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日本は「たみ」が「おほみたから」とされる天皇のシラス(知らす、Shirasu)国です。


天下の公民(3:八幡太郎義家)

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八幡太郎義家
源義家(八幡太郎義家)


さて、菅原道真公のおかげで、日本が再び鎖国され、変な連中が日本からいなくなると、ときは平安中期へと移ります。
この時代、まさに平安文化の爛熟期です。
源氏物語などの女流文学が誕生したのも、この時代でした。
そして同時にこの時代は、一般の庶民がたいへんに飛躍し、成長した時代でもありました。

もともと大宝律令のもと、日本全国の田畑は完全に朝廷によって把握されていたのです。
けれど子や孫というのは、だんだんに増えてくるわけで、そうなると子や孫を食わせなきゃなりませんから、いきおい新田の開発が進みます。

新田の開発というのは、オヤジさんがたったひとりでできるような簡単なものではありません。
大木を抜き、地面をならし、そこに水路をつくって水をひく。たくさんの人手がかかります。
しかも新田の開発は、利権の調整という、やっかいな問題をはらみます。
たとえば、利水権です。
川の上流の村が自分たちの新田のために水をせき止めてしまったら、下流の農民たちは、自分たちの田に水を引けません。
水がなければ田は営めません。
当然、それは新田主にとっては死活問題になります。



はじめのうちはこうした利水などの利害の調整も、貴族や国司などにお願いして調停してもらうのですが、そうなると新田はやはり公地として国が把握するものとなり、租税の問題が発生します。
せっかく開発した新田も、稔った米をみんな税で持っていかれるのでは、ちょっと辛い。

そこで中には、新田の一部を貴族などに寄贈するかわりに、その他の新田の税を免除してもらう、なんて人たちも出てきます。
要するに、新田寄贈による節税対策です。
この動きはだんだんに加速します。
こうして生まれたのが、私田です。

けれど私田は、免税特権があるかわりに、境界や利水などの紛争に際しては、国の貴族や国司などの庇護を受けることができません。
争いが起こったら、自分たちで解決しなければならないのです。

話し合いだけで解決すれば問題はないのです。
けれど、それだけでは、どうしても解決できない場合も多々でてくる。
そうなると、いきおい人望があって、強い人に調停を依頼しなければならなくなるわけで、そういう人たちは新田の封主として、新田の開発が進めば進むほど、その存在価値を高めます。

そしてこういう人のところにも、当然のことながら、新田の寄贈が行われたりしますから、なかには広大な私田を保有する人たちも現れる。
武士の誕生です。

こうして生まれた武士たちというのは、古代における防人や荘園の警固兵などの武人とは異なります。
古代における防人や荘園の警固兵というのは、現代でいうなら、さしずめ自衛隊や警察機動隊、あるいはザ・ガードマンみたいなものです。

これに対し、平安中期に生まれた武士たちというのは、新興の小領主たちです。
つまり、古代の武人が、いわば雇われた兵隊さんなら、平安中期に誕生した武士たちは、それぞれが大地主の私田主だったわけです。

そしてこうした新興地主たちは、貴族や調停に対抗して自分たちの生活圏を守るために、次第に結束し、武士団を形成します。
だって、その方が、より強くなれる。

それだけじゃありません。
彼らは、自分たち武士団の棟梁に、古い家柄の人をかつぎました。
その代表格が、源氏や平家、藤原氏、橘氏、安倍一族などです。

なかでも天皇のお血筋をひく源氏と平家は、大きな力を持ちました。
このことは日本人が「天皇のもとの公民」であると考えれば、容易に納得できます。
国司や徴税吏などは、天皇に任命された役人たちなのです。
これに対抗する総大将が、天皇のお血筋の人となれば、たとえ相手が武力を持つ国司であったとしても、そう易々とは手を出せなくなる。

こうしてみんなから担がれて大規模な武士団の棟梁が誕生します。
武家の棟梁は、それぞれの武士たちの本領を安堵してあげる。
その代わり武士たちは、いざとなったら棟梁のもとに馳せ参じて、棟梁とともに戦う。

