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敷嶌のやまと心の道とへば朝日にてらす山桜花(本居宣長)。日本は天皇を国家最高権威とし、民を「おほみたから」とする「シラス国」です。


山鹿素行と日本的価値観

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山鹿素行
20170131 山鹿素行

山鹿素行(やまが そこう)の父の、山鹿高道は、伊勢亀山の関一政(せき かずまさ)に二百石で仕える人でした。
関一政は、秀吉から5万石の城主を与えられています。

実は関一政は、慶長年間に同僚と諍いを起こし、相手を斬り殺して、その責任をとって亀山藩を出て奥州会津で、蒲生忠郷(60万石)の食客となっていたという経歴を持ちます。
そこでも大成して、町田左近と改名し、三万石を得る大名となりました。

山鹿高道は、この頃に関一政の家来となって、250石の俸禄をいただくようになります。
そして元和8(1622)年に、素行が生まれました。

ところがそれからいくばくもなくして、上司の町田左近は藩内でトラブルを起こして、ふたたび藩から放逐されてしまうのです。
町田左近は、江戸に出て幕府に5千石で雇われ、百人隊長となり、このとき山鹿高道に、騎士となるように薦めるのですが、高道はこれを拒否し、長男で山鹿素行とは異母兄弟となる山鹿惣左衛門に、代わりにその役目を継がせ、自分は髪を切って、玄庵と称して江戸で医者を開業しています。
これが山鹿素行、三才の頃です。

山鹿素行は、6歳で寺子屋に入るのですが、たいへん優秀な子供で、なんと9歳で林羅山の門下生となります。
これはいまでいうなら、小学4年生で全国有名進学高校に入学してしまったようなものです。
林羅山の門下生となって以後も、その優秀さは群を抜いていて、わずか11歳で小学、論語、貞観政要などの講義を任せられるようになり、さらに12歳のときには、林羅山から、二百年の伝統ある見台を使って講義を行うようにとの栄誉をいただいています。

さらに18歳になると、山鹿素行は北条氏長に就いて兵法の書である六韜 (りくとう)、三略 (さんりゃく) を学び、そこでも、稀有の才を発揮しました。
こうした山鹿素行の天才性は江戸においてもたいへんな評判となり、山鹿素行が22歳の頃には、彼の講義を聞こうとする学生が、門前に列をなすようになったと伝えられています。

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この頃の山鹿素行の学問は、宋学であり、程朱学でした。
宋学は、宋代に生まれた儒教思想です。
もともと儒教を学ぶということは、単に字句の解釈を学ぶだけで、これは思想と呼ぶものではなかったのです。

たとえば「温故知新」は、論語の為政篇にある言葉ですが、
これは単に
「古いものをたずね求めて新しいことを知る」
というだけ意味です。

ところが宋学になると、これが思想となって、
「新しいことを知るためには古い事柄を調べなければならない」に変わります。

さらに程朱になると、これは程顥(ていこう)、程頤(ていい)と朱熹(しゆき)によって宋代に体系化されたものですが、
「故事にならって行動することを義という」
といったように、行動規範に発展します。

山鹿素行は、9歳から40歳まで、これら宋学、程朱に没頭したわけで、その世界における当時の第一人者であったし、山鹿素行の門人たちは、彼の持つその儒学の知識や行動規範を学ぶため集っていたわけです。
ところが40歳になった頃、山鹿素行は、それまで約30年を費やしてきた自らの学問に疑問を持ってしまうのです。
「間違っている」
と知ってしまうのです。

素行の手元には、それまでに学び、また溜め込んだ儒教関連の本が、それこそ山のようにありました。
素行は、それらの書籍を、すべて焼き捨てました。
そして45歳のとき、あらためて『聖教要録三巻』を著します。
この書の中で、山鹿素行は、程朱を非難し排斥し、その学問、語句のいちいちについて、徹底して批判を行いました。

