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日本はシラス国です。ウシハクと一線を画す日本の姿学んでいます。


日本の台湾統治

ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!第二巻「和」と「結い」の心と対等意識
2014/04/12発売 ISBN: 978-4-434-18995-1 Cコード:C0021 本体価格:1350円+税 判型:四六 著者:小名木善行 出版社:彩雲出版 注文書はコチラをクリックしてください。
ねず本第二巻の「立ち読み版」が公開されました。
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ニューヨーク・タイムスの記事(1904年9月25日)
ニューヨークタイムスの記事


明治37(1904)9月24日付ロンドン・タイムスに、「日本人が変えた未開の島―台湾」という記事が掲載されました。上の図のものです。
同文の記事は、翌9月25日付けのニューヨークタイムスにも掲載されています。

明治37年といえば、日清戦争の勝利で日本が台湾の割譲を受けてから9年目です。
この年の2月には日露戦争が勃発しています。
つまりこの記事は、日露戦争中に掲載された記事であるということです。

内容は、日本による統治がいかに素晴らしいものであるか、わずか9年という短い期間で、日本がいかに社会的インフラの整備を果したのか。そしてなぜ日本は台湾統治にあたり、日本語を教えたのか等々です。
たいへんわかりやすくまとまっています。

おそらく、現代のイラクや、アフガン、ソマリア、あるいは南米のコロンビア、ペルーなどにおいても、当時の日本式統治をおこなったのなら、瞬く間に彼の国の貧困は改善され、治安も回復し、多くの人々が安心して暮らせる国家となっていくのではないか。
そんなことさえも感じさせる記事となっています。

訳は、ブログ「台湾は日本の生命線!」の過去記事からお借りしました。(一部、ねず流で校正しています)


===========
精訳「日本人が変えた未開の島―台湾」
~他国家が征服できなかった民族と共に
 数年間で成し遂げた驚異の数々~
 ☆他の植民地主義国家への教訓☆
 1904年9月24日、ロンドン。
本日のニューヨーク・タイムズ紙は、特派記者が取り上げる「日本の台湾変革」を掲載する。

どんな事業においても、成功するためには“生来の能力”と“綿密な対応”そして“経験”の三要素が必要である。
植民地経営も例外ではない。
ドイツは綿密な対応にもかかわらず、生来の能力不足からか、あるいは経験不足からか、植民地経営の試みに失敗した。
ドイツの不成功の原因として、ふつうに考えられるのは、如何なる事業でも最初の試みは通常、失敗しやすいということである。

その意味で、日本の植民地としての最初の試みは、格別に興味深い。
なぜなら、特に、正確にはいわゆる最初の日本の植民地である台湾島には、過去、他の国々が克服できないようにみえた植民地化上の困難があったからである。

日本統治前の台湾島は、シナやその他様々な国からの無法者がずっと好んで跋扈しており、また野蛮さ、無法者の人口比率がかなり高い為に、数度も侵略されながらも植民地化されたことはなかった。
(註:清朝は、台湾は鳥鳴かず、花香わず、男は強盗、女は売女、とまで蔑んだ)

スペインやオランダは台湾の植民地化を試みたが、絶望の内に断念している。
シナは島を事実上の荒れ地に放置し、フランスや英国は、容易にこの地を取得できたであろうが、好んでこの蛮地の内部に足を踏み入れることはなかった。


未開原住民の懐柔・開化

そこで、1894~1895年の日清戦争の終結後に、日本が台湾を要求した際、シナは日本への台湾割譲を喜ばないまでも快くそれに応た。
李鴻章は、「日本はその内に“この島はとんでもない悪い買い物であった”と気付くであろう」と、皮肉っぽく論評している。
(註:清とは清朝で、女真族、満州族の王朝である。この王朝では漢民族つまりシナ人は被征服者であった。)

日本が台湾に入った時、沿岸は海賊のなすがままの状態だった。
奥地は、野蛮な原住民によって支配されていた。
海岸部は、難破船を分捕り、そして島に辿り着いた船員を殺害した無法者や盗賊の集団によって支配されていた。
台湾がシナ領であった間、このような外国船船員に対する殺戮攻撃が原因の騒擾が、米国や他の国々との間に何度も生じている。