平将門や藤原純友の時代には、まだ武士団は、公的に認知された存在ではありませんから、この二人は反乱者として討伐されてしまうのですが、その討伐にあたって武家が当て馬に使われた関係から、武士たちが朝廷内においてもたいへんな力を持つようになります。

これは実は、たいへんに皮肉な話です。
朝廷に税を払う人たちではなく、税を払わない人たちが、政治的に強い影響力を持つようになったということだからです。

永承6(1051)年には、前九年の役が起こります。
これは陸奥の豪族の安倍一族(安倍晋三総理のご先祖です)が時の国主に反抗した起こした反乱です。
この討伐隊のリーダーが有名な源義家です。

源義家は、別名、八幡太郎義家ともいいます。
この人は、八幡神(やはたのかみ、はちまんじん)というのは、武芸の神様で、その八幡の文字をあだ名に使われるくらい武勇に優れた人でした。
別名を、天下第一武勇之士ともいいます。

その源義家に、おもしろい逸話があります。

ある日のこと、源義家が、敵の大将の安倍貞任(あべさだとう)を馬で追いかけていたときです。
追う義家、逃げる貞任。

義家は、貞任に「衣のたてはほころびにけり」と句を投げつけます。
すると貞任は、振り向きざまにっこり笑って
年を経し糸の乱れの苦しさに」と、上の句を返した、というのです。
その返歌の見事さに、義家は構えていた弓を降ろし、貞任を逃がしてあげたとか。

これは義家と貞任の歌問答としてたいへん有名なお話です。
最近の学者さんたちの解説を読むと、そこには、表現はいろいろあるものの簡単に言えば、義家の「衣のたてはほころびにけり」というのは、逃げる貞任の服装が乱れていたことを指摘したもので、貞任の「年を経し糸の乱れの苦しさに」は、衣服が古着だからねえ、と答えたものだと書いています。

要するに、服装を乱し、丸くなって逃げていく貞任が、衣服が乱れているのは、古着だからだと答えた歌だから、見事な歌だ、というのです。

ちょっと待ってくれといいたいのです。
仮にも一軍の大将です。それが古着云々で、しかもそんなことが歴史に残る歌問答で、後世に至るまで名場面として語り継がれるなんていうことはありません。
なぜそんなツマラナイ解釈しかできないのかというと、この問答に流れる一番大事な思想的背景を見落とす、または故意に否定しようなどとするから、解釈を間違えるのです。

それは何かといえば、義家も貞任も、天下の公民を預かる武家の大将であるという気概のもとに戦っているということです。
公民というのは、天皇の民たちです。
その民たちを背負って戦っている。
その意識のもとに、二人は対決しているわけです。

はじめの義家の「衣のたてはほころびにけり」は、いわば、北斗の拳のケンシロウの「お前はもう死んでいる」と同じセリフです。
義家は弓の名手であり、その剛弓は三枚重ねた鎧(よろい)さえも撃抜くほどの威力です。
しかも狙いは正確。
その義家が、貞任に狙いを定め、弓を引き絞って「貞任、おまえの衣のたてはほころびにけり」、つまり「お前はもう死んでいる」と声をかけたわけです。

これを聞いた貞任は、馬をとめ、振り返って「年を経し糸の乱れの苦しさに」と詠んだわけです。
これが何を意味しているかというと、「300年続いた律令体制が崩れ、国司などの横暴に、多くの天下の公民たちが苦しんでいる。その『苦しさ』のために、俺たちは立ち上がったのだ」と、ニッコリ笑って堂々と答えたわけです。

そうなると「お前はもう死んでいる」と下の句で詠んだはずの義家の歌は、ぜんぜん違う意味になってしまいます。
つまり、長い年月の間に崩れた律令体制で、天下の公民の生活が苦しくなり、それを守るために立ち上がったという貞任の主張を、義家の「衣のたてはほころびにけり」は補強する、つまり政権側を代表している義家が、むしろ反体制側の貞任の言い分をまるごと認めたことになってしまう。

