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敷島の大和心を人問わ(は)ば 朝日ににおう (ふ) 山桜花(本居宣長)。日本は天皇を国家最高権威とし、民を「おほみたから」とする「シラス国」です。


昔の女工さん

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■書 名:ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人!
■ISBN-13: 978-4434184727

■著 者:小名木善行、出版社:彩雲出版
ねず本、ネットで立ち読みができるようになりました。スマホでも読めます。
http://homepage2.nifty.com/sai/e_book/t_n56_nezu_01/
ラジオでのねず本のお話です。下のURLで聞くことができます。私も出演しています。
http://www.sinkan.jp/radio/radio_1674.html


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Helen Mears
Helen Mears


「偕行」の12月号に、偕行社賛助会員で元防衛研究所図書館長の大場昭さんが「ヘレン・ミアーズと日本」と題する論文を寄稿されているのですが、これが実におもしろい。

ヘレン・ミアーズ(Helen Mears、1900-1989)女史というのは、戦前に来日した知日米国人で、この人が昭和10年当時の日本を本で紹介しているわけです。
大場さんの論文も秀逸なのですが、ヘレン・ミアーズ女史が紹介した昭和10年の日本の様子が、これまたたいへん興味深い。
そこで、みなさまにそのヘレン女史のレポートをご紹介したいと思います。

ヘレン女史は、この年、大日本紡績の東京工場を視察しました。
その工場には、1600人の女子工員がいました。
工場内には、工場と寮の他に講堂と医務室があり、医師、歯科医が常駐し、なんとプールもあったそうです。

この工場でヘレン女史は、ツキさんという女子工員から、工場での様子をヒアリングしています。



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ツキさんは16歳で、寮の15畳の部屋に10人で住んでいます。
勤務は月曜から土曜日までで、早番と遅番があり、それは1週間交替でした。

早番のときは、起床が午前4時。
掃除、洗顔をして作業衣に着替え、講堂に行って体操教師の下で体操をし、食堂でご飯、味噌汁、魚、大根の漬け物の朝食を採り、午前5時から作業開始です。
午前10時30分に昼食、11時に作業が再開され、14時に終了します。

14時から15時30分までは自由時間で、洗顔し、洗髪し、夏ならプールに入り、冬なら火鉢で温まる。
15時30分に課業が始まり、国語、算数、作文、地理、歴史、修身などを学び、ときには茶の湯や生け花も教わります。

夕食は16時30分からで、ご飯と野菜の天ぷらと大根おろしで、それに醤油をかけて食べます。
食事の内容は、官署の検査を受けていて、カロリーは十分なものとなっています。

そして18時から課業が再開され、裁縫、歴史、修身などを学ぶ。

ツキさんがいちばん好きなのが裁縫で、自分の着物や、小さい妹の着物などを作っていたそうです。
当時の日本女性にとって裁縫は必須で、それができなければお嫁に行けない(笑)
工場で裁縫を学ばなければ、嫁入り前に裁縫学校に通わなければならい、のだそうです。

そして午後9時には床に就く。

遅番のときは、起床は8時なのだそうです。
課業などは午前中に行われ、作業の開始は14時から。
就寝は午前1時になります。

年に1〜2回、課業が休みになって、講堂で映画が上映され、祭日には有名人が「日本精神」について講演することもあったそうです。
また、ときには同じ勤務時間の一同で、半日のピクニックに出かける。

工場内には売店があり、必要なものはすべて工場内で間に合うので、工場の外に出る必要はない。

ツキさんの日給は、はじめ35銭だったけれど、そのときは45銭に昇級していたそうです。
そしてお正月には5円の賞与が出る。
ツキさんには、月1円のお小遣いが渡され、残りは会社から家族に直接送金されていたそうです。

これはいまの相場にしたら、月給が月12万円くらいで、そのうちざっと1万5000円くらいがお小遣いとして渡され、実家には10万5,000円くらいが送金され、年末ボーナスが40万円くらい出ていたというくらいの感じかと思います。

しかもプール付きで、寮費も、食費も学費も、全額会社負担です。
これを自腹で負担すると考えたら、16歳でものすごい高給取りともいえます。

ツキさんは、農村出身の女性ですが、もし親もとにいれば、朝早くから夜遅くまで、年中無休で働きどおしで、しかも重労働、食事に野菜の天ぷらなどを食べれることなどあり得ず、自分が自由に使えるお金など1銭もありません。
それが普通のことでした。

