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勇気とやさしさ〜パラオ・ペリリュー島の戦い

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20160530 パラオ共和国


今回は『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人・第三巻』から、「勇気とやさしさ〜パラオ・ペリリュー島の戦い」をご紹介します。

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』は、
 第一巻 縄文から近代までの日本の良い話
 第二巻 日本人のやさしさと思いやり
 第三巻 日本人と戦争
が、それぞれテーマです。
3巻全部をお読みいただいた方のご感想では、
 女性の方は特に二巻がオススメ、
 男性の方は三巻が良いと言われる方が多いようです。

今回ご紹介するペリリューのお話は、ねずブロでも、もう何度も取り上げているお話です。
ただ、本の方は、極力政治色を薄めるように配慮し、文章も何度も校生していますので読みやすい文章になっていると思います。



********
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人・第三巻』より
勇気とやさしさ〜パラオ・ペリリュー島の戦い



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日本とパラオの深い絆
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パラオは、南太平洋に浮かぶ、大小さまざまな島からなる共和国です。
そのパラオは、戦前まで日本の「委任統治領」でした。
「委任統治領」というのは、国際連盟規約第二十二条に基づいて、国際連盟の指定を受けた国が一定の非独立地域を統治する制度です。
もともとは、白人諸国が有色人種諸国を統治する、というより植民地として支配する、国際法的正当性を与えるために作られたものです。

だから、パラオは日本の植民地だった、と言う人がいます。
しかし、それは違います。
パラオは、あくまで国連からの正式な委任によって、日本が統治したものです。

そして日本は、パラオから収奪するどころか、教育、文化、行政、法制度、都市インフラにいたる、あらゆる援助を提供しています。
けれどそんなことよりも、もっとはるかに大きなものを、日本はパラオに残しました。
そしてそのことを、パラオの人々は、いまも大切にしてくれています。

それが、これからお話しする、勇気と愛の物語です。

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日本軍と一緒に戦おう
────────────

昭和十六(一九四一)年、大東亜戦争が始まりました。
日本はこの年の翌年早々にはパラオ南部のペリリュー島に、千二百メートルの滑走路二本を持つ飛行場を築きました。
日本にとってパラオが、太平洋防衛上の重要な拠点だったからです。

日本の防衛上重要拠点ということは、敵対するアメリカ軍にとって、それは攻略目標となります。
フィリピン奪還を目指すアメリカ軍は、その手前に位置するパラオ・ペリリュー島の日本軍基地を、どうしても排除しなければなりませんでした。

昭和十九(一九四四)年九月、太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ提督の指揮下、アメリカ軍はパラオ・ペリリュー島攻略作戦を実行に移します。
当時、ペリリュー島には八百九十九名の島民がいました。
日一日とアメリカ軍が迫ってくるか、島民たちは集会を開きます。

かつてスペインやドイツによって植民地支配を受けていた彼らは、白人統治時代の悲惨さを知っています。そして日本統治となってからの時代も身をもって経験しています。
日本兵と仲良くなり、日本の歌を一緒に歌っていた島民たちは、全会一致で、大人も子供も一緒になって日本軍とともに戦うことを決めました。

こうした村人の会議と、全会一致での決定という仕組みは、パラオ古来の慣習です。
いまでもパラオではこうした会議が行われ、そこには村人全員が参加します。
話し合いはその全員がひとり残らず納得するまで、何日でも続けて行われます。
日本でいったら町内の自治会の会館のような建物があり、島民たちはその建物に何日もこもって話し合うわけです。
そうしてみんなの意思を固めるのです。

「全員一致で日本軍とともに戦う」
そう決めた彼らは、代表数人で日本軍の守備隊長のもとに向かいました。
ペリリューの守備隊長は、中川州男(くにお)陸軍中将(任期当時は大佐)です。

中川中将は熊本県出身で、陸軍士官学校の第三十期生。日頃からもの静かで、笑顔の素敵なやさしい隊長さんです。
その中川中将がパラオ・ペリリュー島に赴任したのは、昭和十八(一九四三)年六月のことでした。
家を出るときに奥さんから、
「今度はどちらの任地に行かれるのですか?」と聞かれた中川中将は、にっこり笑って、
「永劫演習さ」と答えられたそうです。

永劫演習というのは、生きて帰還が望めない戦場という意味です。
温厚で日頃からやさしい人であっても、胸に秘めた決意というのは、体で分かるものです。
この言葉を聞いたときの奥さんのお心やいかばかりだったか。
想像するに余りあります。

