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日本はシラス国です。ウシハクと一線を画す日本の姿学んでいます。


神代文字の時代

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20151018 秋の景色


古事記の序文に、天武天皇の詔(みことのり)として、次の記載があります。

「天武天皇は申されました。
 『諸家が持っている帝紀や本辞は、
 事実と異なるし、
 またその多くに虚偽の記述がある。
 いまその誤りを改めなければ、
 幾年も経ないうちに、
 日本はなくなってしまうであろう。
 歴史は国家の大本です。
 そこで巷にある様々な帝紀から撰録し、
 旧辞を取捨選択して、
 偽りを削り、まことを定め、
 後の世に伝えたいと思う。』」

この一文は、重大な事実を物語っています。
古事記の前に、諸家が、諸家ごとに、さまざまな史書を伝えていたということを、明確に示しているからです。
そしてこのことは、実は「古事記以前に書かれた史書があった」というだけにとどまりません。
古事記以前に書かれていた史書が、諸家ごとに、それぞれの地に古くから伝わる神代文字で書かれていたことをも同時に暗示しているからです。

やまと新聞 小名木善行の「百人一首」 第34番歌 藤原興風
誰をかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに


一般に、上代の人々には文字がなく、人々は口伝で歴史を伝えたとされています。
漢字が伝わったのは、仏教伝来と同じく、西暦552年のことであったといいます。
だから、
「それまで日本には文字がなかった」
「カタカナやひらがなは、漢字を変形させて作ったのだ」
というのが通説です。

ところがこの説は、ある重大な点を見落とされています。
「なぜ日本語には「ア」から「ン」で終わる五十音があるのか」という点です。
日本語の五十音は、いったい、いつどのように形成されたのか、
その起源は、どこまで遡ることができるのか、
この視点がまったく欠落しているのです。

実際、話し言葉であれば、「が」や「ば」のような濁音もあれば、パピプペポのような半濁音もあります。
ギャ、ギュ、ギョのような拗音もあります。
もっというなら、日本語の子音には破裂音、摩擦音、鼻音、はじき音(巻き舌でラと言う時など)、ヤ行、ワ行の子音のように、母音に近い接近音もあります。
そういう意味では、「日本語を表記する文字が50音しかない」ということの方が、むしろ不思議なことなのです。
つまり日本語表記のための文字が50音であるということは、その50音それぞれに、何か特別な意味があるということなのです。

そもそも「西暦552年の漢字渡来まで、日本には文字がなかった」という説にも疑問があります。
それだと「金印」の存在の説明ができないからです。
「漢委奴国王」と記された金印は、江戸時代に福岡県の志賀島で発見されましたが、この金印は、西暦57年に倭国にある奴国の国王が漢に使いを送り、漢の皇帝が授けた金印であることは、支那の歴史書である『後漢書』に明確に記されています。
漢字渡来とされる年より、500年近くも前の出来事です。

みなさまよくご存知の『魏志倭人伝』には、魏の皇帝が「親魏倭王」と記した金印と、銅鏡100枚を倭国に贈ったと記載されています。
魏が成立したのは西暦220年のことであり、265年には滅んでいますから、この金印が贈られたのは、その間の出来事、つまり3世紀前半の出来事であることは明白です。

印鑑は、万国共通で、文書に押印するものです。
つまり、1〜2世紀の日本で、文字が存在しなければ、漢の皇帝も、魏の皇帝も、日本に「金印」を贈ることなどありえないことです。

とりわけ支那において、金印というのは特別な意味を持つものです。
支那の印には、玉印、金印、銀印、銅印の区分があります。
玉印は、象牙でできた印であり、これは支那皇帝だけが用いるものです。

金印、銀印、銅印は、支那の皇帝が下賜する印です。
これはオリンピックのメダルと同じで、明確な序列があります。
金印をもらえる国は、支那と対等もしくはそれに近い国力を持った国です。
銀印は、支那皇帝の傘下にあって郡長程度の国力のある国です。
銅印(泥印)は、村長さん程度の国です。