彼女はこの工場で4年間働き、会社から送金されたお金は、結婚資金として親がちゃんと貯めておいてくれ、彼女はお見合いで「身元のしっかりした男性」と結婚し、工場勤めのときに学んだ裁縫や料理や教育のおかげで良妻賢母となって幸せな家庭を築き、夫を愛し、子を産み育て、親の面倒をみながら次の世代への架け橋を担って行く。
それがあたりまえの、人としての営みでした。

朝日新聞社が昭和43(1968)年に出した山本茂実の「あゝ野麦峠」は、「女工哀史」として、あたかも悲惨でめちゃくちゃな不当労働が課せられて、奴隷のように使役される女子工員たちの姿が描かれているけれど、実際に米国人の女性ジャーナリストが客観的に取材した女工たちの実情が、上にあるものです。
この落差は、いったい何だと思ってしまいます。

「あゝ野麦峠」は、これが出た頃に本で読んで、そのあまりに可哀想な女性工員たちの姿に涙して、親に「昔は酷かったんだね」と話しました。

当時、評判だった本でしたので、私が読んだのは、親が買って来て読み終わった本を回してもらって読んだのですが、親のいうには「もし、この本にあるような使い方をしたら、社員はみんな辞めてしまう。日本の会社は、男も女も社員に奴隷はいないよ。ひとりひとりが立派な社会人として巣立てるようにするのが会社の努めなのだから」と諭された思い出があります。

私がまだ小学校にあがる前、実家の裏手に親戚がやっている反物工場がありました。
そこでは反物を染めていて、女性の工員さんたちがたくさん働いていました。
その頃の私は、まだ小学校にあがる前で、ほんの子供でしたので、ちょろちょろと工場に遊びに行ったりしたのですが、女性の工員さんたちがそれを面白がって、仕事中だったのだろうけれど、ずいぶん可愛がってもらったのを遠い記憶として、うすぼんやりと覚えています。
冷たい川にはいって、長い反物を伸ばして洗ったりするのですけれど、なにやらみんなで歌を唄いながら、実に楽しそうにやっていて、子供心にその働いている雰囲気が、とってもうらやましいものにさえ思えました。
自分も大人になったら、ああいうことしたいな、って本気で思えたのです。

昔の子供は、立派な大人になることが夢でした。
立派な大人になって、お国のために役立てる人になる。
本気でそのように思えました。

たばこの専売公社なんか、かっこよかったです。
パートのおばちゃんたちが、流れて来る白いたばこを、右手でぐわっとわしづかみするんです。
そして左手にある銀紙の中に、それをポンと入れる。
その一瞬の動作で、20本の紙巻きたばこが、きれいにぴったりそろって銀紙の包みにはいるのです。
子供がそこから一本抜いて、それをちゃんともとに戻そうとしても、はいらない。
職人芸というのか、熟練の技というのか、すごかったです。

油にまみれ、顔や手を真っ黒にして工場で働く人たち、染め物工場で、冷たい川に入る人たち、みんなが明るく、伸び伸びしていて、楽しげで、すごい笑顔で、そこから出来上がって来るものは、子供心にも、素晴らしいものばかりです。そりゃあ、子供はあこがれます。
それが、日本における普通の職場だったのです。
いまは、いったいどうでしょう。

昔の日本では、男女とも、12歳で小学校を卒業したら、そのまま働きに出る子が多かったのですが、それを雇う側は、ただ子供たちを働かせるのではなく、子供たちに教育を与え、手に職を与え、飯まで食わせてくれていました。
そうした教育費や食費などは、全部、会社負担です。

そりゃあ、遊郭のように、女の子に小唄や三味線、お琴に鼓に笛や琵琶、和歌や長唄、日舞までという芸事までは、なかなか教えることはできないけれど(これはめちゃくちゃ費用がかかります)、普通に書道や算術、算盤、地理、歴史、修身などは、会社でも未成年を預かったら、ちゃんと教えるということが、あたりまえに行われていました。

昨今、社員旅行や、会社の宴会すら嫌がる社員が増えて来たといいますけれど、昔は、こうして同じ社員同士が、まるで家族や同級生のように接していたのに対し、昨今の会社勤めは、ただ単に仕事をするだけの場になっているわけですから、そりゃあ同じ社員同士が他人の関係になったとしても、さもりなんと思います。

