アクセスランキング

日本はシラス国です。ウシハクと一線を画す日本の姿学んでいます。


「奴隷制度の廃止」と「人種差別撤廃」

人気ブログランキング
↑ ↑
応援クリックありがとうございます。
(それぞれの画像はクリックすると当該画像の元ページに飛ぶようにしています)

20160107 リンカーン_th


日本では、米国の黒人差別は、米国第16代大統領のエブラハム・リンカーンが「解放」した、と信じている人が多いようです。
違います。
リンカーンが行ったのは奴隷の「制度の廃止」であって、「人種差別」に反対わけでも撤廃したわけでも解放したわけでもありません。
「奴隷制度の廃止」と「人種差別撤廃」は、似ているようで、まったく異なるものです。

リンカーンの当時の米国経済は、南部諸州が経済の牽引役でした。
米国の北部、西部には産業がなく、一方、南部11州は、綿花栽培で大儲けしていました。
南部の農園で生産された綿花は、産業革命を果たして一足早く工業化に成功して世界の富豪国家となった英国にまるごと輸出されました。

英国はこの綿を生地に仕立て、高級紳士服などの工業生産品として世界中に輸出しました。
英国製の生地は、世界最高とされ(いまでも英国製生地はそれ自体ブランド品です)、しかも当時の英国は世界の海を制した大国です。
つまり英国文化が世界を席巻していたわけで、それだけに英国製の高級生地や、英国仕立ての服は、世界中で高値で取引されていました。
つまり当時の英国は、生地を作れば作るほど儲かったのです。


20151208 倭塾・動画配信サービス2




生地を作れば作るほど儲かるということは、その生地の原料となっている綿花も「作れば作るほど」儲かったわけです。
米国南部では、そのための綿花農園を経営し、広大な地所を利用して、そこに「農奴」としての「黒人奴隷」を労働力をして働かせるという社会制度が確立していました。

南部諸州で綿花農園を経営するのは、白人です。
そして農園は、大規模であればあるほど、儲かりました。
労働力は安ければ安いほど、儲けは大きくなるからです。

意外に思われるかもしれませんが、南部諸州の農園では、黒人労働者(奴隷)たちは、比較的大切に扱われていました。
これは当然といえば当然のことで、農場が広がれば広がるほど、黒人労働者の人数も増える。
人数からいったら、白人の農園経営者よりも、そこで働く農園労働者の方が、圧倒的に人数が多いのです。
どこの会社でも、経営者の人数よりも、労働者の人数の方が多いのと同じです。

もし、少数の経営者が、大多数の黒人を圧政下に置いたらどうなるか。
反乱でも起こされて、綿花農園に火でもつけられた日には、全財産がパアになります。
ですからそうならないように、ある面、黒人達を優遇し、ある面、いうことをちゃんと聞くように、厳しくしつけていたのです。
つまりそこには、一定の「共存関係」が成立していたのです。

映画「風とともに去りぬ」は、ご覧になられた方が多いかと思います。
主人公の家は、昔の中世のヨーロッパの貴族のように、豪華で多数の部屋を持つ大邸宅です。
つまり大金持ちです。
ですが、その屋敷の周囲に城壁はありません。
城壁がないということは「争いがない」ということです。

そしてその大邸宅の中には多数の黒人の農園労働者たちが生活していました。
なかには、結婚して子が産まれる黒人もいました。映画の中にもそうしたシーンはありました。
農園は広大ですから、労働効率を考えれば、そこで働く農園労働者は、農園主の大邸宅に住むばかりが能ではありません。
優秀であり、かつ責任感の強い信頼できる黒人には、その者が担当している農園の近くに家を建ててやり、そこを基点として、一体の農園の管理を任せたりもしています。

黒人と白人が、身分は違うのは当然です。
白人は農園の経営者であり、黒人はそこで働く労働者なのです。
身分の違いは、当然あります。

けれど、それは「差別」というより、「主従関係」に近いものでした。
もちろん、カネで買われた労働力であることは事実です。
だから「奴隷」です。
けれど、黒人達は、定年さえない終身雇用です。生涯食うに困らない。
悪いけれど、いまどきの日本のフリーターよりも、よほど生活は安定していたのです。

ですから黒人達は、仕事が済むと、近くの飲み屋に集まり、そこで、自分たちの民族音楽に、欧米風の楽器をあわせた独自の音楽を誕生させ、それをみんなで楽しみました。
これがジャズ・ミュージックです。
当時の南部の黒人労働者たちは、もちろん、農場主とくらべれば生活は貧しいものでした。
決して貧困ではなかったし、生活にも余裕があったというのが実情です。

一方、南北戦争以前の北部諸州ではどうだったかというと、北部には綿花のような中心となる産業がありません。
人はたくさんいますから、繊維製品の製造業や、日用品製造業、あるいは建設業等々の労働市場は数限りなくあったけれど、それら労働者市場は、白人移民たちの労働市場でもあったわけです。

