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西郷隆盛の命日と征韓論

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フランスのニュース紙に掲載された西郷隆盛1877年


明日、9月24日は、西南戦争で西郷隆盛が自刃した日です。享年51歳でした。
明治10(1877)年のことです。

西南戦争は、西郷隆盛の『征韓論』がきっかけとなったというのは、多くの人の知る事実ですが、昨年、このブログで『征韓論』は「朝鮮を征伐にいく論ではない」と書きましたら、多くの方に衝撃が走ったようです。
けれど、そうなのです。

当時、ようやく開国して新政府を築いたばかりの日本にとって、最大の脅威はロシアの南下でした。
英米仏欄などが、主として海路を通じて海軍の派遣しかできないのに対し、ロシアは大人数の陸軍で南下できるのです。これは元寇どころの騒ぎではありません。
まさに国としての死活問題でした。

このロシアに対して我が国を防衛するためには、日本の防衛力を高めるためだけでは追いつきません。
国力が違いすぎるのです。
清国にも、李氏朝鮮国にもそれなりに頑張ってもらうしかない。
いつまでも猿山のボス猿が、国家の境界線さえも曖昧なまま君臨しているだけの中世的国家では、ロシアの脅威に、太刀打ちできないのです。

とりわけ朝鮮半島は、ロシア南下に際しての最大の防衛拠点です。
ここがロシアに蹂躙されたら、次は間違いなく日本です。

ですから、できたばかりの明治新政府は、再三にわたって李氏朝鮮に使いを送りました。
ところが清国の属国である朝鮮王は日本を馬鹿にして首を縦に振らない。
そこで出てきたのが「征韓論」です。


征韓論の「征」の字は、「正しきを行う」です。
ですから「征韓論」というのは、「朝鮮の近代化を促進する(正しきを行う)ことで、ロシアの南下を防ぎ、東亜の、ひいては我が国の自存独立を図ろう」という論です。

こういう字句のイメージからくる認識の違いは、度々発生しています。
たとえば、授産所と聞けば、いまどきの人なら、ほぼ100%、出産所をイメージすると思います。
ところが明治初期でいう授産所は、「産を授けるところ」という意味で、いまの職業訓練所を意味します。
征韓論に対する認識の誤りも、これと同じです。

ですから西郷隆盛自身、朝鮮に軍事出兵しようなどとはまったく言ってません。
彼は自分が朝鮮王に特使として交渉に出向こうとしたのです。
彼自身が朝鮮国を訪問し、朝鮮国を説得し、朝鮮半島の近代化の促進に力を尽くしたいと主張したのです。

ところが日本政府の要人として西郷隆盛が出向くとなれば、そのための陣立てが必要です。
この陣立てというのは、いまどきの「数人のガードマンが政府要人の警護にあたる」と意味合いが違います。
中世的社会は体面を重んじるし、特に儒教国を自認する李氏朝鮮は事大主義の国ですから、それなりの大物が出向くとなれば、それなりの陣立てをし、それなりの行列を組まなければなりません。
この点、同じ政府使節でも、遣欧使節団のように欧米に向かった使節団は、少数でOKです。
欧米には、儒教国家にあるような「体面」という思想がないからです。

李氏朝鮮は「体面」がなにより優先する国です。
もし日本が清国や朝鮮に、政府の公式訪問団を少数で訪問すれば、相手は、自分たちの国が「軽く見られた」と判断し、それだけで言うことを聞きません。
ですから公式使節団は、その国力に応じた、士族の相当な大行列である必要があったのです。

士族というのは、日本では武士団を意味しますが、儒教国では士大夫(しだいふ)です。
要するに特権階級の要人が、大行列を為して訪問すれば、李氏朝鮮は、行列が大きければ大きいほど自国が尊重されたと思い、その大行列に対して敬意を払うのです。
やっかいな話ですが、それが儒教国の中世的社会の基本的構造です。

もうひとついうならば、この士大夫の大行列は、江戸時代の大名行列の江戸入りや、同じ時代の朝鮮から日本への朝鮮通信使と同じように、軍事侵攻を意味しません。
あくまで体面を重んじるため、ただそれだけのための行列です。

