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妻と飛んだ特攻兵 神州不滅特別飛行攻撃隊

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20150814 妻と飛んだ特攻兵


今日テレビで、堀北真希さん、成宮寛貴さん主演のテレビ朝日の戦後70年ドラマスペシャル「妻と飛んだ特攻兵」が放送されます。
お二人は、このドラマの撮影に際して、世田谷観音にある慰霊碑に参拝されたそうです。(上の写真)

成宮さんは、坊主頭がよく似合いますね。
この時期になると、坊主頭になる俳優さんなどがよくテレビに出ますが、まるで似合わない人もいる。
たぶん、血が違うのかなと思ったりしてしまいます。

さて、このお話は、豊田正義著『妻と飛んだ特攻兵 8・19満州、最後の特攻』(角川文庫)が、2013年6月に発売になっています。
これが原作です。

その原作が発売される2年前の2011年10月に、実は豊田さんが、このお話をフライデーで紹介していました。
友人から、このお話が掲載されたという話を聞いて、たいへんありがたく思い、そのことを同じ月にねずブロでもご紹介させていただいています。





冒頭の写真に石碑が映っていますが、そこには、次の文が書かれています。
===========
【碑文】
第二次世界大戦も
昭和20年8月15日
祖国の敗戦という結末で
終末を遂げたのであるが、

終戦後の八月十九日午後二時、
当時満州派遣第六七五部隊に所属した
今田均少尉以下十名の青年将校が、
国敗れて山河なし
生きてかひなき生命なら
死して護国の鬼たらむと
又大切な武器である飛行機を
ソ連軍に引渡すのを潔しとせず、

谷藤少尉の如きは
結婚間もない新妻を後に乗せて、

前日に二宮准尉の偵察した
赤峰付近に進駐し来る
ソ連戦車群に向けて、
大虎山飛行場を発進

全機戦車群に体当り
全員自爆を遂げたもので、
その自己犠牲の精神こそ
崇高にして永遠なるものなり

此処に此の壮挙を顕彰する為
記念碑を建立し、
英霊の御霊よ
永久に安かれと祈るものなり
==========

碑文にある谷藤徹夫少尉は、当時、まさに新婚ホヤホヤで、相思相愛、傍目に見ていても思わず微笑ましくなってしまうほどのアツアツぶりだったそうです。
谷藤徹夫少尉は、大正12(1923)年、青森県下北郡の田名部の生まれです。
田名部というのは、いまの、むつ市です。
恐山の麓(ふもと)あたりにあります。

谷藤少尉の父親は、当時劇場や映画館、レコード店や蓄音機を販売するお店などを経営していました。
少尉はその家の長男でした。
幼いころの谷藤少尉は、勉強も運動も抜群の成績をあげるのだけれど、身長が低く華奢な体つきだったそうです。

徹夫氏の姪(めい)にあたる小原真知子さんによると、
「徹夫おじさんが子供の頃、祭りのときに母の浴衣を着て、水色の腰巻きをつけると、まるで女の子のようにきれいだった」といいます。

勉強ができて、成績はいつも学年トップでした。
物静かで礼儀正しく、華奢で小柄な体型のため、当時必修科目だった柔道や剣道では体の大きなわんぱく少年たちに歯がたたなかったけれど、運動神経抜群、そして少女のように美しい顔立ちの少年、であったわけです。

小原さんによると、
「私の母は、徹夫おじさんの妹にあたるんですが、よく『兄さんのそばに座って、することを見ているだけで、温かくて優しい気持ちになれた』と言っていましたね。徹夫おじさんは、窓際に座ってクラシックを聴くのが好きだった」

谷藤少尉は、昭和17(1942)年、中央大学の法科を卒業すると、青森に帰省して徴兵検査を受けました。
結果は不合格でした。
正確には第二種合格といいます。
第二種というのは、予備役として合格、つまり現役兵士として徴兵には不合格ということです。
理由は、体が小さかったからです。

これは彼にとってたいへんなショックでした。
当時は、できの良い秀才は、祖国を守るため、愛する家族を守るために、自ら率先して兵役に就くというのがあたりまえだった時代です。

やむなく谷藤氏は、日本ビクター蓄音機(現:日本ビクター)に就職しました。
そして営業マンとして、毎日外を飛び回っていたとき、ある夏の暑い日、たまたま街で一枚のポスターを見つけました。
昭和18年7月のことでした。
ポスターには、「学鷲募集」と書かれていました。
陸軍が航空戦力の増強を図るため、早急にパイロットの育成をしようと、大卒者を対象に「特別操縦見習士官(通称:特操)」の制度を創設したのです。

特操ならば、1年でパイロットになれます。
思わぬチャンスが、谷藤さんに到来しました。
募集枠は、第一期、第二期あわせて3000名です。
何と6倍もの大卒者が受験に集まった狭き門ですが、そこで谷藤さんは、青森県でただひとりの合格者となりました。

こうして谷藤さんは、昭和18(1943)年10月晴れて福岡にある「大刀洗陸軍飛行学校」に入学しました。
同期は240名です。

この「大刀洗陸軍飛行学校」の訓練は、とても厳しいものです。
なにせ、通常なら数年かけて仕込まれる飛行機の操縦や、軍事法規、国際法、航空力学などの知識を、たった一年で全部仕込まれるのです。

