[ 編集]
No title
筑波大の門前つくば駅周辺は、案内表示板等そこら中シナ朝鮮語だらけで恐れ戦きます。研究学園都市の約半数の外国人が特亜なだけあります。元筑波大教授の外国人と最近知り合いましたが、奥さんは海外へ養子(捨て子)に出た韓国人でした。他国籍でも、実は特亜系という学生、研究者、関係者が増えて来ています。

竹田恒泰氏は邪馬台国について、中国史に登場する日本の中の一つの国にすぎず、まともな建国の歴史を記載せずに、卑弥呼だけを掲載する左翼出版社の問題を指摘しています。本当の歴史を学ぶ事ができないのは特亜も日本も同じで、教育が害悪を及ぼし続けています。

東大・京大の様な学閥は、自虐史観や、期限の切れた占領憲法の継続を望む最たる勢力なのでしょう。一般人の耳にさえ、東大大学院出身者は実社会で使い物にならないとの評判が伝わります。戦後数十年経った今でも国家観・国体を否定し続けるとは、恥ずかしい存在です。

保守論壇が今後も発展・拡大するなら、国益を重視した研究者、論文の評価、表彰、保護、育成を行う研究機関を創設していただきたい。誰より国民、学生が待ち望んでいます。既存の論壇・学者を主流と言えなくなるまでの変化を期待しています。
2014/04/29(火) 17:29 | URL | 名無しさん #-[ 編集]
あくまで私見
ちと出遅れた上に、前にも書いたよーなヨソにも書いたよーな気もするが、今日も徒然なるままに独り言‥

記紀前半の記述を歴史として解明しようと思えば、神話性やロマンを一切排除して探究すべき。
そもそも日本における神ってのは、海外の神と違って神秘的なオカルト的存在でも何でも無く、生前は我々と同じ人間に過ぎない。
偉い人や功績ある人が死んで神格に昇華したに過ぎない。
それは現代も続いてて、乃木東郷も広瀬武夫も神様だし、仙台四郎や唐人お吉すら神様扱いしちゃうよーな民族性なんだから我々は。(^o^; 
だから記紀に出て来る神々も、戦国時代の信玄や政宗、幕末の桂や榎本を見るよーな目で見るべき。(←彼らだって文字以前の古代に生きてたら神話上の神々の一人だった訳だから)
そーゆー目で見た場合、天から降って来た天孫降臨なんてのも別に空飛んでた訳じゃなく、単に九州北部にあった邪馬台国(日の女神が君臨する国=高天原)から高千穂の山々を越えて南部の日向の里へ降りて来た話を神話チックに盛って伝承しただけかと。 
そしてその子孫が現地の隼人豪族と政略結婚しまくって、在日向4世の神武の頃にはスッカリ混化混血し、共に身内となった旧邪馬台国勢(天孫系)と隼人軍団(土着系)を引き連れ東征目指して船出し、戦い終わって今の奈良県辺りに本拠地を置き、その地を祖先の国名にあやかって邪馬台の国と名付け、自らも「余は神邪馬台の日子である」と名乗ったんではなかろーかと。
古代も中世も今と一緒で、極めて現実的なリアル社会に過ぎない(←当たり前だが)‥って事を念頭に置いて古代史は解明してゆくべきであって、「その方が奇抜でファンタスティックだから」とか「その方が夢があるから」とゆー頭で見ちゃうと江上さんや古田さんみたくなっちゃう(~ヘ~;)
2013/10/06(日) 20:07 | URL | 魔除けに牛島辰熊 #-[ 編集]
科学者の世界もほぼ同じですヨ
日本の考古学や人文系の変なしきたりの話が出ていましたが、基本的には科学者の世界でもまったく同様です。日本の物理学会はかなりひどい状態ですネ。科学者の場合は、大家と弟子という関係のようなものはありません。なぜならどんな大家の言説でも実験や理論でのちのちすぐに証明できるものが多いからです。この意味では、だれかの言説に従わないからアウトというようなことはない。しかしながら、別のやり方が踏襲されています。それは、学者三代のように、祖父が有名な科学者であれば、その息子の父も大学の職を得やすくなり、孫ともなれば一層そうなります。科学者の世界は一般の人が思っているようなものではなく、むしろ能や歌舞伎の世界に似ていますネ。名取の息子の方がどこかの馬の骨よりは職を得やすいのです。欧米でもまったく同じです。英国では貴族の息子が科学者になる場合は、博士号がなくても教授になれます。平民には強力な業績が必要です。戦前の東京帝国大では東大教授の息子は自動的に東大に入れました。この名残が日本の科学界にも残っているのですネ。三代共に大学教授という家系はかなり多いです。湯川家、菊池家、和達家、田崎家、伏見家、久保家などが自然科学では有名です。こういった特殊な家系が学会を牛耳っているという意味は他の人文系と大差なしです。アメリカの場合は、教授が人種的に何人かによってその民族系の若者を登用します。教授がユダヤ系ならその主要なメンバーがユダヤ人になり、教授が中国系なら主流が中国人、教授が韓国系なら主要メンバーが韓国系になる。比較的そういうことをしないのが日本人です。だから、逆に言えば、米国社会の中では遅れを取りやすいのです。最近、筑波大学の社会学系の学部長が、外国籍でなければ(朝鮮系推薦)応募資格なしという大学職を公募して話題になっています。https://twitter.com/KatoMasat/status/374605670445617152
国立大学の一部はもうめちゃくちゃですネ。完全に韓国人系に乗っ取られています。みなさんの活躍が必要でしょう。
2013/10/06(日) 10:59 | URL | 井口和基 #JalddpaA[ 編集]
No title


