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キスカ島撤退

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木村昌福海軍中将
木村昌福海軍中将


昭和18年7月29日のキスカ島撤退作戦は、大東亜戦争の奇跡と呼ばれる作戦です。
キスカ島は、日本の北太平洋にあるアリューシャン列島にある島です。
島は、米海軍が完全包囲していました。
ところがそのキスカ島には、日本側の守備隊6千名が残留していたのです。
2ヶ月前には、キスカ島よりも手前にあるアッツ島で、島の守備隊2,650名が玉砕したばかりでした。

木村昌福(きむらまさとみ)海軍中将は、明治24(1891)年の生まれです。
静岡県静岡市の出身で、旧制静岡県立静岡中学(現・静岡高校)から海軍兵学校に入校しました。
卒業時の成績は、118人中第117位。
ビリから2番目です。
このため木村中将は、兵学校卒業後、海軍大学への進学はあきらめ、水雷屋として軍歴を過ごしています。

水雷屋というのは、小さな船に魚雷を搭載して、敵艦隊のすぐ近くまで突進し、魚雷を放つという、とてつもない作戦を実行する艦隊です。
まさに豪放磊落、腕と度胸がなければ勤まらない艦隊です。

木村中将は、まさにその水雷屋の出身で、大東亜戦争開戦時には、巡洋艦「鈴谷」の艦長などを勤め、昭和18(1943)年2月に第三水雷戦隊司令官に就任していました。
翌3月のビスマルク海戦では、少将として護衛部隊指揮官を勤め、このときは艦橋で敵攻撃機の機銃掃射を浴びて、左腿と右肩に貫通症、右腹部に盲貫銃創を負いながら(これ、どう見ても重症です)、最後まで指揮を執られています。

このとき信号員は、咄嗟に「指揮官、重傷」の信号旗を挙げています。
木村は、これに、
「陸兵さんが心配するではないかっ!」
と怒鳴り付け、すぐに、
「只今の信号は誤りなり」
と訂正させています。
気迫というのは、成績じゃないのです。


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軍病院での治療後、第一水雷戦隊司令官に着任し、その年の7月には、今日ご紹介するキスカ島撤退作戦を成功させ、さらに昭和19(1944)年には、レイテ島挺身輸送作戦を二度も指揮して成功させ、さらにミンドロ島の米上陸地点への突入作戦も成功させています。
おかげで木村中将は、現場畑だけで、いちども大本営勤務を経ずに中将にまで出世した稀有な将軍となっています。
まさに叩き上げ、腕と度胸で、出世を勝ち取った将軍だったわけです。

キスカ島は、玉砕の島となったアッツ島よりも、米国に近い側(日本から遠いところ)にあります。
つまり昭和18年の初夏の時点で、キスカ島にいる守備隊(陸海軍あわせて6000名)は、完全に孤立してしまっていたのです。

しかし、味方兵士を、なにもせずに見殺しにするのは、武士道に悖(もと)る行為です。
大本営は、キスカ島守備隊の撤退作戦を計画します。
これを「ケ号作戦」といいます。
ちなみに、「ケ」というのは、日本軍が撤退作戦を行うときに必ず用いた作戦名で、「ケ」は「乾坤一擲」という意味です。

はじめ、キスカ撤退作戦は、潜水艦で行われました。
この時点で日本海軍はソロモン方面の作戦で、多数の駆逐艦を失っており、これ以上の艦の損耗は避けたかったのです。

昭和18(1943)年6月、15隻の潜水艦で2回の輸送作戦が行われました。
この作戦で、傷病兵等約800名が後送され、守備隊には、弾薬125トン、糧食100トンが輸送できました。
しかし米軍の哨戒網に発見され、一回目の潜水艦輸送作戦で、「伊二四潜水艦」を、二回目の輸送作戦では、「伊七潜水艦」、「伊九潜水艦」を失ないます。
成果の割に、損害が多い。効率が悪い。
このままでは、全軍の撤退は不可能です。
残った守備隊は、見殺しになってしまう。

