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日本は「たみ」が「おほみたから」とされる天皇のシラス(知らす、Shirasu)国です。


君が代のお話

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20160515 あやめ_th


随分前のことになりますが、次のようなコメントをいただいたことがあります。
左巻が黙ってしまったというコメントです。

*******
 朝日・日教組系の知識人さんと話すと、いつも同じで、
「君が代」の「君」は天皇崇拝だからケシカラン!と。
 こちらとしては、以前、ねずさんのブログで教えて頂いた
「き」と「み」のお話をしてみたり。
 しかし、いまひとつ伝わらず・・・。

 で、ある日、ふと思い立ちまして、
 与謝野晶子さんの「君死にたまふことなかれ」の「君」は、
 素直に「家族」と捉えるし、反戦歌として賛美しているのに、
 なにゆえ、君が代はの「君」だけは陛下限定か?と問いました。

 相手は黙ってしまい、答えは聞けませんでした。
*******

たいせつなことは、右だ左だと対立することではなくて、右も左も日本人としてのたいせつな心を取り戻すということではないかと思います。
日本のもつ懐の深さは、たかだか生まれて200年やそこらの欧米型個人主義などとは歴史の重さがまるで違うのです。

ですからわたしたちは、堂々とその事実と凄みを思い出すだけで良いのです。
それだけでまっとうな日本人なら、またたくまに戦後の洗脳から解き放たれ、目を覚まします。
そして日本が目を覚ますことを、まさに「世界が望んでいる」のです。

さて「君が代」については、以前にもねずブロで記事にしましたけれど、今回は以前とはすこし切り口を変えて、ご案内してみたいと思います。
2年前の記事をお読みの方も、今回新らしく読まれる方も、きっとご納得いただけると思います。

また文の途中に、漢字のことをすこし書いています。
それを読むと、なぜ在日の人たちが、わたしたちと異なる感覚を持っているのかがよくわかります。


中山成彬氏講演会
『日本のこころとは何か』前半 2016.5.14 靖国会館


中山成彬氏講演会 第1部「中山成彬を語る」
中山恭子 日本のこころ代表 2016.5.14
https://youtu.be/8ldpwXfLruc

中山成彬氏講演会 第1部「中山成彬を語る」
ねずさんこと小名木善行氏 2016.5.14
https://youtu.be/mWefSDQzcRE


左巻きの人は「君が代は天皇崇拝の軍国主義賛美の歌だと言います。
じつに程度の低い話です。
そもそも「君が代」は、戦前からのわずか7〜80年の歴史の歌ではありません。
いまから千年以上もの歴史のある歌です。
よくもまあ、軍国主義の歌だとか、デタラメなことを言えたものです。

「君が代」の文字としての初出は、平安時代初期の延喜5年(905年)です。
いまから1100年も昔の歌集に登場しているのです。
この年に編纂された『古今和歌集』の巻7に「賀歌」の筆頭歌として納められています。

その『古今和歌集』は、醍醐天皇の勅命によって編纂された勅撰和歌集です。
いまでいったら政府の公式歌集です。
万葉の時代から撰者たちの時代までの140年間の代表的作品を集めています。
つまり、最大みつもれば、1250年前に、すでに詠まれていた歌なのです。
昨日今日の話ではないのです。

『古今和歌集』には有名なカナ序文があります。
これは紀貫之(きのつらゆき)が書いたものです。
そして『古今和歌集』巻7「賀歌」の筆頭に、「題しらず、読人しらず」として、

 わが君は 千代に八千代に
 さざれ石の巌となりて苔のむすまで

と歌が掲載されています。
この冒頭が「君が代は」ではなく、「わが君は」となっているところは注目です。
「君が代」の初出は、『古今和歌集』ですが、次の『古今和歌六帖』にも、歌い出しは「わが君は」となっています。
ところがその後に編纂された『新撰和歌集』や『和漢朗詠集』では、歌い出しが「君が代は」となり、以降、ずっと君が代のままです。

