アクセスランキング
FC2ブログ

先人たちが目指した日本の姿。それは私達の国が常に「よろこびあふれる楽しい国(=豈国)」であり続けることです。


小さな波紋もいつの日か 服部ケサ物語

平成30年度 倭塾・百人一首塾動画配信サービス受講生募集中
クリック・クリック

人気ブログランキング ←いつも応援クリックをありがとうございます。

服部ケサのことを書いてみたいと思います。
「ハンセン病」と戦い続けたひとりの女医の物語です。


20171127 服部ケサ
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています)


【お知らせ】
11月25日(土)18:30 第20回 百人一首塾
12月16日(土)18:30 第46回 倭塾 公開講座
12月23日(土)18:30 第21回 百人一首塾
1月6日(土)13:30 第47回 倭塾 公開講座
1月20日(土)18:30 第22回 百人一首塾
2月8日(木)18:30 第23回 百人一首塾
2月18日(日)18:30 第48回 倭塾公開講座
※2月の倭塾・百人一首塾の開催日が変更になっています。
 *****

「ハンセン病」というのは、かつて全世界に猛威をふるった難病です。
昭和40年代に特効薬が開発され、いまでは世界中からほぼ駆逐されましたが、それまでは我が国でも「癩病(らいびょう)」とか「腐りの病」と呼ばれて、たいへんに恐れられていました。
細菌性で、感染率は決して高くありませんが、罹患すると皮膚がまるで像のように固く厚くなり、全身から膿が吹き出して、最期には死に至る病気です。

特効薬ができるまでは、この病気に罹った患者は隔離するしかありませんでした。
ですから世界中どこの国でも、患者は無人島のようなところに隔離されたのですが、それは体のいい姥捨(うばすて)のようなものでした。

わが国では8世紀の始め頃、光明皇后が、ハンセン病患者たちのための収容施設をつくっていますが、光明皇后はこのとき、重度のハンセン病患者の膿を吸ってあげたところ、その病人が実は阿閦如来(あしゅくにょらい)であったという伝説が残されています。

以前、ハワイの王朝のことをこのブログでご紹介させていただいたことがありますが、そのハワイには、18世紀の終わり頃に、白人たちが「ハンセン病」を持ち込みました。
このためハワイ諸島の人口は、5分の1にまで減少しています。

一方、ハワイ諸島に増えてきたのが白人たちで、このためカラカウワ大王は、同一種族である日本との合邦を望み、明治14(1881)年に来日をしています。
実は、外国の国王級の要人が来日したのは、このカラカウワ大王の来日がわが国初のできごとです。





◆◆◆◆◆スマホで読めるKindle版もあります。◆◆◆◆◆

◆youtubeの動画サイトをはじめました。
↓下のバナーをクリックするとチャンネルに飛びます↓
20170513 バナー _th
↑よろしかったらチャンネル登録をお願いします。登録無料です↑
新しい動画がアップされました!


『ねずさんと語る古事記・参』絶賛発売中!!
古事記3の一部



このときカラカウワ大王は、江戸の神田猿楽町にあったハンセン病専門の「起廃(きはつ)病院」を視察しています。
この病院は、江戸中期に杉田玄白に学んだ漢方医の後藤昌文(ごとうしょうぶん)が明治4(1871)年に開業した病院で、同じ年に静岡県の浜松市にも分院を設立しています。
そしてそこでは、死を待つばかりだったハンセン病患者が、次々と完治していました。

実は17世紀の初め頃に、インドで「大風子油(だいふうしゆ)」という薬草の種の脂肪分を塗ることで、症状の悪化を防げることが確認されたのです。
これが発見からわずか数ヶ月後には、その治療法が我が国に伝えられ、江戸時代を通じて治療薬として使われました。

もっとも輸入の治療薬です。
薬は高価だし、長期療養のための入院費もばかになりません。
そこで収容施設には、幕府が高額の資金援助をしていました。
まさに官民をあげて、治療への取組みがなされていたのです。

幕末近くになると、漢方医の後藤昌文(ごとうしょうぶん)が大風子油をただ塗るだけでなく、丸薬にして服用することや、大風子の実の絞り糟を入れた薬湯に浸かる、あるいはこれに栃の実を加えて温浴することなどを組み合わせた総合医療を確立し、不治の病とされていたハンセン病患者に、世界初の完治者を出すに至っていました。

明治のはじめにこれを視察したカラカウア大王は、ハワイに帰ると、当時ハワイで大富豪でありながらハンセン病に罹ってしまっていたギルバート・ウォーラー(Gilbert Waller)に、日本での治療を薦めました。
そして来日して起廃病院で治療を受けたギルバート・ウォーラーは、なんと完治してしまうのです。

