議会制民主主義は最良のシステムなのか - ねずさんのひとりごと

議会制民主主義は最良のシステムなのか

2016年10月26日07:48  日本人の心 写真あり

20161022 国会議事堂
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日本人に限らず、世界の多くの人々が、議会制民主主義こそが、人類の生んだ民衆の自由のための最良の政治体制だと思いこんでいます。
けれど本当にそうなのでしょうか。
議会は多数民意を反映し、多くの民衆のための政治の場となっているのでしょうか。
実際には、ごく一部の利権者のためだけの政治に陥ってはいないでしょうか。
最良の政治体制と、思い込まされているだけで、実は錯覚ということはないのでしょうか。

簡単な計算です。
選挙区では、複数の人が立候補します。
投票結果が4:3:2:1の得票配分となり、最も多くの4の票を得た人が議員になったとします。
すると敗れた側の6割の人々の政治的意向は受け入れられないということになります。

さらに、こうして選ばれた人たちが議員となって与野党に分かれて対決します。
接戦となり、およそ半々の票で議決されたとします。
するとここでまた、約5割の議員の意向が無視されます。

このケースでは選挙で4割の選挙民の意向しか実は反映していず、議会でも5割の意見での議決となっています。
つまり民意の4割×議員の5割で、全体の2割の民意で議決されたことになります。

しかも、もともとの選挙における投票率が有権者の5割であったとするならば、実際にはさらにその半分、つまり国の有権者のわずか1割の意向しか国の政治に反映していないのです。
そしてその1割の代表が、議員内閣を組織し、国の運営を行います。
これは「1割の人の利益の代表者による、1割の人のための政治」となります。
残りの9割の民衆の利益は、無視されます。


20160810 目からウロコの日本の歴史


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上に述べた数字は、あくまで仮定です。
しかし近年の、たとえば市長選などにおいては、投票率が20%という市町村もあります。
人口3万人くらいの市は、日本全国にたくさんありますが、その場合の有権者数は約2万人です。
投票率が20%なら、投票者数は4000です。
上にあるように、票が4:3:2:1と候補者ごとに割れるとなると、4000の4割、わずか1600票で市長が決まります。議員なら、もっと少ない票で良いのかもしれません。

この程度の数ですと、国内に100万、200万の人口のいる帰化人や、イデオロギー的集団、あるいはカルト教団のようなところが、ほんのわずか住民票の移動などによって投票操作を行えば、市長も議員もいくらでも操作できてしまうことになります。
これでは果たしてその市町村のもとから住む圧倒的多数の住民にとって、ほんとうに良い政治が行われるかは、はなはだ疑問といえます。

国政もまた同じです。
日本の有権者の1割の意向しか反映しないのであれば、わずか700万人のためだけに、1億2千万人の生活が奪われることになってしまうのです。
動員された帰化人票で、200〜300万票が特定議員に流れるというのは、実はおそろしいことです。

要するに、選挙による民主主義と言いますけれど、その選挙や、選挙で選ばれた議員による議会制度というものは、実は、社会のごく一部の特定利権者のためだけの政治に流れやすいという危険をはらんでいるのです。

もともと議会制民主主義というシステムは、19世紀のビクトリア王朝時代の英国の制度に端を発します。
外来王朝である英国で、民衆が王権による圧政を逃れて、民主制による議会の発足を求めたのです。
けれどこれについてルソーは『社会契約論』のなかで、
「人民は自由だと思っているが、それは大きな間違いである。
 彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことであり、
 議員が選ばれるや否や、人民は奴隷となる」
と述べています。
仮に全員参加型の選挙であってさえ、一度選ばれた議員等による横暴が起こることを否定できないと警鐘を発しているわけです。
それがさらに、民意の1割の意向によって決まるとなれば、これはおそろしいことです。

議会制民主主義を、私たち日本は、大日本帝国憲法制定時に西洋から導入しました。
このとき、大きな働きをしたのが、自由民権運動です。
その自由民権運動家たちの主張を大幅に採り入れることで、大日本帝国憲法は民衆から選ばれる衆議院の存在を認める憲法となりました。

衆議院には、内閣が策定した予算を拒否する権限が与えられました。
内閣は、このために毎年の予算策定に際して、選挙で選ばれた議員で構成される衆議院に常に譲歩をせざるを得ず、ついには内閣は、衆議院の与党が構成するようになりました。
これが政党内閣の発足です。

ところが、その内閣の地位を得るために、議会は政友会系と、民政党系に真っ二つに割れました。
両者は常にいがみ合い、互いを否定し、このため社会の隅々までその対立の輪の中に組み込まれ、駅の駅名表示の看板は、鉄道大臣が政友会系のときは右書き、民政党に政権交代すると全部左書きに書き換えられるようになり、全国の町の交番は、不合理なことに同じ町内に民政党系交番と政友会系交番の二つができるという状態となりました。

