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パラオ・ペリリュー・アンガウルの戦い

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パラオに咲く花


パラオ・ペリリュー島に天皇皇后両陛下が訪問されました。

そこで、戦いの模様を、舩坂弘(ふなさかひろし)さんの手記でご紹介したいと思います。

舩坂弘さんは、戦後、東京・渋谷で書店の経営をはじめ、日本最初の書店ビル「大盛堂書店」の経営者であった方です。
平成18(2006)年、86歳で永眠されています。

舩坂さんは、昭和19(1944)年3月、23歳で除隊を目前にした舩坂氏は、宇都宮歩兵第59連隊の軍曹として、パラオ・ペリュリュー島南西のアンガウル島に赴任を命ぜられました。

アンガウル島は、東西2.5km、南北3kmほどの小さな島です。
そこに同年9月11日、米軍が来襲しました。

開戦から5日間、米軍はまず空母ワスプから発進した爆撃機で島の絨毯爆撃を行いました。
次いで戦艦テネシーから、島の形が変わるくらいの激しい艦砲射撃をしました。
そして9月17日、米陸軍第81歩兵師団2万1千名が島の北東と南西の二面から海岸に上陸しました。

このとき、島を守っていた守備隊の日本軍は、わずか1400名です。


アンガウルは、小さな平たい島です。
内陸部に誘い込んでの戦いはできません。
日本軍は、はじめ上陸しようとする米軍を水際作戦で迎え撃ちました。

このとき舩坂軍曹は、擲弾筒および臼砲で米兵を200人以上殺傷したそうです。
しかし兵力差は15倍です。

水際作戦で中隊が壊滅するなか、舩坂軍曹は、筒身が真赤になるまで擲弾筒を撃ち続けました。
そうすることで米軍の足を止め、退却する中隊の隊員たちを守ろうとしたのです。
米軍は陸続と上陸してきました。
日本側は、大隊の残存兵力を島の北西の洞窟に集結させました。
ここから先はゲリラ戦です。

戦い3日目に、舩坂軍曹はひん死の重傷を負いました。
米軍の砲撃で左大腿部を割かれたのです。
場所は敵陣のど真ん中でした。
味方が助けようにもすぐには助けれられない。
押しつ戻しつの戦いの中で、米軍の銃火の中に放置された舩坂氏のもとに、ようやく軍医がやって来たのは、重症を負ってから数時間後のことでした。

傷をみた軍医は、あまりの傷口の深さと大きさに、何も言わず、手榴弾を手渡して去って行きました。
自決用です。
おまえはもう死んでいる、と宣告されたようなものです。

舩坂弘さん
舩坂弘さん


「負けるもんかっ!」
舩坂軍曹は、近くにあった日章旗で足を包帯代わりに縛りました。
そして夜通し這って洞窟の陣地に帰り着きました。

着いた時には、死体が這ってきたような姿だったそうです。
ところが舩坂軍曹、並みの体力気力ではありません。
翌日には、左足を引き摺りながらでも歩けるまで回復してしまいました。

舩坂軍曹はその後も何度となく瀕死の重傷を負っています。
動くことがままならないような重症を何度も負うのですが、不思議と翌日には回復したそうです。
ご本人は「生まれつき傷が治りやすい体質なのだ」と笑っておいでだったそうですが、ほとんどサイボーグもどきの体力です。

舩坂軍曹は、栃木県西方町の農家の三男坊です。
子供のころからきかん気でガキ大将で、長じては剣道と銃剣道の有段者となり、また中隊随一の名射手でもありました。
気迫と集中力の素晴らしい人だったのです。

舩坂軍曹は、絶望的な戦況にあってもなお、戦い続けました。
ある日は、拳銃の3連射で3人の米兵を倒しました。
ある日は、米兵から奪い取ったサブマシンガンで3人の米兵を一度に倒し、左足と両腕を負傷した状態で、銃剣で1人刺殺し、サブマシンガンを手にしていたもう1人に、その銃剣を投げて顎部に命中させました。
まさに鬼神の如き奮戦です。

