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秀吉の朝鮮出兵

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20150917 ガレイ船


先日、秀吉の朝鮮征伐の際の「耳塚」のことを書きましたので、今日は秀吉の朝鮮征伐がなぜ行われたのかについて書きたいと思います。
以下の文は、『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人、第一巻』に掲載したものです。
もともとはブログからですが、以前ブログで書いた記事よりも、書籍化した際に、内容をうんと強化しています。

すでにお読みになられた方も多いかと思いますが、大切なことを先に一点補足しておきます。
「当時の明国も朝鮮半島も国民国家ではない」ということです。
いまでも彼の国はそれに近い構造をもっていますが、国のボス(王)が国民を代表して国民のための統治をしているのではありません。
簡単にいったら、日本でいえば暴力団の組長にすぎません。
全国に多数の暴力団(軍閥)があり、それら軍閥を最大軍閥が取り仕切る。
その最大軍閥は、支那においては遊牧民による外来王朝であり、朝鮮においてはその明王朝をバックにしたヤクザの軍閥が朝鮮王を名乗っていたにすぎません。
こういう次第ですから、国の王に「庶民生活を豊かにし、国を栄えさせる」という概念は全くありません。
ただ収奪するだけ、それが彼等の国でした。

一方、以下の話に登場するヒスパニア(スペイン)など西欧の王朝は、背後に基督教会がありました。
キリスト教は神のもとに平等を説きます。つまり神によって祝福された王は、同じく神によって祝福された民(私有民)とともに栄えなければならないという宗教観があります。
この場合、信者以外は人間としての扱いを失う一方、王国内では、王が王国を栄えされるという明確な目的性が生まれます。ここが支那朝鮮と違うところです。

さて、そんな朝鮮に秀吉の軍勢が上陸したとき、実はたいへんに複雑なことが起きています。
朝鮮半島の暴力団の組長さんの多くが日本に寝返り、日本と一緒に朝鮮の他の暴力団と戦いました。
その一方で、朝鮮の組長に飲ませ抱かせで取り込まれた日本の一部の大名が、清正や行長や島津の軍勢と戦うという場面もありました。
実際の戦場は、かなり複雑な様相を呈していたのです。

今日のお話は、その朝鮮征伐に至るまでが中心のお話になります。
おそらくはじめて読まれる方は、まさに「目からウロコがはがれ落ちる」体験をなされると思います。
でも、これが真実です。
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人シリーズ』は、まさにそんなお話のオンパレードです。





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1 世界史の視点から朝鮮出兵の真意を探る
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最近の韓国で、豊臣秀吉はもっとも嫌われている日本人のうちの一人なのだそうです。
文禄・慶長の役で朝鮮半島に攻め込んだというのが、その理由だそうです。
一方、この出兵に際し、日本と朝鮮半島の海峡で戦った李舜臣は、まさにヒーローとされているそうです。
彼らの言い分によると、李舜臣の活躍によって、日本は海上を封鎖され、朝鮮半島への補給路を断たれたために、半島からの撤退を余儀なくされたからなのだそうです。
韓国人にとって歴史はファンタジーですから、そう「思い込みたい」気持ちも分からないでもありません。
けれど、事実関係はまるで異なります。

李舜臣についていえば、なるほど朝鮮の海将として文禄元(一五九二)年八月二十九日に釜山港を占領していた日本軍に戦いを挑んでいますが、あえなく敗退しています。
また、慶長三(一五九八)年十一月十八日の露梁海戦ですが、これは、停戦協定が結ばれたあと半島から引あき揚げる途中の日本の軍船に追い打ちをかけた、ひれつ卑劣な戦いでした。
しかも李舜臣は、この海戦で返り討ちにあって戦死しています。
李舜臣によって、海上補給路を断たれたという事実は、どこにもないのです。

そもそも、秀吉の朝鮮出兵については、誤解と偏見がまかりとおっています。
戦国時代や秀吉を描いた歴史小説においても、秀吉の朝鮮出兵が「なぜ行われたか」について、きちんと踏み込んで書いているものは大変少ないのが実情です。
おおかた秀吉の朝鮮出兵は、次のような理由によるものとされています。

・秀吉がもうろくしていたために起こした。
・秀吉の成長主義が引き起こした身勝手な戦いであった。
・戦いを好む戦国武士団を朝鮮、中国に追い払い、殺して数を減らすためだった。