これが明治18(1883)年の出来事で、ハワイに帰国したギルバート・ウォーラーは、ハワイの衛生局に、「後藤医師の有する知識と経験は、千年に渡る日本・中国漢方医の研究結果であり、何百名もの患者が治癒に至っている(The knowledge and experience possessed by the Gotos, was the result of the study of Japanese and Chinise Physicians for over a thousand years.)」と喜びの報告をしています。
そして、ハワイの衛生局に、後藤医師の治療法を試すように強く勧めました。
このため同年末、後藤昌文の息子の後藤昌直がハワイに招かれ、ハワイでのハンセン病患者の治療にあたることになりました。

当時、そのハワイには「ハンセン病の守護聖人」と呼ばれている神父がいました。
それがベルギー人のダミアン神父(Father Damien)で、ダミアン神父は、ハンセン病患者を収容していたモロカイ島に自ら渡ると、姥捨状態にあったハンセン病患者のために、収容施設の建設やその運営をこなしていました。
ところがそのダミアン神父もまた、ハンセン病患者となってしまったのです。
後藤昌直がハワイに到着した頃には、ダミアン神父の病状は重く、もはや助かる見込みがたたないほどの状況となっていました。

後藤昌直は、そんなダミアン神父に誠実に治療を施すのですが、一旦は軽快をみせたものの、神父はこの世を去ってしまいます。
そのダミアン神父の言葉です。
「私は欧米の医師を全く信用していない。
 後藤医師に治療してもらいたのだ。
(I have not the slightest confidence in our American and European doctors to stay my leprosy, I wish to be treated by Dr. Masanao Goto.)」

没後、New York Timesに、ダミアン神父の追悼記事が載りました。
そこには、ハンセン病と戦う後藤昌直の治療が掲載されていました。

平成7(1995)年6月4日、ローマ教皇のヨハネ・パウロ2世は、ダミアン神父を列福しました。
平成21(2009)年には、ローマ教皇ベネディクト16世が、ダミアン神父を「聖人」に列しました。
ハワイ出身のバラク・オバマ前大統領も、ダミアン神父の列聖を祝福するコメントを発表しています。

さて、ダミアン神父が亡くなったのが、明治22(1889)年のことなのですが、当時の日本では、東京大学の内科医の教授であったドイツ人医師のエルヴィン・フォン・ベルツ教授が、草津温泉をたいへん気に入って、
「草津には無比の温泉以外に、
 日本で最上の山の空気と、
 全く理想的な飲料水がある。
 もしこんな土地がヨーロッパにあったとしたら、
 カルロヴィ・ヴァリ(チェコにある温泉)よりも
 賑わうことだろう」
と大絶賛し、さらにハンセン病にも温泉が良いと紹介をしました。
ちなみに、このベルツ教授、赤ちゃんのおしりに出る「蒙古斑」の命名者でもあります。

このことから、草津温泉にハンセン病の療養施設を造ろうという動きがはじまりました。
ところが近隣の住民の反対があって、話がなかなかすすまない。
そこで誘致派の人たちが行ったのが、明治40(1907)年の英国人宣教師のコンウォール・リー(Mary Helena Cornwall Legh)女史の招へいです。
要するに外国人の招へいと、地元への医療機関設立の2点によって、地元の反対運動を抑え込もうとしたわけです。

この目論見は成功し、草津には「聖バルバナ教会」と、ハンセン病患者を収容する「聖バルナバホーム」が併設され、さらに医療機関として「聖バルナバ病院」が設立されます。
ところがここで問題が起こりました。
日本で実績のあったハンセン病治療は、漢方医によるものです。
明治以降に主流となった西洋医たちにとっては、ハンセン病は「不治の病」のままでした。
このため医者と看護婦が集まらないのです。

そんなときにコンウォール女史が出会ったのが、三上千代(みかみちよ)という看護婦でした。
千代は、「看護婦となった以上、もっとも重い病気の患者の友になる」と固い決心をしていました。
その千代に、コンウォール女史は、「優秀な医師がほしい」と依頼したのです。
千代には、ひとり、思い当たる女医がいました。
千代よりも、ほんの少し年上で、千代と同じ志を持つ女性です。
それが服部ケサ(はっとり けさ)でした。

服部ケサは、もともとは千代と同じ看護婦でした。
けれど、もっと患者さんたちと前向きに深く接したいという志を抱き、猛勉強して明治38(1905)年に、21歳で東京女子医科大学に入学したのです。
ところがケサは、大学病院で赤痢患者の治療中に、自らも赤痢に感染し、この影響から心臓と腎臓にまで悪くしてしまうのです。