天才的な頭脳を持ち、まる30年をかけて程朱、宋学を学んできた山鹿素行であったからこそ、その儒教の持つ欺瞞性にあますところなく気付いたのです。
どういうことかというと、ものすごくひらたくいえば、儒教も程朱も宋学も、
「所詮は能書きばかりであって、実学になっていない」
ということです。

宋学も程朱も、能書きは立派です。
枝葉末節の、たとえば親孝行の道や、学問への道については、立派な規範が書かれています。
けれど、それらのすべては、結果として、高位高官の者に利をもたらすばかりであって、民には何の益もないのです。
もっというなら、世の中の頂点に立つ人にとっては、たいへんに都合の良い部下を得ることに役立ちはしますけれど、世の中で大切なものは、民そのものなのです。
その民のために、では宋学や程朱がどれほどの役に立つのかといえば、答えはゼロだというのです。
そして、そうであるとするならば、そのようなものは学問の名に値しない、ただの屁理屈にすぎない・・・と素行は気付いてしまうのです。

気がつけば単純明快なことです。
当時の東洋社会(実は西洋も同じですが)、政治は、一部の人の利益・・政治を司る者の利益のためだけに行われるものでした。

そもそも政治の「政」という字がそうなのです。
「政」という字は、一義的には、「正しきを行う」という意味を持った字です。
意味は、そうです。

けれど、その字の成り立ちは、「正」の部分が国や村で立ち止まる、「攵=攴」の部分が、右手てぶん殴ることを意味する会意兼形声文字です。
つまり、武力を持った役人や軍人が村にやってきて、村人たちをぶん殴って、作物などを強制的に持っていってしまうことが、「政」という漢字の成り立ちです。

そうやって富を集め、集めた高位高官、あるいは王侯貴族が日々、贅沢三昧の暮らしをする。
そのための学問が、支那式の儒学であり、その実践を説いたものが宋学や程朱です。
これによって築かれる豊かで安定した社会は、王侯貴族や官僚にとっての豊かで安定した社会であって、民にとっては地獄です。
そして現実に、支那では、まさにそのような社会が、千年以上にわたって続いているわけです。
つまり、儒学は、どのように言葉を飾っても、その根っこのところにいかがわしさがあるわけです。

このことは、もしかするとオウム事件によく似ているかもしれません。
なんとかサティアンに住んでいた信者たちは、オウムを信仰することで幸せになれると信じていたし、素直に本気になってそれを実践していたわけです。
けれど、根っこのところにあるのは、ただの歪みそのものであったわけです。

山鹿素行は、その儒学を信じ、生涯をかけて追求し、その追求の結果、儒学の持ついかがわしさに気付くわけです。
このことは、戦後の全共闘世代が、熱心に共産主義革命を信仰し、その実現のために青春を捧げ、その理論の習得のために、マルクス主義を真剣に学び、また人に教えてきた姿によく似ています。
真面目だから、のめりこむのです。

人間、人との出会いは貴重です。
山鹿素行は、齢40になろうとする頃、神道家の廣田坦斎らと出会ってしまうのです。
そしてそこで彼は、「民こそがたから」であるという日本の古くからの教えを学びます。
つまり、儒教だけに前半生を捧げてきた山鹿素行が、儒教とはまったく異なる、古くからある日本的価値観に出会ったのです。

日本における「政」は「まつりごと」です。
もともと日本語に「まつりごと」という言葉があり、それに近い漢字として、後から「政」という字を輸入しているのです。

その「まつり」とは何かといえば、神々とつながることです。
なぜつながるのかといえば、神々の「たから」を慈しみ、誰もが豊かに安全に安心してくらせるようにしていくためです。
その「たから」とは、田ではたらく、はらから、です。
はらからとは、同じ腹から生まれた子孫です。
つまり、王侯貴族も一般庶民も、みんな兄弟姉妹であり親戚であり、同胞だというのが、日本の古くからの教えです。
だからその「たから」たちが、みんなが幸せに暮らせるようにしていくこと、そうさせていただいていることに感謝することが、日本における「まつりごと」です。