1896年3月31日に、台湾は、日本の文民行政下に置かれた。
シナ統治時代の台湾島管轄者である武官や官僚は、その地位を追われることを恐て、台湾島の無法集団と手を結び、新しい支配者(日本)に対する反乱を扇動した。
日本の軍の掃討活動によって反乱分子の一掃が済んだ1901年末まで、台湾島は常に不安定で混乱した状態が続いた。


法令施行に於ける寛容さ

台湾が日本の法政の下で完全な平和を享受してきたのは、ようやくこの2~3年である。
しかし、台湾島の様相・・・以前は未開の民であった原住民の心持ちは既に全く変わった。
台湾の人々は、日本法政の息吹を理解し、それを賞賛し始めている。

日本が顕著な成功を収めている政策は次のようなものがある。
日本は、可能な限り住民の伝統的風俗(先入観)に敬意を表し、文明の路を強要するよりは寧ろ穏やかに指導することを心がけた。

例えば、武装山賊の不意の襲撃や火災、洪水、その他自然災害から住民を守るべく古来シナが創設した“平和兵団” (註:台湾に古くから伝わる補助的な組織「義警」)は維持したけれど、同時に日本の進歩的な“成文法”を導入した。
(註:この組織を通じて、新たに導入される日本の法律を住民に伝えた)

そしてこれらの“成文法”は、台湾在住の日本人に対しては完全に適用されたけれど、文明度不足や、文化的条件によって、法律の尊重(それによって文明は支えられる)に直ちに対応できない土着住民に対しては、大幅に緩和して適用している。  


阿片常用者の治療(漸禁策)

阿片吸飲や阿片取引は、日本及び台湾在住の日本市民にとっては様々な段階の懲役刑の対象となる犯罪なのだけれど、原住民は阿片常用癖を認められてきている限りにおいて阿片消費を罰せられないものとした。
しかし日本政府は、大酒呑みを徐々に飲酒から離れさせるのと同じ手法にのっとって、徐々に阿片消費量を減少させる目的で、阿片取引を専売扱いとし、その制度を賢明にも阿片吸引の許容にも、阿片の抑制にも利用した。
公認を受けた吸引者だけが阿片を入手でき、厳格な監視の下でのみそれを確保できる。

日本政府は、阿片供給をコントロールしながら認可エージェントを通して、阿片を登録吸飲者へ分け与え、そして警察は、最高の警戒によって阿片吸飲者の仲間が拡大しないように監視した。
同時に日本は、負わねばならない道義上のプレッシャーを与えた。
医師は皆、成人に対し阿片吸飲の害を常に指摘しなければならないし、教師は皆、阿片常用者の不法性及びそれがもたらすモラル低下作用を子供達に警告しなければならないとした。

同島の人口は現在ざっと300万人。
1900年9月時点では、その内169,094人が阿片吸飲者であった。
1902年3月末時点では、152,044人だけが阿片吸飲者として登録され許可されていた。
17,020人の減少は、死亡や阿片常用癖断絶によるもので、現行の賢明な施策の結果、登録者数が更に急速に減少するであろうことに疑いはない。
1900年に3,392,602円であった阿片輸入額は、1903年には1,121,455円になったことは、大きな変化である。

財政収入の観点からは、台湾での阿片使用抑制策は好ましくない。
なぜなら、国家にとってこれが意味するものは、一面で深刻な収入減、反面で阿片吸飲者の管理・監視のための経費増であるからである。
(註:阿片を売り込んでいたのは主として欧米諸国。
尚、1905年、台湾には纏足婦女子が女性人口の7割の80万人以上もいた。総督府が禁制策を取り、1930年には約14万人まで減った。)

日本政府は、決して宗教や慣習への干渉で原住民の感情を傷つけないよう努力する一方で、彼らのあらゆる面での条件を改善することによって、日本のルールの利点を明白な形で証明した。
最初の段階で、遵法者の料金徴収者が、強盗集団に威嚇されたり虐げられたりすることはまったくなくなった。
公正な政府の下で自由を謳歌する。

次の段階では、社会福祉面で多くのことがなされた。
台湾はこれまで伝染病にかなり苦しんできた。
それは、澱んだ水溜まりや汚染された流水から原住民が取得する、極めて質の悪い水が主な原因であった。
そこで日本人は、浄水の供給を始めた。