水上部隊で、大規模な撤退作戦を実行するには、海上に霧がかかる7月中にやるしかない。
8月になると霧がなくなり、撤退作戦など思いもよらなくなってしまうのです。
霧がなければ、救助艦隊はまる裸です。

こうして2度にわたる潜水艦作戦は打ち切られ、キスカは、水上艦艇による第二次撤退作戦が開始されることになりました。

この作戦の成否を決める要素は2つです。
1 視界ゼロに近い濃霧が発生していること
2 日本艦隊にレーダーを装備した艦艇がいること

キスカ島のすぐ東側のアムチトカ島には、米軍の航空基地がありました。
制空権を奪われた中での水上艦艇による撤退作戦は、万一空襲を受ければ、全滅します。
しかし、当時はまだ、目視飛行の時代です。
濃霧が発生していれば空襲を受けずに済みます。
この頃はまだ、濃霧の中で空襲をかけられる航空機は、世界中どこにもなかったからです。
日本は、そこに一縷の望みを賭けたのです。

ところが、濃霧は敵の空襲から味方を守ってくれるけれど、こちらも敵を発見できません。
ですからこの作戦に、レーダーは不可欠です。

ちなみに、当時のレーダー技術や、その配備について、戦後の左巻きの学者さんたちなどは、「米軍はレーダー技術がススンでいた。日本はオクレていた」などと言ったり書いたりしていますが、大きな間違いです。
そもそもレーダー技術の元になった八木アンテナは、日本人の宇田新太郎博士と八木秀次博士が考案したものです。

また、当時のレーダーは、いまどきの高性能レーダーとは違います。
いまなら小型の釣り船が搭載している魚群探知機程度の性能です。
だからレーダーよりも訓練を受けた日本兵の肉眼の方が、はるかに「高性能」だったのです。

さて、第二次水上撤退作戦の実行部隊に就任した木村昌福中将(当時は少将)は、まず、第一次作戦に参加した潜水艦から数隻を選び、水上撤収部隊に先行させてキスカ島近海に配備しました。
この地域の気象情報を通報させたのです。

同時に木村中将は、大本営に対して就役したばかりの新鋭高速駆逐艦「島風」の配備を求めました。
「島風」は、二二号電探と三式超短波受信機(逆探)を搭載する、当時の科学技術の粋を集めた最新鋭艦です。
さらに木村は、万一肉眼で米軍に発見された場合を想定し、自軍の船が米軍艦船と誤認されるように、艦船の煙突を白く塗りつぶしたり、偽装煙突をつけたりなどの偽装工作を各艦に施します。

参加兵力は、軽巡2、駆逐艦11、海防艦1、補給船1、計15隻の大高速艦隊です。

かくしてキスカ島守備隊撤退作戦「ケ」号作戦は、昭和18(1943)年6月29日に発動されました。
最初に出撃したのは、気象通報の役割に従事する潜水艦です。
1週間遅れて、7月7日19時30分、全艦が出撃します。

7月10日、アムチトカ島500海里圏外に集結した撤収部隊は、一路キスカ島へ向かいました。
12日がXデーです。

全艦、深い霧の中を、静かにキスカに向けて進みました。
ところが、艦隊がキスカ近海に近づくと、霧が晴れてしまうのです。

全艦、いったん突入を断念。
近海の霧に隠れ、決行予定日を13日に変更しました。
しかし残念なことに、13日、14日、15日と霧が晴れ、突入を断念せざるを得なくなる。
やむなく木村少将は、15日午前8時20分、一旦突入を諦めて帰投命令を発します。
燃料が底を尽きはじめてしまったのです。

「帰れば、また来られるからな」

それが、このときの木村中将の言葉でした。
こうして撤収部隊は、18日に一旦幌筵の基地に帰投します。

ところが、手ぶらで根拠地に帰ってきた木村少将に対し、直属の上官である第五艦隊司令部のみならず、連合艦隊司令部、さらには大本営からも、

「何故、突入しなかった!」
「今すぐ作戦を再開しキスカ湾へ突入せよ!」等々、帰島した木村少将に轟々たる非難が浴びせられました。
「腰ぬけ!」とまで言われたそうです。