また、給料にしても、決して高くはないけれど、ただ額面だけの問題ではなく、寮費や食費、教育費などのことを合わせ考えれば、もしかしたらいまどきの上場企業のサラリーマンよりも、昔の女工さんたちの方が、はるかにマシな待遇を得ていたといえるかもしれません。

こうした「人」を家族として大切にする日本的経営が壊れたのが戦後のことです。
なぜ崩れたのか。
これまた簡単なことです。
家族として慈しみ、大切に育てられていた工員(社員)たちの中に、労使の対決などといういびつな思想が入り込み、労使の間にあった紐帯を切り裂いてしまったのです。

考えてみれば、あたりまえのことです。
社員を家族と思い、いつくしみ、大切にし、会社も社員もひとつの大きな運命共同体であり、社員は公民(皇民)であるのだから、陛下と親御さんからの大切な預かりものだと思えばこそ、会社は社員を大切に扱い、教育や医療も施し、寮費や食費なども会社負担にしてきたのです。
それは、経営を考えたら、たいへんな出費です。莫大な経費です。

ところがそうやって労使が一体となって「お国のために」と頑張って来たものが、労働者の権利が云々と仕事を放棄し、ストライキを繰り返し、仕事や会社の与えてくれる教育や衣食住に感謝するどころか、それ自体を対立のための道具にさえする。
そんなことが戦後の高度成長の間、ずっと続いたのです。
対立することにしか目的がないなら、会社も、最早、教育も衣食住も、もはや与える意味もない。
与えれば、もっとよこせとデモをするのです。
会社としては、もはや斬り捨てるしかない。

本来なら、貧しかった戦前よりも、日本全体が豊かになった戦後の方が、もっと職場環境だってよくなったはずだし、企業内教育や企業の福利厚生も、もっとはるかに素晴らしいものに発展したはずなのです。
我儘を言って、対立をあおって、そういう日本的相互信頼社会をぶち壊したのは、まさに戦後左翼です。

また、日本国自体が外圧に屈し続けたという側面もあります。
談合入札や法的規制による参入障壁によって、企業の利益が常にちゃんと確保できる体制にあったものが、外圧に屈してそれを不法行為にし、規制を緩和して参入障壁を下げ、談合を排除してただの価格競争によって、安かろう悪かろうを国是としてしまった。

製品が安かろう悪かろうで良ければ、人件費の安い支那産や韓国産の粗悪品が売れます。
そういうものは、すぐに壊れるから、また買わなきゃならない。
モノを大切に使うという日本古来の美風まで壊れてしまっています。

商業もまた然りです。
大規模小売店舗法(旧大店法)が廃止され、全国に郊外型大型店ができた結果、駅前の古い商店街は、全国津々浦々、みんなシャッター通りとなってしまいました。

すこし考えれば、誰でもわかることです。
どの家でも、一ヶ月に支出できる食費や衣料費は、一定です。
近隣世帯のその総和が、月の食費市場、衣料品市場の規模です。

もともと年間30億円の市場で、駅前の商店街が営業していたものが、近くに年商20億円の大規模店ができたら、その商店街の売上は30億から10億に下がってしまうわけで、倒産店続出、しかも大型店は、仕入れの仕切値が安いですから、近隣の工場も儲からない。
挙げ句、大型店が儲けたお金は、その大型店の本社がある他の大都市に納税されてしまうから、地方の中小都市は、税収が減り、運営がむつかしくなる。

戦後の日本は、何をやっていたんだろうかと思います。
しっかりとした教育や給料を与えていた産業を崩壊させ、日本人の教育の機会を学校だけにし、その学校教育では、日教組が道徳や歴史を否定する。
そしてその国内産業崩壊、教育崩壊によって、どこの誰が利得を得たのかといえば、中共であり、韓国です。

そして中共や韓国の経済を活性化させるために、日本政府はご丁寧に為替相場までいじりたおして、円高、ウォン、元安に持って行きました。
その結果、日本国内では、大学を出ても就職先がない。
やっと就職した会社も、従業員の給料を払うのが精一杯で、プラスアルファの教育投資まで、なかなかお金が回らない。

結果、仕事も会社もつまらなくて、社員がボロボロと辞めて行く。
そして、そういう社会ストレスをまき散らした当の本人が、「政府が悪い!政府と対決だ!」などといって、国政を壟断する。