台湾で掘られた井戸の総数は不明だが、総人口の10分の1が住む台北地域だけでも800以上の井戸が堀り抜かれた。
(註:台北の上下水道システム敷設は、東京よりも早かった。功労者はイギリス人のウイリアム・バルトンとその愛弟子である浜野弥四郎。バルトンがマナリアで倒れると、その遺志を継いだ浜野は台湾の上下水道普及に23年の歳月を捧げた。)

日本が整備した台北水源地一帯
1903年着工~1905年完工
台北水源地



素晴らしい学校制度の開始

教育は、あらゆる進歩の基本であり且つ出発点である。
日本は、台湾に素晴らしい教育制度を導入した。
60名の教師と2,000人の生徒を抱える日本人用の学校が存在する一方、原住民用の初等科学校130校が存在し、そこでは521名の教師スタッフが18,149人の児童を文明化された存在に変えるべく教育に携わっている。

しかし日本は、原住民に対する初等教育の提供で満足している訳ではない。
というのは、与え得る最善のものを台湾に与えるという志を持つからである。
そこで、日本は原住民が利用できる医学学校、日本語学校、教員養成学校を設立している。

台湾での医学学校には、中国系の学生に対して現代科学の一般課程及び医学の実習を提供する“極東で唯一の学校”であるという重要な特徴がある。
学校は台北に存在し、現時点で約150名の学生が有能な日本人教授達の指導の下で医学を学んでいる。

台湾総督府医学校
台湾総督府医学校


日本語学校には二つの役割がある。

その目的は原住民の間に日本語を広めることだけれど、同時に、日本人に現地語を学ぶ機会を提供することで、彼らが奥地で先生・通訳として活動できる準備をすることでもある。

(註:中国国民党軍が1945年に台湾を占拠後、彼等は全ての現地語の使用を禁止し、北京語の使用を強制した。
これは、時効の無い戦争犯罪行為であり、日本の施策とは大きな違いがある。
日本語の役割は、
 ① 共通語を持つことと、
 ② 近代科学や技術、医学、哲学、文学、宗教などを学ぶ手段
として不可欠であった。
つまり、西欧近代文明を取り入れた日本語教育がなければ台湾の近代化は不可能であった。
総督府は教育不毛の地を教育先進地域にしたのである。)

個人の幸福感は、安全、暴虐からの自由、身体的な安寧によるだけではなく、経済的な繁栄にもよる。
そこで、日本は、新植民地の繁栄増進をも、その目的としている。


鉄道網の構築

日本が台湾の割譲を受けた際に道路は存在しなかったが、変な話ながら、粗末な建造且つ貧弱な運営で殆ど役に立たない、短距離鉄道が存在した。
鉄道運賃や貨物運送はほぼ毎日変更される他、都合の良い時だけの列車運航だった。
日本は、台湾が基本的に求めるものを理解し、島の多くの地域に組織的な道路建設を始めた。
米国領事の最近のレポートによると既に1,000マイル以上の道路が建設されている。

日本政府は同時に包括的な鉄道制度を精密に企画し、28,800,000円(ほぼ3,000,000ポンド)の予算を計上しているが、これは日本のような国にとっては殆ど信じがたいような大金である。

明治橋
明治橋


日本人が台湾でその存在を見た鉄道は既に完全に建造され、直され、さらに新竹-高尾間の新線建設が、両方のターミナルから同時に全力投球で始まっている。

1897年から1903年の間に95マイルの線路が敷設され、
37の駅が建造され、
210輌の貨車及び客車、
機関車20輌が導入された。 

この期間に、運送旅客数は4倍に、そして輸送貨物量は10倍に伸びた。
加えて、軽便鉄道が導入され、125マイルの線路が2~3ヶ月で敷設された。
更に52マイルの軽便鉄道が間もなく建設される。

台北停車場
台北停車場


郵便、電信、電話も、既に導入され、大きな成功を収めている。
1896年から1902年の間に、一般大衆向け郵便局87局が島中に開設され、
1902年には13,285,105通の封書・ハガキ及び114,779個の小包を取り扱い、
336,207件の国内為替を発行した。

電信の距離は1896年の900マイルから1902年には2,600マイルに伸び、1,350マイルの電話線が敷設され、
1902年には3,690,228件の通話が行われた。

