盧溝橋事件に学ぶ - ねずさんのひとりごと

盧溝橋事件に学ぶ

2014年07月05日08:00  未分類 写真あり

ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!第二巻「和」と「結い」の心と対等意識
2014/04/12発売 ISBN: 978-4-434-18995-1 Cコード:C0021 本体価格:1350円+税 判型:四六 著者:小名木善行 出版社:彩雲出版 注文書はコチラをクリックしてください。
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盧溝橋事件0705


盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)というのは、昭和12(1937)年7月7日の北京の西南にある盧溝橋で起きた日本の陸軍とChina国民党軍との衝突事件です。
最近の教科書などに、「この事件が日中戦争のきっかけとなった」などと書いているものがありますが、これは2つの点で大嘘です。

まず第一は、日中戦争という用語の嘘です。当時の日本はこの事件を、正式に「China事変」と命名しています。
そもそも戦争とは、国家と国家が、互いの政治的目的を達成するためにその最終手段として戦闘行為です。当事者は「国家」です。ですから戦争は「国家と国家」の間で行われます。

ところが当時のChinaは「国」ではありません。
同じ国内(Chinaエリア内)に、南京政府、国民党政府、共産党政府の3つが混在していました。

要するに、まだ国となる前の混沌とした状態にあったわけです。
そして親日政権である南京政府を含め、当時のChinaに、全Chinaを統括する政府は、まだできていません。
従って、一方の当事者である日本は間違いなくこの当時「国家」でしたが、一方の当事者である「国民党政権」は、まだ国になる前の一種の軍閥であって「国家」ではありません。
従って、国家でないものとの戦闘行為は、たとえそれが外地であっても、「事変」であって「戦争」ではありません。

こう申上げると、米国内でかつて起こった南北戦争だって内戦なのに戦争と呼んでいるではないかという質問がありましたが、やや認識不足です。南北戦争は、アメリカ合衆国と、アメリカ南部11洲からなるアメリカ共和国との戦争です。国家対国家の戦いだから「戦争」です。

では、その国家がないChinaの盧溝橋に、なぜ日本軍がいたのでしょうか。
偏向した戦後の学者の中には、日本がChinaを侵略するために軍を駐屯していて、それを不服とする国民党軍が、盧溝橋で日本軍に発砲したなどと、これまたとんでもない言いがかりのような歴史を説いている人がいます。
これまた大嘘です。

日本が当時のChinaに軍を派遣していたのは、明治34(1901)年の「北京議定書(ぺきんぎていしょ)」に基づくものです。
「北京議定書」というのは、義和団事件(ぎわだんじけん)の事件処理に関する最終的な取決めをした正式な外交文書で、Chinaでは辛丑条約(しんちゅうじょうやく)、欧米では「Boxer Protocol」と呼ばれます。

この議定書に参加、調印したのは、China(清国)、英国、米国、フランス、スペイン、オーストリア、ドイツ、ベルギー、ロシア、イタリア、オランダ、日本の12カ国です。堂々たる国際条約です。

議定書の原因となった義和団事件(ぎわだんじけん)は、信仰すれば肉体に神が宿って、その肉体は刀で斬っても傷を負わず、銃弾を受けてもその弾を跳ね返すようになるという、まさにカルトであり、暴力を是認する拳法教団であったわけですけれど、この信者たちがなんと20万という大軍となって、北京にいる12カ国の外国人領事たちがいる外国人居留区への攻撃をしたという事件です。
この事件は有名な事件で、チャールトン・ヘストン主演で「北京の55日」というハリウッド映画にもなっています。

この事件では、あろうことか清国政府が、10万の国軍兵力で義和団に加担しました。
つまりカルトと一緒になって、清の国軍が、義和団とともに外国公使等を襲撃したわけです。
ところが、圧倒的兵力の動員にも関わらず、清国軍と義和団の大軍は、近代兵器を駆使する北京の外国人居留区にいたわずかな近代国軍に破れてします。
そして清国政府が、襲われた側の12カ国に敗れた責任をとって交わしたのが「北京議定書」だったわけです。

「北京議定書」では、日本が比較的穏やかな戦時賠償請求にとどめたのに対し、その他の国は、まさに法外ともいえる賠償金を清国政府にふっかけ、押し付けました。
そしてこの結果、自国内で騒動を起こして敗れた清国政府は、Chinaの民衆の支持を失い、代わって、孫文の率いる近代化勢力による辛亥革命によって、清国政府自体が倒れてしまうわけです。

清王朝そのものは、それ以降も存続するのですが、辛亥革命の中心者となった孫文が軍事に疎かったことから、結果としてChina内部の軍閥勢力に押されて、辛亥革命以降の政権が定まらず、この時代、Chinaはいわば無政府状態となってしまっていました。

無政府状態というのは、治安維持が図れない状態です。
そこで諸外国は「北京議定書」にのっとって、各国の軍隊をChinaに派遣し、China国内の治安の維持と自国民の安全を図っていたわけです。

ちなみにいまの中共は、その義和団事件以前のChinaとよく似た情況にあります。
中共政府の施政の失敗によって、China国内に貧富の差が広がり、国民の不満が暴発寸前の情況となっています。
その一方で、China国内には、昨今、全能神とかいう、これまた信仰すれば不死身の肉体を持てるようになるというカルトが猛烈な勢いで勢力を伸ばし、中共政府との対決色を強めています。

