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桜花と野中五郎大佐

「慰安婦問題」に関する河野談話の見直しを求める署名
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『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!第二巻「和」と「結い」の心と対等意識』
2014/04/12 発売予定ISBN: 978-4-434-18995-1 Cコード:C0021 本体価格:1350円+税 判型:四六 著者:小名木善行 出版社:彩雲出版

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桜花
桜花


昭和20年(1945)3月21日、一式陸上攻撃機搭載のロケット特攻機「桜花」による神雷桜花特別攻撃隊の野中五郎大佐以下、九州沖に初出撃し散華されました。

桜花(おうか)というのは、大東亜戦争の末期に実戦に投入されたロケットエンジンを搭載した特攻専用機です。(写真)
大東亜戦争の時代の我が国に、世界最先端のロケットエンジン搭載の飛行機でしたが、まだ自力で離陸することができませんでした。
なので一式陸攻の下に吊るされて敵地まで飛び、上空で親機から切り離されたあと、ロケットを噴射して、一直線に敵艦に向かって突撃しました。

搭載する爆弾は、1200kg爆弾です。
通常の航空機による特攻の5倍近い威力の爆弾を搭載しました。
そして1040km/hという、音速に近いスピードで、一直線に敵艦に体当たり突撃するのです。
成功すれば、その破壊力はすさまじいものです。

ところが桜花の搭載したロケットエンジンは、一瞬で燃料を燃やしつくしてしまいます。
つまり、航続距離がないのです。
桜花の航続距離は、わずか37kmでした。

30キロというのは、上空と海上とでは、最早目と鼻の先です。
すぐそこに見える距離です。

飛行機に乗って空港に着陸するとき、空港近くまで降りてきた飛行機から、付近にいる漁船などが見えますが、その距離がだいたい30キロです。
そこまで近づいて、切り離されて、まっすぐに敵艦に向かったのです。


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桜花は、2トンを超える重量があります。
ですから、さしもの一式陸攻も、桜花を懸吊すると「飛ぶのがやっと」という状態になります。
つまり速度が出ず、小回もきかなくなります。

ですから敵の戦闘機に襲われたらひとたまりもありません。
桜花を懸吊した一式陸攻は、戦闘機であるゼロ戦に警護を固めてもらって、敵艦隊に近づきました。

一式陸攻に懸吊された桜花
一式陸攻に懸吊された桜花


この頃の米艦隊は、特攻対策として高射砲の砲弾に「近接信管」を搭載していました。
「近接信管」というのは、砲弾を中心に半径15メートルに電波が発射されていて、その電波が飛行機を察知した瞬間に爆発するというものです。
そして砲弾の中には、無数の鉄片が仕込まれていました。

近接信管を搭載した砲弾が、特攻する桜花の近くで炸裂すると、パイロットは大怪我をし、あるいは即死し、機体は穴だらけになって吹き飛びます。
こうした近接信管を搭載した砲弾を、米艦隊は突入してくる桜花めがけて、一斉に何百発と撃ち込むのです。
ですから特攻は本来、機体の小回りを利かせ、敵砲弾をかいくぐらなければ、敵艦に近づけなかったのです。

けれど桜花は、速度が速いかわりに、一直線にしか飛べません。
米軍の間では、桜花は、「BAKA BONG(おバカ爆弾)」とあだ名されたといいます。
私達は航空戦の素人ですが、そんな素人でも、以上の説明を聞けば、桜花の出撃がいかに危険なリスクを負ったものかがわかります。

当時のパイロット達は、航空線のまさにプロフェショナルです。
しかも、航空兵に採用されるような人たちは、とびきり優秀なパイロットたちです。
プロであるがゆえに桜花作戦の危険性、無謀性は、私達より何十倍も承知しています。
それでも彼らは飛び立ちました。

なんのためだったのか。
どうしてそうまでして戦ったのか。
そのことを、わたしたちは同じ同胞として、きちんと考える必要があると思います。

桜花の最初の出撃は、戦局押し迫った昭和20年3月21日です。
この5日後には、沖縄戦が開始されています。
まさに米艦隊が、沖縄めがけて続々と押しかけてきていた頃でした。

日本としては、なんとかして敵の沖縄上陸を阻止し、遅らせ、民間人の避難を促進したい。
けれど、すでにこの時点で、帝国艦隊は最早壊滅し、空母もなく、沖縄近郊の制海権、制空権は、完全に奪われていたのです。

飛ばせる飛行機もない。
飛行機を飛ばすためのガソリンも、残り僅かです。
この時期、日本の航空隊は、練習機に摘んだガソリンは、まともな石油ではありません。

ひとことでいえば、サラダ油をガソリンの代わりに積んで飛んでいたようなものです。
私も、ハイオク仕様の車に、もったいないからとレギュラーガソリンを入れて走ったことがありますが、クルマの性能は、激落ちでした。(あれ以来、二度としていません)。

戦後のことですが、米軍が日本陸軍の四式戦闘機「疾風(はやて・ゼロ戦の後継機にあたる)」に、米国製のオクタン科の高いガソリンを入れて飛ばしました。
すると疾風は、当時世界最強といわれたP51ムスタングよりも高い性能を示しました。

