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占守島の戦い(1) 士魂戦車隊

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20150814 占守島


今日明日と二日続けて、昭和20年8月18日から行われた千島列島最北端の島、占守島の戦いのことを書きます。
占守島の戦いについては「自由主義史観研究会」事務局長の上原卓先生が2013年に祥伝社新書で『北海道を守った占守島の戦い』という本をご出版いただき、ここから、かなり掘り下げて当時の状況を知ることができるようになりました。

藤岡信勝先生の主催された「自由主義史観研究会」は、昨年末に解散になってしまいましたが、この研究会が我が国の歴史の検証に果たした役割は、ほんとうにものすごく深いと思います。
戦後のGHQによる洗脳、焚書による史実の隠蔽、そして戦後左翼の保身と利権、これに支那韓国の政治的思惑、在日韓国人の利権保持のための歴史歪曲などが重なり、ほんとうに戦後生まれの私達が教わったり、あるいはドラマや映画などで見せられる日本の歴史は、悲惨なほどに歪められ続けてきたのです。

これを、志ある学者の先生方が、ひとつひとつ調査し検証し、とことん調べあげて、正確な史実を探る。
ほんとうに「自由主義史観研究会」の果たした役割は、まさに歴史に残る偉業であったのではないかと思います。

事務局長をお勤めになられていた上原卓先生は、みるからにとっても真面目な先生で、まるで誠実と生真面目さが服を着ているような印象を受ける先生です。
おそらく戦前戦中の日本人を、外国人がみたときの印象が、まさにそんな印象だったのかな、などと思ってしまいます。

その上原先生が、冒頭の本を書かれるに際して、文献・資料を読んでいて気付いたことがあったのだそうです。
それは、日本の将兵の多くが、日本の運命と我が運命を同一視していたということです。




上原先生の言葉です。
「日本の将兵にとって、敵に国土を蹂躙されることは、賊に我が家を襲われ家族に危害を加えられることと同じでした。
身を挺して賊から家族を守るのが当然であるように、身命を賭して敵と戦い我が国土を守るのは日本軍の将兵にとって当然のことでした。
国家は個人を束縛するもの、国家は個人と対立するもの、国家よりも個人が大事、つまるところ、私の命がいちばん大事、と思う今どきの日本人とは別種の日本人だったのです。

私は、占守島(しゅむしゅとう)の戦いを勇猛果敢に闘った先人を顕彰しようとして本書を書いたつもりしたが、逆に先人から、
「ところで、お前さんは、いかなる義に、いかなる覚悟で、日々、生きているのかね」と問いかけられていることに気付きました。
この問いかけに、私は身が竦む思いをしています。」

(日本史検定講座における上原先生の講義より)

そこで昨年同様、今日明日と二日連続で、占守島の戦いをお届けします。
今日は、ねずブロの過去記事から「士魂戦車隊」
明日は、上原先生のご著書から、ソ連軍に停戦文書を届ける使者となった長島厚大尉のお話です。
いずれも、8月15日以降に行われた戦闘であり、私達が忘れてはいけない戦いであると思います。


 *******

【士魂戦車隊】

池田末男さんという方がいます。
陸軍少将です。愛知県豊橋市出身の方です。
池田さんは、戦前「戦車隊の神様」と呼ばれました。
戦車学校教官当時には「キ戦車隊教練規定」という教程を編纂し、陸軍戦車学校校長に就任されています。

その陸軍戦車学校に、福田定一という生徒が入学してきました。
後の小説家、司馬遼太郎です。

司馬遼太郎は、昭和の軍人に対して概して批判的な小説家として知られ、自身の戦車部隊員であった過去を回想し、戦車隊のことを必ずしもよくは書いていませんが、その司馬遼太郎が、戦車学校校長だった池田末男さんに対してだけは、たいへんに尊敬する人物として著作の中で紹介しています。

池田末男陸軍少将(士魂戦車隊隊長)
池田末男


池田末男さんは、戦車学校校長職を辞した後、戦車第十一連隊長に就任しました。
「十一」は、縦書きすると「士」の字に見えることから、「士魂戦車隊」と呼ばれていました。
士魂部隊は精鋭部隊でした。
そして士魂部隊は、終戦のとき、北海道の沖合に浮かぶ千島列島の最北端の占守島(しゅむしゅとう)にいました。

