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クーデンホーフ光子

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クーデンホーフ光子
クーデンホーフ光子01


フランスのパリにあるゲラン社(Guerlain)は、メイクアップやスキンケア、フレグランスの老舗メーカーとして有名です。
このゲラン社の販売する香水の中に、「ミツコ(MITSOUKO)」という製品があります。
ゲラン社のHPには、この「ミツコ」について、次の記述があります。

 *
1919年、ヨーロッパが日本ブームの真っ只中にあり、極東の文化が人々を魅了していた時代。
ジャック・ゲランは新しく創作した香りを「ミツコ」と名付けました。
それは小説『ラ・バタイユ』のヒロインの名。
慎ましやかでありながら、強い意志を秘めた女性をイメージした香りです。
 *

『ラ・バタイユ』は、日本語に訳したら「戦闘」になります。
この小説は、クロード・ファレールが1909年に出版したもので、1905年の日露戦争が題材で、映画化もされました。
ヒロインの名前が「ミツコ」です。

実はこの「ミツコ」、有名なハンフリー・ボガートと、イングリッド・バーグマンの名作映画「カサブランカ」に、息子(次男)が登場しています。


百人一首 11番歌 参議篁


この映画は、アメリカ人男性のリック(ハンフリー・ボガート)が、昔の恋人イルザ(イングリッド・バーグマン)と、偶然の再会するという映画ですけれど、このときイルザの夫でナチへの抵抗運動の革命家である夫ラズロが、実は、ミツコの次男のリヒャルトです。
ちなみにこの映画の企画のとき、配給元のワーナーは、当初、主演をハンフリー・ボガードではなく、若き日のロナルド・レーガンにする予定だったのだとか。

「ミツコ」の日本名は、もともとは「青山ミツ」といいました。
そして「ミツコ」の関係で、実は、東京青山の青山通りや、青山霊園などに、「青山」の名前が冠せられています。
「ミツコ」は、西洋で最も有名な日本人のひとりなのです。

 *

さて、その「ミツコ」、クーデンホーフ光子という名前でも有名です。
そこで「ミツコ」がどういう女性であったのか、歴史を振り返ってみたいと思います。
時計の針を、123年前まで巻き戻します。

明治25(1892)年、オーストリアハンガリー帝国から、外交官ハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵が日本に赴任してきました。
その伯爵が、冬の寒いある日のこと、乗っていた馬ともども凍った道で滑って転倒し、大怪我をしてしまいました。
このとき伯爵の勤務する大使館に雇われていたミツコが、伯爵を献身的に看病したことから、二人は大恋愛に陥りました。

しかし当時は、外国人との結婚といえば、彼らにあてがわれた「現地妻」という認識が強かった、というか、そういうケースの方が現実問題として多かったため、ミツコは実家から勘当されてしまいます。
当時の日本人女性にとって、親子の縁を切られるというのは、ありえないほど辛いことです。
ハインリヒ伯爵は、なんとかご両親に納得いただこうと、かなりの犠牲を払ったといわれ、そのため後年、光子は日本に帰国しなかったといわれています。
それほどまでに、二人の恋愛が大熱愛だったということです。

ミツコの父は、青山喜八といいます。
喜八はこの頃、骨董道楽が昂じて大借金を重ね、本家から勘当された身の上でした。
ところが、娘のミツコにハインリヒ伯爵が結婚を申し込み、そのために結納金として、かなり法外なお金を喜八に渡したのだそうです。

おかげで、喜八は一瞬にして大金持ちとなり、自分が生きている間に、都内の霊園に、バカでかい自分のお墓を作りました。
このお墓が有名になり、その霊園に向かう道は、青山さんのお墓のある霊園に向かう道として、いつしか「青山通り」と呼ばれるようになり、ついにはその霊園まで「青山墓地」と呼ばれるようになりました。
それが、いまある青山通、青山霊園です。

翌明治26(1893)年、ミツコはハインリヒ伯爵と正式に結婚しました。
実は、これが日本政府に届け出された正式な国際結婚の第一号です。

この時代、日清戦争が翌1894年ですから、まだまだ日本は極東の貧乏な小国とみなされていた時代です。
そしてミツコは、そんな日本の、しかも平民の出身です。
一方、ハインリッヒ伯爵は、当時のヨーロッパにあって、伝統あるオーストリアハンガリー帝国の貴族です。
まるでシンデレラか、ポカホンタスのようなことが現実になったわけです。