舩坂軍曹を見た分隊員は、舩坂を「不死身の分隊長」、「鬼の分隊長」と形容したといいます。

しかし、食料も水もない状況での戦いです。
洞窟の中は自決の手榴弾を求める重傷者の呻き声で、生き地獄の様相でした。
舩坂軍曹自身も、敵の銃弾が腹部を貫通する重傷を負い、もはや這うことしか出来なくなってしまっていました。

さらに腹部の傷が化膿しました。
そこにハエがたかって蛆(ウジ)が湧きました。
舩坂軍曹は、蛆に食われて死ぬくらいなら最早これまでと、ついに自決を決意しました。

このときの舩坂の体調は、死の瀬戸際です。
立って歩けない状態になっていることはもとより、極度の栄養失調と失血で、両目もほとんど見えなくなっていました。
そんな中で彼は遺書を書きました。
==========
若年で死ぬのは、親孝行できず残念です。
靖国に行ってご両親の大恩に報います。
国家危急存亡のときに、皇天皇土に敵を近ずけまいと奮戦したのですが、すでに満身創痍となりました。
天命を待たず、敵を目前にして戦士するのはくやしいけれど、すでに数百の敵を倒したので、自分は満足しています。
七たび生まれ変わって、国難を救わんと念願し、いま、従容として自決します。
思い残すことはありません。
 陸軍軍曹 舩坂弘

【原文】
若年ニテ死スハ、考ノ道立タズ遺憾ナリ。幸イ靖国ノ御社ニ参リ、御両親ノ大恩ニ報ユ、今ヤ国家危急存亡ノ秋ニ、皇天皇土ニ敵ヲ近ズケマイト奮戦セルモ、既ニ満身創痍ナリ、天命ヲ待タズ、敵ヲ目前ニ置キ戦死スルハ、切歯扼腕ノ境地ナレド、スデニ必殺数百ノ敵ヲ斃ス、我満足ナリ。七度生レ国難ヲ救ハント念願ス。今従容ト自決ス、思ヒ残スコトナシ
==========

自決を決意した舩坂軍曹は、手にした手榴弾を引き抜きました。
手榴弾は、引き抜いたら数秒後に爆発します。
ところが手榴弾が爆発しない。
思いに反して手榴弾が不発だったのです。

「なぜ死ねないのか、なぜ死なせて貰えないのか」
舩坂はこのとき、深い絶望感を味わったそうです。

このときも洞窟には、絶えず米軍の爆撃・砲弾の音と振動がこだましていました。
周囲は、傷の痛みに呻く声が満ちています。

数時間、茫然自失の状態に陥った舩坂は、絶望から気を取りなおしました。
「どうせ死ぬならその前に、せめて敵将に一矢報いよう」
彼は、米軍司令部への単身での斬り込みを決意したのです。

彼は拳銃弾から中の火薬を取り出しました。
そして、その火薬を腹部の患部に、自分の指で押し込みました。
そして火をつけました。
貫通創です。
腹部の前からうしろ(背中)に向けて穴が空いています。
その両側から炎が噴き出しました。
激痛のあまり意識を失いました。
このときは、半日ほど死線を彷徨したそうです。

意識を取り戻した舩坂軍曹は、まだ傷口が痛むなか、体に手榴弾6発をくくりつけ、拳銃1丁を持って、洞窟を這い出ました。

当時、米軍指揮所周辺には歩兵6個大隊、戦車1個大隊、砲兵6個中隊、高射機関砲大隊など、総勢1万人が駐屯していました。
そのまっただ中を、舩坂はまる4日かけて、這い続けました。
米軍前哨陣地を突破し、指揮所周辺さえも突破してしました。
そして米軍指揮所テントにあと20Mの地点にまで到達しました。

舩坂軍曹は、米軍指揮官らが指揮所テントに集合する時に突入しようと決めました。
しばらくすると、テントにジープが続々と乗り付けてきました。
指揮官たちが集まったのです。