訓練学校の生徒たちは、入学時点で下士官のトップである曹長の肩書きをもらえます。
当時、曹長だった谷藤さんが母親に書いた手紙が残っています。

 ****
前略 お母さん、
徹夫が立派な手柄をたてるまでは、
何が何でも病気にならないでください。
自分は幸いに飛行機乗りに適しているらしく、
数回の飛行で自信ができました。
将校は軍の根幹であることを自覚し、
元気にやっています。
機上から遠く田名部の空を望見しています。

 ***

前略
いよいよ本格的な飛行演習がはじまっています。
願わくば一日も早く敵ボーイングに見参せんと念じ、
自分の年齢が自分の撃墜責任数と思い、
実現を誓っています。

 ****

体の小さな谷藤さんは、それだけで戦闘機乗りとしては有利です。
彼は懸命に努力し、パイロットとしての技能を磨きました。
谷藤さんが入隊して一ヶ月ほど経ったときの、母からの手紙です。

 *****

お前からの便りによると、
いよいよ単独飛行の操縦を開始するとありますが、
その訓練こそ魂を打ち込んだ訓練でなければいけません。
いまの母は、一刻も早く、
お前が立派な学鷲として大空へ進発し、
真珠湾以上の偉勲をたててくださるよう、
ひたすら神に祈っています。

 はばたきて
 大空翔る姿をば
 みるまで母の 心もとなき

この歌はつたなきなれど、
母の真心を思い下されますよう。

 *****

母の手紙には、偉勲をたててくれるよう祈っていますと書いてあります。
けれど、文字の表面だけ読んではいけません。

当時、飛行訓練生というのは、非常な危険を伴うものだったのです。
ですから軍隊に入っても「飛行兵だけにはなってほしくない」にはなってほしくないというのが、世の多くの親の率直な心でした。
なぜかというと、今のように、航空シュミレーターがあった時代ではなく、訓練中の事故死は非常に多かったし、墜落して死ねば、遺体は跡形も無い肉片になってしまいます。
そして訓練校を卒業して戦地に赴けば、まず生きて帰って来れない。

私の中学時代の恩師は、このときの飛行兵の生き残りだった人です。
訓練中の急降下訓練でそのまま地面に激突すると、遺体は刺し身の切り身のような破片になってしまう。
それを訓練生みんなで涙をこらえながら箸で拾ったと、話してくださいました。
それくらい航空兵というのは危険だったのです。

航空兵の親だって、世間の親となんら変りありません。
ましてとびきり優秀な若者と育ってくれた我が子です。
絶対に死んでほしくなんかないというのが親心です。
けれど、その心配の心をあえて押さえて、お母さんは、「しっかりやってください」と手紙に書いています。
そして訓練生たちも、そんな親心を、ちゃんと理解できるしっかりした子、そういうことのわかる優秀な子供たちだったのです。

だから母の手紙を、額面通りに読んではいけません。
心配で心配で夜も眠れないくらい我が子が心配で、愛(いと)しくて不安で、だから母の手紙には、「心もとなき」と書かれているのです。

厳しい訓練の毎日にも、谷藤曹長に休暇の日はありました。
彼は、その短い休暇を利用し、福岡の親戚を尋ねています。
実は、谷藤さんの母は九州の福岡の出身です。

親戚の家を尋ねた谷藤さんは、そこで、ひとりの女性を紹介されました。
それが、二つ年上の朝子さんでした。

二人は互いに一目惚れだったそうです。
そしてお二人は結ばれました。

お見合いであろうがなかろうが、こういう「一目会ったその日から」ということは、やはり「ある」と思います。
生命の紐帯なのか前世の因縁か、そこまではわかりません。
けれど世の中には、初めて会ったのに、なぜか懐かしい人とか、こみあげるものを感じる相手といのは、たしかにいます。お二人もそうだったのではないでしょうか。

片や、紅顔の美少年で、成績優秀、スポーツ万能でクラシック音楽が大好きで、性格もとても温か味のある当時のエリート中のエリートの航空訓練生です。
そして朝子さんはとても美人でチャーミング、性格も温厚で明るく、とても働き者の女性です。

お二人は、何度か逢瀬を重ね、結婚を約束しました。
けれど谷藤曹長は、卒業すれば戦地に行きます。
卒業して任地に赴いたら、まず帰れません。

「だからこそ、優秀なパイロットの種を貰い受けたい。優秀な子を残したい」・・・そうした本能というか要求というか、これは言葉にできないものです。

お二人のご両親も、結婚に賛成してくれましたが、朝子さんの姉は、ちょっと心配だったそうです。
お姉さんの夫は、傷痍軍人です。旦那さんは大怪我をして、もはや普通に働けない体になってしまっていたのです。それでも、恩給はもらえるし、なにより「生きて還って」きてくれています。

けれど、パイロットは、怪我をして帰って来ることはないのです。
「私の夫は、それでも生きて帰ってくれたからまだいいわ。けれど軍人の妻になるということは、いつ未亡人になるかわからない身の上になるのです。朝子は覚悟の上?」と、お姉さんは妹に、そう迫ったそうです。

このとき朝子さんは、
「いつかは、別れなければならないときがくるでしょう。覚悟は、しています」と答えたそうです。
たとえ二度と会えない人になってしまうとしても、どうしてもこの男性と一緒になりたい。
真剣にそう思えるほど、朝子さんはすでに谷藤さんを愛していたのです。

そしてお二人は昭和19年に、晴れてご結婚されます。
もっとも夫の谷藤さんは、その時点ではまだ訓練生です。
ですから官舎を出て新居を構えるというわけにはいきません。
夫は、休日だけ妻の実家に帰って、お二人だけの時間をすごしました。そういう生活が続きました。