台湾で見た観光フェアで、こんな人たちが沖縄のアピールしてて凍りつきました。これがホントのクールジャパン。

http://twitpic.com/dfzapd


2013/10/05(土) 23:30 | URL | tetsu #V.H41T7E[ 編集]
No title
原田常治著「古代日本正史」「上代日本正史」によれば、
邪馬台国は宮崎県西都市の西都原古墳群にあり、女王卑弥呼の孫で日向王朝の後継者の神武天皇が、奈良地方に日の本王国・大和王国を建国したスサノオ尊の五男のニギハヤヒ尊(フル)の後継者イスケヨリヒメに婿入りしてAD241年2月11日に大和朝廷が成立した。この時の神武天皇の東遷行程が神武東征にすり替わっている。
そのために、女王卑弥呼の子であるウガヤフキアエズノ尊、ホホデミノ尊、ニニギノ尊の御陵、つまり、神武天皇の父ウガヤフキアエズノ尊の吾平山上陵、ホホデミノ尊の高屋山陵、ニニギノ尊の可愛山陵が鹿児島県内にあり、それを宮内庁駐在所が守衛している。

イスラエルにある、失われたイスラエル十部族の調査機関”アミシャブ”によると、BC 721年に新アッシリアによって捕囚とされた北イスラエル十部族の民は、一部はトルコ東部のクルディスタン(ペルシャ北部のメディヤの諸都市)に、一部は現在の アフガニスタン北部のアム・ダリア川沿いのハラトやハボル(ペシャワ-ル)などにいたとされる。 
BC 605年のアッシリア捕囚開放後には、一部はその地にとどまり、残りはクリミヤ半島にしばらくガド族、ルベン族、マナセの半部(エフライム)族が住み、その後に騎馬民族スキタイとともに東への移動を開始し、シルクロードの北方の草原ルートを通り、カスピ海とアラル海の北側を渡り、天山山脈北方のバルハシ湖周辺の弓月地方に移住した(1932年「日本人とは誰か」オドルム教授)。天山山脈北方のバルハシ湖周辺のキルギス人(マナセ族の後裔)の伝承(マナス叙事詩)に、弟分のエフライム族が更に東方へ移住したとある。
このエフライム族を中心とするイスラエル部族が満州の地にBC1~2世紀ころに「夫余」の牧畜騎馬民族王国を建国した。
 その初代ヘブル王はヘブライ人の意味であり、夫余王家出身の朱蒙が始祖の高句麗、朱蒙の次男温ジュが始祖の百済は兄弟王国であり、更に、朱蒙の長男の沸流(フル)一族が弁韓(任那)・秦韓(新羅)地方を経由して出雲に渡来し、沸流の子孫のスサノオ尊(フツシ)が出雲王国を建国し、スサノオ尊の五男のニギハヤヒ尊(フル)が奈良地方に日の本王国・大和王国を建国し、そこに邪馬台国女王卑弥呼の孫の神武天皇が婿入りしてAD241年2月11日に大和朝廷が成立した。
これにより、高句麗、百済、大和朝廷は夫余系つまりエフライム族の兄弟王国となり、7世紀に高句麗と百済は滅亡したので、 日本の皇室は北イスラエル王家エフライム族の王統を継いだ唯一の王家である。
神武天皇の和風諡号「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」はヘブル・アラム語であるが、イスラエル人でヘブライ語を母国語とし、護王神社で修行して日本語と古代日本史を研究してヘブライ語が日本語の中に3000語近く存在することを発見したヨセフ・アイデルバーク氏の解釈は「サマリアの王、ヤハウエのヘブル民族の高尚な創設者」あるいは「ヤマトの創始者はヘブル人であり、その王国サマリアから渡来した」であり、サマリアとは北イスラエル王国のことで、サマリアの王とはエフライム族の王家である。つまり、日本の皇室はエフライム族の王統を継いだものということになる。

2013/10/05(土) 22:56 | URL | 鹿 #-[ 編集]
「学閥」について、貴重なご指摘と思います。
基本的に「人を騙し易い学問」は3つあるといわれます。
①法律学(特に憲法学)
②精神医学
③歴史学(特に考古学)
です。師匠→弟子→孫弟子のつながりで、曲学阿世の徒が
劣化コピーのごとく再生産されて行くのです。この世界に構造改革はありえません。
この3つは全て「東大閥」が牛耳っています。頭の中身が米国産の試験秀才共ですね。関東大震災で全壊した東大図書館はロックフェラー財団の寄付金で素早く再建されましたが、その頃からの病理です。
東大法学部が占領憲法の「総本山」であり諸悪の根源という事は言うまでもありませんが、
医学部も文学部も然りです。
(かつて日本社会に算定不能な損害を与えた学生運動は、東大の医学部で精神科の研修医らが紛争を起こし、文学部で過激化した事が発端となり、全国の大学に飛び火しました)
経済学部は旧ソ連の出先機関も同然でした。こんな腐った大学とやらが国民の巨額の血税で運営されて居るのですからね・・・。ロクなものではありません。
歪んだ欧化主義者どもの遺物たる悪しき権威は、葬られねばなりません。
江戸時代にこそ本物の活きた学問が在ったのではないでしょうか。その復権を望みます。
少々ずれた内容にて失礼いたしました。
2013/10/05(土) 21:38 | URL | 読者 #MAcqijD.[ 編集]
「俺たちはCFRが911テロを指揮したってことを知っているんだ!」
「俺たちはCFRが911テロを指揮したってことを知っているんだ!」
http://youtu.be/Usbb5t5YqB4
(動画)

 支那朝鮮に支配された反日売国テレビ局・マスコミが隠蔽してきた動画です。
 アメリカで起きた9.11テロ事件の真相を告発する人達の活動は隠蔽されていました、しかし
アメリカ政府のデフォルトを直前にして多くの人々がこの動画のように覚醒して行くでしょう。
 3.11の東北地方太平洋沖地震の大津波と福島第一原発の爆破事件の真相も一挙に露呈してい
くでしょう。 日本ではテレビ局・マスコミを支配している支那朝鮮に支配された反日売国テレビ
局・マスコミとの情報戦争は必ず愛国系日本人有権者が勝利するでしょう。

詳細は
【動画ニュース掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj6.cgi
【動画ニュース最新版タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。
2013/10/05(土) 21:02 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
No title
コメントをお書きのみなさま