池田隊長は豪放磊落かつ温和な性格の方だったといいます。
部下たちの誰もが、池田隊長のことを心から信頼していました。

こんなエピソードがあります。

占守島は、夏場でも気温が15度を上回ることがありません。
日中は濃霧に覆われ、冬場は気温が零下30度にも達します。
雪は電信柱が埋まるほど積もり、そして年間を通じて風速30Mの暴風が吹き荒れる島です。

そういう身を切るような寒さの占守島で、池田隊長は、絶対に自分の下着を部下に洗わせなかったのだそうです。
全部、自分で、冷たい水に手を入れて洗濯していたのです。
申し訳なさそうにしている当番兵に、池田隊長はこう言ったそうです。
「お前はオレに仕えているのか? 国に仕えてるんだろう?」

学校では、「昭和20(1945)年8月9日、ソ連が日本との日ソ中立条約を破棄して、満州に攻め込み、その後、日本はポツダム宣言を受け入れて、8月15日に終戦となった」と教えます。
しかし、そのあとに激戦が行われた地がありました。
そのひとつが占守島でした。

8月17日、重要書類を全部焼いて、翌日には戦車を全部海に沈めることが決まった士魂部隊は、第十一連隊本部で、その夜残念会を開きました。
池田連隊長を囲んで、主な将校が10人ほど集まって酒を酌み交わしました。
池田連隊長は、連隊長は酒を飲むときは無礼講が好きで、いつもなら豪放磊落な酒盛りになる人です。
けれどこの日は、しんみりとした雰囲気につつまれました。
彼は若い木下弥一郎少尉に、
「木下、15日以降、俺は廃人になった。お前たち若いものは国へ帰って新しい国民を教育しろよ」などと話していたそうです。

酒の席も解散になり、みんなが就寝し、深夜の日付が変わって18日となった午前1時のことです。
突然対岸のカムチャッカ半島側から長距離砲弾が島に撃ち込まれました。
そして占守島北端の国端岬一帯に、多数の上陸用舟艇が接近し、数千の兵力が強襲上陸してきたとの報が飛び込んできます。

武装解除を求める使節団なら、このような深夜の上陸はありません。
ということは、あきらかに侵略行為としての強襲です。
東浜海岸の竹田浜に展開していた部隊は、第三中隊の2個小隊(約80名)だけです。
彼らは突然包囲され、攻撃を受け、激戦となりました。

この時点で、まだ敵の国籍は不明です。
いまでいったら、これまでまったく戦闘実績がなく、終戦がきてなお平安だった土地に、いきなり正体不明の謎の軍団が砲撃を加え、土地を占領して攻撃を加えてきたという状況となったのです。

しかも夏場の濃霧の時期です。
10M先も見えない。
その見えない先から、砲弾や銃弾が飛んでくるのです。

謎の軍団が上陸した国端岬にいた速応少尉は、岬の洞窟にあった野戦砲二門で、謎の軍団が上陸した竹田浜を側面から射撃します。
霧で見えない。
しかし、このとき来襲した謎の軍団は、駆逐艦2隻、6千トン級の輸送船4隻、兵力13,000千人という、まさに海を覆わんばかりの大部隊でした。

こういうとき、ものをいうのが、日頃の訓練です。
速応少尉は、霧で見えない敵に向かって、人馬殺傷用の榴弾をこめてメクラ撃ちしました。
そして敵の船13隻を撃沈し、さらに戦死者2千人、海を漂流した者3千人という大損害を与えました。

上陸を阻止された謎の軍団は、対岸のカムチャッカ半島の突端にあるロバトカ岬から砲撃をしてきました。
これで、敵が誰なのかがはっきりとしました。
ソ連です。

しかし、長距離砲は、巨弾です。
このままでは速応隊が全滅してしまう。
長距離砲撃を知った四嶺山の坂口第二砲兵隊長は、直ちに15センチ加農砲2門で、これに応射しましました。

これまた日頃の訓練の賜物です。
坂口第二砲兵隊は、濃霧の中を見えない敵に向かって長距離砲撃し、わずか20分で敵の長距離砲を完全に沈黙させてしまったのです。

一方、上陸してきた部隊を迎え撃った歩兵大隊は、敵の艦艇を14隻以上撃沈、擱座させ、戦車揚陸艇ほか多数の上陸用舟艇を破壊。
さらに敵指揮官が乗る舟艇まで撃沈し、敵軍団を無統制状態に陥らせます。