実はこのことは、日本文化を考えるうえで、とても大切なことなのです。
というのは、時代は異なりますが、戦時歌謡(軍歌)の「同期の桜」は、知らない人がいないくらい有名な歌ですが、この歌も、作詞が誰なのかわかっていません。

昭和13年に西条八十が「少女倶楽部」に発表した詩が元にはなっているようなのですが、ところがその後、歌詞がさまざまに変化し、また3番、4番なども追加されていって、いまのカタチになっています。
つまり、多くの人が歌っているうちに、歌詞がどんどん補強され、追加され、歌いやすいカタチとなって変化していったのです。

「君が代」の場合も同じで、賀歌、つまりお祝いの席での、めでたい歌として、広く貴族から庶民の間にまで普及していた歌であったからこそ、さまざまなバリエーションが生まれ、その歌いだしも「わが君は」であったり、「君が代は」であったりしていったわけです。

このことは「君が代」が「読人しらず」の歌であることに加えて、和歌がひろく一般庶民の間にも普及していたということを示すと同時に、どれだけ千年前の日本人が一般庶民に至るまで高い教養を持っていたかの証拠でもあります。そんな国、世界中、どこを探したってないです。
和歌が庶民の間にまで普及していたということは、『万葉集』にも、また『古今和歌集』にも、一般庶民の歌とされる数多くの歌が掲載されていることからもあきらかです。

そもそも「和歌を詠む」ということは、相当の言語感覚と、文字を扱う能力がなければできることではありません。
そうではないというのなら、いまこの場で、もみじを題材に、歌を一首詠んでくれ、と言ってやったら良いです。
即興ですぐに詠める人など、おそらくごくわずかです。

つまり歌の心、言いたいことを隠して、上の句と下の句でその真意を相手に察してもらうという、その文化性を失い、また国文の教授でありながら、日本人としての言語感覚に乏しいからです。日本語は、支那語や英語とは段違いの深みをもっている言葉なのです。

そして、もっと大事なことは、「君が代の歌詞が変化している」ことです。
そしてその変化をもたらしたのは、「間違いなく」日本人の一般庶民であるということです。

なぜ「間違いなく」といえるかといえば、この歌が施政者である貴族の歌とするならば、「わが君は」で良いからです。ご皇室の弥栄を願って貴族たちが国の体制を寿ぐ歌というのなら、歌い出しは「わが君は」であるべきです。
ところがそれが「君が代は」となっているということは、単に君が「わが君」をあらわすだけでなく、賀歌として、「別な意味」にも歌われていたということを示すのです。

では、その「別な意味」とはいったい何でしょうか。
その意味が実は「きみ」にあります。
それが「男と女」です。

漢字で書けば「きみ」は「君」です。
これを音読みの「クン」ではなくて、訓読みで「きみ」と読んでいることがポイントです。

もともと漢字というのは、支那で生まれたものを日本は輸入しているのですけれど、その漢字に、わたしたちの祖先は「訓読み」を充てていたと、私達は教えられています。
けれど、これが実はパラドックスなのです。

そうではなくて、もともと「大和言葉」があり、その「大和言葉」を書きあらわすのに、あとから私達の祖先は漢字を取り入れたのです。
順番が逆なのです。
訓読みのために漢字を取り入れているのです。

たとえば「民(みん)」という漢字があります。
もともと支那漢字というのは、その字源をたどれば、ろくな意味のないものがほとんどです。
この「民」なども、その筆頭です。

どういうことかというと、「民」の文字の上にある長四角のところが、実は人間の目を意味します。
ところが目なのに、長四角の中に目玉がありません。
なぜ目玉がないかの理由が、下にある「十」の部分で、これは古代の支那にあった、人の黒目を突いて目を見えなくするための道具です。
針で刺されて目を見えなくされているから□の中に目玉がないのです。