つまり、義家の投げつけた「お前はもう死んでいる」にを受けて、律令体制の各種矛盾が表面化した世相を上の句に詠むことによって、安倍貞任は義家の下の句の意味をまるで違うものにしてしまったわけです。
実にみごとなものです。

「年を経し糸の乱れの苦しさに」
→律令体制が長い年月の間に乱れ、庶民が苦しい生活を予備なくされている。だから俺たちは立ち上がった。
「衣のたてはほころびにけり」
→衣の縫い目のほころびは、律令体制のほころび、という意味になるわけです。

日本社会は、支配者が民衆を奴隷にして君臨するという大陸的支配社会ではありません。
民は、あらゆる政治権力に認証を与える権威である天皇の民です。
そして政治権力を得るものたちは、その天皇の民を預かっているという立場です。

ですから武士たちにとっても、民こそが一番大事なものです。
民の生活の安寧のためにこそ、立ち上がっているのであり、そこにこそ武士の存在価値と権威がある。

八幡太郎がその剛弓を構えて、狙いを定め、「お前はもう死んでいる」と詠ったら、狙われた貞任が「それは体制の死を意味する」と上の句で答えたわけです。
そうなると、そのまま弓を射たら、体制のために戦っている義家は、自分の弓で体制を射る、つまり否定することになってしまう。

もっと簡単に言いますと、貞任の句は、「世の乱れで民が苦しんでいる」という句です。
朝廷に対する反乱軍の事実上の大将(実際の大将は貞任の親)が、世の乱れに立ち上がった、と詠んだわけです。

討伐軍の義家は、弓を構え、狙いを定め(義家の弓は強弓で一撃必殺)、その上で「お前はもう死んでいる」という意味で「衣のたてがほころんだ」と詠んだら、これを逆手にとられて、「世の乱れの苦しさに」と返された。
そうなると、義家の句の意味は、「お前はも死んでいる」ではなくて、世が乱れて民の生活は苦しくなり、しかも世は乱れ、ほころんでいる」という意味になってしまうのです。

ということは、討伐軍の事実上の大将である義家(こちらも実際の大将は父)自身が、「世が乱れている」ということを認めたことになってしまう。
まさに、「してやられた」という状態になったわけです。

命を狙われながら、即興でそこまで深いやりとりができる。
こいつはすごいヤツだ、ただ者じゃないぞ、ということになって、だから義家は、弓を降ろし、貞任を逃がした。
この歌問答が、後世に残る名場面とされているのは、実にこのことを言っているのです。

そしてここでも「天皇のもとにある公民」という概念が出てきていますす。
安倍貞任が、大陸のような地域の支配者であり、民が奴隷のように支配されているだけという、支配者、被支配者の関係が根底にあれば、貞任のこの歌は意味を持ちません。
「お前はもう死んでいる」「古着だからね」という歌問答という軽薄な解釈しか成り立たないのです。

けれど、日本社会が「天下の公民」という基本理念を共用する社会であり、武士たちがその民を守るためにたちあがっているという背景を考えれば、この歌問答は「お前はもう死んでいる」「それは体制の死を意味する」という問答となり、一瞬のやり取りの中で、安倍貞任の即興の歌が冴え渡るのです。
そして貞任が、瞬間的にそこまで歌を返したということは、貞任の精神の中に、日頃から自分たちは私利私欲のためではなく、民のために戦っているのだという強い信念があったことまでをも、明確に示しているのです。

こういうことが、天皇否定、階級闘争史観の左翼頭脳では、まったく理解できない。
そして子供達に、古来変わらぬ日本人の素晴らしさを伝え、教えることができない。
昨今の悲しい現実であろうと思います。

