アクセスランキング

敷島の大和心を人問わ(は)ば 朝日ににおう (ふ) 山桜花(本居宣長)。日本は天皇を国家最高権威とし、民を「おほみたから」とする「シラス国」です。


荒井退造警察部長

■ オーディオブック■
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人! 第二巻: 「和」と「結い」の心と対等意識』
ねずさんの百人一首本は平成27年3月下旬発売予定です。
■【CGS ねずさん】第9話 西郷隆盛と征韓論
【チャンネルAJER】君と民①

 
毎週平日の月曜日は「ねずさんのメールマガジン」の発行日です。初月無料です。

人気ブログランキング
 ↑ ↑
応援クリックありがとうございます。

島守の塔


栃木県出身の荒井退造(あらいたいぞう)が、沖縄県の警察部長として着任したのは、昭和18(1943)年7月42歳の時のことでした。
着任からちょうど一年後の7月に、荒井退造は、県民疎開の責任者を命じられました。

ひとくちに「県民疎開」といっても、なみたいていのことではありません。
ひとりひとりの県民のみなさんに、ちゃんと説明し、納得していただかなくてはならないのです。
けれど沖縄の海も空も、今日も青く澄んでいます。
その美しい海に、埋め尽くすほどの艦隊がやってきて沖縄本島に艦砲射撃を食らわせるなど、いったい誰が想像できましょう。
それに、ご家庭によっては、老人もいる。子供もいる。
疎開中の仕事はどうするのか。
家畜の面倒は誰がみるのか。
子供たちの勉強は遅れたりしないのか。

東日本大震災や、阪神淡路大震災のような罹災が現実に起きれば、誰もが避難所暮らしにも納得しますが、まだ地震が起きていない東京で、今日から全戸疎開しますとお達しがあったところで、誰も易易とは納得できるものではありません。

そして、この点がいまの日本とずいぶんと違うところなのですが、先般の東日本大震災のとき、福島原発の事故に際して当時の民主党政権は、付近の住民に対して「強制疎開」を命じました。
住民たちは否応なしに、一切の各戸の都合や事情など斟酌せずに、「強制退去」を命じました。
ところが戦時中の日本では、大空襲のあった本土の各都市にせよ、その前の沖縄にせよ、いわゆる「軍や政府による強制疎開」というのはしていないのです。

なんと、全警察署に指示して、自治会ごとに講演会や家庭訪問を開催させ、県民一人ひとりに疎開の必要性を説き、寝たきり老人のいるご家庭などにおいては、役所の人や警察官、あるいは町内の青年団などが、各家庭ごとに手伝いにはいったりしているのです。



時は戦時下です。
にもかかわらず、どうしてそんな周到なことをしたのかといえば、民衆は「おおみたから」という観念が、あたりまえの常識となっていたからです。
人々はみんな陛下のおおみたからです。
そのおおみたからのための疎開なのです。
ですから、ちゃんと状況を説明し、理解をしてもらって疎開を進めたのです。

戦前は天皇のウシハク世の中だったようなことを言う左巻きの学者さんたちがいますが、どんなに偉い先生かは知らないけれど、私から言わせていただければ、そういう人たちはただの扇動家です。学者の名に値しない大馬鹿者です。

現に、直前の7月7日には、サイパンが陥落しているのです。
3万1000名の守備隊は玉砕、1万2000名の在留邦人も運命を共にしていました。
同じことが沖縄で起きたらどうするのか。
ここは、つらくても一時的に疎開するのが一番良い。
疎開することで、軍の沖縄守備隊も精いっぱいのご奉公ができる。

しかし、県民の反応はイマイチでした。
警察官の言うことはわかるのです。
けれども、先祖伝来の土地からはそうそう簡単には離れられるものではないのです。

やむをえず荒井退造は、県の職員や警官の家族を先に疎開船に乗せることを企画しました。
役人や警官の家族が動き出したとなれば、県民たちだって安閑としてはいられなくなるだろうという読みです。
とにかく老人や妻子を本土に疎開させることができれば、残った職員たちは後顧の憂いなくご奉公ができると考えたのです。