そして「民」の字の左側にある「|」は、城塞都市の塀を表します。
つまり、城塞の塀の内側で、民衆の目を針で突いてつぶして、民衆に無理やり言うことをきかせる。
目の見えない人々は上の人の言うことを聞かなければなりませんから、無理やり服従させられる。つまり隷属させられる。その隷属民のことを「民」という漢字であらわしたのです。

つまり支那漢字でいう「民」とは、隷民、つまり奴隷のことを指します。
奴隷というのは、古今東西、人であって人ではありません。豪族や権力者の私有民、つまり持ち物です。モノであり、所有物です。
そして所有者は、生殺与奪の権を持ちます。モノはいくら殺しても怪我をさせても目を潰しても罪になりません。なぜなら「人」ではないからです。

そしてこのことから派生して、「民」は、民衆から教育を奪うこと、つまり「ものごとを見えなくする」ことの意味にも使われます。
民衆を無教養なバカにしておくことで、有能な者が民から収奪する。
収奪されても収奪されたことがわからないようなアホに民衆を据え置くことが、施政者の徳(利得)だとされたという思想的背景が、この「民」という漢字のもともとの意味になっています。

その「民(みん)」から収奪する人が「君(くん)」です。
「君」は、「口」ヘンと「尹(イン)」を組み合わせた文字ですが、「尹(イン)」というのは、は、「手」と「ノ=鞭」が組み合わさってできています。
ものの本には、体裁よく、また子供達への教育的配慮から、手に杖を持って口を開けている姿が「君」だから、これは「聖職者」をあらわします、などと説かれています。つまり、モーゼのような立派な姿をイメージさせようと躍起になっていますが、実は、そうではなくて、手にムチを持って「オラオラ、お前たち、働け働け」と、「民」をしばきあげている役人を示します。

奴隷たちが強制労働させられている横で、ムチをもって奴隷たちをしばきあげている人、なんとなくイメージできようかと思いますが、あれが「君」です。もともとの漢字の意味は、そういう意味です。
支那の漢字というのは、ほんとうに、ろくな意味がありません。

その「民」や「君」を私達の祖先は漢字文化として古代にこれを取り入れました。
その前は、神代文字と呼ばれるシュメール文字のような文字が使われていたようですが、渡来仏教の影響で、寺子屋が普及し、いつの間にか漢字が文字の主流になりました。

ただ、わたしたちの祖先の偉いのは、その漢字をただ輸入しただけではなくて、わたしたちの国が持つ文化に、漢字を染めなおしたことです。
それが「訓読み」です。

ですからたとえば「民(みん)」は、目の見えない隷民という意味ですが、わたしたちの祖先はこれに「たみ」という和語(大和言葉)を充てています。
「たみ」という大和言葉に、あとから「民」という漢字を充てたのです。

「たみ」が意味するのは、「田んぼではたらくみんな」です。
だから「たみ」です。
そこに上下関係や支配と隷属の関係はありません。
みんなが共同する仲間たちです。
そして私達は、いまでも、「民」といえば「田んぼではたらく仲間たち」を語彙としてイメージしています。

ですけれど同じ漢字でも、渡来系の方は、そこに見る文字の意味は被支配層としての「隷民」です。
帰化系といわれる議員のセンセイと、国会でのやりとりをみても、どうにも会話になっていないという印象を強く受けることが多々ありますが、それもそのはずです。彼らは、もとからの日本人と言語感覚が異なるのです。

ちなみに、民主という言葉がありますが、支那文化、あるいはその支那文化だけに染まっていて訓読みをもたない朝鮮文化では、「民」の意味は上にお示しした通りで、「主」は、下の「王」の部分がろうそくの燭台です。そして上にある「丶」が、ろうそくの炎です。
燭台やロウソクは、明るいところでは役に立ちません。
部屋の奥まった暗いところにあって、じっと動かずに、人に「ああせい、こうせい」と命令する。それが「主」です。

つまり支那朝鮮文化では、「民主」とは、「自分は部屋の奥にいて何も動かず、他人に命令ばかりする人が、民衆から教育や視力を奪い、民衆にものを見えないようにしたうえで、民衆から収奪すること」、それが「民主」の意味になります。