最近の日本人は、腰抜けがむしろあたりまえのような風潮があると言われていますが、この時代、腰抜け呼ばわりされることは、死ぬより苦痛な恥辱でした。
木村中将は、そんな恥辱にじっと耐えました。

上官や本部が怒るのも、無理もないことだからです。
あと半月経ったら8月になります。
8月には、もう霧が出なくなるのです。
霧が晴れれば、米軍のキスカ攻撃が始まります。
最早、キスカの撤収作戦の成功は見込めないし、そうなれば、キスカの守備隊は全員玉砕するしかないのです。

さらに、
この地域に備蓄していた重油が底を尽き始めていたのです。
作戦はあと一度きりしか行えない。
そこで重油を使ったら、最早、日本艦隊は、船を動かすことすらできなくなる。
焦りが出るのも、当然だったのです。

そのことは、木村中将も、十分に承知しています。
しかし木村中将は、自身が、この年の2月に参加したビスマルク海海戦で、敵空襲を受けた経験を持っています。
上空援護のない状態での空襲は、水雷戦隊にとって致命傷であることを、嫌というほど体験していたのです。
作戦の成功のためには、とにもかくにも、霧を待たなければならない。

先般の清少納言の記事にも書きましたが、悪口というのは、まわりまわって必ず本人の耳にも入ります。
まして木村中将は、艦隊を指揮する司令官です。
艦隊搭乗員の士気にも関わる。
泣いて悔しがる部下もいたようです。
けれど木村中将は、あらゆる批難中傷に、じっと耐え続けました。

帰投して4日目の7月22日、幌筵島(ぱらもしるとう)の気象台から、「7月25日以降、キスカ島周辺に濃霧発生」との予報がはいりました。
これが最後のチャンスです。
この期を逃したら、最早、撤収作戦は水泡に帰してしまう。

木村は、この予報を聞くと同時に、全艦隊に出撃の命令を発しました。
この出撃に、「督戦のため」と称して河瀬四郎第五艦隊司令長官以下、第五艦隊司令部が座乗し、実行部隊に同行しました。
木村中将は、「疑われた」のです。

この時の作戦は、艦隊は、カムチャツカ半島先端の占守島から、北太平洋を一挙に南下し、そこからアッツ島南方海上まで東に進路を取り、そこで天候を待ってキスカ湾に高速で突入し、守備隊を迅速に収容した後、再びアッツ島南方海域まで全速で後退し、その後、幌筵に帰投する、という計画でした。

ところが、ここにも試練が待ち受けます。
期待の霧が、あまりに濃すぎて、出航が各艦、まちまちになってしまったのです。

洋上3日後の7月25日には、「国後」を除く艦隊がいったん集結できたのですが、翌26日には濃霧の中を航行中に、行方不明だった「国後」が突如出現し、「阿武隈」の左舷中部に衝突してしまいます。
その混乱で「初霜」の艦首が「若葉」右舷に衝突する。
さらに弾みで艦尾が「長波」左舷に接触してしまいます。
損傷が酷かった「若葉」は艦隊を離脱し単独で帰投することになってしまう。

残った船で、キスカ近郊で待機した7月28日、艦隊の気象班が、
「翌29日、キスカ島周辺、濃霧の可能性大」と予報を出しました。
気象観測に出ている潜水艦各艦、ならびにキスカ島守備隊からも、濃霧を裏付ける情報が寄せられました。

「全艦突入せよ」
木村中将が命じました。
艦隊は、敵艦隊との遭遇を避けるために、島の西側を迂回して、島影に沿いつつ、ゆっくりとすすみました。

7月29日正午、艦隊はキスカ湾に到達しました。
濃霧の中です。
湾内では、座礁や衝突の危険がある。

ところが・・・です。
このとき、神風が起きるのです。
一陣の風が吹いて、湾内の濃霧をきれいに吹き飛ばしてくれたのです。

13時40分、晴天の中で、艦隊は投錨しました。
直ちに、待ち構えていたキスカ島に残る守備隊員5200名の収容にとりかかりました。
持っている小銃は、全部投棄させました。
身軽にして、輸送行動を速めたのです。