つまり太古の昔から、日本におけるまつりごとは、民のためのものであったのです。
民は働き蜂などでは決してなく、民こそが、いちばん大切なたからなのです。
そして政治権力よりも上位の天皇という最高権威があり、その政治よりも上位の最高権威が民を「たから」としていることによって、我が国の政治は、常に天皇の民をたいせつに慈しむことを目的として行われ続けることができたのです。
つまり、中華文明というけれど、中華を名乗る支那には、儒学の目指す楽土などは毛ほども存在せず、その意味において、中華と呼べるのは、むしろ日本そのものである、ということに山鹿素行は気付いてしまうわけです。

このことに気付いたとき、山鹿素行は、それまでの学問の一切を捨てました。

しかしこの時代というのは、王侯貴族から庶民に至るまで、学問といえば程朱、宋学を意味した時代です。
そして天皇を中心とする世の凄みを解き明かした山鹿素行は、将軍家のお膝元にあって、将軍の権威を脅かすものというレッテルを貼られることになります。

こうして山鹿素行は、江戸所払いとなります。
その素行を、藩の学問掛として雇ったのが播州赤穂の浅野内匠頭です。
浅野内匠頭は、父も交えて山鹿素行の弟子となり、その教えを乞いました。
そして山鹿素行に1千石を与えました。
このとき山鹿素行45歳です。
その後、55歳で赦免にあって江戸に帰りました。
そしてその後、10年で没しています。

山鹿素行は、その資質は、古今にまれな英邁であり、個人の利害を超越して真実の追求のできる人物でした。
そしてそれだけに江戸に戻った山鹿素行のもとには、毎日数十から数百人がその門を出入りしたといいます。
その門下生は、江戸にあって4千人です。

逸話があります。
由比正雪は、山鹿素行よりも17歳年上でした。
由比正雪は、素行の評判を聞いて、会いに行きました。
このとき素行は由比正雪に、季節の寒暖の話のほか、いっさい何事も語らなかったそうです。
そして後日、近親の者に、
「彼の容貌を観、
 またその意とするところを察するに、
 計り知れないものがある。
 君子たる者は、
 彼のような者を近づけてはならない」

結果は、素行の見立ての通りとなりました。
人は、人を観るものです。
そして眷属(けんぞく)という言葉があるのですが、おおむね自分に近い人に自然と近づいていくものです。

民をぶったたいて、税を取り立てて自分が贅沢することに利用することを政治と思う人、世界中のお金持ちや権力者を殺してその財を奪えば、自分に幸せがやってくると思う人(共産主義のことです)は、実は、同じ穴のムジナです。
そしてこのような人たちにとっては、論語も儒教も宋学も程朱も、すべては自分が得をするため、自分が贅沢をするためのものでしかありません。
そしてそのような人たちが、決まって用いること。
それが、
「対立をあおること」
です。

そしてそのために、人の悪口を言い、ウソのウワサをまき散らし、そして「自ら学ぼうとする謙虚さ」を微塵も持たない。
やっていることは、ただ対立を煽るだけです。

せっかく人としての生を受けながら、大事な自分の一生を、そのような、ただ対立したり、対立を煽ったりすることだけに捧げるのでしょうか。
もちろん、カマドのススを払うことも大切です。
部屋は掃除をしなければ汚れます。
社会も同じです。掃除をしなければ、ゴミ屋敷になります。

けれど、掃除と対立は異なります。
対立は、相手と同じレベルに落ちることを意味するからです。
それよりも、何をもってゴミとするか。
ゴミであるものと、そうでないものをきちんと見極める。
そのためにあるのが学問です。

お読みいただき、ありがとうございました。

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20160810 目からウロコの日本の歴史


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コメント
No title
政治は、一部の人の利益・・政治を司る者の利益のためだけに行われるものでした。
今の日本はこのような国になりつつあるのではないでしょうか。?

企業の経営陣は従業員を大事にせず、政治家と役人はは己の保身に血道をあげ国と子孫達の未来には関心を持たずでは、ねずさんが危機感を持っていらっしゃるように日本の国はシラス国からウシハクの国になってしまいます。

教育と躾がどんどん劣化し過去には起きなかったような事件が頻繁に起き治安が悪化しつつある我が国はどこへ向かおうとしているのでしょう。?