温厚な中川隊長なら、自分たちの「一緒に戦いたい」という頼みを、きっと喜んで受け入れてくれるに違いない。
島の代表団たちは、そのように考えました。
ただでさえ日本の兵隊は数が足りないのです。
自分たちはきっと役に立つことができる。
ペリリュー島の人たちは、そう思って中川中将のもとを訪ねました。

そして中川中将に、
「わたしたちも一緒に、戦わせてください!」と強く申し出ました。
「村人全員が集まって、決めたのです。これは村人たち全員の総意です」

中川隊長は、真剣に訴える彼らひとりひとりの眼を、じっと見つめながら黙って聞いておられました。
一同の話が終わると、場に沈黙が訪れました。
しばし沈黙のあと、中川隊長は突然、驚くような大声をあげました。
「帝国軍人が、貴様ら□人(現地人)と一緒に戦えるかっ!」

烈迫の気合です。
村の代表たちは、瞬間、何を言われたか分からなかったそうです。
耳を疑いました。(俺たちのことを、「□人」と言った?)

島の代表団たちは、ただ茫然としてしまいした。
指揮所を出てからの帰り道、彼らはみんな泣きました。
一緒に戦うことを断られたからではありません。
□人と呼ばれたことがショックでした。
怒りではありません。
あんなに仲良くしていたのに、という悲しみのほうが大きかったのです。

いつも日本人は、自分たちのことを仲間だと言ってくれていました。
同じ人間だ、同じ仲間だ、対等だと言ってくれていたのに、それが「□人?」。
信じていたのに。あれは見せかけだったのか?

集会所で待っている村人たちに報告しました。
みんな「日本人に裏切られた」という思いでした。
ただただ悲しくて、悔しくて。みんな泣いてしまいました。

何日かたちました。
いよいよ日本軍が用意した船で、島民たちがパラオ本島に向かって島を離れる日がやって来ました。

港には、日本兵はひとりも見送りに来ません。
島民たちは、悄然として船に乗り込みました。
島を去ることも悲しかったけれど、それ以上に、仲間だと思っていた日本人に裏切られたことが、ただただ悲しかったのです。

汽笛が鳴りました。
船がゆっくりと、岸辺を離れはじめました。

次の瞬間です。
島から「おおおおおおおおおおお」という声があがりました。
島に残る日本兵全員が、ジャングルの中から浜に走り出てきたのです。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、ちぎれるほどに手を振って彼らを見送ってくれたのです。

そのとき、船上にいた島民は、はっきりと分かりました。
日本の軍人さんたちは、我々島民を戦火に巻き込むまいとしたのだ。
そのために、心を鬼にして、あえて「□人」という言葉を使ったのだと。

船の上にいる島民の全員の目から、涙があふれました。
そして、岸辺に見える日本兵に向かって、島の人たちは、なにか、自分でも分からない声をあげながら、涙でかすむ目を必死にあけて、ちぎれるほど手を振りました。

船の上から、日に焼けた日本人の兵隊さんたち、ひとりひとりの姿が見えました。
誰もが笑っていました。
歌声が聞こえました。
そこには中川隊長の姿もありました。
みんなと一緒に笑いながら、手を振ってくれていました。
それは、とっても素敵な笑顔でした。

そのときの日本の兵隊さんたちの笑顔は、戦後何年たっても、ペリリュー島の人たちのまぶたに、ずっと焼き付いたままだったそうです。

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「オレンジビーチ」そして「サクラサクラ」
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昭和十九(一九四四)年九月十二日、ペリリュー島をめぐる日米の本格的な戦闘の火ぶたが切られました。
島に立てこもる日本軍は一万五百、対するアメリカ軍は総員四万八千です。
そして火力差はなんと約百倍。
圧倒的な火力をもって、アメリカ軍は小さな島に襲いかかります。

まず、航空機と艦砲射撃によって島内のジャングルを完全に焼き払いました。
海上に築いた日本軍の防衛施設も、完全に破壊しました。
そして九月十五日、「二、三日もあれば陥落させられる」と豪語したアメリカ軍は、海兵隊を主力とする第一陣、約二万八千を島に上陸させたのです。

