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敷島の大和心を人問わ(は)ば 朝日ににおう (ふ) 山桜花(本居宣長)。日本は天皇を国家最高権威とし、民を「おほみたから」とする「シラス国」です。


日本人の「還るべき原点」とは

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還るべき原点を持つこと。
それがアイデンティティの源です。
私たち日本人は、神話を取り戻すことによって、瞬く間に日本人としてのアイデンティティを取り戻すことができる民族です。


20171031 日本神話
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12月23日(土)18:30 第21回 百人一首塾
1月6日(土)13:00 第47回 倭塾 公開講座
1月20日(土)18:00 第22回 百人一首塾
 *****

これは新しい歴史教科書をつくる会の歴史教科書だけが、明確に主張していることですが、日本の歴史は、7世紀と19世紀の2回、極めて大きな歴史のターニングポイントを迎えています。
歴史は、個々の史実のことを言うのではなくて、それらの史実をストーリー化したものであるということは、西洋史においても、東洋史学においても、当然の常識ですが、同様に日本の歴史を通史として俯瞰するとき、この7世紀と19世紀の改革を理解すると、日本の歴史が非常にわかりやすく見えてきます。

7世紀の改革というのは聖徳太子による冠位十二階の制定や、十七条憲法の制定、あるいは天智天皇の大化の改新、天武天皇、持統天皇へと続く、天皇を中心とした統一国家の形成を指します。
このときに、我が国は日本という国号を名乗っていますし、昭和、平成と続く我が国独自の元号も採用しています。また、和歌などを通じた国風文化が形成されていくのも、この時期がひとつのはじまりとなります。

その後に武家政権の時代なども起こりますけれど、武家政権もその棟梁は征夷大将軍です。
征夷大将軍というのは天皇の部下であり、また幕府は戦のための大本営の出張所のことを言いますから(大本営は天皇がおわすところです。出張所で簡易に幕を張っただけの出先本部だから「幕府」です)、つまりは天皇を中心とした世の中であることに違いはないわけです。
つまり全国に諸豪族があり、それら諸豪族の緩やかな集合体であった日本が、天皇を中心とした統一国家を形成したのが7世紀であるわけです。
そしてその後は、その天皇統治という枠内で、政権が、藤原政権、平家政権、武家政権と遷移していったというのが、我が国の歴史です。





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古事記3の一部



19世紀の改革というのは、いわずとしれたペリー来航以来の幕末から明治維新にかけての大きな改革です。
この明治維新が、我が国における大きな改革であったことは、おそらく誰も異論はないものと思います。

要するに7世紀なら隋や唐の脅威、19世紀なら欧米列強の植民地支配という脅威に際して、我が国が天皇を中心にひとつにまとまろうとした動きであったわけです。
そして実は、この7世紀、19世紀の二つの大きな改革は、そのままどちらもが、
「神武創業に還れ」が精神的支柱となりました。

およそ世界の革命改革は、どこの国やどこの民族においても、帰るべき原点への帰趨によって行われます。
わかりやすいところでは、ヨーロッパのルネッサンスがそうですし、ロシア革命にしてももともとロシア正教がもっていた古代の原始共産主義社会(ユートピア社会)への帰趨が(結果はともかく)革命の目的となっています。

これはChinaも同じで、政権は秦、漢、隋、唐、宋、元、明、清、中華民国、中華人民共和国と変わりましたが、いずれもその革命の動機は、「堯舜(ぎょうしゅん)の時代に還れ」です。
堯舜というのは、Chinaの神話上の人物で、堯(ぎょう)は、「其の仁は天の如く、其の知は神の如く、之れに就けば日の如く、之れを望めば雲の如し」と最大級の賛辞を得た伝説の王、舜(しゅん)は、その堯から帝位を禅定された帝王で、洪水を治め、田畑を開いて人々の食を豊かにし、詩歌を好んだとされる知的な人物です。