せっかく長文を書いてくださっているので、ぜひじっくり読みたいと思っているのですが、横書き文章では改行がないと、とても読みづらく感じてしまいます。

よろしければ、適宜改行なぞを挿れていただけると幸いであります。本スレと無関係のコメント失礼しました。
2013/10/05(土) 19:24 | URL | 通りすがり #-[ 編集]
No title
ねずさんの今日のお話は自分にとってとても納得のいく話でした。
日の本と倭国が並存していたと自分は思っていたのですが、その根拠となる書物もあったのですね。

今の学会は歴史に関しても本当の事を調べようとしません。
これはエジプト学界も同じ傾向ですが・・・

都合が悪いものは消してなかったことにするという傾向は歴史学回には当たり前のようですね。
日本は元から文字があったと思っていますし、漢字と仮名を併用することを見ても、文字を教わったというよりは当てはめたと考えるほうがすんなりといきます。

魏志倭人伝以外にも日本の事を書いている書物があったというのは初めて知りました。
ありがとうございます。
2013/10/05(土) 19:12 | URL | shengxin #UbCtKfmc[ 編集]
No title
日本の教育は小中高大と歴史教育や政治については左翼偏向による自虐史観と売国に近いものなのかと慄然といたします。そんな授業を行う先生や教授陣は
いらないしそれこそ職を辞させるべきと思います。

昨今の日本社会の社会常識の悪方向への傾斜はやはり教育が大事である事を思い出させてくれる事と思います。
右翼も困るが左翼は日本社会の崩壊を目指しているだけと考えざる終えません。彼らは自分達に都合の良い日本社会の構築を目指しているだけで王侯貴族に自分達が取って代わりたいだけなのだと。シナや崩壊した旧ソ連と東欧の旧社会主義国家を盛れば理解できますね。
このような社会は日本人には受け入れられません。
2013/10/05(土) 17:11 | URL | 一有権者 #-[ 編集]
No title
常陸国風土記によれば、日本武尊は 一貫して倭武天皇と記されています。そして弟橘姫は皇后と記載され 夫婦でこの常陸の国で海や山でレジャーを楽しんでいたと記載されています。
 通説は ヤマトタケルは天皇になれなかった。 オトタチバナヒメは入水自殺したことになっている。
 神功皇后応神天皇の時 常陸国から3回も韓遠征に参戦した兵士が何らかの顕彰されたと言う記載あり。
これにより 神功皇后のいわゆる三韓征伐は事実であったと言えます。
 また 防人が二百人以上復員したとの記載から 当時統一日本と外国との武力紛争があったことも傍証されます。
 最近 日本の歴史はヒストリー 中国は政治プロパガンダ 韓国のそれはファンタジーだといわれます。
まさに 韓国の学者と言われる人の学説(?)は韓流ドラマを見て言ってるのか思うほど酷いものです。
 歴史を忘れた民族に明日はない。 正に戦後左翼歴史学者のやってきたことは 日本の歴史の破棄と言っても良いでしょう。 左翼が絶対に認めてはならないことは 天皇の正当性です。 おもしろいことに その左翼の歴史学者が認めることでさえ 韓国の学者は 韓国に対する愛は無いのか と言って席をけってしまうことです。 NHKでさえ取り繕えない。