それでも敵は13,000名を擁する大軍です。
これら応戦をしていた日本側の正面の歩兵大隊は、わずか600名です。

敵は多数の死傷者を出しながらも、陸続と後続部隊を上陸させてくる。
そして、内陸部に侵攻を開始してきます。

当初、報告を聞いた師団参謀は、国籍不明といっても米軍だと思ったそうです。
後に相手がソ連とわかった時はびっくりしたそうです。
参謀は、軍使が来たのが手違いで戦闘に発展したのかとも考えたのだそうです。
しかし時間が時間です。

加えて何千人という兵力です。
さらに、ロパトカ岬からの砲撃もある。
これは明らかに軍使ではない。

午前2時10分、第91師団長は決断します。
「師団全力をもって、敵を殲滅せよ」

全軍直ちに戦闘配置につきます。
戦車1個連隊と歩兵1個大隊、工兵一個中隊は、先遣隊として竹田浜に急行しました。
占守島南端の第73旅団は、北の要点・大観台に司令部を進出させ、戦闘に参加しました。
隣りの幌筵島の第74旅団も占守島に渡って敵を攻撃することになりました。
幌筵島の師団司令部も占守島に移動開始です。
第5方面軍司令官樋口季一郎中将は、同時に濃霧の隙間をついて陸海軍混成の航空部隊8機をソ連艦艇への攻撃のため飛び立たせました。

「断乎、反撃に転じ、ソ連軍を撃滅すべし」
士魂部隊にも、司令が下りました。
「戦車隊前進せよ」

池田隊長は直ちに各中隊長、小隊長を集めました。
そして自身は、真っ先に準備の出来た戦車に飛び乗って走り出します。
「天与の好機逸すべからず。各隊長は部下の結集を待つことなく、準備のできたものから予に続くべし!」

このとき戦車連隊は、武装を分解中でした。
すぐには出撃できない状態にあったのです。
それでも総員必死で武装を取り付け、直ちに出撃しました。

濃霧の中、途中の位置で部隊は集結します。
そこで池田隊長は、全戦車部隊隊員に訓示しました。
〜〜〜〜〜〜〜〜
諸士、ついに起つときが来た。
諸士はこの危機に当たり、
決然と起ったあの白虎隊たらんと欲するか。
もしくは赤穂浪士の如く此の場は隠忍自重し、
後日に再起を期するか。
白虎隊たらんとする者は手を挙げよ。

〜〜〜〜〜〜〜〜

このとき不思議なことが起こりました。
濃霧が突然、さっと薄れたのです。
そして、その場にいた全員が見たのです。

それは、霧でおぼろにしか見えなかった隊員たちが、全員が挙手している姿でした。
士魂部隊は、全員、白虎隊となることを選択したのです。

若い木下弥一郎少尉も、池田連隊長のそばにいました。
しかし、定員オーバーで戦車の中に入れない。
池田連隊長は、戦車を止めて、木下弥一郎少尉に下車を命じました。
「木下、お前は旅団司令部の杉野さんのところへ連絡将校として行っておれ」

戦車学校校長であったときから、ずっと接してきた木下少尉は、連隊長とにわかに離れがたく、そのときぐずぐずしていたそうです。
池田隊長は、「早く行け!」と怒鳴りました。

そして走り出した戦車から上半身を露呈した池田連隊長は、振り返って弥一郎に言いました。
「木下、お前は助かれよ。命を捨てるなよ」
これが、木下少尉が見た池田隊長の最後の姿でした。

午前5時、国端崎から14キロ手前の天神山で士魂部隊は小休止しします。
ここで遅れていた一部も合流しました。
池田連隊長は、白鉢巻で戦車上に立ち上がりました。
そして「上陸軍を一人残さず、海に叩き落とすまで奮闘せよ!」と大声で訓示しました。

午前5時30分、連隊は前進を再開し、島の北端に近い大観台を過ぎました。
午前6時20分、連隊は歩兵大隊の指揮所が置かれた四嶺山南麓台地に進出します。
そこは、既にソ連軍約200人の1個中隊が山を越えきていました。