この結婚に際しハインリッヒ伯爵は、東京・横浜に居留する全ヨーロッパ人に次のような宣言を伝えたそうです。
「もし、わが妻に対して、ヨーロッパ女性に対すると同等の取り扱い以外を示す者には、何人を問わず、ピストルによる決闘を挑む。」
立派な男です。

ベルギー公使のダヌタン男爵は、次のように日記に記しています。
「決闘は一回も行われなかった。だれも彼も、この新しいオーストリアの外交官夫人により、彼女の優美と作法により、魅了された。外交団全体が彼女に対して尊敬の念を示した。」

グーテンホーフミツコ02


ミツコは当時の日本人女性としては長身でした。
しかも美人で、日本舞踊の素養があったことから、立ち振る舞いが非常に優美であったと伝えられています。
それにしても上の写真、洋装もよくお似合いになります。
お二人は、東京で、長男ハンス光太郎、次男リヒャルト栄次郎の2人の子をもうけました。

明治29(1896)年、ハインリッヒ伯爵は足かけ5年に及ぶ日本滞在を終え、帰国することになりました。
なんとこのとき、その年の正月に二人は宮中参賀に招かれています。
このときミツコは、皇后陛下から次のようなお言葉を賜ったそうです。

「遠い異国に住もうとなれば、いろいろ楽しいこともあろうが又随分と悲しいことつらいこともあろう。
しかしどんな場合にも日本人の誇りを忘れないように。
宮廷衣装は裳を踏んで転んだりすることがあるから気をつけたがよろしい」
なんともあたたかい、涙がでそうになるお言葉です。

ハインリッヒ伯爵の家はボヘミアとハンガリーにまたがる広大な領地をもつ伯爵家です。
二人は、現在はチェコに属するボヘミア地方の広大な領地の丘にそびえる古城ロンスペルグに落ち着きました。
夫ハインリッヒは、父が他界したことから、外交官生活から退き、一族の長となって、大地主の貴族として領地の管理に専念することにしたのです。

ロンスペルク城
ロンスペルク城


それにしても、すごいお城です。
ところが、夫の一族のひとたちは、東洋の未開国から連れられてきたアジア人女性に冷たい目を向けたそうです。
光子の着こなしや立ち居振る舞いという末梢的なことでチクリチクリとあてこすりました。
いまでいうイジメです。
いつの時代も、どこの国でも、人間の社会は同じです。

ミツコも、そんな陰湿なイジメがつらく、何度も日本に逃げ帰ろうと思ったそうです。
しかし、そんなときにミツコを支えたのは、「日本人の誇りを忘れないように」という皇后陛下のお言葉だったそうです。
「裳を踏んで転んだりすることのないように」という一見些末な注意が、貴族社会で生きていく上で、いかに大切なことか、身にしみて分かったのだそうです。

不思議なことなのですが、日本で(これは日本に限らないことなのかもしれないけれど)神様に通じるような人の言葉というのは、不思議とこのように未来を予見したり、心を救うもとになったりすることがあるようです。
世の中に偶然はないといいますが、やはり神々というのはおいでになる。そんな気がします。

そして二人は、その後、三男ゲオルフほか4人、合わせて7人の子宝に恵まれました。
夫、ハインリヒは、子供たちが完全なヨーロッパ人として成長することを望み、日本人の乳母を帰国させ、光子に日本語を話すことを禁じました。

子供達への教育については、もちろん光子も納得したことではあったものの、多忙な夫以外に心を打ち明けられる人がいなくなったことから、光子はこの頃、強烈なホームシックにかかってしまったそうです。
ところが、この時代は、いまのように飛行機でひとっ飛びという時代ではありません。
夫のハインリヒも日本への里帰りを計画してくれたのですが、当時は船旅です。
アフリカ大陸の南端の希望峰をまわり、インド洋を延々と航海して、日本まで渡るわけです。
まる半年がかりになる。
その間、幼い子供たちを放置することはできません。

夫婦仲は良かったけれど、問題もありました。
充分な教育を受けた夫と、骨董屋の娘で尋常小学校を出ただけの妻では全く教養レベルが違ったことです。
ある日、子供が教科書を開いて自習していたとき、
子が、「お母様、これは何でしたっけ」聞いたのだそうです。
ところが光子には答えられない。

「これではいけない」と光子は思ったそうです。
ヨーロッパ人の母なら当然心得ている事を自分が知らないでは済まされない。
そこで光子は、自分も家庭教師について、子供より先に勉強して、子供から何を聞かれても答えられるようにしておくことにしたそうです。