そこに南部からあふれた黒人奴隷という私的所有権に基づく労働力が介入してきたら、何が起こるか。
答えは簡単です。
白人労働者の職場が奪われるのです。

白人労働力は、雇用主からみれば、「契約関係」です。
月給は20万よこせ。休みはよこせ。給料あげろ、気に入らなければ会社を辞めると言い出す。
しかも酒を飲んで文句ばかり言って働かない。
だからといって殺せば、こんどはコチラが殺人罪です。

ところが黒人奴隷を労働力として採用するとどうなるか。
月給は半分でOK。所有物ですから生殺与奪の権は、オーナーの側にあります。
使い物にならなければ、売り飛ばすこともできるし、殺しても、あくまで「動産」であって「人」ではありませんから、罪になりません。
これは圧倒的な「力関係」ですから、その分、黒人達にちゃんとした仕事を仕込めば、会社は儲かるようになります。
経営者からみて、こんなに「都合の良い」労働力は、他にありません。

問題は、そうした奴隷制度が、北部の町に進出してきたらどうなるかにありました。
これまた答えは簡単です。
北部の白人労働市場は壊滅し、黒人労働力が北部を席巻することになるのです。
そしてこのことは、北部に住む多くの白人の生活を圧迫することになります。

だから北部の人々は、「奴隷制度」に反対したのです。
そして黒人を毛嫌いし、差別することによって、北部の労働市場から排除しようとしたのです。

このことは、「黒人を差別する」というよりも、黒人の「存在そのものを否定」するという社会風潮といえます。
黒人がいるから、白人の労働市場が奪われるのです。
ならば、この世から黒人を消すしかないという思考です。

ところが、南部諸州では、次々とアフリカから黒人を連れて来ます。
黒人だって結婚します。すると人口が増えます。
そして南部で何らかの事情で職にあぶれた黒人が、北部に流れて来るのです。
そして北部に住み着きます。

彼らだって食べなきゃいけないから、労働させてくれるところを探します。
雇う雇用主が現れます。
するとそこで、子が生まれ、ますます黒人が増えます。
そして増えた分だけ、白人は職を失うわけです。

「だから黒人を排除するしかない」というのが、当時の黒人に対する北部の人々の考えです。
北部の人種差別は、だから「差別」というより「排除」の動きだったのです。
これを「人種差別」と書くからわかりにくくなるのです。
実際には「人種排除」です。

しかし米国自体が、黒人排除論に動くと、困るのは南部11州の農場主たちです。
農奴を使っているから、商売になっているのです。
それが白人の使用人たちにとってかわったら、コストは倍以上につきます。
綿花農園そのものが存続できなくなるのです。

ですから南部11州は、米国からの脱退しました。
そして「アメリカ共和国」を建国しました。
そしてこれを認めない北部の「アメリカ合衆国」と、「アメリカ共和国」が戦争になりました。
これが「南北戦争」です。

南北戦争では、南北合わせて320万の兵力が激突しました。
そしてたった3年で、両軍あわせて123万人の死傷者が出ました。
どれだけ凄惨な戦いだったかということです。

驚くべきことに、この戦いに北軍側では100万人以上の黒人義勇兵が、最前線で戦っています。
彼らは、この南北戦争が、「奴隷解放のための戦い」であり、「人種差別撤廃のための戦い」と信じていたのです。

結果として南部諸州が負け、もとの米国に戻り、そして米国では「奴隷制度」が廃止されました。
しかし、人種差別は、以前より一層、酷いものにかわったのです。

要するにリンカーンの行った南北戦争は、
北部諸州の白人の労働雇用を守るために、
低賃金、終身雇用の労働力である「黒人を排除」することを目的として、
黒人が米国内に増加する温床となっている南部の「奴隷制度」を、
根こそぎ排除しようとした戦い、
である、ということです。

ですから、南北戦争で、いっけん人道主義的にみえる「奴隷制度反対」を主張した北軍は、実のところは、制度に反対していただけで、人種への偏見は、むしろ南部以上に酷かったのです。
そしてこのことが、義勇兵として参加した黒人を、前線で数多く死においやり、結果として両軍合わせて123万人というとほうもない死傷者数となっています。

そして南部の綿花栽培における「格安労働力」としての「黒人奴隷」が法的に禁止となると、黒人は法的には白人と同じ高コストな労働力となり、南部の綿花栽培を衰退させました。
当然、黒人の大量の失業者が発生しました。
黒人たちは、安価な労働力として白人の労働市場を席巻しました。

職を奪われた白人たちは、黒人を敵視しました。
そして人種差別は、人種排除の動きとなり、しかも黒人には「公民権」は与えられていないままですから、差別は一層過激なものへとなっていきました。
黒人奴隷は、農園主の貴重な財産としての「終身雇用財産」ではなく、単なる「人種排除、人種差別」の対象となっていったのです。

米国が、黒人に公民権を与えたのは、南北戦争から100年も経った昭和39(1964)年のことです。
では、その100年の間に、米国では何があったのでしょうか。

米国における黒人差別の実情については、さまざまな本も出ているし、ネットでも黒人問題等で検索すれば、たくさんの記事がヒットしますので、そのあたりは、是非、ご自分でお調べ下さい。
当ブログでも、過去記事
「公正な世界を目指して戦った日本」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-642.html
で、デュボイスの例をひいて、黒人差別の実態について書いていますので、ご参照いただければと思います。