7月21日、疎開船第1号の「天草丸」が県庁職員や警官らの家族752人を乗せて那覇港を出発しました。
このとき、警察部輸送課長だった隈崎俊武警視(当時42歳)の妻と5男2女もその中にいました。
当時6歳だった四男の勝也さんは、当時の状況を鮮明に覚えています。
「追い立てられるような、慌ただしい旅立ちだったと子供心に記憶しています。
 その日、一張羅を着せられ、まだ新しい帽子をかぶり、ランドセルを背負い、新品の革靴姿でした。
 母は乳飲み子と3歳の妹をつれ、兄や姉は持てるだけの荷物を持って、那覇港に行きました。
 埠頭(ふとう)は乗船する家族連れ見送りの人たちで一杯で、父も見送りに来ていました。」

輸送船「天草丸」は、すこし走っては停まっては耳を澄ます、また少し走っては、停まってあたりを警戒するという動作を繰り返しながら、すこしずつ航海をしました。
敵潜水艦による攻撃を警戒したのです。
通常ならわずかな道のりの航海も、だからこのとき、鹿児島に着くまでに2週間もかかったそうです。

航海の途中、勝也少年は、ある日、黒く長い物が水面すれすれに、ジャブジャブと泡を立てながら、船体をかすめていったのを目撃しています。
大きな魚かと喜ぶ勝也少年を、大人たちは「じっとしなさいっ」と叱りつけて、ぎゅっと体をつかまえました。
それは敵潜水艦の魚雷だったのです。
天草丸は間一髪で助かっています。

8月5日には、二番船だった「対馬丸」が、鹿児島の南西260キロの海上で、米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没しています。
この船には、学童825人、一般疎開者836人が乗っていました。
助かったのは177人だけです。

ひとつ、たいせつなことを付け加えます。
非戦闘員を運ぶ船舶への魚雷攻撃は、国際条約に従い明らかな「戦争犯罪」だ、ということです。
戦後日本は、東京裁判で、戦後の事後法である平和に対する罪などで裁かれました。
日本の輸送船は、当然のことながら非武装輸送船(疎開船)であることを示す標識を掲げて航海しています。
しかも、走ったり停止したりを繰り返している。
さらに、進路は戦地に兵員や軍備を運ぶ「行き」のコースではなく、沖縄から本土に向かう「帰り」のコースです。
誰がどうみても、素人判断でさえも、よほど頭の足りない戦闘員であったとしても、それが非戦闘船であることは一目瞭然なのです。
こういう船を、一方的に攻撃されたのだ、ということを、私たちは事実として忘れてはならないと思います。

ところが対馬丸事件に関しては、それを国際法違反で攻撃して沈没させた米国を責める人はだれもいません。
その一方で、日本政府や当時の日本海軍が、いかにも非道扱いされています。
日本の左翼という存在に、遵法精神はあるのだろうかと不思議に思います。

ともあれ、この疎開船によって、昭和19(1944)年7月から翌年3月までに、沖縄から本土に、延べ187回、合計7万3000人が疎開しました。
当時の沖縄の人口は60万人です。
疎開者が以外と少ない、とお感じになると思います。

必死の思いで退造や沖縄県警の職員たちが推進した集団疎開に、おもわぬ邪魔が入ったのです。
邪魔をしたのは、当時沖縄県知事だった泉守紀と、県のNO2である内政部長の二人です。

泉守紀第26代沖縄県知事
泉守紀第26代沖縄県知事


泉知事は新聞記者や議員たちに、露骨に疎開反対の意思表示をしました。
理由は、年寄りや女、子供を言葉や風習の違う本土に行かせるのは可愛そうだ、というものです。
挙句の果てが、荒井退造県警部長の推進する集団疎開は、
「県知事の意に反して、警察部長が勝手にすすめている独断専横である」とまで言い放っています。

おかげで退造は、県議会に呼び出され、議員から激しい追求まで受けています。
間違った上司のもとでは、正が邪に、邪が正になるのです。
退造は、当時の日記に次のように書いています。
「排斥ならいくらでもやれ。喜んでその排斥を受けるぞ。愚民どもめ。まったく沖縄はいやになった。」

誤解のないように文章の前後の関係から少し付け加えると、愚民と言っているのは、排斥運動をしていた県議会議員たちのことです。
沖縄がいやになったと書いているのは、沖縄県民が嫌になったというのではなく、沖縄に赴任して、さんざん嫌がらせをされ、いじめられる自分が嫌になったという意味です。
それが当時の日本男子の心です。