漢や魏が、倭国を文字も扱えない遅れた国だ認識していたなら、日本には、良くて泥印しか与えられなかったことでしょう。
そもそも日本に文字を操る文化がなかったのなら、そもそも印を授ける理由さえありません。
つまり金印が贈られたということは、支那の王朝にとって、日本が支那と対等な国力と文化を持った国であると認識されていたということです。
文字がなかったということは「ありえない」のです。

ちなみに、この時期、倭国が支那と国交を持ったことには明確な理由があります。
この時代、朝鮮半島の南半分が倭国領土だったのです。
つまり倭国と支那の大帝国は、陸続きだったのです。

陸続きであるということは、侵略の危険と常に隣り合わせにある、ということです。
だからこそ、贈り物をし国交を保ち、敵対したり侵略されたりすることがないように、倭国は支那王朝に気をつかっていたのです。
そして支那の王朝もまた、倭国と敵対することがないよう、金印を贈って倭国を懐柔していたのです。
つまり、金印授与は、対等なパートナーシップの証であり、当時の支那にとって、倭国は「征服征圧するより、国交を持ったほうが得な存在であったから」ということができます。

何が「得」だったのでしょうか。
魏志倭人伝の「魏」は、みなさま大好きな『三国志』に出てくる「魏・蜀・呉」の「魏」です。
その「魏」には、有名な曹操がいました。
三国志は、魏の曹操を、憎らしいほど強い奴として描いています。
つまり、それほどまでに、曹操の軍事力は強かったのです。

なぜ強かったのでしょうか。
理由があります。
魏軍は、鉄製の剣や楯を用いていたのです。
孫権の呉や、劉備玄徳の蜀は、青銅器製の武器です。
青銅器の剣と、鉄製の剣が打ち合えば、青銅器の太刀はポキリと折れます。
圧倒的に鉄製の武器が有利なのです。
魏軍の兵士は、呉や蜀の軍隊を、武器ごと真っ二つに切り捨てることができたし、青銅器でできた楯を、鉄の槍で貫き通すことができたのです。
強いわけです。

では、なぜこの時代に魏だけが鉄製の武器を持っていたのでしょうか。
これもまた理由があります。
倭国が鉄を産したのです。
倭国は、国内でも鉄を掘りましたが、同時に朝鮮半島の南部でも、さかんに鉄を掘っていました。
鉄は岩を熱して溶かし出します。
これを行なうには、高温をあやつる高い技術が必要です。
そして高い技術は古来、日本のお家芸です。

倭国は、鉄を生活用品に用いましたが、魏は、倭国から輸入した鉄を武器に使いました。
魏の国力をもってすれば、朝鮮半島を奪うことも可能であったかもしれません。
けれど魏が朝鮮半島と隣り合っていながらそれをしなかったのは、魏が半島を奪えば、鉄が補充できなるなるからです。
つまり鉄の生産技術は、倭人たちだけのものだけであったということです。

朝鮮半島南部の倭人たちを脅かして、倭人たちが海を渡って本土に帰ってしまえば、魏は鉄の補充ができなくなります。
それは魏の軍事力の弱化を意味します。
「ならば、征服するより、対等なパートナーとして付き合うほうが良い」
当然の判断です。
だから金印を贈ったのです。

そしてそれだけの高い文化を持った倭国が、
遅れていて、文字さえなかった。。。
朝鮮半島にいた濊族から文化を教えてもらった。。。
ありえないことです。
この時代、濊族は、汚らしい、人間にさえ分類されないゾンビのような存在、ただの原始的な人食い人種としてしか認識されていません。
果たして、そんな濊族に文化?を教えてもらわなければならないような国に、魏は金印を送るでしょうか。