ちょっと脱線しますが、日清、日露から、第一次世界大戦の頃までは、世界の資源エネルギーの主役は石炭でした。
その石炭は日本で産出します。
ですから日本は、またたく間に世界の最強国の仲間入りを果たすことができました。

ところが、その後にエネルギーの中心は、効率の良い石油にとって変わられました。
当時の日本は、石油は産出しません。
わずかばかりの石油が新潟などで産しましたが、国内のエネルギーをまかなうには充分ではありませんでした。
結果、ABCD包囲網で石油の輸出を止められた日本は、乾坤一擲の大勝負に出ざるを得ないところまで追いつめられ、そうしてはじまったのが大東亜戦争でもありました。

ところが、昭和43年、連合国アジア極東経済委員会(ECAFE) は、尖閣領海の海底に、約1千億バレルの石油埋蔵を発見しました。
いま、支那共産党政府が我が国の尖閣諸島や沖縄を狙っていますが、それはこの石油が目当てです。
そして、もし日本が昭和初期、あるいは大正期にはこの石油の掘削を開始していたとしたならば、日本は大東亜戦争をする必要さえなく、多くの命が救われたかもしれないと考えると、たいへんに悲しい気持ちになります。
神々のご意思は、計り知れないものですが、もしかすると我が国の八百万の神々は、地上で人が国ごと人を支配する(ウシハク)植民地統治を終わらせるために、あえてこの領海内の石油を戦前の日本に知らせなかったのかもしれません。

さて、その大戦中は、いまで言ったらハイオク使用のクルマに、軽油かサラダ油を入れて走らせるようなもので、当時の飛行機は、本来ある性能を充分に発揮することができないという状況でもありました。
けれど、それでもなお、わたしたちの、若き日の祖父たちは、沖縄を守るために、全力を尽くそうとしていました。

圧倒的な兵力を持った敵に対し、わずかな兵器で戦わざるを得ない。
その兵器も、本来持つべき十分な性能を発揮できない。
そんな状況の中で、問題山積みの兵器とはいえ、「桜花」出撃やむなし、との決断が下されました。
万にひとつでも、攻撃を成功させれば、あるいは攻撃が成功しなくても、敵は日本本土から飛んでくる特攻隊への防戦に注力せざるを得ない。

そのために敵は、相当数の兵力を防備に割かざるを得なくなります。
そうなれば、米軍の沖縄上陸は遅れ、遅れた分、沖縄内では米艦隊からの艦砲射撃対策のための掩蔽壕や、民間人避難のための防空壕をほんのわずかでも強化できる。
そして沖縄攻撃を少しでも遅らせることができれば、戦場となるエリアから民間人を避難させることもできる。

「桜花」は飛び立ちました。
沖縄戦では、多数の民間人が犠牲になられました。
このことがいまだに沖縄に暗い影を落としているといわれています。

けれど、すこし考えたらわかるのですが、軍が戦闘をするとき、民間人がいては、軍はその機能を存分に発揮できません。
なぜなら、民間人の避難や保護に兵力を割かれるし、けが人が出れば、その救急対策にされに兵力を割かれます。
ただでさえ、少ない兵力、乏しい戦力で戦わなければならない日本軍にとって、戦場に民間人がいたら、正直困るのです。

ですから、軍は、沖縄戦に先んじて、沖縄の民間人の本土への疎開を遂行しようとしました。
しかし、これに反対し、沖縄県民を戦地という危険に晒したのは、ほかならぬ沖縄県知事でした。

このことは、拙稿の≪沖縄の二人の知事・・・泉守紀と島田叡≫に詳しく書いているので、お時間のある方はご覧ください。

ともあれ、沖縄には、まだまだ多数の民間人が残っていました。
沖縄県民をひとりでも多く救うためには、本土に残るわずかばかりの兵力をもって、米軍に挑み、米軍の注意を本土側にそらしておく必要があります。
そのために、沖縄に近づこうとする米艦隊を迎撃するために、「桜花」は出撃しました。

それは昭和21年3月21日のことでした。
この日出撃した部隊は、桜花を懸吊した一式陸攻18機、桜花15機、そして護衛のためのゼロ戦30機でした。

部隊は、敵艦隊のはるか手前で、進撃中に敵艦隊にレーダーで捕捉されました。
そして上空で待ち構えたグラマンF6F戦闘機28機の待ち伏せにあい、迎撃されました。
一式陸攻を守ろうとゼロ戦部隊が対空戦を挑み、一式陸攻がまる裸状態になったところに、別なグラマン部隊が襲いかかりました。
陸攻機は全機が撃墜され、ゼロ戦隊も、30機中10機が撃墜されました。
無理をして一式陸攻から飛び立った桜花もあったけれど、飛距離が足らず、海中に没しました。

この戦いで後ろを取られ、必死で機体を左右に滑らせて射線をかわしながら、ついに被弾して一瞬で火を噴き爆発、桜花を吊ったまま墜落する一式陸攻の姿を記録したF6Fのガンカメラ映像が残っています。

