百戦して危うからず - ねずさんのひとりごと

百戦して危うからず

2016年05月02日08:51  日本人の心 写真あり

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柳条湖付近での満鉄の爆破地点を調査しているリットン調査団
20160425 リットン調査団


最近は、「リットン調査団」というと、お笑いコンビの名前を連想する人が多い(そういう名のお笑いコンビがある)のだそうですが、もともとは、昭和7(1932)年に満州国の建国をめぐり、当時の国際連盟から派遣された調査団のことを言います。

この調査団は、まっすぐ満洲入りするのではなく、日本、上海、南京、北京の視察を行ってから、満洲入りしたのですが、日本が、ある意味「型通り」の接待をしたのに対し、支那では国民党の蒋介石が、沿道に貧民と傷痍軍人を並べ、それら被害が日本の侵略によってもたらされたものであるとリットン卿に吹き込み、その一方でリットン卿に莫大な財物をプレゼントし、また道中、若い女性による性接待を連日行いました。

この結果、リットン調査団の報告書は、冷静に満州国の国情を視察した結果として、本文には、満州国の正統性や日本の誠実な対応、建国以来の満州の発展が正確に描かれていながら、なぜか結論だけが、日本の行った行動は国際法に照らして「違法」と結論付けられたものとなりました。

一般にこうした報告書は、詳細な事実を記載する本文は若手スタッフが起案しますが、結論は調査団長の意思となります。
普通は、報告書の本文内容と、調査結果の結論が異なることはありえないのですが、何故かリットン調査団の報告書は、そのようなものになったわけです。

この結果、日本は国際連盟を脱退し、その後の支那事変、大東亜戦争へと進んでいくことになるのですが、実はここに、支那社会と日本社会の根本的な違いが明確に現れています。

日本は、事実を大事にします。
なぜなら日本は、古来シラス国であり、民こそが「たから」とされた社会です。
民が、豊かに安心して安全に暮らせるようにするためには、施政者は民の生活の状況を正確に把握し、それをサポートしていかなければなりません。
サポートするには、正確な情報が第一であり、そもそもの情報が間違っていたら、民に迷惑がかかるだけでなく、民を天子様から預かっている殿様にも迷惑をかけることになってしまうからです。
これが日本社会の歴史的伝統であり、日本社会では空気のようにあたりまえな常識です。

ところが、支那では事実というのは、施政者の都合によって演出するものです。
民衆から収奪するためには、一方においては、施政者の都合に合わせて民衆に嘘の情報を垂れ流し、民衆を扇動して戦場へと駆り立てる。
それが支那における政治であり、支那儒教上の意味における「正しい道」です。
つまり事実というのは、支配者の都合であって、それは日本的意味における事実とは、まるで異なるものです。

英語にしたらわかりやすいかもしれません。
実際にあった出来事が、「ファクト(Fact)」です。
そうではなくて、真実であると信じられていることが「トルース(truth)」です。

英語では、ファクトと、トルースと区別されていますが、日本語には「事実」という漢字しかありません。
というか日本語の「事実」は、ファクトそのもののことを言い、事実ではないのに、事実と信じこまされているようなことは、日本語には言葉がなくて、強いて言えば「インチキ」となります。
さりとて「トルース(truth)」を「インチキ」と訳すと、英語で「God's truth」といえば、神による絶対的真理のことなのですけれど、これが「神のインチキ」とまるで意味の異なる誤訳になってしまいます。

要するに、日本には、支那的な意味での「事実」、つまり、事実であると信じこませたり、信じこまされていることを示す言葉がないのです。
だから日本人は誤解します。
世界の人々は、目が2つあって鼻があって口があって二本足で歩行して言語を話せば、皆、同じ人間だと思い込むのです。

たしかに人間であることは同じです。
けれど、だから対等な人であるかとなると、そこに文化のギャップが生まれてしまうのです。
ここが日本人は、なかなか理解できない。

日本では、上古の昔から天皇のという存在によって、全ての民は「おおみたから」とされてきました。
すべての人が「おおみたから」であるということは、すべての人は「人として対等」であるということです。
人の上に立つ人、つまり領主や施政者も、ですから庶民と同じ人です。
つまり、身分の上下は、単なる役割や職責上行使できる権限の大きさ違いであって、人としては誰もが対等というのが、日本人にとっては、あたりまえの空気のように根付いている常識です。

しかし日本人にとって、空気のようにあたりまえのこの常識は、実は日本人にしか通用しない世界のにあっての非常識です。
とりわけ支那の場合、人の上に立つということは、すこし極端な言い方をすれば、自分より下の存在は、牛や豚のように食べても良い存在となります。
ですから当然、所有権など認められませんし、そこに人権もありません。