さて、前九年の役が終わり、次に置きたのが後三年の役です。
これは前九年の役で義家と一緒に戦った清原(きよはら)氏が相続問題から内紛を起こしたことが原因です。

この争いの鎮圧のために、義家は清原清衝(きよひら)とともに戦うのですが、この戦いに勝利した清原清衝は、名字を以後藤原と変えています。
そしてこの藤原清衝が開いたのが、奥州平泉の藤原三代の栄華です。
この事件から100年後、源義経が奥州藤原氏に庇護を受けていますが、これは奥州藤原氏が、義家から受けた恩義を忘れずにいたことによります。
日本人は、世代を超えても恩義を忘れない民なのです。

一方義家は、後三年の役にも勝利し、ますますその名声も高まるのですが、そこで彼は次男坊の源義親(よしちか)を対馬の守に封じます。
ところがこの次男坊の義親が、対馬で朝廷に叛乱を起こします。

朝廷は義家にその討伐を命ずるのですが、間の悪いことに義家は病気で亡くなってしまう。
で、義家にかわって義親討伐を命ぜられたのが、平正盛です。
平正盛は、平清盛の祖父です。

対馬は離島です。
平正盛は、対馬への戦いを挑むにあたって、瀬戸内水軍との関係を築きます。
そして義親討伐の戦功が認められて、朝廷に食い込むと、瀬戸内水軍が行っていた密貿易を、こんどは平家という後ろ盾のもとに、正規交易として盛大に行うようになります。

当時、支那大陸にあったのは、南宋です。
南宋は、いわば経済大国です。
とにもかくにも経済最優先という国柄で、経済発展が著しい。
こういう国と交易をすることは、とにかくとてつもなく儲かったのです。

交易がどのくらい儲かるかは、一昨日の記事の中で、100万円が支那に行って帰ってくるだけで9億円に大化けしたというお話を書かせていただきました。
このようなことを、秘密裏にこっそりやるだけならまだしも、国家権力をあげて盛大に行ったらどうなるでしょうか。
その一族は、経済的に大発展するであろうことは、想像に難くありません。

まさにそれを行ったのが、平正盛の孫の平清盛でした。
そして清盛は、こうして得た財力にものを言わせて、ついには朝廷内で大政大臣にまで出世し、「平家にあらずんば人でなし」というほどの一大権力を築き上げます。
要するに清盛は、菅原道真公以来の鎖国を破り、交易によって経済的大発展を押し進めたのです。

けれど、交易というのは、モノとカネだけが動くわけではなく、ヒトもそこについてくるということも、前回述べた通りです。
平家一門が、経済的に大発展を遂げ、華美で豪華絢爛な一門の繁栄を謳歌する一方、巷には、支那人、朝鮮人たちが日本社会に流入してきます。
そして彼らは、日本人の感性では想像もつかないような酷い犯罪を続発させる。

小学校の女児が首を斬り落されて、正門前にその生首を置かれたなどどいう事件は、1件あれば、たとえその犯人は、たったひとり、事件もたった一回にすぎなかったとしても、以後、学校もPTAも、集団登下校を開始させるし、昔はあたりまえだった放課後に子供達が校庭で走り回って遊ぶことも禁止します。
何十万人も日本にやってくる渡来人たちの、ほぼ全部がまっとうな人たちであったとしても、その中のたったひとりでも、我々には想像もつかないような非道を行えば、国民(公民)は警戒するのです。
むしろ警戒しないほうがどうかしている。

人の上に立つ者(平家一門)が華美で豪奢な生活を送る一方で、一般庶民の間では、それまでの鎖国平安時代には考えられなかったような、暴行、傷害、強姦、致傷といった事件が頻発する。

ここでも大切なポイントは、日本における民というのは、天皇の民(公民)であるということです。
政治は、天皇の民の生活の安寧のためにこそある。
ところがその民が、想像を絶するような災難に襲われているのに、政治の中枢は、華美で豪奢な我が世の春を謳歌している。
これは、わが国の国体、すなわち「天皇と天皇の民、そして政治は天皇の民を預かるもの」という国の本来の形を否定するものです。