そしてなんと、わずか55分という驚異のスピードで、全員を艦内に収容しました。
収容に使ったはしけは、回収せずに自沈させました。
そして直ちに、艦隊はキスカ湾を全速で離脱したのです。

艦隊が湾を離れた直後、キスカ湾は、ふたたび深い霧に包みこまれました。
まさに、神が降ってきたとしかいいようのない収容作戦でした。

艦隊は、濃霧の中を、全力で空襲圏外まで離脱しました。
こうして7月31日、無事、全艦、幌筵に帰投したのです。

これが奇跡の撤収作戦の全容です。
どんなに非難されても、いかに中傷されても、黙々と自身の役目を果たした木村中将のこの胆力は、まさに鬼神そのものであったかと思います。
上官および上層部全部を敵に回しても、撤収すべきときには撤収し、チャンスとみれば果敢にこれを実行する。
これこそ日本人です。

そしてこの精神は、現代の自衛隊にもしっかりと受け継がれています。
どんなに非難されても、黙々と日々の訓練に勤(いそ)しみ、いざとなれば、まさに命がけで任務を遂行する。
阪神淡路大震災のときがそうでしたし、東日本大震災でもそうでした。

一霊四魂(いちれいしこん)という言葉があります。
古くからある日本の思想です。
人の心には、天と繋がる直霊(なおひ)と四つの魂から成り立つという思想です。

その四つの魂とは、荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)・幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)を言います。
なかでも 荒魂(あらみたま)は、万難を排して行動を起こす力ですけれど、同時に、耐え忍ぶ力でもあります。
つまり、本物の勇者は、ただ蛮勇を持って鳴るというものではなく、ひたすら耐え忍ぶことのできる者でもあるのです。
昨今、ネットなどにおいて、「自分は保守だからいくら他人の悪口を言ってもいいのだ」とばかり、なにか履き違えたような発言をしている人が目につきますが、言うのが勇者ではありません。耐えるのも勇者であり荒魂のはたらきでもあるのです。

さて、キスカの日本軍撤退後の米軍の行動を見てみます。
米軍は、霧の晴れる8月を期して、キスカ上陸部隊突入を8月15日と定め、戦艦ミシシッピー、戦艦アイダホを旗艦とする大艦隊で、海上封鎖とキスカ島への砲撃を行いました。

7月23日、米軍の飛行艇が、アッツ島南西200海里の地点で7隻の船影をレーダーで捕捉しました。
艦隊司令長官トーマス・C・キンケイド中将は、これを日本艦隊とみて直ちに迎撃を命じています。
また、7月26日にも、濃霧の中で「ミシシッピ」のレーダーが、キスカ島から15海里の地点で船影を捕捉しました。
他の艦からも同様の報告を得たキンケイド中将は、直ちにレーダーによる猛射撃を開始させています。

ところが、いずれも、レーダー反応から約40分後、レーダーから日本艦隊の船影反応が、消失しています。
不思議なことに、この戦闘の中で、重巡「サンフランシスコ」のレーダーには、この戦いの最初から最後まで全く反応がなかったそうです。

実際には、このとき米軍のレーダーに映った影は、どちらも濃霧による誤反応でした。
米軍は、この2回の攻撃で、三六センチ砲弾118発、二十センチ砲弾487発を使用していますが、このときのすべての砲弾は、何もない海域に着弾していたのです。

もちろん、日本艦隊には、なんの被害も出ていません。

この攻撃の際に、米艦隊が砲撃データとして発信していた電文は、全て日本艦隊が傍受しています。
日本側では、米軍の突如の猛発砲に、彼らはもしかすると同士討ちをやっているのではないかと、いぶかっていたそうです。
しかし、何もないところに猛攻撃を加え、レーダーから日本艦隊を消滅させたと見たキンケイド中将は、日本艦隊を撃滅せしめたと思いこみ、弾薬補給のために一時的に艦隊を後退させる決断をしました。