アメリカ軍の上陸用舟艇が、続々とやって来ました。
島はじっと沈黙したままです。
アメリカ軍は、海岸に上陸し、そこに陣地を巡らしました。

そのとき、突然の集中砲火が、アメリカ軍の上陸部隊を襲いました。
それまで地中深くに穴を掘り、じっと時を待っていた日本軍が、満を持して反撃を開始したのです。

水際の状態は、凄惨を極めました。
アメリカ軍の第一次上陸部隊は大損害をこうむり、煙幕を焚いて退却しました。
この戦闘で島の海岸が、アメリカ兵の血で赤く染まりました。
いまでもこの海岸は「オレンジビーチ」と呼ばれています。

十月三十日にはアメリカ軍第一海兵師団が全滅しました。
米海兵隊の司令官はこの惨状への心労から、心臓病を発病したといいます。
将官が倒れるほどまでに、すさまじい戦いだったのです。
この時点で、三日で終わるとされた戦いは、なんと一カ月半も継続していました。

けれど日本軍には、補給が一切ありません。
食糧も水もないのです。
夜陰に紛れて、せめて怪我をした仲間のためにと泉に水を汲みに行けば、待ち構えたアメリカ軍の猛火に遭いました。
水場の近くには、日本兵の死体がかさなりあっていました。

日本軍の抵抗は次第に衰えを見せはじめました。
アメリカ軍の火炎放射器と手榴弾によって日本軍の洞窟陣地は次々と陥落していきました。

十一月二十四日、司令部陣地の弾薬も底を尽いた日本軍は、ついに玉砕を決定します。
軍旗を奉焼し訣別電報「サクラサクラ」を打電すると、中川州男隊長、村井権治郎少将、飯田義栄中佐の三名は、割腹自決を遂げました。
そして残る将兵は翌朝にかけて、最後の突撃攻撃を敢行しました。

こうして十一月二十七日、ペリリュー島はついに陥落しました。
アメリカ軍の上陸開始から二カ月半が経過していました。

中川隊長の異例の奮闘に対して、昭和天皇は、十一回の嘉賞と、三度の感状を与えられています。
中川州男中将、明治三十一(一八九八)年一月二十三日生まれ。
昭和十九(一九四四)年十一月二十四日戦死。
享年四十七でした。

戦闘が終わったあと、アメリカ軍は島のあちこちに散る日本兵の遺体を、そのまま放置していました。
アメリカ兵の遺体はきちんと埋葬しても、日本兵の遺体は、ほったらかしだったのです。

戦闘終結からしばらくたって、島民たちが島に戻ってきました。
彼らは島中に散らばる日本兵の遺体を、ひとつひとつきれいに片付け、埋葬してくれました。

────────────
太平洋に浮かぶ親日国パラオ
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戦後、パラオはアメリカの信託統治領となりました。
けれどアメリカは、島民たちへの教育はおろか、島のインフラ整備にも消極的でした。
島民たちは、パラオ本島と一緒になり、独立運動を開始しました。
そしてようやく戦争から三十六年目の昭和五十六(一九八一)年、パラオは自治政府の「パラオ共和国」となりました。

そのパラオがアメリカの信託統治を外れて、名実共に独立国となったのは、なんと平成六(一九九四)年のことです。
下にあるのは、独立したパラオ共和国の国旗です。

20160530 パラオの国旗


この国旗は、パラオ国民の間からデザインを一般公募した結果、全会一致で採用になったものです。
周囲の青は太平洋。まんなかの黄色い円は月を表しています。
月は日章旗の太陽との友好を示すものです。
そして、パラオの国旗の満月は日の丸の旗の太陽とは違って、中心から少しズレています。
日本に失礼だからと、わざと中心をはずしたのだそうです。
これはパラオの人たちの慎み深い態度を表しているのだそうです。

パラオについて、ブログ読者のNさんから、次のようなメールを頂きました。

******
最近あまりいい話がないと思いますので溜飲をさげる意味ということで、私がパラオ共和国に行ったときのお話をしようと思います。
今から三年ほど前に新婚旅行でパラオ共和国に行ってきました。
十二月の中旬に成田からグァムへ行き、そこから乗り換えてパラオに着いたときは夜の八時過ぎでした。
空港から出てバスに乗るとパラオの国旗の隣に日の丸が掲げられていました。

日中、観光でバスに揺られながらあちこちを回ると、島と島をつなぐ道路に必ず日の丸が刻まれたモニュメントがありました。
それらを見る限り日本のODAが、いかに正しく使われているかがよく分かります。