舩坂軍曹は、右手に手榴弾の安全栓を抜いて握りしめました。
左手に拳銃を持ちました。
そして全力を絞り出して立ち上がりました。

このとき、突然、茂みから姿を現した異様な風体の日本兵に、発見した米兵もしばし呆然として声もでなかったそうです。
それはまるで、半ば腐りかけた屍体が、いきなり立ち上がったような、この世のものではないものにしか見えなかったからです。

それもそのはずです。
このときの舩坂軍曹は、すでに左大腿部裂傷、左上膊部貫通銃創2箇所、頭部打撲傷、右肩捻挫、右足首脱臼、左腹部盲貫銃創など大小合わせて24箇所の重傷を負い、更に連日の戦闘による火傷、全身20箇所に砲弾の破片が食い込んでいたのです。
全身血まみれ、服はボロボロ。
人間に見えるほうが不思議なくらいです。

米軍の動揺を尻目に、舩坂は司令部目掛け渾身の力で20Mを駆けました。
そして指揮所テントに到達し、手榴弾の信管を叩こうとしました。

その瞬間、頸部を撃たれました。
舩坂軍曹は気を失って倒れました。

倒れた舩坂軍曹のまわりに、米兵たちが集まりました。
どう見ても即死です。
全身血まみれで首を撃たれているのです。
生きていると思うほうがどうかしています。

駆けつけた米軍軍医も、死亡と判断しました。
軍医は、手榴弾と拳銃を握りしめたまま離さない舩坂の指を一本一本解きほぐしながら、米兵たちに向かって、
「これがハラキリだ。日本のサムライだけができる勇敢な死に方だ」と語ったそうです。

舩坂軍曹は、死体置き場に3日間転がされました。
そこでなんと舩坂軍曹は、息を吹き返したのです。
そして死体の山の中からむっくりと起き上りました。
番をしていた米兵は、あまりの恐怖に血が凍りました。
そして舩坂軍曹に銃口を向けました。

その銃口に、舩坂軍曹は、ゆっくりと、まっすぐに向かいました。
そして銃口に自分の身体を押し付けました。
そして幽鬼のような声で、英語で「撃て! 殺せ! 早く殺せ!」とうなり声をあげました。

不死身の日本兵の話は、アンガウルの米兵の間で瞬く間に話題となりました。
米軍は、舩坂軍曹に、舩坂に「勇敢なる兵士」の名を贈り、彼を野戦病院で手厚く看護しました。

元アンガウル島米軍兵であったマサチューセッツ大学教授のロバート・E・テイラーは、戦後舩坂宛ての手紙の中で、
「あなたのあの時の勇敢な行動を私たちは忘れられません。あなたのような人がいるということは、日本人全体の誇りとして残ることです」と、讃辞の言葉を送っています。

こうして一命を取りとめた舩坂軍曹は、米軍の治療で数日で歩けるまでに回復しました。
そして、となりのペリリュー島に送られました。
闘志の衰えない舩坂は、そこに居並ぶ米軍の飛行機を見て「よし!いつかはあの飛行機をすべて破壊してやる」と心に誓いました。

ペリリュー島に送られた2日目、重傷者であり監視が甘かったのを幸いに、舩坂軍曹は夜陰にまぎれてこっそり収容施設を抜け出しました。
ちょうどペリリュー島の日本軍最後の拠点である大山が占領された前の日の夜のことです。

舩坂軍曹は、千Mをほふく前進しました。
そして途中にあった日本兵の遺体の弾丸入れから、彼は小銃弾を67発集めて火薬を抜きとりました。
その火薬を導火線にして、彼は米軍の火薬庫に火をつけました。
火薬庫は大爆発を起こしました。
炎は次々に別の棟へも移りました。
これによって、ペリリュー島の米軍火薬庫の弾薬はすべて燃え尽きてしまっています。
米軍は、犯人不明でこの事件を迷宮入りさせました。

