大学教育に関するひとりごと - ねずさんのひとりごと

大学教育に関するひとりごと

2017年02月24日07:28  日本人の心 写真あり

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20170217 大学
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若年人口の減少は、ずいぶんと以前から言われていることです。
団塊の世代が学生だった頃、1学年の生徒数は220万人ありました。
団塊ジュニアと言われる、いまの40代前半の時代も、1学年の人口は約200万人です。
ところがいまの小学校低学年は、1学年100万人強です。
およそ半分に減少しています。

団塊の世代が大学入試の時代、あまりの過当競争になったことから、全国に大学が増設されました。
いまでは、公立私立合わせて500校もの大学があります。
大学の数が増え、収容できる生徒数が半減したわけですから、高校生がほぼ全員大学進学時代にあっても、大学は生徒数が足りません。
生徒がいなければ運営できませんから、入試のレベルも下がります。
いまでは、合格ラインの偏差値が低すぎて算出できない大学もあります。
これを「Fランク大学」というのだそうです。
入試はあっても、名前と受験番号があれば合格するのだそうです。

私は、それはそれで良いことだと思っています。
いわゆる偏差値秀才というのは、ホワイトカラーの値打ちが「記憶力」にあり、画一的でこれといって特徴のない人間が企業の「求める人材」であったホワイトカラー集団就職時代には貴重な存在です。

けれどいまでは、人間の記憶などより、インターネットの検索の方がはるかに早くて安全で正確になりました。
外国語も、何か国語であっても、スマホで会話も文章も自動翻訳される時代です。
いちいち英単語や年号や名称や数式を暗記していなくても、それらはすべてネットで簡単に検索できてしまいます。

ということは、これからの時代に、人間の能力として必要なことは、しっかりとした母国語の読み書きができることや、複数の情報を組み合わせてものごとへの洞察力を発揮でき、しっかりとしたアイデンティティと礼節を持った社会性を発揮でき、行動力があって、覇気があって素直な正確であることでしょうし、そういう人材こそが、これからの時代、企業が求める人材、社会が必要とする人材になっていくと思います。

そういう意味では、入試に、いまだに偏差値が大事にされている、偏差値に代表される記憶力試験に重きが置かれていること自体が、はるかに大きな社会的損失であり問題です。
中共や韓国の大学入試は、日本とは問題にならないくらい倍率の高い入試ですが、そこから輩出された人間が、ではどのような国を築いているかを考えれば、日本は大学入試について、抜本的に考え直すべき時期に来ていると思います。
もう少し言い方を変えれば、Fランク大学であっても、いやむしろFランク大学だからこそ、企業や社会が求める人材を多く輩出できるようになれる・・・つまり世の中が求める人材を育成できる可能性が拓けてきているのではないかと思います。

ところが大学が生徒数の減少が顕著になってきた特に平成以降行ってきたことは、入試や教育内容の抜本的見直しではなく、むしろ次の3点と言われています。
他にもありますが、話を単純化するために省きます。
 1 学費の値上げ
 2 文科省への助成金申請
 3 外国人留学生の大量受け入れ


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大学の学費は、いまでは、国立大学で初年度納入金が約80万円、私立では文系で120万円、理系150万円、医科歯科系500万円が相場です。
現在の日本の個人所得状況は、昭和40年代後半とさほど変わりがない状況にあるといわれていますが、当時の学費と比べると、この額はおよそ10倍です。
所得が横ばいなのに、学費が10倍です。

しかも学生たちの生活は、昭和40年代なら下宿があたりまえ。
四畳半一間の間借りの学生なら贅沢な方で、三畳一間か、6畳間なら、そこで2〜3人が暮らすのがあたりまえでした。
トイレも共同便所が普通でしたし、風呂は銭湯があたりまえでした。
ちなみにトイレは共同トイレですが、多くの場合、そのトイレ掃除は間借りしている生徒たちの持ち回りで、ですからトイレ掃除のできない生徒は、部屋から追い出されたりもしたものです。

ところが昨今では、風呂付き、トイレ付きで、1DK〜2DKのマンション暮らしが常識でとなりました。
その分、家賃負担も、生活のための電気ガス水道光熱費等も高くつきます。
親の経済的負担は、かつての時代とは比較にならないくらい増加しているのです。

ところがその親は不況に苦しんでいます。
大手でも倒産する時代ですし、中小下請け会社では、親の給料が高校生の息子のバイト収入を下回るなどというケースも多々発生しています。

当然、100%進学の時代にあって、日本人の大学生の多くは大学で勉強するよりも、日々のバイトに精を出さざるをえないという状況にあります。
学問のための大学生活なのか、バイト暮らしのための大学生活なのか、すでによくわからなくなってしまっている状況に至って久しい・・・というのが昨今の現状です。

アルバイトするだけの時間敵余裕もなく、まじめに勉強に打ち込もうとする大学生の場合、これは特に理系に多いのですが、大学生活を維持するために、結局奨学金に頼らざるを得ず、このため、社会人になった時点ですでに数百万円の奨学金借金を背負い、このため就職後、数年を経ずして自己破産に至る学生も増えています。

