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日本は「たみ」が「おほみたから」とされる天皇のシラス(知らす、Shirasu)国です。


今日はアッツ島玉砕の日

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20160527 アッツ島


昭和18(1943)年5月のことです。
カムチャッカ半島から、北米大陸のアラスカにかけて、転々と連なる島々、その北米に近い方の島々がラット諸島、アジアに近い方の島々がニア諸島です。

ニア諸島の西のはずれ、つまりアジアに近い方にある大きな島がキスカ島。
それよりもうすこし西側のアジア寄りにある小さな島が、アッツ島です。
アッツ島は、国際連盟の決議で、日本が統治をしていた島です。
73年前の今日、そのアッツ島で日本軍守備隊の2千650名が、約一ヶ月間にわたる激しい戦いの末、玉砕しました。

無人島であったアッツに、日本軍が進出したのが昭和17(1942)年9月18日のことです。
対米戦争のために、ここに飛行場を建設するためでした。

アッツは、米軍にとっても要衝の島です。
米軍はたびたび建設途中のアッツ島に空襲をしかけてきました。
そしてついに、昭和18年4月、大艦隊を率いてこの島を攻めてきたのです。



アッツ島守備隊の司令官は、山崎保代(やまさきやすよ)大佐(没後二階級特進で中将)です。
大佐は、いよいよ米軍が攻めて来るとなった、昭和18(1943)年4月18日、アッツ島に赴任しました。

山崎中将は、山梨県都留市のご出身の方です。
家は代々僧侶の家柄だったそうです。

子供のころからたいへん優秀な方でした。
名古屋の陸軍幼年学校を経て、陸軍士官学校は第25期です。
任官後はシベリアに出兵し、斉南事件にも出動しています。

※斉南事件
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-597.html

潜水艦でアッツに到着した山崎大佐は、守備隊に、水際防御ではなく、後の硫黄島と同じく、敵を島の内部に引き込んで戦う作戦を指示しました。
もし米軍がこの島を攻めてくるなら、きっと大艦隊と大部隊編成でくるだろうと予測していたのです。
その米軍を、一日でも長くこの島にひきつけ、寡兵で彼らと五分の戦いをするには、内陸部に引き込んで戦う以外にないと、読んだのです。

アッツ


はたして5月5日、米軍はあらわれました。
大艦隊でした。
米軍は、戦艦「ネヴァダ」「ペンシルベニア」「アイダホ」、護衛空母「ナッソー」に加え、多数の輸送艦を引き連れていました。
上陸部隊だけで、1万1千人という大部隊ですした。

守る日本軍は、わずか2千650名です。
けれど多くは飛行場建設のための土木作業員であり、地上戦のための戦闘要員は、半数もいません。

洋上に待機した米軍は、天候回復を待って、5月12日から島への上陸を開始しました。
小さな島いっぱいに、アリの這い出る隙間もないくらい艦砲射撃と空爆を行い、大部隊を上陸させてきたのです。

山崎大佐率いる守備隊の奮戦は、歴史に残る戦いでした。
島の奥深くまで侵入して来た米軍第17連隊(約5千人)を壊滅させています。
また約2千の一個大隊で押し寄せた米軍と真っ向から対峙し、これを海岸線にまで後退させています。
それはまさに猛烈果敢な戦いでした。

しかし衆寡敵せず、約二週間の昼夜をわかたぬ激闘の末、日本側は28日までにほとんどの兵を失ってしまいます。
この戦いに参加した辰口信夫軍医が遺した日記が、後日、米軍によって発見されています。
辰口医師の日記は 敵上陸の1943年年5月12日から始まって、玉碎前日の29日で終わっています。
18日間の短い日記です。

5月29日の最後の日記を引用します。
*******
夜20時、地区隊本部前に集合あり。
野戰病院も参加す。
最後の突撃を行ふこととなり、
入院患者全員は自決せしめらる。

僅かに33年の生命にして、
私はまさに死せんとす。
但し何等の遺憾なし。
天皇陛下萬歳。

聖旨を承りて、
精神の平常なるは我が喜びとするところなり。

18時、総ての患者に手榴弾一個宛渡して、注意を与へる。
私の愛し、そしてまた最後まで私を愛して呉れた妻妙子よ、さようなら。
どうかまた合う日まで幸福に暮らして下さい。