江戸時代の朝鮮通信使では、李氏朝鮮の使節団は、平和時でありながら、派遣使節団は800名の大軍です。
ならばロシア南下という非常時における日本からの派遣は、国威を示す意味においても、数千人規模にしなければならない。
そしてその使節団の経費は、大名行列がそうであるように、訪問する側、つまり日本側がその経費を全額負担です。それが儒教社会における常識です。

「征韓論」と聞くと、あたかも日本が武力で朝鮮を征伐し、征服しようとしたなどと、ありもしない妄想を膨らませる学者などがいますが、とんでもないことです。
わずか数千の大名行列で、一国の征服などできる筈もありません。
数千人規模の使節団は、古式にのっとって、数ヶ月かけて朝鮮を訪問し、それに対して朝鮮国が敬意を払ってもてなしをし、すすんで協力をする。そいう構造です。

ただし、その訪韓の経費は、日本持ちです。
ということは、莫大な経費がかかります。
ほんの少数をヨーロッパやアメリカに派遣するくらいなら、出来立ての明治政府にも、その経費の捻出はできました。
しかし、たとえお隣の国とはいっても、数千から数万の大行列の面倒をみるとなると、これは財政的に、ものすごく大きな難題です。

「それでもやらなければならない」
それが西郷隆盛の考えです。
そしてその大行列に、職を失った旧士族たちを充てれば、彼らにとってのそれが生活の糧ともなります。
旧士族は、失業していたからです。
海外派遣は、手当は国内出張よりも金額が大きくなります。
ですから同行した士族たちは、帰国後は、そのときの給金をもとに独立してお店を営んだりするだけの手持ち資金ができるわけです。
そして、朝鮮半島の近代化の促進は、ロシア南下への大きな防御壁になる。
一石が二鳥にも、三鳥にもなるのです。

ところが当時の政府には、カネがない。
いや、むしろ、その後に巨額の経費のかかる西南戦争をしているくらいですから、費用の捻出はしようと思えばできたのです。
西郷隆盛も、なにもそこまで無理難題を吹っかけているわけではありません。

けれど当時の新政府の閣僚たちは、『征韓論』の承認をしませんでした。
ただでさえ、カネのかかる欧州派遣使節を出している最中だったのです。
ただでさえ財政難なのに、さらに朝鮮半島に数千人規模の使節を派遣するなど、財政的には考えられない。
ですから、西郷隆盛の『征韓論』は、却下されています。

ところが歴史というのは皮肉なものです。
征韓費用をケチった政府は、結果としては西南戦争で、征韓を数倍する費用の負担することになったのです。
西郷隆盛としては、その教訓を胸に、日本は、遣うべきときに国費を使うことをためらわない政治の運営をしてもらいたいと、最後は乱を起こした責任をとって自刃しました。

ですから西郷隆盛が切腹したのも、単に戦に負けたからということではなく、必要なときに必要な行動をしっかりととれる政府となってもらいたい、ということを、彼の命に代えた政府への諌言として、切腹をしているのです。
そこを理解しないと、なぜまだ戦う力が残っているのに彼が切腹したのか、その意味がわからなくなってしまいます。

ちなみに、この国防が優先か、財政が優先かというせめぎ合いは、旧帝国政府内において、その後もずっと残りました。
そして財政優先にした結果、明治政府は西南戦争を引き起こしてしまうし、さらに山縣有朋内閣のときに国防力強化のために歳費の7割を陸海軍の増強に遣うという提案もしりぞけられ、結果として日清戦争を招いています。
目先の予算をケチることで、結果として、多額の費用と人命を失っているのです。

大東亜戦争も、実は同じです。
日本が開戦前に、多額の予算を計上して、それこそ圧倒的軍事力と支那国民党張りの国際宣伝活動を展開していたら、もしかしたら戦争は防げたかもしれません。

もっともらしい綺麗ごとで目先の財政にとらわれ、国家百年の体計を誤ると、結果として取り返しのつかない切羽詰まった事態に陥るのです。
それが今も昔も変わらぬ政治の現実です。

ちなみに冒頭の絵は、フランスのニュース紙に掲載された西郷隆盛とその仲間たちの肖像画です。
明治10(1877)年のものですが、ここに描かれた西郷隆盛の肖像画は、後年描かれた西郷像とは、ずいぶんと雰囲気が違います。

それにしても・・・・もし大西郷の意向が実現し、共揃えをしっかりと充実させた使節団が、朝鮮半島に赴き、そこで李氏朝鮮が胸襟を開いて日本と同じような近代化を推進していたら、東亜の歴史はどのように変化して行ったでしょうか。