これを正すには真実の歴史を学び他国からのいわれなき誹謗中傷にきっぱりと反論し情報戦に打ち勝つ事が絶対に必要です。隣国3か国の我が国への誹謗中傷や内政干渉に毅然たる対応をとる為にも日本人として腹を据え覚悟を決め徹底的に反撃するべき。

中共の留学生によるアパホテルへの抗議デモはおそらく中共政府関係による仕掛けではと疑いを持ってしまいます。選挙権も共産党以外には投票ができず下手にデモなどできない国の出身者が世話になっている日本国の、しかも民間企業相手にデモを起こすなど到底容認できません。日本政府は治安を考えれば退去させるべき事案になるのではないかと思います。

韓国では我が国大使の帰任がいつになるかわからないのならば自国大使も召還するべきとの動きもあるとか。一体関係悪化の原因がどこにあるのか全く理解して居ないのか、それとも理解して居ながら責任をすべてこちらに押し付けるつもりなのか。・・・このような信用できない国が隣にある我が国の不運を嘆いてもいられません。かの国との友好善隣はもはや望めないものと覚悟していかなくてはと個人的には思っております。

日本政府や害務省はもっと真実を発信し国際社会での情報戦に勝つようにしっかりしてほしいもの。反論を民間団体が行うような有様では害務省の存在価値はありません。


2017/02/07(火) 23:02 | URL | 一有権者 #-[ 編集]
町野
町田左近の町田というのは「町野」ではありませんか?

蒲生氏郷の家臣に町野左近将監繁仍(幸仍)という武将がいました。町野家は室町幕府の評定衆に名を残す名門で、室町末期に近江六角氏に仕えていましたが同氏が滅亡すると蒲生氏に属します。

町野左近はもともと近江・竹田神社の生まれでしたが名門・町野家に養子として入った人物で、氏郷・秀行・忠郷の蒲生家三代に仕えます。氏郷の会津入部時には猪苗代城や二本松城などを預かり、秀行の宇都宮移封や会津復帰にも付き従ったようです。

官途名が左近だったこの人物は、忠郷の代に家督を嫡男の幸和に譲って故郷・近江蒲生の竹田神社に戻ったとされます。嫡男・町野長門守幸和(吉知)は父の後を継いで蒲生家の重臣となりますが、寛永3年(1626年)に蒲生郷喜、蒲生郷舎らと争って失脚します。江戸に行くのはこの幸和です。なお、郷喜、郷舎の蒲生姓は賜ったもので蒲生本家筋の人間ではありません。

町野幸和は寛永9年(1632年)に徳川家光に召されて甲斐5000石を賜り、旗本(鉄砲頭)になります。妻のおなあ(おのう、祖心尼)が春日局の義理の姪だったからかもしれません。寛永20年(1643年)に保科正之が会津移封となると、幸和は会津をよく知るからということで新領主に従って会津に戻ったする説もあります。

保科正之が興した会津松平家にも町野家という藩士の家があり、幕末には「最後の会津武士」と呼ばれた町野主水重安が出ています。その次男が張作霖顧問だった町野武馬大佐です。この町野家は町野繁仍の兄である秀俊の系統だそうです。

伊勢・亀山の関一政は、蒲生氏郷の与力大名となって小峰城(白河城)を預かっていたことがあり、官位も幸和と同じ長門守(幸和の場合は通称)なので合体したのかもしれませんが、町野某とは別人です。だいたい蒲生氏郷の会津移封は天正18年(1590年)で、同時に一政も奥州に来ていますから慶長年間(1596年~1615年)に亀山で問題を起こすことは不可能です。

一政は慶長3年(1598年)に信濃・飯山3万石(川中島)へ移封となりますが、山鹿素行の父はこれに従わずに会津に残ったというなら一応説明は付きます。ただこれだと素行が生まれるまでに24年ほどあることになるので、蒲生家に仕官せずに町野家に寄宿したままの期間としては長過ぎるように思いますし、会津が上杉領となっていた間はその時どうしていたのか気になります。