次男のリヒャルトは、自伝でこう回想しています。
「母は一家の主婦としてよりも、むしろ女学生の生活を送っていて、算術、読み方、書き方、ドイツ語、英語、フランス語、歴史、および地理を学んでいた。
その外に、母はヨーロッパ風に座し、食事をとり、洋服を着て、ヨーロッパ風に立ち居振る舞いすることを学ばなければならなかった。」

それは、寝る時間を削ってまでして行うことでした。
立派な母親となるために勉強に打ち込むミツコの姿は、子どもたちの心に深い影響を与えたといいます。
子は親の背中を見て育つといいますが、こういう光子の態度は、本当に立派だと思います。

実際、考えてみれば、親がひとつも本も読まない、勉強もしていない、そんな姿見たことない、なんていう状況下で、子供に「勉強しなさい」と言ったところで、子に説得力はありません。
是非、お子様やお孫さんのいらっしゃるご家庭では、『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』を大人が率先して読まれると良いと思います、って、これはただの宣伝です(笑)

自伝を残している次男のリヒャルトは、実は、EU(ヨーロッパ連合)実現に向けて、終生たゆみない研究と運動を続けた人です。
そして彼の理想は、いま、欧州連合EUとして立派に実っています。

さて、明治38(1905)年に日露戦争が起こりました。
日本は戦いに勝利し、この戦いによって日本の国際的地位は劇的に高まりました。
そしてこのことは、光子への偏見もようやく和げています。
東洋の未開の蛮族のケダモノの娘の女性ではなく、西欧人と対等な堂々たる大国の女性と変化したのです。

こうしたことは、実は国際社会においては、とっても大切なことです。
日本が馬鹿にされ、貶められいていては、海外にいる日本人は個人の資質がいかなるものであったとしても、馬鹿にされ、みくびられるのです。
慰安婦を性奴隷にしただとか、支那や朝鮮を侵略しただとか、あるいはそれらの地で非道な振る舞いを繰り返していただとか、そういうデタラメが吹聴され、日本が貶められれば、海外にいる立場の弱い人、とりわけ女性や子供達に、そのしわ寄せが行くのです。

現に、「日本人になど産まれたくなかった」、「お母さん、外で絶対に日本語を使わないで」と泣く子供達が増えているのです。
日本に住む日本人が誇りを失うことが、結果として同じ同胞の心を傷つけ、それが子供達の心なら将来にむけて取り返しのつかない傷を負わせているのです。
まるで他人ごとのように「日本人なんて」とニヤニヤしながら語るテレビの評論家さんたちは、そういうことへの責任など、まるで感じない人達なのかと言いたくなります。

さて、日本が勝利することで、立場が強化された光子ですが、ところが残念なおとに、翌明治39年5月に、夫ハインリヒが心臓発作で急死してしまうのです。
わずか14年の夫婦生活でした。
異国に一人残された光子は、今まで二人で築いてきた世界が足もとから崩れ去っていくような気がしたそうです。
わかる気がします。

けれど、光子には、悲しみに浸っているひまは与えられませんでした。
夫は遺書で、長子ヨハンをロンスペルグ城の継承者とする他は、いっさいの財産を光子に贈り、子どもたちの後見も光子に託されるべし、と書き残していたのです。

広大な領土と厖大な財産です。
その一切の管理を「未開国から来た一女性に任せるなどとんでもない」、「日本人に先祖伝来の財産を奪われてなるものか」と、ミツコは親戚一同から糾弾されてしまうのです。

しかしこのとき、ミツコは断固として言いきったそうです。
「これからは自分でいたします。
 どうぞよろしくご指導願います」

日本女性がこのような任につくには不適当だと、ミツコは裁判まで起こされます。
しかしミツコは、弁護士を雇い、時間はかかったが、とうとう訴えを退けています。
覚悟というのは、そういうものです。

問題は他にもありました。
遺産を相続したということは、その経営も受け継いだということです。
ミツコは、法律や簿記、農業経営などを、必死で勉強することで、領地財産の管理を自ら立派にこなしました。
馬鹿では勤まらないのです。

さらに亡夫の精神に沿って、立派なヨーロッパ貴族として子どもたちを育てようと、育児にも打ち込みました。
このとき、長男ハンスは13歳、次男リヒャルトは12歳です。
表面はけなげな伯爵未亡人として、領地の管理や育児に忙しい毎日を送っていたミツコも、望郷の念はやむことがありません。
それでも、「日本に帰ることは子どもたちが成年に達するまであきらめよう」と心に誓いました。