下に動画を張りますが、翼をもぎ取られ落下する一式陸攻には、一機につき10名の歴戦の搭乗員が乗っていました。
そして全員が還らぬ人となりました。

この特攻について、後世の人たちからは、特攻を意思決定した宇垣纏中将に対し、たくさんの非難が寄せられました。
命を犠牲にして特攻を行うことを前提に出撃した桜花の搭乗員だけでなく、運搬役の一式陸攻まで全機未帰還となっているのですから、責任者の責任を追及する声が上がるのは仕方がないことです。

しかし、上に述べたように、他に沖縄戦を阻止する効果的な方法がない中で、なにがなんでも敵の沖縄上陸を阻止することを至上課題とした当時の状況にあって、他にどういう判断のしようがあったのか。
防備のために同時に出撃した戦闘機ゼロ戦隊にしても、攻撃隊指揮官の野中五郎少佐が、護衛機70機を要求したのに、30機しか付けれなかった、という人もいます。

しかし、実際には、このときゼロ戦は、なけなしの飛行機のなかで、55機が出撃しているのです。
この時点では、整備できている飛行機「ありったけ」の戦力でした。
ところがその戦闘機も、途中でエンジン不調となり、25機が途中で引き返してしまっています。
その結果が、護衛の30機だったのです。

桜花は、その発射訓練からして、たいへんなロケットでした。
訓練生は、上空を飛行中の一式陸攻の機体の中から、下に吊るされている桜花に、体ひとつで飛び降りて搭乗したのです。

飛行中の機体に吊るされた桜花は、上下左右に激しく揺れ動いています。
その揺れ動く小さな桜花の小さな狭いコクピットに、パイロットは上から飛び移るのです。
それを上空何千メートルという上空でやる。
パラシュートも付けずに、飛び降りる。
一歩間違えば、そのまま転落死です。

ようやく桜花に乗り込むと、一式陸攻は、桜花を機体から切り離します。
切り離された桜花は、その瞬間、数十メートル落下し、落下しながらエンジンに点火します。
そしてまっすぐに目標に向かって飛ぶ。

訓練では、桜花は、地上に着陸します。
しかし、翼の小さな桜花は、低速で着陸しません。
猛スピードで、地面に激突するようにして着陸する。

この着陸訓練で、桜花の搭乗員は、何人も命を落としています。
その過激な訓練を経由して、生き残った最強の兵士だけが、死ぬことを目的とした特攻作戦に参加しました。
彼らはそこまでして、私達の国を守るために、沖縄を守るために出撃し、散って行かれました。

ひとつ申し上げたいことがあります。
彼ら搭乗員たちは、指揮官も含めて、誰より命を大切にする人たちであったということです。
そして桜花の出撃が、どれだけ危険なことかを、プロである彼らは、後世に安全なところにいて、いろいろごちゃごちゃ批判している誰よりも、その危険をよく知っていた男たちでもありました。
それでも彼らは出撃しました。
無理とわかっていても出撃しました。

何のために?
沖縄を守るためにです。
祖国の大地を敵に踏ませないためです。
それは、かげがえのないものを、どこまでも大切にしようとする思いやりの心があったからです。

このときの作戦で攻撃隊指揮官となった野中五郎少佐は、「激戦の中で、部下を死なせない」ことを誇りとした指揮官です。
けれど、彼はひとりだけ部下を失ったことがありました。

夜間攻撃で、敵の船に魚雷を撃ち込むために海面すれすれに飛行したところ、いきなり横から割りこんできた敵の別の船にあやうく衝突しそうになったのです。
彼は、急上昇してこれを避けようとしました。
けれど、そのとき一式陸攻の尾翼が海面を叩き、後部銃座にいた部下がその衝撃で吹っ飛び、亡くなってしまったのです。

数多くの航空線を戦いぬいた野中少佐の、それが唯一の部下の損失でした。
彼はそのことにずっと悩み、二度と部下を、絶対に死なせないと誓っていました。
彼は最後の突撃で、自らの命を失う日まで、その一時以外、いっさい部下を失うことはありませんでした。

その彼が、最後の出撃のとき「湊川(みなとがわ)ですな」という言葉を残しました。
「湊川の戦い」というのは、建武3(1336)年の足利尊氏と楠木正成の戦いです。
いったん九州に疎開した足利尊氏が、3万5千の大軍を率いてやってくる。
迎え討つ楠木正成は、わずか七百の手勢です。

勝てる見込みはありません。
楠木正成は、このとき「正成存命無益なり、最前に命を落すべし」と語り、5月25日、湊川で両軍は激突し、多勢に無勢ななか、六時間におよぶ激しい戦いの後、正成軍はわずか73人になってしまいました。
最期をさとった正成は、生き残った部下とともに民家に入り、七生報国を誓って全員自刃しています。

湊川の戦いの詳しいお話は↓コチラ
楠木正成と七生報国

野中大佐が「湊川」に例えたということは、彼がこのときの出撃がどういうものであるかを充分に悟っていたということです。

野中五郎大佐
野中五郎大佐


野中五郎少佐は、明治43年、東京・四谷のお生まれです。
子供の頃から明るく、周囲を笑いの渦に巻き込む天賦の才があったそうです。
学生時代は、クラシック音楽が好きで、レコード屋に入り浸ってレコードを買い求める音楽青年でもありました。