このことは裏返しにいえば、「帰るべき原点を共有しているのが民族(Ethnic)」であるといえます。
ただその地に住んでいるから「民族」ではないのです。

ちなみに昨今、沖縄やアイヌが別な民族だと言い出している人たちがいますが、顔立ちや言葉の違いが民族の違いだといいだしたら、実はきりがないのです。
日本猫には、尻尾の短い種と、尻尾の長い種がありますが、それらは別な種類の猫なのでしょうか。
はっきりいって猫は猫です。

同様に、同じ日本人でも、一重まぶたの人もいれば、きれいな二重の人もいる。髭の濃いひともいれば、薄い人もいる。そうした外見上の特性は、民族の違いになりません。
言語の違いも、戦後になってから、ラジオやテレビの普及で全国に標準語なる言葉が普及しましたが、ほんの70年前までは、地方によって言葉はまるっきり違っていました。

すこし田舎の方に行くと、通り一本隔てただけで、使う言葉がまるで違うというところも数多くあったくらいですし、もっといえば江戸時代、武家の言葉と町人の言葉では、使う言葉が全然違いました。
アイヌ語、琉球語と言いますが、それを言い出したら江戸語、関西語、武家語、町人語、百姓語、ほとんど「通じない」と言って良いくらい、違う言葉を使っていたわけです。
要するに、身体的特徴や言語的相違は、民族の違いにならない。

では民族とはなにかといえば、結局のところ「還るべき原点を共有している人たち」ということができます。
沖縄についていえば、琉球王朝が出来たのは足利時代にあたる1429年のことです。
足利義満が日明貿易を始めたことで、日本と民国の交易が盛んになり、このとき交易の中継地点として沖縄の経済が発展し、ジャワやマラッカ方面にまで交易の手を伸ばした尚巴志(しょうはし)が、沖縄地方一帯を統一し、首里城を築いたことがはじまりです。

この尚巴志というのは、もともとの名前は思紹(ししょう)で、尚という姓は、あとから送られたものです。
思紹は、沖縄の按司(あんじ)だった人ですが、その按司(あんじ)というのは、後年このように書かれるようになった当て字で、もともとは「あるじ」からきています。
つまりChina語ではなくて、大和言葉系の称号です。

『中山世譜』等の史書によると、そもそも琉球諸島は、いざない合う一組の男と女が島々をつくり、天帝子がそこに住んで三男二女をもうけ、長男が天孫、次男が「あるじ(按司)」三男が民の始めとなったとされています。
この物語は、まるっきり日本の神語と同じです。

そして「おきなわ(沖縄)」は、誰がどう見ても「大きな和」です。
日本の国号は、いまでこそ「日本」と書いて「にほん、にっぽん」と読み下しますが、もともと持統天皇が日本という国号を用いた当時は、これで「やまと」と読みました。
つまり「やまと」は、日本と書いても、大和と書いても、倭とかいても、いずれももともとの読みは「やまと」だったわけです。

ついでに申し上げますと、「やまと(ya-mato)」は、古代インドのタミール語で、「ya」が太陽、「moto」が下(元)です。インドから見たら日本は東のはずれの太陽の昇るところにある国ですが、それを「ya-moto」と言ったわけです。
古代タミール語の単語は、他にもかなり多くが日本語と共通しますが、だからといって日本人のルーツがタミールにあるなどと早まってはいけません。

長長期的には、地球気温はあがったりさがったりを繰り返しているわけで、海面も、いまよりも140メートルも低かった時代もあれば、逆にいまよりも10メートルほど高かった時代もあるわけです。
海面が低かった時代というのは、寒冷化の時代で、当時の世界の人口は、地球全体で100万人いたかいないかです。
つまり土地の所有だとか、国境なんていうものもなかった時代であり、そうした時代にも人々は船を使って、いくらでもあちこちに移動することができたわけです。
寒くなってその土地が住みにくくなれば、暖かくて住みよい場所に移動するのは、ある意味当然のことで、しかも海面がいまよりずっと低かったとなれば、いまの大陸棚のほとんどは陸地です。