日本はいま、政治を大きくリセットすべきときにきていようかとさえ思ってしまいます。
ただ、現実には、全部叩き壊して、一からやり直すというのは、民主主義の世にあっては、不可能に近いことです。
ひとつひとつを、きちんと軌道修正していく。
そのために、必要な法案を、順々に通して行く。

冒頭のツキさんが勤めた会社のようなものが、ついこの間までの日本では、あたりまえにあったのです。
その日本を取り戻すために、わたしたちひとりひとりが、いま、できるほんのちょっとのことをする。

日本はいままさに、変わろうとしています。

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コメント
No title
こんにちは。毎回、ためになる記事をありがとうございます。
今回も本当に目からうろこが落ちました。
私も女工哀史や「野産み」峠に「資本家(とその腰ぎんちゃく)対貧困家庭の子女」の構図を刷り込まれていた1人だったようです。やっとそれに気が付きました。

確かに、母が昔勤めていた工場(専売公社のたばこ工場)の話を思いだすと、今回ご紹介されたヘレン・ミアーズさんのヒアリングと一致します。
母のいたたばこ工場では、敷地内にお医者もいたし、美容院まであって、全部工場内で済んでいたとか、昔は今よりも福利厚生が厚かったことはよく聞いていたのですが、なぜか女工哀史のほうが「日本のスタンダードな歴史」だと思いこんでいました。
母の体験談を疑う気持ちは全くなかったのですが、頭の中で「(学校などで教わってきた)日本」と「母の体験談」が別のものとして切り離されていた感覚があります。
母も私も日本人なのに・・・この解離した感覚というのは、何なんでしょうね。

そういえば母は、私が「日本人でいることが恥ずかしかった」と言うと、ものすごく驚いていました。
戦後教育を受けた日本人は、多かれ少なかれ、みんな「日本人で申し訳ない」と感じていたと思うのですが、戦中に産まれた母は違うのだと痛感した出来事です。

今は、私もねずさんやほかの方々のおかげで、日本人でよかったと心から感じられるようになりました。
自分のルーツを肯定できるのは、本当に幸福なことです。ありがとうございます。
どうぞ今後もますますご活躍くださいますよう。
2013/12/14(土) 11:44 | URL | 鳥子 #mQop/nM.[ 編集]
製糸工場のあった街で育ちました
街の古老から、女工さんが働いていた頃は休みの日には街がそれはそれは賑やかでにぎわったと、実際に聞いたことがあります。

私が育った頃はもう機械化されていて女工さんたちの姿はありませんでしたが、その頃の話をする古老は華やかな様子を懐かしそうに誇らしげに語っておりました。
その方は古くから住む地元の方でしたので、工場の中のことはご存知ないようでした。
小さな街ですから噂、隠し事はあっというまに広がりますから隠す事は無理ですので聞いているはずですが、悲しい話はありませんでしたね。

思い出してみれば、その工場の隣は子供の頃良く通った映画館がありましたよ。
繁華街から少し離れた場所でしたから、良く考えれば何故あんなところに作ったのかと今考えれば変ですね。
地方都市のため、娯楽施設は景色の良い公園のような場所だけでしたので、彼女達のために作られたのでしょうね。
それでも彼女達は休日よくその公園で、賑やかにはしゃいでいたようですが。(古老談)

ですから、野麦峠の話は気の毒にそんな劣悪な環境の工場もあった特別な話なんだろうとずっと理解しておりました。
あの頃の医療では結核は命に関わる難治な病ですし、貧しいのも特別珍しいことでもありません。
それを大きく日本全部を悪く言うために使われたのは非常に腹立たしい。

ただ、女工さんはねずさんのおっしゃる待遇であったと思うほうが
自分の聞いた話と一致するのは間違いありません。

2013/12/12(木) 12:35 | URL | 女工哀史 #-[ 編集]
No title
私が以前勤務していた会社では、創業者である会長(現在60歳)の方針で、
未婚の社員へは両親に、既婚者へは配偶者宛にお中元とお歳暮を贈っていました。

「大事なご子息(ご主人、奥方)を弊社にてお預かりしている」という気持ちと、
社員が元気に働いてくれるのは、両親や配偶者のおかげだから、せめてものお礼なのだと会長は仰っていました。

お歳暮を受け取った両親は、みなさんこういうそうです。
「息子(娘)が入社を決めたと言ったとき、名前も知らないし、
どんな会社かもわからなく不安だった(上場会社ですが)。
でも、こういう会長がいる会社なら社員を大事にしてくれる、
安心だ」と。

