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日本は「たみ」が「おほみたから」とされる天皇のシラス(知らす、Shirasu)国です。


右大将道綱母

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20170121 トンボ3
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右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは)というのは、平安中期に正二位大納言にまで昇った藤原道綱の生母のことです。
この女性の歌が、百人一首53番にある次の歌です。

 嘆きつつ
 ひとり寝る夜の
 明くる間は
 いかに久しき
 ものとかは知る

藤原道綱母は、衣通姫(そとおりひめ)、小野小町(おののこまち)と並ぶ、本邦三大美女のひとりです。
ちなみに世界三大美女といえば
 クレオパトラ
 トロイヤ戦争のギリシャのヘレネ
 楊貴妃
と言われていますが、この3人、3人ともに、あまりに美人であったために、国を傾け、城を滅ぼしてしまっています。
だから美女のことを、傾国(けいこく)とか、傾城(けいせい)と呼びます。
美しすぎるがゆえに、男の心を溶かし、国を傾けてしまうというわけです。

これに対し、本邦三大美女は、いずれも外見も美しかったでしょうけれど、それ以上に心根の美しさが高く評価された美女です。
衣通姫は、古事記に描かれた女性で、一大恋愛叙事詩の主人公となっている女性です。
5世紀のはじめ、第19代允恭天皇の時代、木梨軽皇子(きなしかるのみこ)と恋におち、二人は激しく歌の応酬をするのですが、最後は遠隔地に飛ばされた木梨軽皇子のもとに行き、二人で心中しています。
この悲恋の物語は、「ひなぶり」といって、宮中の楽舞にもなりました。


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小野小町は、これは有名です。9世紀の女性です。
今日のお題の藤原道綱母は、10世紀の女性です。
『蜻蛉日記(かげらふにっき)』の著者としても有名です。

生まれは承平六年(936年)、没が長徳元年(995年)、享年は59歳であったと伝えられています。
父は正四位下・伊勢守の藤原倫寧(ともやす)です。
この父は、いまでいうなら、地方の税務署長を転任し続けた人で、もちろん一般世間の目でみれば、大成した人になるのですが、中央の朝廷内においては、地方回りの出世競争からは落第した、いわば下級官吏のように見られていた人でした。
ところがその娘は、たいへんな美人であったことから、政界の実力者である藤原師輔(もろすけ)の息子の藤原兼家(かねいえ)の目にとまり、その夫人になるわけです。

夫である藤原兼家は、他にも妻がいて、子供もいました。
その子が後年、藤原氏の全盛時代を謳歌した藤原道長です。
道長といえば、
 この世をば わが世とぞ思ふ 望月の
 かけたることも なしと思へば
の歌で有名ですが、この道長が文学を愛したおかげで、紫式部や和泉式部などの女流文学が花咲く時代を迎えたりしています。

さて、このような情況の中で、兼家は道綱母を見初めるわけです。
すでに兼家は結婚して、子供もいるとはいえ、当時は一夫多妻制ですし、子供はよく死んだのです。
ですから家柄を維持するためには、なんとしても、男の子がほしいし、それも万一の場合の保険といったら語弊があるかもしれませんが、ある程度数をつくっておかなければならないという事情もありました。
ですから、正妻がいても、他の女性と関係を持ちます。

そして、通い婚社会ですから、男性が、女性の家に通いました。
女性の家というのは、当然のことですが、その女性の両親が一緒に住んでいます。
親は、もちろん、誰が通ってきているのか承知しています。
道綱母の実家の両親からしてみれば、娘が兼家の子を得るということは、一門の大出世と、娘の幸せの両方をいっぺんに手に入れることになります。
ですから、当然、娘には、「早く子を!」と願ったことと思います。

ところが、子が、できないのです。
兼家は、相当、この道綱母を気に入っていたらしく、三日に空けず通っていたのですが、それでも子が生まれない。
子がなければ、いつ捨てられても仕方がないというのが、側室の辛いところです。
ですから、道綱母の立場は、その時点では、相当微妙なものがあったわけです。