大東亜戦争の開戦と同時に、当時大尉だった野中は、一式陸攻の分隊長として、フィリピン、ケンダリー、アンボン、ラバウル、ソロモンと転戦しました。
そして、巡洋艦、輸送船合わせて四隻を撃沈しています。
ラバウル時代には、草鹿任一第十一航空艦隊司令長官から武勲抜群として軍刀を授与されてもいます。

昭和18年11月のギルバート戦では、彼が発案した「車がかり竜巻戦法」で、米軍を悩ませもしました。
これは、薄暮、単縦陣で海面すれすれに飛行し、敵艦船を遠巻きにして、その周りを回り、最後尾の機に先頭の隊長機が迫って輪のようになる。
そして照明弾を落とすと、敵が光にさらされて姿を現す。
そこを全機で魚雷攻撃するというもので、多数の米艦船がこの攻撃で沈みました。

野中五郎大佐の趣味は茶道でした。
南方では出撃前にも翼の影で野点に心を鎮めていた方でした。

彼は新任の部下に、
「若え身空で遠路はるばるご苦労さんざんすねぇ。しっかりやんな。お茶でも入れようか」と声をかけ、面くらわせたりもしています。

言葉づかいはべらんめい調が特徴でした。
けれどそこに飄々とした味があり、とにかく部下思いの優しさから多くの部下たちに慕われいました。
彼の部隊は、いつしか「野中一家」と呼ばれるようになっていたそうです。

茶をたてる野中少佐
茶をたてる野中少佐


その「野中一家」に、桜花部隊が命ぜられたのです。
「桜花」は、出撃=死を意味する部隊です。
野中隊長は、そんな彼らを見渡し、朝礼台で挨拶されました。

「どいつもこいつも不適な面魂をしているナ。誠に頼もしいかぎりである。この飛行隊は日本一の飛行隊である事は間違いねぇ。何となれば隊長が日本一の飛行隊長だからであ~る。
かく言う俺は何を隠そう、海内無双の弓取り、海軍少佐中野五郎であーる。
かえりみれば一空開隊当初より、大小合戦合わせて二百五十余たび。いまだかって敵に後ろを見せたことはねぇ!」

講談調でたたみかけるように話す野中隊長に、いつしか兵たちは ニヤリと笑い、表情に力強さが戻ったそうです。
この様子を見ていた人の談によると、野中五郎少佐の訓示は、なにやら自分の心に勇者の魂が乗り移ってくるような不思議な魔力があったそうです。

昭和19(1944)年10月、「桜花」による特攻部隊、第721航空隊(通称:神雷部隊)が編成されたとき、野中少佐は、「桜花」を搭載して出撃地点まで運ぶ陸攻隊の指揮官に任ぜられました。

野中はその豊富な戦歴から「桜花」の運用の難しさを即座に見破ります。
そして、
「この槍使い難し。日本一上手い自分が攻撃をかけても必ず全滅する」と予言しています。
さらに、たとえ国賊と罵られても桜花作戦を止めさせようと、再三にわたり上官に進言を繰り返しました。
もし、桜花を抱いて出撃することになったなら、本来なら一式陸攻は「桜花」を切り離したら帰還すれば良いのだけれど、「部下たちだけを突入させて帰って来られるか。自分も体当たりする」と公言していました。

昭和20年1月、神雷部隊は鹿児島県鹿屋基地に進出しました。
野中大佐はこのとき、大事にしていた茶道具を、すべて家に送り返しています。
もはや、生きて還ろうとは考えていなかったからです。

桜花の出撃のためには、大多数の戦闘機による一式陸攻の護衛が必要です。
鹿屋基地には、3月18日の時点で、国内全基地から集められたゼロ戦や紫電改など戦闘機百数十機が待機しました。
しかし、そこに米軍の大空襲が行われました。

3月20日、同僚の林大尉に、野中は語っています。
「戦闘機も、もうろくすっぽねえってーのに、司令の野郎(桜花攻撃を)引き受けてきやがって。あのおっちょこちょいめ、どうしようもねえよ。
今回おれは腕っこきをよりすぐって行くよ。それで成功すればしめたものだが、まず成功しないよ。命にかけても(司令は)駄目だとがんばるべきだったが、引き受けてしまったからには仕方がない。
(作戦は)必ず失敗するだろう。その結果を見て林君、特攻なんてこんなもん、ぶっつぶしてくれよ。頼んだぜ。」

3月21日の朝、偵察機が都井岬の南東320浬付近で空母二隻を中心とする機動部隊を発見しました。
桜花を搭載した一式陸攻が出撃態勢に入りました。

そのとき、この作戦が万に一つも望みのない作戦だと知っている岡村司令は、危険な任務には指揮官が先頭に立つという日本海軍の伝統に従って「自分が陸攻に乗って直接指揮する」と主張しました。
野中大佐は、「司令が出るのはおかしい、海軍の規制どおり飛行隊長の自分が指揮をとる」と主張し、二人は大声で激しい言葉で応酬しました。
そして野中大佐は言いました。