街のあちらこちらにも日の丸が掲げられていました。
夜家内と外で食事をしましたが、いまいち食べ足りないと思い、散歩がてらに中心街を散策していると(中心街といっても五百メートルくらいのメインストリート)、広い駐車場にハンバーガーの屋台があったので、早速注文をしてできたてのバーガーを家内とほおばりながら食べていました。
すると、さっきまで駐車場でギターの弾き語りをしていた初老の老人が近づいてきて、こう聞きました。

「君たちは日本人か?」
「イエス」と答え、「新婚旅行で来た」と家内が伝えると、老人は大粒の涙を流しながら私の肩を抱きました。
そして老人は、
「日本の人がこの国に来てくれて本当に嬉しい。
 ハネムーンの行き先にここを選んでくれて
 本当にありがとう」と言ってくれました。

この出来事でパラオの人々が、いかに日本の人たちに対して特別なものを持っているかよく分かりました。
私たちの血税がこういうふうに役に立っているということを実感するためだけでもパラオには来る価値が十分すぎるほどあります。
子供が大きくなったら後学のためにももう一度パラオに行こうと細々と貯金をしています。
*******

Nさんは、このメールと一緒に、下の写真を送って下さいました。

20160530 南海のパラオに眠るゼロ戦


この写真は、島に散ったゼロ戦です。
忘れてはならないのは、このゼロ戦には、日本海軍の優秀なパイロットが乗っていた、ということです。
ゼロ戦はそのパイロットの命とともに、いまもここに眠っているのです。

────────────
植民地になるということ
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少し、パラオのことを書きます。
パラオが、白人の植民地となったのは、明治十八(一八八五)年のことでした。
最初はスペインの植民地でした。

スペインの統治は、たいへん過酷なものでした。
スペインによる統治は、明治三十二(一八九九)年に、ドイツの植民地になるまでの、わずか十四年ほどのことですが、そのたった十四年で、パラオの人口は、なんと九〇%も減少してしまったのです。

もともと、人口二万人くらいの島国なのです。
そのうちの九〇%が命を奪われた。
それがどういうことか想像してみてください。

忘れてならないのは、植民地支配を受けた国々では、大なり小なり同様のことが起きた、という事実です。
南米では、文明そのものが滅び、いまでは昔の言語、習慣さえも分からなくなっています。
ほんの二百年前まで栄えていた大きな文明が、いまやナゾの超古代文明のように、その痕跡しかなくなっているのです。

北米に八百万人もいたインディアンは、いまではわずか三十五万人です。
しかもその全員が、白人との混血です。
「植民地になる」ということは、そういうことなのだということを、私たちはちゃんと知る必要があろうかと思います。

私たちの先人が、日本が植民地とならないために(なったら十人中九人が殺される)、どれほどの犠牲と努力をはらい、日本を護り抜いてきてくれたか。
そのおかげで、いまの私たちが生きています。

日本という国があります。
平和を満喫し、世界中のおいしい料理を食べることができ、エアコンの効いた部屋で過ごせるという豊かな生活を送ることができています。
それは他の誰でもない。
私たちの先人たちが、私たちを守ってくれたおかげです。
そういうことを、私たちは、きちんと知らなければいけないし、子供たちに教えなければいけないと思います。

パラオはもともと産業のある国ではありません。
人口の九割が失われ、もうこれ以上収奪するものが何もなくなると、スペインはわずか四百五十万ドル(日本円で四億円くらい)で、パラオを含むミクロネシアの島々全部を、ドイツに売却してしまいました。

買ったドイツは、パラオの原住民を使役して、ココナッツの栽培などにチャレンジするのですが、あまり生産はあがりませんでした。
そのドイツもスペイン同様、現地の人々への教育や道路、流通の整備、産業の育成や法や行政諸制度の整備などは、まったく行っていません。

そのドイツが第一次世界大戦で敗戦国になると、戦勝国である日本がドイツの代わりにパラオを含むミクロネシアの島々一帯を統治することになります。
大正八(一九一九)年、パラオはパリ講和会議において、正式に日本の「委任統治領」となったのです。

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「与える統治」を行った日本
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なぜ日本がパラオを統治するようになったのでしょうか。
それには理由があります。