池田隊長は、これを突破して四嶺山頂に進出する決心をします。
そして午前6時50分、攻撃を開始する。
士魂戦車隊は、速射砲で敵を撃破しつつ南斜面を駆け上がりました。
7時30分、山頂に到達。

山頂から見下ろすと、敵歩兵の大軍がそこにいました。
池田連隊長は、師団、旅団の両司令部に打電します。
「連隊はこれより敵中に突撃せんとす。
 祖国の弥栄と平和を祈る」

7時50分、池田連隊長は、戦車からハダカの上体を晒したまま、身を乗り出して日章旗を打ち振り、攻撃前進を命じました。
士魂連隊の攻撃隊形は、左から第4中隊、第3中隊、第1中隊、連隊本部、第6中隊、第2中隊の順の展開です。
約40両の戦車です。
その戦車隊が、池田隊長の指揮のもと、一斉に敵の群がるど真ん中に突入していきました。

その姿は、さながら運用教範の実演の如く、見事な隊形だったそうです。
さすがは戦車隊の神様。
さすがは士魂部隊。

士魂部隊は、南斜面より上ってくるソ連兵の群れにと接触します。
視界約20Mの濃霧です。
戦車は、死角が多いのです。
ですから濃霧は戦車にとって不利です。

本来なら、戦車は歩兵と協力して初めて実力を発揮できるのです。
しかし急な出動です。
協力できる歩兵はいません。

戦車隊と、ソ連歩兵の肉弾戦は、およそ40分にわたり繰り広げられました。

これは、その戦いが、実にすさまじい戦いであったことを示しています。
なぜなら、近代戦においては、銃撃戦というのは、普通1〜2分のものだからです。
5分も続けば「今日の戦いは長かったな」となる。
実弾の飛び交う戦闘というのは、それほどまでに、人間に強度の緊張をもたらすものなのです。

8時30分。いったんは混乱し、潰走しかけたソ連兵は、前線の指揮をとっていたアルチューシン大佐の指揮で、約100挺の13㎜対戦車ライフルと、4門の45㎜対戦車砲を士魂部隊正面に結集させ、激しい反撃をはじめました。
装甲の薄い日本の戦車は、貫通弾をもろに受け、次々沈黙していきます。

濃霧の中で出会い頭に敵弾を受け、友軍の戦車が炎上する。
それでも士魂部隊は前進します。
キャタピラで、備砲で、敵兵を叩き続けました。

やがて日本軍の四嶺山南東の高射砲が応撃を開始しました。
さらに南麓から駆け付けてきた日本の歩兵大隊も参戦してくれました。
士魂部隊の獅子奮迅の戦いで、ソ連軍は遺棄死体100以上を残して、ついに竹田浜方面に撤退したのです。

この戦いで、士魂部隊の損傷は、戦車27両が大破。
そして池田隊長以下、96名が戦死されました。

士魂部隊の突撃のとき、敵は稜線いっぱい展開していたそうです。
隊長の指揮する戦車隊を見て、彼らは自動小銃をめちゃくちゃに撃ってきました。
砲塔に雨あられと弾がはねて、顔を出していれないくらいだったといいます。

そんな中を池田隊長は突撃されました。
戦車から裸の上半身を露出し、鉄カブトもかぶらず、日の丸の手ぬぐいで鉢巻をしただけの姿で、1M×80cmぐらいの大きな日章旗を振って戦車の上から「前進!前進!」と突撃の合図をしながら戦い続けたのです。

そんな隊長の姿は、いやでも敵の目につきます。
やがて銃弾が、隊長車に集中する。

搭乗していた指揮班長の丹生少佐が、まず先に撃たれたそうです。
そのとき、池田隊長は丹生少佐の遺体を落としてはならぬと、にわかに縄を出して丹生少佐の死体を自分の戦車の砲塔に自分で縛りつけたそうです。
そして今度はその砲塔の上に全身を露出させてまたがり、例の日章旗を振り振り、なおも全軍に前進を命じられていました。

戦車のウイーク・ポイントは横腹です。
ここは鋼板が薄く、そこを狙って撃たれ、だいぶやられたました。
池田隊長車も、突撃を命じて30分ぐらい、敵をさんざん踏みにじったあと、対戦車銃を横腹に受け、それで中に積んであった弾薬が誘爆し、擱坐炎上しました。