そんなときに詠まれた歌が、今日のお題の
 嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は
 いかに久しきものとかは知る
です。
ざっと意味を現代語訳しますと、
「悲しみを抱いてひとりで寝る夜の夜明けまでの間の時間がどんなに長いものか、あなたはご存知かしら」といった意味になります。

当時の道綱母の不安を象徴している絵があります。
それが下の絵です。

20170121 石山寺縁起絵巻


この絵にまつわる物語が、道綱母の書いた『蜻蛉日記』の「石山詣」にあります。
いつものねず式で、おもいきった現代語訳をしてみます。

「でね、その日はとっても暑い日だったのだけど、
 石山寺に十日くらい行っちゃえって思い立ってさ、
 こっそり行っちゃえって思ったから、
 兄弟にも知らせずに明け方に走って出発したんだ。

 賀茂川のほとりまできたときには、追いかけてくる人もなくて、
 有明の月がとっても明るかったけれど、道行く人もなくてね、
 河原には死人が伏せてるよなんて、前におどかされていたけど
 恐ろしいって感じることもなかった。

 栗田山あたりまできたとき、
 ずっと小走りだったからちょっと苦しくなって、
 少し休んだら涙がこぼれてきたわ。
 変な女よね。
 道行く人は、どう思ったか知らないけど、
 みんな、ただ黙って通り過ぎて行った。

 山科あたりまで来たとき、空が明るくなった。
 道行く人って、どうしてあんなに足が速いのだろう。
 みんな私のことを追い越して行く。

 午後の遅い時間になって、ようやく石山寺に着いた。
 お寺の休憩所で、横になれる設備があったので、
 行ってすこし横になったのだけど、そこでもずっと泣いていた。

 夜になって、軽食をとったあと、御堂に上った。
 悩みごとを仏さまに申しあげようとしたのだけれど、
 涙があふれて言葉にならなかった。

 本堂で泣き明かして、明け方になって下がって、すこしまどろんだ。
 そのとき、この寺のお坊さんと思しき人が、
 銚子に水を入れて持て来てね、私の右膝にかけたの。
 おどろいて、目を覚ました。
 仏は、何をおっしゃりたかったのだろうと考えていたら、
 また悲しくなった。」

ここにある「お坊さんが右膝に水をかけた」というシーンが、上にある絵になっているわけです。
上の文に、石山寺に行くのに、早朝、夜明け前に家を出て、午後の遅い時間になって、やっと寺に着いたという描写があります。
京都にある道綱母の家から石山寺までは、およそ23キロの道程です。
当時の貴族の女性ですから、わずかな供回りの人を連れて、牛車か輿に乗って石山寺に向かったのかもしれないし、あるいは徒歩であったのかもわかりません。
いずれにせよ、23キロといえば、女性の足で休憩を入れて8〜9時間の道程です。

では、どうして道綱母は、そんなにまでして、石山寺詣をしたのでしょうか。
しかも文からすると、なにやら悲壮感さえも漂っています。

実は、その石山寺、聖武天皇の勅願による天平19年のご創建で、後年、紫式部が源氏物語の執筆のために篭ったことでも有名なのですが、その御本尊は如意輪観世音菩薩です。
この菩薩は、懐妊と安産の仏様です。
つまり道綱母は、このとき、どうしても懐妊したくて、意を決して石山詣をしているわけです。

では、今日のお題の歌、
 嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は
 いかに久しきものとかは知る
は、どのようなシチューションで詠まれた歌なのでしょうか。
実は、そのことも、『蜻蛉日記』に書かれています。
これまた、ねず式で現代語訳してみます。

「九月になって夫の藤原兼家が出て行ったときにね、
 文箱があったので、ほんのてなぐさみに、その箱を開けてみた。
 そしたら中に、他の女性に贈る手紙があった。
 あさましいこととは思ったわよ。
 でも、その手紙を見てしまったの。
 だってこんなところに他の女性に渡す文があるということは、
 もう私のもとに通わないってことかもしれないって思ったの。
 