いずれも、「木を見て森を見ず」です。
仮に秀吉がもうろくしていたとしても、当時の日本は、各藩がそれぞれ独立した国家を営んでいたのです。
もうろくジジイの世迷い事で、大枚をはたいて朝鮮までノコノコ出ていくおバカな大名は、全国どこにもいません。

秀吉の成長主義が招いたという話にしても、信長から秀吉と続く体制は、農業重視というよりも流通指向がかなり強く、それぞれの大名は領地が増えなくても、商業による貨幣経済によってかなりの富が蓄積できたわけです。
金持ち喧嘩せずという言葉がありますが、食うに困らない、生活に困らない豊かな生活を満喫できているのに、あえて戦争など、誰も好き好んで行うものではありません。

では、なぜ秀吉は朝鮮出兵を行い、世の大名たちも、これに追従したのでしょうか。
この問題を考えるには、日本国内だけに目を向けていては答えは出てきません。
秀吉が朝鮮出兵をするに至った背景には、当時のアジア情勢という国際政治が大きく影響していたのです。
そしてそういう国内外の事情を理解したからこそ、東北の大名たちまでもが、秀吉の朝鮮出兵に前向きに協力し、兵を出しているのです。

そもそも、二度にわたる秀吉の朝鮮出兵(文禄、慶長の役)というのは、十六世紀における東アジアでの最大の戦いです。
文禄の役だけでも、日本は約十六万人の軍勢を朝鮮半島に送り込み、朝鮮と明国の連合軍は二十五万人の大軍でこれを迎え撃ちます。慶長の役では、日本は再び約十四万人を動員します。
天下分け目の関ヶ原の戦いにしても、東軍七万、西軍八万ですから、いかに朝鮮出兵の規模が大きかったかが分かります。

そしてこの時代、世界全体を見渡せば、世界中に植民地を獲得した「スペイン帝国」が、植民地からもたらされた莫大な富によって覇権を握っていました。
太陽の沈まない国と形容され、黄金の世紀を謳歌していたのです。
そのスペインは、東アジア地域の戦略統合本郡である総督府を、ルソン(いまのフィリピン)に置いていました。
そして、東アジア植民地の拡大を着々と進めていたのです。

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2 遅れてしまった日本占領計画
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スペイン人が日本に最初にやって来たのは、天文十八(一五四九)年のことです。
宣教師、フランシスコ・ザビエルの来日がそれです。
当時の宣教師の仕事は、表向きはキリスト教の伝道ですが、本当の仕事は、将来その地を植民地とするために情報を収集することや、さまざまな懐柔工作です。

実際にキリスト教を伝道しながら、ありとあらゆる手段を使い、多くの人を改宗させます。
そして、それらの人々を味方につけ、頃合いを見計らって軍隊を送り込み、抵抗する者を殺戮し、その地を植民地占領していくのです。

内乱に明け暮れていた戦国大名たちは、そんな宣教師の目的を知りません。
最初は西洋からやって来た宣教師たちを、快く受け入れていました。
実際、ザビエルはあちこちの大名に招かれ、なかにはキリスト教の信者になった者もいました。
宣教師たちの仕事は順調に進んでいるかに思われました。

ところが唯一、日本がほかの国々と違っていたのは、彼らが持ち込んだ鉄砲という武器を、またた日本人は瞬く間にコピーし、それを量産してしまったことです。
気がつけば、なんと日本は、鉄砲保有数で世界一になってしまいました。
その数、当時の世界の鉄砲数の半分にあたる約五十万丁。
もっともこれは、最盛期の数ですが、鉄砲は戦国時代の日本に、ものすごい勢いで広がっていったのです。

これには宣教師たちも驚いた様子で、イエズス会のドン・ロドリゴ、フランシスコ会のフライ・ルイス・ソテロらが、スペイン国王に送った上書には、次のような記述があります。

「スペイン国王陛下、陛下を日本の君主とすることは望ましいことですが、日本は住民が多く、城郭も堅固で、軍隊の力による侵入は困難です。よって福音を宣伝する方策をもって、日本人が陛下に喜んで臣事するように仕向けるしかありません。」