舩坂軍曹は、そんな火薬庫の爆発を見届けると、こっそりとまた収容所に戻りました。

収容3日目の夜、舩坂はこんどは歩哨を殺して銃を奪った舩坂軍曹は、再び夜陰にまぎれながら歩哨の背後に忍び寄りました。
あと5メートル。
そのとき真後ろからいきなり、「ヘーイッ!」とタックルをくらいました。
舩坂軍曹も必死に抵抗しましました。
相手は大柄ですが、健康なときならいざしらず、まだ怪我の治らない舩坂軍曹は、ついにはぐるぐる巻きにされ、収容所の柱にくくりつけられてしまいます。

タックルをした米兵の大男は、顔を真っ赤にして「死に損ないの気狂いめ」と英語で罵りました。
そして舩坂軍曹に銃を向けました。
殺される。
そのとき舩坂軍曹は、「これで楽になれる」と思ったそうです。
そして目を閉じた。

ところが舩坂軍曹の耳に、次に聞こえたのは銃声ではなく、たどたどしい日本語でした。
「アナタハ神様ニマカセナサイ。
 自分デ死ヲ急グコトハ罪悪デス。
 アナタハ神ノ子デス。
 アナタノ生キルコト、死ヌコト、神様ノ手ニ委ネラレテイマス」
日本語を話すその大男は、舩坂をそのままにしてテントを出て行きました。

翌日、縄を解かれて放置された舩坂軍曹は、懲りずに飛行場炎上計画を練り始めました。
そして炊事係の朝鮮人のおっさんを煙草で釣って、マッチを一本ずつ手に入れます。
マッチがたまったある日、以前自分を捕まえた大男がジープに乗ってどこかへ出かけていくのが見えました。
歩哨にそれとなく聞くと、明日まで帰らないといいます。

「今夜こそがチャンス」
舩坂軍曹は、その夜秘かにテントを出ました。
そしてほふく前進しながら、有刺鉄線を越えようとしました。

「よし、あとすこしだ。」
そう思って頭を上げたとき、そこに例の大男が立っていました。
舩坂は拳銃を突きつけられ、テントに戻されます。

「殺せ!」と英語で怒鳴る舩坂軍曹に、大男はこう言いました。
「アナタガ歩哨ニ私ノ日程ヲ、タズネタコト、私ニ連絡キマシタ。
 アナタガ何カ計画スルトシタラ今夜ト思イ、
 私ハ仕事ノ途中ダケレド、切リ上ゲテ帰ッテキマシタ」

そして以前同じ箇所から脱走しようとした日本兵が射殺されたことを話して、こう続けました。
「アナタハ私ガ帰ッテコナケレバ、即座ニ射殺サレタコトデショウ。
 私ハソレガ心配デ大急ギデ帰ッテキタノデス。
 無事デヨカッタデス」

さらに大男は、舩坂の無謀な行動を戒めました。
そして「生きる希望を捨てるな、死に急ぐな」と説きました。
大男は、「アナタニハ私ノ言ウコトガワカラナイカ」と問いました。
舩坂軍曹は「わからない」と意地を張りました。
けれど舩坂軍曹の心に、その大男の人間味あふれる言葉が心に沁みていました。

舩坂軍曹ら捕虜は、ハワイへ送られることになりました。
一団を乗せた上陸用舟艇がペリリュー島を離れようとしたとき、いつもの大男がやってきました。
彼は言いました。
「軍曹、死ンデハイケナイ。
 生キテ日本ニ帰リナサイ。
 私ハ軍曹ガ無事ニ日本ニ帰レルヨウ、神ニ祈リマス」

そう言って彼は一枚の紙片を舩坂軍曹に渡しました。
そこには彼の名前が記されていました。
「F.V.CRENSHAW」

舩坂軍曹は、その名詞をポケットに入れました。
けれど、次の収容所でMPに取り上げられてしまいます。
舩坂軍曹は、ペリリュー島捕虜収容所から、グアム、ハワイ、サンフランシスコ、テキサスと終戦まで収容所を転々としました。
そして昭和21年に帰国しました。