 そういえばね、十月の中頃にも、
 三夜続けてお帰りにならない日があったわ。
 そのときは彼はつれなく、
 「ちょっとしばらく(外泊を)試してみただけだよ」
 なんて言ってた。

 こないだのときは、夕方近くに
 「内裏(だいり)に用事があるから」って出ていったわ。
 あれって思ったから、家人に命じて後をつけてもらったの。
 そしたら内裏じゃなくて、町の小路に車をお停めたって。
 「やっぱり」って思った。
 とっても悲しかった。
 だからといって、なんて夫に話したら良いかも分からない。

 二、三日たったとき、明け方に門をたたく音がした。
 夫が帰ってきたと分かったわ。
 でも、気が進まなくて門を開けさせないでいた。
 そしたら例の家とおぼしきところに帰って行ったわ。

 翌朝に、このままではいけないと思って、
   なげきつつひとり寝る夜のあくるまは
  いかに久しきものとかは知る
  って、いつもよりもすこしあらたまって書いて、
 夫の寝ている枕元に飾ってあったすこし色褪せた菊に、
 この歌を挿しておいた。
 夫から返事がきたわ。

  げにやげに
  冬の夜ならぬ槙の戸も
  遅く開くはわびしかりけり

 (そのとおりだよ。
  冬の夜が明けるのを待つのはつらいものだが、
  冬の夜でもない槙の戸がなかなか開かないのも
  またつらいものだよ)
 と書かれてありました。

 それにしても、ここまで怪しいことをしておいて、
 しかも度々他の女のもとに通っているのに、
 ちょっとは内裏に本当に行ったりして
 取り繕ったりもすればまだ可愛げがあるのに、
 そんなことすらもしようとしないなんて、
 ますます不愉快な思いが、限りなく続いてしまう。」

つまりこの歌は状況から、どうやら嫉妬を詠んだ歌のようにみえます。
普通、嫉妬に身を焦(こ)がした女性の様子を「美しい」とは言いません。

ところがこの歌を詠んだときの道綱母は、十八歳頃です。
まだ子はいません。
翌年には一人息子の道綱が誕生しているのですが、先ほども申しましたように、当時は通い婚社会です。
そして身分ある人は、血を絶やさないために、複数の子をつくらなければなりません。
夫の藤原兼家にしてみれば、いくら道綱母のことを愛していたとしても、子づくりのためには、他の女性のもとに通わなければならないのです。

一方、道綱母にしてみれば、親からも「早く子を」とせっつかれています。
ですから本人にも焦りがあります。
兼家のことが大好きという気持ちもあります。
だから兼家の行動は、頭では理解できるのです。
でも、つらい。

実は、そんな気持ちの日常を綴った文学が、彼女が書いた『蜻蛉日記』です。
「かげらふにつき」と読みますが、かげろうというと、なんとなくイメージは「ウスバカゲロウ」の消えてしまいそうな、か細いイメージかと思います。
けれど、そっちのカゲロウは、漢字で書いたら「蜉蝣」です。
彼女の日記は、「蜻蛉」です。
これは「かけらふ」とも読みますが、もともと、トンボのことです。
つまり、『蜻蛉日記』は、実は「トンボ日記」なのです。

そのトンボですが、トンボは飛行中に空中に前進だけでなく停止することができます。
けれど、後ろには下がれない。
そこからトンボは古来、勝ち虫と呼ばれ、何があっても前に進む、決して後ろに下がらないことの象徴として、特に武人に愛された生き物です。
戦国武将の前田利家の兜(かぶと)は、だから黄金のトンボです。

つまり道綱母は、
「どんなに辛かったり悲しかったり悔しかったりして、
 泣いてばかりの日々であったとしても、
 私は絶対に後ろに引き下がらない」
という固い決意を持っていたから、日記のタイトルを「ドンボ日記」としているのです。