日清、日露を戦い、西欧諸国に匹敵する強国となった日本は、第一次世界大戦後のパリ講和会議で、新たに設置される国際連盟の憲章に、「人種の平等」を入れるように提案しました。

しかしこれは、英米の頑強な抵抗にあって頓挫してしまいます。
代わりに日本に与えられたのが、ドイツが所有していたパラオを含むミクロネシア一帯の統治だったのです。

これは日本に資源のないミクロネシアを与えれば、さしもの日本も西欧諸国と同じように、植民地支配者として収奪をはじめるであろう、よしんばそこまでしなかったとしても、日本の支配地域を太平洋に大きく張り出させることによって、日本の海軍力を削ぐ効果を生むことができるであろうという見通しのもとに行われたといわれています。

ところが、こうした西欧諸国の企図とは裏腹に、なんと日本はパラオ統治を受けると、すぐにパラオに南洋庁を設置し、学校や病院、道路などの建設をはじめ、地元民の教育と、行政制度の確立、街のインフラの整備と産業振興をはじめたのです。

それまでの世界の委任統治というものは、収奪するだけのものです。
ところが日本は「奪う統治」ではなく「与える統治」をはじめたのです。

その結果がどうなったかというと、日本が委任統治を開始してからパラオ先住民の人口は増え続け、昭和十八(一九四三)年には約三倍の六千四百七十四人になっています。
二十四年で三倍です。
いかに日本の統治が手厚かったか、これだけでも分かろうというものです。

当時、パラオに新しくできた学校には、若き日の中島敦も赴任しました。
中島敦といえば、『山月記』や、『李陵』『弟子』『名人伝』で有名な作家です。
彼の文章は、漢語体のいわゆる名文調で、この世でもっとも美しい文章を書く人と絶賛を浴びています。
そういう優秀な人材が、パラオの人々のための教科書編纂係として現地に赴任したりしていたのです。

日本はパラオで、日本語の教科書を使い、日本語の教育を行いました。
これには理由があります。
パラオには文字がなかったのです。
さらに近代教育に必要な──たとえば数学や地理、歴史等の教育を行うにあたって必要な単語も、パラオにはありませんでした。
ですから、そうした単語を豊富に持つ日本語で教育を行うしかなかったのです。

そして、パラオの子供たちは、実によく勉強しました。
当時の日本領全域(日本本土を含む)で行われた全日本共通テストで、なんとパラオの学校は総合二位、算数では一位を取りました。
これは、日本がパラオで、優秀な教育を施していた証拠であるとともに、パラオの子供たちが、いかに教育を受けることを歓迎していたかが分かる逸話です。

ところで、学校、病院、道路などは、いったいどのようにして造ったのでしょうか。
そういう都市インフラとは無縁だった現地の人たちに、いきなり「街を作れ、道路を作れ、橋を架けろ」と言っても、できる相談ではありません。

私たち普通の日本人が、いきなり「東京タワーをつくれ」と言われても、できないのと同じです(建設業関係のお仕事の人は別ですよ)。
では、日本はどうやってパラオのインフラを整備したのでしょう。

日本は、日本の歳費を割いて、パラオに土木建築業者や教師、行政官吏を派遣したのです。
「やってみて、やらせてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」をそのまま行動に移したのです。
まず日本人が、やってみせてお手本を示します。
そして、現地の人にも、少しずつやってみてもらい、そのうえで成果が上がったら、ともに喜びをわかちあうのです。

日本はパラオにあらゆるインフラを整備しましたが、それはことごとく、日本の国費で賄いました。
そして戦後は、前々からの宣言のとおり、すべてのインフラをパラオの先住民たちに無償で譲り渡しています。

けれど日本人がパラオに残した一番のもの──。
それは、学校や病院などのインフラよりも、もっともっと貴重で尊いもの──
「ほんとうの勇気」
「ほんとうのやさしさ」だったのです。

中川隊長以下、勇敢に戦い、散っていかれた方々に、あらためて黙祷をささげたいと思います。

20151208 倭塾・動画配信サービス2


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コメント
No title
2016/06/20(月) 10:11 | URL | さんへ

有り難うございます。
勉強させていただきました。

私は団塊の世代ですから、義務教育に於いて「アジア・太平洋戦争」の呼び方は、習っていませんから言い方を知らなくても、仕方ないです。

その他の呼び方にも、「15年戦争」、「50年戦争」、「70年戦争」、「100年戦争」、日米戦争」、「日英戦争」、「日英米戦争」、「昭和戦争」、「太平洋戦争」、「大東亜戦争」、「第二次世界大戦」などがありますけれど 、中学、高校、大学等の進学テストの場合には、どれが正答になるのか判りませんが、受験生の方は大変ですね。
どれが正答なのか、私では教えられないのかも知れません。