人口なら、日本より南米やインドのほうがはるかに数が多いわけで、城だって日本は平城が主流ですから、アジア、ヨーロッパの城塞には敵いません。
にもかかわらず、彼らが「日本は住民が多く、城郭も堅固で、軍隊の力による侵入は困難」と書いているのは、「鉄砲の数が圧倒的で、軍事力で日本には敵わない」とは、国王宛ての上書に書けないからです。

そして、「福音を宣伝する方策をもって、日本人が陛下に喜んで臣事するように仕向ける」ように進言しているのです。
こうしてスペインは、日本での布教活動に注力していきます。

一方、あたりまえのことですが、スペインの狙いは日本だけではありません。お隣の明国もスペインは植民地化を狙っています。
こちらは鉄砲をコピーするような能力はなく、単に人海戦術、つまり人の数が多いだけです。
ただ国土は広く、その調略には手間がかかります。

ちなみに当時のスペインにとって、朝鮮半島は対象外です。
朝鮮半島は、明国の支配下だったわけですから、明が落ちれば朝鮮半島は、自動的に手に入る。
それだけのことです。

スペインは明国を攻略するにあたり、当時、世界最大の武力(火力)を持っていた日本に「一緒に明国を奪わないか」と持ちかけています。
ところが日本は、まるでそんなことに関心がありません。
そもそも信長、秀吉と続く戦国の戦いは、日本国内の戦国の世をいかに終わらせ、国内に治安を回復するかにあったのです。

信長は、比叡山や本願寺まで攻めたため、まるで第六天の魔王であるかのように描かれることが多いですが、実際には、信長の戦いの目的は、「一日も早く戦乱の世を終わらせる」ことに尽きたのです。だからこそ、多くの人々が信長に従ったということが、最近になって発見された各種文書から、次第に明らかになってきています。

これは秀吉も同様です。
しかも、農民の出だから農民の気持ちが分かるのです。
戦乱によって農地が荒らされることを多くの民衆が嫌っていることを、ちゃんと分かっていたからこそ、秀吉は人気があったのです。

要するに、当時の信長、秀吉にとっては、日本国内統一と治安の回復こそが政治使命だったわけで、お隣の明国になどかかわっていられなかったのです。

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3 朝鮮出兵は安全保障上の理由から
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ところが、秀吉が日本を統一すると、次第に明国への対策が大きな政治課題となって浮上してきました。
どういうことかというと、これにスペインが関係しているのです。

スペインが日本を攻めようとしても、遠路の航海を余儀なくされますから、世界の覇権国とはいえ大軍を差し向けることは不可能です。
仮にスペインが海を渡って攻めてきたとしても、数のうえからいえば少数であり、火力、武力ともに日本のほうが圧倒的に優位です。
したがってスペインとの直接対決ならば、日本が負ける心配はありません。

ところが、スペインが明国を植民地として支配下に収めると状況が変わってきます。
スペインに支配された明国兵が、数の力にモノをいわせて日本に攻め込んできたら、日本は数多くの鉄砲を持っているとはいえ、これは大変なことになります。
まさに、元寇の再来。大きな脅威です。

この脅威を取り除くには、スペインよりも先に明国を日本の支配下に置くしかありません。
火力、武力に優れた日本には、それは十分可能なことだし、万一明国まで攻め込むことができなかったとしても、地政学的に朝鮮半島を日本と明国の緩衝地帯として置くことで、日本への侵入、侵略を防ぐことができるのです。
このことは、ロシアの南下政策を防ぐために、明治日本が行った政策と、当時の状況が酷似していることをあらわします。

さらにいえば秀吉は、すでにこの時点でスペインの誇る無敵艦隊がイギリスに敗れ、スペインが海軍力を大幅に低下させていることを知っています。
ですから、スペインが海軍力で日本と戦端を交える可能性はまずありません。

一方、国内で秀吉は、長く続く戦乱の世を終わらせようと、全国で刀狩りを実施します。
刀狩りそのものは、日本に太平の世を築くために必要なことであったわけですが、同時に庶民から武器を奪うことは日本の戦力を大きく削ぐことにもつながってしまうのです。
もし日本が他国侵逼の難にあったときは、大きな痛手となるでしょう。

ならば、武力がまだ豊富なうちに余剰戦力を用いて朝鮮出兵を行い、朝鮮から明国までを日本の支配下に置いてしまうこと。
これは我が国の安全保障上、必要なことであったわけです。