「司令、そんなに私が信用できませんか」

そのひとことで、野中大佐は岡村司令をついに押し切りました。
そして部隊の指揮を執って出撃されました。

同日午前、第一桜花攻撃命令が発せられました。
一式陸攻18機が 鹿屋基地に並びました。
搭載する桜花は、編隊の都合で15機です。
護衛戦闘機は72機の予定が、空襲で破壊されて、55機に減っていました。
野中は岡村司令以下、整列した幹部と別盃を交わしたあと、改めて岡村と惜別の挙手の礼をし、指揮官機のほうに向かいました。

このときの様子を、当事七二一空の整備分隊長であった高科伸一氏が、次のように伝えています。
「野中隊長は、二、三歩進まれたところで、ひょいと振りかえられました。私と目が合い、そのとき私には、隊長の眼がかすかに笑ったように感じられました。
野中隊長は、おう、貴様も見送ってくれているのか、あとを頼むぞという感じで、左手に軍刀をぶら下げ、淡々とした足取りでした。そして野中隊長は、軽く首肯して再び歩き出されました。」

野中大佐は、高科らが格納庫で機体を整備中に二回訪れて「ご苦労さん」と、ねぎらっています。
多忙ななかで、自分の命が尽きようとしているのに、機体整備という陰の作業に気配りをされていたのです。
そんな野中大佐に、整備員たちは感激したし、そのときの野中大佐の笑顔が思い出され、高科さんはこみあげてくるものを抑えることができませんでした。

野中大佐は出撃隊員の正面に立ち、大音声で訓示しました。
「ただいまか ら敵機動部隊攻撃に向かう。まっすぐに猛撃を加えよ。
空戦になったら片っ端からたたき落とせ。
戦わんかな、最後の血の一滴 まで。
太平洋を血の海たらしめよ!」

次いで桜花隊の三橋分隊長が部下に訓示しました。
「いまさら言うこともない。 みんな一緒に行こう!」

21日、午前11時35分、部隊は鹿屋を発進しました。
空母群から60海里の上空で、部隊は、グラマンF6F戦闘機群の襲撃にあいました。
重い荷物を抱え、スピードの遅い一式陸攻は残らず撃墜されてしまいました。
敵戦闘機からやっと 逃れて帰投した直掩機が、味方は十数分で全滅したと桜花特攻の最期を報告しています。

未帰還者は野中隊長をはじめ総勢160名でした。
34歳の野中大佐は、妻と二人の幼児を残したままの死でした。

以下は、野中五郎少佐(没後二階級特進して大佐)が、亡くなる前に愛児に宛てて書いた手紙です。

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ぼー まいにち おとなちく ちてるか
おばあちゃまや おじちゃまが
いらっちゃるから うれちいだろう

おたんじょうび みんなに かわいがられて
よかったね おめでとう おめでとう

おとうちゃまは まいにち あぶーにのって
はたらいている

ぼーが おとなちくして みんなに 
かわいがられているときいて うれちい

もうちょろちょろ あるかなければいけない
はやくあるきなちゃい

おかうちゃまの いうことをよくきいて 
うんと えいようをとって ぢょうぶな よいこどもに
ならなくてはいけない

ちゅき きらいのないように なんでも 
おいちいおいちいってたべなちゃい

でわ さようなら 

おとうちゃまより
ぼーへ
========

私は「日本軍は沖縄を見殺しにした」などと言っている人に言いたいです。
「あなたは、失敗する、死ぬとわかっていても、それでもなお、沖縄を救うために出撃した野中五郎大佐以下160名の前で、その言葉を言えますか」と。

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桜花を搭載した一式陸上攻撃機 カラー映像
被弾して墜落するのが野中隊長機


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コメント
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2014/03/27(木) 17:36 | | #[ 編集]
自分が今心がけているものほか
今年も、3月21日が過ぎていった。

旅立ってから、僅か数十分で、全滅。

たとえば、近くの日本人に、この話を語れるような空気は、ないでしょう。
逆に、そんなお話をする人は、みんなから無視されるのでしょう。

ここが、似非日本人か本当の日本人になれるかの分かれ目ではないでしょうか?

今の私の理解では、俺たちのじいちゃん達は、この日本とその繁栄の中心にあられます天皇陛下をお守りすべく、自らの家庭も犠牲にして、そのほとんどの国を植民地にして、その暴利を貪っていた欧米どもから、それぞれの国と民を解放して、共に、平等に、互いを敬い、繁栄すべく、体を張って、闘った。

これが、大東亜戦争の意義だと思います。

特に、欧米連合軍の余りある物資補給の潤沢からくる猛攻撃を喰らいながら、ほとんど補給無く、飢餓に苦しみ、弾薬も尽き、それでも、傷病兵をかばい、時には、自分を犠牲にしてまで、敵を引き付けて、その間に、仲間を逃がしていたなど、とても、日本人以外には理解出来ないことだと思います。

そして、俺達じいちゃん達は、自分の人生が終わるその瞬間まで、愛する祖国日本に残してきた息子や愛娘、愛する妻に会いたい、会いたいと家族への幸せを祈りながら散華された。