要するにいまではすっかり海に沈んでしまった南方の海岸線沿いに暮らしていた人たちが、海面の上昇に従って住むところを変えて、北に行ったり南に行ったりしていたという時代が、何万年も続いたわけです。
そして最近の研究の結果、人類は、そのはじめから言葉を持っていた。
となれば、ユーラシア大陸の東の海岸沿いに、同じ単語を持ち、似たような容姿を持つ人々が暮らしていたとしても、実は何の不思議もないのです。

逆にいえば、ユーラシア大陸の東側の島々に住む人々は、海面の上昇に従って「島に取り残された人たち」ということができるかもしれません。
これは釣りをする人ならおわかりいただけると思いますが、最近、温暖化が進んで、それまでは静岡県あたりでしか獲れなかった魚が、最近では東京湾や房総半島で釣れるようになってきています。
より美味しい魚を得ようとすれば、魚の移動に伴って人々が住むところを移動していたったというのは、十分に考えられることです。

さて、上に、民族というのは「帰るべき原点を共有している人たち」と述べさせていただきました。
そして還るべき原点となる神話が、沖縄と日本本土は共通しているわけです。
ということは、まさに沖縄の人たちは日本人そのもの、もっというなら、私は沖縄の人たちは原初日本人であった人たちであると考えます。

アイヌも同じです。
熱帯性植物である稲作の普及によって、日本列島は米文化が主流となりましたが、それ以前はそもそも全国どこにおいても狩猟採取生活が営まれていたわけです。
このことは、南は沖縄から北は北海道まで、縄文時代の遺跡として貝塚が等しく分布していることで明らかです。
そして、奈良時代、平安時代くらいまで、関東以北は気象条件が稲作に適さなかったこともあって、狩猟採取が生活の中心となっていました。
そうした生活をしていた人たちが、もともとアイヌなのであって、ですからもとからの関東人、東北人、北海道人などは、等しく、もともとの血筋はアイヌ系ということになります。

そしてこのアイヌ系の人たちの、体毛が濃くて髭も眉も濃いという身体的特徴は、そのまま縄文時代の日本人の外見的特徴をそのまま残すものです。
そして平安時代に、青森県あたりまでの本土全体が、大和朝廷の傘下に入りました。
なぜ入ったかといえば、民衆こそを「おほみたから」として慈しむという、大和の姿勢に、関東東北の人たちが共鳴したからです。

坂上田村麻呂は、征夷大将軍として、蝦夷(えみし)の討伐をしたと解釈している学者の先生方がいまだに多くおいでになりますが、「征夷」の「征」という字の訓読みは「さち、ただし」です。
そもそもこの漢字の成り立ちは、「彳」が「行なう」の略ですから、「征」は「正しきを行う」という意味です。
「夷」は、訓読みが「えぞ、えみし」ですが、この字は「ひもの付いた矢」を表す字です。

関東以北の「えみし」たちは、気象条件の違いから稲作ができないので、食料を漁と狩りによって得ていたし、彼らは狩りのために紐の付いた矢を用いていました。
つまり「狩りをして暮らしている寒冷地の人たちに、支配と収奪の私有民という地位から救い出して、あらためて天皇のおほみたからとする」ということの意味が、実は日本式の「征夷」という漢語の意味になっています。

ただやみくもに武力を用いて征圧するということではないのです。
もし、武力だけに物を言わせて力で征圧しただけなら、力によって押さえつけられた民衆は、逆に力によって暴発しますし、そうした暴力的気風は、いまでも東北地方等に残るはずです。
けれど、東北地方の人々は我慢強さはあっても、決して暴力的ではありません。

平安時代、中央から東北地方に派遣された国司は、基本的に武力を持っていません。
多少の護衛兵はいたものの、地元豪族の兵力に比べたら、力の差は月とスッポンです。
そしてこれは全国すべてがそうなのですが、国司は武力を用いず、中央の高い文化をもって、地方地方の豪族たちから税を得ていたというのは、ほとんど常識化した見解です。