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4 スペインに強硬な態度で臨んだ秀吉
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こうして秀吉は、文禄の役(一五九二~一五九三年)、慶長の役(一五九七~一五九八年)と二度にわたる朝鮮出兵を行うのですが、同時に秀吉は、スペインとも果敢な政治的交渉を行っています。
何をしたかというと、スペインに対し、「臣下の礼をとれ」と迫ったのです。
最初にこれを行ったのが、文禄の役に先立つ一年前、天正十八(一五九一)年九月のことです。

秀吉は東亜地域の拠点、ルソンにあるスペイン総督府に、原田孫七郎を派遣し、
「スペイン総督府は、日本に入貢せよ」との国書を手渡します。
世界を制する大帝国のスペインに対し、真正面から堂々と「入貢せよ」などとやったのは、おそらく、世界広しといえども、日本くらいなものです。
まさに、気宇壮大というべきです。

対するスペイン総督府にしてみれば、これはきわめて腹立たしいことです。
しかし、隣国であるイギリスの国力が増し、自国の防衛を優先させなければならない当時のスペインの現状にあっては、日本に対して報復的処置をとるだけの力はありません。
悔しいけれど放置するしかありません。
すると秀吉は、その翌年に、朝鮮出兵を開始するのです。

驚いたのはスペイン総督府です。
日本が明国を征すれば、その国力たるや東アジア最大となり、スペインにとって政治的、軍事的圧力となることは目に見えています。
しかも、海を渡って朝鮮出兵をするということは、兵員を海上輸送する能力があるということですから、いつ、ルソン島に日本が攻めて来てもおかしくありません。

慌てたスペイン総督府は、当時ルソンに住んでいた日本人たちを、マニラ市内のディオラ地区に、集団で強制移住させています。
これがマニラの日本人町の始まりです。

さらにスペイン総督府は、同年七月にドミニコ会士、フアン・コーボを日本に派遣し、秀吉に友好関係を樹立したいとする書信を届けています。
このとき、膨大な贈り物も持参しています。
いかにスペインが日本を脅威に感じたかということです。

けれど秀吉は、そんな贈り物くらいで騙されません。
重ねてスペインの日本に対する入貢の催促の書簡を手渡します。
その内容がすさまじいです。
「スペイン国王は、日本と友好関係を打ち立て、ルソンにあるスペイン総督府は、日本に臣下としての礼をとれ」というものです。
そして、
「それが嫌なら、日本はマニラに攻めこむぞ。このことをスペイン国王にちゃんと伝えろ」というのです。

ところが秀吉の書簡を受け取ったフアン・コーボは、帰路、遭難してしまいます。
本当に海難事故で遭難したのか、返書の内容が百パーセント、スペイン国王の怒りを買うことが分かって、故意に遭難したことにしたのかは、いまとなっては不明です。
けれどおそらく、これは後者ではないかと私は見ています。

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5 秀吉の世界戦略
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さて、フアン・コーボの遭難のおかげで、秀吉の書簡はスペイン総督府には届かなかったわけですが、当然のことながら、スペイン総督府からの返書もありません。
けれど、返書がないからと、放置するほど甘い秀吉ではありません。

秀吉は、十月には原田喜右衛門をマニラに派遣し、確実に書簡を総督府に届けさせたのです。
文禄二(一五九二)年四月、原田喜右衛門は、マニラに到着しました。
そしてこのとき、たまたま在マニラの中国人約二千人(明国から派遣された正規兵だったといわれています)が一斉蜂起して、スペインの総督府を襲ったのです。

スペイン兵は応戦しますが、多勢に無勢です。
これを見た原田喜右衛門は、手勢を率いてスペイン側に加勢し、瞬く間に中国兵を殲滅してしまいます。
日本強し。
原田喜右衛門らの圧倒的な強さを目の当たりにしたスペインのゴメス総督は、日本の強さに恐怖します。

けれどゴメスは、スペイン大帝国から派遣されている総督です。
世界を制する大帝国王に、日本に臣下としての礼をとらせるなど、とてもじゃないが報告できることではありません。
ゴメスは困り果ててしまいます。

そして、翌文禄三(一五九四)年四月に、新たにフランシスコ会士のペドロ・バウティスタを特使に任命し、日本へ派遣します。
要するに、特使の派遣を繰り返すことで、少しでも時間稼ぎをしようしたのです。