ひとつ言えそうなのは、朝鮮半島は、明治43(1910)年の日韓併合ではなく、遅くとも明治20(1887)年頃には日本に併合されていたであろうということです。
それは朝鮮半島の近代化を早くに促したでしょうし、また、日本の統治期間が35年でなく、台湾と同じく50年以上に渡る期間となることによって、半島の日本化を目覚ましく推進したかもしれません。

けれど、八百万の神々の御心は計り知れないものです。
ただひとついえそうなのは、神々は、大西郷の命を奪ってまで、それを認めなかったのです。
そしてこれまた不思議なことに、半島と組んだ国は、どこもみんな滅んでいます。
いまも昔も、韓の法則は生きています。

※この記事は昨年9月の記事をリニューアルしたものです。



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コメント
乱世の英雄より平時の大政治家
大久保利通は、かつては西郷よりも武略家であったそうです。若い頃の写真は、非常に迫力があります。片手の手のひらの上で畳をくるくると廻すことが出来たそうです。座布団くらいなら私にも出来ますが、畳はまず無理です。

大久保利通ほど、維新後に変貌を遂げた人物もいないでしょう。外見はスリムになり、非常にスマートな印象を受けます。
外見だけではなく、中身はもっと変わりました。近代政治に目覚めた結果です。諸外国の要人からも、非常に信頼を得ていたと聞きます。
この政治家の資質が、吉田茂さんや麻生太郎さんに受け継がれたのでしょう。

西郷隆盛は、乱世の英雄にはなれても、平時の大政治家にはなれなかった。
大西郷とうたわれる反面、それとは真逆の伝聞もあります。
真偽のほどは、ここでは問いません。

大事なのは、大西郷を没落させ、神々が良しとされなかった征韓論を、現在の我々がどう始末をつけるか?にかかっています。

征韓論は、名前を変え中身を変え、今こそ論ずべき課題ではないでしょうか?
2014/09/28(日) 19:54 | URL | トミー・ハート #-[ 編集]
いろいろ思ったので書きます
木戸孝允はもともと、韓国に兵を出して条約を強要すべしという意味の“征韓論者”でした。それが西郷の派遣論には反対しています(病気だったので閣議には出ていません)。

江戸期の長州は関門海峡を通る内国交易を牛耳っており、宗氏の朝鮮貿易にも影響力を持っていました。朝鮮通信使の通り道でもあります。なので木戸ら長州人は朝鮮人の性質をよく知っていた、という仮説が成り立つかもです。併合時にも長州人の伊藤博文は反対でした。

大久保が予算問題で急きょ帰国した後、特に動きを見せなかったのに、秋になって参議に復帰して西郷と対決する立場になるのは、岩倉の依頼が大前提としても、木戸から「西郷派遣は失敗する」と説明されたのでは?

戦争もしたくないが、西郷に恥をかかせたくないという大久保の思いは如何ばかりだったでしょう?(これは勝手な空想です)

ちなみに翌年になって外務省の役人が半島に行って少しだけ条約交渉を進めています。このとき、大院君が失脚していたからです。結局、こいつが悪いような気がします。
2014/09/26(金) 09:23 | URL | 七転び #-[ 編集]
No title
西郷さんの私心の無さや真心は、日本的武士道や西洋的騎士道を解する人々によってのみ通じると思われるため当時の李氏朝鮮(今も変わっていないと思いますが)では、通じなかったのではないでしょうか・・・
結局、かの国の小中華主義の尊大な態度によって西郷さんが侮辱され、それに怒った薩摩系の武士が、ねずさんが否定されている征伐の意味での「征韓論」に至り列強の介入を招く結果になったと私は思います。
今、韓国で開催中の仁川アジア大会の数々のトラブルを見ても精神性は当時から現在まで良くなることなく連綿と続いているのではないかと思ってしまいます。
又、仮に統治時代を長くしても結局のところ彼らの言うところの独自の「民族教育」は、家庭内や、独自のコミュニティーにおいて残され、日本が負けたと同時にもとの自大に戻ってしまうと私は思います。
2014/09/26(金) 00:35 | URL | #-[ 編集]
No title
西郷隆盛氏の意図は理解できましたし、政府が反対した理由も分かりました。