記紀の歴史は事実ではないかも知れないし、意味不明なところもある。しかし 当時(8世紀)そのように語り継がれた歴史認識であり外国もそれを認め連綿と今日まで 国民のよりどころとしてきた。
漢文で書かれた日本書紀が当時の東アジアにおける共通の歴史認識であったと言う事でしょう。 だから新唐書に書紀の内容が反映されたのではないでしょうか。その後 シナの歴史はぼつぼつと途切れているが 少なくとも日本の国体は途切れることなく千三百年以上継続し さらに未来につなごうと 今正に神宮の式年遷宮が行われ 首相が列席している。
大化の改新から1300年が昭和20年終戦の年。
去年は古事記が編纂されて 1300年。
2020オリンピック・パラリンピックは 日本書紀が出来てから1300年の年になります。
2020年には 新日本書紀を 編纂してはどうか。 今度は英語ですか。 本来は 国語で著すべきではあるが 世界に日本語を覚えろと言うのは無理なので 優秀な日本人が英語を習熟し英語で発信するのがよいと思う。
村上とか言う作家がいて ノーベル賞候補になったりするのは英語で書いてそれを日本語に訳したような文章なので 海外で受け入れられやすいとか。
日本文化(歴史を含む)を海外に啓蒙する時の知恵になるかも知れない。 ただしあのように国籍不明になってはいけない。
 最後に 漢字は定説よりもっと早く認識され使われていたと思えるのだが 私の知っている若い考古学者に雑談で聞いたところ 今のところ物証が無いと言うことだった。
 ついでに言えば 同じ頃の正倉院御物を見れば 当時の世界の極めて貴重な宝物が集められていることが解る。
 それらの宝物が 武力による略奪でないことは確かなので 当時日本には世界中からそのような宝物を買い入れるだけの経済力があったか 献上されるだけの権威が有ったということではないか。
 邪馬台国の卑弥呼を 記紀の皇室の誰かに否定しようとすると色々無理が生じるように思う。
 まとまらない文でごめんなさい。