帰国した舩坂軍曹は、栃木の実家へと帰りました。
実家では、舩坂軍曹は、戦死したものと思われていました。
アンガウル島守備隊が玉砕したのは、昭和19年10月19日のことです。
昭和20年12月には、舩坂軍曹の実家に、戦死公報が届けられていたのです。

ボロボロの軍衣で帰還した実家で、御先祖に生還の報告をしようと仏壇に合掌したら、仏壇に真新しい位牌があって、そこに「大勇南海弘院殿鉄武居士」と戒名が書かれていたそうです。
「弘って字があるけど、これって俺のこと?」

村の人々も、帰ってきた舩坂元軍曹の傷だらけでボロボロの姿を見て、これは幽霊に違いないと噂したそうです。
しばらくのあいだ、彼は「物の怪」と思われていました。
だから、彼が故郷に帰って最初にした仕事は、「舩坂弘之墓」と書かれた墓碑を引き抜くことだったそうです。

戦後、舩坂元軍曹は、焼け野原となった東京・渋谷駅ハチ公前の養父の地所に、わずか一坪の書店を開きました。
そしてこの小さな書店が、後に日本で初めて建物を全て使用した「本のデパート・大盛堂書店」に発展しました。
彼は書店経営の傍ら、
「英霊の絶叫・玉砕島アンガウル戦記」
「血風 二百三高地」
「ペリリュー島 玉砕戦」
「サクラ サクラ ペリリュー島洞窟戦」
「硫黄島‐ああ!栗林兵団」
「殉国の炎」
「聖書と刀‐太平洋の友情」
「関ノ孫六・三島由紀夫その死の秘密」などの本を著わしました。

また剣道を通じて親交があった三島由紀夫には、自慢の愛刀、関の孫六を贈ったりもしています。
関の孫六は、のちに三島割腹自殺の際の介錯に用いられた刀です。

また、ペリュリューで世話になった大男、CRENSHAW伍長にも何とか連絡を取りたいと考え、米軍関係者になんと110通もの手紙を出しています。
ようやく連絡がとれたCRENSHAWとは、生涯の友となりました。

舩坂軍曹は、アンガウル島に鎮魂のための慰霊碑を建立し、以後、戦記を書いてはその印税を投じて、ペリリュー、ガドブス、コロール、グアム等の島々にも、次々と慰霊碑を建立しました。
書店経営の忙しさの中で、アンガウル島での遺骨収骨と慰霊の旅を毎年欠かさず行いました。

さらに他の遺族を募って、慰霊団を引率したり、パラオ諸島原住民に対する援助や、パラオと日本間の交流開発などを精力的に行ないました。

舩坂弘さんが築いたアンガウルの慰霊碑慰文には、次のように記されています。
-----------------------
尊い平和の礎のため
勇敢に戦った守備隊将兵の冥福を祈り
永久に其の功績を伝承し
感謝と敬仰の誠を此処に捧げます。
-----------------------



パラオは、ここ数年来、ペリリューやアンガウルの島内にある日本の碑文に、ハングルや簡体字によるひどい落書きが目につくようになりました。
また、碑文や戦跡に行くための日本語の案内板は、倒されたり、方向を変えられたりもしています。

今回の天皇皇后両陛下のパラオご訪問で、パラオの人々がこうした落書きを消したり、倒された案内板を復旧したりしてくれたようです。
ありがたいことです。

パラオ、ペリリュー、アンガウルで散って行かれた英霊の皆様に深く哀悼を意を表するとともに、かつて同胞であったパラオの人々に、心からの感謝を申し上げたいと思います。


※この記事は、2009年11月の記事をリニューアルしたものです。

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コメント
これぞ…
これこそ、戦争関連として世に語り継ぐお話ですね。