そして10月、谷藤さんは、訓練校を卒業し、晴れて陸軍少尉に任官しました。
「これでいよいよ戦地に行ける。」
そう思っていた谷藤少尉に与えられた任務は、なんと、満州で航空教官として少年飛行兵に基礎操縦法を教える、というものでした。
少年飛行兵というのは、戦線押し迫って来た中で、特攻隊員として知覧から飛び立つパイロットたちです。
しかも場所は、当時、この時点では戦場にさえなっていない、平和な満州です。

これは、驚くべきことです。
そもそも谷藤少尉が卒業した訓練校は、「特別操縦見習士官(通称:特操)」であり、パイロットの「即戦力」を養成するための学校です。
ですから卒業生は、全員、そのまま南方の激戦地に送られていたのです。

ところが谷藤徹夫少尉に届いた命令は、その時点では戦闘地域が存在しない満州です。
しかも実戦経験もなく、訓練を終えたばかりで「教官」だという。
このことは、当時の日本陸軍を考える上で、とても重要なことです。
谷藤少尉は、長男で新婚です。

日本陸軍は、そうした谷藤少尉の身上をよく把握し配慮し、人事を行っていたのです。
もっといえば、谷藤少尉を訓練した教官は、そういう谷藤少尉の身上、いやそれだけではなく、他の生徒たち全員の身の上をきちんと把握し、それを陸軍省の人事局にまでしっかりと上申し、その配属を受けて陸軍省は配属を決めていた、ということです。

昨今では、会社勤めをしていても、単に社内の業績だけで人を判断し、それをもって能力給制度だなどと自慢げに制度化している会社が多くなりました。
会社には、私生活や、個人の事情は関係ない、というわけです。
けれど、人は会社生活だけではなく、その人それぞれの家庭がある。私生活があるのです。
そういうものをきちんと把握して行うのが本来の人事というものです。
すくなくとも、私はそのように思います。

昨今は、平等主義なのだそうです。
一生懸命人の倍働く人も、文句ばかり言って人の半分しか仕事をしない人も、給料は平等だ、などと言われます。
けれど、それは人事考課を行う上司にとって楽なだけで、非常に狡猾で小ずるい人事考課です。
一生懸命頑張る人と、そうでない人には、ちゃんと差をつける。
それが「公平」というものです。

さらにいえば、谷藤少尉は、人柄や成績などから判断して、南方戦線でただ死なせるにはあまりに惜しい男だ、ということです。
だからこそ上官(教官)は、彼の私的事情を考慮し、そのまた上の陸軍の人事にまでかけあって根回しし、話を通して、彼の命を守ろうとした。
そうしたことが日本陸軍ではあたりまえだった。
そして、そういう配慮をしてくれる軍の上層部に、兵士たちみんながとても感謝し、信頼していたというのが、日本陸軍だったのです。

さて、いよいよ谷藤大尉が満州の任地に向かうために旅立つ日がやってきました。
その日、下関から釜山に向かう連絡船に乗る谷藤少尉を見送りに来た朝子さんに、少尉は次のように言ったそうです。
「満州は平穏な状況だと聞いている。将校は家族を呼んで、官舎で一緒に暮らせるそうだ。必ずお前を呼ぶから、そのときまで田名部で待っていてくれ」

妻の朝子さんが、黙ってうなづいたのか、「ハイ」と返事をしたのか、それはお二人の記憶の中でしかわかりません。
けれど朝子さんは、夫のいいつけをちゃんと守って、故郷の福岡から、青森にある夫の実家に向かいました。

もし夫のいる満州に呼んでもらえるなら、出発は下関から釜山に渡り、そこから鉄道で満州に向かうのですから、博多の実家にいたほうが、楽です。
けれど、お嫁に行った以上、朝子さんは谷藤家の女性です。
だから夫のいない青森の夫の実家で、夫に呼ばれる日を待つことにしたのです。
結婚したら嫁いだ先の家の人。
それが当時の常識だったのです。

その青森の実家では、長男が軍務で家を出てしまっています。
それも危険な航空兵です。
心配で心配で、火が消えたようになっていた青森の実家に、兄嫁の朝子さんがやってきたのです。

青森にやってきた朝子さんがどのような女性だったのか、義弟の勝男さんが次のように述べています。
「初雪を見ると、朝子さんを思い出すんですよ。九州育ちの朝子さんにとって、雪国の生活は何もかも新鮮だったのでしょうね。初雪を見た朝子さんは、『雪を見るのは初めて』と、飛び上がらんばかりに喜んで、屋根に上がったかと思うと、雪をたくさん詰めたバケツを抱えて戻って来て、お皿に雪を盛って砂糖をかけ、『美味しいわ』と言って食べてました。」

明るくて朗らかで、笑顔がたえなくて、働き者で美人の若い奥さんです。
家の中の空気も、いっぺんにほがらかなものになった。そんな様子が伺えます。
谷藤家の実家の誰もが、朝子さんをとっても大好きになりました。

昭和20(1945)年7月上旬、青森の実家に、谷藤少尉から手紙が届きました。
「官舎が空いたから、一緒に暮らせる。満州に来てくれ」
待ち焦がれた便りです。
朝子さんの嬉しそうな顔が、まるで目に浮かぶようです。

朝子さんは、いったん故郷の唐津に戻り、下関から釜山港行きの船に乗りました。
このとき、朝子さんのお母さんが、港まで見送りにきました。
お母さんは朝子さんに、
「徹夫さんの勤務にしっかりとついて行くんですよ。一生懸命、内助の功をつくしなさい」と言いました。
そう言いながら、可愛い我が娘の身が案じられてならない。