一方、日本人は「民主」と聞けば、「田んぼではたらく仲間たち(たみ)が主(あるじ)となる社会の仕組み」、
「田んぼではたらくみんなが、その田んぼの主(あるじ)となる社会体制」をイメージします。
これは日本語に「訓読み」がある、つまり漢字を輸入する以前から、固有の日本文化が根っこにあることに由来します。

同じ「民主」という言葉を口にしていても、その語彙は、支那朝鮮文化圏の人たちと、古来からの日本人では、まるで受け取る感じが違います。
ですから、少年時代に、支那朝鮮文化で育ち、後に帰化した人や、在日となった人達からすれば、「君が代」と聞けば、「民衆をムチでしばきあげて言うことを聞かせる時代」に見えるし、そういうことと戦争を結びつければ、彼らの言語感覚としては、「君が代」の意味は、「民衆が奴隷としてムチでしばかれながら戦場に送られた時代」にしか見えないわけです。

日本に住み、日本国籍を持ち、日本人のような姓名を持ち、日本人のような顔をして、日本語を話していても、文化が異なれば、そこから受けとる言葉の語彙やイメージが、まるで違うものになってしまいます。
これでは会話になるはずがありません。

現実の問題として、
「民主主義」と聞けば「田んぼの仲間たちが主(あるじ)となって主役となる思想や体制」という語感にとらえる日本人と、
「隷民たちの目を潰し、自分はロウソクの燭台のように屋敷の中の奥まったところににて、自分ではなにもしないで、人に指図しながら、人々から収奪する主義」と捉える人々が、
同じ国会の中で「民主主義」をめぐって議論しているわけです。
議論が噛み合うはずありません。

さて、では日本人にとっての「君が代」とは、どういう意味なのでしょうか。
発音は「きみがよ」です。「君」という文字は使っていますが、読みはあくまで和語(大和言葉)の「きみ」です。

この「きみ」の「き」と「み」は、実は、男女を表します。
「き」が男、「み」が女です。
ですから、「おきな(翁)」、「おみな(嫗=女)」と言います。
その男女のいちばん最初の神様が、イザナキ、イザナミの二神です。

ちなみに、イザナキ、イザナミのお二柱の神様の前の神様には、性別がありません。
ですから、最初の男女が、このお二柱の神様となります。
そして「イザナキ」とは、「いざなう男」、「イザナミ」は「いざなう女」という意味の大和言葉です。

そしてこの二柱の神様が結ばれて、日本の国土を産み、そしてさらに風の神・木の神・野の神といった自然にまつわる神々が産まれ、最後にお生まれになられたのが、天照大神、月読命神、須佐之男神の三貴神です。
天照大神は太陽の恵みの神様、
月読命神は暦の神様、
須佐之男神は海の神様です。

そしてこの天照大御神様からの直系のご子孫が、代々の天皇のお血筋です。
これを万世一系といいます。
万世一系の神様のお血筋にある方が、代々天皇となり、そしてその天皇から分かれて派生した血縁者が、日本人、つまり日本の民衆です。

ちなみに、現代人ひとりが誕生するためには、父と母の二人が必要ですが、その父と母が誕生するためには、さらに4人の祖父母が必要です。さらにその祖父母の誕生のためには、8人の曾祖父母が必要になります。
こうして数えますと、700年前(それは鎌倉時代頃ですけれど)には、現代人一人が生まれるために、1億2600万人のご先祖が必要になります。これはいまの日本の人口と同じです。

現代人ひとりが産まれるのに、鎌倉時代に1億2600万人が必要なのです。
ということは、現代人二人のためには、鎌倉時代に2億5200万人の人口が必要になります。
現代人100人のためには、鎌倉時代に100億の人口が必要になります。現代の世界の人口さえも超えてしまいます。
それにそもそも、鎌倉時代の人口は700万人しかいません。
これが何を意味しているかというと、日本人は、誰もが「ご先祖がかぶっている」ということです。どっかで血がつながっているのです。
しかも日本の歴史は、有史以来でも2700年、縄文時代から起算すれば2万年の歴史があります。
日本人は誰もが、ちょっとご先祖をたどれば、必ず親戚同士です。