問題は、奴隷解放をしたはずの南北戦争から、100年も経ってから、なぜ、黒人は差別の対象から米国市民としての「公民権」を与えられるようになったか、ということです。
実は、ここに日本が深く関係しています。

第一次世界大戦が終結した大正8(1919)年、第一次大戦の惨禍を再び繰り返すことがないために「国際連盟」を創設しようという「パリ講和会議」が行われました。
このとき、米国の黒人たちが最大の注目をしたのが日本です。
日本は、国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れるという、その時点ではまさに画期的な提案をかかげて、戦勝国の一員として講和会議に出席しています。

この講和会議に出席する日本の全権使節団は、パリに向かう途中、ニューヨークに立ち寄りました。
本来ならば、パリに向かうなら、インド洋を回るルートが早道です。
けれど、日本の使節団は、あえて別ルートで米国をまわったのです。

これには理由があって、人種差別撤廃を図りたい日本の使節団は、講和会議の議長役となる米国のウィルソン大統領に、あらかじめ根回しをして人種差別撤廃への協力を求めようとしたからです。

ですから、この日本の訪米は、長年人種差別と戦ってきた米国の黒人社会が大絶賛しています。
「ボストン・ガーディアン」紙の編集長モンロー・トロッターなど、黒人社会の指導者4人は、日本の使節団に「世界中のあらゆる人種差別と偏見をなくす」ことに尽力してほしい、という嘆願書まで渡しているのです。

「われわれ(米国の)黒人は講和会議の席上で“人種問題”について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うものである。」
これは、全米黒人新聞協会が発表したコメントです。
人種差別に苦しむアメリカ黒人社会は、有色人種でありながら世界の大国の仲間入りした日本を、人種平等への旗手と見なしていたのです。

当時、ロサンゼルスの日系病院の医師のうち、二人が黒人だったことについて、やはり黒人紙の「カリフォルニア・イーグルス」紙は次のように述べています。

「ほとんどの病院が黒人に固く戸を閉ざしている昨今、日系人の病院がどの人種にも、門戸を開放していることは本当に喜ばしい限りである。
同じ人種の医者に診てもらうことができる安心を患者は得ることができるのだから。」

そもそも日本人というのは、人種差別という概念を持ち合わせていません。
誰であれ、親しく真面目に接してくれるなら、胸襟を開いて友となる。
それが日本人です。

1923年の関東大震災では、ある黒人が「シカゴ・ディフェンダー」紙に「アメリカの有色人種、つまりわれわれ黒人こそが、同じ有色人種の日本人を救えるのではないか」と投書しています。
それを受けて同紙はすぐに日本人救済キャンペーンを始めました。
「たしかに我々は貧しい。しかし、今、お金を出さなくていつ出すというのか。」

同紙の熱心な呼びかけは、多くの黒人の間に浸透しました。
万国黒人地位改善協会は、「同じ有色人種の友人」である天皇に深い同情を表す電報を送り、また日本に多額の寄付を行ってくれました。

「シカゴ・ディフェンダー」紙のコラムニスト、A・L・ジャクソンは、長い間白人たちの専売特許だった科学や商業、工業、軍事において、飛躍的な発展を遂げようとしていた日本が、震災で大きな打撃を受けたことにより、黒人もまた精神的な打撃を受けた、と分析しました。
なぜなら「日本人は、それまでの白人優位の神話を崩した生き証人」だったからだといいます。

1936年、イタリアがエチオピアを侵略しました。
アメリカの黒人たちは、アフリカ唯一の黒人独立国を「最後の砦」として支援しようとしました。
アメリカ政府の消極的な姿勢に比べて、日本が国際連盟以上にエチオピア支援を訴えた事が、アメリカの黒人たちの心を動かしたのです。
このとき「シカゴ・ディフェンダー」紙は、日本の宇垣一成大将が、
「イタリアとエチオピアの争いでは、日本は中立になるわけにはいかない」
「エチオピアの同胞を助けるためには、いつでも何千という日本人がアフリカに飛んでいくだろう」と明言したことを伝えています。

また「ピッツバーグ・クリア」紙は、エチオピアに特派員を送り、エチオピア兵が日本でパイロット訓練を受けたこと、戦闘機の提供まで日本が示唆していたことを特ダネとして報じているのです。
そして何よりも黒人たちを感激させたのは、エチオピアのハイレ・セラシェ皇帝の甥、アライア・アババ皇太子と日本の皇族・黒田雅子女史の結婚の計画でした。

これは実現には至らなかったものの、日本がエチオピアとの同盟関係に関心を寄せていた証拠でもりました。
シカゴ・ディフェンダー紙は、
「海を越えた二人の恋は、ムッソリーニによって引き裂かれた」と報じています。