ただし、国会での質問主意書では、大東亜戦争の定義と根拠について法的に定められていないとのことですが、その一方で閣議決定はされているとのことです。
「大東亜戦争」の使用は、終戦後にGHQが使用を禁止し、代わりに太平洋戦争の使用を命じたのです。
しかし、この使用禁止はサンフランシスコ条約講和条約で解除されたのではないでしょうか。
だから、答弁に於いて「大東亜戦争」については回答できても、「太平洋戦争」の定義は応えられなかったと考えます。

日本の歴史は、終戦後のGHQの各種の指令によって歪んだものになりました。貴殿が紹介したこの論文に於いても、GHQによるWGIPのプレスコードに基づく通達が並んでいますが、これの影響は誠に酷いものだと思います。
この「太平洋戦争」の呼称も、その一つだと思います。

「アジア・太平洋戦争」と言ってもアジアは広いので、アラビア半島までも含むのには、疑問です。せめて、東アジアにならないのですかね。
大東亜の東アジアに、インドを含むのと同じでしょうか。

私は、大東亜戦争の名称は、閣議によって決定されたもので、日本としてほぼ法律に決定された内容であり、日本の歴史認識として大東亜戦争という名称が妥当だと思います。
2016/06/21(火) 15:25 | URL | ポッポ #/5dmJF4E[ 編集]
No title
たしかにインフラを整え教育を施す事が植民地支配の免罪符になるとは限りませんね。英仏米などは植民地のインフラ整備に力を入れていました。イギリスはインドに大学を建て鉄道を引き、フランスはアルジェリアを本土と同じ行政単位を置いて多大な投資を行いました。アメリカにしても米西戦争直後はともかくその後はフィリピンのインフラを整え教育に力を注ぎ特に首都のマニラは東洋の真珠、東洋のパリと呼ばれるほどの発展をみせます。もちろん大半は現地民を思ってではなく統治のため本国の利益のためですが。
日本の植民地支配が悪辣だとは思いませんしむしろ諸外国の植民地と比べてもいい統治であったと思っています。しかしそれを理由に植民地支配を肯定し上から目線で外国が「感謝」していると思い込むのは西洋列強が植民地を広げる時に使った大義名分と同じです。
我々日本人がパラオの人々に持ってもらいたいのは日本に対しての信愛の念や親近感であって決して上から目線の「感謝」ではないと思います
2016/06/20(月) 18:53 | URL | #-[ 編集]
No title
日本は植民地にならなくてよかったというそばから、他の地域を植民地にしてよくしてあげたっていうのは、矛盾した話ですよね。その前には西欧列強は植民地に責任を持っていたっていいながら、日本はそれらを開放したみたいなことがあった。このブログは、植民地にされた地域の立場からの視点が絶対的に欠けています。現在の歴史に関わる研究には、ポストコロニアリズムの流れがあることを、国史研究家であるブログ主が知らないはずがないでしょうに。
2016/06/20(月) 10:17 | URL | #-[ 編集]
No title
アジア・太平洋戦争もしくは十五年戦争という呼称について、すこし勉強したほうがいいと思うよ。

http://www.nids.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j13-3_3.pdf



2016/06/20(月) 10:11 | URL | #-[ 編集]
No title
こんにちは。アメリカの根付かせたもの?良し悪しありなのでは?
例えばパラオは、軍事拠点としてアメリカには必要な土地と考えられていた
ので、アメさんのカネでやりくりしてきたと。(2009年までは特に)自
国で稼ぐために観光業はありますが、他の基幹産業がイマイチ。食料はアメ
さんから購入するので食生活は肉食と甘いものへと移行。おかげで肥満と糖
尿病患者が増えたとか。最近は漁業でチャイナの違法操業に物申す~・・と
かやってましたね。畑仕事は伝統的に女性の仕事で男性は漁業だ~っ・・と
いう常識は今でも覆らず・・・なのだとか・・だから農業研究所にはフィリ
ピン人しか集まらず一時閉鎖の憂き目だとか・・。さて何を良しとし何を悪
しとするのか?個人によって違うのではないかな?・・アメさんに感謝して
いるとすれば、アメに移住したい若者にとっては移住しやすい事かもねww
自由連合盟約(コンパクト)国だから。はたしてそれがパラオのためになる
かは??・・しか~し、アメのみならず台湾や日本やチャイナやEUからカネ
を都合する手腕は・・きっと以前はできなかった事だろうなあ・・。投資に
からむ怪しいブローカーがおり、投資に関わるトラブルが多いという話も、
アメさんに鍛えられたお陰?なのかもw
2016/06/20(月) 03:33 | URL | くすのきのこ #-[ 編集]
アメリカの保険会社「人工地震だから保険金払わん
アメリカの保険会社「人工地震だから保険金払わん
https://twitter.com/kikuchi_8/status/722910087031840769