そしてその血筋は、かならず歴代の天皇とつながります。
そしてその天皇は、天照大御神からの直系の血筋として、日本の最高権威にあります。
そしてその最高権威が、日本の民衆を、天皇の宝物(=おおみたから)としてくれたのが、日本の国のカタチです。
これを昔は「国体」と言いました。

わかりやすくいえば、「国体」というのは、西洋社会がいまだに実現できていない、もっとも民衆が重んじられる「究極の民主主義」のことを言うのです。

よく戦時中の書物などに、「国体を守れ」という言葉が出てきますが、その意味は、「天皇が最高権威であり、その最高権威によって民衆が宝物とされる体制を守れ」という意味なのです。
そしてそのために、多くの先輩達が、戦地で尊い命を犠牲にしてくれたし、そのおかげで、いまの私達の命があります。

わが国最高権威の天皇が、わたしたちを「おおみたから」としてくださっている。
そのおかげで、わたしたちは豪族や権力者たちの隷民にならずに済んでいます。
それがわたしたちの国のカタチです。

だからこそ、わたしたちは、わたしたち自身の自由のためにも、わたしたち自身が目を潰されてムチでしばかれる隷民とならずにいるためにも、そういう国のカタチの中心核におわす天皇の存在をありがたく思い感謝する。
天皇がわたしたちを「おおみたから」とし、わたしたちが天皇に感謝する。
それが昔風の言い方で「君民一体」です。

そしてその「君民一体」の世を、「千代に八千代」に、つまり千年も万年も未来永劫、さざれ石の巌となって苔のむすまで、みんなで守りぬいていこうじゃないか、それが君が代の歌の意味です。

そして君(きみ)は、男と女でもあります。
その男女が結ばれて、子が産まれ、孫が産まれ、曾孫が産まれ、子孫が繁栄する。
だから「君が代」は、おめでたい賀歌なのです。

「君が代」が戦争の象徴だとか、そんな意味にしか受け取れないというのは、日本に住みながら、日本語の意味を解することができない、哀れな痴れ者でしかありません。
そういう人には、もういちど小学校から勉強をしなおしてきなさいと言いたい。
まして、そのような人に日本の国政を云々するような資格は、まったくありません。

「君が代」は、そういうおめでたい歌であるからこそ、明治時代に国歌として採用になる前までは、一般的な結婚式でのお祝いの定番曲でした。
結婚式の歌としては、「♬高砂やぁ〜、この浦、船に帆をあげてぇ〜」という「高砂」が有名ですが、昔は「君が代」もそれと同じくらい歌われたのです。

そういう歌が、千年の時を越えて、人々に祝歌として歌い継がれている。
そこに、日本の計り知れない文化の深さがあります。
そしてそういう歌を国歌としているということ自体、すごいことですし、もっといえば、「きみ」の持つ深い意味と、その深い意味が千代に八千代に続く、さらに「苔のむすまで」という男女の愛に、私は、とてつもない日本文化の愛の深さと、あたたかみを感じます。



さて、君が代の歌詞のことを書きましたので、せっかくですから曲(旋律)のことも書いておこうと思います。
いま歌われている君が代の旋律ができたのは、明治の初めの頃のことです。
その頃横浜の英国大使館に、ジョン・ウィリアム・フェントン(John William Fenton)という、音楽隊長がいました。

フェントンは、薩摩藩の依頼を受けて、薩摩の青年たちに吹奏楽を教えていました。
薩摩軍楽隊です。
実はこの吹奏楽団が、日本初の西洋式吹奏楽団です。

なにせ楽器といえば、お琴や三味線、和太鼓、和笛くらいしかなかった時代のことです。
言葉も通じない、五線譜も初めて目にするという日本人に、西洋式楽器の指導をされたフェントンは、さぞかしたいへんなご苦労だったことと思います。