「20世紀の日本人-アメリカ黒人の日本人観」の著者、レジナルド・カーニー博士(黒人史専攻)は次のように我々日本人に呼びかけています。
「歴史上、日本人が持ち得たもっとも親しい友人、それがアメリカ黒人だった。・・・この本を読んでいただければ、日本の政治家や知識人たちが黒人を差別する発言を繰り返したときに、なぜ黒人があれほどまでに怒り悲しんだかを、心から理解してもらえるはずである。」

パリ講和会議における日本の提案は、当時の白人社会にはとてつもなく大きな爆弾であったといえます。
国富の大部分を、人種差別と植民地政策によって得ていた欧米資本家や貴族たちにとって、植民地を失うということは、すなわち国家の崩壊であり、資産家たちの破産を意味するものでもあったのです。

それだけに、人種差別撤廃を堂々と主張する日本は、彼らにとって、どうしても許すことのできない相手でした。
そしてパリ講和会議での日本の「人種差別撤廃法案」は、16カ国中、11カ国の賛成を得ながらも、議長であった米国大統領ウィルソンの「全会一致でない」という詭弁によって退けられてしまったのです。

怒った全米の黒人たちは、全米で数万人もの負傷者を出すほどの大規模な暴動を続発させています。
日本の主張した「人種差別撤廃」の主張は、単に日本人が欧米と対等につきあえること願ったというだけでなく、貧しく、差別された世界中の人類が、肌の色を越えて「四方の海はみなはらから」なのだという陛下ご自身のお気持ちが国民の意思、国家の意思となったものにほかなりません。

けれど、米国の黒人差別は、その後も長く続きました。
パラオ、アンガウル島の玉砕戦を生き残った舩坂弘さんが書いておられるのだけれど、米軍の攻め方というのは、はじめ艦砲射撃やら航空機からの爆弾投下で、徹底的な爆弾による破壊を試みる。
そして上陸して日本軍の弾の当たるところに最初に出てくるのは、いつも決まって「黒人歩兵部隊」だったといいます。

戦争ですから、先頭にたつ歩兵は撃たれます。
そして先頭の部隊が撃たれることで、敵の居場所がわかる。
わかったら、そこを(弾の飛んで来ない)艦船から、艦砲射撃で攻撃する。
そして日本軍の弾が飛んでこなくなる頃になってやっと、白人の掃討部隊が前線に出て来る。
それが当時の米軍の戦い方でした。

テレビや映画などでは、実際のこういう姿は、まず出てきません。
白人の兵隊が勇敢に銃を撃ち、日本軍と戦っているというようなシーンしか出てきません。
けれど、実際の戦闘では、常に敵弾の届く危険なところには、黒人兵が狩り出されています。

真珠湾攻撃の総指揮官だった淵田美津雄大佐は、自伝で次のように述べています。

終戦直後のある日、3人の大柄な黒人兵がやってきた。
そしていきなりジープに乗れと言った。
相手は武装した黒人兵、こちらは丸腰です。
生きて帰れないと覚悟した。

淵田大佐は、こうして30分ほどジープにゆられ、丸の内の郵船ビルの裏手に連行されます。
そのころ郵船ビルは、米軍将校たちの宿舎に充てられていたのだそうです。
そしてビル内には、米軍の白人将校向けのバーまでしつらえてあった。

淵田大佐を連行した黒人兵たちは、そのバーで働かされている兵隊だったのだそうです。

バーの楽屋裏に連れ込まれた淵田大佐は、そこに集まった大勢の米軍黒人兵たちから大歓迎されている。
食いねえ、飲みねえ、と、それはそれはたいそうな歓迎だったのだそうです。

そした彼らは異口同音に言った。
「真珠湾攻撃を誰が一番喜んだと思う?」
「それは、われわれ黒人だよ」

当時、米軍兵士と日本人との交流は米軍内で固く禁止されていました。
その禁を破ってまで、彼ら米黒人兵たちは淵田大佐を真珠湾攻撃隊長と知って、大歓迎したのです。

日本が行った大東亜戦争というものは、極力平和的手段の限りを尽くして人種の平等、人類の平和と、人種と民族の独立自尊と共存共栄を図ろうとしてきた日本が、人種差別絶対の世界のなかで、嬲られ、痛めつけられ、万やむを得ず、乾坤一擲の大勝負を挑んだ戦いでした。
強力な日本軍というイメージが先行している昨今ですが、たしかに日本は強かったけれど、その戦いは、常に日本の10倍、20倍、しかも圧倒的な火力を持った諸国を敵に回しての戦いでした。

そしてこの日本が行った勇気ある戦いによって、戦後、次々とかつての植民地であった民族が独立し、国家を形成するようになり、そしてその動きが、米国内においても黒人たちの公民権獲得運動へと繋がり、結果として、二十一世紀になって、黒人の米国大統領が誕生するに至ったわけです。

未来は、過去と現在の延長線上にあります。
我々現代人は、父祖の勇気と信義あふれる行動によって、戦後70年の平和と、豊かな暮らしを手に入れることができました。

けれどこのままでは、私達現代人は、未来を担う子や孫の生きる未来に、誤った歴史観で反日を刷り込まれ、民族としての自覚もアイデンティティを失った、奴隷というより、ゾンビとして生きるしかない、貧しい未来を与えることになってしまいます。