つまり・・・
木村艦隊がキスカに近づこうとしていた7月28日、キンケイド中将は、キスカ島に張り付けてあった哨戒用の駆逐艦まで率いて、全軍を一時後退させていたのです。
米艦隊が補給を終え、キスカの海上を封鎖をしたのが、7月30日でした。
その中日(なかび)の、まさに29日に、木村中将率いる艦隊がキスカ湾に侵入していたわけです。
まさに、ご神意が働いたとしか思えないような撤収作戦であったわけです。

米軍は、8月15日未明、艦艇100隻余りを動員し、兵力約3万4000名の上陸部隊でキスカ島に上陸しました。
事前には、艦隊による猛烈な艦砲射撃を行いました。
上陸用艇で、いっせいに島への上陸を果たしました。
アッツ島の果敢な攻撃を体験した米軍は、このとき、最早存在しない日本軍兵士との戦闘に備えて極度に緊張していたのです。
このため、ふとした弾みで、各所で同士討ちが発生。
死者約100名、負傷者数十名を出しています。
キスカ島占領を完了したとき、米軍が発見したのは、遺棄された数少ない日本の軍需品と、数匹の犬だけでした。

米国の戦史家モリソンは、この上陸作戦について、次のように書き遺しています。

*******
救出艦隊の指揮を執った木村少将の戦術指揮には、高い評価が与えられている。
特に一度目の出撃で、天候に利が無いと見て、各艦長の突入要請を蹴って反転帰投を決断したことが焦点となる。
当時の海軍の状況は切迫しており、戦力として貴重な艦艇を無駄に動かす結果になること、欠乏していた燃料を浪費してしまうこと、またそれによる上層部や各所からの批判、などは、当然予想された。
また、活発化しつつある米軍の動きから、反転してしまえば二度と撤退のチャンスがなくなる恐れも充分に考えられた。
それでも、作戦成功の可能性が無いと見て反転するという一貫性のある決断力は評価される。
実際、このとき突入を強行していれば、米軍に捕捉・撃滅されていたであろうことは、当時の米軍の展開状況から見ても容易に推察できる。
結果として二度目の出撃で、たまたま米軍が島の包囲を解いた隙を突くことになる。
日本に都合のよい偶然が重なったことも事実であるが、木村少将の、霧に身を隠して一気に救出するという一貫した戦術指揮が大きく作用したことは確かである。
*******

船は、大型船舶であれ、小型船舶であれ、接岸するときというのが、もっとも操船の難しいものです。
しかもこの作戦においては、狭いキスカの湾内に14隻の艦隊が、いっきに突入するのです。
もっとも船舶事故が起こりやすい湾内侵入の際、もし、一寸先も見えない濃霧が発生していたら、作戦の成功は覚束なかったかもしれません。
また、米軍レーダーが「確かに感知した」日本の大艦隊の船影は、いったい何だったのでしょうか。

この作戦に参加した将兵や、キスカ島から撤退した将兵は、戦後、キスカ島での撤退作戦について、
「この作戦の成功は、アッツ島の英霊の加護があったと思った」と回想しています。
きっと、そうだったに違いないと思います。
もしかしたら、どなたか海軍の将軍でお亡くなりになった英霊のご加護、あるいは玉砕したアッツ島守備隊の英霊たちのご加護であったのかもしれません。

また、いかに上陸時の緊張があったとはいえ、上陸した米兵同士で、100人を超える死傷者を出しているというのも、もしかすると、発砲した米兵たちは、アッツ島の日本兵の亡霊を相手に戦ったのかもしれない。

米軍がキスカに上陸を決行したのは、8月15日早朝です。
もしかすると、八百万の神々は、アッツの英霊の願いを聞き入れ、キスカの将兵を護ってくださったのかもしれません。