先々の危険を予測すれば、当然やらなければならないことをしているのです。
しかもそれは、お国の決定事項でもある。
退造は、誰からも咎められるようなことをしているわけではないのです。
退造を信じてついてきてくれている沖縄県警の警察官たちは、全員が退造の指示を信じ、必死になって村々の説得にあたってくれているのです。
村で一緒になって村人たちの疎開のための荷物や老人を運ぶのを手伝ったり、ひとりひとりの健康を気遣ったり、空家となった村人たちの家の戸締りを確認したり、家畜動物たちの保護先を探したりして、みんな懸命に働いてくれています。
にもかかわらず、その責任者である退造は、県知事から嫌がらせを受け、県議会では吊るしあげられていたのです。

風雲は急を告げています。
内輪揉めしているような場合ではない。
にもかかわらず、退造さえ追い払えば、集団疎開のプロジェクトをつぶせると泉知事らは思っていたのです。

内政部長も同じです。
彼は、NHKの取材に答えて、県民向けラジオ放送の中で、
「敵は絶対に沖縄に上陸しないことを確信します」などと放言しています。
いつから内政部長は、米軍の指揮官になったのでしょうか。

加えて制空権、制海権を持ち、日本の絶対防衛ラインも破られているのです。
そしてそうした機密情報は、ちゃんと県知事にも内政部長にも知らされていたのです。
米軍が、沖縄にくるか台湾にくるか、いきなり飛び越えて本土上陸を画策するか、それは米軍の判断であって、沖縄県庁が決定する事項ではない。
そんなことは、すこし冷静になって考えれば、誰にでもわかることです。

ところが、人というものは、理屈でばかり動くというものではありません。人は安直な方に流れます。
警察が強権発動で集団疎開を進めているというウワサもたてられました。
それに家族が離れ離れになることは、多くの人にとってとてもつらいことです。
なかには、そうした退造たち警察官の指導を疎ましく思う人まで出てきました。

そういう情勢下にあっての内政部長のこのラジオ談話は、沖縄県民の間に、いっきに広まりました。
そしてせっかく盛り上がりつつあった疎開気運に、まっこうから冷や水を浴びせる結果となってしまったのです。
こうなると、集団疎開を推進している荒井退造ら警察は、まるで県民の敵です。

当時の県の幹部というのは、本庁からの派遣です。
いまのような県内の公選制ではない。
本社が東京にある会社の沖縄支店長や副支店長みたいなもので、東京の本庁で人事が決まり、沖縄に赴任しています。
そして、実は泉知事も内務部長も、沖縄がすでに「危険な状態」にあることは、一般県民よりもはるかによく知っていたのです。
ですから彼らは、「このまま沖縄に残っていたら、もはや命はない」と知り、一日もはやく自分だけが沖縄から遠く離れたところに転勤したいと願い出て、裏でこっそり運動していたのです。

要するに、沖縄で集団疎開運動が大々的に起こり、沖縄が戦場と化す危険が高まれば高まるほど、総責任者である県知事、内務分野の総責任者である内務部長は、立場上の責任から、当然、最後の最後まで危険な沖縄に残らなければならなくなるわけです。
そうなれば、グァム、サイパン、パラオのように、自分たちが生き残れる可能性は、まずありません。
言いかえれば、集団疎開が本格化すれば、すでにイエローゾーン、レッドゾーンになったという認識となり、自分たちが転勤になれる可能性は皆無となる。死んでしまうのです。

だから泉知事と県内政部長は、県民の命を盾にとって、自分たちだけの安全な転勤だけを図るために、沖縄県民の疎開を邪魔していたのです。
そういう卑怯者に操られて、退造らを糾弾した県議会の議員たちも、いまにしてみれば哀れなものです。

しかし、こうした卑怯者というのは、はじめのうちはわからなくても、時がたつとだんだんに庶民の目にも明らかになってくるものです。
県内政部長は、東京に出張中に出たかと思ったら、無断で大分県の山奥の電話もない湯治場に「胃病の治療」と称して雲隠れしてしまいました。
泉知事は、用もないのにまる一ヶ月も東京に出張し、そこで転勤のための工作を必死でやっていました。
そしてやっと泉知事が沖縄に帰ってきた10月10日、米軍機による最初の大空襲が那覇を襲ったのです。

