初代聯合艦隊司令長官 伊東祐亨 - ねずさんのひとりごと

コメント一覧

No title
産経新聞、月刊到知とかで連載しませんか?

拡散したいよね。

ああああああああああああああああああああああああああ URL
2014年09月20日 03:56 編集

薩摩隼人は、古代から勇ましいと言われています。 けれど弱者に優しいのも
薩摩隼人の特質、いや大和人の特質です。
支那や韓国の様に、相手が弱い立場だと見下し略奪を欲しいままにする連中とは、一線を画するのか我が国の特質です。

防人 URL
2014年09月19日 19:59 編集

No title
靖国に参拝し「御国になにかあったときは、後に続きます。」と言いたいです。

鬼っ子 URL
2014年09月19日 14:34 編集

怪我の功名?
当時の日本海軍にとって、清国・北洋水師の戦艦・鎮遠、定遠は脅威でした。両艦とも基準排水量が7220t、主砲は30.5cm連装砲が2基4門。圧倒的な巨艦でした。
これに対抗するため、日本は聯合艦隊初代旗艦になる松島などの「三景艦」を建造します。しかし、松島は基準排水量4217tのところに32cm(38口径)単装砲を載せるという“無理を承知”の設計で作られた艦でした。
艦体に対して主砲が大きすぎるので、旋回砲塔なのに砲身を左右に向けると艦が傾斜、砲撃すると反動で進路が変わってしまうなど、さんざんな欠陥品だったのです。
黄海海戦でも、松島が発射した32cm砲弾は4発、厳島が5発、橋立が4発で、巨砲の威力を示すことはできませんでした。もっとも、清国側の主砲も1時間に数発しか発射できないものでした(砲の数は日本より多い)。それに海上目標に対する遠距離砲撃はまず当たりません。相手は動いているのだから当然です(陸上目標に対しては有効です。薩英戦争はその典型)。
大口径砲では戦えないことを知っていた日本海軍は艦隊に大型速射砲71門、小型速射砲154門を装備させましたが、北洋水師は大型速射砲が2門、小型速射砲が130門でした。長槍相手には敵の懐に飛び込むしかないと覚悟を決めていたわけです。
清国側はおそらく最終的には衝角攻撃(体当たり)を狙っていたと思われます。それが当時の海戦でした。しかし、体当たりの標的としては日本艦隊は小さく、速すぎたのです。
直接関係ありませんが、いにしえの朝鮮出兵で日本軍は火縄銃と日本刀が威力を発揮したのに対し、明軍は大砲では優位にあったようです。民族性というものでしょうか?

黄海の大捷 URL
2014年09月19日 11:31 編集

No title
戦争にならないために外交努力を必死に行う。しかし大東亜戦争のときそれが成されたのであろうか?まあちゃんとやっても何かと難癖をつけて我が国が戦わざるおえない状況に白人どもは追い込んだのでしょうが・・そうした過程を経て「火事場泥棒」をしてのし上がった隣国野蛮国家、こんな奴らに貶められてなるものか!!

通りすがりの武人 URL
2014年09月19日 11:08 編集

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ええ話やなぁ、大東亜戦争のマレー沖海戦と同じやのぉ。

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2014年09月19日 09:50 編集