『ねずさんと語る古事記 壱』が予約開始になりました。
2017年02月25日00:02
日本人の心

随分と長くお待たせしてしまいましたが、ようやく私の「古事記の本」が出版です。
書名は『ねずさんと語る古事記 壱〜参』です。
3月15日に第一巻が発売となります。
ただいまAmazonで予約可能です。
たいへん美しく、目立つ装丁です。
まる3年かかりの難産でしたが、ようやく世にでることができました。

(画像をクリックすると購入ページに飛びます)
今回、発売となる古事記は、3巻建てのなかの第一巻です。
編集に携わった出版社の方が、口をそろえておっしゃったのが、
「あっという間に読めてしまった」でした。
私自身もそうなのですが、古典の本はとかく難しくて、一冊読むのに何日もかかったり、途中で投げ出して結局積ん読になったりしてしまうことがよくあります。
ところがこの古事記は、読み始めると、とにかくページをめくるスピードが、なぜだか早いのです。
といって、空白だらけだったり、1ページの文字数が少ないというわけではありません。
普通の本と同じです。
にもかかわらず、次が気になって、気がつくともう読み終わっている。
そんな本です。

【倭塾】(江東区文化センター)
〒135-0016 東京都江東区東陽4丁目11−3
第37回 2017/2/26(日)13:30〜16:30 第4/5研修室
第38回 2017/3/18(土)18:30〜20:30第4/5研修室
第39回 2017/4/9(日)13:30〜16:30第4/5研修室
第40回 2017/5/13(土)18:30〜20:30第1/2研修室
【百人一首塾】(江東区文化センター)
〒135-0016 東京都江東区東陽4丁目11−3
第12回 2017/2/ 9(木)18:30〜20:30 第三研修室
第13回 2017/3/23(木)18:30〜20:30 第三研修室
第14回 2017/4/20(木)18:30〜20:30 第三研修室
第15回 2017/5/18(木)18:30〜20:30第三研修室
とりわけ古事記を読もうとするとき、実はいちばん難しくて読みにくいとされているのが、今回の第一巻で扱った「序文、創世の神々、伊耶那岐と伊耶那美」です。
ここは神様の名前がズラズラと出て来るところで、たいていの方は、古事記を読もうと思っても、この三章でノックアウトされてしまうことが多いとされているところです。
そのため、古事記の解説を行う本などでは、そのあたりを全部飛ばして、すこしストーリー性の高いところから、解説を書き始めている本がわりと多いです。
ところがこの本では、一切、飛ばしをしないで、いちいち原文に則って解説を試みています。
それが実におもしろい。
おもしろいからページが進み、ページが進むから、あっという間に読み終えてしまうと、そんな感じです。
各章では、原文をさらに細かく節に分けて、それぞれに
【原文】
【読み下し文】
【現代語訳】
【解説】
を付しています。
つまり、古事記を一言一句あますところなく解読しています。
ところが、それをやったら、かえって古事記がものすごく面白くなったのです。
古事記については、これまで部分的にねずブロでご紹介したり、あるいは倭塾で講義をさせていただいたりしてきましたが、やはり「通し」で読んでいくと、ものすごく理解が深まります。
何人かの方に、先に原稿を読んでいただきましたが、みなさん口をそろえて、
「おもしろい!」
「わかりやすい!」
「あっという間に読んでしまった」
と、おっしゃられていました。
もし、この第一巻がおもしろいと感じていただけたなら、続く第二巻(発売時期未定)の天照大御神と須佐之男命や、八俣遠呂智以下の物語は、ストーリー性が強くなるだけに、一層、おもしろく、また興味深くお読みいただけること請け合いです。
この古事記の本は、取り組みを始めてから、出版に至るまでに、まる三年かかりました。
その間、20回以上、原稿をいちから書き直し、その都度、新しい発見や学びをいただきながら、自分としては、最高の内容の本になったと思っています。
そして、古事記を長年研究されてこられた方であっても、はじめて古事記を読むのだという方でも、この本は必ず大きな刺激を受けられるものと思います。
神話は民族のアイデンディディだと言われます。
神話を失った民族は滅びるとも言われています。
私たちの先輩諸氏は、だから「神話を学べ」とおっしゃいます。