このとき泉知事は、寝間着姿のまま、官舎の防空壕に飛び込んで、市内の状況把握もしないで、空襲が終わると、そくさくと12キロも離れた普天間の地方事務所に、ひとりで逃げてしまっています。
空襲の後なのです。
那覇の町は、大火災に見舞われている。
街の消化活動、被災者の救助と保護、医療機関の手当、焼け出された人々の避難場所の確保と食料やトイレの確保、離れ離れになった家族や迷子の子供の保護や捜索、瓦礫の山の撤去等々、やらなければならないことは山のようにあったのです。
それらを全部放り出して、自分ひとりだけ、逃げてしまった知事に代わり、退造は、県庁のすべての機関をとりしきり、市内を駆け回って督励や具体的手当を講じました。

その途中、車で移動中の退造を、米軍の戦闘機が上空から機銃で攻撃しています。
間一髪、難を逃れた退造は、それでもめげずに、現場の警備中隊や警防団の督励に走りました。

警察部長の命がけの視察は、現場で働く多くの人々を勇気づけました。
沖縄県民も、力を合わせて町の消火作業に努めてくれました。
けれど、渦になって町を駆け抜ける猛火の前には、どうすることもできない。
ここへきてようやく、怨嗟の声が、知事や内政部長に対してあがるようになりました。
「この重大な戦局のさなかに長たるものが逃げるとは何だ」というわけです。

一方、退造は、自宅にしていた官舎を焼かれて、着の身着のままになったけれど、県庁の近くのほら穴に寝泊まりしながら県庁に通い、みんなとともに被災地の復興や、疎開の手当てに奔走を続けました。
ここまでくると、沖縄守備隊の牛島中将以下の第32軍も、もはや泉県知事は相手にできないと悟ります。
第32軍は、退造を頼ってくる。
といって、退造は、警察部長です。県の行政全部に権限があるわけでもない。

やむなく第32軍は、大本営に対し、沖縄県において軍で戒厳令を引き、県知事も軍の指揮下に入れるべし、との要求を出します。
これを聞いた東京の内務省は、驚いて、ようやく泉知事の転勤と内政部長の解任を承諾しました。
ひとつの地方自治体について、軍が戒厳令をひくというのは、内務省のメンツが丸つぶれになるからです。

こうして沖縄には、昭和20(1945)年1月になって、島田叡(しまだあきら、43歳)が、大阪府の内政部長から沖縄県、第27代県知事として赴任しました。

島田叡第27代沖縄県知事
島田叡第27代沖縄県知事


島田県知事は、荒井退造警察部長を右腕とし、第32軍とも打ち合わせて、沖縄県民の集団疎開を本格化させました。
けれども、この時点では、もはや疎開船だけでは、もう間に合わなくなっていたのです。

やむなく、島田知事と荒井退蔵は、島に残っている老人や婦女子を、沖縄本島の北部に避難させることにしました。
2月中には4万人を移動させ、学校、集落事務所などの既設建物に収容しました。
その移動中に、新たな収容施設を建設し、3月上旬までに5万人強を移動させました。

そのために県土木課員を総動員し、移動する住民になじみの深い教職員の一部を疎開の第一線に配置しました。
単に人が移動すればよいという話ではないのです。
人が移動すれば、そこには施設を作らなきゃいけないし、食べ物や排せつの面倒もみなければならないのです。
女性や高齢者の集団です。医療の問題も見過ごせない。

島田知事と退造は、半年分の備蓄食料を確保し、医者を手配し、それらを県北部に移送するだけでなく、避難民が決して飢えることがないよう細々とした手配を行います。

これにより、疎開船で本土に疎開した人、戦場とならない北部に疎開させた人は、合計で約20万人にいたった。
沖縄県60万県民の、3分の1が、疎開することができたのです。
戦火の中で生き延びた沖縄県民は、戦地にならなかった北部の人たちばかりではありません。
助かった多くの人々は、このとき島の北部に逃れた人々でもあるのです。