光子は、ときおり日本の着物を着て、ひとりで何時間も鏡の前に座ることがありました。
望郷の念に駆られて涙を流していたのかもしれません。
ところが次男のリヒャルトは、後年、
「そんなときの母が、最も美しく見えた」と回顧録に書いています。
リヒャルトが部屋にはいってきたときには、光子は息子に澄んだやさしい笑顔を向けていたのでしょう。

光子は、涙を決して、我が子にさえも、見せなかったのです。
光子の気持ちがわかるだけに涙をさそいます。

また正座して毛筆で巻紙に両親宛の手紙を書くことが唯一の楽しみで、毎週一通は出していたそうです。

 年老ひて髪は真白くなりつれど
 今なほ思ふなつかしのふるさと

これは、光子の老年になってからの和歌です。
「私が死んだ時は、日の丸の国旗で包んでもらいたい」
それが、光子の遺言でした。

大正3(1914)年、第一次世界大戦が始まりました。
このとき、オーストリアハンガリー帝国と日本は敵国になりました。
両国間で実際の干戈を交えることこそなかったものの、開戦当時はヒステリックな反日感情が沸き上がりました。

ウィーンにいた日本人の外交官や留学生などは、みな国外退去しました。
光子は、広大なオーストリアハンガリー帝国に、ただ一人残る日本人となりました。

日露戦争の時は、オーストリア・ハンガリー帝国はロシアに威圧されていたので、日本の連戦連勝に国中がわき上がっていたものです。
ですから仲間の貴族や領民たちは、次々と光子のもとにお祝いにかけつけてくれました。
けれど今度は敵国です。
人々は警戒の目を向ける。

そんな中で光子は、長男と三男を戦線に送り、自らは3人の娘を連れて、赤十字に奉仕しました。
黒い瞳の光子やその娘たちの甲斐甲斐しい看護に、人々は好感を抱きました。

さらにこのとき、光子は領地の農民を指揮して、森林を切り開き、畑にして大量の馬鈴薯を実らせています。
収穫した馬鈴薯を、借り切った貨車に詰め込み、男装して自ら監督しつつ、国境の戦線にまで運ばせました。
前線でロシア軍に苦戦していたオーストリア・ハンガリー帝国軍の兵士達は食糧難に悩まされていたのです。
ですから、そんな光子の姿に兵士達は、「生き身の女神さまのご来臨だ」と、塹壕の中で銃を置いて、光子を拝みました。

敵国の女性でありながら、神様とまで慕われる。
すごいことです。
光子の馬鈴薯作りは終戦まで続き、周囲の飢えた民を救うのにも役だったそうです。

大正7(1918)年に戦争が終わったとき、次男のリヒャルトが13歳も年上の女優イダ・ローランと結婚すると言い出しました。
光子は反対しました。
するとリヒャルトは家を飛び出してしまいました。
飛び出したリヒャルトは、「汎ヨーロッパ主義」という本を著し、一躍ヨーロッパ論壇の寵児となりました。
長男ハンスも平民のユダヤ人女性リリと結婚し、ピクシーという女児をもうけて家を去りました。

実は、夫を失ってからの光子は、子供たちに日本風の厳格な躾(しつけ)をしました。
このため、成長した子供たちが光子のもとを去っていったという説もあります。
どんなに厳しい躾(しつけ)だったのでしょう。

子供達は、学校に行きます。友ができ、それぞれの家の躾の様子などを話し合います。
ヨーロッパの貴族の家庭では、どこのご家庭でも、子供への躾は厳格なことは有名な話です。
けれど、そんな貴族の子弟たちと話し合った時、どの家よりも光子の躾が厳しかったと言っているのです。
だから、どうして自分たちばかりがこんなに厳しく躾けられるのかと思ったと、子が自伝に書いているのです。

ここは、たいせつなポイントです。
光子は日本では平民の娘でしかありません。親も、事業で失敗する等、決して安定した家庭環境にあったわけではありません。
ところがそんな家庭内で躾を受けた光子が、ヨーロッパの高級貴族の家庭で、自分が受けた躾を子に行ったら、それがどこのご家庭の躾よりも、厳しかった、というのです。
つまり、平民であっても、当時(明治の頃)の家庭内の躾は、それだけどこのお宅でも厳しいものであったということです。

相当、左翼の人でも、明治の日本人が「強い気骨を持っていた」ということは認めます。
明治の人達は実に立派だったと認めます。
けれど、そうした「明治の気骨」は、実は、それだけ厳しい躾を、どこのご家庭でも行っていた、その結果なのです。