要するに「漢字渡来まで文字がなかった」と考えるほうが、明らかに不自然なのです。
そうではなく、独自の文字を操る文化があったから金印が贈られたのです。
そして独自の文字があったからこそ、日本には五十音があるのです。
もっといえば、漢字渡来よりも先に文字があったからこそ、日本語には五十音があるのです。

では、当時の倭国では、いったいどのような文字が使われていたのでしょうか。
もちろん漢や魏、あるいは隋や唐などとの外交文書には漢字語が使われたことでしょう。
当時、漢字語は東洋社会の共通文字です。
では倭国の国内で普及していた文字も漢字だったのでしょうか。

古事記の序文には、冒頭に書きましたように、「諸家が史書を持っていた」という記述があります。
それらはいったいどのような文字で書かれたものだったのでしょうか。
その答えが実は「神代文字」です。

神代文字というのは、実に様々な種類があります。
みなさまよくご存知のホツマ文字、カタカムナ文字、アヒル(阿比留)文字の他にも、

上津文字、化美津文字、伊予文字、出雲石窟文字、トヨノ文字、山窩文字、豊国文字、春日文字、アソヤマ文字、越文字、アジチ文字、守恒文字、斎部(インべ)文字、惟足(コレタリ)文字、筑紫文字、重定石窟文字、ヤソヨ文字、阿奈伊知文字、マニナ文字、六行成文字、肥人文字、イスキリス文字 、タネマキ文字、種子文字、アイヌ文字、対馬文字、阿比留草文字、日文草書、薩人文字、阿波文字、天狗文字等々、名の知られた文字だけで34種類もあります。
探せば他にももっとたくさん出てくることでしょう。

これらの神代文字は、それぞれ毎に、文字のカタチがまったく異なります。
まるでハングルのように見える文字もあれば、円弧の向きが意味を持つ文字もあります。
まるでメソポタミアの楔形文字のようなものもあれば、アラビア語のような文字もあります。
まるで多種多様なのです。
けれど、それら神代文字に共通しているのが「五十音である」という点です。
つまり、「五十音である」という点で、神代文字は一致しているのです。

20150802 神代文字


日本は、縄文時代から続く、とてつもなく古い歴史を持った国です、
どのくらい古いかというと、縄文時代のはじまりが今から約2万年前。
弥生時代になるのが約3千年前です。
つまり、縄文時代だけで、1万7千年も続いているのです。

もっというなら日本では、
11万年前には、石器が使われ
3万年前には、加工した石器(磨製石器)が使われ、
1万6500年前には、世界最古の土器がつくられ、
1万3000年前には、人の形をした土偶がつくられ、
1万2500年前には、漆が栽培され、使われていたのです。

漢字渡来とされる西暦552年から今年(現代)まで、まだ、たったの1463年です。
文科省指導による歴史教科書では、日本の近代を明治維新以降、現代を戦後と区分していますが、明治維新から現代まで、たったの150年です。
万年の単位にまでなる日本の歴史からみたら、明治維新はつい昨日のことでしかないし、1500年前もわずか10日前のことでしかないのです。

日本がそれだけ古い時代から続いているということは、同時にそれだけ古い時代から、様々な文字が研究され、使用されてきた可能性を否定できないということです。
そしてつい最近まで(というか最近でも)地方ごとに方言が異なるように、かつてはそれぞれの地方ごとに、その地方の文化を伝えるのに適したいわば「地方文字」もしくは「方言文字」として、様々な「神代から続く文字」があったと考えて、なんら不思議はないのです。

そうなると古事記序文に書かれた天武天皇の御言葉、「諸家が持っている帝紀や本辞」の意味が明らかになってきます。
諸家が、それぞれ異なる神代文字で書き残していた史書を指しているということです。
地方ごとに豪族たちが、独自の文字で文書記録を残していたと考えるべきなのです。
それらはすべて五十音である点は共通しています。
けれど文字のカタチが全然違う。