名護屋(現、佐賀県唐津市)で秀吉と会見したペドロは、スペインがいまや世界を制する大帝国であること、日本とはあくまでも「対等な」関係を築きたいと申し述べます。
普通に考えれば、世界を制する大帝国のスペイン国王が、日本という東洋の小国と「対等な関係」というだけでも、ものすごい譲歩です。
けれど秀吉は聞く耳を持ちません。
ペドロに対し、重ねてスペイン国王の日本への服従と入貢を要請します。

なぜ秀吉は、ここまでスペインに対して強硬だったのでしょうか。
理由があります。

第一に、国際関係において、対等な関係というものは存在しないのです。
この時代における国際関係というのは、やるかやられるか、つまり上下の関係しかありません。
たとえ日本が小国であったとしても、大帝国のスペインに日本を攻めさせないためには、日本が圧倒的な強国であることを、思い知らせるしかなかったのです。

第二に、もし、秀吉が中途半端に「対等な関係」の構築を図ろうとするならば、スペインは当然のごとく平和特使と称して宣教師を日本に派遣します。
そして宣教師たちは、日本の内部から切り崩し工作を行います。
現に、世界のあらゆる国家が、その方法でスペインの植民地にされていたのです。
ですから、日本がスペインの驚異から逃れる道は、ただひとつ。あくまでスペインに対して、強硬な姿勢を崩さないこと。これしかなかったのです。

いくさ第三に、秀吉が目指したのは、あくまでも「戦のない世の中」であったということです。
武力で日本を統一したあとは、「刀狩り」を行い、内乱の芽をつんで太平の世を実現しようとしています。

けれど、刀狩りをして庶民から武器を奪うことは、一方において日本を弱化させることを意味します。
ならば、日本国内に武器を持たない平和な国を実現するためには、国際的な武力衝突の危険を、日本からできる限り遠ざける必要があったのです。

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6 スペインの戦略とサン・フェリペ号事件
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名護屋における秀吉とペドロとの会見が物別れになると、スペインのゴメス総督は、日本への軟弱な外交姿勢を咎められ、スペイン国王によって更迭されてしまいます。
そして後任の総督としてやって来たのが、ルイス・ダスマリニャスです。

ルイスは、アウグステイン・ロドリゲスを使者として日本に派遣し、回答の引き延ばしを図るとともに、日本の
戦力を冷静に分析します。
そして、ゴメスの分析どおり、もし日本とスペインが東アジアで正面から衝突すれば、スペイン側に勝ち目がないことを知ります。
そこでルイスは秀吉との直接交渉は避け、一人また一人と、宣教師を日本に派遣するという戦略をとりました。つまり時間を稼ぎ、その間に当初の戦略どおり、日本に布教をしていこうとしたのです。

文禄三(一五九四)年には、ルイス総督の意向を受けて、ヘロニモ・デ・ヘスス以下のフランシスコ会修道士四人が日本に派遣され、日本での布教を再開しました。
秀吉もこれは認めています。

ところが慶長元(一五九六)年のことです。
スペインの貨物船、サン・フェリペ号が、荷物を満載したまま遭難し、土佐の浦戸に漂着したのです。
救助した船員たちを、秀吉の五奉行の一人である増田長盛が取り調べました。
そこで驚くべき事実が明らかになります。
なんとサン・フェリペ号の水先案内人が、増田長盛に世界地図を見せ、次のような証言をしてしまったのです。

「スペイン国王はまず宣教師を派遣し、キリシタンが増えると次は軍隊を送り、信者に内応させてその伝道地の国土を征服するから、世界中にわたって領土を占領できたのだ」

報告を受けた秀吉は、即座にキリシタン二十六名を逮捕しました。
そして彼らを長崎に送り、「キリシタンを続けたいなら外国へ出て行け。日本に残りたいなら改宗しろ」と迫りました。
迷う二十六名に対し、長崎のイエズス会は、この二十六名の死罪を長崎奉行に申し出ます。

イエズス会の腹はこうです。
二十六名の信者をイエスの十字架になぞらえて見せ物にし、間違いなく天国に行くことができたと宣伝する。
こうすることで、キリスト教徒としての栄光に輝く姿を印象づけ、信仰による団結心をたかめる。
まあ、このあたりの話は、本題からかなりそれるので、次の機会に詳しく書くことにします。