ちなみにフェントンが教えた「薩摩軍楽隊」は、明治元年(1871年)には「日本海軍軍楽隊」へと発展し、これがいまに続く海上自衛隊吹奏楽団に至っています。


そのフェントンが大山巌に、「明治新政府になにか儀礼音楽が必要です」と進言したのが、明治2年(1872年)10月のことです。
「なるほど」とうなづいた大山巌は、数人と相談して、平素、彼自身が愛唱している「薩摩琵琶歌の蓬莱山」に引用されている「君が代」を歌詞として選び、作曲をフェントンに頼みました。

薩摩琵琶歌「蓬莱山(ほうらいさん)」は、薩摩藩でおめでたい席で歌われた定番曲で、歌詞は次のようになっています。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
めでたやな 
君が恵みは久方の 光り長閑き春の日に
不老門を立出で 四方の景色を詠むれば
峰の小松に雛鶴棲みて 谷の小川に亀遊ぶ
君が代は千代に八千代に
さざれ石の、巌となりて苔のむすまで
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
まさに「おめでたい」歌です。

ちなみに「蓬莱山」というのは、道教の神仙思想にある支那の山東半島のはるか東方の海にあるとされている、不老不死の仙人が住む架空の島です。(一説によると日本)
かぐや姫の物語(竹取物語)にも「蓬莱山」は、「東の海に蓬莱という山あり」とされ、そこは不老不死で金銀財宝ざっくざくのたいへんおめでたい島として登場しています。

つまり「鳳来山」の歌は、そんなおめでたい島に住んでいるかのように、美しい景色とおいしい食べ物恵まれ、病気になることもなく、人々が不老不死で、互いの幸せが永久に続きますように、という願いを込めた、たいへんにおめでたい歌というわけです。

そしてこの「おめでたい歌」に引用されているのが、まさに平安時代に誕生した「君が代」であるわけです。

フェントンは早速、この歌に旋律をつけたのですが、出来上がりはイマイチ評判が悪い。
コラール風で、アイルランド民謡ぽかったのだそうです。

で、明治9(1876)年に、海軍楽長だった中村祐庸(すけつね)が「君が代」楽譜を改訂したいという上申書を海軍軍務局長宛に提出しました。

ジョン W.フェントンと中村祐庸
ジョン W.フェントンと中村裕庸


中村祐庸は、その上申書にこう書いたそうです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(西洋諸国において)聘門往来などの盛儀大典あるときは、各国たがいに(国歌の)楽譜を謳奏し、以てその特立自立国たるの隆栄を表認し、その君主の威厳を発揮するの礼款において欠くべからざるの典となせり。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

要するに、西洋では大典などの際に、国歌を演奏しているから、日本も国歌を持つべきである、というわけです。

ところがこの上申は、普通に考えるととんでもないことです。
なぜなら、中村祐庸はフェントンの弟子です。
その弟子が、師匠であるフェントンが作曲した君が代はイマイチだから改善したい、と上申したということだからです。

ところが、そこが師匠のフェントンです。
フェントンは、むしろ自分が作曲した君が代よりも、日本が日本文化に適した国歌を、自分たちの手で作曲するということに、逆に深い意義を感じてくれた。
そして、むしろ中村の上申をフォローさえもしてくれたといわれています。
なぜならフェントンは、日本人と親しく接し、日本文化に深く触れるにつれ、日本が好きで好きでどうしようもなく日本を愛するようになっていたのです。

こうして明治政府は、明治13(1880)年、宮内省雅樂課に、君が代の新たな作曲を命じました。
宮内庁雅楽課の奥好義は、フェントンの作曲した作品にさらに改良を加えていきました。

その旋律を、当時最高の雅楽演奏家とされていた一等伶人の林広守が、さらに荘厳しました。

するとこんどは、音楽教師として日本に滞在していたドイツ人の音楽家フランツ・エッケルトが、「和音をつければ、もっと素晴らしいものになりますよ」と、曲に和音を加えてくれました。