当然、巷には平氏に対する怨嗟の声が満ちて来る。
そしてその怨嗟の声は、常に公民のためにと戦った源氏の棟梁を担ぎ上げ、ついに平家一門に戦いを挑みます。

こうして生まれたのが鎌倉幕府です。
なぜ頼朝が、京から遠く離れた鎌倉に幕府を開いたのか。
こうなると、答えも簡単に見えてきます。
京の都が、交易によって得られた富で、華美と贅沢に彩られていたのです。
富はいわば麻薬です。
せっかく立ち上がった東国武者たちが、その京の都の華美に染まってしまったら、またぞろ交易で一儲けを企もうという者たちが現れ、時代は平家から源氏に変わっただけで、交易、大儲け、華美、豪奢、公民たちの不安という社会構図は何も変わらなくなる。
もとの木阿弥です。
だからこそ、そうならないように、頼朝はあえて鎌倉に幕府を開きます。

大事なのは、公民(天皇の民)なのです。
ならば、贅沢に染まらないように、京から遠く離れた鎌倉に幕府を開く。
実に明快で、わかりやすい判断だと思います。
そして頼朝は、堂々と交易の禁止を命じ、国を鎖国しました。
世は、ふたたび公民たちが安心して暮らせる時代を迎えたのです。

さてみなさん、この天皇の民、公民という観念をもって歴史を眺めてみると、いままでなぜだかわからなかった事柄が、明確な形をもって見えて来る、そんな気がしませんか?

天下の民、天皇の民、公民という観念は、日本社会の奥底を構成する大潮流なのです。
これを度外視して、わが国を大陸的、あるいは西欧的絶対的支配者と支配される奴隷たちという考え方に拘泥したら、あらゆるできごとの説明がつかなくなる。
説明がつかなくなるから、事件と事件をそれぞれ別々に切り離し、年号と事件名だけを丸暗記させるのが日本史の授業になってしまうのです。

そして説明がつかないから、わけがわからない。
わけがわからないから、おもしろくない。
日本を取り戻すというのは、本来の日本にあるおもしろさ、その根底にある大潮流を取り戻すということなのではなかろうかという気がします。

さて、天皇の民である公民たちの安寧が大事か、それとも経済的利益が大事か。
この葛藤は、この後もまだまだ続きます。
実は、鎌倉幕府も、この問題を内包していたのです。

続きは、また明日。。。


注1)支那、朝鮮との交易は、平安、鎌倉といった鎖国の時代にあっても、民間ペースでは細々とは行われ続けています。ただ、国としてこれを積極推進するかどうかの違いは、要するに開国しているかどうかの違いで、国が開いてあると、人的交流、つまり支那人朝鮮人の渡来人が、日本国内に大量にはいってくるという事態を招きます。
これに対し、民間ペースでの密貿易は、人材の交流という事態を招きません。支那人や朝鮮人の商人が、日本に来ることはあっても、用が済めば、水夫たちを連れて帰ってしまうからです。

注2)日本における和歌というのは、五七五七七という短い言葉に、さまざまな「心」つまり意味をもたせ、詠み手に多くの想像を膨らませさせ、その膨らみがより大きいものが良い歌、とされます。たとえてみれば、物体(文字)としては1枚のCD(五七五七七の言葉)にすぎないけれど、その中に様々な意味(情報)が込められているわけです。CDが読み取る機械がないと読めないように、歌もその歌に込められたメッセージを、その歌が詠まれた背景や人、あるいは感情、情景などを理解しないと意味をとることができません。そしてそこに込められた複数の複雑なメッセージが多ければ多いほど、つまり想像力が膨らませれるほど、その歌は良い歌とされたわけです。このことは和歌だけでなく、俳句や日本画においてもまったく同様で、日本の芸術の、ある意味特徴といってもいいものといえるかもしれません。ですから、上にご紹介した学校の教科書の歌の解釈も、あながち間違いではない。ただ、もっと深く読む必要があるし、そうすることによって、歌のおもしろさがますます増して来るということだと思います。