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7 民族の気宇と誇り
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要するに秀吉の朝鮮出兵は、統一国家をやっと形成した日本が、スペインによる東洋の支配から国を守るために下した決断であった、ということです。
このことは、単に日本や朝鮮の国内事情だけを見ていてもまったく分かりません。
当時の世界情勢、東アジア諸国の情勢を視野に入れなければ、秀吉がなぜ朝鮮出兵を決意したのか、そして多くの大名たちが、なぜその秀吉に従い兵を出し、勇猛果敢に他国に出て戦ったのかが理解できません。

もっというなら、日本が明治という統一国家を形成してから朝鮮半島を領有するまでの動きと、秀吉の朝鮮出兵当時の世界の動きは、スペインがロシアに変わったほかはきわめて似ています。
同じことが歴史上、繰り返されたということなのです。

もし、秀吉が朝鮮出兵を行わず、日本の国力をスペインに見せつけなければ、どうなっていたことでしょう。
明国がスペインの植民地になっていた可能性は非常に高いのです。
当然のことながら、朝鮮半島も、スペインの支配地となったことでしょう。

そしてスペインの植民地となることは、どういう意味を持つのか。
そのことは、いまの南米諸国が、見事に教えてくれています。

現在、南米に南米人の純粋種は存在しません。
白人との混血種だけです。

アルゼンチンやウルグアイでは、先住民族がほぼ完璧に抹殺されてしまいました。
いまこの地域に住んでいるのは、ほぼ白人種です。
ブラジル、エクアドル、ペルー、ボリビアは、全員が先住民族と白人との混血です。
純血種はいません。

日本も中国も朝鮮も、それぞれに純血種を保ちながら、いまに至っています。
南米のようなことにならなかったのは、秀吉と配下の戦国武将たちが、スペインと真っ向から戦う姿勢を示したためです。

ちなみに、秀吉の死去にともなって、日本は朝鮮半島から撤収し、慶長の役は終わりました。
「だから朝鮮出兵は秀吉の気まぐれで起きた戦争だ」というのは、大きな間違いです。
半島に出兵した武将たちは、自ら進んで真剣に戦ったのです。

私たちは、スペインという世界最強の大帝国に対し、一歩も退かず、むしろ臣従せよと迫った秀吉の壮大な気宇と誇りを、いまこそ見習うべきときにきているのではないでしょうか。

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コメント
辛いのです、自信がないのです
初めまして、貴重な記事をありがとうございます。
勉強させていただきます。
小名木様、私は今日本人として自信を無くしかけています、子供を教育しないといけないのに。
私は過去在日を特に意識した事がありませんでした、でもここ10年くらいで
いつも弟のゲームを盗んでたあの子は今思うと在日だった、
私の髪からリボンをむしった子も在日でヤクザと結婚しました。
しつこくつきまとってきて警察沙汰になった男も。
今まで全く話の通じない頭がおかしいと思ったの人は皆今思うと在日でした。
自信を失いかけているのは、情けないのですが芸能界の在日の多さです。
美しい人達は皆在日で、朝鮮人は優れているのかなと思いだしました。
今年に入って日本人が不正をしたり、オリンピック事業で失敗をしたり、
まるで隣国のようでさらに辛いのです。
大きい会社の在日リーダーも多いです。今日本は子供1人に2千万とかいわれ
子供を持てないと言いますよね。それはマスコミがわざと広げていると
思うのです。私の知る在日は、最低でも3人の子が全員にいます。
5人もざらなのです。数が多いほど多数派になることをよく知っているんだなと思います。産めない人がいても、余所が3人5人が産めば増える一方です。
子育てにお金が~というのをテレビで見るたびに、日本人の生命力を奪おうとしているように思えるし、弱さを感じます。在日の方が増えれば日本は日本人の国じゃなくなる気がします。私はまんまと在日の策略にはまっているかも知れません。在日を通したものが
テレビから垂れ流されているのですから。日本人に高い道徳性もなくなり、
勤勉さより家庭。もちろんそれで子供が増えればいいけど、そんな単純な
問題でもない気がします。ただ、がむしゃらに働く人が消えただけのような。
支離滅裂で申し訳ありません、ありえないと思いますが、万が一
天皇陛下が・・・なんてことがあれば、自分が足元から崩れそうです。
芸能界スポーツ界に影響され情けないのですが、悲しくて仕方ないのです。
2015/09/26(土) 20:22 | URL | さよ #xBxKWxyo[ 編集]
No title
秀吉公のキリシタン弾圧についてはそれにいたる経緯が教科書では省かれていたようで私も随分唐突な印象をもっていましたが当時の国際情勢を知るとよく理解できました。正確な事実を載せるべきです。
2015/09/20(日) 10:27 | URL | 愛国者 #-[ 編集]
秀吉の人間性
いつもありがとうございます。大阪在住なので昔は太閤さんには自然と親しみを感じていました。ある時期から太閤さんの事が好きになれなくなりました。