子供たちが次々と去っていく光子に、追い打ちをかけたのは、第一次世界大戦におけるオーストリア=ハンガリー帝国の崩壊でした。
この敗戦によって、クーデンホーフ=カレルギー家も、過半の財産を失ってしまいます。

光子は、大正14(1925)年に、脳溢血で倒れました。
なんとか一命はとりとめたものの、右半身不随となりました。
以後の光子は、ウィーン郊外で唯一の理解者であった次女・オルガに介護してもらいながら、静養の日々をすごしています。
この頃の光子の唯一の楽しみは、ウィーンの日本大使館に出かけて大使館員たちと日本語で世間話をし、日本から送られてくる新聞や本を読むことだったそうです。

昭和16(1941)年8月、第二次世界大戦の火の手がヨーロッパを覆う中、光子はオルガに見守られながら67歳の生涯を閉じました。
渡欧して45年、結局、光子は一度も祖国の土を踏むことはありませんでした。

さて、光子のもとを飛び出した子供たちですが、本人たちが母の厳しい躾を嫌がった割には、彼らは光子の日本式の厳しい躾と教育によって、全員、それぞれ立派な大人に成長しました。
なかでも東京で生まれた次男のリヒャルト・栄次郎・クーデンホーフ・カレルギー伯爵は、その著作で「欧州統合」を主張し、いまでいう“EU”の概念を打ち立てた人物です。

第一次大戦後、「民族独立」のスローガンの中で、オーストリア・ハンガリー帝国は分断され、ハンガリー、チェコスロバキア、ユーゴスラビアなどが新国家として独立し、ポーランドやルーマニアにも領土を割譲されて、解体されてしまいました。
大戦で疲弊した上に、28もの国家がアメリカの2/3ほどの面積でひしめき合ったのです。

民族対立の火種を抱えたままでは、いずれヨーロッパに再び大戦が起こり、世界平和をかき乱す禍の元になります。
ならば、逆に欧州は統一した連邦国家となるべきではないか。
リヒャルトのこの大胆な提案ですが、リヒャルトの思想は、敵対と対立、対立と闘争という概念に支配された当時の欧州において、実に東洋的な和合の精神と受け取られたそうです。
そして、リヒャルトの母が日本人であるという事実に、さまざまな新聞が当時、光子に新しい名称を贈りました。

それは、
「欧州連合案の母」
「欧州合衆国案の母」
「パン・ヨーロッパの母」等々でした。

リヒャルトの生涯をかけたた理想と運動は、その後もヨーロッパの政治思想に大きな影響を与え、第2次大戦後のヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)、ヨーロッパ経済共同体(EEC)、そして現在のヨーロッパ連合(EU)に至っています。

リヒャルトは母・光子についてこう述べています。

「彼女の生涯を決定した要素は3つの理想、すなわち、
  名誉
  義務
  美しさ
 であった。ミツコは自分に課された運命を、最初から終わりまで、誇りをもって、品位を保ちつつ、かつ優しい心で甘受していたのである。」

名誉と義務と美しさ。この3つは日本人の日本的な日本人であるがゆえの美徳です。
そしてそれは、万国共通の美徳でもあります。
「名誉と義務と美しさ」
その日本を取り戻したいと思います。

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コメント
感動して泣けてくる(T-T)
グランデール光子さんの頑張り、ゼロからの勉強(ドイツ語や西洋式の作法)する姿を想像したら、・・どれほどの苦労された事か
現在の私達には、到底 出来ないことだと思います。
 オーストリアの貴族の夫人として、好奇の眼で視られるのは、現在の皇族の方々を拝見すれば、かなりのプレッシャーがあったでしょうね

最後に 「皇后陛下」のお言葉は、有り難いものですね
2015/07/13(月) 08:49 | URL | ムーミン親爺 #-[ 編集]
遅ればせながら、コメントさせて頂きます。
クーデンホーフ光子の次男が、あの有名な映画「カサブランカ」で、イングリッド・バーグマン扮する、イルザの夫役ラズロを演じていると知って、これは聞き捨てならぬとばかりに、昔見た映画を思い出し、我が家にも古いDVDが買って有ったはずだと探してみましたが見つからず、やむなくアマゾンで探したら有りました。