だから、そんな多くのじいちゃん達のことを思い出す度に、仕事の車の運転中に、あふれ出る涙を拭きながら、感謝と尊敬の念をお祈りしております。

この涙というのが、やはり日本人にしかない持ていない誠から発していると思うのです。

だから、グローバリ化という欧米得意の人種差別政策を謳う世の中は、当然の流れだと思います。

それは、昔から、ある原因について、その根本から見直して、直そうとするのが、日本人であり、うわべだけ、見てくれだけよくすれば、中身はどうでもよいというのが欧米人であり、その意識の戦いが、今も続いてるわけです。

だから、個人的には、どうしても、これからの世界の共通語は、日本人の持つ誠でないとだめだと思うのです。

この日本人が持つ誠を、今後、世界にどう叩き込むことが出来るかどうかが、大事なところだと思います。

いまのままでは、アメリカヨーロッパ人が決め事が、世界のルールになってしまうでしょう。

そうなった場合、日本からは、皇室も消され、本当の日本の歴史も消され、気付けば、ただの小さい国に住んでいる小さな黄色い土人であったみたいなことになってしまいましょう。

長々、失礼いたしました。
2014/03/25(火) 21:23 | URL | ture #-[ 編集]
ベトナムも日本を尊敬してくれている
ベトナムから昨日帰国しました。現地ベトナムの予備役軍人から聞かされた話ですが、「植民地時代の宗主国フランスを追っぱらい、選手交替で民主主義を守る為にとの大義名分を掲げて、介入してきた大国アメリカを打ち負かしたベトナムですが、ゲリラ戦術を駆使して勝利に導いたベトミンを指導したのは旧日本陸軍で、日本の軍事指導のお陰でベトミンからベトコンまで日本軍の戦術が引き継がれて現在のベトナムがあるのですよ」と話されました。日本の敗戦後に再び植民地にしようとフランスが舞い戻ってきたベトナムに、独立支援の為にベトナムに600人に及ぶ残留日本兵が志願して軍事指導をしたそうです。インドネシアの独立と同じで、日本の敗戦後に植民地解放の為に現地を離れず命を賭けた元日本兵の人類愛に対して、ベトナムは感謝していますとの話でした。親日的な国家の国民は、戦前の日本の戦争の大義を認めている事実を、身をもって体験できた有意義な旅でした。
2014/03/24(月) 23:12 | URL | ひげ親父 #-[ 編集]
No title
http://torakagenotes.blog91.fc2.com/blog-category-21.html
国を枯らす朝鮮系

 朝鮮系に関わるほどに、日本への流入を許すほどに、国家にとってろくなことは無い。まさに、百害有って一利無しである。表題に報じられる賭博一つとってみてしても、巨額の脱税の蔭に、どれほど多くの汚染をこの日本が受けて来たことか。“利権”に翻弄される一部の政治家や、毒性に押し黙る多くのメディアの惨状を良識に問うべき時に来ている、と信じて止まない。

 我々の世代で、良識の一票による国害追従政治家の選外放逐と、「パチンコ」の賭博認定を明確になすこと。さらに、特別地永住資格の廃止、ひいては帰化取り消しなどを良識の総意でなすことも、国家恢復への一つのステップとなることは謂うまでもない。
2014/03/24(月) 21:49 | URL | junn #p4GOlP7Y[ 編集]
No title
反日売国テレビ局・マスコミの捏造報道で台湾立法院(国会)
占拠事件が世界中の注目を集めた。
現在視聴者数  2,679,085人
累計来場者数:89,461,336人

http://live.nicovideo.jp/watch/lv173117558
(動画)

詳細は
【マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。

2014/03/24(月) 21:25 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
No title
動画は私も見させていただきました。一式陸攻の中に日本の操縦員の皆様が必死の思いで敵艦隊へ一矢を報おうとF6Fの攻撃をかわそうとなられている事に涙が溢れると同時に悔しさがこみ上げてまいりました。

日本人でありながら反日に勤しむ者達よ。これでも日本軍は沖縄を見捨てたと嘘を付くのか。?(怒)

今沖縄タイムスや琉球新報は偏向報道を行い本土と沖縄の間を離反させようと画策し、さらには沖縄の社民党選出議員照屋のごときはあろうことか沖縄独立を画策する中国の工作勢力に協力を要請するかの動き。

自民党は今これらの動きを阻止するべく安倍総理を応援しなければならないはずが「今これをやるべきか。今でなくても」とまた以前のように先送りを示唆する大馬鹿者もいると聞きます。