支那の映画に出てくる「頭を土足で踏みつけられるシーン」くらいなら、まだ良い方で、「下の者のモノは俺のモノ、俺のモノは俺のモノ」になります。
ですから下の者が、美しい女性を妻に持っていれば、上に立つ者がその妻をよこせと言われたら、差し出さなければなりません。
それが嫌だと抵抗すれば、殺されて人体模型にされて展示されたりするわけです。

そして支那人にとって、「事実」は、こうした非道を隠す(諱す)ために創作されるものというのが、これまた常識です。
ですからリットン卿に、日本人は「事実をありのままに見てもらおう」とします。
国民党は「いかにしたら自分たちに都合の良い結論に至るのか」を創作しようとします。
結果は、歴史が証明しています。

支那では、到着したリットン卿を、港でいかにも文明国らしい壮大で華麗な歓迎式典が催されました。
それはまるで天国の国に来たかのように華麗なものでした。
遠く離れたオリエンタルな文化の香り高く、そこは人々の笑顔に包まれた楽園でした。

ところが、歓迎式典を終えてホテルに向かう沿道には、乞食や傷痍軍人らが、まるで幽鬼のような悲惨な姿を晒していました。
これまた演出です。
つまり、天国を見せた後に、今度は地獄を見せたのです。
そして、もともと天国だった支那が、日本によって地獄になったと、さも悲しそうにリットン卿に吹き込みます。

そしてホテルに着いたリットン卿には、支那の珍味が山のようにごちそうされます。
これまた天国です。
そして夜は、美女が一晩中接待をしてくれる。
これまた天国です。
翌朝、天国から出てきたリットン卿は、再び沿道で地獄絵図を見せつけられるわけです。

そしてこのことが、上海、南京、北京と、三度に渡って繰り返され、その上で、リットン卿は満州入りするわけです。
いま考えても、これはたいへんよくできた演出であったとわかります。

信じられないような極度の貧困も、戦傷者も、もともとは支那社会が作り出したものです。
一方で、数々の珍品珍味もまた、支那の支配層が永年行ってきた収奪の結果です。
そうしたものを、異なる筋書きに演出し、その演出による宣伝が、まさに効果を発揮し、本当の事実が消し飛んだ、そういう事態が過去に現実にあったことを、いま、私たちは学ぶことができます。

これを良い悪いで議論したらおかしなことになります。
日本が良くて支那が悪い。
支那が良くて日本が悪い。
どちらも不正解だと思います。
なぜなら、どちらも、ただ「評価」の域を出ていないからです。

そうではなく、過去に学び、二度と、そのような手口にひっかからないようにする。
そのためには、私たち日本人は、日本人の育んできた文化を、なぜそうするのか、なぜそのような行動をとるのかを、ただ空気のようにあたりまえとするのではなく、事前にキチンと海外の人に説明し、世界に向けて堂々と発言できるようになっていくことが大事なことだと思うのです。

なぜなら、海外の国や民族が嘘をつくからといって、では日本も嘘つきの国になれば良いとは思えないからです。
日本は、どこまでも正々堂々であるべきです。
けれど日本人が日本の文化を貫こうとすれば、それが何故そうしているのかを、私たち自身がしっかりと説明できるようにならなければ、海外の人々は納得しないと思うのです。

日本人は、買い物をしたあとに、店員に向かって「ありがとう」と言います。
だから、日本人なのか、支那朝鮮人なのか、海外の店員さんはすぐに区別がつくのだそうです。
支那朝鮮の人たちは、「俺が買ってやってる」です。
だから、買い物客が店員に「ありがとう」ということはありません。
けれど日本人は、いろいろな人の手を経由して、ようやく自分の気に入った品にその店員が、あるいはそのお店が巡りあわせてくれたと考えます。
だから、自然な行動として「ありがとう」という感謝の言葉がでます。
日本が感謝の心を大切にする文化を持っているからです。

歴史においても、実情調査においても、日本人は事実を大切にします。
なぜなら、施政者も民と同じ人であり、同じ人として、職務上の役割から民をサポートするために、何よりも正確な事実認識、実情把握が必要と考えるからです。

けれど世界には、そうではなくて、決定権を持った人に、いかに信じこませて、自分に有利な意思決定がされるようにもっていくかが大切とする文化があります。
そしてそのためには、事実は、どこまでもつくるものであり、利用するものと考えます。

日頃、グローバリズムを口にする方でも、孫子の兵法がお好きな方も多いようです。
その孫氏の言葉です。
「敵を知り、己を知れば、百戦して危うからず」

日本人は、これまでとは違ったカタチで、もっと日本を知るべきだと思います。

20151208 倭塾・動画配信サービス2


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