ベンチャー企業で、男女とも夜遅くまで残業していましたが、
社員同士はかなり仲が良いのは、会社が社員を大切にして
社員同士のつながりも大事にしてきたからだと思います。

社員を家族のように大事にする、今の企業にはなくなってしまった価値観かもしれませんね。
2013/12/09(月) 13:37 | URL | 軍人の娘 #-[ 編集]
No title
私は80年代に会社勤めをしていましたが、そこはバブルという浮かれた時代とはかけ離れた地道で家庭的な職場でした。確かに景気は良かったですから仕事はありましたが、今と比べて給与が良い訳でもボーナスが物凄くもらえた訳でもありません。しかし大きく違うのは上司が社員に家族のように暖かく接してくれていたことです。

社員旅行も飲み会もちょくちょくあって、人間関係の悩みはあっても皆ほのぼのと仲良く親睦を深めていました。それが仕事にもよい影響を与え、安心してお仕事が出来ていたことを思い出します。厳しい部長さんも女性社員には娘のように優しく指導してくださり(男性社員は大変でしたが!)、直属の上司も取引先から苦情が来たときにかばって下さったりしました。仕事を終えたら同僚と買い物に行ったりクラブ活動に精を出したり…。今とは隔世の感があります。よくジュリアナで浮かれて踊っている動画が出ますがあれはごく一部で大多数の人は「何をやってるんだろう?」とこのように地味に働いていたものです。

構造改革からバブル崩壊、非正規雇用の拡大と共に人材は宝ではなくコスト重視で切り捨てられる存在に変わってしまい、私も会社への忠誠心も愛着も、そして安定した収入もすっかりなくしてしまいました。今正社員として残っている同僚も昔とは全く社内の雰囲気が変わってしまったそうです。

女工さんもこのように大切に扱われていたなんて全く知りませんでした。楽しく暖かいエントリー有難うございます。

応援クリック。
2013/12/08(日) 21:51 | URL | おれんじ #-[ 編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2013/12/08(日) 02:15 | | #[ 編集]
No title
まさにねずさんの仰ることが正論じゃないのか。
そう思いました。戦後の日本の教育の場に人権などというおかしな思想が入り込んできて日本人をわがままでダメな人間にしてしまった。今こそ、人権教育を廃止し、道徳、修身教育を復活させるべきだと思います。私は去年息子が通っていた小学校でこのことを訴えてきました。実現にはあと何年もかかるでしょう。だけど決してあきらめないつもりです。少しずつ、少しずつ日本が正道に戻るよう努力していく所存です。
2013/12/07(土) 20:45 | URL | yosinaripon #rYZKQwYE[ 編集]
No title
女工さんのことは、いつもながら全く知りませんでした。
なにしろ、野麦峠や女工哀史の話が頭に浸透していまして、女工哀史のことが前提としての知識になっていたのですから・・・・・・、マスコミでもこれ以外のことを聞いたことがなかったのです。

しかし、考えてみれば、滋賀県に近江兄弟社という会社(以前メンソレータムを作っていました。)がありました。ここは、幼稚園、女学校を持っていました。
会社は経営的にいろいろありましたけれど、今は、幼稚園、小学校、中学校、高校があります。
全国には、従業員に色々な福祉や教育を行う会社があったのだろうと思います。(中には、女工哀史のようなこともあったのでしょうけれど、それが全てではないことに意味があります。)

戦後の日本は、アメリカとソ連に思想改造をされ、そこに日教組が自虐史観で子供を教育するのですから、様々な弊害が出るのは当たり前です。
これは、近隣国が歪曲し捏造した歴史観ではなく、正しい日本の歴史と道徳観に基づく教育を小学生から大学生にまで施すことで、修正するしかないと思います。
教育には予算が必要ですが、教育の助成には日本の歴史観で教育する教育機関にのみを対象としなければならないと思います。
もちろん、教育効果は各種の試験や入学試験で、確認しなければならないと思います。
2013/12/07(土) 18:50 | URL | ポッポ #-[ 編集]
No title
戦後の左巻きどもにさんざん騙され続けてきた我が国の“自虐史観”に終止符を打ちましょう。そうでなければ私達の日本を守ることは出来ない!シナ&朝鮮にアジアをかき回されてたまるか!!!
2013/12/07(土) 17:30 | URL | 団塊の世代の後輩 #-[ 編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2013/12/07(土) 13:55 | | #[ 編集]
アメリカの鏡・日本
「アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ著」は永久に残る名著です。
日本人なら熟読玩味すべきです。
アメリカで1948年に出版されましたが、日本での出版はマッカーサーが許可しませんでした。そのため日本ではしばらく知られませんでした。
2013/12/07(土) 12:51 | URL | ごんた #-[ 編集]
No title
女工さんといえば、子供の頃テレビで見た、まさにあゝ野麦峠のイメージでした。雪の中で歩けなくなって置き去りにされる女工さんが可哀想で、あの時代が恐ろしかった。あれは朝日新聞社から出ていた本のフィクションだったのですね。あれを一般的な話だと信じて、昔の日本社会は弱い立場の者に情け容赦なく冷酷で恐ろしかったのだと思っておりました。外国人による記録が無かったら、それをねず様が紹介しなければ、私のようにとんでもない誤解をしたままの人ばかりだったことでしょう。
2013/12/07(土) 11:58 | URL | 葉桜 #-[ 編集]
No title
まったく、その通りですね。