「カサブランカ特別版」1,770円を見付けて早速注文しました。この映画はいつ見ても、何度見ても良い映画です。今度は、ラズロが、クーデンホーフ光子の次男だと言うことで、改めてじっくりと鑑賞してみたいと思います。
私にとっては良い情報でした。有難うございました。
2015/07/12(日) 13:52 | URL | terag3 #KVPRtAI6[ 編集]
No title
こんにちは。
明治の三大国際ろまんす。クーデンホーフ光子。モルガンお雪。ラグーザ玉。
モルガンお雪。モルガン財閥の一族であるジョージ・デニソン・モルガンに
惚れられて、身うけされた芸妓お雪さん。日本のシンデレラとも。マスコミ
には金に目がくらんだ女とも言われてますね。米仏滞在し1938年帰国。
ラグーザ玉。日本初の女性洋画家。イタリア人彫刻家ヴィンチェンツォ・ラ
グーザと共に明治15年に渡伊、51年間シチリア島パレルモに。1933
年帰国当初は日本語がうまく出てこなかったとか。
お子さんを残したのは光子さんだけだったようですね。女性の権利があまり
なかった明治の時代にも、飛びぬけた女性はいたんですね。幕末だけではあ
りませんねwwこ~んな女性がいた事も知らないなんて・・・と思います。
2015/07/11(土) 02:46 | URL | くすのきのこ #-[ 編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2015/07/10(金) 23:04 | | #[ 編集]
日本対オーストリア=ハンガリー帝国
1914年、オーストリア=ハンガリー帝国海軍の防護巡洋艦「カイゼリン・エリザベート」は日本への親善航海の帰り、渤海湾にある芝罘でフェルディナント大公暗殺の報に接し、本国から同盟国ドイツの租借都市・青島に入るよう命じられました。

同艦が青島に入ったところで日独国交断絶という事態になりますが、オーストリア=ハンガリー帝国は友好国である日本と交戦することを望まず、同艦を武装解除することで日本と合意し、一度は武器・弾薬を艦から降ろし、乗組員たちは艦を降りて天津へと向かっています。

ところがドイツ皇帝は「カイゼリン・エリザベート」が青島のドイツ軍と共に戦うことを要求、オーストリア=ハンガリー帝国は対サラエボ戦を支援してくれる同盟国の求めを拒むことができず、同艦将兵に戦闘を命じます。天津に到着した乗組員たちは青島に戻り、同艦は再武装され、膠州湾に上陸してきた日本軍に攻撃を行います。

青島のドイツ、オーストリア軍は数週間持ちこたえたものの、奮戦空しく日本軍の攻勢を撥ね退けることはできず、「カイゼリン・エリザベート」も弾を撃ち尽くしたためにドイツ東洋艦隊の残存艦と共に自沈を命ぜられ、11月2日にその姿を海底に隠しました。

艦を降りた四百名の乗組員は青島要塞に移って戦いを続けましたが、11月7日になって青島守備隊は降伏。リヒャルト・マコヴィッツ艦長以下、「カイゼリン・エリザベート」の生き残りは捕虜となり、多くは姫路(青野原)、一部は習志野の捕虜収容所に収容されています。
2015/07/10(金) 04:50 | URL | 加藤定吉 #-[ 編集]
「レディー・ミツコ」
「あさきゆめみし」や「はいからさんが通る」
のマンガで有名な、大和和紀さんが40年くらい前に
週刊少女フレンドか月刊少女フレンドで
「レディー・ミツコ」と言う、クーデンホーフ・光子を
主人公にした、漫画を短期連載していたはずです。
KCコミックスの「レディー・ミツコ」で、知りました。
2015/07/09(木) 19:55 | URL | かえる #-[ 編集]
青山
東京・青山の地名は、丹波篠山・青山氏の江戸屋敷があったことが由来では? 青山通りの北面に宗家、南面に分家(美濃郡上・青山氏)の下屋敷があったとも。

青山家宗家初代とされる青山忠成は父・忠門の代から徳川家康に仕え、天正13年(1585年)に徳川秀忠の傅役、天正18年(1590年)に家康の関東移封に伴って江戸町奉行に任命されます。その関連で赤坂から上渋谷村にかけての広い屋敷用地を賜ったとされます。

青山氏は一時、改易されたことがありその際、屋敷地を没収されるが、後に大名として復帰、以前よりも縮小したものの本領石高、家格に比して屋敷は広大だったとのこと。
2015/07/09(木) 16:31 | URL | キャラジャ #-[ 編集]
マスコミの倫理?
「内緒にして欲しい」と頼まれて、「わかった」と返事すればその秘密(内緒事)が他人に知れることはないはずです。しかし、マスコミの世界は異なります。「オフレコ情報」がオフレコではないのです。

マスコミは自ら「信用」を放り投げています。作家の百田氏の自民党勉強会での発言がマスコミから批判されています。櫻井さんの記事によると勉強会はマスコミが退出後に行われ、オフレコが前提であったようです。