沖縄戦では、その後第32軍の牛島軍司令官が6月22日に沖縄本島南部の摩文仁で自決、その数日後、荒井はアメーバ赤痢で亡くなられ、島田県知事は、近くの海岸の自然壕でピストルで自決されたといわれています。
ただ記録では、島田知事と共に6月19日に牛島司令を訪ねて最期の挨拶をされたあとの足取りは不明のままで、目撃談としては、現在島守の塔が建立されている場所で26日に目撃されたという話があります。
おそらく、知事と荒井部長は最期を共にされたのでしょう。

昨年もこのお二人の遺骨を探す方々の活動が県内のニュースになりました。
けれど、もしかすると神々のお計らいで、お二人に匹敵する人物が県内に現れなければ、出て来られないのかもしれません。

沖縄県民の疎開を、自分一人が助かりたいからと故意に送らせ、多くの県民の命を奪うきっかけをつくった泉守紀元沖縄県知事と、県内政部長は、戦後も生き残りました。
そして、こうした卑劣な卑怯者が、戦後の政治や思想の中心になっていきました。

ひと昔前までは、「反動」という言葉がよく使われたものです。
戦前戦中の価値観を否定する戦後政治において、戦前戦中の思想や価値観を取り戻そうとする動きは「反動」だというのです。
けれど、実はすこし考えたら誰にでもわかるのです。
戦前戦中、卑怯、卑劣で自己中の人の人がいると、そのひとりのために、多くの命が犠牲になったのです。
そうでないまともな責任感の強い人は、ほとんどが戦争で死んでしまいました。
結果、戦後は、戦前に排斥された卑怯、卑劣な人が、天下をとることになりました。
そして彼らは、卑怯、卑劣だった自分自身を正当化するために、彼らを否定する戦前戦中の人を「反動」と呼んだのです。

けれどあれから70年。
いまにしてみれば、戦前戦中を「反動」と呼んでいた人自体が、人の世の常識を否定する大馬鹿者であったことがよくわかります。

沖縄ではいまも、戦時の記念日ともなれば、毎年平和集会が行われます。
そしてなぜかその期間中は、市内のホテルは、そうとう小さな旅館にいたるまで、宿泊施設は満杯になる。
要するにその反戦平和集会に集ってきているのは、沖縄県民などの地元の人々ではない、ということです。

そういう無責任な連中が、平和運動家と称して毎年やってきては、エセ平和運動を展開する。
ことさらに被害を強調する。

しかし、はっきりと申し上げれるのは、それら平和運動家さんたちは、いざとなったとき、沖縄県民を守るために命をかけて戦うということを、絶対に「しない」人たちでだということです。
ひらたくいえば、卑怯者の集まりです。
祖国も歴史も郷里も、誰かが守ってくるようなものではありません。
尖閣も沖縄も、まずは私たち国民が「大切なものを守る」という意識を持たなければ護れないのです。
そして戦後という時代の政治は、まっとうな人たちが死んだり口封じされ、そういう卑劣な卑怯者が生き残って天下をとった時代でもあったのです。

戦後に見事に日本が復興できたのは、陛下と臣民の力です。
それを貶め、歪め続けたのが、この卑劣卑怯な連中です。

おもしろいもので、上にある泉知事と島田知事の写真を見比べると、泉知事は実に押し出しの立派そうな大物然とした方に見えます。
一方で、島田知事は、軽くてなんの貫禄もなさそうにみえます。

けれども、戦闘など、実際に命のやりとりをする場にいたったとき、本当に真剣になって身を捧げて働いてくれるのは、見た目が立派だったり、強そうだったりする人ではなくて、妻や子を愛し、職務に忠実で誠実で責任感のあるな人たちです。
なぜなら、おそろしい戦場で、最後の最後まで自分に与えられた任務を遂行できるのは、責任感だからです。
そして責任感は、常に誰かに対しての強い愛を持つ、愛しい愛(おも)ひを持つところにしか存在しないからです。
つまり、愛が人としての、いざというときの強さを生むのです。