人は変わることができます。
国家もまた、人によって構成されているものである以上、人によって変えることができます。

日本を取り戻す。
それは、私達が、私達の祖国のアイデンティティを取り戻す戦いであると、私は思っています。


※この記事は2012年09月の記事のリニューアルです。

人気ブログランキング
↑ ↑
応援クリックありがとうございます。

ねずさんの日本の心で読み解く「百人一首」
 http://goo.gl/WicWUi
「耳で立ち読み、新刊ラジオ」で百人一首が紹介されました。
 http://www.sinkan.jp/radio/popup.html?radio=11782
ねずさんのひとりごとメールマガジン。初月無料
 http://www.mag2.com/m/0001335031.html





【メルマガのお申し込みは↓コチラ↓】
ねずさんのひとりごとメールマガジン有料版
最初の一ヶ月間無料でご購読いただけます。
クリックするとお申し込みページに飛びます
↓  ↓
ねずブロメルマガ
関連記事

コメント
No title
 WW2時米国は、黒人兵も日系442部隊もまず最前線に投入し消耗品扱いでした。また、全カラードの為にも戦っている日本軍と、戦うことに悩んだ黒人青年もいたといいます。戦後の米国内で就職難の日系人と連帯したのも黒人社会だとか・・・。陰徳陽報ですね。
 嘘でたらめで糊塗し凌いできた5戦勝国体制が、いよいよ崩壊する時期を迎えました。我々日本の民草も、正気を取り戻して備えねばならぬと思います。
2016/01/15(金) 13:41 | URL | やまとどくだみ #-[ 編集]
No title
>広島の校長先生の首つり事件などを考えると
 恐ろしくて付き合えないと思います。

この事件は、平成11年2月28日に広島の県立高校の校長先生が亡くなった事件のことですね。気の毒の一言です。
それ以上に、言う言葉はありません。


高校教職員組合等の組合のことは、地方公務員法の第五二条に「職員が勤務条件の維持改善を図ることを目的として組織される団体又はその連合体」として、記述されています。

職員団体であれ、なんであれ、自己の待遇改善を図るために、職場にいる方を自死にまで追い込むことは、許されないと思います。
そんな連中に、子供の教育を任せられません。
2016/01/10(日) 15:11 | URL | ポッポ #-[ 編集]
No title
ポッポさん
 
同和部落の問題は根深いものなのかもしれません。
広島の校長先生の首つり事件などを考えると
恐ろしくて付き合えないと思います。

【広島県における部落開放同盟糾弾による学校責任者自殺犠牲者リスト】
http://ameblo.jp/sinesayoku/entry-10124964745.html


こちらは法務省のパンフレットです。

【同和問題とえせ同和行為】
http://www.moj.go.jp/jinkennet/asahikawa/douwa.pdf
《「えせ同和行為」とは
 えせ同和行為は、同和問題を口実にして、企業や行政機関等に不当な
利益や義務のないことを要求する行為を言います。こうした行為に対し、
その場しのぎに安易な妥協をしたり、恐怖心などから不当な要求に応じ
る例も見受けられ、えせ同和行為の横行を許す背景となっています。
 えせ同和行為は、同和問題に対する誤った認識を植えつけ、差別や偏
見を助長する要因となっており、同和問題の解決を阻害するものです。
これまで多くの人々が差別解消のために行ってきた活動の努力を踏みに
じる行為であり、許されるものではありません。》
 
ポッポさんの書かれた通りの内容の文章もネットのあちらこちらに
転がっていました。
もしくは同和がはるか昔の半島経由の人々であるという話にも
出会いました。

【エタ 非人(被差別部落民の多くは古来の野蛮な朝鮮人と犯罪を犯した日本人とで形成されました】
http://blog.goo.ne.jp/grzt9u2b/e/d11f2a0f6e4c3c1b5e45eaaef99f481a

根はものすごく深いのかもしれません。
2016/01/09(土) 19:58 | URL | bou #C/K3BcCM[ 編集]
No title
bou さん ポッポです

ご指摘、ありがとうございます。

同和問題は、これの対策として1969年に同和対策事業特別措置法(通称「同和立法」)により被差別部落の環境改善と差別解消を目的として行われたもので、2002年まで実施されました。

この間の施策を思い出しますと、劇的な変化で改善されたと思います。もっとも、一部に今での継続事業が行われていたり、これを悪用するエセ同和事件も発生しました。

あの一行には、幾つもの思いがありました。
一つには国際連盟発足当時に日本は、人種的差別撤廃提案を提出した程に、人の平等性を考えた国です。なぜ、その頃に同和問題の解決に考えが及ばなかったのかと、思ったのです。

戦前の同和の実態が、私には想像できません。色々な教育は受けているのですが、戦後の情報しか知らないのです。

日本を考えるとき、戦前と戦後は終戦とGHQの政策で、大きな差があると思います。
GHQの洗脳による工作は、今の日本人全てに影響できたのですから、日本人を分断させるために同和差別を拡大して日本人の贖罪意識を作り出したことが考えられるのです。