素行の父が、関一政の信濃・飯山→伊勢・亀山→伯耆・黒坂という転封に従って、最後に家中内紛のために関家が改易となるまでその家臣だったとしても黒坂廃藩は元和4年(1618年)ですから、そこから旧知の町野家を頼って会津に入って蒲生家への仕官を待つ間に素行が生まれたという説明でも成り立つように思います。
2017/02/07(火) 20:48 | URL | ヨークタウン #-[ 編集]
No title
こんにちは。幸と不幸はあざなえる縄のごとし。
どんな時代も同じで、光の当たる場所と当たらない場所があり、それぞれが
それなりに存在する。絶対平安な時代などない。いくら庶民を大事に思って
も、政治がうまく機能するわけでもない。同じく全ての学問に終わりはない
し、だから学問も社会も発展していける・・このひと時の最高の学問であっ
ても、更に更に漸進していけば、反省から生まれてくる新しいものもあるは
ず。そうやって学問の幅は拡がり続け、深化してきたのだから。
・・そんな中で激情に駆られて、全てがいけないと否定するのも・・いかが
なものかとw大切な蔵書を燃す姿に、父上の我慢の挙句の暴挙な影が見え隠れ・・蔵書はせめて欲しがる御仁に渡せばよかったものを・・。しかし、苦
しかったのだと思います・・エリート人生の挫折のようですし・・。
このお話の中で日本だよな~wよかったな~という点は、幕府が江戸払いの
10年で済ませたという事。もしこれがチャイナであれば、一族郎党死となっ
ていたでしょうに。しかも保護(観察?)する大名もいるわけでwこの緩さ
がいいな~w・・真面目なご本人に理解できたかは不明ですが・・こういう
手加減を加えた法の実践というものは、法律の文面に書かれているものでは
なくて、日本人の心情に染み込んでいるものではないでしょうか?
・・やがて倒幕の理論武装に使われてしまうわけですが、それもまた時代の
要請。右手と左手を使いつつ、国体を前へと押しやる時代になったのだから。
サテ、赤ん坊なのに縁組が決まり、相手の死により幼児で未亡人となり、諸
事情から子供を産まないように尼寺に入れられるお姫様と、吉原に身売りさ
れる貧農の娘、元は八百屋の娘なのに身分違いな大奥に納められる女子。い
ずれも苦労の無いはずもなし・・暗いと思えば暗い、明るいと居直れば明る
い・・心情に信条に真情が加わり・・時には爆発したくもなるかw
2017/02/07(火) 19:01 | URL | くすのきのこ #-[ 編集]
子供に何のために勉強するのかと尋ねられたときに、馬鹿にならないためとか、貧乏にならないためとか伝えてました。間違いでした。何が良くて、何が間違っているかを自ら判断できるように成るためだったんだなと。今日も勉強になります。
2017/02/07(火) 12:37 | URL | くまもんもん #-[ 編集]
更新ありがとうございます。
江戸幕府の権力が強大であったあの時に、尊皇思想を門人に教えた山鹿素行は自分の信条に命を懸ける事のできる
本物の学者ですね。 その思想は赤穂浪士に受け継がれ、吉田松陰、乃木希典にも受け継がれました。 素行に影響を与えた神道を学ぶ事は、日本人にとって最も大切な事であると想います。
2017/02/07(火) 10:46 | URL | #-[ 編集]
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
静岡県出身。国史啓蒙家。倭塾塾長。日本の心をつたえる会代表。日本史検定講座講師&教務。
連絡先: nezu3344@gmail.com
著書
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』第1巻〜第3巻
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』
日々、先人たちへの感謝の心でブログを書き綴っています。それが自分にできる唯一のお国への、先人たちへの、そしていま自分が生かさせていただいていることへのご恩返しと思うからです。こうしてねずブロを続けることで、自分自身、日々勉強させていただいています。ありがたいことです。

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私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

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