国土交通省と保険会社の責任のなすりあいで大変です、被害者迷惑。
【天気・地震の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/tnk/tnk.cgi
【天気・地震の掲示板】最新版タイトル一覧はこちらをクリックして下さい。
2016/06/19(日) 21:25 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
いつもありがとうございます。
パラオで散華された中川隊長が島民を避難させる為にわざと激しく叱責したくだりや、中川隊長以下全ての帝国軍人が手を振ってパラオの島民見送った下りを読ませて頂いて、何故か胸に海ゆかばの歌詞が浮かんできました。早速、ねず先生の海ゆかばのお話を読み返しましたら合点がいきました。

海ゆかば水づく屍
山ゆかば草むす屍
大君の辺にこそ死なめ
返り見わせじ

豪族や氏族の奴隷として扱われていた民百姓を神聖なる権威者である天皇の大御宝として尊厳が与えられる律令政治(シラス)を命掛けで守る青雲の志を述べた歌と
ねず先生が述べておられました。

海ゆかばの歌詞の通り中川隊長以下全て軍人さんは、本土の日本人とパラオの島民を守る為に命がけで戦われたのだと分かりました。だから、この歌が胸に浮かんできたのですね。 散華された中川隊長以下、優しく勇敢な軍人の皆さま、ありがとうございます。
2016/06/19(日) 18:04 | URL | #-[ 編集]
No title
大東亜戦争に於けるパラオ・ペリリュー島での戦いは、誠に熾烈なものでした。

制空権を奪われ、補給のない中で、圧倒的な戦力の米軍に、良く立ち向かわれたと思います。

昨年、NHKがこの戦いを特集した際に参加した米兵がインタビューで、ころされた友軍の兵士が男性の局部を咥えさせられてていたことに腹が立ち、穴に隠れていた日本兵17名を撃ちころしたと言っていましたが、日本兵がそのようなことを信じられず、不思議な思いをしました。

また、米軍の攻撃が近いことを知った島民の方々が、日本軍に協力を申し出られたことなどは、それまでの日本の統治が、余程の好印象を与えていなければ有り得なかったし、日本の統治は島民から感謝される、素晴らしいものだったと思います。



2016/06/19(日) 12:16 | URL | #- さん

「アジア太平洋戦争」という言葉について、恥ずかしながらこれまで聞いたことがなかったのですが、何処の戦争のことでしょうか。

日本は、国際連盟からパラオの統治を委任されて、これを誠実に行いました。
そして、教育、文化、行政、法制度、都市インフラにいたる、あらゆる援助を提供しました。

また、これらの歴史的な縁からだと思いますが、コロール島とバベルタオブ島を結ぶ橋(この橋、1977年に韓国の建設会社によってコンクリート製の橋が建設されたのですが、1994年に崩落しました。)を、2002年にコロール・バベルダオブ橋として再建しました。

日本は統治したパラオに対して、そこの住民が豊かに暮らせるようにと整備したのです。パラオの方がこれに応じて努力されたことは、教育の成果として明確ですから喜ばれたと思いますし、直接統治に当たった日本人は、それだけで満足できたと思います。

もちろん、日本の統治を感謝していただけたならば、これにすぐる喜びはないと思います。
2016/06/19(日) 16:43 | URL | ポッポ #/5dmJF4E[ 編集]
日本国憲法改悪で2人の利益が一致
日本国憲法改悪で2人の利益が一致
https://twitter.com/kitahamamikiya/status/646914644133568513

