現代教育の問題点と百人一首書評 - ねずさんのひとりごと

現代教育の問題点と百人一首書評

2015年07月05日05:41  百人一首 写真あり

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20150703 百人一首


拙著『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』について、「現世を思考で漂流する黄色いひよこ」さんが、たいへんおもしろい書評を書いてくださいましたのでご紹介します。

前段のところで、古典の授業のことなどが書かれていますが、このくだりは、私もまったく同じで、中学高校時代、古典の授業の時間は部活のための貴重な睡眠時間でした(笑)
実は、これはとっても不思議なことでした。

と申しますのは、私が中学、高校時代、いっこうに成績のあがらない私に、親父も母も叔父叔母も、古典の授業は「とても面白いだろう?」というのです。
そして「いまでも覚えているぞ」と言いながら、詩歌をスラスラと暗誦したりしていました。
ですから、「いや、古典はぜんぜん眠いし」というと、実に不思議そうな顔をしていました。

そういえば、特攻隊員や昔兵隊さんだった人の手記を読むと、兵舎の中で万葉集や古今和歌集をたいせつな宝物として読んでいたという話が随所に出てきます。

この百人一首の書評を読むと、「ああ、現代人はみんなそうなんだなとわかります」、そして「なぜなのか」という現代教育の大きな問題点の一部を感じ取っていただくことができるかもしれません。

******
【五冊目・ねずさんの日本の心で読み解く百人一首 小名木善行】
http://ncode.syosetu.com/n3617ck/5/

中学生になると古文というものが授業に登場します。
その中の一環として和歌というものを習います。
五七五七七のリズムで整えて自分の言いたいことを文字に託す。
そのお手本というか、昔の人はこういうことを考えていましたと教えられるのがかの有名な百人一首です。
千年以上前の昔の日本にはこういう文字文化があり、それが今現在にも生きています。

私の場合は百人一首のうち、この人とこの人の歌はテストにでますから丸暗記しましょうとそんな感じでした。
当時の私はこの古典についてはまるで関心がなく、かるた取りもしない。
あくまでテスト用の学問と割り切っていました。
第一授業がおもしろくなかったです。
大体古文や国語の先生って気弱そうで大人しい人多くないですか?
この日本語がいい、この文体がいい、この文学がいいぞと熱く語れる先生は残念ながら私の人生には登場してくれたことはない。

百人一首、当時から想像力だけはたくさん持っていたので、これって妖怪ぽい名前だよな、とノートの裏に一つの首に百通りの顔を持つ妖怪を描いたりしていました。
ひゃくにんいっしゅ……そのオドロオドロシイ響きにうっとりする私。
王朝時代の雅な感覚はまるで待ち合せず、古文の先生の授業にも魅力を感じず専ら落書きするか、せっせと何か物語を作っていた私。

ただ当時からこれっておかしいよな、という感覚はありました。
大体坊主なのになぜ恋の歌?
高貴な身分の人なのにどうしてこういう女々しいみじめったらしく思える歌を詠む?
紅葉や雪景色を詠うものはよいとは思うがそれがどうした?
なぜいちいち恋愛に結び付けて解釈しないといけないの?
昔の貴族は全員色キチかよ?という感覚……

古文の先生もおっしゃっていましたよ。
王朝文学はとにかく恋の歌が多いです。
一夫多妻制でしたし当時の支配層にいる人はそんなことばかり考えていたのでしょうね、とあっさり笑っていましたし。

恋する相手がこないからって袖を濡らす。
一晩中泣く、年老いて哀しい、もののあわれを感じてどうのこうのって当時の貴族はよっぽどヒマだったのだな、庶民をあくせく働かせてその上がりでエバリまくって生活している支配階級のエライ貴族様。
その実態は恋愛のことで頭がいっぱい。

あの短い五七五七七のリズムで自分の言いたいことを短い単語を連ねてしかもズバリ言わない。
はっきりモノをいうと下品とされていたのだろうな。
その文面外の感情を読み取れる人はどうぞ読み取ってちょうだいという推測の文学。
この推測っていうものがもう嫌で嫌で。