が、スリガラスには大きな耳跡がついており、盗聴をしていたようです。盗聴をしなくても百田氏の声は大きく、外に聞こえたと思われます。盗聴が許されるかどうかはマスコミの倫理の問題です。司法であれば「許可を得ない盗聴証拠」は証拠として採用されません。

それにしてもマスコミという「報道独裁機関」は国民にとって国益を損なう有害機関と言えます。政治的に中立公正な新たなマスコミ(テレビ)の設立が望まれます。NHKでは中立公正を望めません。NHKの職員はこの書き込みを見て反論をお願いします。
2015/07/09(木) 16:08 | URL | にっぽんじん #-[ 編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2015/07/09(木) 15:24 | | #[ 編集]
No title
一人の女性が結婚して異国に渡り、努力して生きた。いい話です。
読むだけで、嬉しくなります。

>日本が貶められれば、海外にいる立場の弱い人、とりわけ女性や子供達に、そのしわ寄せが行くのです。
このことを外務省の官僚は、理解しているのでしょうか? 日本は経済大国でODAを拠出する国ですから、彼等が外国で意地悪をされることは余りないと思います。
しかし、彼等が日本の名誉を忘れて行動するとき、外国にいる日本人は貶められます。
慰安婦の性奴隷も、今回の強制徴用も、同じなのです。

歴史遺産問題で、韓国が強制労働を認めたとして報じたことについて、日本が強制労働を意味するものではないと発言したことに、日本に圧力を加えると表明しました。
こんなことは、外務省の職員でない、一般の国民にも予想されたことです。
何故、日本の官僚は、日本の名誉を基本にして判断しなかったのかと、思います。

河野談話と共に、今回の歴史遺産は廃棄した方が良いと思います。



政府は、谷内正太郎国家安全保障局長を今月中に中国に派遣するそうです。
中国の外交政策を統括する楊潔チ国務委員と会談する見通しで、安倍首相が今夏発表する「戦後70年談話」に関する首相の考えなどを事前に説明し、抑制的に対応するよう求めるそうです。

中国は、「反ファシズム戦争勝利・抗日戦争勝利70年」の演説をすると思いますが、その内容を日本と調整していないと思います。
それなら、日本が戦後70年談話を発表する際に、内容を中国と調整するならば、バランスがとれません。

安倍首相は、ご自分で考えておられることを、日本の品位を落とさないようにして70年談話を出されればそれで十分だと思います。
2015/07/09(木) 14:12 | URL | ポッポ #-[ 編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2015/07/09(木) 13:36 | | #[ 編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2015/07/09(木) 13:33 | | #[ 編集]
名誉
今日もありがとうございます。
光子さんは外国人との結婚を選んだ時、本家から勘当され、
祖国をも捨てる思いで愛を選んだのだと思います。けれど
宮中参賀に招かれるという名誉にあずかり、皇后陛下から御言葉まで賜った時
この名誉を一生汚すまいと、捨てる思いだった祖国に対し更に大きな愛を感じ、
感謝を胸に、覚悟を持って異国の地に赴いたのですね。
自分の為だけでなく祖国の名誉を汚すまいとの覚悟があったからこそ
苦難を乗り越える事ができたのですね。
それにしても私も、海外に居る子供達が、朝鮮、支那人のデタラメの吹聴のせいで、いじめられているという現実を無視して、いじめ問題を語るマスコミに怒りが込み上げます!
2015/07/09(木) 11:50 | URL | ゆき子 #XiUxN5sE[ 編集]
いつもありがとうございます。
岩手で、中学生二年生の男子生徒が自殺しました。連絡ノートには、蹴られたり、首を絞められたりして辛い、死ぬかも知れないとSOSを担任に書いていたそうです。いつも腹が立つのは、なんで苛めた生徒を隔離して弾劾しないのか!と言う事です。学校は勉学をする場所です。苛める奴を隔離して反省を促すの当たり前の事でしょ。アメリカもその他の諸外国も苛めた加害者を処罰します。
自殺した中学生は祖父や親思いの優しい素直なお子さんだったそうです。なんとも悔しいしやりきれません。
2015/07/09(木) 10:40 | URL | #-[ 編集]
No title
>『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』を大人が率先して読まれると良いと思います