※この記事は2013年1月の記事をリニューアル再掲したものです。



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コメント
安倍貞任、衣の館
昨日コメントしました後、もう一度考えましたが、ねずさんの解釈で良いと思うようになりました。衣川館が焼け落ちたということを「衣の舘はほころびにけり」と詠んだのは、まさに「お前はもう死んでいる」ということだと思います。そのかえしの「時を経て糸の乱れの苦しさに」の糸という言葉にはっと閃いたのが『経綸』という言葉です。
国家の運営を『経綸』と言いますが、これは縦糸を意味していて、織物を織るように、縦糸がまっすぐになっていれば立派な織物が織れるという意味だと思いますが、そのように国の政治が、真っ直ぐでなく、糸が乱れていることを憂いて立ち上がったということを詠んだのではと、思いました。
まさに、ねずさんの仰るとおりだと思いました。
2014/12/30(火) 22:13 | URL | 木犀 #n9XDtvKo[ 編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2014/11/22(土) 22:24 | | #[ 編集]
No title
「衣のたてはほころびにけり」で勝利宣言したはずが、上の句に「年を経し糸の乱れの苦しさに」を立てられたことで死んでいる対象が現体制に変えられてしまった。そして義家も心の内ではそれを理解してたので弓を下げた。
かっこよすぎです。
2014/11/22(土) 12:41 | URL | #t50BOgd.[ 編集]
No title
数年前、藤原正彦先生の著書や講演会でやっと自虐史から目覚めたひよこの頃、東日本大震災の被災地を天皇皇后両陛下が見舞われました。
そのお姿がテレビや雑誌で映し出されたとき、なぜか純粋に「日本というはやっぱり天皇陛下のものなのだ」との思いが激しく心に入ってきました。
いまならねずさんのおかげで国民が天皇のおおみたからであるということからすれば国土も当たり前の話ですが、当時はやっと日本というのはすばらしい国なんだというところまでしか行っていませんでした。
シラス国とか詳しいことは知らなかったのに、無言で変えてしまわれるほどの陛下を仰ぐ、日本という国、国体に日本人として生まれてよかったなとおかげ様でほんとうに思います。
いろいろな記事、また楽しみにしています。
2014/11/21(金) 20:59 | URL | 菊 #J9KrKsHg[ 編集]
No title
公地公民制を忘れて絶対的支配者・奴隷制で歴史を教えると物事の説明がつかなくなると言うことは、日本の歴史授業に極めて大きい意味を持つと思います。
西村文部科学大臣は、次の学習指導要領において日本史を必修にすることを発表されました。
いよいよ、日本人による日本人のための歴史授業が始まることが、嬉しくて仕方ありません。
歴史上の出来事だけでなく、日本は様々な国難に、どのように立ち向かっていったのかを教えられると、授業も楽しいでしょう。
そのために、日本の歴史が正しく教えられるよう、研究されるでしょう。
日本の子供達が、日本の国誇りを持って生きていけるような授業として、海外にいる日本の子供達にも伝えていただきたいです。



昭和天皇の靖国ご親拝中止については、このような考え方もあります。

先帝陛下(昭和天皇)の最後の靖国神社ご親拝となった1975年(昭和50年)11月21日の前日に、国会でこの問題が大きく取り上げられた。
11月21日、天皇皇后両陛下は靖国神社の秋の例大祭と千鳥ヶ淵戦没者記念墓苑にご親拝されたが、前日の11月20日の参議院内閣委員会で日本社会党の野田哲、秦豊、矢田部理の3議員が質問に立って厳しく追及した。