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コメント
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2015/08/30(日) 01:14 | | #[ 編集]
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2015/08/29(土) 22:18 | | #[ 編集]
No title
八木アンテナだけでなく、マグネトロンも日本で発明されたものでした。
2015/08/29(土) 21:58 | URL | 士魂のかけら #zQLvkSFw[ 編集]
No title
キスカ島からの撤退作戦にしても、ガダルカナル島からの撤退作戦にしても、大変なことだったと思います。
戦局が苦しくなり軍が撤退しない場合、絶滅に瀕することが予想されるからといって輸送力にも限界のある中を、よくも軍兵を無事に輸送し帰国されたことと思います。

それから、司令官が優秀なだけではなく、優秀な司令官に運がついてきたと思います。

ところで、これらの撤退作戦は昭和18年の実施だったと思います。



柔道で、1996年アトランタ、2000年シドニー、2004年アテネオリンピックに60キログラム以下級の選手として金メダルを獲得されました野村忠宏氏が、引退して選手生活を辞められました。

これだけの選手が引退しましたのに、国民栄誉賞の受賞についてどこからも論議されないことが寂しいです。
2015/08/29(土) 15:21 | URL | ポッポ #-[ 編集]
No title
こころなしか、中山恭子先生はどことなく話し方と雰囲気が皇后陛下に似ておられる気がします。どちらも無私の心で国のためにお働きになられておるせいでしょうか。

紹介された中山先生の動画で「マスコミにも次世代の党がどういうものか説明がたらなかった」と言ってますが、まあマスコミの都合が悪いから意図的に紹介も説明もなかっただけなのは明らかです。
 この前の選挙のとき、周りのみんなもネット民もほとんどが次世代に入れたようです。投票のネットアンケートではナンバーワンで次世代と安倍政権がダントツでした。結果は、惨敗。おかしくないですか?引きこもりのニートが次世代に投票するためだけに数年ぶりに外に出て家族を驚かせた話があるほどなのに?その後すぐに不正投票の疑いが強い動画も出回りました。

選挙、国籍条項が民主のときに廃止されて、外国人が投票結果の開票を行うことが出来るようになってしまったと聞いてます。案の定不正投票が行われていくつかは問題になりましたね。まずこの是正が必要です。そのために官邸メールで意見を送ればよいかと思います。
 まさに今次世代の党は耐えてます。しかしまあ、中山恭子先生が頭首となられてよかった。是非次は日本の総理になってください。
2015/08/29(土) 15:04 | URL | 鬼子 #-[ 編集]
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このコメントは管理者の承認待ちです
2015/08/29(土) 13:53 | | #[ 編集]
No title
山恭子先生の党首就任、心から嬉しく思います。
党は違えど目指すところは一つです、安倍総理のサポートが凛として出来るのは恭子先生しかいない、その様にも思っています。

また、日本国存亡の岐路に立たされていると言っても過言では無いこの時代に、安倍首相は頑張っておられます。
はっきり言いますが、害務省(一生懸命日本の為に頑張っておられる外務省職員の方々もおいででしょうが、失礼を承知の上で言わせて頂いています)の仕事をも安倍総理がこなされているように見受けます。
と、いうのは混濁とした今の世界において日本を守る一念で、世界の首脳陣と並んでも決してひけをとらず、凛として日本の立ち居地を示してくださっています。
まさに身体を張って頑張っておられる姿、頼もしく感じます。

しかし反面、痛々しささえ感じます。
「何故痛々しい」と言ったか皆様も御存知の通り、その頑張っている中で、どこぞの党が幅をきかせているのが現状です。

二度言います、だからこそ、だからこそ今、真の保守「次世代の党」が求められています。
実はこれが言いたかたのです。

「鉄の女」と言われた故サッチャー元首相と外見は違います。
国が違えば、見た目も違います、当たり前の事です。

国家と国家のお付き合いと言っても、それは人間対人間です。
恭子先生は弱々しく見えると思いますが、凛とした国家観をお持ちになり、ここは一歩も引けないという時には引かない、信念の方です。
まさに大和撫子です。
そして相手の心を溶かしてしまう、不思議な方でもあります。
これからも応援させていただきます。