帝国陸軍は、併合地の朝鮮人を日本人と同様に士官学校に入学させました。これと同様に同和地域の人も士官学校に入学させたと思います。(当たり前と思わないでください。植民地で会った台湾人は、入学させませんでした。)

今日の我々は、戦前の朝鮮に対してどれだけの投資をしたかを知っています。そして、朝鮮を日本は国内並みにするために、どれだけの努力をしたかは、ご存じだと思います。それでは、同和地域に対してはどうだったのかと考えるのです。
インフラを整備されていなかったことは、事実だと思いますが(これは、日本全体が同じでした。)、意識的な面はどうだったのでしょうか。(差別の意識が、根源的な問題だったと思うのです。)
日本は朝鮮を併合した後、人権問題として拷問を禁止しました。両班の特権も廃止しました(これで、李承晩のような反日も生みました。)。
その日本が、何の意味もなく同和を放置したのでしょうか。


戦前の日本が世界情勢を考え、軍備、併合地(植民地)の整備を考えるとき、国が貧しかったのですから、インフラなどは同和地域もそれ以外も今の水準から見ると、ハッキリと全部が整備できていませんでした。ですから、1970年代の同和地域では、インフラの整備の順番が後にされたことを、差別と主張しました。

同和問題は終戦後のGHQが日本人を分裂させるために、拡大させた可能性があると思っています。
エセ同和問題は、終戦後に戦勝国民だと自称した第三国人が作り出した可能性があると思っています。これに、一部の同和地域の人が乗っかったら、どうなるかと・・・・・

GHQによるGDPIやプレスコードについて、彼等が何をどこまでやったのかは分かりません。
しかし、日本人の精神構造を、遠慮なく破壊したことは間違いないと思いますし、同和問題もその内の一つとして利用したと考えても、あながち否定はできないと思うのです。


日本の同和対策については、1969年から2002年まで同和立法を施行しましたから法律的には、これで終わりました。環境対策、学力対策、就職対策等、十分なものでした。
私のように貧しかったものは、これらの措置を受けられる人が羨ましい位でした。
でも、人の「心」はどうなんだろうと、思います。
2016/01/09(土) 10:07 | URL | ポッポ #-[ 編集]
同和利権
ポッポさんの文章の中に同和問題の解決がなされていないという話が
出てきましたが、差別が解消されては「差別された」と声高に叫べませんので、彼らは捏造してまでも「差別」を作り出します。差別されることで彼らに旨みが生じるからです。

【同和利権Wiki】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E5%92%8C%E5%88%A9%E6%A8%A9
《同和利権(どうわりけん)とは、被差別部落の環境改善対策として、巨額の予算が計上されてきた同和対策事業に関わる活動により、同和団体が政治家・役人・暴力団と結託し、公共事業に便乗して手に入れる、巨額の利権をさす語である。
本来の意味はこうした経済活動に関する詐欺・横領などの経済犯罪として成立する行為を指すが、広義での同和利権は、教育現場への同和教材の大量販売など、犯罪としては成立しない経済的利益に関する行動や、たとえば公務員の同和枠採用や同和加配など、経済行為を伴わない広い意味での同和団体の権力拡大行動も含めることがある。》

2016/01/08(金) 19:29 | URL | bou #C/K3BcCM[ 編集]
関東大震災のWikipedia日本語版
確認いたしましたが、大震災の記事中は日本語版は英語版と章立てが違って居て、朝鮮人犠牲者数については下のように英語版よりも数字が詳しく記述されています。日本語版に入っていないものが英語版に入っている、ということではありません。

Wikipedia日本語版、関東大震災、より "殺害された人数は複数の記録、報告書などから研究者の間で分かれており明確になっていない。内閣府中央防災会議は虐殺による死者は震災による犠牲者の1から数パーセントにあたるとする報告書を作成している[17]。吉野作造の調査では2613人余[37]、上海の大韓民国臨時政府の機関紙「独立新聞」社長の金承学の調査での6661人という数字があり[注釈 6]、幅が見られる[38]。犠牲者を多く見積もるものとしては、大韓民国外務部長官[注釈 7]による1959年の外交文章内に「数十万の韓国人が大量虐殺された」との記述がある[39]。内務省警保局調査(「大正12年9月1日以後ニ於ケル警戒措置一斑」)では、朝鮮人死亡231人・重軽傷43名、中国人3人、朝鮮人と誤解され殺害された日本人59名、重軽傷43名であった[38]。朝鮮人殺害の具体例としては、9月5日から6日に掛けて発生した藤岡事件が挙げられる。群馬県藤岡市の藤岡警察署に保護された砂利会社雇用の在日朝鮮人ら17人が、署内に乱入した自警団や群衆のリンチにより殺害されたことが、当時の死亡通知書・検視調書資料により確認できる[40]。なお、立件されたケースの被害者数を合算すると233人となる[41]。
2013年6月には、韓国の李承晩政権時代に作成された、被害者289人の名簿が発見され、翌年には目撃者や遺族の調査が開始された[42]"
2016/01/08(金) 15:49 | URL | #AIlHpmOk[ 編集]
関東大震災のWikipedia
こんばんは。御記事に感化され、記事にありました事件について勉強しておりましたところ以下のような事実を発見いたしましたので僭越ながら共有させていただきたくメッセージ差し上げます。
https://en.wikipedia.org/wiki/1923_Great_Kant%C5%8D_earthquake
関東大震災について、日本語版には一切載っていないのに、英語版にはこっそりと震災時に朝鮮人が虐殺されたと長々と記事になっています。このような卑劣なことがWikipedia上では頻繁に行われているのかと知り、憤りを覚えました。皆様ももしこのような日本に関する記事を調べられた際には英語版を確認し、しらみつぶしに改定していくことも考えねばならぬかと感じます。