政府委員として答弁した富田朝彦・宮内庁次長(当時)が、天皇陛下の靖国神社御親拝は「私的行為」であると説明したところ、社会党議員からは、『公的行為だとか私的行為だとかいった区別はできないのではないか』、『明日の天皇陛下の御親拝は、(当時国会で議論されていた)天皇陛下や内閣総理大臣らの靖国神社「公式参拝」に道を開くものであって、「表敬法案」の先取りであり、【憲法20条】に違反する疑いがある』、更に『あなた方によれば、私的行為の名のもとに天皇が靖国神社に参拝されるということは、どんな答弁、どんな強弁に接しようともわれわれは断じて認めるわけにはいかない』
などといった厳しい批判が加えられている。

追及を受けた吉国一郎内閣法制局長官は遂に、天皇のご親拝は、「憲法第20条第3項の重大な問題になるという考え方である」と答えてしまった。
この答弁によって、天皇のご親拝が憲法・政治問題になってしまった。
同項は「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と定めている。
この条項の解釈問題が解決しないと、天皇陛下のご親拝は政治問題となる事態となった。

このような事情から、宮内庁としては天皇陛下の靖国神社ご親拝が憲法違反とされれば大変なことになるし
国民統合の象徴である天皇が政治的に争いのある問題に関わられるべきではないと判断をしたと考えられる。

実際に、それ(昭和51年)以来、ご親拝は途絶えている。

これは、A級戦犯の合祀(昭和53年)よりも前のことです。
すみません。引用元のコピーが出来ません。
2014/11/21(金) 15:52 | URL | ポッポ #-[ 編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2014/11/21(金) 12:31 | | #[ 編集]
No title
ねずさん、はじめまして。かめと申します。

ねずさんのブログを楽しく拝見させていただいております。
歴史というものの奥深さをあらためて知らされました。

私は、歴史を気候変動という視点からみております。
この平安時代中期から後期というのは、中世の温暖期といわれ、現代よりも暖かったといわれています。(地球温暖化脅威論者は否定していますが)

耕作地拡大(東国、東北地方への進出)と武士の台頭はこうした気候変動との関係が大いに影響していると考えています。

地球温暖化はマイナスに見られがちですが、降水量の増加、収穫量の増加、耕作地の拡大とプラスの面もあります。人類の歴史を考えると間違いなくプラスです。

平安時代の末期には、西日本では干ばつが頻発したこともあり、西日本を拠点に置く平氏には大きな影響を与え、源氏が鎌倉(東国)に拠点へ置くきっかけの一つだと考えています。
2014/11/21(金) 12:19 | URL | かめさん #-[ 編集]
可笑しな福祉行政
近くのアパートに生活保護を受けている老夫婦がいます。親族が面倒をみないため生活保護を受けているようです。その老夫婦の一人が先日亡くなりました。争議は葬儀場を借りて親族だけで行ったそうです。

そこまではいいが、親族だけで葬儀をしておいて、葬儀費用は親族が出すのではなく、生活保護を出している市役所に請求です。親族とは一体何でしょうか。こんな福祉行政は可笑しいと思っています。

次世代の党は生活保護は「現物支給」にすべきと言っています。現金を渡すから安易に生活保護生活に入るのです。行き過ぎた福祉は人を不幸にします。次世代の党に頑張ってほしいものです。
2014/11/21(金) 11:47 | URL | にっぽんじん #-[ 編集]
【高倉健】健さんも朝鮮人と戦っていた!【拡散】
ニコ動で大反響! 絶賛拡散中!!

【高倉健】健さんも朝鮮人と戦っていた!【拡散】

【高倉健】健さんも朝鮮人と戦っていた!【拡散】

【高倉健】健さんも朝鮮人と戦っていた!【拡散】

http://www.nicovideo.jp/watch/sm24947983
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9949704

1974年東映作品【三代目襲名】
2014/11/21(金) 11:40 | URL | 拡散 #amXlFcx2[ 編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2014/11/21(金) 11:06 | | #[ 編集]
三井寺の神
> この人は、八幡神(やはたのかみ、はちまんじん)というのは、武芸の神様で、その八幡の文字をあだ名に使われるくらい武勇に優れた人でした。