つまり「君が代」の旋律は、日、英、独の、いわば合作によって生まれた旋律なのです。


その「君が代」について、次のようなエピソードがあります。
日本の代表的作曲家山田耕作氏が、若い頃ドイツに留学していたときのことです。

ドイツの大学の音楽教授たちが、世界の主な国歌について品定めをしました。
結果、第一位に選ばれたのが日本の「君が代」だったのです。

理由は、まず曲の素晴らしさがあったことでしょう。
そして君が代の歌詞に込められた古代の日本人の心を知ったとき、まさに「君が代」は賞賛の嵐となったのです。


「君が代」は、平成11(1999)年に、国歌として法制度化されました。
実は、それまで「君が代」は、明治大正昭和にかけても、国歌とする法はなかったのです。

それでもみんなが「君が代」を国歌と思ってきた。
法があろうがなかろうが、関係ないのです。
幾百年にわたって、多くの人々によって、祝い歌として歌い継がれてきた謡曲が、稀世のメロディを得て、素晴らしい曲となったからです。
法なんてなくても、意味を知れば誰しも自然とこの歌が国歌と思う。それだけのことです。
そして、法があるかないかの問題ではなく、「自然にみんながそう思う」ということが、世の中においてとっても大切なことなのではないかと思います。

♪ 君が代は
  千代に八千代に
  さざれ石の
  巌(いわお)となりて
  苔(こけ)のむすまで

私は、胸を張って「君が代」こそが我が国歌であると申し上げたいと思います。
そして、それがわからないような無教養な人を、野蛮人として軽蔑します。


※この記事は2012年8月の当ブログの記事をリニューアルしたものです。

20151208 倭塾・動画配信サービス2


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ジョン・ウィリアム・フェントン作曲の『君が代』




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コメント
No title
「朝鮮民主主義人民共和国」を本文の説明に当てはめてみれば、なるほど真にその通りであると腑に落ちました。昔から、国旗が真っ赤な国や国旗の中に星を飾る国、国名の中に民主(主義)を入れる国にはロクなところがないと思ってきましたが、今日その理由の一つが解き明かされました。

言葉には言霊が宿るといわれますが、大和民族はどこか他民族とは異なる感性をもっているところから大和言葉を紡ぎ出し、それを今日まで護り伝えてきたのだと思います。私の子供時代は、躾は言葉遣いからでした。その経験から、正しい日本語教育が日本人の精神形成にどれほど大切かをいつも感じてきました。(いい年の大人が「チョー、大変!」とか、いっぺん死んで来いといつも思います。)
 
 「君が代」の言葉一つに千年を超える歴史があるなんて、素敵すぎるロマンではないでしょうか。日本はこういう外国民が羨む数多のエピソードをもつ国であることを、市井の私たち一人一人が語れるようになることが、今を生きる日本人の務めでしょう。

 日本の再生のために、力を合わせて奮起しましょう。
2016/07/07(木) 20:52 | URL | 一寸坊主 #-[ 編集]
No title
以下のコメントは出来の悪い作り話ですね。
ブログ全体の信頼性に関わる問題ですので、削除をお勧めします。

引用します
左巻が黙ってしまったというコメントです。

*******
 朝日・日教組系の知識人さんと話すと、いつも同じで、
中略
 で、ある日、ふと思い立ちまして、
 与謝野晶子さんの「君死にたまふことなかれ」の「君」は、
 素直に「家族」と捉えるし、反戦歌として賛美しているのに、
 なにゆえ、君が代はの「君」だけは陛下限定か?と問いました。

 相手は黙ってしまい、答えは聞けませんでした。
*******
引用終わりです

与謝野晶子の君死にたまふことなかれ、はその部分だけが有名ですが、初めから書くと以下のようなものです(かなり長い詩なので初めの部分だけ)。

ああ弟よ君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば

ここまで読めばすでに、君 = 弟 であることは明白です。

上に引用されているコメントは、この詩を知らない人たちの会話ですが、右翼でも左翼でも知識人であればそのくらいはご存知でしょう。
ブログ主様の常識が疑われるようでは困りますので、削除をお勧めします。