池田隊長の乗車した戦車は、炎上したのちも、しばらく前進したそうです。
その姿は、まるで、死しても前進を止めない隊長の魂が、戦車に乗り移ったかのようだったそうです。

8月21日、現地の日ソ両軍間で停戦交渉が成立しました。
同日午後、堤師団長とソ連軍司令官グネチコ少将が会同して降伏文書の正式調印が行われました。
そして、ソ連軍の監視の下で武装解除が行われました。

守備隊の将兵は、納得できなかったそうです。
「なぜ勝った方が、負けた連中に武装解除されるのか」
みんな、そう言った。
みんな、そう思ったそうです。

占守島守備隊の活躍は、昨日の記事にも書きました。
占守島守備隊の一週間の活躍が、結果として北海道を守りました。

当時のソ連政府機関紙「イズベスチャ」は、占守島の戦いについて、次のように書いています。
〜〜〜〜〜〜〜〜
占守島の戦いは、大陸におけるどの戦闘よりはるかに損害が甚大であった。
8月19日はソ連人民の悲しみの日であり、喪の日である。

〜〜〜〜〜〜〜〜

ソ連側司令官は後に「甚大な犠牲に見合わない全く無駄な作戦だった」と回顧録を残しました。

もし占守島守備隊が、何の抵抗もせずソ連の蹂躙にまかせるままでいたら、昨日も書いたように、日魯漁業の女子工員400名は、ソ連兵に蹂躙されるままになっていたであろうし、ソ連側が述べているように、占守島が一日で陥落していれば、ソ連はそのまま北海道に攻め入り、戦後日本は、半島と同様、北日本と、南日本に分断されていたであろうことは明白です。

逆に、もし、占守島守備隊が第5方面軍の停戦命令を受けなければ、上陸ソ連軍は殲滅されていたろうし、その後のソ連軍による千島列島(北方領土)の接収すらなかったかもしれません。

大功ある、第91師団、そして勇敢な士魂部隊の将兵は、この戦いの後、ソ連に日本本土に帰還させると騙されて、シベリアに強制連行されました。
そして連行の途中で、5分の1が理由なく殺害され、またシベリアで多くの人々が非業の死を遂げました。

不思議なことがあります。
この占守島守備隊の活躍について、戦後左翼は教科書に一切載せていません。
まるであたかも「なかったこと」にしているかのようです。
まれに占守島の戦いについて書いているものでも、この戦いを「無駄な戦い」、「戦死者は犬死に」と一蹴しています。

実に不思議です。
それが同じ日本人の言う言葉なのか。
私には、そういう人たちの感性がまったく理解できません。

占守島には、いまも当時の日本兵の戦車や遺骨、遺品が眠ったままになっています。

戦後67年が経過したいま、日本は、あらためて勇敢に散って行かれた英霊たちへの感謝を捧げるとともに、散って行かれた彼らに恥じない、ほんとうの日本の建設をしていかなければならないときにきているといえるのではないでしょうか。

冒頭の上原先生の言葉です。
=========
日本の将兵にとって、
敵に国土を蹂躙されることは、
賊に我が家を襲われ家族に危害を加えられることと同じでした。

身を挺して賊から家族を守るのが当然であるように、
身命を賭して敵と戦い我が国土を守るのは
日本軍の将兵にとって当然のことでした。

国家は個人を束縛するもの、
国家は個人と対立するもの、
国家よりも個人が大事、
つまるところ、私の命がいちばん大事と思う今どきの日本人とは
別種の日本人だったのです。
=========