理由は甥の豊臣秀次とその一族に対する残酷な処分について何かの本で読んでからです。秀次本人は高野山に出家しているのにも関わらず切腹、一族は女、子供に至るまで京都の三条河原にて処刑を行う。秀頼が可愛いのは分かりますがこの事で豊臣家がかなり弱体化したのでは無いのでしょうか。

ですので昔は大陸でも同じような残酷な事を命令していたのではないかと思っていました。

勝手なリクエストに成りますがこの豊臣秀次一族に対する秀吉の処分についてねずさんの見解が知りたいです。

もし過去に記事にされていたらすいません
2015/09/19(土) 23:59 | URL | 伸之助 #A2Q7ev.o[ 編集]
えっちゃんの※に賛同します 
秀吉さんは、スペイン人の「奴隷貿易」を嫌ったとも言われております。
スペイン宣教師は、西洋では「ポーン」と云われます
ボード・ゲームのチェスにある、一番弱い駒。 
布教の名の基に、宣教師が、海を渡ってやって来ますが、そのスポンサーは誰でしょうか?
殆んどが西洋の王候・貴族ですよね。
彼らは貿易よりも、原住民からの「略奪」が目的です。
日本の武将は、先の先まで考えて「どうしたら戦をせずに済むか」を皆が考えている点で優れているな と感心しました
2015/09/19(土) 07:42 | URL | スナフキン大阪 #-[ 編集]
No title
目から鱗!今日の記事は現在の日本においてこれからどうするべきか考えさせられる問題ですね。私の浅学でコメントできる内容ではないです。

今日も良い記事を有難うございます。
2015/09/18(金) 18:20 | URL | たまにはコメントしてみます。 #uC7ZgyM6[ 編集]
No title
日本人は奪われた学問を取り戻さなければ成りませんね。
2015/09/18(金) 18:09 | URL | 皇国の臣民 #-[ 編集]
No title
今日も有難うございます。
歴史教科書では織田信長、豊臣秀吉にしても、その上辺だけをさらっと習い、歴史に興味を持たない人はそこまで深く知ろうとはしないでしょう。
恥ずかしながら私もその一人でした。

しかし、何かのきっかけで、歴史であれ物事であれ、それに興味を持った時に、学ぼうという意識が芽生え、学ぶ内にその事が腑に落ちて来て、物事の本質も見えてくる、その様に思います。

但し、気をつけなければならないのは、日本国の周りには嘘、偽り、ファンタジーの御都合歴史が存在します。
何にしても事実(史実)を学ばなければ意味が無いという事です。

こうしてねずさんの教授により私達は史実を奥深く学ばせて頂いている事に感謝です。

それにしても、戦国の世においてもこれほどまでの誇りを持って、又、智謀を持って世界を見据え、日本国を守ろうとした先人達の気骨というか、何と表現したらよいのかわかりませんが、頭のよさには感服します。

国家観も歴史観も無く、恥も外聞も無く日本国のバッジを付け反日に精出す議員に先人達の爪の垢を煎じ、飲ませてあげたいくらいです。

安保改正案でデモし、騒ぎを起こした人達の歴史は戦後の日教組教育により自虐意識を刷り込まれた反日思考の日本人、または、こてこてのなりすまし日本人ですね。
真の歴史を知ったら日本人はこの様な事はしません。

つまり、この人達の頭には戦後70年の歴史しか無いということでしょうね。
それでは、世界も見えてこないし、日本の今の現状も見えてこないでしょう。

で、この様な騒ぎを起こす、さも有りなんですね。

2015/09/18(金) 15:54 | URL | #PyZMa2bE[ 編集]
No title
支那の軍閥については、時代的に清の末期しかイメージがないのですけれど、およそ国民のことなど考えたと言うことを考えられません。

張作霖などは20年先の税金まで先取りしていたと言いますが、その調子では10年後には100年先の税金まで徴収すると言っても不思議ではないです。それに、その税金も軽くはないと思います。