だけど、西郷さんは朝鮮を理解できていたのでしょうか? 
西郷さんの朝鮮に対する思いは、誠実に理を持って話せば、相手も分かってくれるはずだったと思うのです。(相手に理解されない場合は、ときによって殺されることも覚悟しておられました。)しかし、朝鮮は独立国ではなく数百年を属国として過ごしてきた王朝で、世界の情勢に興味は無く、国王の生活だけを考えていた国でした。何か事があれば、清国に解決していただくとの考え方しかない国だったのです。
西郷さんが意気込んで朝鮮に行かれても、恐らくは意味なく帰ってこられたと思いますし、歴史は変わらなかったとも思います。

そして、日本は朝鮮から併合することを、望まれたでしょう。
伊藤博文元首相は、併合に反対したと思いますし、安重根に暗殺されることも防げなかったかも知れません。
日本はその時、併合ではなく、欧米型の植民地として受け入れるべきだったと思います。そして、両班や白丁の制度を残し、小学校等のインフラを整備してはいけなかったのです(両班の制度をなくしたために、李承晩は日本を恨んだと思います。)。加えて、朝鮮神宮も要らなかったでしょう。
それから、清国の代わりに朝鮮から貢ぎ物を受け取っても良いと思ったのですが・・・・・何もないので、大陸への軍事拠点を作る他は、慰安婦の公募位です。(朝鮮人に直接募集させますと応募者を欺しますから、日本人がこれを担当した方が良かったのかも知れません。)

しかしながら、日本の植民地であった台湾は、民族にプライドがありましたから、実際の歴史が示すように十分な支援が良かったと思います。

IFの連続ですが、日本と朝鮮のためには、この方が良かったのではないかと夢想しています。
2014/09/24(水) 22:47 | URL | ポッポ #-[ 編集]
反征韓論
朝鮮への使節派遣の是非が話し合われた閣議で、派遣賛成派の江藤新平は「遣使を取りやめても兵隊が収まらず、結局出兵になるのだから、大使を出した方がよい」と発言してます。徴兵制は始まったばかりで、この時期の兵隊とは士族です。東京の近衛兵は薩摩兵でした。

大久保たちは「西郷派遣が失敗したら士族を抑えられない」と危惧していたんでしょう。朝鮮は明治日本に侮蔑の言葉を投げつけていましたから、誇り高き士族が激高しないわけがありません。大久保が参議を受けるときに、遺書めいたものを書いたといいますから、反対論を述べれば暗殺されると感じてたのかもしれません。

でも、遣欧使節団が出掛けている間、旧藩主や武士の不満を抑えていたのは西郷さんでした。版籍奉還や廃藩置県、徴兵制が出来たのは西郷さんがいたからです。そもそも1年半もの長きにわたって政府首脳が海外に出たのは廃藩置県の反発から逃げ出したんじゃないかと思います。果たして本気で条約改正を成し遂げるつもりだったのか?

明治政府はこのゴタゴタで西郷さんを失いました。自分で安全装置を外したんです。「西南戦争は、大久保利通の『反征韓論』がきっかけとなった」のほうが実態に近いんじゃないかと思います。でも西郷さんが怒ったは大久保じゃなくて、岩倉具視の不実と三条実美の惰弱に対してじゃないかと思いますけどね。
2014/09/24(水) 19:49 | URL | 島田一郎 #-[ 編集]
征韓論の真相は?
いつも有意義な話をありがとうございます。

 さて、タイトルの通りの件で気になる事があります。左系専門家の史書ならまだしも、渡部昇一先生の史書で『「日本の歴史」⑤世界史に躍り出た日本』という本があります。P57~58に「"大西郷"の存在と征韓論」という項目があります。そこから以下多少引用します