以上、乱文失礼いたしました。
2016/01/08(金) 03:46 | URL | ウィキマニア #-[ 編集]
No title
いつもいい記事をありがとうございます。

わたしは小学校時代をアメリカンスクールで過ごしました。
もう○十年前の話になりますが、そういえばアメリカ建国の歴史などは、ことあるごとに授業に出てきた気がします。
〈日本の学校をあまり知らないので日本もそうかと思ってましたが違うのですね)
なにぶん遠い昔のことなので記憶もあやふやですが、その分イメージだけはしっかり残ってます。
人々がイギリスから夢と希望をもってアメリカ大陸に渡り、苦難の時を経て、その後自由を勝ちとり独立した。
アメリカは自由は国、とてもいい国。正義の国。
・・・といった感じでした。
リンカーン大統領についても「For the people by the people of the People's」という言葉とともに、黒人差別と戦ったとてもえらい人、いい人、優しい人、と教わりました。
北部=善、南部=悪、というイメージが刷り込まれていました。

もちろん大人になれば、物事はそんな単純ではないし、いろんな側面があり、それぞれの利害関係が複雑に絡み合うことはわかるのですが、幼少期に刷り込まれた記憶というのはやっぱりすごいな、とおもいますww
こういった記事を読む機会がもしわたしになかったら、死ぬまで「リンカーン大統領=奴隷制度と戦った偉い大統領」とおもっていたことでしょう。

2016/01/07(木) 22:45 | URL | ななこ #-[ 編集]
No title
人種差別ではなく、人種排除。分かりやすいと思いました。
淵田大佐の体験談。もし本当なら、先の戦争を、人種対立と捉える視点も、なるほどと思います。
私、年末に2つの映画を見ました。
海難1890は、お金や自分たちの生活より、真心を大切にしていた当時の日本人の姿が描かれていて、非常に感動致しました。
杉原千畝。こちらは、日本悪玉史観で描かれていて、私”どこの国の映画じゃあ!”と心の中で叫んでいました。これでは映画として、貧しい未来を与える側面も大いにあるのではないでしょうか。
2016/01/07(木) 19:34 | URL | one #-[ 編集]
卑怯な先生
国の将来は子供の教育にかかっています。偏向した教育をすれば間違った方向に進みます。それが今の中韓朝です。日本の過去の統治を、憎む統治にして教育すれば国民は当然日本を恨みます。

それを変えるためには正しい教育が必要です。が、白を黒と教えられて育った人間が国のリーダーになっていけば「正しい教育」は不可能です。日本はそんな教育を子ども達にしてはなりません。

新聞報道によれば、小学校の先生が共産党の赤旗新聞のコピーを生徒に配って教育しているといった報道がありました。こんな先生の組織が共産党です。怖いのは外の敵より内の的です。

日教組という「癌」は徹底的に排除する必要があります。中山元大臣の「日教組はぶっ潰す」こそが求められる教育政策です。
2016/01/07(木) 11:51 | URL | にっぽんじん #-[ 編集]
No title
日本で、もっとも優れたアメリカ大統領は誰だったかとアンケートを採ったら、間違いなくリンカーン大統領が選出されると思います。

また、アメリカの奴隷制度は、奴隷にとって生死を含めて管理され、過酷な生活をしているものだったと教えられていると思います。

それが、アメリカ北部での白人の労働を奪う存在だから、労働コストを考えて奴隷制度を廃止したもので、公民権を与えられず、人種差別は残されたままだったと言うと、日本人は分かっていてもピンとこないのが実態ではないでしょうか。

日本に身分制度はありましたけれど、人種差別ではなかったし、あってもその差別の内容は、諸外国の人種差別とは比較できないレベルのものでした。
明治の頃、アメリカへで稼ぎに行った日本人売春婦の女性達は、アメリカ女性から人間として扱われたとは思えません。

これを思うとき、日本が国際連盟において人種的差別撤廃提案のことなどは、何故もっと日本の教育の場で子供達に教えないのかと、不思議でなりません。それに、この提案をした国が、同和問題の解決をできなかったはずはないのです。なにか、情報が欠落していると思います。