たとえ苦労を背負い込むことになったとしても、元の日本人へと回帰していきたいです。
それは「平成のルネッサンス」なのだと思います。



※この記事は当ブログの2009年10月24日の記事をリニューアルしたものです。

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コメント
先日の安倍談話を聞いて、思ったことが2つありました。一つは、日本人が連合国とその手下(戦後成立の傀儡)に奪われた「誇り高い本当の日本」を取り戻すには、政府や指導者に頼るのではなく日本人が自覚し団結(原発事故が共産党にうまく利用されたように)しなければ難しいということ。
もう一つは、外務省の存在です。『いわゆる慰安婦問題』は氷山の一角に過ぎません。拉致へのこれまでの対応を見ても明らかですが、日本の非については相手の言うがままに謝罪しまたその場しのぎに終始し、反して『無差別年空爆』『原爆使用』など抗議すらしていません。極めつけはソ連への対応です。民間人含む100万人以上の邦人が「捕虜」などという詭弁で拉致され、奴隷労働の上殺され打ち捨てられました。これが北朝鮮の邦人拉致につながったとも考えられます(ソ連から数万人が北朝鮮にプレゼントされています)。これなど「シベリア抑留」などと現実に反した件名で、まるで事件そのものを消し去ろうとするかの様です。他国の工作によるものか狂った教育のせいなのか解りませんが、卑屈な組織には任せておけません。
日本に向けられた冤罪に毅然と立ち向かうには、談話にあるように、日本の被害も他国の犯罪についてもはっきりと示されなければなりません。少なくとも外務省は変わらければなりません。
日本人が変わるためにも必要なことだと思います。
2015/08/18(火) 22:13 | URL | 渡辺 #-[ 編集]
No title
我が国の共産主義者にとっては、愛国心は悪です。

それなくして、その思想を維持することはできません。

当然ですが、国歌、国旗は憎悪の対象です。

その後どうするのでしょうか。革命後です。どうも考えていない。

すると、隣の政変と同じくして没落となる。予感がします。

もっと、明るい未来を解りやすく池上さんみたいに解説してください。

2015/08/18(火) 19:50 | URL | 後光の擦り切れ #-[ 編集]
No title
上原卓先生と池田末男隊長の台詞に思わず姿勢正しました。
じっと見詰められてるかの様な感覚に襲われました。

>日魯漁業の女子工員400名は、ソ連兵に蹂躙されるままになっていたであろう

浅田次郎氏の小説にも命懸けで逃がした体で書かれております。
何故この様な話を教科書に載せないのだろうか。
ペリュリューで島民逃がした話とか。

最近の調査によると、日本人は世界の中で『愛国心が低いワースト●位』だそうですね。
何位だか忘れましたが下の方です。まぁ頷けるな、と。
それにしても昨日のドラマは酷かった、ありゃ先人達が泣いてます。

※植木等氏の幻の映画、是非見たくなりました。
2015/08/18(火) 01:25 | URL | 物申すTV #-[ 編集]
通化事件をリニューアル掲載願います。
天皇陛下の玉音放送で、日本人は終戦にスイッチを切り替えてしまいました。
青山繁晴さんが「日本は負け方を知らなかった、その学習をしていなかった」と言っております。
そのとおりと思います。
自衛権も放棄し武装解除をするよう命じた日本軍。あまりにも愚かだったと思います。
根本博氏が見事に、日本人を本土に帰還させたことは、ねずさんが記事にしております。

「国民がいるから国がある」のロジックを、サヨ系は良く唱えます。
ソ連参戦後の満州国は、そのロジックが無意味なことを教えてくれると思います。
満州国に国民はいました。でも、その国と国民はその後どうなったのか。
日本への依存度が高かったものの、独立国だった満州国です。
歴史にタラレバはありません。
でも、歴史に学ぶことはできます。


「通化事件」のリニューアル掲載をぜひとも、と願っております。

2015/08/17(月) 23:38 | URL | 浮草5 #-[ 編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2015/08/17(月) 21:24 | | #[ 編集]
特別攻撃隊
初めてコメントします。

大東亜戦争末期に特別攻撃隊が編成され、多くの方が尊い犠牲となられましたが、英霊となられた方々は、天皇陛下の命令では勿論なく、軍の強制により散華を余儀なくされたわけでもなくて自ら進んで志願して特別攻撃隊に入ったと記憶していたのですが?

現在のテレビ放送では軍の強制又は洗脳教育を行い、部隊を編成して突っ込ませたような報道ばかりです。

私の認識は間違っていて、実は軍が指名又はある部隊そのものを特別攻撃隊にしてしまったのか?
私の貧弱な知識と検索力では上手く調べる事ができません!