2016/06/16(木) 12:52 | URL | #AIlHpmOk[ 編集]
そういえば、昔は「国歌斉唱」と言わず、「君が代斉唱」と号令がかかったような…
雑学好きな私の姉が中学生の頃(ウン十年前)「君が代は法律で国歌と定められてはいない」と言っていたのを思い出しました

さざれ石 は一つの単語なので石の前で区切って息継ぎして台湾の人に叱られた話、中村文昭さん×白駒妃登美さん講演会で聞いて感動しました

ある日本兵が飛虎将軍として今でも台湾の人に手厚く祀られている話、ねずさん節でも堪能したいです


青年商工会議所はじめ、講演会によっては開会式で君が代を斉唱するところもあります

何故か歌いながら泣いてしまいます

肺活量の訓練だと思って、「さざれ石」は息継ぎなしで歌います
2016/05/23(月) 02:23 | URL | ゆき #-[ 編集]
No title
ねず先生、野々村さんの君が代斉唱を有難うございます。心に染み渡ります。
今度の選挙で中山成彬先生には是非とも国政の場に復帰いただきましょう。
また保江先生と矢作先生が新たに参戦いただけることになり嬉しく思います。
一人でも多く本当の日本の心を持つ人が議会に参加できるように望んでなりません。

2年前は韓国、在日に批判記事を目にする機会はほとんどありませんでしたが、昨今はほぼ毎日のようにINFOSEEKニュースで見ることが出来ます。ああ時代は着実に変ってきているんだなと感じます。
これに甘えずに着実に人面獣心議員の排除と日本の心を持つ先生を議会に登壇いただき日本人の心を取戻していきましょう。
先生頑張ってください!応援しています!
2016/05/19(木) 22:17 | URL |     #-[ 編集]
No title
いつも感心する。
深い知識を、どうやって取り入れて来たのだろう、どんな環境下にあったらここまでの知識が蓄積されるのだろう。
環境だけでは無く、意思も必要になる。
強い意思が無ければ、方向性すら危うくなる。
どうあれば、その、意思を方向性を持って貫けたのだろう。
で、何故、私にはそれが出来なかったのだろう。
何故その環境下に無く、意思や好奇心はそこへ向かなかったのだろう。
おおむね、向いてはいても、小名木さんの様に絞ったものでは何故無かったのだろう。
何故、ここまでの人が他にいくらもいないのだろう。
普通に、不思議に思う。

そして、感謝する。
この人がいてくれて、今、説明をしてくれている事は、やはり、普通の事では無いと思う。
過去、歴史に残って来た様々な人達がいるが、その人達を見ているようだ。
けれど、獄死した人が多いんだけどね。
過去の人は死んで名を残したが、小名木さんは生きて名を残すべき人だろう。
かなり腐っているけれど良い時代だ、過去とは違う、本当に良い時代だ。
小名木さんには、大いにモノを言って欲しい。
他に、ここまで感覚的に抵抗すら無くするすると説明が出来る人がおらぬと言う事が不思議だが、これが役割りと言うものなのかなぁ。

他にも博学で説明出来る人はいても、何故かおかしな臭いがあるのだよ。
2016/05/19(木) 21:00 | URL | 名無しさん@Pmagazine #-[ 編集]
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
静岡県出身。国史啓蒙家。倭塾塾長。日本の心をつたえる会代表。日本史検定講座講師&教務。
連絡先: nezu3344@gmail.com
著書
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』第1巻〜第3巻
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』
日々、先人たちへの感謝の心でブログを書き綴っています。それが自分にできる唯一のお国への、先人たちへの、そしていま自分が生かさせていただいていることへのご恩返しと思うからです。こうしてねずブロを続けることで、自分自身、日々勉強させていただいています。ありがたいことです。

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いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

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