軍神杉本五郎中佐の手紙 - 大和心を語るねずさんのひとりごと

軍神杉本五郎中佐の手紙

2016年10月21日07:15  日本人の心 写真あり

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20161018 杉本五郎
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軍隊の階級は、自衛隊関係の方や軍事ファンの方でなければ、なかなかイメージしにくいようです。
簡単に言うと、軍は
 将官(元帥、大将、中将、少将)
 佐官(大佐、中佐、少佐)
 尉官(大尉、中尉、少尉)
 曹長
 軍曹
といった階級で構成されていました。
これをいまの企業にあてはめると、次のようになってわかりやすいかもしれません。

 大元帥 会長
 元帥  社長
 将官 (専務、常務、取締役)
 佐官 (部長、副部長、局長)
 尉官 (次長、課長、課長代理)
 曹長  係長
 軍曹  主任

さて、第二次上海事変のときに、戦いのさなかに、立ったまま絶命した中佐がいます。
それが「軍神・杉本五郎中佐」です。

杉本中佐は、広島の三篠(みささ)町で生まれ、天満小学校に通いました。
広島修道中学を経て、陸軍士官学校(33期)、陸軍戸山学校を卒業し、昭和12(1937)年8月、第二次上海事変の勃発のときに、長野部隊第二中隊長として広島の宇品港から上海に向かいました。

中佐の部隊は、長城山岳戦料子台の戦闘を始めとし、北支の各地で敵中深く肉弾突入を果たしてたいへんな軍功をあげました。
ついたアダ名が「死之中隊」です。
いかにすさまじい奮迅の戦いをしていたかがわかります。

山西省の要衝である蔚閣山高地の攻略戦では、杉本中佐は、岩壁をよじ登り、敵兵約600がいる陣地に肉弾突入しています。
そのとき敵が投げた手榴弾が、杉本中佐のすぐ脇で爆発し、隊長は、爆風で吹き飛ばされました。

ところが杉本中佐は、軍刀を杖にして立ち上がり、皆に号令をかけます。
そして東方の皇居の方角に正対し、挙手敬礼をされると、そのまま動きません。
周りの部下たちが、動かない中佐を見ると、なんと立って敬礼したままの姿勢で、絶命していたそうです。
享年38歳でした。

杉本中佐には4人の息子さんがいます。
亡くなる直前まで、その息子さんたちに、20通の手紙を送っています。
まさに遺書ともいえるその手紙に、戦友たちは、手紙を『大義』という名の本にして、出版するよう、家族に奨めました。
出版は、昭和13(1938)年5月です。
この本は、終戦までのわずかな期間の間に、29版を重ねました。
そして130万部を超える大ベストセラーになっています。

その本の緒言(はじめ)に「父・五郎」の名で、次の文章があります。
現代文に訳してみます。
冒頭のところだけです。
原文は末尾に全文を示します。

 ****

【緒言】
私の子、孫たちに、根本とすべき大道を直接指導する。
名利など、なにするものぞ。
地位が、なんだというのか。
断じて名聞名利のやからとなるな。

武士道は我が身を犠牲にする心(義)である。
義の、もっとも大事なものは、君臣の道である。
出処進退のすべては、
もっとも大きな大義(君臣の道)を根本とせよ。

大義を胸に抱かないなら、
我が子、我が孫と名乗ることを許さない。
たとえ貧乏のどん底暮らしとなったとしても、
ただひたすらに大義を根幹とする心こそ、
私の子孫の根底である。

(原文)
吾児孫の以て依るべき大道を直指す。
名利何するものぞ
地位何物ぞ
断じて名聞利慾の奴となる勿(なか)れ。

士道、義より大なるはなく
義は君臣を以て最大となす。
出処進退総べて大義を本とせよ。
大義を以て胸間に掛在せずんば、
児孫と称することを許さず。

一把茅底折脚鐺内に野菜根を煮て
喫して日を過すとも、
専一に大義を究明する底は、
吾と相見報恩底の児孫なり。
孝たらんとせば、大義に透徹せよ。

 *****

杉本五郎中佐は、勇猛果敢に部隊を指揮し、常に戦いの先頭に立ち、そして手榴弾を浴びて、これが我が命の最後と悟った時、皇居に向かって挙手敬礼による遥拝を行って、そのまま、立ったままの姿で絶命されました。
彼も軍人ですから、決して豊かな生活をしていたわけではありません。

それでも杉本五郎中佐は、我が子への遺言に、
「断じて名聞名利のやからとなるな」
と書きました。
杉本中佐は、自らその死の瞬間に、壮絶な姿で、その高い精神性を発揮してみせました。

なぜ、杉本中佐は、それだけの精神性を保ち得たのでしょうか。
その答えが、中佐の遺した『大義』という本の第二章に、記されています。
現代語訳してみます。

=======
第二章 道

天皇の大御心に然うように、
「自分」を捨て去って行動することが、
日本人の道徳である。

天皇の御意志・大御心とはいかなるものか。
その答えは御歴代皇祖皇宗の御詔勅にある。
その詔勅のすべてが、大御心の発露である。

わけても明治天皇の教育勅語は、
最も明白に示された大御心の代表的なるものである。
天皇の御意志は教育勅語に直接明確に示されているのである。

おまえたちは教育勅語の御精神に合うように
「自分」を捨てて行動せよ。
それが、日本人の道徳である。

教育勅語の根本にある精神は、
個人の道徳観の完成ではない。
天壌無窮の皇運扶翼にある。

天皇の御守護のために、
老若男女、貴賤貧富にかかわらず、
ひとしく馳せ参じ、死ぬことさえもいとわない。
これが日本人の道徳の完成した姿である。
つまり天皇の御為めに死ぬことである。