そういう意味からすると、石山詣にしても、どうしても懐妊したい。子がほしいという願いであったとわかります。
けれど、それでも、不安がある。

上にある石山寺縁起絵巻の絵柄で、お坊さんが道綱母の右足に水をかけていました。
実は、その右足の膝の痛みというのは、昔から、「逃げたい、見たくない、コワイ、不安などの霊障によるものとされてきたのです。
そこに石山寺のお坊さんが水をかけたというのですが、寝ている布団の上から水をかけたら、布団が濡れてしまいます。
つまり、これは彼女の夢なのです。
そして夢の中で、観世音菩薩が、お坊さんの姿になって出てこられて、右膝の痛み、つまり彼女の不安や逃げ出したいと思う気持ちを洗い流してくれたのです。

彼女は、このあとすぐに妊娠しています。
つまり石山寺は、見事な霊験があったわけで、これはお寺の宣伝になりますから、その様子が絵巻にまでなっているわけです。

人であれば、誰もが不安な気持ちや、悲しい気持ちを味わうものです。
毎日はそんな繰り返しかもしれません。
けれど、それでも強くあろう、前向きであろうとし続けた。
その毎日を彼女は日記として綴り、これが『蜻蛉(トンボの)日記』として世に出たのです。

『蜻蛉日記』は、源氏物語や枕草子よりも少し前の女流文学になります。
女流日記文学としては、これが日本最古(つまり世界最古)の文学です。
そしてその日記は、世の多くの女性たちに勇気を与え、私も書いてみたいと思う女性たちによって、平安女流文学の花咲く時代が到来しています。

彼女は、生まれた子をたいへんに可愛がったのでしょう。
成人したときの彼は、すこしおっとりとした性格の子に育ったようです。
そんな我が子に、父の兼家は宮中において、意図して出世を遅らせました。

これは、ある意味、やむをえない措置です。
異母兄弟の長男の道長は、嫡子ですから、当然、みるみるうちに出世させて高い地位に就けます。
しかし、異母兄弟の次男まで同じように出世させたら、宮中を私物化していると、余計な詮索をされることになります。
ですから、道綱は、下級役人、しかも今風に言ったら、軍隊に入れています。

軍というところは、男たちの殿堂です。
気の荒い男もいます。
ですから道綱は、兵たちに侮られないようにと弓を猛特訓しました。
そしてついには、当第一の弓の名手とまで呼ばれるようになるのです。
そして人柄の優れた道綱のもとには、道綱のためなら死んでも良いとまで言ってくれる部下たちが集いました。
だから寛和の変(986年)が起きた時、彼はいちはやく兵をまとめて、父の危機を救っています。

そうなると、兼家からすれば、道綱は、「俺の命を救ってくれた男だ」ということになります。
彼を出世させ、重用しても、どこからも苦情は来なくなる。
こうして道綱は、いっきに従三位に昇進、頭角を現し、大納言に至り、兄の道長を助けて、藤原氏の栄光の時代を築いていきます。

 嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は
 いかに久しきものとかは知る

この歌は、ただやみくもに、寂しいと泣いている女性の姿の歌ではありません。
強い信念をもって、女の戦いを立派に果たして行った、一人の美しい乙女の、心のつよさを詠んだ歌なのです。


お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
ねずさま、素晴らしい話、感謝します。

「右大将道綱の母」、女性にとって最高の称賛を、込めた呼び方ですね。
2017/01/23(月) 19:17 | URL | ジャイアントロボ #-[ 編集]
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小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
静岡県出身。国史啓蒙家。倭塾塾長。日本の心をつたえる会代表。日本史検定講座講師&教務。
連絡先: nezu3344@gmail.com
著書
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』第1巻〜第3巻
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』
日々、先人たちへの感謝の心でブログを書き綴っています。それが自分にできる唯一のお国への、先人たちへの、そしていま自分が生かさせていただいていることへのご恩返しと思うからです。こうしてねずブロを続けることで、自分自身、日々勉強させていただいています。ありがたいことです。

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