私の町は、繊維の町で、母親も機織をしていて、2部制で働いておりました。
当時、母は「普通出(8時から5時)だと、何もできん」と、言っていたのを、思いだします。

その会社、他の繊維会社も同じですが、青森、北海道などからの集団就職の方々は、寮に泊まり、3日働いて、3日学業、そんな生活をしておりました。その方たちは、8時から、5時までの、勤務だったと思います。

中学を出て、すぐに働くのですから、辛い事もあったでしょう。
でも、それは、皆同じなんです。
幸せになるのではなく、幸せは感じるものなんです。

一生懸命に生きる私達を、可哀想な人々と、強く印象付る皮肉れた人が、この世に沢山いるんですよね。
2013/12/07(土) 11:40 | URL | 失礼します #x06YB2Ag[ 編集]
ブガッティ社のこと
フランスの戦前の名車「ブガッティ」 第一次大戦後のレースシーンで大活躍し、グランプリレース(今のF1)で何度もチャンピオンを輩出し、今も続くル・マン24時間レースも2度制覇した、あまりにも有名なブランドです。今はブランドは独VWコンツェルンの所有となり、企業じたいは名を変えて、鉄道車両・軍用車両メーカとして大手アルストム傘下にあり健在です。
イタリア人エトール(エットーレ)・ブガッティは成人後ドイツに渡り、修行を重ねてオットー・ドイツ社(後のマギルス・ドイツ)の技師長にまでなった人物でした。余談ですが当時の製品、初期の小型ディーゼル機関車の生き残りが千葉県銚子市のヤマサ醤油工場内に保存されています。
退職してからは独仏国境の町モルスハイム(モルザム)の古城を買い取り、そこでささやかな産業を興しました。第一次大戦後そこはフランス領となり、それがブガッティ=フランスという図式ができた理由です。

何の産業も無かった寒村に、革新的とも言える自動車造りが始まった。気が付いたら村の大半がブガッティ社に係わる様になったという訳です。日本流にいえば企業城下町といったところでしょう。
エトール自身の面倒見の良さも相まって、氏はフランス風に「ル・パトロン(親父さん)」と慕われるのに大して時間は掛かりません。従業員はおろかその家族の顔や名前まで全て覚えてしまい、親父というより慈父という立場を文字通り楽しむ日々が続いたそうです。
大レースに勝てば村じゅう町じゅうが大騒ぎ、そこで育った子供たちは大きくなったらブガッティのエンジニアになるんだ、おれはレーサーになってモルザムの街にトロフィーを持ち帰るんだ、と、これが当たり前の感情でした。

そんなエトールは調子に乗り過ぎ、経営上のミスをしでかします。「世界最高の乗用車を創る」この考えにとりつかれてしまい、大排気量のエンジンや工作機械を大量発注してしまったのです。
排気量1万4千cc、シャシ価格はロールス・ロイスの3倍。
心ある人たちは反対し、ジャーナリストたちも「いったいどんな人が買って乗るんだ?」と疑問を投げかけました。そんなときに側で袖を引くはずの息子ジャン・ブガッティ氏は徒弟奉公でフランス国鉄に修行中、最早止める人はいません。
「100台は売れる!」と豪語したブガッティ・ロワイヤル、売れたのはたった3台でした。ショウモデルとして6台造られ、残り3台は在庫として工場に保管。何より14,000ccのエンジンが100台近くも残ってしまった。