古事記の編纂を命じた天武天皇は、兄の天智天皇の改革路線を踏襲した天皇です。
その兄の天智天皇の即位は、唐と大規模な戦闘(白村江の戦い)があったわずか10年後です。
また再び、戦いがあるかもしれないのです。
実際、唐は日本遠征計画を具体的に立てていましたし、この時代(7世紀)には、鉄は倭国オリジナルではなくなっています。

古事記にある天武天皇の「いまその誤りを改めなければ、幾年も経ないうちに日本はなくなってしまうであろう」という言葉は、共通の文字を確立して日本国内の意思伝達をひとつの言語で行なうようにしなければ、日本に唐が攻め込んできた時に、日本そのものがなくなってしまうという、強烈な危機感なのです。

だから天武天皇は、太安万侶に古事記の編纂を命じたのです。
古事記は、全部、漢字で書かれています。
けれど、その漢字は、漢文として書かれたのではなくて、漢字の音だけを用いた、つまり漢字をカナとして用いたところが随所にあります。というか、むしろその方が多いくらいです。
古事記では、その都度漢字の横に「以音」と、注釈がしてあります。
「以音」というのは、漢字は使っているけれど、音だけを採用していて、その漢字には意味がないという意味です。
つまり漢字を「カナ」として用いているのです。

この時代、地方ごとに異なる文字が使われていた一方で、漢字は外国語として日本全国に共通に普及していました。
だから共通語として、外国語である漢字を使って、全国各地の神代文字で書かれた史書を統一したのだと考えるのは、ごく自然ななりゆきです。

このことがわかると、古事記と同時期に編纂された日本書紀が、なぜ綺麗な漢文で書かれたのかも説明がつきます。
日本書紀が美しい漢文で書かれ、これが子供達の教科書になれば、子供達は自国の歴史や道徳を学べるだけでなく、外国語である漢文を、普通に読み書きできるようになります。
日本に攻め込もうとする唐の人々には、日本語はわかりません。
ところが日本人は、唐の国の文書を誰もが読み書きできるのです。
これは戦略上、国防上、ものすごく有利な国家インフラです。

古事記の文章の構造を読むと明らかなのですが、常に「問題提起」した後に「その回答を示す」という書き方になっています。
つまり、すべてにおいて「目的を持ってはじめる」という姿勢が一貫しているのです。
それが日本的思考です。

外国語を共通語にするということについては、おもしろいエピソードがあります。
明治時代、大山巌は、会津藩の大山捨松に一目惚れし、二人は結婚しました。
ところが、大山巌は極端な薩摩弁、捨松は極端な会津なまりです。
両者とも日本語で話しているのに、二人はまったく言葉が通じない。
そこで二人は、大山巌が英国に、捨松が米国にそれぞれ留学経験があり、両人とも英語に堪能でした。
そこで二人は、初デートのとき、なんと英語で会話しながらデートしたのです。

古事記の時代、天智天皇、天武天皇の時代というのは、
一方に、日本語の表記が、各地方ごとに全部バラバラで、異なる神代文字が使われているという状況があり、
一方に、他国侵逼の国難が迫っているという、
国家緊急時の時代です。
そのようなときに、どの神代文字を我が国の共通語にするかで、国内で喧々諤々やっていては、もう間に合わないのです。

であれば、「外国語」として国内に広く普及している漢字を、この際、共通文字として日本語表記に使ってしまえ!というのが、実は、古事記における初の試みであったわけです。

こうしてカナとして用いられるようになった漢字は、時代とともに万葉仮名となり、そしてそれらがさらに草書体となることによって、ひらかなが生まれました。
そして神代文字からは、種々の神代文字から「いいとこどり」したカタカナが生まれました。