一人旅で、満鉄を乗り継いだ朝子さんは、やっと大虎山駅にだどり着きました。
その朝子さんを、夫の谷藤少尉が出迎えました。
夫は、ようやく板についてきた将校服を着ていました。
谷藤少尉にとって、洗い立ての将校服は、愛する妻に最大限の敬意を払った服装です。

お二人は、まる9ヶ月ぶりに再開しました。
どんなになつかしかったことでしょう。
どんなに嬉しかったことでしょう。

お二人は、官舎で二人だけの新婚生活を始めました。
当時の様子について、お二人の隣の官舎で暮らしていた第五練習飛行隊長の箕輪三郎中尉の奥さんの証言があります。
「谷藤さんが出て行くとき、いつも奥さんが『いってらっしゃい』と手を振って投げキッスをするんですよ。
うちの子供がそれを見て、
『かあちゃん、谷藤のおばちゃんがこういうふうにしたけど、あれって何なの?』って尋ねるから、
『いってらっしゃいの合図よ』って答えましてね、
それを聞いたうちの子は、お父さんがでかけるときに、真似して投げキッスをするようになったものでした」

お二人の幸せな新婚生活が目に浮かぶようです。
これが、終戦も押し迫った、昭和20(1945)年7月のことでした。

谷藤少尉が勤務していた北満州の大虎山の日本陸軍第五練習飛行隊は、知覧から飛び立つ特攻隊員を育てる訓練隊でした。
陸軍の特攻隊は、満州各地でも続々と編成され、満州各地にある訓練隊で訓練を積んだあと、鹿児島にある知覧飛行場などから沖縄の米艦隊に向けて出発していました。

訓練は、もっぱら急降下を繰り返す特攻を意識した操縦法でした。
当時の満州には、こうした特攻兵養成のための航空練習隊が、数十カ所ありました。
そして大虎山飛行場には、11機の九七式練習機がありました。

大虎山飛行場での谷藤少尉の様子について、当時17歳の訓練生だった前田多門さんが、次のように書いています。
「温厚で教え方も丁寧でやさしかったです。日本国内の飛行訓練では、下士官上がりの教官からしょっちゅう殴られましたが、大虎山では一度も殴られたことはなかった。たしかに操縦はうまい教官だとはいえませんが、人格は立派な方でした」

谷藤少尉の上官だった前出の箕輪中尉の妻、哲(てつ)さん(96歳)は、
「谷藤さんは主人の副官役をされていたのですが、よく主人は『谷藤には教えられることが多い』と言っていました。少年兵がミスや規律を犯したとき、主人はカッとなって声を上げたようですが、あとから谷藤さんに、『ああいうときは人前ですぐ叱っちゃだめですよ。こっそり部屋に呼んでゆっくり諭さないと』と言われ、意見を素直に聞き入れたようです」

そんな、やさしさを見せる谷藤教官ですが、彼が育てる訓練生たちは、ここを卒業したら特攻隊員です。
生きて還ることはありません。
彼は「からなず後から行く」と、生徒全員に言っていたそうです。
けれど、彼の意に反して、谷藤少尉に特攻出撃の命令が下ることはありませんでした。

そして、昭和20(1945)年8月9日、ソ連が突然日ソ不可侵条約を破って、満州に侵攻してきました。
ソ連軍は、行く先々で虐殺、強姦、略奪を繰り返しました。

大虎山の第五練習飛行隊からは、8月18日、谷藤少尉の同僚である二宮准尉が、大虎山から300kmほど離れた赤峰(せきほう)で、ソ連軍の行状を偵察飛行して確認しています。
その報告は、
「ウサギのように逃げ回る邦人を、露助が機関銃で撃ち殺し、戦車で轢き殺していました」というものでした。

そしてその日、関東軍総司令部から第五練習飛行隊に、「ソ連軍に対して武装解除し、飛行機は全機、錦県の航空基地に空輸し、ソ連軍に引き渡すように」との命令が下りました。

その日、飛行場の近く似合った伊予屋という小料理屋に、飛行隊の有志が集まりました。
少年兵の教官を務めていた少尉やあ准尉の面々です。

「戦わずにおめおめと降伏なんぞできるか。俺たちは露助と戦うぞ」と気炎をあげる彼らには、けれど空からソ連軍の戦車部隊をやっつけるための爆弾等の装備がありません。

唯一の戦法は、空からソ連軍の戦車に体当たり突撃です。
爆弾を搭載しない飛行機で体当たりしても、もちろんたいした損害は与えられません。
けれど、それでもソ連軍が特攻を受けるのは初めてのことです。
彼らに相当な心理的ダメージを与えることはできはずだ。
そうして彼らの進撃を遅らせれば、日本人居留民が、たとえひとりでも余計に帰還できる時間を稼げるに違いない。
彼らの心は決しました。

彼らは、自分たちの特攻隊を「神州不滅特別攻撃隊」と命名しました。
自分たち亡き後も、祖国が未来永劫、栄えてもらいたい。
そういう気持ちから付けた名前です。

一夜明けて、19日の早朝、11名の飛行機乗り達は、将校集会所に集まり、最後の作戦会議をしました。

たまたまそこに箕輪隊長が入ってきました。
隊長は、黒板に書かれた文字や図、ただならぬ気配から、彼らが軍の上層部の命令に従わず、ソ連軍に特攻するつもりであることに気がつきました。
そして若い教官達は、箕輪中尉に、作戦を打ち明けました。