このブログの愛読者となり早数年是非そこのところを書いて頂けたら幸いです。
2015/08/17(月) 20:23 | URL | hin #-[ 編集]
No title
日本の軍隊は「軍紀風紀」、加えて二千六百年もの長きにおいての日本精神と相まって世界では類を見ない軍隊でした。

終戦が解かっていて、なお、護るべきものの為に命を呈して戦う、これは今日明日教えられて出来るものではありません。
ご先祖様から累々として受け継いでこられた日本精神を心に宿しているからこそ出来るものであって、日本人としての自然の発露でした。
それが当り前であったのです。

上原先生の言葉にもありますが>国家は個人を束縛するもの、国家は個人と対立するもの、国家よりも個人が大事、つまるところ、私の命がいちばん大事、と思う今どきの日本人とは別種の日本人だったのです<

まさに仰る通りです。
今の日本人は、戦後教育において全てを捨て個人主義に走り、今や別種の日本人になろうとしています。
今、教育において歯止めをかけなければ、日本はもっともっとおかしな国になって行くのではと危惧しています。

====================
>当時のソ連政府機関紙「イズベスチャ」は、占守島の戦いについて、次のように書いています。
〜〜〜〜〜〜〜〜
占守島の戦いは、大陸におけるどの戦闘よりはるかに損害が甚大であった。
8月19日はソ連人民の悲しみの日であり、喪の日である。
ソ連側司令官は後に「甚大な犠牲に見合わない全く無駄な作戦だった」と回顧録を残しました>
=====================

ソ連に「どの戦闘より損害が甚大であった」と言わしめるほどだったのです。
想像に絶するものがあります、、、。

また、>8月19日はソ連人民の悲しみの日であり、喪の日である<
これを見て、えっ?と思いました、なぜなら終戦後に進攻して来ておいて、
「ソ連人民の悲しみの日である」ですか?

日ソ中立条約を勝手に破棄、おまけに終戦後に占守島に進攻して来ました。
終戦を迎え、祖国に帰還できる喜びでいっぱいだった将兵、それでも祖国を護らんとした将兵の皆さんの悲しみはどうなるのでしょう?

まずは、終戦後の進攻を認め、謝罪するのが人の道です。

>ソ連側司令官は後に「甚大な犠牲に見合わない全く無駄な作戦だった」と回顧録を残しました<
ソ連軍の司令官が残した回顧録、つまりはソ連が終戦を知っていて進攻したと
いう証になるのではないでしょうか?
正に、世界は腹黒い。

ソ連の政府機関紙が占守島の戦いにコメントを出しているのです、恥ずかしげも無く堂々と。
この様な壮絶な戦いがあったという事を、何故日本は公表しないのでしょうか?
これでは何の為に散らさないでいい命を散らしたか、、、将兵の皆さんのお気持ちを思うと、残念と言うより無念でなりません、、、。

上原先生の言葉で>「ところで、お前さんは、いかなる義に、いかなる覚悟で、日々、生きているのかね」と問いかけられていることに気付きました。
この問いかけに、私は身が竦む思いをしています。」<

仰る通りです。
正に、今の日本人に問いかけられている言葉だと感じました。

2015/08/17(月) 18:48 | URL | #PyZMa2bE[ 編集]
No title
「反日議員・マイク・ホンダのルーツは朝鮮半島だった」 
http://yellow.ap.teacup.com/thinkmon/2501.html
2015/08/17(月) 17:55 | URL | とおりすがり #-[ 編集]
No title
>日本の将兵の多くが、日本の運命と我が運命を同一視していたということです。
これは、凄いことだと思います。
別の言い方をすれば、日本の国を信じていると言うことです。
個人主義と言うことを教えられた記憶がありますけれど、個人主義では国を信じる必要はないわけで、何かことがある場合には危険を感じた場合には、どうしても個の生存を考えます。

しかし、国を単位として考える場合には、ことがあって危険を感じた場合には全体を俯瞰して考えますから、個を犠牲にしても全体として生存すれば良しとする考え方が可能になります。

日本人は海外でも個人より集団が強いと言われると聞いたことがありますが、DNAに染み込んだよい特性だと思います。戦後教育でこれが弱められたのは、残念なことです。



アメリカのWEBメディアのデイリー・ビーストは、米軍の文書を引用し、日本が1945年8月1日までに降伏しなければ、米軍は、投下決定の広島と長崎のほかに、京都、横浜、小倉、新潟、東京などへ、はるかに強力な爆発力を持つ原爆12発を追加で投下する計画を推進していたと伝えたそうです。