ところが私たちが古事記を学ぼうとすると、そこにはヤマタノオロチという頭が八つある大蛇が出てきたり、あるいは伊耶那美が「見たなぁ〜」と言って黄泉の国から追いかけてきたり、大国主神がウサギと話をしたりといった物語の表面だけしか語られていないものがほとんどです。
けれど、古事記の原文をきちんと読んだら、実は古事記はそのような荒唐無稽な物語を書いているのではなく、驚くほど現実に即した学びを得られる書として書かれていることに驚かされます。
そしてそのことは、実は古事記の序文にもしっかりと書かれていることです。
なぜなら古事記は、7世紀の白村江の戦いに破れ、唐と新羅の連合軍に我が国の国土を侵略されかねないという国家の危機にあって、我が国の国家国民としてのアンデンティティを確立するために書かれた書であるからです。
つまりそこには、日本を取り戻すための大きな知恵が、まさに宝物のように連なって書かれています。
私たち現代日本人は、71年前に大きな敗戦を経験し、いま再び「日本を取り戻そう」としています。
では、その取り戻すべき日本というのは、どのような形をしているのか。
実はそのことについて、明確な回答を与えてくれているものは、残念ながらありません。
ですからひとくちに「日本を取り戻す」といっても、戦前の大日本帝国にしたいのか、江戸時代の日本にしたいのか、戦国期の日本にしたいのか、奈良・平安の昔に帰りたいのか、飛鳥時代に帰りたいのか、縄文時代に帰りたいのか等々、いろいろな方が、いろいろなイメージを持っているというのが実情ではないかと思います。
本当は違うと思うのです。
いつの時代にも、良い面もあれば、悪い面もある。
過ぎ去った時代に帰ることなど、実際にはできません。
そうではなく、過去の日本の良い面と、いまの時代の良い面を組み合わせて、さらに良い未来にしていきたいということこそが、本当はたいせつなことだと思います。
そしてそのとき、原点ともなるべきものが、実は神話であり、神話に描かれた日本人のアイデンディディそのものなのではないかと思うのです。
そして古事記は、まさにそのために31年の歳月をかけて書かれた書であることが、序文に明らかにされています。
そうであるなら、古事記から学ぶべきことは、表面上の物語ではなく、その物語の中に描かれた日本の姿そのものなのではないかと思います。
「古事記はおもしろい」という方がおいでになります。
けれど、何がおもしろいのかというと、先ほど書きましたように、伊耶那美が「見たなぁ〜」と言って黄泉の国から追いかけてくるところがおもしろいと・・・申し訳ないけれど、私はそんなことは全然おもしろいと思えません。
そのようなことは、ただ見苦しいだけです。
詳細は、本でお楽しみいただければと思いますが、古事記に書かれていることは、ぜんぜんそのようなことではありません。
むしろそこに書かれていることは、私たちがなぜ国家を守らなければならないのかという、たいへん重要なメッセージです。
100%の自信をもって、この本をお勧めします。
きっと、目からウロコが剥がれ落ちるどころか、人生観を根底から覆すような大きな衝撃と感動を、きっとこの本から得ていただくことができるものと思います。
みなさまには、是非、一家に1冊。
ご注文をお待ちしています。

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ここは神様の名前がズラズラと出て来るところで、たいていの方は、古事記を読もうと思っても、この三章でノックアウトされてしまうことが多いとされているところです。
そのため、古事記の解説を行う本などでは、そのあたりを全部飛ばして、すこしストーリー性の高いところから、解説を書き始めている本がわりと多いです。
ところがこの本では、一切、飛ばしをしないで、いちいち原文に則って解説を試みています。
それが実におもしろい。
おもしろいからページが進み、ページが進むから、あっという間に読み終えてしまうと、そんな感じです。
各章では、原文をさらに細かく節に分けて、それぞれに
【原文】
【読み下し文】
【現代語訳】
【解説】
を付しています。
つまり、古事記を一言一句あますところなく解読しています。
ところが、それをやったら、かえって古事記がものすごく面白くなったのです。
古事記については、これまで部分的にねずブロでご紹介したり、あるいは倭塾で講義をさせていただいたりしてきましたが、やはり「通し」で読んでいくと、ものすごく理解が深まります。