箕輪中尉は、「それなら俺が指揮して行く」と言いました。
それを諌めたのが谷藤少尉でした。
「私たち以外にも、この航空隊には隊員がいるのです。隊長には、大勢の部下達をまとめれいただけねば困ります。見て見ぬ振りをしてください」
箕輪中尉は、「成功を祈る!」と言い残して、集会所を出て行きました。

いよいよ出発のときがやってきました。
11名の教官達は、箕輪隊長の前に整列しました。

隊長は言いました。
「これが諸君らの最後の任務である。残った兵士は陸路、錦県に向かう。向こうで合流する」
もちろん、箕輪隊長は、彼らが錦県に行かないことを知っています。
知っていて、公式にはこう言わざるを得なかった箕輪隊長は、そう激励しながら、嗚咽をこらえることができなかったそうです。

11機の飛行機に、隊員たちが乗り込みました。
そのとき、見送りの人達の中から、谷藤少尉の飛行機に、白いワンピース姿の朝子夫人が現れ、谷藤少尉の飛行機の少尉の後ろの席に乗り込みました。

大蔵巌少尉の飛行機には、前夜、みんなで打ち合わせした伊予屋の女中さんだったスミ子さんが、やはり白のワンピース姿で乗り込みました。

飛行機のエンジンが始動しました。
離陸の爆音が響き渡りました。
一番機は、谷藤少尉です。
そして次々と機体が空に浮かびました。

11機は飛行場の上で旋回し、隊列を組みました。
そのとき、伴元和少尉の飛行機が、エンジントラブルで飛行場のはずれに墜落してしまいました。
残る10機は、青く澄み切った大空を、錦県のある西ではなく、赤峰のある北の空へと消えて行きました。

新婚だった谷藤少尉が、どのような経緯で妻の朝子さんを特攻機に乗せることになったのかは、いまとなっては謎です。
けれどひとついえることは、一緒に飛び立った仲間たちは、全員、朝子さんが一緒に逝くことを知っていたということです。

おそらくは、前日、伊予屋で打ち合わせをしたときに、谷藤少尉の口から、「妻も行く」という言葉が発せられ、みんなもそれを理解したのではないか、と思うのです。
であるとすれば、朝子さんと谷藤少尉の中で一緒に死のうと交わされた言葉は、その前であったはずです。

おそらく、ただならぬ表情で帰宅した夫の様子に、朝子さんは夫が死ぬつもりであることをするどく感じ取ったに違いありません。
そして、どうしても一緒に逝くと言い張った。
二人の間には、喧嘩もあったかもしれません。
けれど、朝子さんは、どうしても、と言って聞かなかったのでしょう。

そもそも、女性を特攻機に乗せるなど、前代未聞です。
けれど朝子さんを置いて行けば、11機が飛び立つことによって、大虎山周辺は、守備兵力が完全に失われます。
そこにソ連兵が来たら、朝子さんはどうなるかわからない。
「置いていくというなら、私は先に死にます」
朝子さんは、そう言ったのかもしれません。

実際、出発の日である19日の早朝、一緒に散って行かれた岩佐少尉は、その日、許嫁とその母を失っています。
岩佐少尉は、出発の日の朝、許嫁の母娘に、別れの挨拶のために訪れたのです。
すると、許嫁は、母親と一緒に白装束を来て、いまから自刃して果てるという。
そして二人の母娘は、岩佐少尉の介錯で、見事に自決しています。

朝子さんは、知っていたのです。
夫の谷藤徹夫は、同級生の二瓶少尉が、前年の12月、レイテで特攻隊として散って行ったことを、です。
そして夫が、死に場所を求めていることにも気付いていたのでしょう。
ソ連軍がせめて来たとき、そしてあらん限りの暴行をしているという事実に接した朝子さんは、そのときにはなにがなんでも愛する夫と一緒に空の旅に出ようと心に決めていたに違いありません。

伊予屋に勤務していたスミ子さんは、名前がスミ子ということ以外、いまではまったく何もわかりません。
けれど、彼女は、前日の打ち合わせのときに、谷藤少尉が奥さんを連れて行くというのなら、私も一緒に連れていってと頼み込みました。
結局、大倉少尉が、スミ子さんを乗せました。

こうして二人の女性は、それぞれの愛する男性とともに、一緒に飛行機に乗り込み、満州の空へと飛去りました。

11機が飛び立ったあと、小出宏元少尉は、今田達夫少尉から受け取った図嚢をそっと開けてみました。
そこには一通の封筒と、30cmほどの短刀が納められていました。
そして封筒の中には、和紙に墨書きされた檄文がはいっていました。

そこには次のように書いてありました。

******
戦い得ずして戦わざる空の勇士11名
生きて捕虜の汚辱を受けるのを忍び難し
ここに神州不滅特別飛行攻撃隊を編成し
昭和維新のさきがけたらんとす
******

大虎山を飛び立った10機は、一路、赤峰のソ連軍戦車部隊を目指しました。
けれど隊員のひとりである宮川次郎少尉の飛行機は、途中でエンジントラブルに遭って墜落し、地元民に救助され、錦県の本部に帰還後、ソ連によってシベリアに抑留されています。

残る9機が、その後どうなったのかは、杳としてつかめません。
私たちとしては、たとえ一機でもいい、見事ソ連軍戦車を粉砕していて欲しいと願わずにいられません。


この物語には、後日談があります。
出撃の際に、飛行場で墜落してしまった伴少尉、途中で不時着した宮川少尉、第五練習航空隊の隊長であった箕輪中尉など、生き残った関係者は、その後、全員、ソ連軍によって連れ去られ、シベリアに抑留されました。
そして伴少尉は、シベリアの収容所内で、若い命を落とされています。