平成の御世まで生存なさった船坂氏は、平和ボケしていく日本国民をどのような視点でご覧になっていらしたのか…と思いました。

あらがえない時代と常識を見つめ、心中穏やかな晩年ではなかったろうに…などと邪推してしまいます。

天皇皇后両陛下は、現代日本人に目を覚ましてもらいたい意味もあって、慰霊の旅をお続けになられているのでは…と思ったりもしています。
だって、たとえ捏造報道であっても、その地がメディアで話題になって歴史が語られることには間違いないのですから。
2015/04/14(火) 14:24 | URL | 愛知のおばさん #-[ 編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2015/04/11(土) 17:53 | | #[ 編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2015/04/11(土) 12:42 | | #[ 編集]
No title
 唯唯、こうべを垂れずにおれません。

 そして、この度の天皇皇后両陛下のパラオ御行幸の際し、テレビ画像の
 上からと言う失礼ながらも、両陛下と共にパラオ守備隊の英霊に
 心から手を合わせ、哀悼の祈念を捧げさせて頂きました。
 本当に、本当に有難う御座いました。。。。。
2015/04/11(土) 10:32 | URL | 吉法師 #-[ 編集]
ペリリユー島の戦い
普通の常識で考えて3日で占領できると思われていた
ペリリユー島が陥落したのは壮絶な戦いの末、
2ヵ月半が経ってからでした。

激しい戦闘にもかかわらず、島民を戦火に巻き込まないよう
島を避難させた結果、現地島民899名全員の人命が救われています。

1944年7月7日に米軍が上陸作戦を開始してから
度重なる呼びかけにも応じず
最後まで戦い続けた日本兵が収容されたのは
終戦後の1947年4月21日の事です。

最後まで生き地獄を戦い続けたのは
手の届かない高高度から武器を持たない
女性・子供・お年寄りをターゲットにした米軍重爆撃機を
日本本土に近づけさせないようにするためにです。

日本軍は武器を持った敵に対しては勇敢に戦いましたが、、
武器を持たない民間人に対してはとても優しかったということです。

日本軍が武装解除した為に、火事場泥棒的に
奪われた北方領土や竹島は別として、

正々堂々と勇敢に最後まで日本軍が戦った結果、
日本が植民地にされ奴隷にされることもなく、
米国からは領土の割譲どころか戦後賠償すらありませんでした。

今の日本の独立や繁栄や平和があるのも、
過去に国を守ろうとした多くの先人が
いたことを忘れてはいけません。
2015/04/11(土) 07:19 | URL | 尊い平和の礎のため #-[ 編集]
No title
パラオ共和国顧問であった、故イナボ・イナボさんが平成7年8月15日に
靖国神社を参拝された時のお話された映像が、ユーチューブにアップされて
います。小さい時に学ばれた日本語でお話されています。
わたしの島。私は戦闘に参加しました。・・私の戦友は戦争はおわります。
靖国に会いにきてくださいと。天皇陛下万歳。おかあさん。と・・自分の
国のために命を捧げて、短い人生を捧げて・・・(終戦記念日の靖国神社に)
若い人達がいません。なんでですか?靖国神社をお参りしてください。
別の所で拾った話。パラオ共和国が独立した平成6年。当時の村山総理から
は、なんの祝辞も無かったそうです。不義理ではありませんか?村山さんは、
謝罪を連呼していますが、本心は中韓意外ど~でもよいのでは?というのも、
それ以外の国では不当な要求はあまりありませんよね?捏造でコレから工作
されない様検討すべきではありますが。
ペリリュー島は、3日で占領するはずが2ヶ月半にもおよび、天皇の島から
我々の島に移ったと米軍ムラー少将が宣言したとか?言われてますね。それ
ほど米軍の消耗は著しかったようで、精鋭部隊の半数が死傷したそうです。
日本は、組織的玉砕を持久戦に変え、これが後の硫黄島や・・多分ベトナム
での戦争に影響したらしいと・・。
今回の皇室のご訪問は善き事だとは思いますが・・後手にまわってしまった
感がします。残念ですが。2013年11月のパラオの台風被害には、義援
金4025万96円をパラオ政府救援基金に集まったそうですね。そんな時
にメッセージをお伝えになっていれば・・などとも思ったりするわけです。