松沢成文先生の離党、残念に思いますが、先生がお持ちになっておられる日本国の為の「志」は変らないと信じています。
御活躍をお祈りします。

さて、キスカ撤退作戦ですが、私もDVDで観て、そして本「キスカ島奇跡の撤退」も読みました。
木村昌福中将の兵学校の成績、確かに最下位でした。
が、それがどうしたと言いたいですね(笑)

1+1=2 これが頭が良いと言うのでしょうか?
某どこそこの有名大学を出たから頭が良いのでしょうか?
少し違うと思います。
日本のトップ、東大を出ても馬鹿は馬鹿です。
確か少し前にお隣の国に行き、パフォーマンスされた方で日本の前総理だった、、、どなたかとは申しませんがね。

>どんなに非難されても、いかに中傷されても、黙々と自身の役目を果たした木村中将のこの胆力は、まさに鬼神そのものであったかと思います。
上官および上層部全部を敵に回しても、撤収すべきときには撤収し、チャンスとみれば果敢にこれを実行する。
これこそ日本人です<

周りが見え、「先見の明を持つ」まさに頭が良いというのはこのことではないでしょうか。
勿論これは累々と受け継がれてきた先人の教育の賜物です。
今の日本、詰るところ、教育の改革それに尽きると思います。

余談ですが、
>この作戦に参加した将兵や、キスカ島から撤退した将兵は、戦後、キスカ島での撤退作戦について、
「この作戦の成功は、アッツ島の英霊の加護があったと思った」と回想しています。
きっと、そうだったに違いないと思います<
と書かれています。

私もそのように思います。
キスカ撤退作戦で5月中旬から6月にかけ潜水艦部隊による撤収作戦が開始されています。
その中にドン亀艦長で有名な板倉光馬艦長も参戦しています。
板倉氏の著書だったと思いますが、その中で アッツ島から青白い光が艦に向かって来たといいます。
砲弾と思い、身が竦む思いがしたが、一瞬で消えたそうです。
艦上から何人も見ています、「あれは一体何だったんだろう」と話しあったといいます。

八百万の神の御加護を頂ける様に、頑張らなければいけませんね。

2015/08/29(土) 13:39 | URL | #IHLSsbW6[ 編集]
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このコメントは管理者の承認待ちです
2015/08/29(土) 13:22 | | #[ 編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2015/08/29(土) 13:03 | | #[ 編集]
No title
2015/08/29(土) 11:05 | URL | junn #p4GOlP7Y[ 編集]
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このコメントは管理者の承認待ちです
2015/08/29(土) 10:38 | | #[ 編集]
アッツ、キスカに陸軍が兵を出したのは海軍のミッドウェイ作戦を支援するためでした。にもかかわらず、アッツ島撤退に海軍は艦を出さず、同守備隊は玉砕します。

これに陸軍は大激怒。キスカには絶対艦を出せとねじ込みます。海軍上層部は陸軍に言われて木村艦隊を出したのです。大本営海軍部や連合艦隊司令部に木村中将を腰抜け呼ばわりする立場にはありません。
2015/08/29(土) 09:57 | URL | 7C #-[ 編集]
No title
つい先日三船敏郎主演「太平洋奇跡の作戦 キスカ」を観たところです。
50年前の邦画ですが非常に面白く、史実に基づいた作品と知り感動しました。
2015/08/29(土) 09:56 | URL | 名無しさん@ニュース2ch #-[ 編集]
日本の工業力が劣っていたから戦争に負けたというのは悪い冗談。米軍は戦争犯罪をしていたので大東亜戦争の勝者は日本。
日本の代表的航空機工場である三菱重工名古屋航空機製作所は米軍戦略爆撃調査団報告にもある通り、戦時のある時期、文字通り世界最大の航空機工場でした。
そこでは流れ作業による量産ラインが稼働しており、機械加工は汎用機から専用機、自動盤中心に移行し、トランスファーマシンまでが導入されつつありました。
もちろん、生産管理の手法も盛んに研究されていたのです。
航空工業に限らず、日本の産業界全体が「効率」というものを本気で考えるようになったのは戦時中です。
それが真価を発揮しなかったのは米軍の無制限潜水艦作戦による原材料の不足に原因があります。
日本は資源地帯を占領したので大量の資源を持っていましたが、それが本土に届かないよう米軍が民間の輸送船を攻撃して沈めたのです。
更には米軍の都市爆撃が追い打ちをかけました。
無制限潜水艦作戦も都市爆撃も、いずれも国際法違反です。
我が国は米軍の国際法違反により敗れたのであり、それ以上でも以下でもありません。
卑怯なルール違反をする者を通常は勝者とは呼びません。
米軍は、自らの卑怯な振る舞いを隠す為、東京裁判で日本を悪者に仕立てました。
ダブルで卑怯なのです。
本当に恥ずべき連中です。
ルール違反をした者に勝者の資格は無いので、大東亜戦争の事実上の勝者は日本なのです。
戦勝国と浮かれる連合国は国際法を曲げた詐欺者!
勝者の資格なし!!
2015/08/29(土) 09:30 | URL | とおりすがり #-[ 編集]
No title
玉音放送は2年後ですね。
2015/08/29(土) 09:30 | URL | #WCt6CpaE[ 編集]
No title
【今日は何の日?】韓国併合(8/29)