美佐江様 やっと4歳になったばかりだが、すくすくと育ってくれ。
睦子様 貴女は今年2月生まれたばかりで父の顔も知らないで気の毒です。
政様 お大事に。
こーちゃん、すけちゃん、まさちゃん、みっちゃん、さようなら。
******

辰口氏は、軍医ですから、おそらくは山崎中将と、最後までご一緒においでだったものと思います。

アッツ島の日本兵


文中にあるように、29日、戦闘に耐えられない重傷者が自決したあと、山崎大佐は、まだ動ける生存者全員、本部前に集合させました。
集まった兵は、この時点でわずか150名でした。

山崎大佐は、今日までよくぞ戦ってくれたと、ひとりひとりの兵のねぎらいました。
次に、通信兵に「機密書類全部焼却、これにて無線機破壊処分す」と本部への打電を命じました。

そして「いざ!」と声をかけると、山崎大佐は右手に抜き放った軍刀を、左手に日の丸を持ちました。
このとき、先頭にいた山崎大佐は、振り返ると、みんなにニッコリと笑顔を向けたそうです。

そして山の斜面を駆け上りました。
生き残った全員があとに続きました。
死ぬ、とわかって、最後の特攻攻撃を行ったのです。

この突撃は、まさに鬼神とみまごうばかりのものでした。
米軍は大混乱に陥り、日本軍は、次々と米軍陣地を突破したのです。

米軍の死体がそこらじゅうに転がりました。
それでも日本軍の進撃は止まりませんでした。

そしてついに米軍上陸部隊の本部にまで肉薄しました。
あと一歩で上陸部隊の本陣を抜くところまで、迫りました。

しかし、ここまできたとき、ようやく体勢を整えた米軍が、火力にものをいわせて、猛然と機銃で反撃に出ました。
味方の兵が、バタバタと倒れました。
そして大佐以下、全員が散華されました。

戦いが終わった後、累々と横たわる我が軍の遺体の一番先頭に、山崎中将のご遺体がありました。
これは米軍が確認した事実です。

山崎中将は、突撃攻撃の最初から、先頭にいました。
先頭は、いちばん弾を受けます。
おそらく山崎大佐は、途中で何発も銃弾を受け、倒れられたことでしょう。

けれど彼は、
撃たれては立ち上がり、
また撃たれては立ち上がり、
そしてついに、味方の兵が全員玉砕したときにも、
瀕死の体を引きずって、山崎中将は、攻撃隊の先頭にまで這い出たのでしょう。
そして、そこでこときれたのです。

享年51歳でした。

山崎大佐以下の奮戦について、米軍戦史は、次のように書いています。
********
突撃の壮烈さに唖然とし、戦慄して為す術が無かった。
********
そしてさらに米軍戦史は、山崎大佐をして「稀代の作戦家」と讃えています。

山崎保代中将
山崎保代中将


このアッツ島の玉砕戦について、当時大本営参謀だった瀬島竜三氏が、その手記「幾山河」の中で、次のような事実を書かれています。

*******
アッツ島部隊は非常によく戦いました。
アメリカの戦史に「突撃の壮烈さに唖然とし、戦慄して為す術が無かった」と記されたほどです。
それでも、やはり多勢に無勢で、5月29日の夜中に、山崎部隊長から参謀総長あてに、次のような電報が届きました。

「こういうふうに戦闘をやりましたが、
 衆寡敵せず、明日払暁を期して、
 全軍総攻撃をいたします。
 アッツ島守備の任務を果たしえなかったことを
 お詫びをいたします。
 武官将兵の遺族に対しては、
 特別のご配慮をお願いします。」

その悲痛な電報は、
「この電報発電と共に、
 一切の無電機を破壊をいたします」と結ばれていました。

当時、アッツ島と大本営は無線でつながれていたのですが、全軍総攻撃ののちに敵に無線機が奪われてはならないと破壊し、アッツ島の部隊は玉砕したわけです。

この種の電報の配布第一号は天皇です。
第二号が参謀総長、
第三号が陸軍大臣となっていまして、
宮中にも各上司の方には全部配布いたしました。

そして、翌日九時に、参謀総長・杉山元帥が、このことを拝謁して秦上しようということになりまして、私は夜通しで上秦文の起案をし、御下問奉答資料もつくって、参謀総長のお供をして、参内いたしました。
私どもスタッフは、陛下のお部屋には入らず、近くの別の部屋に待機するわけです。