こうしたChina内部の反中共勢力が暴発すれば、China国内は再び無政府状態になっていく。
このことは、莫大な数の難民の発生も示唆しているわけで、日本にもその影響は強くでることになることでしょう。
そして国連部隊が国際協力団として国連軍を編成してChinaに上陸するとなれば、日本もその一員として派兵を余儀なくされる可能性はおおいにあります。

昭和12当時も、まさにこれに似た情況にあったわけで、日本はChinaに派兵をしていましたが、国民党に追われたChina共産党が、国民党の弱化を図るために、どうでも日本と国民党を戦わせたかった。
その謀略によって、盧溝橋事件が勃発しています。

盧溝橋事件は、日本陸軍が北京の南を流れる盧溝河に架かる橋近くで夜間演習をしていた際に、突然何ものかから発砲を受けた、これとほぼ時を同じくして近くにいた10万の国民党軍も、銃撃を受けた。
そして日本と国民党軍が、互いに一触即発の事態になったという事件です。

ところが発砲を受けたとき、演習をしていた日本陸軍は、実弾を携行していません。
つまり銃は持っていたけれど、弾は持っていない。
弾がなければ、国民党に発砲のしようもないわけで、両軍とも軍使を出して、現地で事件を拡大しないように交渉し、事件発生の5日後には、日支両軍は停戦協定を結んでいます。
事件は、これで解決してしまったのです。

ところが両軍を争わせようと仕掛けた側の中共政府は、両軍が和解してしまうと困るわけです。
この中共が仕掛けたという事実については、China共産党の周恩来首相が昭和24(1949)年10月1日の「中華人民共和国」成立の日に、明確に述べています。

=========
あの時(盧溝橋事件の際)、我々の軍隊(共産党軍)が、日本軍・国民党軍双方に、(夜陰に乗じて)発砲し、日華両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、我々(共産党)に今日の栄光をもたらしたのだ。
=========

思惑通りにならなくても「なった」と強弁するのは、共産党やカルトに際立った特徴です。
盧溝橋事件では、彼らの思惑通りに日本と国民党軍を戦わせることができなかった。
その「できなかったこと」を、逆に「今日の栄光をもたらしたものだ」と強弁する。
本当に、毎度毎度の同じ手口です。

周恩来の発言は、盧溝橋事件が当事者であるChina国民党と日本陸軍との紛争ではなく、第三者であるChina共産党による「工作」であったことを明確にしています。
実はそれだけではなくて、盧溝橋事件の最初の発砲事件から4日目の7月8日に、China共産党は日本との全面交戦を呼び掛けているのです。
けれど日本も国民党も、互いに使者を派遣して11日には和議を結んでしまう。
つまりこの段階で、共産党の工作は失敗に終わっていたのです。

そこで、あくまで日本と国民党とを戦わせたい中共が仕組んだのが、同年7月25日の廊坊駅における国民党軍と日本軍との戦闘(廊坊事件)、7月26日の北京市の広安門において日本兵が襲撃されるという広安門事件です。

そしてこの二つとも、日本によって見事に鎮圧された結果、廊坊や広安門での工作員たちが、北京郊外の通州市に集結して、日本人居留民を襲ったのが7月29日の通州事件です。

それでも戦いたくない日本は、民間人の商社マンでChina通の船津源一郎に依頼して、それまでのChina国民党の言い分を全部呑むから、互いに仲良くしようともちかけています。
これが「船津工作」と呼ばれるもので、日本が国民党側の言い分を全部呑むなら、国民党としては、最早日本と争う理由がまったくありません。

そこでこの条約調印が、10日後の8月9日に上海で行われることになったのですが、この調印を是が非でも実現させたくないChina共産党がこの調印式を中止させるためにやったのが、上海市内における日本海軍陸戦隊中隊長、大山勇夫中尉の惨殺事件です。
大山中尉は、クルマで上海市内を走行中、突然、取り囲まれてて銃殺されています。
それも、機銃掃射を浴びて、虫の息となっているところを、わざわざ車外に引きずり出して、青龍刀で頭蓋骨を割られるという残酷さで、です。

さらに続けてこの日、一人のChinese死刑囚が国民党軍の軍服を着せられて、上海飛行場の門外で射殺されるという事件も起こりました。これまたChina共産党による工作で、いかにも日本が発砲したように見せかけたものでした。

こうして日本とChina国民党との和解工作は破談になり、翌8月11日にはChina国民党は、日本との停戦協定を破って、公然と上海に、なんと5万の兵を進めます。
そして8月13日には、いきなり日本軍の駐屯地に機関銃による射撃を開始する。
日本側の兵力は、この時点でわずか4000名です。

そしてやむなく、日本は上海派遣軍を編成して、国民党討伐に乗り出したのです。

わたしたちは、歴史に学ばなければならないと思います。世の中には、自己の利益のために、何の関係もない他人や他国を争わせようとするイカレタ連中が、政党や国家の仮面をかぶっているケースが、現実に存在するのだということを、です。

そしてそういう連中に対しては、何の説得も無駄なことだし、金銭を与えて黙らせるということも、結果としてただ金額が跳ね上がって行くだけで、何のメリットもない。イカレタ連中には、中途半端な同情ややさしさは、絶対に禁物であり、徹底排除して一切の関係を絶つか、あるいはそうでないのなら、恐怖で相手を徹底して打ち負かし、縛り上げるしかないのです。

日本は、ChinaやKoreaのためにある国ではありません。
日本国家は、日本国民のためにあるのです。
世界政府や人類の平和という言葉が、いかに絵空事にすぎないかは、通州事件を学んでから語ってもらいたいものだと思います。



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