【関連情報】
<a href="http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/cskjn.cgi" target="_BLANK">【Web検索システム カジノ】</a>
得意の詐欺師の手口を使い有権者を騙す常套手段。
 ローマ法王はキューバでも講話を行い、思想に奉仕するのではなく、貧しい
人に奉仕する様にと話された。 支那朝鮮の貧しい人から富を吸い上げる共産
主義とは異なる話。 貧しい人からお金を巻き上げるカジノに反対しよう。
 安倍晋三総理が政治生命を賭けて進めているカジノを解禁する法案、IR法
案に反対しよう。

安倍晋三総理と橋下徹の結びつきを多くの有権者に知らせよう。
置きビラで、知人、友人、同僚や家族に拡散しよう。

詳細は
【置きビラの掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsjb.cgi
【置きビラ・タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。
2016/06/19(日) 15:46 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
【もう気付け橋下の本性に!】
【もう気付け橋下の本性に
https://twitter.com/kitahamamikiya/status/744382998334693376

あほな日本人はまだ騙せると、日本民族を愚弄する支那朝鮮資質が、不都
合な事は全て隠蔽・捏造・偽装して、反日売国テレビ局・マスコミには報道し
ない自由を行使させているのです。
 反日売国テレビ局・マスコミには視聴者である日本民族が覚醒しているのを
気付いていないのです。 この記事を見ている貴方は、テレビ局。マスコミの
言う事を決して鵜呑みにしないで自分の目と耳で確めて自分の頭で考えましょ
う。
詳細は
【マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。
2016/06/19(日) 14:49 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
No title
南洋の植民地は、ドイツの敗戦によってころがりこんできただけ。植民地にインフラを設置してやった、文化を根付かせてやった、という観点はオリエンタリズム的視点から一歩も出ていない。日本もアジア太平洋戦争後にアメリカに統治してもらって、多くのいいものを根付かせてもらったのだから、大感謝して日本の心を取り戻すとか馬鹿なことをいわないほうがいいという話になるだろう?
2016/06/19(日) 12:16 | URL | #-[ 編集]
都知事を引退後、市ヶ谷の韓国人学校に要職で迎えられる密約だった!
都知事を引退後、市ヶ谷の韓国人学校に要職で迎えられる密約だった!
https://twitter.com/kusanagi2665/status/742196207959707648

反日売国支那朝鮮人の日本侵略が進行しています。 世界中で不逞外国人の
引き戻し運動が行なわれています。 外国人犯罪組織を国外に追放する運動で
す。 アメリカから追い出された犯罪組織が日本で拠点を作っているのです。
 この者達の出身国の支那朝鮮が受け入れを拒否して居るためです。
 安倍晋三総理が進めている20万人移民受け入れ政策や、民泊制度や国家戦
略特区法案の不法滞在者でも家政婦の仕事を出来るように改定し事など日本人
社会の破壊が進行しています。
 舛添前都知事は市ケ谷に支那朝鮮の居留地を作ろ活動をしていたのです
 前大阪府長の橋下徹は府有地を支那朝鮮に売却しました。
 民主党政権では南麻布の一等地を支那に売却しています。
 北海道から沖縄まで反日売国勢力
日本の土地、水源地の森林を買収しています。
 安保法案を作っても土地の買収を許しては支那朝鮮の侵略を阻止する事は出
来ません。 出入国管理法を厳しく適用して不法滞在者の強制送還や国外退去
を執行して日本の安全・安心で自由な社会を守りましょう。

詳細は
【マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。
2016/06/19(日) 10:55 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
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小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
静岡県出身。国史啓蒙家。倭塾塾長。日本の心をつたえる会代表。日本史検定講座講師&教務。
連絡先: nezu3344@gmail.com
著書
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』第1巻〜第3巻
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』
日々、先人たちへの感謝の心でブログを書き綴っています。それが自分にできる唯一のお国への、先人たちへの、そしていま自分が生かさせていただいていることへのご恩返しと思うからです。こうしてねずブロを続けることで、自分自身、日々勉強させていただいています。ありがたいことです。

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台灣民政府
台湾民政府
サンフランシスコ講和条約で、日本は台湾に関して処分権は連合国に提供しましたが、領土の割譲は行っていません。条約以降、連合国も日本も台湾の処分先を決めていません。つまり台湾はいまも日本であり、台湾にいる1500万人の戦前からいる台湾人は、日本国籍を有する日本人です。私は台湾民政府を支持します。
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いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

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