 ハイッ、買いました!(笑)
 装丁も中身も素晴らしいです。

 私が住んでいる所は、飯尾宗祇や三条西実隆と親交があった連歌師「宗長」が、旅の途中で寄っていった(行きは6日間、帰りは7日間)とのことです(出典『東路の津登』)。
 百人一首・和歌をキーワードに、地元の歴史を紐解いてみたら、意外な所で意外な発見があり、とても面白いです。
2015/07/09(木) 09:04 | URL | 大和守祥易 #n08XGfOg[ 編集]
クーデンホーフ光子
この人物のことは、もう30年近く前のNHK特集「ミツコ 二つの世紀末」で知りました。画質に難のあるDVDで保存してますが、民放には到底作れそうにない番組で、印象に残っています。今でこそ、国境を越えて活躍する日本人は珍しくありませんが、他国の為に尽くしつつ、「日本人としての矜持」を忘れなかったクーデンホーフ光子は偉大です。
2015/07/09(木) 08:44 | URL | NTRC特撮軍団長・ヤラセロウ大元帥 #s/KoZi6Y[ 編集]
No title
「保守主義の父」エドマンド・バーク(Edmund Burke、1729.1.12-1797.7.9)逝去  (1797年=寛政9年)



『E・バークはチャーチル/レーガン/サッチャーの生みの親』



エドマンド・バーク(一七二九~九七年)は、一般には保守主義(真正自由主義)の開祖と言われるが、それは一七九〇年五月六日の英国下院におけるバークのフランス革命に対する激越な批判演説で始まった。そして同年十一月、『フランス革命の省察』を出版し、“自由の擁護”のため、死の直前までフランス革命を非難し、また軍事力を行使してでもこれを打倒すべきことを説き続けた。フランス革命を源流とする二十世紀の全体主義の跳梁を見るとき、これほどの炯眼の人物はほかに例がない。


そして、バークの政治学史上の最大の功績は、フランス革命が何故に荒廃と狂気の野蛮(叛逆、追剥、強盗、暗殺、殺戮、放火、・・・・・・)をもたらしたのかという原因をあらゆる角度から明らかにしたことにある。例えば、原因の一つはそれなくして秩序と自由が存立できない歴史と伝統に基づく社会的絆を切断した無謀であり、また他の一つは個人の自由を無制限に侵害できる専制(全体主義)体制を導きかねない平等とか民衆(人民)とかいうものに至高の価値を附与する間違いを犯したことであった。


真正自由主義の「聖書(バイブル)」とされる、バークの『フランス革命の省察』を手短に要約することなどとても無理な話であり、やはりすべての日本人必読の書と言えよう。しかし、バークは十八世紀のフランス啓蒙思想の「進歩」信仰や「未来」信仰の猛毒から英国の政治を守った、英国にとって真の“救世主”でもあった。そして、日本を含めて今日の政治先進国とは、このバーク型の血筋を(濃淡はあるが)受けて、構築されている。この意味で、日本の今日の政治もまた、日本人の誰しもが意識しないが、バークに大きく負っている。


また、海軍提督ネルソンが、フランス革命がうんだ侵略の英雄ナポレオンの英国侵略をトラファルガルの海戦(一八〇五年)で破り英国を守ったことと考え合わせると、バークとネルソンはそれぞれ思想的および物理的に英国を守り、これを通じて人類への遺産として真正自由主義(保守主義)を守った真に偉大な歴史上の人物だということになる。


ソ連の崩壊を導いた最大の功労者たる米国のロナルド・レーガン大統領と「鉄の女」と言われた英国のマーガレット・サッチャー首相の二人の政治指導者は、レーニン/ヒットラー/スターリンの三つの全体主義体制の打倒を訴え続けた英国のチャーチルとともに、このバーク以来の近代保守主義の本流中の本流であり、よって彼らは、それまでの他の自由社会の政治指導者とは際立つほどに異なって、全体主義との一切の妥協を排したのである。バークなしに、チャーチルもレーガンもサッチャーも生まれていない。



中川八洋『正統の哲学 異端の思想』徳間書店、1996年、pp.57-62
2015/07/09(木) 08:02 | URL | junn #p4GOlP7Y[ 編集]
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小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
静岡県出身。国史啓蒙家。倭塾塾長。日本の心をつたえる会代表。日本史検定講座講師&教務。
連絡先: nezu3344@gmail.com
著書
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』第1巻〜第3巻
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』
日々、先人たちへの感謝の心でブログを書き綴っています。それが自分にできる唯一のお国への、先人たちへの、そしていま自分が生かさせていただいていることへのご恩返しと思うからです。こうしてねずブロを続けることで、自分自身、日々勉強させていただいています。ありがたいことです。

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私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

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