一方、大学の生徒数を補うために迎え入れられている外国人学生の場合、学費、家賃、生活費とも、国庫からの支援金があり、このため、たとえば東京の場合ですと、ベイ・エリアや六本木などに建っている超高級高層マンションの居住者の多くが、支那韓国からの大学生たちであったりします。
そして大学の講義では、広い教室で行われる授業に出席しているのは、特亜からの留学生ばかりで、いるはずの日本人学生は、バイトが忙しくて、滅多に大学の授業に顔を出さないといった傾向も生まれています。

ところがこれは、パラドックスなのです。
日本のすべての大学の学費を、全額国庫負担、個人負担ゼロ円にしても、実はそこでかかる費用は、全ての大学を合わせて年額1兆円にしかなりません。
1兆円というのは、それほどすごい額なのですが、これは、日本政府が、支那や朝鮮からの留学生への補助金を廃止し、また中共や韓国への経済援助を停止すれば、すぐに財源は確保できるし、そのほうが、よほど国益に適います。

もちろん、すべての大学の学費を完全にゼロにする必要はないと思います。
しかし、かつての陸軍大学、海軍大学などのように、一切学費のかからない大学はあって良いと思うし、それ以外の国公立大学であっても、親の負担する学費は、いまの10分の1にすべきものであると思います。

話がすこし前後しますが、先日、同志社大学の入試で、
「中国・唐の衰退の原因となった内乱の名称を漢字で答えなさい」
という設問の答えが、実は実際の教科書にはひらがなを含む名称で掲載されていたことが採点中に判明し、同大は受験した1723人全員を正解とする措置をとった、というニュースが流れました。
<a href="http://www.sankei.com/west/news/170217/wst1702170048-n1.html" target="_blank" title="<u>http://www.sankei.com/west/news/170217/wst1702170048-n1.html</u>">http://www.sankei.com/west/news/170217/wst1702170048-n1.html

この設問の答えが「牛李の党争」なのか、「裘甫の乱」なのか、「龐勛の乱」なのか、その後の「黄巣の乱」なのか、問題文の詳細がわからないので、私には答えられませんが、いずれも「の」がついているわけで、そこが問題になったわけです。
けれど、問題の争点は、そんなことではないと思います。
いまどきそのような、まるでテレビの早押しクイズのような「記憶力偏重テスト」が入試と呼ばれているということ自体が問題なのです。

このような乱の名称は、いちいち暗記していなくても、「唐」という用語でスマホで検索すれば、すぐにゾロゾロと出てきます。
そんなことより、なぜ、それらの党争や乱が起きたのか、どうしてそれが国家の衰亡に結びついたのか、なぜ唐は、それらの衰亡の要因となった乱や党争を止めることができなかったのかといった、思考力や洞察力こそが、本来、大学の試験として問われるべき事柄です。

設問からすると、おそらくこれは日本史か世界史の試験問題であろうと思いますが、歴史において必要なことは、何年に何があったのかという脈絡のない記憶ではなく、それぞれの事件や戦乱などが、どのような経緯で起こり、その結果何が起きたかという流れをどのように理解するかということです。

歴史をそのように「流れ」として理解すると、
たとえば1905年に李氏朝鮮が日本の保護国となった頃の人口は980万人です。
終戦の前年である1944年の朝鮮の人口は2512万人です。
韓国は20万人の女性が性奴隷とされたと主張しているわけですが、その1944年(昭和19年)の人口からすれば、女性人口がおよそ1250万人。
このうち、適齢期の女性の数は、およそ200万人です。
ということは、当時の朝鮮人女性の10人にひとりは性奴隷にされたことになります。
もしそうであれば、朝鮮半島にはいまは日本人との混血児が半数近くいなければおかしいし、そもそも10人にひとりの女性を拉致されて、あの火病を起こす朝鮮人男性たちが、それをただ黙ってみていたというのなら、よほどのチキンです。

中共が主張する南京問題にしても、そもそも日本軍が南京で20万人を殺したというのなら、それはどのような「流れ」の中で行われ、その結果、南京市がどのようになったのかが、整合性のある史実として説明できなければなりません。
それができないのなら、それは「歴史」ではなく、ただの「政治的プロパガンダ」です。

私から見れば、同志社大学ともあろう一流大学が、いまだに入試問題に、この程度のただの記憶力クイズの設問しか「できていない」ということのほうが、答えにひらかながあったかなかったよりも、はるかに大きな問題です。

加えて、4年間の大学教育で、はじめの2年間は一般教養です。
ここでは、小中高で学習したことの焼き直しの授業が行われるのですが、この一般教養過程の2年間という期間は、各学部共通の学科となっているために、学部学科を問わずに、すべての生徒が一般教養過程を経由することになります。
実は、このことが、大学教授からすると、自らの書いた本を、自分の所属する学部学科以外のすべての学生たちに買わせることができて、その分、印税収入が膨れ上がるという経済的メリットになっていて、このことが大学教授にとっては、高収入の源泉となっています。
しかし、純粋に大学という機関の存在意義からすれば、おそらくは無駄な部分ということができます。