彼らが抑留されている間、日本国内では、最後の特攻を敢行した11名については、軍の正式命令に基づく特攻ではなく、自らの判断による特攻だったということで、戦後の日本政府による正式な調査も行われず、また靖国神社への合祀も行われませんでした。

シベリアの抑留生活から帰国した箕輪元中尉らは、このことを知り、粘り強く厚生省と折衝を続け、やっっと昭和32年になって、彼ら10名は戦没者として認められ、靖国神社もかれらを合祀を実現しています。

そして箕輪元中尉らは、さらに募金を集め、昭和42(1962)年5月に、東京世田谷区の世田谷観音内に、神州不滅特別攻撃隊の顕彰碑を建立しました。
そしてその碑文に、「谷藤少尉の如きは、結婚間もない新妻朝子夫人を後ろに乗せて」の一文が刻まれたのです。

その顕彰碑が建立されたころ、朝子さんは、この時点で戸籍上はまだ生きている人として登録されていました。
朝子さんの母親である中島トヨノさんは、九州の唐津で、愛する娘さんの帰りを、このときもずっと待っていたのです。
事情を知る人が、朝子さんは徹夫さんと一緒に特攻機で旅立たれたのですよ、と話しても、トヨノさんは、娘は生きていると、絶対に信じようとしなかったそうです。

昭和43(1968)年箕輪元中尉が、朝子さんの特攻出撃の日のことを詳しくしたためた死亡証明書をトヨノさんに手渡したとき、トヨノさんは、泣き崩れたそうです。
「朝子が(釜山に渡る)連絡船に乗り込む時、『徹夫さんの勤務に喜んでついていくんですよ。一生懸命内助の功を尽くしなさい』と言って別れたんです。まさか、特攻にまで付いて行ったなんて・・・」

出撃されたときの白のワンピースは、戦時下でのせめてもの死出の旅立ちの衣装だったのかもしれません。

朝子さんは、ご主人のことを本当に愛していらしたのですね。
どこまでも一緒にいたい。ずっと一緒にいたい。たとえ命がなくなっても、魂は夫とともにありたい。
昔は、肉体と魂は別々なものと考えられていたのです。
死ねば肉体は滅び、命はなくなる。
けれど肉体に宿っている魂は永遠です。また輪廻転生するか、あるいは神になり、あるいは地に落ちる。そう思われていました。
そんな魂は、次に転生するときには、二つの魂が一緒になって一つの肉体に宿ったりすることもあるのだそうです。
お二人の命はなくなりましたけれど、お二人の魂は、きっと平和な世の中に生まれ変わって幸せにお暮らしになられたのではないでしょうか。

スミ子さんも、隊員の方々が大好きだったのだろうと思います。
日頃隊員の方々と接していて、この人達が大好きになったのでしょう。
宿屋の女給とお客さんという立場を越えて、彼らと彼女には男と女の情が通ったのだと思います。
だから一緒に死のうと思った。

隊員たちは、まさに神州不滅を信じた特別飛行攻撃隊の荒鷲たちでした。
彼らは何故死んだのか。
祖国の不滅を信じたからということができるのではないでしょうか。
魂は、ほんの数十年の人生で滅びてなくなってしまうような、ちっぽけなものではありません。
彼らの魂は、永遠に神州の守護神となって生き続ける。

戦争が終わった後、生き残る人々もいます。
生きて、神州をもう一度再興する人々がいます。
その人々を信じたから、彼らは散っていったのだと思います。
そしてその「信じられ、託された」人々というのは、他でもない、いまを生きている私達なのではないでしょうか。


※この記事は2011年10月の記事のリニューアルです。

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コメント
まさに「祖国を愛する」ことを実践されたのですね
 先日「妻を乗せた特攻隊」をテレビで観て、感涙しておりましたから、貴ブログでねずさんが、解説しておられるので、嬉しくなり コメントさせて頂きます。
「軍人の妻」としての覚悟は、どれ程のものか、私には解りかねますが、ただ単に戦地の夫を待っていただけでは、なかった事はよく解りました。
日本古来の「武士道精神」が受け継がれ、共に闘っていたのですね
今日の平和は、彼等の上にある
その事に感謝し、尊崇の念を抱いております。 ありがとうございました
2015/08/17(月) 22:47 | URL | 能勢 馨 #-[ 編集]
No title
いつも拝読させて頂いております。ドラマを観ました、既に2011年こちらのブログにてお話を知っておりましたが、ソ連の極悪な所業に対して二宮准尉の「我々皇軍がシナ人に同じことをしなかったと言えるのか」というようなセリフ、谷藤少尉の「国が国民を苦しめない世の中になってほしい」と箕輪中尉へ言ったセリフはテレビ朝日の脚色であり、実際に言った言葉ではないのではないかと疑問を持ちました。そういう意味では美しいお話がドラマ化されたのに少し残念に思いました。
2015/08/17(月) 11:29 | URL | a6m5 #Ri0.Nt7g[ 編集]
No title
私もがっかりするのが嫌で、結局最後の方だけ見ました。
最後に谷藤夫妻のお写真がドラマのモデルとして映っていましたが、仮名にする必要があったのでしょうか。
また、主人公が「日本が国民を苦しめないような国になって欲しい(要約です)」と遺言したというセリフがありましたが、本当かしらと思いました。
何はともあれ、ねずさんの記事を再読させて頂き、心に刻みます。
2015/08/17(月) 04:39 | URL | toko #ZTr5BU6o[ 編集]
No title
こんばんわ。
ここ数日帰省やら靖国参拝、護国神社参りであまりブログを拝見できていませんでしたので最近の話題に疎いのですが、ウシハク人間に大打撃を与える簡単な方法が自分の中で確定しつつあります。
古典を読むことです。題材は古事記と日本書紀の原文で、相手の様子如何に関わらず読み続ける。これを徹底的に何日間も行う。いわば彦島租借対抗作戦です。これで組織壊滅とまではいかずとも、多数の人員の削減に貢献できると考えます。彼らとて戦後教育を受けてきた人ですから、古典への抵抗がかなり大きいので何時間も原文を言い聞かせられたら精神的消耗も激しいです。これを見て、あ面白そうだなと思ったらお試しあれ。