つまり、ひらがなも、カタカナも、もともと神代文字があったからこそ生まれた文化なのだと考えた方が、明らかに歴史を合理的に説明できるのです。
そして日本に、漢字渡来以前に、すでに高度な文化文明が栄えていた事実も、これによって裏付けることができます。
神代文字は、縄文時代の土器や、弥生時代の石版や、銅鏡、銅矛にも、たくさん見出すことができます。
いまは、それらが「意味不明のただの模様」として扱われていますが、実は、それが神代文字である可能性が高いのです。

そもそも「漢字以外は文字として認めない」というのは、日本の戦後の左巻きの考古学者の実に身勝手な言い分です。
決めつけ、線引は、政治です。
学問は探求です。
この分野におけるこれからのもっと盛んな研究が望まれます。



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コメント
本来の日本民族の始まりを
「古事記の前に、諸家が、諸家ごとに、さまざまな史書を伝えていたということを、明確に示しているからです。」

不思議なのは、諸家がそれぞれに伝えていた史書はほとんど全く伝わっていないこと、またいわゆる欠史八代というように記紀には2~9代天皇の事績がほとんど記述されていないこと、古事記と日本書紀との内容の食い違いが大きいことです。これらから、記紀自体が当時の担当官吏勢力の恣意によって本来の史実から少なからず削除ないし改竄されているのではないかとも言われています。なお古事記は聖武天皇崩御の26年後、日本書紀は34年後の、それぞれ元明天皇、元正天皇のいずれも女帝の時代に作られています。
私たちは今後、本来の日本民族の歴史を真摯に見出していく姿勢が求められていると思います。
2015/11/06(金) 10:19 | URL | あきつくに #Sts9A5QI[ 編集]
No title
70、50の話を学者が言いますが、私はそれは疑問に思っています。
議論は江戸時代から続いていますが、否定する論者、学者達の背景、立場など、
違う角度からの研究も待たれると思います。
ともかく神代文字がなかったら説明がつかないことがあまりにも多すぎます。
2015/11/03(火) 22:11 | URL | ひえい #SFo5/nok[ 編集]
鉄仮説
支那で広く鉄器が普及し始めたのは春秋時代とされます。適用されたのは農具です。武器は依然として青銅器でした。このころの鉄器は衝撃に脆いもので、青銅剣と鉄剣が撃ち合えば、ポキリと折れるのは鉄剣の方でした。

支那の鉄は登場したときから「鋳鉄」でした。鋳造は鉄素材を1200度ぐらいの高温でドロドロに溶かす必要があり、900度程度まで熱して赤く変形するようになった鉄の塊をハンマーで叩く鍛造より高い技術が必要とされます。もともと支那では青銅器製造が発達しており、銅加工に不可欠な金属溶融の技術を鉄に応用して加工が容易で大量生産に向いた銑鉄が広まったのです。こうして作られた鉄は非常に硬いが、脆いものでした。

鋳鉄(銑鉄)が脆いのは炭素を多く含むからです。炭素を含有しない純粋の鉄は軟鉄と呼ばれ、ふにゃふちゃで大変曲がりやすいので炭素が少なければいいわけでもありません(素朴は方法で製鉄すると純鉄ばかりできる)が、鉄鉱石や砂鉄の中にある酸化鉄を還元して得た鉄(銑鉄)から炭素を適度に除去する脱炭法が漢代に生まれたとされます(時期には諸説あり)。従って、三国時代には鉄が武器にも使われたと思われます。

『三国志集解』孫権伝には「呉王孫権、黄武五年、採武昌銅鉄、作千口剣、万口刀、各三尺九寸。刀頭方、皆是南銅越炭作之、文曰大呉、小篆書」(呉王の孫権は黄武五年、武昌で銅鉄を採取し、千振りの剣、一万振りの刀を製作した。どちらも長さ三尺九寸である。刀は頭の部分が四角になっており、これらはみな南方の銅、越の炭によって作られたものである。小篆による“大呉”との銘がある)とあります。