-----------------------引用開始---------------------------
 当然のことながら、大久保利通らの洋行経験者は、朝鮮半島への武力進出にはまったく否定的であった。朝鮮に陸軍を出兵するような余裕は、日本のどこを探してもない。一刻も早く商工業を興し、鉄道などの社会資本を整備しなければ、日本は西洋に飲み込まれてしまう。朝鮮が無礼だの何だのと言ってはおれないという心境である。
        (中略)
 西郷の言い分は、「外交文書のやりとりで埒が明かないのなら、自分が特使として朝鮮に乗り込んで直談判をする。それで、もし自分が殺されるのであれば出兵もやむをえない」というようなものであった。
 はたして西郷自身の胸中に朝鮮出兵を願う心があったかどうかはさておき、一国の陸軍大将が国交もない国に乗り込み、開国を迫るというのは尋常なことではない。さらに付言しておけば、当時「大将」の肩書を持つ者は西郷ただ一人だったのだ。
 朝鮮からすれば、日本が脅迫に来たと思うであろう。西郷は、それこそ殺されるかもしれない。また、西洋列強は、この行動を「日本に朝鮮進出の意図あり」と見るであろう。
 当然ながら、岩倉や大久保、木戸たちは彼の意見に猛反対するが、西郷も一歩も譲らない。さらに困ったことに板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、福島種臣らが、それぞれの思惑から西郷を強力に支持した。ここに至って、新政府は分裂寸前の様相となった。
         (後略)
------------------------引用終了----------------------------

 この記述では西郷さん自身の立場からは純粋に「直談判」をすることこそが「征韓論」であったと読み取れます。ねずさんの本文の主旨と一致します。ところがこの書籍の文脈だと維新政府の立場からは征韓論を武力行使というオプションも含みにしていると読み取れます。当時の指導者層の立場立場で「征韓論」に複数の意味があったとも考えられます。
 渡部先生は歴史の純粋な専門家ではないので存在するあらゆる根拠を元に最適な描写をしているかどうかはわかりませんが、やはり「征韓論」について西郷さんの立場からの「征韓論」だけではなく、維新政府が理解している「征韓論」という立場からのものも合わせて記述したほうがよかったのではないかと感じました。
 歴史を動かすのは西郷さんだけではないので、「征韓論」が実行されたifを考える時、維新政府の視点からのものは外せないと思います。
  
 
2014/09/24(水) 17:37 | URL | お節介者 #-[ 編集]
儒教国家は体面が大事?
ねずさん。有り難く拝読しました。
西郷さんの征韓論は、お説の通り、
李氏朝鮮を正しく導くために、持ち上がった論理だと思います。
 しかしながら、当時の日本は、廃藩地権、身分制度[士・濃・工・商]の廃止で混乱していたと思います。
武士としての身分を剥奪された士族の皆さんは、それはそれは大変だったと思います。
 朝鮮に使節を送る勇気は、ないと思います。
2014/09/24(水) 15:05 | URL | とおる #-[ 編集]
勝手な補足
いわゆる「征韓論争」が闘わされた明治6年、“朝鮮に出兵すべし”という声はありました。それを諌めたのが西郷隆盛です。

明治新政府は成立した当初から朝鮮と揉めていました。新政府は何とか朝鮮との関係を修復しようと努力しましたが果たせず、日本の外務省には対鮮強硬派が跋扈するようになります。

朝鮮問題が正式に政府(太政官正院)に諮られたのは明治6年6月12日、岩倉遣欧使節団の後を託された西郷らの留守政府のときでした。外務少輔・上野景範が「陸軍若干・軍艦幾隻」の派遣を求めたのに対して参議・板垣退助は賛意を示し、一個大隊の急派を主張。太政大臣・三条実美も日本人居留民の保護を目的に小兵力の派遣を提案します。

これに異を唱えたのが西郷隆盛です。その主張はいきなり出兵するのではなく、自ら全権大使となって朝鮮に赴き、直接交渉に当たるというものでした。西郷は即時出兵論を諌めたのです。この案は紆余曲折あって、明治6年8月17日の閣議で内定。19日に天皇の裁可を得て岩倉使節団の帰国を待って出発と決められました。

9月13日に岩倉具視が帰国(大久保利通は5月、木戸孝允は7月に帰国済み)しますが、朝鮮遣使はたな晒しにされます。西郷は10月12日に三条と岩倉に抗議。そこで14日に閣議が開かれることになります。直前に参議に復帰した大久保は内治優先を掲げて西郷案に反対、戦争の危険を指摘します。といっても西郷が求めたのは遣使の速やかな実行であって出兵ではありません。ここでボタンが掛け違っています。翌日になって西郷の主張が通り、西郷の朝鮮派遣が決定されます。

ところが病気の三条に代わって太政大臣代理となった岩倉がこの決定を無視して、遣使反対の意見を天皇に上奏。その結果、10月24日に朝鮮遣使の無期延期が裁可となります。この結局、西郷隆盛、板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣が下野。これに同調する官僚や軍人百余人までもが大挙辞職するという大騒動になりました。これが明治六年の政変です。