去る14日終戦70年談話が安倍総理から出されました。出さないほうが良かった等の声が保守陣営からも聞こえますが、私が第一に評価したい点は台湾が正式に国名で登場したことです。この点は国際政治上大きな影響力があると思っています。この点で私は出す価値が少しでもあったかなと思います。
ただ、全体的に連合国礼賛の記述も見られる上に支那事変の総括が不十分に思えたので一概に全て良かったとは言えませんが、全体的にバランスよくまとまっており今後の我が国の姿勢を中外に明かにした点は良かったのではないかと思っています。
宜しければねずさんの御見解をお伺いいたします。
2015/08/17(月) 04:32 | URL | 岡山のネトウヨ #-[ 編集]
No title
完全に#PyZMa2bEさんに同意。
占守島については著:浅田次郎〈終わらざる夏〉で初めて知りました。
齢70になる、元小学校教員な母も初めて知った。と。
つまり戦後教育では、1945年8月15日以降に攻められた事は隠されていた。のかな?。

ヤルタ会談については
米側から1956年「米政府公式文章で無く、無効」2005年「史上最大の過ちの1つ」なんて宣言されてますが
後から遅いんだよ。と言いたい。
ま、『ソ連がドイツ降伏3か月後に対日参戦する』という小野寺情報も大本営で握りつぶされた様で。
ソ連を信じすぎましたな、日本は。ニコライ皇帝と交流あったんでしたっけ?その影響?

さて、テレ朝【妻と飛んだ特攻兵】ですが、なんだか見る気起きなかったのです。
どうせ都合良く愚民化政策的に作ってんじゃねーの?
知ってるから、ねずさんブロで知ってるから。なんて投げやりに。

というのも昨日フジでやってた【私に戦争を教えて下さい】
若手有名俳優が戦争経験者から、現地に行き話を聞く的な番組でしたが。
揃いも揃ってくっだらねぇ質問ばかり、
「相手が人間って考えられなかった?」
「戦争って何ですか?」
とりあえず【硫黄島からの手紙】とか【プライベートライアン】とかの映画でも見なおして来いよ。と思った。

また【私の街も戦場だったⅡ】ではガンカメラ映像が公開されて良かった。
普通に軍事施設近辺の市街地とか漁村を攻撃している。民間人を。
輸送船とか列車も攻撃してます。
これは米軍の方針で、輸送を断つ(為には民間人被害しょーがない)という容赦無いもの。
番組内でも攻撃に加わった元パイロットじいさんが
「当時、日本人は人間とは思ってなかった」とはっきり証言ww

そいえば、池上彰番組で、日本が敵輸送船を攻撃しなかったのは〈点数制〉による為と解説。
出した資料によると、なるほど空母が一番高くて輸送船は低い。
ふーん。。。やっぱり高得点狙いたいよねー。。
って、いやいやいやいや!そんな資料出す前に、対馬丸とかの話出せよ!
連合国側がどんだけハーグ条約違反して非道を行ったのかっての解説しろ!

ふぅ、、、長文すみません。
TVって今の日本では大抵の人が見るじゃないですか、
それ分かってて、とある方向に持ってこうとする意図のある番組が多すぎる。

では、【妻と飛んだ特攻兵】見てみます。
願わくば、歪曲捏造の無く、英霊を貶める事の無い様に。

※放送開始
「当時満州は日本の植民地だった。」
登場人物が偽名??  開始5分で引っかかった・・・
最後に「この物語はフィクションです」とか貼り付ける気じゃないだろうな?フジよ。
2015/08/16(日) 21:15 | URL | 物申すTV #-[ 編集]
No title
以前、ねずさんのブログでこの話を拝読し、涙したのを思い出します。
今夜の放映楽しみにしています。

8月9日、ソ連が満州に雪崩のように攻め込んで、あらぬ限りの蛮行に及んだ事は史実(証言)でも明らかです。
私の知人で、お父様やお母様が当時満州から引き揚げて来られた方が何人もおられます。
引き揚げられた方々のお話はネットでも多くの方が紹介されています、ほぼそれと同じです。

日本とソ連は、当時「日ソ中立条約」を締結していました。
しかし、日本の敗戦が濃くなるを待っていてその時を虎視眈々と狙っていたわけです(ヤルタ会談の密約遂行)
日本は条約を締結したらそれは遵守しなければいけない、それが日本、日本人なのです。
勿論、満州国と国境を隣接していたソ連には警戒はしていたと思います。
しかし、まさか条約締結国の相手があの原爆投下の日に合わせて進攻しようとは
予想だにしなかったでしょう。