それで杉山元帥は、アッツ島に関する奏上を終わらせて、私が待機している部屋をご存じですから、
「瀬島、終わったから帰ろう」と、こうおっしゃる。

参謀総長と一緒に車に乗るときは、参謀総長は右側の奥に、私は左側の手前に乗ることになっていました。
この車は、運転手とのあいだは、厚いガラスで仕切られていました。

この車に参謀総長と一緒に乗り、坂下門を出たあたりで、手帳と鉛筆を取り出して、
「今日の御下問のお言葉は、どういうお言葉がありましたか。どうお答えになりましたか。」
ということを聞いて、それをメモして、役所へ帰ってから記録として整理するということになっていました。

車の中で何度もお声をかけたのですが、
元帥はこちらのほうを向いてくれません。
車の窓から、
ずっと右の方ばかりを見ておられるのです。
右のほう、
つまり二重橋の方向ばっかり見ておられるわけです。

それでも、その日の御下問のお言葉と参謀総長のお答えを伺うことが私の任務ですから、
「閣下、本日の奏上はいかがでありましたか」と、重ねてお伺いしました。

そうしたら、杉山元帥は、ようやくこちらのほうに顔を向けられて、
「瀬島、役所に帰ったら、すぐにアッツ島の部隊長に電報を打て」と、いきなりそう言われた。

それを聞いて、アッツ島守備隊は、無線機を壊して突撃してしまったということが、すぐ頭に浮かんで、
「閣下、電報を打ちましても、残念ながらもう通じません」と、お答えしました。
そうしたら、元帥は、
「たしかに、その通りだ」と、うなずかれ、

「しかし陛下は自分に対し『アッツ島部隊は、最後までよく戦った。そういう電報を、杉山、打て』とおっしゃった。
 だから、瀬島、電報を打て」と、言われました。

その瞬間、ほんとに涙があふれて・・・・。

母親は、事切れた後でも自分の子供の名前を呼び続けるわな。
陛下はそう言うお気持ちなんだなあと、
そう思ったら、もう涙が出てね、
手帳どころじゃなかったですよ。

それで、役所へ帰ってから、陛下のご沙汰のとおり、
「本日参内して奏上いたしたところ、
 天皇陛下におかせられては、
 アッツ島部隊は最後までよく戦ったとのご沙汰があった。
 右謹んで伝達する」
という電報を起案して、それを暗号に組んでも、もう暗号書は焼いてないんですが、船橋の無線台からアッツ島のある北太平洋に向けて、電波を送りました。
*******

アッツ桜
アッツザクラ


写真の花は「アッツ桜」といいます。
ちょうど今頃の季節に咲く花です。
この花は、本当の名前はロードヒポキシスで、原産地は南アフリカ共和国のドラケンスバーグ山脈周辺の高原です。
北の外れのベーリング海峡に浮かぶ、アッツ島ではありません。
「アッツ桜」という名は、日本でだけ、そう呼ばれている花です。

なぜこの花が日本で「アッツ桜」と呼ばれているのか。
アッツ島で、立派に戦い、勇敢に散って行かれた日本人がいて、その死を悼んだ園芸店主がいて、この花に「アッツ桜」と名前をつけました。

その名前に、何かをちゃんと感じてくれる人たちがいて、そして70年経った今でも、この花は日本では、「アッツ桜」と呼ばれているのです。

戦後、日本政府は、アッツ島をはじめ、外地で国のために戦い、散って行かれた幾多の亡骸を、いまだ放置したままにしています。
けれど、民間にいる日本人は、心のどこかでちゃんとわかっていて、いまでもこうして、この花をアッツ桜と呼んでいる。
それが日本人です。

私は、アッツ島で戦い、散って行かれた山崎中将以下2,650名の英霊の方々を誇りに思います。
そして同時に、この赤い小さな花に、彼らへの追悼の心をこめて「アッツ桜」と命名し、その名前を今に伝えている日本人という民族を、とっても誇りに思うのです。