2015/04/11(土) 05:33 | URL | くすのきのこ #-[ 編集]
ねずさん、いつもありがとうございます。
さて、今回の陛下のペリリュー島ご訪問のまえにこのblogに巡りあっていて本当に良かったと思っています。そうでなければ、なぜ、天皇陛下万歳と言って死んでいったのか、ずっと深意はわからないでいましたし、毒された新聞を購読していたため、当然今回のご訪問も斜に構えて見ていたのではないかと、簡単に想像がつきます。
そして、英霊に感謝です。
10年前のサイパンご訪問時は何も知らないでいました。今回のパラオご訪問では、年数が経っているのに逆に多くのことを知ることができました。
2015/04/10(金) 14:47 | URL | 菊 #J9KrKsHg[ 編集]
No title
パラオを訪問された天皇、皇后両陛下はペリリュウ島からアンガウル島の方に向かって慰霊をされていました。

アンガウル島で戦没された方々も、喜んでおられると思います。



AIIBについて麻生副首相は、不透明な融資審査基準や過剰融資に懸念を示して参加しない旨を説明しました。

麻生氏は言葉がハッキリしていて分かりやすいのですが、その内容も国民の税金を大切にしていますから支持できるものです。
逆に言えば、中国がAIIBを不透明なままで運用することを表明しているときに、日本の民間企業が中国に進出をして失敗した場合は助けないと言うことでもあります。

今どき日本からのこのこ中国に進出する企業などないとは思いますが(何ヶ月か前に、ハローキティパークが開園しました。)、その行く末を見守りたいと思います。


考えてみれば、2002年に開催されたFIFAワールドカップは日韓の2カ国によるものでしたが、日本が韓国に300億円の貸し出しをしたまま、その返却をされていません。
そして韓国は、この貸し出しがあったことすら覚えていない気がします。

このような国が含まれているのに、AIIBが国際開発銀行としての機能が正常に働くとは考えられません。
2015/04/10(金) 14:10 | URL | ポッポ #-[ 編集]
No title
日本兵の強さは世界常識です。その中でも鬼の分隊長殿はトップクラスのサムライです。

* * *
余命時事記から引用....兵の強弱と全滅の定義(遺稿記事)

兵の強弱を語るとき常に最初に出てくるのは日本兵最強説である。これは欧米等しく認めるところである。そして逆に語られるのが中国、韓国兵最弱説である。
 これは日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦及び、その間の事変、争乱において、世界各国が評価しているもので自画自賛ではない。

一方で中国兵といえば兵といえる代物ではなかった。日中戦争は中国軍敗走の歴史であった。また韓国軍にしてもまったく同様で、朝鮮戦争においては、その無様なありさまに実質米軍は崩壊、3万もの犠牲を出してしまったのは主として韓国軍のだらしなさにあったといわれている。
 兵の強弱は肉体的資質ではない。とくに近代戦になれば個々が肉弾相打つような戦闘は皆無だ。そういう中では義務感と責任感をいかに持って精神的に耐えるかという資質が問われる。
 そこの資質がしっかりしていると敵の強弱は問題でなくなる。逆にそこが弱いと、強い敵にはひれ伏し,逃げ惑い、弱い敵には残虐、非道、蛮行のやり放題という現象を引き起こす。中国の通州事件や韓国の日本人に対する戦後の蛮行やベトナム戦争におけるライタイハン事件はその典型だ。(中略)

資質の問題は戦闘そのものについて大きな影響を与える。戦闘部隊が交戦において被害を受けたとき、その被害状況の認識、判断をするのは総合的な状況を把握できる部隊中枢であるが、現実には前線戦闘部隊の兵士の戦意にもろにあらわれる。
 欧米において特に英独仏の陸戦においては被害の程度をランク付けし、それに応じた作戦を立てていた。そのランクにおいて死傷3~4割を超えるとこの部隊は全滅と判断される。物理的な兵員の損害の問題ではない。部隊としての戦闘能力がなくなればその判断は当然のことだ。