源義家が八幡太郎(はちまんたろう)と称するのは、京都・石清水八幡宮で元服したからではありますまいか?(さらには氏人になったとも)

義家の弟たち、すなわち源義綱(よしつな)は京都・賀茂神社で元服したので賀茂次郎/加茂次郎(かもじろう)、源義光(よしみつ)は近江・園城寺(三井寺)の新羅善神堂で元服したことから新羅三郎(しんらさぶろう)と呼ばれたという話とセットだったと思います。

この時代の元服は神前だったんですね。

三井寺(みいでら)が新羅の神を祀っていたというのは、同寺の宗祖とされる円珍(空海の甥/814 - 891年)が唐から帰朝する船の中に「新羅明神を名乗る老翁が現れ、教法加護を約したから」とされますが、当時からこのころに至るまでこの神を拝む連中が大津の周辺に存在していたことを意味しており、ねずさんのお話を補強するものかもしれません。
2014/11/21(金) 10:21 | URL | ハカイダー #-[ 編集]
No title
>そして子供達に、古来変わらぬ日本人の素晴らしさを伝え、教えることができない。
皆さん、ねずさんがさらりと大事なことを言っていますので、もう一度読んでくさだい。
だから、左翼、日教組は日本国民を馬鹿な人に育てるため、自らに都合の良いつまらない・つじつまが合わない歴史を子供に教えているのだと思います。
あと、ねずさんは和歌の心を説いています。
このブログもねずさんの和歌と思えば、掲載されている文章のみを読むのではなく、その心を想像するとねずさんのもっと言いたいことが分かるのではないかと最近になってようやく分かってきた気がします。
2014/11/21(金) 10:02 | URL | ジャル #-[ 編集]
No title
ねずさん、初めまして。

ありがとうございます。
ねずさんのお陰で今まで不得意だった日本史、いや国史に大変興味が湧くとともに、古の人々とつながる一本の太い糸を感じるようになりました。

お忙しい中大変だと思いますが、ブログの更新を心待ちにさせていただきます。
2014/11/21(金) 08:21 | URL | 浩市 #s6nkdhXk[ 編集]
No title
昭和天皇の靖国ご親拝中止は戦犯合祀が原因でない
http://shofujuk.cside8.com/20sosin/025.html
2014/11/21(金) 06:33 | URL | junn #p4GOlP7Y[ 編集]
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
静岡県出身。国史啓蒙家。倭塾塾長。日本の心をつたえる会代表。日本史検定講座講師&教務。
連絡先: nezu3344@gmail.com
著書
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』第1巻〜第3巻
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』
日々、先人たちへの感謝の心でブログを書き綴っています。それが自分にできる唯一のお国への、先人たちへの、そしていま自分が生かさせていただいていることへのご恩返しと思うからです。こうしてねずブロを続けることで、自分自身、日々勉強させていただいています。ありがたいことです。

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口座番号 0083820
口座名義 小名木善行
【問い合わせ先】
お問い合わせはメールでお願いします。
nezu3344@gmail.com

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最短で3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。テーマは、ご自由に設定いただいて結構です。講演時間は90分が基準ですが、会場のご都合に合わせます。
E-mail nezu3344@gmail.com

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君が代と日本人
大国主神話とシラス国
和歌と日本の誇り
歴史から見た慰安婦問題
領土と主権のお話
和と結いの国、日本
日本人にとっての戦いとは
武士道と忠義
日本人と食のお話
建国の理念と日本の文化
世界に誇る縄文文化
百人一首と日本人 etc....
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台灣民政府
台湾民政府
サンフランシスコ講和条約で、日本は台湾に関して処分権は連合国に提供しましたが、領土の割譲は行っていません。条約以降、連合国も日本も台湾の処分先を決めていません。つまり台湾はいまも日本であり、台湾にいる1500万人の戦前からいる台湾人は、日本国籍を有する日本人です。私は台湾民政府を支持します。
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コメントをくださる皆様へ
基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメントは、削除しますのであしからず。
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コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人である私の判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
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