「皆是南銅」の是が刀頭部分であるとするなら、「採武昌銅鉄」ですから刀身は鉄製のように思われます。「作千口剣、万口刀」を話半分としても大量生産ですから、鍛造刀には思われません。

一方、『太平御覽』刀上「魏武帝令曰往歳作百辟刀五枚適成先以一與五官將。其餘四吾諸子中有不好武而文學將以次與之」(魏の武帝が布令を下して言いうには、昔五振りの百辟刀を作り、完成するとまず一振りを五官将にやった。残りの四振りは、我が息子たちのうち武芸を好まず、文学の得意なものへ順番に与えよう、と)と、「百辟刀」なるものが出てきます。一般にこれは鍛造刀とされますが製造数は5振りで、納得の範囲です。

ものの本によると、後漢のころになると「百錬鋼」という鍛鉄が出現して、以後の武器は百錬鋼製になっていったと書かれていますが、百錬鋼の正体が分かりません。奈良県天理市の石上神宮に伝わる七支刀に文字が刻まれており、ここに「百練鋼七支刀」とあるのでこれが百錬鋼の具体例ということになるかもしれません。

しかし、七支刀は見る限り、実戦に使えるように思えません。少なくとも切ったり、刺したりする武器には見えません。そして、七支刀の復元に取り組んだ吉野の刀工・河内国平さんは、その復元の難しさ、折れ方(七支刀は支が折れている)などから定説である鍛造刀ではなく、鋳造刀とする説を唱えています。

鉄は強く、青銅が弱いとか限りません。特に鉄は作り方によって強度がまったく変わってしまいます。支那にも鍛造技術があったはずですが、鋳造で必要な強度が得られるようになると、生産性の違いから鋳造製品が全盛になってしまったのかもしれません。漢以降の多くの王朝で鉄は専売品でしたから、民間で勝手に技術開発することもできませんでした。

魏と呉・蜀の武力に技術的な違いがあるとすれば、鍛造製品を作る技術を保持し続けたか、否かのように思いました。
2015/10/24(土) 04:30 | URL | ボアゴベ #-[ 編集]
先ほどの拙文を読み直してみて、至らない点がありました。
都合3度目になりますが改めての投稿をお許しください。
そしてこのような穴だらけな駄文を快く許可なされたねずさんに改めて感謝いたします。
 
さて、先ほどの文をお読みになった方は、製銅が熱処理1回なのに対し、製鉄は2回だと思われたことと拝察します。
 
違うんです。最低でも3回です !!
 
1) 薪を燃やして、薪を木炭にする炭焼き工程
2) 黄鉄鉱を木炭と燃やして銑鉄を鋳出すタタラ精錬(硫黄燃焼でブーストし融解)
3) 木炭を燃やして銑鉄を赤熱させ叩いて炭素を減らす鍛造(松炭の油脂ブーストで1200度。赤熱するだけで熔けない)
4) (焼き入れ。焼きなまして再加熱し焼きを入れるのは不合理なので3と同時に処理。このため4回目は欠)
5) 焼き戻し。刀では刃付けを同時に行う。
 