そして両者は、互いに激しく対立しながらも、互いに決して責任はとらない。
むしろ、対立政党から揚げ足を取られないように、体裁だけを取り繕うようになり、結果として国民の困窮は見て見ぬふりとなってしまい、その一方で、無責任体質が結果として日本を戦争へと駆り立ててしまいました。

国民が望んでいるのは、いつの世においても、誰もが豊かに安心して安全に暮らすことができる社会です。
みんながよく話し合い、ほんとうにみんなのためになる政治をこそ、国民は望んでいるのだと思います。

けれど、そもそもが国民のごく一部の利権者の意向だけに従うのなら、それが国民全体にとって良い政治と成りうるかは疑問です。
もちろん議員個人の中には、本気で国民のことを考え行動してくださる、まさに国民の代表にふさわしい議員がいることは事実です。
しかしそれが、選挙と議会というシステムのもとで、正しく行使されるかは、また別な問題です。

日本は、上古の昔から、天皇のシラス国という国家統治の基本形を築いてきました。
これは、神話の時代の高天原の統治システムとして確立したものであるとされています。
そのシラス統治では、天皇は国家の最高権威です。
そして国民を代表して神々とつながり、また神々のご意向を受けて、国民全部を「たから」としました。
この「たから」というのは、「宝」だけでなく、「田族」とも書きます。
田んぼを営んで働く人々です。

民衆は、神と通じ神々からの直系の子孫である天皇が、これを「たから」とします。
これを「おほみたから」といいました。
そして、その「おほみたから」のみんなが、豊かに安心して安全に暮らせるように面倒をみるのが、臣の役割とされました。

ですから我が国においても、貨幣経済は和同開珎のできた8世紀はじめには、すでにできあがっていましたし、江戸時代には、小判や銀や銅による貨幣経済がすでに確立していましたけれど、公務員(武士)の給料はすべて米でした。

時代は前後しますが、たとえば有名な平安時代の陰陽師の安倍晴明は、いまの相場で言ったら、年収4億円ほどの支給を受けていました。
これを「すごい」と思われる方もおいでになるかもしれません。
けれど、その4億円は、貨幣ではなく、お米で支給されていました。
4億円分のお米など、とてもひとりでは食べきれません。
ではこれが何を意味しているのかというと、安倍晴明は、その4億円分のお米で、知行地の人々の生活に責任を持て、ということだったのです。

米作りは、凶作もあります。
台風や地震、あるいは大火による火災被害もあります。
知行地の民の暮らしに何かあれば、その責任はひとえに知行する者、この場合でいえば安倍晴明の責任となりました。
何が起こるかわからないのは世の常です。
ですから何が起きても困らないように、日頃から、米や野菜を貯え、みんながどんなときにあっても、豊かに安全に安心して暮らせるように日頃から備えていくことが、その4億円分のお米の意味するところであったのです。

後の世の将軍も、あるいはその臣下の大名、あるいは旗本なども同じです。
将軍は天皇の臣下ですから、天皇の「おほみたから」を預かる立場です。
将軍の下にいる大名も、旗本も、「おほみたから」を預かる立場です。
民衆は、上に断つ領主の私有物や私有民や隷民ではなく、どこまでも天皇からの預かりものと規定されました。

要するに「ご拝領の領地領民」なのです。
そのご拝領の領地領民の誰もが豊かに安全に安心して常に暮らすことができるようにしていくことが、人の上に立つ者の使命とされたのです。

つまりこのことは、領民の一部の利権などではなく、常により大勢の利益を優先するという社会システムが確立されていたことを示します。
そしてもし、その統治に不都合があれば、たとえ大名といえども、領地は没収となり、お家断絶、殿様は切腹となりました。
人の上に立って、誰もが豊かに暮らせるようにするということは、一定の権力を持つことになりますが、同時にそのことについて、まさに責任を常に負担する、つまり権力と責任が常に両立した社会システムが確立されていたわけです。

もちろん、長い歴史と、全国大小さまざまな知行地の中には、権力をかさに着る者や、領民の幸せを考えない不埒な者が、ときたま生じたことも事実です。
けれどその場合は、「主君押込」といって、大名であっても家老たちから監禁処分を受けるという、厳しい内部制裁も行われていたのです。

誰もが豊かに安心して安全に暮らせる社会というものは、まさに人類の理想社会といえようかと思います。
そしてそのためには、一部の利権者の都合ではなく、より多くの人々の幸せを願い、それを可能にするための政治システムがなにより大事なのだと思います。

かつての日本には、そのための努力がありました。
頭ごなしに、西洋生まれの議会制民主主義が最良の社会システムとばかり考えるのではなく、もういちど私たち日本人は、日本人としての原点に戻って、必要な社会システムを見直してみるべきときにきたのではないでしょうか。

お読みいただき、ありがとうございました。

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