口先だけの平和運動家には、いまの尖閣や沖縄、そして日本の危機は護れません。
彼らには愛がないからです。

戦うべき時に戦うのは、愛する心を持つ者なのです。

※この記事は2010年11月の記事をリニューアルしたものです。




人気ブログランキング
↑ ↑
応援クリックありがとうございます。

沖縄ハート・クリーン・プロジェクト


【メルマガのお申し込みは↓コチラ↓】
ねずさんのひとりごとメールマガジン有料版
最初の一ヶ月間無料でご購読いただけます。
クリックするとお申し込みページに飛びます
 ↓  ↓
ねずブロメルマガ
関連記事

コメント
この県知事て泉守紀の事ですよね?ちょっと前に左翼の人に「軍に屈しなかった英雄」と祭りあげられてた記事をみました。左翼の人って人命ガーとかさわいでるのにこんな人英雄とか祭りあげてはずかしくないのでしょうか?左翼てしんそこ国をダメにする存在と思いました。

2015/02/21(土) 23:11 | URL | 大牟田の名無し #-[ 編集]
声をあげよう
以前のときも読みながら本当に腹がたったお話でした。卑怯な県知事がまんまと生き長らえているのが。
沖縄も反日の牙城のようにされてはいますが、県民全員がまるまる騙されているわけではないのはわかります。
少し話はズレますが、先日茨城県知事が私塾にあたるような某国の不認可学校の生徒が増えたからと補助金を増額したニュース記事にも、茨城県民から怒りのコメントが投稿されていました。
反日共が工作しているところの県民は声をあげることが大切だと思います。そういうところは地元新聞も反日共に押さえられていますのでいかにも全体が反日のように見えますが、違います。
かく言う私の地元は、かの慰安婦問題の首謀者植村の出身である高知県です。日本中に迷惑をかけて、恥ずかしさと申し訳なさでいっぱいです。某掲示板では高知市は統○教会員だらけなのかとまで書かれていましたがそんなことはないし、私は勧誘も追い返しています。
地元新聞では先の選挙での次世代の後退を、どこの三文週刊誌かというような品のない、嘲るような記事にして載せていました。
本当に許せません。
繰り返しになりますが、反日で有名な都道府県の方々には声をあげてほしいと思います。
そして重ね重ね全ての日本人に、植村と同郷の人間として深くお詫びします。
あんな人間を出してしまって、申し訳ありませんでした。
2015/02/21(土) 20:22 | URL | #v14okzU2[ 編集]
No title
これぞ、シラス国。
2015/02/21(土) 19:18 | URL | #-[ 編集]
いつもご苦労様です!

昼間に近所の母娘二人と話す機会がありまして 政治の話になりました。
そこでマスコミの異常さ等をワイワイ事件や創価、電通との係わりなどを説明しました。
政治、教育、自治体もいかに汚鮮されているか一生懸命伝えてました。
納得したと謂うよりビックリした様子でした。

日本の素晴らしい歴史、文化を教え始めたところ時間がなくなったので ねずブログを紹介させていただきました。
この二人が目覚めてくれる事を願います。( ̄人 ̄)
2015/02/21(土) 18:48 | URL | 除鮮作業員 #-[ 編集]
真実の重み
嘘八百を信じ込まされた沖縄県民は、哀れとしか言い様がありませんが、自分から率先して真実を知ろうとしないのはいけません。「強制疎開」させられ、不便な避難所暮らしを強いられた人々を、「史上最悪の総理大臣」菅直人は、衝立越しに覗き込み、下卑た笑いを浮かべていましたが、その姿は出歯亀そのもので、被災者に対する一欠片の思い遣りも無く、まるで「珍獣」を見物しているかのようでした。人々を無知な状態に留め置き、自分に都合よく利用しようとするのは、現職の翁長雄志も同じです。しかし、幸いなことに、沖縄からも現状を批判する声が出ています。そして、それ等に耳を傾ける人々も、県内外に存在します。未だ楽観はできませんが、悲観することもないと信じます。
2015/02/21(土) 10:14 | URL | NTRC特撮軍団長・ヤラセロウ大元帥 #s/KoZi6Y[ 編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2015/02/21(土) 10:06 | | #[ 編集]
No title
ねずさんの動画を観ながら、ねずさんのBlogを読んでいました。
おおみたからが命をかけておおみたからを護ろうとする。
卑怯卑劣漢も居たでしょう。
しかし、これが普通一般の多くの方々の姿であったろうと思います。
ねずさんの連日連夜の御奮闘に敬意を表します。
2015/02/21(土) 10:00 | URL | 竹千代 #-[ 編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2015/02/21(土) 08:55 | | #[ 編集]
No title
 今朝も、涙でした。
 責任感。愛。
 心に刻みます。
 寝る前の一日の振り返りに、責任感と愛の項目をチェックしようと思います。 
2015/02/21(土) 08:24 | URL | えっちゃん #-[ 編集]
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
最新刊
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』