いかがでしょうか。1回で済む銅と4回ではまるで次元が違い、製鉄と武器作りがいかに大量の木を燃やすことか、お解りいただけたでしょうか。
2015/10/23(金) 19:27 | URL | beany #-[ 編集]
大学の研究者の学説などどうでもいい。
別に大学の研究者の意見などどうでもいいのではないか?50か70かの仮説の証明など愚の骨頂。問題は事実であって仮説ではない。最初から51音で始まったことに意義がある。超古代エジプトのヒエログリフの未解読の文字やクレタ島の線文字A、Bも51音の日本語で読める。そういう事実が大事であって、大学の研究者の遊びや税金の無駄におつきあいする必要はない。否、大学では対処不可能だろうヨ。
2015/10/23(金) 18:15 | URL | KI #-[ 編集]
いつもありがとうございます。
神代文字は世界の言語の大元だそうです。
後醍醐天皇が書かれた文字は何処かハングルに似てますよね。(勘違いすんなよ朝鮮人)これは、ハングルの元の文字も日本の神代文字が元だという事です。詳しくは神道家浅見宗平氏の不思議な記録(神代神字の巻)を参照下さい。
2015/10/23(金) 17:44 | URL | #-[ 編集]
鉄について、いい機会なので書かせていただきます。
古代、日本付近では黄銅鉱の乾式精錬でした。黄銅鉱は世界中どこでも必ず黄鉄鉱を伴って採掘されます。
銅は薪の炎で熔けますが、鉄は薪はおろか木炭でも赤熱するだけで熔けるには至りません。ただし黄鉄鉱だけは例外です。
木炭に黄鉄鉱を混ぜて燃やすと、じつは硫黄が燃えます。これが秘密の燃料で、これにより木炭の火力がブーストされ、黄鉄鉱は完全に熔けるのです。
ですから銑鉄、玉鋼だけは熔解して型に流し出すことができるんです。
現代では黄銅鉱の乾式精錬を黄銅鉱と黄鉄鉱を同時に燃やします。硫黄と鉄を燃料にすることで燃料代はきわめて安くなるのです。
さて、しかしながら、鋳出した銑鉄をふたたび熔かすには石炭が必要です。ですが極東で石炭が掘られるようになるのは近代以降でした。
では木炭でどうやったか。なるべく気泡が多い木炭を使い、ふいごでいっしょうけんめい風を送り千度辺りまで加熱して赤熱した銑鉄を…ぶっ叩いて形をつくりました(笑)。
叩けば火花が出ます。炭が放出されていきます。火花が出なくなれば高純度の鉄、軟鉄になります。適度にやめれば鋼鉄になります。
もうおわかりですね。日本の製鉄方法では鋼鉄のほうが楽に作れるわけです。てきとーにやめれば鋼鉄になるんです。
鋼鉄は放置したって軟鉄より強靭です。ましてや純銅は切り裂いてしまうし、弾性を犠牲に硬度を上げた青銅は打ち割ってしまうんです。
その焼きなました剣を焼き入れしたのも、やり方が伝わったというより自然に発見したというのが素直な見かたです。なぜなら火事になりそうになったらを委細かまわず水をぶっかけるのは古今東西かわりない常識だからです。
振りかえってみましょう。黄鉄鉱石を玉鋼にして再び木炭と混ぜて二度目の火で鋼をつくり鍛錬で炭素含有量を調整し焼き入れるところまで、一連の発見は日本ではスムーズに運んだわけです。
最後に環境負荷を書いておきます。鉄を作るには、銅と比べて融点が高いから燃料がよけい必要なだけではありません。銅は薪を使って1次精錬で済みますが、鉄は2次精錬が必要なのです。
それだけ木を使うということです。しかも木を伐るだけ伐って植えないと、日本は火山島です。大陸と違って傾斜はきつく、水流はおそろしく速い。ですから土石流に逢いたくなければ苗を植えて山を管理しないと全滅してしまう。
植林は製鉄と共に始まったというのが私の考えです。
2015/10/23(金) 17:01 | URL | beany #-[ 編集]
なぜ上古国語学の専門家が神代文字を認めないか。
それは、万葉仮名のイ段とエ段に甲類乙類の別があり、2つの仮名群には共用されることがなく、厳密に使い分けられていると考えられているからです。
上代国語学者は、上代から上古にかけて、あいイゐうえエお、7段の母音があったと推定しているのです。
7段の母音で、あかさたなはまやらわ、10行の子音とマトリックスを組めば、五十音ではなく七十音となります。
なぜ70ではなく50なのかを単純明快に説明できる仮説を立て、立証してみせなければ、神代文字は存在を認められないだろうと考えます。
しかし、上古の7母音が中古に5母音になった経緯もまた、解明されていません。
いろいろな仮説を立てる余裕はまだまだありそうですが、現時点では「神代文字が存在した蓋然性は高くない」というのが私の感覚です。
2015/10/23(金) 14:13 | URL | beany #-[ 編集]
ホツマツタヱに期待
ホツマツタヱなどヲシテ文献がもっとも正統なものと思っています。研究をされている方もいるのですが、学者(國學院大學や皇學館大学も含め)からは相手にされていない状況です。
もっとヲシテ研究が盛んになることを期待しています。
ヲシテのワという字には大地という意味があるそうです。日本のことを和と言っていたのは縄文時代からでしょう。
2015/10/23(金) 10:19 | URL | ネコ太郎 #-[ 編集]
No title
銅の剣が鉄の剣と打ち合うと、ポキリと折れるというのには疑問がある。
銅と鉄の対比は、むしろその生産コストにあったようである。
すなわち銅は鉄よりも稀少金属であった(ゆえに後にも通貨として利用される)。
ただ、融点は鉄よりも低いから技術水準の劣る時代では銅を素材とした産品の方が優位を占めた。
鉄は銅よりも広く、かつ多く分布する。
しかし鉄の精製のため、支那は相当に広範な地域が禿山と化した。
倭国政権は古代において朝鮮を領し、朝鮮は鉄を産した。
加えて日本は多雨地域で樹木の生育に適し、古来より文化的にも森林の保存育成を規範としてきた。
故に鉄の継続的生産に利があったことは間違いない。
2015/10/23(金) 07:59 | URL | 名無しさん@ニュース2ch #-[ 編集]
神代文字の研究といえば
神代文字については、武田日恵、高橋良典、高坂和導、佐治芳彦など興味深い研究をされていますね。最近ではAvery Morrowのように海外の若い西洋人が日本に留学して研究しているという人もいます。また、竹内文書の第73世竹内宿禰である竹内睦泰(むつひろ)もいます。今後の研究を期待しましょう。
2015/10/23(金) 07:30 | URL | KI #-[ 編集]
No title
http://www.hasukura.com/site/3marutani.pdf神社の古代文字「絵文字」の考察