2013/10/05(土) 14:43 | URL | 古希のネトウヨ #-[ 編集]
『新唐書』を見直すべし。
『新唐書』は、「歴史学者にとって、考慮しなくて良い文献」なのだそうです。『旧唐書』に比べ、間違いが多く、新味に乏しいのが、その理由だそうです。
確かに、歴代の天皇の名前や親子関係に、幾つか誤りが見受けられます。
敏達を海達としたり、欽明の孫女・雄古(欽明の女・推古、とすべきところ)としたり。「孝徳死し、其の子の天豊財(あめのとよたから)立つ」は、「其の姉」となるべきところ。さらに、「天智死して、子の天武立つ。[天智]死して子の総持(そうじ)立つ。」親子関係ではないですよね。天智の弟の天武、天武の后・持統(じとう)であるべきです。その他にも、元号や人名などに少々記述間違いがあります。
だからと言って、『新唐書』などは資料的価値はない、『旧唐書』を見れば間に合う、などと言うのは言い過ぎです。私などは、わが国の歴史を見直す大きなきっかけとなりました。
最も重要なのは、西暦600年に隋と国交を開いた人物、「阿毎多利思比孤(あめたりしひこ)」の正体を明かしてくれていることです。「…次に用明、亦た目多利思比孤とも曰い、隋の開皇末に直(あた)る。始めて中国と[国交を]通ず。」としっかり書いてくれています。
阿毎多利思比孤とは、用明天皇だったのです!このことはつまり、当時の天皇は推古天皇であったとする、記紀の記述はウソであったということ。『隋書』には阿毎多利思比孤の太子の名を「為利歌弥多弗利」としており、神道の神官を彷彿とさせる名前です。弗利(ふり)とは大祝(おおほうり)の祝(ほうり・ほふり)なのでは?だとすると、仏教を信仰するよう天皇に進言したとされる聖徳太子とは、イメージが合わない気がします。
『新唐書』を編纂した当時のシナの王朝は、「中国と始めて国交を開いた日本の王は、用明であったと記憶していた」ということなのです。この用明天皇の孫の世代にあたる天武天皇が始めて天皇を名乗りました。このことは歴史学者も承認していることです。ということは、用明天皇は「皇祖」とお呼びするべき存在です。記紀の上では、敏達天皇の孫とされる茅渟王(ちぬおう)が、天武天皇の祖父にあたる方です。ところが、茅渟王の祖父、敏達天皇のお子様に、財王(たからおう)という女性がおられます。天武天皇の母は宝皇女(たからのひめみこ)、すなわち皇極天皇でいらっしゃいますが、この財王と同一人物なのではないでしょうか?財と宝、字を変えているだけ。敏達天皇と用明天皇は、兄と弟の関係(母が違う)とされますが、同一人物だったと思います。というのは、用明天皇は皇子時代、単に「大兄皇子」と呼ばれていたそうなので、兄はいらっしゃらなかったはずなのです。敏達天皇は書き加えられたのです。そう言えば、「敏に達する」とは、聖徳太子にピッタリのおくり名。聖徳太子が天皇になられていれば、しっくりくるお名前です。実は、推古天皇(とよみけかしきやひめ)と結婚されたのは、同母兄・用明天皇だったのです。これは当時、禁止されていた(とされる)、近親婚だったため、正史たる日本書紀にはかけなかったのでしょう。敏達と用明、二人が同一人物で、一代なのに二代としてしまうと、辻褄が合わなくなる。敏達天皇のご子孫に行方不明者が多いのは、そういうわけです。