アメリカにおいて、白人労働者が仕事を奪われるとして排除された黒人ですが、これはその後、工業用ロボットの設置の際に、同様のことが起こったと思います。
製造ラインに配置されるロボットは労働者の仕事を奪うからと、組合からは猛烈な反対を受けたのですが、考えてみると、アメリカではロボットの前に黒人労働者によって、白人労働者の仕事を奪われた経験が大きかったと思います。
2016/01/07(木) 11:30 | URL | ポッポ #-[ 編集]
No title
2016/01/07(木) 06:27 | URL | junn #p4GOlP7Y[ 編集]
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
静岡県出身。国史啓蒙家。倭塾塾長。日本の心をつたえる会代表。日本史検定講座講師&教務。
連絡先: nezu3344@gmail.com
著書
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』第1巻〜第3巻
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』
日々、先人たちへの感謝の心でブログを書き綴っています。それが自分にできる唯一のお国への、先人たちへの、そしていま自分が生かさせていただいていることへのご恩返しと思うからです。こうしてねずブロを続けることで、自分自身、日々勉強させていただいています。ありがたいことです。

AdSense
カレンダー
11 | 2016/12 | 01
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新記事
最新コメント
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

リンク
このブログをリンクに追加する
リンク2
AdSense
カテゴリ
月別アーカイブ
AdSense
解析
スポンサードリンク
ねずさん(小名木善行)著書
↓好評発売中↓

↓既刊本↓



ねずさんメルマガ
ご購読は↓コチラ↓から
ねずブロメルマガ
ご寄付について
ねずブロはみなさまのご支援で成り立っています。よろしかったらカンパにご協力ください。
【ゆうちょ銀行】
記号番号 00220-4-83820
【他金融機関から】
銀行名 ゆうちょ銀行
支店名 〇二九(店番029)
種目  当座預金
口座番号 0083820
口座名義 小名木善行
【問い合わせ先】
お問い合わせはメールでお願いします。
nezu3344@gmail.com

Facebook
講演のご依頼について
最短で3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。テーマは、ご自由に設定いただいて結構です。講演時間は90分が基準ですが、会場のご都合に合わせます。
E-mail nezu3344@gmail.com

過去の講演テーマです。
君が代と日本人
大国主神話とシラス国
和歌と日本の誇り
歴史から見た慰安婦問題
領土と主権のお話
和と結いの国、日本
日本人にとっての戦いとは
武士道と忠義
日本人と食のお話
建国の理念と日本の文化
世界に誇る縄文文化
百人一首と日本人 etc....
検索フォーム
AdSense
関連サイト
祝日には国旗掲揚を!
御国旗セット
¥2,190

大型御国旗セット
[ステンレス製3mポール付き]
¥4,800

御国旗伸縮ポールセット【大サイズ】
¥3,000

御国旗セット L
[ マンション設置用 Lタイプ テトロン 国旗 ]

台灣民政府
台湾民政府
サンフランシスコ講和条約で、日本は台湾に関して処分権は連合国に提供しましたが、領土の割譲は行っていません。条約以降、連合国も日本も台湾の処分先を決めていません。つまり台湾はいまも日本であり、台湾にいる1500万人の戦前からいる台湾人は、日本国籍を有する日本人です。私は台湾民政府を支持します。
お薦め書籍1

日中戦争-戦争を望んだ中国 望まなかった日本


江戸の自治制


幻の黄金時代


ドキュメント自衛隊と東日本大震災

AdSense
コメントをくださる皆様へ
基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメントは、削除しますのであしからず。
最新トラックバック
AdSense
コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人である私の判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
エディタ・コミュニティ
edita.jp【エディタ】
amazon
通州事件の真実
通州事件を実際に体験された女性の手記です。
クリックするとテキストファイルが開きます。
https://docs.google.com/file/d/0B9Dh1-gISO9CZERHN2oxempSeEk/edit
パチンコをはたき出せ!
パチンコ撲滅
パチンコ市場は21兆円
そのお金を消費に向ければ莫大な経済効果が生まれる!

 ↓関連記事↓
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1197.html
やまと新聞を守れ!

やまと新聞は、戦後GHQの圧力に屈することなく、日本のジャーナリズムの正義を貫いた唯一の新聞です。
みんなの力でやまと新聞を応援しよう!!
やまと新聞社の公式HPは
 ↓コチラ↓
http://www.yamatopress.com/ 購読料は月500円です。
下の窓の中味をコピペすると、上のバナーをご自分のHPに貼ることができます。
やまと新聞の紹介記事はココをクリック
殲滅支那大連盟
殲滅支那大連盟

■満州国臨時政府■
 ↓ ↓ ↓
http://www.manchukuo.net/
ねずブロの拡散・転載について
当ブログの日本の心を伝えるための適法かつ前向きな拡散はおおいに歓迎です。 ただし適法な引用でないと、著作権侵害で処罰されることがありますのでご注意ください。
RSSリンクの表示
FC2ブックマーク

PING送信プラス by SEO対策

QRコード
QRコード
スポンサードリンク