そんな軍閥が、国民のことを考える筈はないです。


李舜臣について、小学校の時だったと思いますが凄い将軍だと習った覚えがあり、永いあいだ韓国の悲劇の英傑と信じていました。

しかし、本当のことを知ってみますとそれ程の将軍ではなく、朝鮮人らしい策略を用いる凡将でした。
伊藤博文氏が無理に持ち上げなかったら、歴史の中に埋もれて今更恥をさらさなかったと思います。



平和安全法制の参議院可決もいよいよ目前となり、今日も国会は紛糾していますが、16日はあきれ果てたというか、困ったことがありました。

野党側は女性議員を鴻池委員長が在室柱の理事会室前のドアに多数配置し、排除しようとする与党議員に「触るな!セクハラだ!」などと抵抗。事実上、「女の壁」で鴻池祥肇委員長を室内に監禁し、質疑開始を妨害したのです。

男性は女性にセクハラなどと大声で言われますと、なす術がありません。絶対に負けます。

これを悪意の女性の集団に街中でやられたら、多分どうしようもありません。そこに、仲間の悪ガキが出てきたら言われるままです。
そして、・・・・・・・・・

このような悪意の行動を真似られたら、野党の女性議員はどう考えるのだろうと思います。
2015/09/18(金) 14:22 | URL | ポッポ #-[ 編集]
No title
今日もありがとうございます。

「秀吉の壮大な気宇と誇り」を持ったリーダーが欲しいですね。でも、一人ひとりが、壮大な気宇と誇りを持って仕事、子育て、地域への貢献をする。それが、英霊が守って下さった日本全体から壮大な気宇と誇りが沸き起こり、さらに素晴らしい国になると思います。70年間のGHQからのくびきをひきちぎって・・・。
2015/09/18(金) 09:40 | URL | えっちゃん #-[ 編集]
No title
満洲事変(9/18)


奉天(現瀋陽)郊外での南満州鉄道の線路爆破事件(柳条湖事件)に端を発し、大日本帝国と中華民国との間に武力紛争<満洲事変>

(1931年=昭和6年)



『対ロ「北進」は日本永遠の国是』



日本の国益として最高なものは平和(独立)である。この日本の平和を脅かし破壊する国家はロシア一カ国のみである。だから、日本が「北進」してそのまま軍事的・政治的な勢力を拡大することは、日本とロシアとの間の緩衝の幅を大きくするから、ロシアの南下の阻止を眼目とする日清戦争や日露戦争がもたらしたように、必ず日本の平和と隆盛を招く。満洲事変とは、ロシアが支配する満洲の北半分(南半分はポーツマス条約で日本の支配域)からのロシアの追放であり、白人(西洋列強の帝国主義)からのアジアの解放であり、日露戦争の時に日本が能力不足でできなかった宿題を二十六年も遅れてやっと果した、「北進」の国益に沿ったものだった。


共産ロシアの日本担当工作員であるリヒャルト・ゾルゲは述べている。

「一九三一年の秋に起こった満洲事変で、極東における日本の地位は一変した。・・・・・・ソビエト連邦はこれまで国防上、とかく等閑に付しがちであった広大な辺境地方で直接日本と相対することとなった。言い換えるなら、ソ連にとって容易ならざる新事態が起こったのであった」(『ゾルゲの獄中手記』山手書房新社、79頁)。


満洲事変をもって、支那事変以降の「八年戦争」と一緒にするのは、国家の意思決定が同一、もしくは連続する計画としてなされていない事実において、またアジアの平和という視点、あるいは日本の国益という尺度においても、暴論といってよいほど辻褄が合わない。


中川八洋『大東亜戦争と「開戦責任」』
2015/09/18(金) 07:56 | URL | junn #p4GOlP7Y[ 編集]
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小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
静岡県出身。国史啓蒙家。倭塾塾長。日本の心をつたえる会代表。日本史検定講座講師&教務。
連絡先: nezu3344@gmail.com
著書
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』第1巻〜第3巻
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』
日々、先人たちへの感謝の心でブログを書き綴っています。それが自分にできる唯一のお国への、先人たちへの、そしていま自分が生かさせていただいていることへのご恩返しと思うからです。こうしてねずブロを続けることで、自分自身、日々勉強させていただいています。ありがたいことです。

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私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

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