西郷のいう遣使とは、古式に則った正装(烏帽子、直垂)を着用し、兵は率いず、軍艦も用ずというものでした。これ以前の交渉で朝鮮側は、外務省の役人が洋服を着ていることや軍艦に乗ってきたことに異を唱えていました。西郷の細やかな配慮が感じられます。もっとも2014年の今から考えると、こうした配慮が朝鮮人に通じたのかどうか、何ともいえませんが。

西郷の遣使論に対する反論は「使節の派遣は戦争につながる。今の政府には戦争する力がないので、使節派遣は延期すべき」というものでした。以前の交渉で軍艦で乗り込んでも戦争にならなかった朝鮮で、非武装の使節が戦争を巻き起こすとは不思議な話です。この時期、すでに揉めていて出兵論もあった台湾へは半年も経たないうちに、西郷排除後の大久保政権下で出兵することになります(指揮官は西郷従道)。

つまるところ、「征韓論争」はのちの天皇機関説論争やロッキード事件などと同様、表面に見えている大義名分と裏にある実態がずれているのでしょう。
2014/09/24(水) 07:47 | URL | ごうがんふそん #-[ 編集]
昔NHKの歴史番組で、誰だったかが「西郷のような達人の深意を知ろうと思えば、我々凡人の目ではなく、達人の目で見なければ分からない」 
みたいな事を言ってましたが、当時西郷さんに匹敵する器量人で、しかも西郷さんと肝胆相照らす仲で、しかも当代一の炯眼であった勝海舟が後年、 
「西郷が朝鮮を攻めるなど、そんなバカな事があるものか。 もし西郷がその気なら必ず海軍卿の俺に相談があったはずだ。 
今の人は西郷というと荒っぽい豪傑の如く思ってるようだが、実際の西郷はそれはそれは優しい男だったよ」 
みたいなこと言ってたし、西南戦争にしても「あれは弟子らと情死したのだ」と言ってたので、それを支持してます。 
そもそも強硬派の板垣さんを止めようとしてたのが西郷さんだし、
たぶん、敵であった幕府の海舟や庄内藩の菅さん相手に上手く取りなして莫逆の友となった時のような感じで朝鮮相手にも臨もうとしたんじゃないかと。
大西郷の精神を受け継いだ頭山さんにしたって、支那朝鮮を全力で助けこそせよ、侵略しようなどという意図は微塵も無かった訳だし。  
まあ達人とは真逆のイビツな連中には分からんのでしょうが。←辛淑玉とか(怒) 
今となっては、あんなんと組まん方がよかったわぁ~って心の底から思いますな(;^_^A    
2014/09/23(火) 23:09 | URL | 魔除けに牛島辰熊 #-[ 編集]
No title
ねずさん、いつもありがとう御座います。

じょあ様
「征」が「正しい事を行う」という事、
私も気になって検索してみたのですが、
と言うくらいですから、詳しくはないのですが、
グーグルでは「孟子」の言葉がヒットしました。
征之爲言、正也=『征』の本来の語義は『正』
と。
すみません。勉強不足なのでこれくらいしか・・。
横から失礼しました。
2014/09/23(火) 20:45 | URL | 日本みつばち #-[ 編集]
No title
明治初頭の朝鮮に対し、大名行列ばりの礼を尽くしてロシアに対抗するべく説得しようとは・・征韓論の真意が分かり有難うございました。でも、そんな礼を尽くす値打ちが昔も現在も相手に無いことは紛れもない事実です。西郷先生には悪いとは存じますが・・
2014/09/23(火) 20:42 | URL | 通りすがりの武人 #-[ 編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2014/09/23(火) 12:57 | | #[ 編集]
Kの法則
2ちゃんねるの会話をまとめて転記してるサイト(韓国中国崩壊ニュース)で、韓の法則というのを知りました
怖いなー((((;゜Д゜)))と面白がってましたが、今日のねずさんのブログを読んで、本当なんだ… と思いました