ところがその常識が通用しない軍隊がいた。それが日本軍だ。その玉砕戦闘は世界に例がない。これは教育ではなく民族気質だから現状の自衛隊にも延々とつながっていることは間違いない。味方にすると最強。敵に回してしまうと最悪の軍。これが日本軍なのだ。
 全滅の定義は各国の軍、それも陸海空でそれぞれ違う。仮想敵国の陸軍と戦闘が予測される場合、相手国の全滅指数が3割であれば、初戦奇襲をもって1~2割を殲滅し、以降1割の殲滅に全力をあげるというのが通常の戦術だ。これであいて部隊は戦闘継続意欲と戦意を喪失する。ところが玉砕日本軍はそうはいかない。実質、日本軍殲滅は不可能だ。

日華事変当時、日本軍は中国軍との戦闘に5倍、10倍の兵力差は気にしなかったという。つまり全滅指数は2割弱ということだ。韓国軍については、一時は日本軍として戦った経験から見ると1割もないだろうといわれている。***
2015/04/10(金) 11:44 | URL | 鬼子 #-[ 編集]
No title
涙が止まらず
日本人の心が
自分を変えないと
思いやり
感謝の気持ち
2015/04/10(金) 09:57 | URL | aジージ #-[ 編集]
No title
 驚くべき闘志。日本を守るために死闘を繰り広げた先人にただただ感謝あるのみです。
2015/04/10(金) 09:27 | URL | タイガー #-[ 編集]
No title
>パラオは、ここ数年来、ペリリューやアンガウルの島内にある日本の碑文に、ハングルや簡体字によるひどい落書きが目につくようになりました。
>また、碑文や戦跡に行くための日本語の案内板は、倒されたり、方向を変えられたりもしています。

朝鮮人や中国人、自国の戦没者慰霊碑に落書きをされたらどう思うのか聞きたいです。
「己の欲せざるところは人に施すことなかれ」という名言はどこにいったのでしょうか。
中国・朝鮮に行きたいとは思いませんが、それ以上に彼らの戦没者慰霊碑に落書きをしたいとは思いません。犯罪以前の問題です。

>今回の天皇皇后両陛下のパラオご訪問で、パラオの人々がこうした落書きを消したり、倒された案内板を復旧したりしてくれたようです。
>ありがたいことです。
本当にありがたいことです。
そもそも、両陛下が戦いで亡くなった方々のことを気にかけてくださり、彼らが亡くなられた地へと足を運ばれたことがありがたくて胸を打ちます。
皇室は我々国民のことを思っていてくださるということがわかるエピソードです。
2015/04/10(金) 08:18 | URL | 我が名はアナナマス・・・って匿名希望じゃん、ヲイ! #-[ 編集]
No title
日本らしさがよみがえる!

5つの方針×5つの政策(中間仮提案)
http://www.geocities.jp/burke_revival/platform240616.htm
2015/04/10(金) 07:09 | URL | junn #p4GOlP7Y[ 編集]
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小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
静岡県出身。国史啓蒙家。倭塾塾長。日本の心をつたえる会代表。日本史検定講座講師&教務。
連絡先: nezu3344@gmail.com
著書
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』第1巻〜第3巻
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』
日々、先人たちへの感謝の心でブログを書き綴っています。それが自分にできる唯一のお国への、先人たちへの、そしていま自分が生かさせていただいていることへのご恩返しと思うからです。こうしてねずブロを続けることで、自分自身、日々勉強させていただいています。ありがたいことです。

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サンフランシスコ講和条約で、日本は台湾に関して処分権は連合国に提供しましたが、領土の割譲は行っていません。条約以降、連合国も日本も台湾の処分先を決めていません。つまり台湾はいまも日本であり、台湾にいる1500万人の戦前からいる台湾人は、日本国籍を有する日本人です。私は台湾民政府を支持します。
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いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

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