 
2015/10/23(金) 07:28 | URL | junn #p4GOlP7Y[ 編集]
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小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
静岡県出身。国史啓蒙家。倭塾塾長。日本の心をつたえる会代表。日本史検定講座講師&教務。
連絡先: nezu3344@gmail.com
著書
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』第1巻〜第3巻
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』
日々、先人たちへの感謝の心でブログを書き綴っています。それが自分にできる唯一のお国への、先人たちへの、そしていま自分が生かさせていただいていることへのご恩返しと思うからです。こうしてねずブロを続けることで、自分自身、日々勉強させていただいています。ありがたいことです。

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口座番号 0083820
口座名義 小名木善行
【問い合わせ先】
お問い合わせはメールでお願いします。
nezu3344@gmail.com

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最短で3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。テーマは、ご自由に設定いただいて結構です。講演時間は90分が基準ですが、会場のご都合に合わせます。
E-mail nezu3344@gmail.com

過去の講演テーマです。
君が代と日本人
大国主神話とシラス国
和歌と日本の誇り
歴史から見た慰安婦問題
領土と主権のお話
和と結いの国、日本
日本人にとっての戦いとは
武士道と忠義
日本人と食のお話
建国の理念と日本の文化
世界に誇る縄文文化
百人一首と日本人 etc....
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台灣民政府
台湾民政府
サンフランシスコ講和条約で、日本は台湾に関して処分権は連合国に提供しましたが、領土の割譲は行っていません。条約以降、連合国も日本も台湾の処分先を決めていません。つまり台湾はいまも日本であり、台湾にいる1500万人の戦前からいる台湾人は、日本国籍を有する日本人です。私は台湾民政府を支持します。
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コメントをくださる皆様へ
基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメントは、削除しますのであしからず。
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コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人である私の判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
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