当時の私にとっては王朝文学はシーラカンスと同じです。
勝手に好きなように解釈してくださいと言われるならまだしも下二段活用他無数にルールがあってそれがどうしたと怒鳴りたくなるぐらいにめんどくさい。
和歌を詠んだ歌人もまさか千年後に下々から(私のことね)こういう文句が出るとは思っていなかっただろう。
でも今もなお古文に興味のない学生にとってはテストの教材でしかないのは事実。

以上、当時の百人一首の作者が私の感情を知ったら憤死するようなことを考えていました。
そのくらい私には百人一首に惹かれるものはなかったのです。
百人一首で私が熱くなれるのは坊主めくりぐらいでした。
こんなもんだわと。

しかし。

時は来たり。
百人一首の新解釈をする人が現れました。
その人はそれをまとめて本を出されました。
それが題名の本です。

小名木善行の名前は数年前に知りました。
彼のHPをのぞいてみてちょっとした衝撃を受けました。
元々は国史学の学者さんのようです。
私の知らない日本史をよくご存じでそれを無料で公開しておられたのです。
彼のHPを見て感動していなければ、そして彼が書いたものではなかったら私は百人一首の本なんか読まないでしょう。(そのくらい百人一首とは縁がなかったということです)

分厚いうえに値段も高い。
私が貧乏学生だったら買わないで立ち読みするだろう。
図書館で順番待ちをして読むだろう。

だけどこれは言える。
立ち読みで読んでいても心ある人ならば絶対に手元に置いておきたい本になる。
なぜならば今まで習っていたこと、うろ覚えながら解釈していた名句がまったく違う意味を持って説明されていたからです。

大体小倉百人一首は藤原定家が編集したと言われています。
掲載される和歌の順番を巡っての解釈、詠まれた当時の政治背景や詠み人の状況など詳細に説明したものを素人にもわかるような本というのは今までになかったことです。
(小説家がわかりやすく想像を交えて書いたエッセイは読んだがあくまで読物という扱いですね)

物事は最初と最後が肝心といわれています。
この百人一首もそう。どういう意図を持って誰の句を冒頭にもっていき、誰の句を最後のトリにもっていったか。
その理由が明確に記されたものはなかったように思います。
これを私のような和歌に無教養なド素人でもわかるように説明されています。

一読してこれって受験勉強には役立たないが日本を愛する日本人には役立つわ。
最初から真面目に読もう、読まなきゃと思いました。
多分編集した定家も千年前からいる草葉の陰からやっとわかってくれたかよ?と安堵しているかもしれません。
無教養な私にとってはまことに衝撃的でまさに目からウロコの解読書だったのです。

当時の定家も編集意図など最初からしっかり説明してくれたら、何も義務教育の子供たちや受験勉強用もしくはかるた取りや遊びにだけの割り切りで世の中に浸透することはなかったとも思います。
このねずさん(小名木氏の別名がねずさんというらしい)が出してくれて遅くはなかった。
私の生きているうちに百人一首の正当な解釈をした本を読めてよかったと思っております。

まずは飛ばしよみで好きな句があればそこから読んだらいい。
これは教科書でもないし、テスト用の本でもない。
気楽に読んだらよい。
浅く読むのも深く読むのも買った人の自由。
そして今住んでいる日本を改めて好きになってかつ誇りに思える愛国の本です。

ちなみに愛国といえば右翼、という固定観念は間違いです。
最初の最初は持統天皇が愛国という文字を用いられたとか。
由来には感動の物語がこめられています。

ねず先生はこの本を通じて著名な和歌にこめられたメッセージを掘り起こしておられます。
今回私は和歌に今まで興味を持たなかった人にご一読をすすめたいと思って書きました。

*****


たいへんありがたい書評をいただきました。
ちなみに私は学者ではありません(笑)

書評は、あちこちでたくさんの方に書いて頂いているのですが、今日、この書評をご紹介させていただきましたのは、実は、本のあとがきにも書いたのですけれど、多くの学生諸氏の古典の授業に関する、これが実感ではなかったであろうかと思ったからです。
私もそのひとりでした。