「韓国併合ニ関スル条約」に基づき大日本帝国が大韓帝国を併合(1910年=明治43年)


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『国益に反した「韓国併合」』


一九一〇年の韓国併合、それは日本の「北進」をストップさせ、一九三七年からの「南進」への転換点となった。また、それ以来、日本の外交は外交でなく内政そのものへと変質してしまった。韓国併合は、日本外交をメルト・ダウンさせた猛毒のガス兵器のようなものだった。


外交的に朝鮮を日本に服従させるには保護国として外交権をとりあげ無制限の駐兵権をもてば完全だし、ロシアの朝鮮半島への進出を阻止するには満州全土からロシアを追放し、そのあとに満州をスイス的なはりねずみ的要塞国家とすれば済む。前者は一九〇五年の日韓保護条約で実現したし、後者は一九三一年の満洲事変で実現した。朝鮮の内政における近代化代行を正当化する合理的理由は、このように一つもなかった。皆無であった。外務大臣・陸奥の見識は完璧であった。


竹越〔注〕の第三の指摘は、併合後に韓国に投入する巨額の財政負担をする代りに日本の軍事力増強を図れというものであるが、この正しさは一九四五年に証明された。韓国併合に投入した日本国民の税金を世界標準からして弱体の日本の陸軍の再強化に使っていたら、一九四五年八月の在満洲の邦人の悲劇はなかった。百万人以上(「五十七万五千人」という厚生省引揚援護局の数字は捏造)の日本の将兵のシベリア抑留もその半分に当る、五十万人以上の凍死・餓死もなかった。一九四五年の北朝鮮へのソ連軍の侵攻もないから、朝鮮戦争もなかった。

〔注〕竹越ー竹越与三郎(三叉)のこと。


明治天皇にとって一九一〇年八月末の韓国併合は、前年より知らされていたとはいえ、英米との戦争回避を訴えて御前会議で明治天皇の御製を二度も詠んで空しく抵抗された、一九四一年九月六日の昭和天皇の御無念とよく似ていた、といえるのではないだろうか。


中川八洋『歴史を偽造する韓国』徳間書店http://blog.livedoor.jp/acablo-nakagawayatsuhiro/archives/45623011.html


2015/08/29(土) 07:55 | URL | junn #p4GOlP7Y[ 編集]
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小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
静岡県出身。国史啓蒙家。倭塾塾長。日本の心をつたえる会代表。日本史検定講座講師&教務。
連絡先: nezu3344@gmail.com
著書
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』第1巻〜第3巻
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』
日々、先人たちへの感謝の心でブログを書き綴っています。それが自分にできる唯一のお国への、先人たちへの、そしていま自分が生かさせていただいていることへのご恩返しと思うからです。こうしてねずブロを続けることで、自分自身、日々勉強させていただいています。ありがたいことです。

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