台北に置かれた郵便ポストと集配人
(なつかしい赤ポストです)
台北に置かれた郵便ポストと集配人


日本人が入る前から続いていた台湾の地元産業は、殆ど満足できない形で続行されていた。
実り豊かな土地の耕作法は、科学的なものはおろか、伝統的・絶対的なものでさえ知られていなかった。
原住民は主として人の手が加わっていない自然の恵みに依存していた。
台湾の農民は米の二期作や三期作さえも享受しながらも、収穫は労苦に見合ったものではなく、収入も全く不十分なものだった。

日本人が導入した改良手法を通じて、1896年から1902年の間の米の生産量は10%伸びている。
同じ期間のお茶の生産量は5倍となり、砂糖、甘藷、サトウキビ、ラミー麻、黄麻、ウコンなどその他主要農産物もかなり大きな伸びを見せている。

農業実験場 1903年創設
農業実験場


(註:この後、バルトンの教え子である八田与一による烏山頭ダム建設と嘉南大洲の沃野開発、磯永吉・永末仁の12年もの地道な努力から生まれた画期的な蓬莱米などの品種改良、新渡戸稲造博士による製糖業の大改革など、更なる発展がある。
「飢餓の島」は一大食料輸出地に変貌したのである。)

広大な森林の利用も不十分だった。
原住民は不経済で、例えば楠(くすのき)から樟脳を取り出す際に得られた樟脳油は、地元の精製者は廃物として取り扱っていた。

日本人が導入した改革の結果、樟脳の生産は、
1897年の 1,534,596斤から、
1903年には3,588,814斤へと着実に増え、
樟脳油の産出も1897年の638,603斤から1903年には2,670,561斤へと伸びた。

鉱業も同様に最も浅薄で且つ不明意なやり方で継続されたため、最大限の労力を費やしながら最小限の結果しか産まれなかった。
忍耐強い指導と穏やかな主張により、日本人はあらゆる産業において改良手法の導入に成功している。
農業収穫はより良くなり、森林は科学的に開発され、数百万本の楠の若木が適地に植林され、そして鉱業は直近の2~3年間で大きな進歩を遂げている。


銀行・通貨制度

台湾の貿易や産業の改善の結果、銀行機関や通貨制度の改善が必要であることが自ずと明らかになった。
その結果、この島の中央銀行機関として台湾銀行が創立され、より重要な中心部に民間銀行の事務所も開設された。

台湾銀行台北総行
台湾銀行台北総行


郵便貯蓄銀行も開設され、かなり満足のゆく成功を収めている。

預金者数は
1896年の5,847人から、
1902年には41,145人に。

預金額は1806年の228,487円から、
1902年には763,575円に増大した。

台湾通貨も改革を必要とした。
台湾は、ずっとシナと全く同じく為替の媒体が、硬貨ではなく金塊の国であった。
扱いにくい大きな銅貨のせいで、どんな規模の商業取引であれ殆ど不可能であった。
今では、日本の最新の貨幣制度がこの大昔の貨幣制度に取って代わっている。

日本はお金を湯水のように台湾に注ぎ込んだ。

粗糖、白糖、硝子、紙などの生産工場を創設し、最も優秀な人材を管理者として送り込んでいる。
疑いもなく日本は、その開けた政策に対する報酬を然るべき時期に受け取るであろう。

この島が完全に鎮圧されてから僅か2~3年が経過したばかりで達成された経済発展は、大変に著しい。

住民の繁栄の増大は、基本的に政府の仕事や事業、阿片専売、関税や種々の税金に由来する総合歳入が、
1896年の 2,711,822円から
1903年の12,738,587円へと、ほぼ10倍に拡大していることから、見て取れる。

主として土地・家屋や事業などへの課税で構成される地方の通常歳入は、
1898年の 747,850円から
1902年には1,952,220円へと、4年でほぼ3倍にも伸びた。

しかも、一般課税及び地方課税の徴収において、これらの輝かしい成果を達成するために、不当な圧政が行われたことは、これまでにいちどもない。
従って、台湾の人口がその資源開発と共に急増していることは、正に当然である。