仲の良かった同級生は、「だから古典は嫌いだ」と言っていました。
「テストのとき、文法は暗記すればなんとかなるけれど、歌や言葉の意味はさっぱりわかならない」と言っていました。
私の場合は、不思議なことに、古典の言葉の意味は、現代文と同程度とまではいきませんが、何故か普通に読み取ることができました。

一方、文法はさっぱり理解できず、普通に読めばちゃんとわかるのに、どうして「けり・けら・けり・ける・けれ」とか、まる暗記しなければならないのか、その理由がさっぱりわからず、だから全然テストのための勉強をする気になれませんでした。
おかげで、古文の意味は、旧友はさっぱり理解していないにもかかわらず、テストの成績は、いつも彼の方がよかったです(笑)

百人一首は、偉大な政治家であり、また偉大な歌人でもあった藤原定家が、その晩年に彼の人生の全てを賭けて編纂した一大抒情詩です。
彼は、その編纂に最後の人生の全てを賭けて、まる四年の歳月をかけてこれを編纂し、そして完成と同時にその人生を終えています。
まる四年です。それ以前に「百人秀歌」を編纂していたにもかかわらず、それだけの歳月をかけたのです。

私は、百人一首を読むには、その藤原定家の編纂の思いを抜きにしては、この歌集を読むことはできないと思います。
ですから、それぞれの歌は、歌の意味と、その歌人が、なぜそのような歌を詠んだのかという視点だけでなく、藤原定家がどうしてこの歌をここに載せたのかという視点も含めて鑑賞すべきと思っています。
それが、古今集や万葉集とはまた異なる、「百人一首の読み方」だと思います。

そして定家の死とともに箱にしまわれた百人一首は、230年の時を経て、戦国時代に見事に蘇り、秩序の混迷した戦乱の世を終わらせるために大きな働きをしました。

いまの世は、その戦国の世と同じ、価値観や秩序の崩壊した世であると思います。
なぜなら、伊勢神宮の式年遷宮が国費をもって行われなかった時代というのは、戦国の世の百年と、戦後の70年の二つの時代しか、我が国の歴史に存在しないからです。

「いま、あらためて百人一首を読む」
そのことは、日本をきっと価値観の混乱から救い、日本を、そして世界を目覚めさせることになると、すこし大げさに聞こえるかもしれませんが、私は本気で、そのように確信しています。

そしてもうひとつ申し上げるならば、教育は、反日化すればするほど、生徒たちは学校から離れていくし、左傾化すればするほど、授業がおもしろくなくなるということです。
そして生徒たちの瞳に白い膜がかかるようになる。

小学校の集団登下校をみたら一目瞭然です。
左傾化し、反日化した学校の生徒達は、同じ集団登下校でも、まるで葬列のようです。
一方、わりと保守的といわれている学校(日教組の影響の少ない学校)では、生徒たちが活き活きとしています。

信じられないかもしれませんが、支那では昔、「16歳までの子供には魂はなく、痛みも感じない」と信じられていました。
これは支那を紹介した複数の本にそのような紹介がありますし、いまでも下層においては、こうした習慣が残っているといいますから、信じたくないですが、たぶん本当のことであろうと思います。
ですから、親が子を殺す、食べる、売るは、ごく日常的なあたりまえのことだともいいます。

私達日本の大人は、日本もそのような国にしたいのでしょうか。
きっと誰もが答えは「NO」だと思います。
けれど、国会論戦などみていると、日本人の劣化、日本人の支那朝鮮人化は著しいように感じます。

子は、国の宝です。そして日本では、子は親の宝であり、国の宝であり、陛下の宝とされてきました。
親にとって、子ほど大切な存在はない。これは人間の本能だと思うし、日本人にとってごくあたりまえの精神です。
そういう日本を大事にしたい。
しっかりと保ち守りたい。
そう思うのです。
そのために『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』があります。

末尾になりますが、この書評を書いてくださった七篠様をはじめ、Amazonその他に、書評を書いてくださったみなさまに、心からの感謝を申し上げます。
ありがとうございます。


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