戦後のGHQによる公職追放以降、日本の大学の特に文系に関しては、共産主義系の思想を強く持つ人達が、大学教授のポストを独占することになりました。
世界的に見ても、いまどき崩壊した共産主義思想が人類普遍の正義であるなどと考えているような教育が行われているような国はありません。
また、純粋に学問の府であるべき大学が、思想強制の場になっているということ自体、教育の公正を著しく欠くと言われても、仕方がないことであるように思います。
また、こうした思想的偏向を持つ学生は、企業側としては決して歓迎すべき学生ではなく、結果として名の通った大学卒であっても、就職試験でなかなかまともな企業に就職できないという問題をも起こしているということができます。

この結果、特に文系分野においては、日本の大学の国際的評価は年々下がる一方です。
いまや日本の大学は、発展途上国の新興大学とほとんど変わらない国際評価です。
果たして、これが正常な日本の大学教育のあり方なのでしょうか。

我が国では、こうした、大学を含む学制は、明治以降にできたものです。
江戸幕府には、そもそも文部省などという学校を所轄する機関はありませんでした。
教育は、すべて民間マターです。
民間には、寺子屋から藩校に至るまで、様々な学校がありました。
そして学校の値打ちというのは、社会に、どれだけ役に立つ人材を輩出できるかが、最大の判断基準となっていました。
つまり、もともとは、学校出は、社会における即戦力だったのです。
男であれば、15歳で元服すれば、もはや一人前の社会人です。
親は30代で隠居しますから、元服直後から、武士ならもはや立派な藩士として、奉行を含む藩の要職に責任を持って就いたのです。
そこで失敗すれば切腹です。
つまり、15歳で、命がけの社会人生活が始まったのです。
ちなみに、当時の15歳は、数え年ですから、いまの14歳です。

要するに、学校は即戦力を養うところであったわけです。
いまの大学はどうでしょう。
大学出たての新入社員は、どこの会社でも、まず、使い物になりません。
だから、企業内研修を行い、研修所に宿泊させて早朝から叩き起こして、さながら旧軍の新兵教育さながらのスパルタ教育を行い、それで現場に出して、ようやく戦力になるという有様です。
はたして大学がそれで良いのでしょうか。
世の中の役に立っているのでしょうか。

また、理系の分野では、世界の最先端技術の研究なども大学の役割です。
一昨年、STAP細胞の研究者が、社会的に糾弾されて研究者生命を絶たれるという事件がありましたが、最先端技術の研究というのは、万にひとつの可能性を賭けた研究分野であり、しかも世界中の研究機関がしのぎを削っているのです。
何百億円投資しても、よその国で先に開発されれば、その瞬間に、何百億円のプロジェクトは、紙くずになります。
そういう分野において、研究者が安心して、かつ潤沢な資金での研究開発が行える社会風土、教育風土の育成は、これは技術立国をしている日本においては、不可欠の要素といえます。
2位じゃだめなんです。

そうした研究開発に進みたい天才少年がいても、たとえば数学オリンピックで優勝できるような少年であっても、英語の成績が悪ければ大学に入れない。
私に言わせていただければ、研究というのは、バカでなければできないものです。
研究バカになりきるくらいでなければ、世界の歴史に名を残す人物にはなれない。
そういう生徒をはじめから排除するような現在の大学の体制は、果たしてほんとうに研究機関といえるのか、疑問に思います。

大学の授業についても触れておきます。
実際に大学の教室を見に行くと、生徒でいっぱいになるはずの広い教室に、生徒はまばらです。
しかも日本人の生徒がいない。
支那の留学生ばかりです。
日本人の生徒は、アルバイトに忙しいのだそうです。

ところが、特定の教授の授業は、毎回、生徒が廊下まであふれます。
授業がおもしろくてためになるからです。
日本人の生徒たちは、さすがに日本人です。
本能的に本物を見分ける力を持っているのです。
いまだに反日教育というウソばかりを教えるような教授のもとには、生徒は集まりません。
大学も、運営がたいへんだというのなら、教授陣の陣容から見直すべきであるといえると思います。

それと、飛び級を認めるべきであるということも述べさせていただきたいと思います。
小学校1年生でありながら、6年生の試験問題をスラスラと解く生徒もいる一方、大学生でありながら、アルファベットを最後まで言えない生徒がいるというのが、いまの日本の教育です。
もともと、いまの教育制度は、集団就職の時代の産物で、同じ年齢、同じ体力、同じ教育レベルの集団就職者を確保することを狙いとして築かれたものであって、いまの時代にはまったく合いません。

同様に、社会人に対しても、大学は広く門戸を開くべきであると思います。
定年退職してから、もう一度勉強したいと思う人は多いのです。
あるいは、最近になって、自分はいったい何を勉強してきたのかと自問したくなるような事態が次々と起きてきているという実情もあります。

日本が再び、強い国家となるために、現在の教育体制は、国家として抜本的な見直しを行うべきときにきています。

お読みいただき、ありがとうございました。

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