1897年に2,455,357人であった台湾の人口は、
1903年には3,082,404人に増加している。

===========

※この記事は2009年7月25日のものをリニューアルしたものです。



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日本の台湾統治の真実


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コメント
中共の謀略路線
かつて周恩来が『水を飲むときは井戸を掘った人を忘れない』と言って、
日本国民を感心させましたが、日中国交樹立後にやった事は『トキとパンダと残留孤児』
こうした目先のまやかしで日本は金を巻き上げられ、日本を落としめる反日工作ばかりやられました。
台湾はじめアジア諸国も中共の工作に絡め取られて呻吟しています。
今こそ『油断大敵』『仏の顔も三度まで』を心に銘じなければなりません。
2014/06/24(火) 10:22 | URL | アドレス #Ciov6gVM[ 編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2014/06/24(火) 02:04 | | #[ 編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2014/06/24(火) 01:59 | | #[ 編集]
塩村文夏都議偽証罪の疑いあり。
塩村文夏都議偽証罪の疑いあり。

NHKニュースサイトにある動画を良く聴いてほしい。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140622/k10015414131000.html
やはり、今回の動画を何度聞いても、やはり「みんなが結婚したほうがい
いんじゃないか」としか聞こえない。
決して「自分が早く結婚したほうがいいんじゃないか」とは聞こえない。
そして、やはり「産めないのか?」という野次は、全く出てこない。
もともと、今回の騒動は、塩村文夏のツイッターが全ての発信源だった。
https://twitter.com/shiomura/status/479237918519590913

嘘も100回言えば本当に成ると信じて、息を吐く様に嘘を吐く反日売国
テレビ局・マスコミが押す今、話題の人にこんな話題も上がっています。
都議会中継の質問録画ノーカットで塩村文夏都議がツイターで記載してい
る文言は無いのです。
反日売国テレビ局・マスコミの嘘も100回言えば本当に成ると信じて、
息を吐く様に嘘を吐く塩村文夏都議に偽証罪の疑いあり。

詳細は
【マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。
2014/06/23(月) 21:46 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2014/06/23(月) 19:35 | | #[ 編集]
マスコミ隠蔽の恋のから騒ぎは終了
マスコミ隠蔽の恋のから騒ぎは終了
https://twitter.com/565nzola/status/480843762164183040/photo/1

 従軍慰安婦を捏造した「河野談話」は「河野談合」である事が曝露され
た。 このニュースを隠蔽する為に、支那朝鮮が支配する反日売国テレビ局
・マスコミが都議会の塩村議員の野次騒動の内容を針小棒大に捏造して偽装
報道をした。 反日売国テレビ局・マスコミの嘘も100回言えば本当にな
ると信じて、息を吐く様に嘘を吐く支那朝鮮資質が日本人の視聴者はまだ騙
せると考えていた。 しかし野次の発言者が名乗り出て謝罪を行った。
 これで一件落着、マスコミ隠蔽の恋のから騒ぎは終了。
 次は「河野氏の独断が災いの種蒔く」を詳しく解説して多くの愛国系日本
人に真相を知ってもらおう。

詳細は
【マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。
2014/06/23(月) 17:50 | URL | 愛信 #-[ 編集]
No title
19世紀に西欧列強は、アジアとアフリカの植民地化の総仕上げをした結果、アジアは日本とタイを除く殆どが植民地となり、後は中国の処分だけが残りました。
日本は独立をからくも維持できましたが、ロシアの南下政策は中国に隣接した朝鮮半島の併呑を目的としていたことに、間違いありません。
そして、日本は自国の独立を維持するため、清国の属国であった朝鮮の独立を目指したのが日清戦争だと思います。
その結果、朝鮮半島の李氏朝鮮は清国から独立を得ることができ、台湾は日本の植民地となりました。
その後、日露戦争を経た後に、日本は朝鮮を併合しましたけれど、台湾と朝鮮は日本の領土に含まれて良かったのか、悪かったのかと損得勘定をしたくなります。

台湾には、日本の植民地となった1895年の後は、ねずさんの説明にありますように多大なインフラの整備を行いました。その間に起きた日本人の殺傷事件にもよく耐えて、計画を継続しました。素晴らしいものです。