北海道は、かつては松前藩と呼ばれましたが、その松前藩は源義光を始祖とする甲斐源氏の宗家である若狭武田氏が入植したことにはじまります。
いまでは稲の品種改良によって稲作は北海道でもできるようになりましたが、昔はまったく稲作に適さない土地でした。
にも関わらず北海道に武田氏が入植したのには理由があって、そこが日本海交易の航路であったからです。

日本海は、海流が朝鮮海峡から日本の沿岸沿いに北海道樺太へと抜けていきます。
樺太とロシアは、狭いところでは対岸までわずか5キロしかなくなりますが、そこからリマン海流という寒流が、大陸の沿岸沿いに流れ込んで朝鮮海峡へと抜けていきます。
つまり、日本海は、日本側で対馬海流が北上し、北からはリマン海流が大陸沿いに南下して、あるいみ、山手線のように、日本海をぐるぐると回っているわけです。

この海流に乗って縄文の昔から、東北北海道では大陸との交易がさかんで、とりわけ平安時代以降は、東北地方で金が豊富に産出したために、この金を用いて大陸の日本海側にあった渤海国と盛んに交易が行われていました。
我々はシルクロードといえば、中東のトルコあたりを出発して、北京に至る道と教わりますが、そうなったのは元の時代以降のことで、渤海国があった当時までは、シルクロードの終点は、最近の満洲にあたる渤海のあたりであったのです。

渤海国は、いまのウラジオストクのあたりに「東京龍原府」、北朝鮮の咸興市付近に「南京南海府」を置いて、日本との交易の促進をしていました。
そしてここがシルクロードの終着点だったのです。

日本海交易図
20171031 日本海交易


東京龍原府、南京南海府には、日本から金(Gold)や日本刀などの工芸品が運ばれ、中東商人からはガラス製の器などの工芸品がもたらされました。
日本側では、輸入の支那は若狭で陸揚げしていましたが、その若狭の守護大名が蝦夷地に移封したのも、日本海交易を円滑に推進するためであったわけです。

ちなみにこの時期、淡路守に任ぜられた紫式部の父(藤原為時)が藤原道長の意向を受けて、急遽、越前守と入れ替えになりました。
このことがショックで、最初に越前守に任ぜられていた源国盛は病気で寝込んでしまい、そのまま帰らぬ人となっています。

いまでは太平洋側の「太平洋ベルト地帯」が日本経済の中心地となっていますが、江戸時代に鎖国される前の日本、つまり飛鳥、奈良、平安から室町時代までの日本では、海洋交易の関係から、日本海側こそが実は(意外に思うかもしれませんが)経済の中心地帯であったのです。

藤原為時は、その後「さらに出世して」、越後守に就任しています。
当時の越後は、日本海側最大の交易の中心地だったのです。
日本海側が、貧しい地帯だと思うのは、江戸時代の鎖国後の影響によるものです。

そして北海道のアイヌの人たちは、江戸時代以前までは、熊皮・鹿皮・ラッコ皮・アザラシ皮などの獣皮,熊の胆(い)、鷲羽、俵物と呼ばれた干しザケ、串貝、いりこ、コンブ、干しダラ、干しアワビなど、オットセイ、エブリコなどの薬物、ニシン、サケ、マスなどの海産物などを松前藩の力を借りて輸出し、一方大陸や日本本土からは酒、米、こうじ、タバコ、塩、なべ、小刀、針、古着、反物、糸、漆器、キセルなどを得ていました。
要するに間違いなく、大和の民として、彼らは普通に共存していたのです。

またアイヌの神話では、昔、この世に国も土地もまだ何もない時、ちょうど青海原の中の浮き油のような物ができ、これがやがて火の燃え上がるように、まるで炎が上がるように、立ち昇って空となり、残ったものが次第に固まって島となり、そのうちモヤモヤとした気が集まって一柱の神が生まれ、炎の立つように高く昇った清く明るい空の気からも一柱の神が生まれ、この一対の神から、様々な神が生まれたとなっています。
これまた、古事記に記載された創生の神々からイザナキ、イザナミの国生み神話とそっくり同じものです。