神武天皇が大和入りをする際、強硬に反発したとされる富の長髄彦ですが、富彦という表記もあり、「富」とは実名だったらしい。聖徳太子も、実名は「富」。富彦の妹の名は「かしきやひめ」、用明天皇の妹の名も「かしきやひめ」。これはどう考えても怪しい。『新唐書』に西暦600年当時の倭国の王は、用明天皇と明記されているので、「聖徳太子」とは、用明天皇のことだったのです。
「富彦」と「炊屋姫」の兄妹のペアが時を超えてわが日本に存在した!ということではなく、ただ一組いらっしゃっただけでしょう。どちらが幻か、もうお分かりですね?
ちなみに、天武天皇の祖父・茅渟王について、なぜ日本書紀は詳述しないのでしょう?天武天皇を始祖王とする天武王朝において、茅渟王は「太祖」とも称されるべき存在です。天武天皇は、実質的に初代天皇です。ならば、茅渟王は「皇祖」とご崇敬申し上げなければなりません。茅渟王の二人の子供、孝徳天皇と皇極天皇は、生母に「皇祖」とという尊号を贈っています。父親に対しては、その記述がありません。不思議な話です。
用明天皇は、橘豊日(たちばなとよひ)、孝徳天皇は、天万豊日(あめよろずとよひ)。お二人の皇后は間人皇后とおっしゃいます。似ています。こんなに似ているのは、父と子を暗示するためでは?父を聖徳、子を孝徳とする。語呂が合います。
長くなるので詳述はしませんが、『隋書』に記す阿毎多利思比孤の政治と、孝徳朝の政治は、よく似ています。孝徳天皇は阿毎多利思比孤の継承者だったのです。先程、敏達天皇と用明天皇は同一人物と申しました。だとすると、舒明天皇と孝徳天皇も、同一人物だったと考える方が理解しやすい。舒明天皇は息長足日広額(おきながたらしひひろぬか)。孝徳天皇の姉・宝皇女は舒明天皇に嫁がれているので、こちらも近親婚ということに。この近親婚を暗示するのが、記紀の中で有名な近親婚の兄妹・木梨の軽皇子・皇女(かるのみこ・かるのひめみこ)の例です。孝徳天皇の皇子名は「軽皇子」なのです。どうも、思わせぶりな気がしてなりません。記紀の編者は、真相を解き明かして欲しいために、わざわざこういう書き方をしたのではないでしょうか?姉と弟が婚姻して政権を担う、まるでエジプトのツタンカーメンの家族のよう。それはさておき、舒明天皇に「息長足日(おきながたらしひ)」という尊号がつくので、それと対に考えると、宝皇女、すなわち皇極(斉明)天皇は、「息長足姫(おきながたらしひめ)」ということに。やはり、神功皇后のモデルは、斉明天皇だったのです!
と、以上のことを、『新唐書』の用明天皇の記述から導き出したわけですから、私はかなりの妄想家ですね。
まだあります。用明が「亦た、目多利思比孤とも曰う」から、高木の神(イザナキ)の正体は、用明天皇だということが導き出せます。
これは、「用明天皇こそ、日本のチュモン(朱蒙)だ」ということから申し上げないとなりません。次回に回します。どうも長々と失礼致しました。
2013/10/05(土) 14:31 | URL | 越智富雄 #5fY02qfU[ 編集]
No title
毛皮・・・・左翼史観ですな。