何人かの方に、先に原稿を読んでいただきましたが、みなさん口をそろえて、
「おもしろい!」
「わかりやすい!」
「あっという間に読んでしまった」
と、おっしゃられていました。
もし、この第一巻がおもしろいと感じていただけたなら、続く第二巻(発売時期未定)の天照大御神と須佐之男命や、八俣遠呂智以下の物語は、ストーリー性が強くなるだけに、一層、おもしろく、また興味深くお読みいただけること請け合いです。
この古事記の本は、取り組みを始めてから、出版に至るまでに、まる三年かかりました。
その間、20回以上、原稿をいちから書き直し、その都度、新しい発見や学びをいただきながら、自分としては、最高の内容の本になったと思っています。
そして、古事記を長年研究されてこられた方であっても、はじめて古事記を読むのだという方でも、この本は必ず大きな刺激を受けられるものと思います。
神話は民族のアイデンディディだと言われます。
神話を失った民族は滅びるとも言われています。
私たちの先輩諸氏は、だから「神話を学べ」とおっしゃいます。
ところが私たちが古事記を学ぼうとすると、そこにはヤマタノオロチという頭が八つある大蛇が出てきたり、あるいは伊耶那美が「見たなぁ〜」と言って黄泉の国から追いかけてきたり、大国主神がウサギと話をしたりといった物語の表面だけしか語られていないものがほとんどです。
けれど、古事記の原文をきちんと読んだら、実は古事記はそのような荒唐無稽な物語を書いているのではなく、驚くほど現実に即した学びを得られる書として書かれていることに驚かされます。
そしてそのことは、実は古事記の序文にもしっかりと書かれていることです。
なぜなら古事記は、7世紀の白村江の戦いに破れ、唐と新羅の連合軍に我が国の国土を侵略されかねないという国家の危機にあって、我が国の国家国民としてのアンデンティティを確立するために書かれた書であるからです。
つまりそこには、日本を取り戻すための大きな知恵が、まさに宝物のように連なって書かれています。
私たち現代日本人は、71年前に大きな敗戦を経験し、いま再び「日本を取り戻そう」としています。
では、その取り戻すべき日本というのは、どのような形をしているのか。
実はそのことについて、明確な回答を与えてくれているものは、残念ながらありません。
ですからひとくちに「日本を取り戻す」といっても、戦前の大日本帝国にしたいのか、江戸時代の日本にしたいのか、戦国期の日本にしたいのか、奈良・平安の昔に帰りたいのか、飛鳥時代に帰りたいのか、縄文時代に帰りたいのか等々、いろいろな方が、いろいろなイメージを持っているというのが実情ではないかと思います。
本当は違うと思うのです。
いつの時代にも、良い面もあれば、悪い面もある。
過ぎ去った時代に帰ることなど、実際にはできません。
そうではなく、過去の日本の良い面と、いまの時代の良い面を組み合わせて、さらに良い未来にしていきたいということこそが、本当はたいせつなことだと思います。
そしてそのとき、原点ともなるべきものが、実は神話であり、神話に描かれた日本人のアイデンディディそのものなのではないかと思うのです。
そして古事記は、まさにそのために31年の歳月をかけて書かれた書であることが、序文に明らかにされています。
そうであるなら、古事記から学ぶべきことは、表面上の物語ではなく、その物語の中に描かれた日本の姿そのものなのではないかと思います。
「古事記はおもしろい」という方がおいでになります。
けれど、何がおもしろいのかというと、先ほど書きましたように、伊耶那美が「見たなぁ〜」と言って黄泉の国から追いかけてくるところがおもしろいと・・・申し訳ないけれど、私はそんなことは全然おもしろいと思えません。
そのようなことは、ただ見苦しいだけです。
詳細は、本でお楽しみいただければと思いますが、古事記に書かれていることは、ぜんぜんそのようなことではありません。
むしろそこに書かれていることは、私たちがなぜ国家を守らなければならないのかという、たいへん重要なメッセージです。
100%の自信をもって、この本をお勧めします。
きっと、目からウロコが剥がれ落ちるどころか、人生観を根底から覆すような大きな衝撃と感動を、きっとこの本から得ていただくことができるものと思います。
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