京都市は文化財が沢山あるから爆撃対象にされなかったと、言われたことがあります(親も言っていました)。
そうではなく、原爆の目標にされていたことが明確になりました。
地図で見ても、東西南北のうち山のないのは南側だけですから、被害は極めて大きくなっていたと思います。落とされなかったのは、単に戦争が終わっただけと言うことで、広島・長崎の方には気の毒だと思いますが、アメリカが文化財程度で、日本の古都を破壊しないことが確認できたと思います。
2015/08/17(月) 17:30 | URL | ポッポ #-[ 編集]
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2015/08/17(月) 16:47 | | #[ 編集]
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2015/08/17(月) 11:46 | | #[ 編集]
No title
 占守島の戦いがなければ、ソ連赤軍は順調に千島列島を島伝いに制圧し、道東に至ったことでしょう。これに呼応して、南樺太を蹂躙した部隊が道北に上陸すれば、北海道は半分ソ連に持っていかれたかもしれません。最悪、北海道全島失陥の可能性もあった。奮戦し、散華された守備隊の将士に対し、あらためて畏敬の念を覚えます。
 それにしても、地上戦といえば沖縄戦ばかりが注目されますが、東京都下・硫黄島や、千島・南樺太の地上戦は、注目度が低い。硫黄島の戦いは、まだ映画になっていますが、南樺太は『氷雪の門』ぐらい。もう少し、注目されてしかるべきだと思います。
2015/08/17(月) 10:33 | URL | 士魂のかけら #zQLvkSFw[ 編集]
No title
憲法改正し日本軍を復活させて防衛費を増し南樺太と千島列島と竹島を実力を以て奪還すべき。
2015/08/17(月) 09:31 | URL | 民主主義者 #-[ 編集]
No title
「妻と飛んだ特攻兵」観ました。テレビ朝日でしたので、どうかなあと思っていたら、やはり・・・でした。
 ねずさんのブログを読んでいると、感動して涙が出るお話でした。
でも、テレビでは、違いました。
こういうのを換骨奪胎というのでしょうか。
よけいなフィクションで興ざめし、途中で何度も、観たくなくなり
最後まで観て、やはり・・・。
いい映画をみたあとのすがすがしさもなく、ハイ おわったという感じでした。

『国家は個人を束縛するもの、
 国家は個人と対立するもの、
 国家よりも個人が大事、
 つまるところ、私の命がいちばん大事、と思う今どきの日本人と
 別種の日本人だったのです』
いまどきの日本人(としてしておきたい虚像・または、なりすましに日本人)が描かれていたのだと思います。
15日に、植木等の“幻”の主演映画「本日ただいま誕生」を録画していたので、午前中にみていました昭和54年の作品です。シベリアで凍傷になり両足を切断した主人公が、戦後の混乱期を生きていく物語。戦後保障の団体交渉、そこでの仲間のつてで農作物を仕入れ会社を成功させたり、クレージーキャッツの友情出演、乞食坊主となり、弱い人が助け合って生きていく様子。
植木等が出演したいと望んだのはなぜか、
戦後、見てほしくないことも触れられているので、お蔵入りになっていたのかと思いながら観ていました。
戦争物は好まないけれど録画してある、戦後70年特集を観て考えてみようと思っています。


 
2015/08/17(月) 08:31 | URL | えっちゃん #-[ 編集]
No title
韓国成人「半数以上が精神疾患」とhttp://torakagenotes.blog91.fc2.com/blog-entry-3563.html
2015/08/17(月) 07:23 | URL | junn #p4GOlP7Y[ 編集]
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小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
静岡県出身。国史啓蒙家。倭塾塾長。日本の心をつたえる会代表。日本史検定講座講師&教務。
連絡先: nezu3344@gmail.com
著書
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』第1巻〜第3巻
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』
日々、先人たちへの感謝の心でブログを書き綴っています。それが自分にできる唯一のお国への、先人たちへの、そしていま自分が生かさせていただいていることへのご恩返しと思うからです。こうしてねずブロを続けることで、自分自身、日々勉強させていただいています。ありがたいことです。

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