QPさんのコメントに続き …
4)情報を隠蔽・撹乱する能力

ある勢力に乗っ取られ、日本を内部から破壊しようと情報操作する今のマスコミ…

鵜呑みにしてしまう多くの(ある意味)善良な日本人…

私の老親は、WGIPの洗脳から解けないままでいます
2014/09/23(火) 11:10 | URL | ゆき #-[ 編集]
台湾の方々は、日本の統治にとても感謝されています。日本人が台湾人も共に発展し、幸せになって貰いたいと想って、多大な国費を台湾に投入しインフラを整備し、学校を各地に作りました。 台湾の方々は、今なお、その事に恩を感じておられます。それが、東北大震災への多大な寄付金として心を現して下さいました。 韓国、朝鮮は、この逆です。日本が莫大な国費をかけて半島のインフラを整備し、植林を行い、学校を各地に作ってあげて、酒色を欲しいままにして何ら国を向上させようとしない李氏朝鮮の両班の特権をなくしてあげたのに、感謝するどころが訳の分からない事を言って逆恨みする。 この台湾の方々と韓国、朝鮮の民度の差は歴然としています。 救い難いとは、この事を言うのだと想う。
2014/09/23(火) 10:06 | URL | 防人 #-[ 編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2014/09/23(火) 10:06 | | #[ 編集]
No title
おはようございます。ねずさん。

征韓論が韓国征伐でないとは聞いてましたが、よく事情がわかりました。

>朝鮮を征伐し、征服しようとしたなどと、ありもしない妄想を膨らませる学者

日本語の不自由な「もどき学者」が単語を見て火病って喧伝したと見ます。

古代文字にしても橋本進吉「八母音説」を根拠に嘘と決めつけてますが、これも「もどき学者」の仕業と考えます。その真偽は後述しますが、橋本進吉の八母音説は上代古文書(『古事記』・『日本書紀』・『万葉集』)を元に組み立てられた説で、上代以前の日本語がどう(五母音?)であったかを示すものではない。

私は大野晋氏のいうタミル語影響説があると見ますが、タミル語を話す方々が稲作とともに渡来し、文化的に大きな影響(サンガムという三十一文字の詩もあった)を与えた。つまり当時のタミル語の発音が日本語へ影響し、文化の一時を映し文書として残った可能性が高いとみる。

現在私たちは、その五母音以外の母音を使い分けていない。大多数の日本人がいたわけですから、少数のタミル人の影響が徐々に立ち消える回帰現象が起きたとみれば、古代日本語は、五母音が妥当だ。

ということで、古代文字は五母音で整理されていても何の不思議もない。古代文字が営々と日本に伝わるものだと証明される日が待ち遠しい。その頃には「もどき学者」もいなくなっていると嬉しいのだが・・・

関係ない話で失礼しました。
2014/09/23(火) 08:53 | URL | edwalker #qv00EChc[ 編集]
No title
いつも貴重な情報をありがとうございます。
リニューアル記事でも、こうやって思い返す事で、より記憶に刻まれるので助かります。

ところで「征」が「正しい事を行う」という事ですが、辞典を引いてもこのような意味がでてきません。
ねずさんのおっしゃる事が正しいと証明するにはどのようにすればよろしいでしょうか。

そもそも辞書も八紘一宇などと引くと、「旧日本軍が侵略の理由とした」などと書いている、でたらめな反日辞書もあるくらいなので信用できないのかもしれませんが、やはり根拠があると受け入れ安いです。

これからも応援しております。
2014/09/23(火) 08:45 | URL | じょあ #-[ 編集]
情報を発信する能力
>日本が開戦前に、多額の予算を計上して、それこそ圧倒的軍事力と支那国民党張りの国際宣伝活動を展開していたら、もしかしたら戦争は防げたかもしれません。

↑ホントにこれはそのとおりだと思います。
ネットを見始めて5年前ぐらいから、そう考えるようになりました。
私は持論として、大東亜戦争・太平洋戦争は「情報戦で負けた」と言っていいと思います。


情報戦と言っても、大きく分けて3種類あります。

① 情報を集める能力。
② 情報を分析する能力。
③ 情報を発信する能力。

特に日本の場合は③の能力が不足しています。
戦前の日本も③の能力を重視していれば、日米戦争は防げた可能性があるし。
例え、日米戦争になったとしても勝てた可能性も十分あったと考えます。