日本は、今考えればお人好しと言われても仕方ありません。
1945年2月4日~11日にクリミア半島のヤルタ近郊ですでにヤルタ会談(戦後処理についての密約)がすでに行なわれていたのです。
まあ、それにしてもタヌキばかりが雁首揃えて映ってますね。
決して揶揄して言ってるのではありません。
何故タヌキかと言いますと、先の戦いの真実と言うか、史実を少しでもかじった方ならお解かりになると思います。

あの時(戦争末期)日本は終戦に向けあらゆる手段を模索していました。
何と、ソ連に仲介役を打診していたのです。

ソ連としては、そりゃおかしいどころではなかったでしょうね。
今の言葉で言ったら「馬っ鹿じゃない!」ってところでしょう。
ソ連はそんなの飲むわけないでしょう、だってもうすぐ日本は敗戦する事が解かっていて、美味しい餌が目の前にぶら下っているのです。
それがもう少しで手に入るのですからね。

で、ソ連はのらりくらり、時期到来を待っていたという事です。
だって戦わずして領土を取れるのですからね、そりゃ、日本軍の反撃はあったとしても、武器も無ければ弾も無い、そんな日本兵との戦いは、ソ連にとっては蚊に刺されたようなものです。

終戦においての満州国でのソ連軍の蛮行、また8月18日、占守島においてのソ連軍の進攻、(占守島の戦いは
ねずさんのブログでも詳しいところです)

谷藤少尉と奥様がまさに死出の覚悟をされていた時には、占守島においても島民を守ろうと壮絶な戦いが始まっていたのです。
その事を頭の隅においてご覧になられたら、谷藤少尉、そして占守島で戦った兵士の皆さんのお気持ち(どちらも国を守らんが為の戦い)に少しでも近づけるのではと思います。

要は私が言いたいのは、あの時代の世界は条約、つまり約束なんてあって無い様なものなのです。
その世界において日本は真っ直ぐすぎました。でも、そこが日本人たる所以です。
この日本の精神は永遠です。

お花畑(つまり、お人好し)勿論それもいいでしょう、ですが、世界は腹黒いを念頭において、平和とは何かということを、考えていかなければならないのではと思います。

2015/08/16(日) 16:40 | URL | #PyZMa2bE[ 編集]
No title
いつも興味深い話をありがとうございます。
本文中の陸軍の人事についてのくだりを読んでいて、私の祖父の話を思い出しました。

私の父方の祖父は確か徴兵で海軍所属となり、中国へ配属となったそうです。
その際に祖父の両親がせめてと祖母と大急ぎで結婚式だけ挙げて、祖父は大陸へ赴任しました。
祖父が大陸へ赴任したとき、上官が祖父が新婚であることを知ると「貴様のような奴は帰れ」と言って祖父はすぐに本土に追い返されたという話を思い出しました。

それがいいことだったのか悪いことだったのかは私には分かりませんが、少なくとも祖父を追い返してくれた上官の方がいなければ、今私はここにはいなかったかもしれません。
2015/08/16(日) 12:23 | URL | 名無しさん@ニュース2ch #-[ 編集]
ねずさんが実は親日と言われていた北の
刈り上げ君が静かなのが不気味です。
何かアメリカとの密約が結ばれたような気がするのは間違いでしょうか。どちらにせよ、拉致された日本人の開放と底辺で苦しんでいる北朝鮮人の開放を想い注視します。
2015/08/16(日) 12:09 | URL | #-[ 編集]
素晴らしき哉、この夫婦愛!
この当時の、家族愛、夫婦愛というのは実に素晴らしいものですね!ところで私ごとですが、あと2年で金婚式を迎えますが、結婚前は彼女の会社勤めが終わる頃を見計らってホンダのCB250で迎えに行き、タンデムを楽しんでいました。それから二人で夜の街へ出掛けて男性バーテンダーのいる洒落た店に入って二人でカクテルを楽しむと言うお付き合いをして結婚に至りました。

現在は、アプリリア・スカラベオ250GTというスクーターで、かみさんとタンデムをやっていますが、二人で行く旅行には飛行機で出掛けます。かみさん曰く「船の事故では泳げないし、水の中で、しわじわと苦しみながらは嫌だ。飛行機なら、あっと言う間で苦しまないから、これが一番だわ」・・・と

うちの50代の甥っ子は、飛行機は怖くて絶対に乗れません。いつも新幹線で博多から東京までやってきます。かみさんの伝で行くと、このたびのお話にある谷藤小尉の新妻、朝子さんが最愛の夫と一緒に特攻機に乗って逝ったのは、うちのかみさんと同じような気持ちが有ったのかも知れません。

私が当時の、谷藤少尉で、新妻の朝子さんが、うちのかみさんだとしたら同じように行動してくれただろうと思います。相思相愛、永遠たれと祈りたいです。
2015/08/16(日) 11:12 | URL | terag3 #KVPRtAI6[ 編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2015/08/16(日) 11:05 | | #[ 編集]
いつもありがとうございます。
お二人とも学会系の芸能人じゃないので、
日本人の心を素直に演じられると想います。 ドラマが楽しみです。
2015/08/16(日) 10:34 | URL | #-[ 編集]
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
静岡県出身。国史啓蒙家。倭塾塾長。日本の心をつたえる会代表。日本史検定講座講師&教務。
連絡先: nezu3344@gmail.com
著書
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』第1巻〜第3巻
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』
日々、先人たちへの感謝の心でブログを書き綴っています。それが自分にできる唯一のお国への、先人たちへの、そしていま自分が生かさせていただいていることへのご恩返しと思うからです。こうしてねずブロを続けることで、自分自身、日々勉強させていただいています。ありがたいことです。

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