AdSense
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最新記事
最新コメント
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

リンク
このブログをリンクに追加する
リンク2
AdSense
カテゴリ
月別アーカイブ
AdSense
解析
スポンサードリンク
ねずさん(小名木善行)著書
↓最新刊↓
↓好評発売中↓





ねずさんメルマガ
ご購読は↓コチラ↓から
ねずブロメルマガ
ご寄付について
ねずブロはみなさまのご支援で成り立っています。よろしかったらカンパにご協力ください。
【ゆうちょ銀行】
記号番号 00220-4-83820
【他金融機関から】
銀行名 ゆうちょ銀行
支店名 〇二九(店番029)
種目  当座預金
口座番号 0083820
口座名義 小名木善行
【問い合わせ先】
お問い合わせはメールでお願いします。
nezu3344@gmail.com

講演のご依頼について
最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
テーマは、ご自由に設定いただいて結構です。
講演時間は90分が基準ですが、会場のご都合に合わせます。
E-mail nezu3344@gmail.com

講演テーマ
<ご参考>
古事記に学ぶ経営学
古事記に学ぶ日本の心
百人一首に学ぶ日本の心
女流歌人の素晴らしさ
日本人の誇り
その他ご相談に応じます。
検索フォーム
AdSense
関連サイト
祝日には国旗掲揚を!
御国旗セット
¥2,190

大型御国旗セット
[ステンレス製3mポール付き]
¥4,800

御国旗伸縮ポールセット【大サイズ】
¥3,000

御国旗セット L
[ マンション設置用 Lタイプ テトロン 国旗 ]

台灣民政府
台湾民政府
サンフランシスコ講和条約で、日本は台湾に関して処分権は連合国に提供しましたが、領土の割譲は行っていません。条約以降、連合国も日本も台湾の処分先を決めていません。つまり台湾はいまも日本であり、台湾にいる1500万人の戦前からいる台湾人は、日本国籍を有する日本人です。私は台湾民政府を支持します。
お薦め書籍1

日中戦争-戦争を望んだ中国 望まなかった日本


江戸の自治制


幻の黄金時代


ドキュメント自衛隊と東日本大震災

AdSense
コメントをくださる皆様へ
基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメントは、削除しますのであしからず。
最新トラックバック
AdSense
コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人である私の判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
エディタ・コミュニティ
edita.jp【エディタ】
amazon
通州事件の真実
通州事件を実際に体験された女性の手記です。
クリックするとテキストファイルが開きます。
https://docs.google.com/file/d/0B9Dh1-gISO9CZERHN2oxempSeEk/edit
パチンコをはたき出せ!
パチンコ撲滅
パチンコ市場は21兆円
そのお金を消費に向ければ莫大な経済効果が生まれる!

 ↓関連記事↓
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1197.html
やまと新聞を守れ!

やまと新聞は、戦後GHQの圧力に屈することなく、日本のジャーナリズムの正義を貫いた唯一の新聞です。
みんなの力でやまと新聞を応援しよう!!
やまと新聞社の公式HPは
 ↓コチラ↓
http://www.yamatopress.com/ 購読料は月500円です。
下の窓の中味をコピペすると、上のバナーをご自分のHPに貼ることができます。
やまと新聞の紹介記事はココをクリック
殲滅支那大連盟
殲滅支那大連盟

■満州国臨時政府■
 ↓ ↓ ↓
http://www.manchukuo.net/
ねずブロの拡散・転載について
当ブログの日本の心を伝えるための適法かつ前向きな拡散はおおいに歓迎です。 ただし適法な引用でないと、著作権侵害で処罰されることがありますのでご注意ください。
RSSリンクの表示
FC2ブックマーク

PING送信プラス by SEO対策

QRコード
QRコード
スポンサードリンク