特に、中国と韓国はこの③の能力に長けていますよね。
戦前も、今でもそうですね。

③ 情報を発信する能力。
日本人はこれが特に苦手で。
例えば、あなたに「自分の良い所を10分間でアピールして下さい」と言われたとしましょう。
どうですか? なんか「こっ恥ずかしくて」嫌ですよね?
これが外国人なら喜んでアピールしますよね。
特に中国や韓国人なら、もっと過激に自己アピールするでしょう。

だから、日本人は「意識して強化する」必用があるのです。
例え、国際放送局を持っていたとしても。
そこで働く日本人が自虐的だったらなんの意味もありません。
道具だけあっても、中身がなければ意味がないですから。

これだけやれば大丈夫って意味ではなくて。
重要な要因の一つという意味でですけど。
まずは意識から変えて、そのためには教育が大変重要になりますね。
2014/09/23(火) 08:42 | URL | QP #fVtq2WeM[ 編集]
No title
征韓論ではだめってことですね。殺韓論で来ましょう。除韓論でも可。それが八百万の神(今では千万(ちよろづ)の神)の御心です。

たまたま頭によぎったのですが、このブログの中で説明のある、元寇の前に何百年も続いた平和な世が崩れ去ったことで74年後の元寇で勝つことが出来たとありますが、その流れならば戦後の武力を否定してきた腑抜け日本にも神々の意図がありそうな感じです。
 たとえば、今の日本は「9条もあるし侵略戦争なんてもう出来ないっす」と戯言のたまって竹島を侵略されていますが、もし近いうち第三次世界大戦が勃発するとしたら、日本は戦争当時国ではなく偉大な調停者という立場になることが出来る可能性があります。もちろん日本を狙う者どもから守る国防力は絶対必要です。

日韓合併していたので絶対ありえないことですがもし第二次世界大戦で日本が勝ったり、あるいは軍国主義が今に至るまで続いていたら、第三次世界大戦に巻き込まれ比べ物にならないくらい悲惨なことになったのかもしれません。

実際9条はこれっぱっちも意味がないですが、現に憲法解釈としてしっかり自衛隊はありますし、2015年からは確実に在日排除が始まります。流れとしては悪くないはずです。日本は核を持つ必要があると考えるのですが、核を持たないことにも千万の神の意思があるのかもしれません。なにしろ昭和天皇(スメラノミコト神)が核を作ることを反対したのですから。

これからは大日本帝国(天皇を中心とした軍国主義)ではなく、大日本皇国(天皇を中心とした神国主義)という流れに入らなければなりません。全てのものを神に捧げ、神から与えられるような政治をする必要があります。市役所と神社と市場を一つのものにするのです。これは絶対うまくいきます。なにしろ天皇と神とみんなのためなら喜んで身を捧げるのが日本人なのですから。
2014/09/23(火) 08:25 | URL | 鬼っ子 #-[ 編集]
いつもありがとうございます。
大西郷は、私の好きな日本人のひとりです。大久保利通も私心の無い立派な方ですが、西郷隆盛の偉さは次元が違うものがあります。明治天皇は、西郷を愛しておられたし、西郷も心から明治天皇を敬愛していました。 何かの習い事でも、明治天皇は「西郷がやれと言うから私は、やるんだ。」とおっしゃるほど信頼されておられました。 八百万の神々様は、その大西郷の命を取ってまでも朝鮮半島の永きにわたる日本統治を許さなかったとのねず先生のお言葉は深いです。 半島と組んだ国や民族は凋落する。日本はこの事を決して忘れては生けません。 支那は韓国と組みして反日を国是にしていますが、哀れですが半島と共に凋落するのは時間の問題です。
日本はその波に右往左往しないよう、中心軸を確りもって対処しなければならないと想います。中心軸が何なのか再認識する為にも日本の本当の歴史と心を多くの日本人が学ばなければ成らないと想います。
明治天皇と大西郷も神界より日本の行く末を見守って下さっています。
2014/09/23(火) 07:32 | URL | ケイシ #-[ 編集]
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小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
静岡県出身。国史啓蒙家。倭塾塾長。日本の心をつたえる会代表。日本史検定講座講師&教務。
連絡先: nezu3344@gmail.com
著書
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』第1巻〜第3巻
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』
日々、先人たちへの感謝の心でブログを書き綴っています。それが自分にできる唯一のお国への、先人たちへの、そしていま自分が生かさせていただいていることへのご恩返しと思うからです。こうしてねずブロを続けることで、自分自身、日々勉強させていただいています。ありがたいことです。

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ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

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私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

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