※この記事は2010年4月の記事のリニューアルです。
リニューアル記事は、趣旨は変わりませんが、内容や文章はかなり手を加えています。
そのまま過去記事をコピペするものは「再掲」としています。
アッツ島玉砕の記事は、毎年この時期に掲載しています。
何度でも、私の命がある限り、この記事を掲載していきたいと思います。
このことが日本人にとっての常識となるその日まで。

20151208 倭塾・動画配信サービス2


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コメント
No title
戦略的必要が薄いのに、あんな寒く、何も無いところを、無理やりアメリカ領土占領だといって行かされて、戦死させられた兵隊さん・・・。このようなことが二度と起こりませんように。

杉山元に関しては、下のような人物エピソードを忘れてはいけない。

「もし日米開戦となった場合、どのくらいで作戦を完遂する見込みか?」と対米戦争の成算を昭和天皇に問われた参謀総長の杉山は「太平洋方面は3ヶ月で作戦を終了する見込みでございます」と楽観的な回答をする。これに対して天皇は「汝は支那事変勃発当時の陸相である。あのとき事変は2ヶ月程度で片付くと私にむかって申したのに、支那事変は4年たった今になっても終わっていないではないか」と語気荒く問いつめた。答えに窮した杉山が「支那は奥地が広うございまして、予定通り作戦がいかなかったのであります」と言い訳すると、天皇は「支那の奥地が広いというなら太平洋はなお広いではないか。いったいいかなる成算があって3ヵ月と言うのか?」と一喝し、杉山は言葉を失った。



瀬島龍三は、戦後の黒い霧のような事件に絡む問題の多い人物で、とてもではないが郷土を愛する人とはいえない。
2016/05/31(火) 08:27 | URL | #-[ 編集]
不信任案提出へ最終調整=30日に党首会談-4野党
不信任案提出へ最終調整=30日に党首会談-4野党
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016052900035&g=pol

オバマ・アメリカ大統領が広島原爆記念碑に献花した事の意味を多くの日本
人が考えさせられて、日教組が洗脳して来た自虐史観から覚醒していく。
 反日売国テレビ局・マスコミを支配して来た支那朝鮮人が正体を暴かれ殲滅
させられる。 靖国に眠る英霊が日本復興を待ち望んでいる。
 靖国に参拝しない安倍信三首相は日本国民を代表する資質は無い事が曝露さ
れる。

詳細は
【新党勝手連の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/ktr/ktr.cgi
【新党勝手連タイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。
2016/05/29(日) 23:41 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
No title
お疲れ様です。

先の戦いにおいてですがどのお話も涙を禁じえません。
アッツ島玉砕は先の戦いにおいて最初の玉砕戦となりました。

>「戦さする身、生死はもとより問題ではない。守地よりの撤退、将兵の望むところではない。
戦局全般の為、重要拠点たるこの島を、力及ばずして敵手に委ねるにいたるとすれば、罪は万死に値すべし。
今後、戦闘方針を持久より決戦に転換しなし得る限りの損害を敵に与え、九牛の一毛ながら戦争遂行に寄与せんとす。
なお今後の報告は、戦況より敵の戦法及びこれが対策に重点をおく。
もし将来、この種の戦闘の教訓として、いささかでもお役に立てば、望外の幸である。
その期いたらば、将兵全員一丸となって死地につき、霊魂は永く祖国を守ることを信ず」<

この電文は、アッツ島に取り残された山崎大佐が救援の断念を断腸の思いで伝える樋口陸軍中将と交わした言葉(通信記録)です。
泣き言一つ言わず、自分達の戦い(戦法)を後に伝え役立ててくれとまで言われています、、、、。

そして、アッツ島の英霊の皆様はその約束をキスカ島で果たしてくれたと信じています。
キスカ島撤退に際し、偶然とは言いがたい事が起こっているのです。
ご存知かも知れませんが、板倉光馬筆「どん亀艦長青春記」、将口泰浩筆「キスカ島奇跡の撤退、木村昌福中将の生涯」
また、DVDにもなっています、映画『太平洋奇跡の作戦 キスカ』に詳しいところです。