消沈する父エトールに活路を示したのは息子ジャンでした。
乗用車には使えそうにない高価な大型エンジンを、当時無煙化の波が始まった鉄道車両に転用するというものです。
早速フランス国鉄への売り込みが始まりますが、どこでどうなったのか、最終的にはブガッティ社自らが鉄道車両を造るという話になりました。
こじんまりとしたブガッティ工場、そこに村人たちが協力して引き込み線を引き、見るも見事なブガッティレールカーが巣立っていきます。
工場も大きくなり、不況にもめげずブガッティ社は十倍もの企業規模となったのです。しかし・・・

もはやエトールを長とする家族的なブガッティ社はありません。2代目となるはずのジャンもレースカーのテスト中に事故死してしまいました。そんなブガッティ家を襲った不幸に対し、工場には千人以上に膨らんだ労働者、その中にはコミンテルンも入り込んでいます。彼等はタイミングを見計らいストを繰り返し打ち続け、終いには会社からブガッティ一族を追放してしまいます。
パリに移り住んだエトール、しかしそこはナチスドイツの支配下にあり、一緒についてきた技術者や職長たちもだんだんいなくなります。

企業の発展とは大きくなることです。息子ジャンが健在だったら、という考え方も成り立ちます。しかし、ここで判ることは、
「日本とヨーロッパでは、違う」ということでしょう。彼の地においては、ある種の「家族的企業」を確立するには「強い独裁者」が必要だと、いうことです。
ナポレオンの言葉に「人々は支配するよりもされる方を望む」というのがありますが、これほど日本と日本人にそぐわない考え方も無いでしょう。

かつてのブガッティ社の様な会社は日本では未来永劫できないかも知れない。でも、もっと家族的でかつ民主的な会社というのは我が国にはたくさんありましたし、今でも連綿受け継がれています。大切なのは私たち日本人がそのことを、心のどこかで意識し続けることだと思います。
2013/12/07(土) 09:31 | URL | sinar #-[ 編集]
野麦峠の実際
いつも楽しみに拝見しています。
実は私、野麦峠が冬季閉鎖になる前に「峠の館」に行ってきました。その方の説明では、
「政井みねさん(あゝ野麦峠 の主人公)のように、残念な亡くなり方をされた工女さんが居るのは事実である。 しかしみねさんと同じ古川集落出身であった三瀬フサさん という方は元気に働き続け、長野県から表彰状を受け取るに至った(実際館に飾ってありました)。 表彰状の他、箪笥も県からもらう事になったが、重くて実家の古川まで運べないので、金銭を代わりに貰ったようである。 その後フサさんは郵便局員と結ばれ、幸せに暮らした。 なお、フサさんの他にも80-100歳まで生きた工女さんが5人おり、彼女らもまた幸せな生涯を送ったのだ。」
という話をお聞きしました。
要は、”病気になっても働けなくなったらお払い箱になっていた””満足な治療を受けることも出来なかった” ”劣悪な労働環境だった” というのが問題点だったわけであり、ここを改善しよう というのが普通の発想のはず。 「あゝ野麦峠」のような悲劇があったからと言って、当時の生糸生産、工場の経営者、それを推し進めた国家そのものを否定する という事にはならない筈です。
 15分程度の「あゝ野麦峠」予告編を見ましたが、工女さん=可哀想な奴隷、経営者=悪者 という構図を狡猾に演出しようとしているのが見え見えでした。 何というか、世間受けしたいモノを作りたいのは分かるが、もうちょっと大人に発想を持てよ と言いたいですね。 当時は経営者も大変だったんですよ・・・
2013/12/07(土) 06:55 | URL | 遠州人 #cftcPteI[ 編集]
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
最新刊
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』

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口座番号 0083820
口座名義 小名木善行
【問い合わせ先】
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講演のご依頼について
最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
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講演時間は90分が基準ですが、会場のご都合に合わせます。
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<ご参考>
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台灣民政府
台湾民政府
サンフランシスコ講和条約で、日本は台湾に関して処分権は連合国に提供しましたが、領土の割譲は行っていません。条約以降、連合国も日本も台湾の処分先を決めていません。つまり台湾はいまも日本であり、台湾にいる1500万人の戦前からいる台湾人は、日本国籍を有する日本人です。私は台湾民政府を支持します。
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コメントをくださる皆様へ
基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメントは、削除しますのであしからず。
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コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人である私の判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
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