天皇の御前には、
「自分」とか「自己」とか「私」とかは無いことを自覚せよ。
「無い」ということは、
億兆とその心は一体であるということである。

我々は、天皇と同心一体であることによることで、
日々のすべての生活行為が、
ことごとく皇作、皇業となるのである。
これが、日本人の道徳生活である。

ゆえに日本人の道徳生活必須先決の条件は、
「自分というものを捨て去ること」にある。
すなわち「無」なりの自覚に到達することである。

(原文)
天皇の大御心に合ふ如く、
「私」を去りて行為する、
是れ日本人の道徳なり。
天皇の御意志・大御心とは如何なるものなりや。
御歴代皇祖皇宗の御詔勅、
皆これ大御心の発露に外ならず。
別けて明治天皇の教育勅語は、
最も明白に示されたる大御心の
代表的なるものと拝察し奉る。
換言すれば天皇の御意志は
教育勅語に直截簡明に示されある故に、
教育勅語の御精神に合う如く
「私」を去りて行為すること、
即ち日本人の道徳なり。
而してこの御勅語の大精神は
「天壌無窮ノ皇運扶翼」にして、
個人道徳の完成に非ず。
天皇の御守護には、
老若男女を問はず、
貴賤貧富に拘らず、
斉しく馳せ参じ、
以て死を鴻毛の軽きに比すること、
是れ即ち日本人道徳完成の道なり。
天皇の御為めに死すること、
是れ即ち道徳完成なり。
此の理を換言すれば、
天皇の御前には
自己は「無」なりとの自覚なり。
「無」なるが故に億兆は一体なり。
天皇と同心一体なるが故に、
吾々の日々の生活行為は
悉く皇作皇業となる。
是れ日本人の道徳生活なり。
而して日本人の道徳生活必須先決の条件は、
「無」なりの自覚に到達することなり。
===========

ひとつ間違えてはいけないのは、ここでいう我が国の天皇というのは、戦後の解釈としての象徴人でも、西欧的解釈による現人神でも、あるいは昭和天皇、今上陛下個人を指しているのはないということです。
私がないということは、天皇を個人としてみるのではなく、どこまでも天皇という存在そのもののありがたさを、第一に感じ取ることが大事であるということです。

戦後蔓延した「俺が俺が」という生き方は、本質的に日本人の体質とは異なるものです。
なぜなら日本人は、私心を捨て、無になることによって、億兆心を一にするということをしてきた民族だからです。

私有民というのは、権力者の私有物であり、奴隷のことです。
日本人がそんな私有物や奴隷にならずに済んだのは、権力者よりも上位に天皇という権威の存在を誰もが認め、その天皇が、民衆を天皇のたからと規定してきたことによります。

つまり日本人は、はるか上古の昔から、私有民ではなく、ひとりひとりに立派な人としての尊厳が与えられてきたのです。
ですからわざわざ「俺が俺が」と自己主張する必要さえなかったのです。

このことを詰めて言うと、
======
天皇の御前に、「自分」とか「自己」とか「私」とかは「無い」
======
となります。
そして「何も無い」ことを自覚することによって、億兆とその心は一体になります。
理由は「ゼロ」だからです。
「ゼロ」は何万個足しても「ゼロ」です。

つまり、日本人の日本人的生き方の先決条件は、
「自分を捨て去ること」、
すなわち「無」なりの自覚に到達することだと杉本中佐は説いています。

杉本五郎中佐は、軍神となられ、その御霊は靖国に祀られています。
墓所は、広島県三原市高坂町にある佛通寺にご安置されています。

私たちは、戦後の「個人主義」に、とてもたくさん汚染されすぎました。
これからの日本人が、もとよりの日本人としての精神性を取り戻すことにあり、そのためには、日本という国の古くからの国のカタチを、日本人自身が再認識していくことにあると思います。

少し私事を述べます。
先日、私の悪口を書いているサイトを見て驚いて、私にご連絡をしてきた方がおいでになります。
その方は、中傷があるなら抗弁、弁解、反論もネットのどこかにあるのではないかと、探し回ってくださったのだそうです。
それがまったくなくて、ただ一方的に中傷されているだけです。
それで心配されて、ご連絡してこられたわけです。

ご心配いただいたことは、とてもありがたいことです。
しかしこの活動をはじめてから、私への中傷はずっと毎日、執拗に続いていることです。
いまにはじまったことではありません。

「私」が大事なら、その中傷は耐え難い苦痛になろうかと思います。
けれど、そのように感じるのは「私」を可愛いと思う心があるからです。
この活動を初めて以来、自分を捨てることを課し続けてきました。
自分が無ければ、何を言われようが関係ありません。
どのように中傷されようが、馬鹿にされようが、ネタにされようが、無心に天皇の知らす国を取り戻すために、億分の1、兆分の1でも、この生命を使うだけです。
それだけのことです。
志をたて、信念に生きるということは、そういうことであろうと思います。

杉本中佐は、ある意味、幸せな男であったと思います。
私心を捨て、信念に生き、そのまま息絶えたからです。
そして彼は、神となりました。
素晴らしいことだと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。

※この記事は2013年10月の記事のリニューアルです。

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