その後に、1911年日本との条約により併合された朝鮮との、差を考えたくなります。
インフラの整備は、台湾以上に注力されたと思います。(だって、韓国は併合地ですが、台湾は植民地です。多少の差があっても、不思議ではありません。)

神社・神宮は、朝鮮には天照大神と明治天皇を祭神とする朝鮮神社が1919年に創立され、これは1925年に神宮に改称されています。
しかし、台湾の場合には北白川能久親王と開拓三神((大国魂命・大己貴命・少彦名命)を祭神とする台湾神社が創立されたのは1901年で、これがに祭神として天照大神が増祀されて神宮に改称されたのは、1944年です。
日本の統治下に入った年代を考えると、朝鮮に対する優遇が見られます。

また、日本の士官学校への入隊資格については、朝鮮人には認められていましたが、台湾人には認められませんでした。(李登輝氏が士官であったのは、例外的処置です。)

さらに、創氏改名については、朝鮮人には一般的な権利として認められましたが、台湾人の場合には選抜されて認められたもので、誰にでも認められたものではありませんでした。

余分ですが、当時の植民地と宗主国の関係で、植民地の人が困らないようにと教育を施した宗主国は、日本の他になかったと思います。
また、植民地の人に士官学校への入隊を許可した宗主国もなかったでしょう。
(韓国は、植民地であったという人が多いのですが、これは全く違います。)

日本の併合地と植民地に対する統治は、極めてそれらに対して優しいものでした。
当時の日本は貧しかったからこれの負担のため、日本国内の整備が後回しにされていても、不思議ではなかったと思います。
2014/06/23(月) 11:37 | URL | ポッポ #-[ 編集]
故宮の宝物は台湾人と関係ない。
 日本の非礼は、さて置き 敢えて台湾に苦言を呈す
台北 國立故宮博物院-神品至宝-」展で揉めていると聞く。

" むつかしい話やね。
台湾を国として認めない以上、国立と表記しないんですと。 "

台湾は何故このような非礼を受けるのか自問自答せずばなるまい。
また曖昧なる国際地位を確固ならしめる為に何をなすべきかを。

日本は台湾を切り離しGHQ占領からまがりなりにも独立したが、
台湾はGHQの代理人たる中華国民党が
領主として振舞う被征服地のままだ。
民主と自由が貫徹されないのは、こうした事情による。
更にシナ大陸より植民を受ける現実を見れば絶望的でもある。 

朝鮮占領軍が我物顔で跋扈していた敗戦直後の日本のようなものだ。
否。幾倍もの困難を今に至るまで抱えているのが台湾である。
主たる責任は美しからざる米国にあるが、
敗戦国日本も従たる責任がある。

国家主権の未熟未完なるに於いて台湾という★地域を実効支配する
★政体は存在しているが、国体がない。と言える。
これを直視自覚して”国のありよう”を定める国体明徴が必須なる所以である。
統治の正当性なきGHQ占領下の台湾の国際地位は未定であり
台湾の統治機構、法体系が虚構なのだ。

建国運動、独立運動、さらに1国2制度論(香港方式)まである。
賢明なる主張をなすは誰かをみていこう。

馬の背中に、故宮の宝物をくくりつけ大陸に
送り返せという声を聞きたいものだ。
2014/06/23(月) 10:23 | URL | 丹次郎 #pt67g6gE[ 編集]
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小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
静岡県出身。国史啓蒙家。倭塾塾長。日本の心をつたえる会代表。日本史検定講座講師&教務。
連絡先: nezu3344@gmail.com
著書
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』第1巻〜第3巻
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』
日々、先人たちへの感謝の心でブログを書き綴っています。それが自分にできる唯一のお国への、先人たちへの、そしていま自分が生かさせていただいていることへのご恩返しと思うからです。こうしてねずブロを続けることで、自分自身、日々勉強させていただいています。ありがたいことです。

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台灣民政府
台湾民政府
サンフランシスコ講和条約で、日本は台湾に関して処分権は連合国に提供しましたが、領土の割譲は行っていません。条約以降、連合国も日本も台湾の処分先を決めていません。つまり台湾はいまも日本であり、台湾にいる1500万人の戦前からいる台湾人は、日本国籍を有する日本人です。私は台湾民政府を支持します。
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コメントをくださる皆様へ
基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメントは、削除しますのであしからず。
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コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人である私の判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
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