そもそも古事記に書かれた神話は、全国各地の豪族たちに伝わる伝承を、国をひとつにまとめるためにと、ひとつの物語にまとめたものです。
そしてアイヌ神話が、古事記神話とほとんど同じ内容経緯をたどっているということは、「帰るべき原点を共有している」のですから、これまた間違いなくアイヌは、日本人の源流そのものの一部であるということに他ならないのです。

そして日本は、神武創業の昔から、天皇のシラス(知らす、Shirasu)国です。
そしてその神武創業は、迩々芸命(ににぎのみこと)の天孫降臨に還れということが行なわれた事業です。
その迩々芸命は、高天原をシラス(知らす、Shirasu)天照大御神から、高天原と同じ体勢を築くようにと、地上に派遣された神様です。
つまり迩々芸命の事業は、天照大御神の事業に還れという事業であったわけです。

還るべき原点を持つこと。
それがアイデンティティの源です。

私たち日本人は、神話を取り戻すことによって、瞬く間に日本人としてのアイデンティティを取り戻すことができる民族です。
そして一時的にそれが教育によって奪われたとしても、何千年も続く日本人の体内には、染み込んだアイデンティティのDNAがしっかりと流れています。

先般コメントにもいただきましたが、ひるがえって昨今の国政の情況を見ると、政党に関わりなく、国を愛する議員と、国に背く議員がいます。
前者が愛国系議員、後者が反日系議員です。
どこの国においても、国に背いて、様々な工作活動をする人たちのことをテロリストと呼びます。
なんと日本は、そんなテロリストにさえも、国政の議席を与えています。
これは本来なら、あってはならないことです。

この状況を変えるために必要なことは、私たち国民が、日本人としてのアンデンティティを取り戻すことにあります。
そしてアイデンティティとは、その国の民族の「還るべき原点」のことを言います。
私たち日本人にとって、それは神話です。

お読みいただき、ありがとうございました。

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20160810 目からウロコの日本の歴史


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コメント
No title
環日本海交易網があったんですねぇ
2017/11/06(月) 03:05 | URL | #-[ 編集]
No title
超古代に今よりも優れた文明があった。私は、どうしてもそこに行きついてしまいます。

だから、日本からタミルまで、当時の飛行機械でいろんなものが伝わっていたとしても、何ら不思議はないと思います。

チェンナイから車で6時間位南へ移動した所に、クンバコーナムという町があります。私、藤原正彦著”国家の品格”を読みまして、美と天才の関係に非常に興味を持ちましたので、そこへ行って参りました。私は、ダーラースラムという寺院が最も美しいと思いました。ラマヌジャンと言う数学者は、公式の定理を導き出すのに”女神ナーマギリが教えてくれた”と言うのだから、とてつもなく凄い人だと思います。

インド南部は、治安もいい所です。ケララ州などは、バスのトイレ休憩で席から離れる時、日本と同じように網棚の上に荷物を載せたままでも、全く問題ありませんでした。

私は渋谷区民でありますので、時々代々木公園のイベントに参ります。2年ほど前、たまたまアイヌの人々が来ていたことがありましたが、彼らの発音の緩急抑揚が、宮古島の人々のそれに非常によく似ているので、その時は驚いてしまいました。
私、アイヌのことは分かりませんが、岩手には子供の頃住んだことがあります。岩手の人々は実直でまじめ。物事のプラスだけをアピールする商売などは、ちょっと苦手。そんな風に感じております。特に旧南部藩の地域は、明治から現在に至るまで、多くの人材を輩出していて、素晴らしいと思います。

宮古島や沖縄本島で一番感じるのは”ゆいまーる”。みんな助け合いながら生きていて、そこが素晴らしいと思います。
沖縄においても、宮古諸島や波照間などにハブがいないのは何故であるのか、謎であります。
2017/11/03(金) 22:20 | URL | one #-[ 編集]
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
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