自民党議員であっても獅子身中の虫はいる。日本の国益と日本国民の安全を守るよりも自分の地位や利権の保身にしか目がいかないようでは終わりである。

大馬鹿者と言えばあのルーピー鳩山が自身の活動拠点を沖縄に移したとの噂もあるあくまでも噂だがあのような大馬鹿者に勝手に動き回られては日本が本当に危なくなる。

昔何かの本?で読んだ一節に「昔の日本は精神はあったが技術と生産力がなかった。今は技術はあるが精神が無い」と。

萩生田補佐官のような人物の慎重さを欠いた発言は安倍政権の動きを縛る可能性がある事をよく考えるべき。

言いたいことは判るがタイミングをよく図るべき。やはりこのような輩も大馬鹿者。もし韓国やシナを近くに寄らせない為の作ならば多少はありかもしれないがそのような事を考えた上ではないように思えてしまう。もっと政治家は一般庶民よりも勉強するべき。(怒)
2014/03/24(月) 19:46 | URL | 一有権者 #-[ 編集]
No title
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/rekishi04.htm
中国の「正しい歴史認識」
の正体

日中戦争はなぜ起こったか。
日本は中国に「迷惑」をかけたか。
今こそ自虐史観を克服し、本当の歴史を知ろう。
2014/03/24(月) 17:48 | URL | junn #p4GOlP7Y[ 編集]
No title
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014032302000102.html
 日本を訪れるアジア圏の旅行者が増える中、JR東日本や大手私鉄では、鉄道の駅名や乗り場などの案内表示を中国語や韓国語で示す取り組みが広がる。しかし、日本の大動脈の東海道新幹線を運行するJR東海は英語表示のみ。国土交通省は二〇〇九年、英語以外での表示の必要性を指摘したが、JR東海は「(複数の外国語を使うと表示の)文字が小さくなる」と反論し、駅での案内表示のあり方に一石を投じている。 (木村留美)


 駅などでの外国語サービスのあり方について国交省は〇六年「『おもてなし』の観点から英語以外の外国語でも情報提供を行うことがさらに望ましい」とのガイドラインを提示した。


 輸送サービスなどの状況に関して調べるJR東海に対する〇九年の業務監査でも「他社の駅施設では中国語や韓国語などの表記があるが、JR東海はない」と指摘。「来訪外国人の約七割がアジア圏からで外国人を意識した表記について検討が必要」とした。


 これに対しJR東海は「国際的共通語の英語をできるだけ大きな字で記すのが基本」と主張。多言語表示は「限られたスペースの中で文字が小さくなり、見づらくなるおそれがある」と反論していた。


 現在はキャリーバッグの扱いや緊急ドアを引っぱらないよう呼び掛ける注意書きについては英語以外でも表示。一部の券売機では多言語対応も始めたが「高齢社会に配慮し日本語を大きな文字で表記している。英語以外の外国語も表記すれば文字が小さくなり読みにくくなる」とし「対応は現状で十分」と主張する。
2014/03/24(月) 17:37 | URL | #wE5F5/vQ[ 編集]
No title
どこの国の政治家でも、何かを行うときにはその手段として、出来れば戦争はしたくないと思います。
もし戦争をする場合にでも、自国の軍隊の損耗は出来れば少なくしたいのです。
これは当然だと思います。
そして、その目的のためにできる限り優秀な兵器を開発し、戦います。
しかし、相手との国力が違いすぎる場合には、どうする。
基礎工業力、資源、人口等のすべてに渡って、相手方が勝っていたらそれらを持たない国は、非力としか言えません。
日本人が精神力で勝ると言っても、戦場では大量生産による武器と余裕を持った補給力の方が強いのです。
日本の特別攻撃隊を批判することは出来ませんし、逆に何もなければ、兵の命を最大限に使うことしか、戦うことが出来ないと思います。
ただ、悲しいと思います。



大阪市長選挙は終わり、橋下市長が勝ちました。
その割には、マスメディアは橋下市長の勝利を大きく取り上げませんし、自民党から共産党までが、選挙に候補者を出さずの不戦敗であったにも関わらず、悔しさもないようです。

この選挙は投票率も低く、白票も多かったと批判しているマスコミもありますけれど、昔、京都市長選挙では投票率が20%を切っていたことがありました。これに較べると相当良いと思います。(確かあの時は、自民・社会等対共産でした。)

安倍首相が河野談話を見直さないとのことです。
本来は、河野洋平氏は官房長官でしたから菅官房長官が見直せば良いと思いますが、それもなさそうなので、日本維新の会にいわゆる従軍慰安婦問題をとことん洗い出し、追求していただいて、日本の汚名をそそいでいただきたいと思います。
今日も毎日放送のひるおび!で、いわゆる従軍慰安婦はいたと断言したコメンテーターがいました。
せっかく石原官房副長官が国会で参考人として出ていただいても、官房長官が検証すると言っても、マスコミはこんな対応なのです。
河野洋平氏を証人喚問し、村山元首相の最近の発言の根拠をただし、河野談話の際に慰安婦の聞き取りに立ち会った福島瑞穂弁護士を証人喚問する等、日本の名誉のための行動を、日本維新の会の中山成彬氏を始めとする議員諸氏に期待しています
2014/03/24(月) 16:41 | URL | ポッポ #-[ 編集]
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2014/03/24(月) 11:10 | | #[ 編集]
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2014/03/24(月) 10:41 | | #[ 編集]
沖縄からブサヨ一掃
ブサヨ「日本軍は沖縄を見殺しにした」

↑はっ? 世界的に有名なカミカゼ特攻隊も、虎の子だった戦艦大和も、沖縄を守る為に投入され散った訳だが?? 