そのアッツ島の戦いにおいて、28名の方が生存されています。
マスコミは戦後、その生存された方達にインタビューされています。
当時の戦況、それにより軍部の苦渋の決断もあったでしょう、その様な真実を隠し、自分達に都合の良いところだけをピックアップし報道、軍を非道扱いにしています。
軍を非道扱いにするというのは、日本を非道扱いすると言う事に他ならないのです。
マスコミの偏向報道により、結果、当時の日本は何て酷い国だったのか、、、そして、かわいそうにとなる訳です。
いえ、もうなってしまっいます。

私は、その「かわいそう」という言葉は英霊の皆様に対してとても失礼な言い方だと思っています。
「かわいそう」という心があるなら、真実を知り、祖国日本を救うため誇りを持って散華された英霊の皆様対し、
「有難うございました」と感謝の気持ちを捧げるべきではないでしょうか。

先の戦いの真実(全てと言っても過言ではない)を戦後のマスコミはひた隠しに隠し続けました、と言うより今も隠し続けています。
その体質は現在も何ら変わっていませんし、変わるどころか益々の偏向報道で日本国民を騙し続けています。

しかし、ネットの普及で真実を知り、多くの国民が覚醒されつつあります。
英霊の皆様に恩返しをする、その時が来ている、そのように思います。

英霊の皆様のご冥福をお祈りすると共に、心から感謝致します。

2016/05/29(日) 20:47 | URL | #-[ 編集]
No title
中川八洋『歴史を偽造する韓国』217頁
第十章 「従軍慰安婦強制連行」という嘘 -「戦場公娼」制か、無制限「強姦」か
http://www5e.biglobe.ne.jp/~tokutake/jugunianfuuso.htm
2016/05/29(日) 19:44 | URL | junn #p4GOlP7Y[ 編集]
No title
「しかし陛下は自分に対し『アッツ島部隊は、最後までよく戦った。そういう電報を、杉山、打て』とおっしゃった。
 だから、瀬島、電報を打て」と、言われました。
いつもここでこみ上げます。私たち日本人は何というお方をいただいていたのでしょうか。本当に日本人で良かったと心から思えます。
2016/05/29(日) 12:14 | URL | heguri #aYDccP8M[ 編集]
先の大戦であまりにも多くの日本人が
死に過ぎたと想います。
けれど、山崎大佐以下日本兵の皆様は、死を目前にしてなんで、こんなに静かな微笑みを浮かべる事ができるのか。不思議でなりません。大いなる力の後押しを頂いているとしか思えない。
2016/05/29(日) 09:36 | URL | #-[ 編集]
No title
【追記あり】「平等」と「公正」の大きな違いが1秒で納得できる画像
http://buzzap.jp/news/20141111-equity-vs-equality/
2016/05/29(日) 09:13 | URL | junn #p4GOlP7Y[ 編集]
色の無い君主であった筈が無い。
 この一事だけでも、昭和天皇陛下が人を慮る君主であったことが伺えます。
 真剣に探せば事績は数多くあるのですが、現代に広く伝わっていません。恐らく陛下の意を受けた政府と、その人物像を隠そうとしている他国の工作員の双方が、慎重かつ執拗に隠し続けているのでしょう。

 それにしてもです。
 原爆投下の報に対して「初めての事が起こった」と喜んだトルーマン大統領や、特殊部隊によるウサーマ・ビン・ラーディン暗殺の報をスタンディングオベーションで喜んだオバマ大統領と対比すると、本当に際立ちます。
 正直言って、近現代の欧米指導者の言行を見聞きする度に「この人たちは部下や国民に対する人間心理洞察をやっているのか?」とその資質と知性を疑う事が多くありますので……
2016/05/29(日) 08:57 | URL | 「ど」の字 #/rKlrZ.I[ 編集]
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小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
静岡県出身。国史啓蒙家。倭塾塾長。日本の心をつたえる会代表。日本史検定講座講師&教務。
連絡先: nezu3344@gmail.com
著書
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』第1巻〜第3巻
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』
日々、先人たちへの感謝の心でブログを書き綴っています。それが自分にできる唯一のお国への、先人たちへの、そしていま自分が生かさせていただいていることへのご恩返しと思うからです。こうしてねずブロを続けることで、自分自身、日々勉強させていただいています。ありがたいことです。

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私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

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