縄文人=原始人でなければならぬ。

支那・朝鮮人よりも常に下でなければならぬ。


2013/10/05(土) 13:29 | URL | あ太郎 #-[ 編集]
No title
縄文時代の衣装は毛皮だけではなかった。と言われてみると、衣装のことは毛皮しか頭になかったので想像できませんが、考えて見ると熱ければ毛皮なんて着ていられないです。縄文時代の人も、今の人間も同じだと思います。

邪馬台国論争ですけれど、九州・畿内論争と日本・倭の旧唐書は、別の論争という気がします。
旧唐書にある「日本国は、倭国の別種なり。その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。」は、一つの文書に二つの国の名前が記されています。これを、一つの国のことだろうと考えてもよいのですが、唐書には<日本国は倭国とは別種と>されているのですから、別の国と考えることもできます。極端に言えば、倭国があったところ、後年に成立した日本がこれを打ち破って、統一政権を造ったと考えても不自然ではないと思います。新唐書は、これを補完すべく日本はいにしえの国家であると主張するために、嘘を言ったという考え方もあると思います。
しかし、この倭国・日本論争はこれとは別の、天皇の系図の問題を呼び起こします。
だから、東大閥も京大閥もこの部分には触れたくないと、考えることもできます。
それから九州説においても、九州のどこかが、大きい議論の対象になっていると思います。

それよりも、朝鮮半島における任那の存在が、この数十年の間に小さくされてきました。
中学の授業では、任那のことが授業に入っていたのですが、近頃の授業ではどうなのでしょう。刊行される書物の中では、面積が小さくなり、一時はなかったとまで言われました。最近は、小さな村落国家のような扱いだと思います。
日本の古代の資料を研究すれば、百済に近い国力のあったことが解明されると思うのですが、現状は反日・自虐史観で踏みつぶされているような気がします。



今年8月7日頃だと思いますが、慰安所で勤務していた朝鮮人男性の日記が発見され、これを検討するとのことが報道されました。
この結果が、週刊ポストに掲載されています。すみません。リンクを貼り付ける能力がありません。

週刊ポスト誌上での韓国・ソウルの安秉直ソウル大学名誉教授の検討結果については、韓国人にしては正しいことを言っているように思いました。
ただ、すべてが正しいことだとも思わなかったです。多分、本部で前線のことを、あれこれ考えるタイプの思考法でしかないでしょう。
2013/10/05(土) 13:04 | URL | ポッポ #-[ 編集]
驚いたお話です
大物教授による学説の縛りという、とんでもない話が現実に罷り通っていると言う、お話に驚きました。学問とは全く関係のない経済的理由や、親分教授の力関係で学問的探求が阻害されているという現実云々・・・・

それは戦前にも、あるにはあったが戦後、GHQの戦略により、サヨク教授を大学の主要ポストに就かせたことで特にマルクス経済論を学ぶ、経済学部に顕著な影響がでた。・・・・というお話にも頷けます。

そしてまた、文系、考古学では、親分教授の力関係が強烈で大変な重石になっているそうですね。

一方、理工系ではそのようなことは比較的に少ないのでしょうか?それにしては、あの東日本大震災で散々、問題になった放射能の線量について、一部の学者が盛んに放射線量の安全性を宣伝していましたが、それらは一切、無視されていましたが、それはどうしてなのか?

いずれにしても、親分教授の力関係で学問的探求が阻害されている学説の縛りを排除して改善されなければならないと思うのですが不可能なことなのでしょうか?
2013/10/05(土) 12:51 | URL | terag3 #KVPRtAI6[ 編集]
No title
倭国と日本国についてはおそらくそうだろうということは思ってました。だって日本書紀に邪馬台国のことが、一書に曰くと他人ごとのように書いてあるんだから、同じ国ならもっと強調するのが当然ことです。

でも新唐書の成立は11世紀でしょう。これは日本の歴史書の引き写しと考えるのが正解なんじゃないでしょうか。日本書紀を見るとその後の倭国について何も書いてないでしょう。倭国と邪馬台国の関係も。