昨日ゴジラ対モスラを見ました。 
島に向かって来るゴジラから逃げるべく全島民避難させたが、小学生達とその担任の女先生が島に取り残されてる事に気付く。
主人公達は救助に向かおうとするも、既にゴジラが島に到達し暴れ回ってるので近付く事が出来ない。 
その時、先程ゴジラにやられて死んだモスラの卵から生まれた双子の幼虫二匹が島へと向かい、
まるで硫黄島戦の如く洞窟に身を潜めながら圧倒的なゴジラの攻撃を防ぎつつ、スキを突いて繭糸をゴジラに吐き付けてがんじ絡めにしているその間に 
主人公達は島に取り残されていた小学生達と女先生を救い出す事に成功。  
主人公達や小学生達は、そんなモスラの幼虫二匹に感謝しつつ、「彼らのお陰で生き残った我々が平和で立派な社会を作る事こそが彼らに対する恩返しだ」と叫んでエンディング。 

↑という内容でした。 作り手が皆戦争体験世代だけに、彼らの想いがよく伝わってくる内容でした。
モロには言えないから怪獣物やヒーロー物に託して想いを伝えていたんでしょうな彼ら世代の作り手は。
モスラの幼虫達は無事死なずに去って行ったけど、同じ理由で戦った沖縄や硫黄島ではその多くが散華玉砕しました。 
文字通り命を賭して守ってくれた人々に感謝するのが当たり前の人情であって、どこをどう捻れば彼らを恨むという倒錯した感情になるのか全く理解出来ません。 
『上原正稔日記』や『狼魔人日記』を読むと、沖縄メディアや沖縄議会が如何に反日国賊どもの巣窟と化しているかが分かります。 
もっとも上原さんや狼魔人さんはじめ、地元民間人や地元議員のなかにはそんなイビツな空間に反抗してくれる人達も居られるようで大変ありがたいんですが、
それに甘えて彼らだけに孤軍奮闘させてる訳にもいきません。 
沖縄食われたら本土も御陀仏なんだから、本土に住む我々も自分事として沖縄を守るべく尽力すべきでしょう。 
でなきゃ先人達が何の為に命落としてまで沖縄守ろうとしたのか意味無くなってしまう。       

最前線である沖縄からブサヨを一掃すべきです。
2014/03/24(月) 10:30 | URL | 魔除けに牛島辰熊 #-[ 編集]
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2014/03/24(月) 08:25 | | #[ 編集]
No title
今日のひとりごとも、朝から顔がぐしゃぐしゃになってしまいました。
戦前の日本の少年たちの将来の夢は軍人さんの大将になることだった、それを戦後は軍国少年だの、騙されていたのだと腐す。 そういうことを小さいころから私たちは刷り込まれてきました。
でも、本当は、皆から深く尊敬されていた、だからそれを聞いていた少年たちは素直に憧れたのじゃないか。

東条英機は悪の権化と教えられてきました。「東条」と聞くだけで、「東条英機、日本を戦争に追いやった張本人」とイメージされるほど、徹底的に洗脳されました。
何故そこまで徹底したのか。 それは実は東条英機が立派な人だったからだということ、英雄を消し去ることで、日本人弱体化をまさに実行したんだということを、やっと最近になり分かってきました。 
東条英機大将は極東軍事裁判でも、「日本は防衛ために戦った、私の罪は戦争に負けたことである」と終始主張し続けたのですね。 連合国は真実を隠すために、発言記録を封殺したのだ。 
彼は処刑される直前まで、日本のことを心配し、真の敵(共産党)に気が付かないアメリカのことを心配考していたのですね。 それはねずさんのひとりごとに詳しく書かれていました。
ビルマの元首相バーモウは、真のビルマの解放者は「東条大将と大日本帝国政府」であると残しているのですね。
日本の軍人さんは、本当に凄い人が大勢いたのですね。

それにしても、ねずさんの、野中少佐と岡村司令の桜花出撃の指揮官を譲らない下り、2人は凄いですね。 ねずさんの表現から、2人の表情まで想像できそうです、「死ぬのは俺でいい、お前は残れ」と。
「茶をたてる野中少佐」の写真、どこから入手されたのでしょうか? また野中少佐の隊長機の墜落の動画、よく探し出されたものです。 なんとか、歴史のその現場まで踏み込み、あの当時の人たちの思いを知りたい、それを今の多くの日本人に知って欲しい、という熱意と気迫を全ての読者が感じたのではないでしょうか。
2014/03/24(月) 07:39 | URL | 寺島 孝 #-[ 編集]
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小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
静岡県出身。国史啓蒙家。倭塾塾長。日本の心をつたえる会代表。日本史検定講座講師&教務。
連絡先: nezu3344@gmail.com
著書
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』第1巻〜第3巻
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』
日々、先人たちへの感謝の心でブログを書き綴っています。それが自分にできる唯一のお国への、先人たちへの、そしていま自分が生かさせていただいていることへのご恩返しと思うからです。こうしてねずブロを続けることで、自分自身、日々勉強させていただいています。ありがたいことです。

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