これから神武東征を史実と確定することは少し無理でしょう。

小生はおそらく東征自体はあったと思ってます。しかも2回。おそらく淡海三船は何かを知ってたのだと思ってます。神武天皇と応神天皇のお二人です。

だってお名前に神という字がつくのは神武、応神、崇神のお3方だけ、神功皇后もその意味では別格でしょう。
小生は神武=崇神=応神と言う図式が隠れてると思ってます。後応神天皇は素盞嗚命である、そう思ってます。

日本書紀を読むとそう思えるのです。結構似てると思いません?
2013/10/05(土) 11:43 | URL | kazk #-[ 編集]
No title
この話を取り上げていただきましてありがとうございました。かねてから不思議に思っていたことがあります。神武天皇が九州から近畿に東遷した話です。神武がわざわざ遠くから引っ越してきたわけですから、大勢の人間を引き連れてきたわけです。また、元の住所が完全に無人の地になってわけでもない筈です。そのときから九州の本家から別れた分家を近畿に作ったということになるかと思います。両方の王朝が後に、倭国、日本になったと考えるのがすっきりするわけです。つまり、日本は倭国の分家です。
そこで、旧唐書、新唐書の記述のように7、8世紀頃に倭国が日本国に吸収されて統一された日本となり現在に至ると思います。
2013/10/05(土) 11:30 | URL | ねぼけ猫 #-[ 編集]
No title
日本史に関する考察を興味深く拝読しました。適切なご指摘と拝察致します。
古代、九州と畿内に別の政権があり、最終的には畿内の政権が関東以北を除きその版図に入れた、と解すべきと思っています。
私が大学に入学した頃、有名な郡・評論争が決着しました。東大で師弟関係にあった坂本教授と井上教授の間で論争になっていた件は、8世紀以前は評、8世紀に入っては郡だった、と言うことで決着したのです。
この説の焦点は評と言う行政単位を持っていたのは、九州の王権であったことです。
これを敷衍すれば、日本書紀の記述の信憑性も明らかになりますし、何故日本書紀が編まれたかを解き明かすことに繋がる筈です。
2013/10/05(土) 09:05 | URL | 上田隆男 #P0vgGwAM[ 編集]
No title
我が国の古代に関する考察、誠にありがとうございました。私が長年技術職員として奉職した大学の研究分野は工学であり、ノーベル賞を餌に学生、若手研究者を煽り業務に没頭させる理学医学と対局の「産学協同」を柱とし、社会に役立つ技術開発とそのための基礎研究、それを担う技術者の養成を目的としていました。よって数年前ノーベル賞を受賞した元東大理学部の某名誉教授がインタビューにて「私のやったことは税金泥棒だ!」とうそぶいたことに「国民の税金を何だと思っているのだ!彼は国立大学の公僕である立場がまったく分かっておらぬ!」と激怒したものでした。さて、その私から見ていわゆる文系研究者のことはあまりにも分野が異なりほとんど理解不能です。ただ、漏れ伝えられた情報ではかなり研究費が少額であるとのこと、恐らくブログ主さんのおっしゃることが該当しているかと存じます。ブログ主さんの推察される我が国の古代史論が正解であることを望み、日本人であることに誇りを持ちたいと思います。ありがとうございました。
2013/10/05(土) 06:59 | URL | 団塊の世代の後輩 #-[ 編集]
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小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
静岡県出身。国史啓蒙家。倭塾塾長。日本の心をつたえる会代表。日本史検定講座講師&教務。
連絡先: nezu3344@gmail.com
著書
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』第1巻〜第3巻
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』
日々、先人たちへの感謝の心でブログを書き綴っています。それが自分にできる唯一のお国への、先人たちへの、そしていま自分が生かさせていただいていることへのご恩返しと思うからです。こうしてねずブロを続けることで、自分自身、日々勉強させていただいています。ありがたいことです。

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私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

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通州事件の真実
通州事件を実際に体験された女性の手記です。
クリックするとテキストファイルが開きます。
https://docs.google.com/file/d/0B9Dh1-gISO9CZERHN2oxempSeEk/edit
パチンコをはたき出せ!
パチンコ撲滅
パチンコ市場は21兆円
そのお金を消費に向ければ莫大な経済効果が生まれる!

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