ようやく一命をとりとめたケサは、再び勉強をして医師の免許を取得します。
ところが晴れて医師免許を取得していながら、ケサは意図して看護婦として東京の慈善病院(現在の三井記念病院)で働きました。
これはこの時代に女医が差別されたとかいうことではなくて、ケサ自身が、より重度の高い患者の近くで勤務できる道を選んだからです。
このあたり日本人の気質がたいへんによくあらわれているところです。
名声や肩書きや経済力などよりも、人としてたいせつな生き方が選ばれたのです。

そしてこの病院で知り合っていたのが三上千代だったのです。
ケサは、千代の求めを快諾しました。
そして草津の山奥の聖バルナバ病院の勤務医となりました。
もちろん千代が看護婦です。

この聖バルナバ病院は、草津温泉駅を降りてから、山道を40キロも入ったところにありました。
当時は、もちろんバス便もタクシーもありません。
病院までの交通手段は徒歩です。

ところがこの病院はたいへんな評判を呼び、ケサは毎日百人以上の患者を診たそうです。
患者からも「若いが腕は確かだ」と頼りにされました。
もちろん看る病気は、ハンセン病ばかりではありません。
当時の山奥の医者というのは、みんなそうですが、内科から外科、産科や皮膚科に至るまで、あらゆる医療を担当します。

しかもこの当時の医者は、病院で患者を待つばかりでなく、要請を受ければ、どこへでも往診に出かけるのが常でした。
山奥のことです。
「すぐ隣り」が数キロも離れた先だったりしました。
ケサは、ときには10㎞も離れた山道を越えて、往診かばんやお産道具を持って治療に駆け付けたりもしています。
特に雪の日は苦労したといいます。

信頼される医師として、ケサの仕事は多くなり、休む時間はどんどん減っていきました。
身体の弱いケサは、ついにぜんそく発作のために倒れてしまいます。
それでもケサは、休もうとはしなかったそうです。
それは、「ハンセン病の治療のための漢方も含めた自分たちの病院を建てたい」という希望を胸に抱いていたからでした。

大正13(1924)年、ケサと千代子は、夢にまで見た病院を建てました。
そこに「スズラン病院」の看板を掲げました。
病院の庭には、たくさんのスズランが植えられました。
そしてその開業からわずか3週間後、ケサは心臓発作のために亡くなりました。
40歳の若さでした。

服部ケサの葬儀の日、千代が弔辞を読み上げました。
そこには次のようにありました。
「池の中に投じた小石は
 もはや浮かび上がることはありません。
 でもその波紋は、
 必ず岸辺に達します。」

世界がハンセン病を克服する中で、服部ケサが果たした役割は、けっしておおきなものではなかったかもしれません。
けれど、ケサのような女性がいたこと、そしてそれを支えてくれた千代のような女性がいてくれたこと。
それは、小さな石コロで、池の中に沈んでしまったかもしれないけれど、波紋は世界に広がって、多くの人の命を今も救い続けています。

みんなのために、自分にできる誠実を尽くし続ける。
それが私たちの先輩たちが築いてきた日本のカタチです。
ひとりにできること、日々できることは、ほんの些細なことかもしれない。
けれど一日24時間がたった一秒足らないことが、4年かかってうるう年の1日24時間になるように、わたしたちの日々の歩みは、確実に時代を築いて行くのです。

池に投げ込まれた石ころは、どんなにあがいたところで、池に沈んでしまいます。
けれど、その石ころが起こした小さな波紋は、池に広がり、いつの日か、必ず岸辺に到達するのです。

※このお話は2013年11月の記事のリニューアルです。

お読みいただき、ありがとうございました。

人気ブログランキング
↑ ↑
応援クリックありがとうございます。


◆◆◆◆◆スマホで読めるKindle版もあります。◆◆◆◆◆


20161026 倭塾バナー


20160810 目からウロコの日本の歴史


【メルマガのお申し込みは↓コチラ↓】
ねずさんのひとりごとメールマガジン有料版
最初の一ヶ月間無料でご購読いただけます。
クリックするとお申し込みページに飛びます
↓  ↓
ねずブロメルマガ



関連記事
スポンサーサイト

コメント
とても感動的なお話で涙なくして読めません。。。
 経団連会長が会長と社長をしていた会社がデータ捏造をしていたことが明らかになりました。経済界トップの会社が不正をして金儲けをしている。東レは韓国に11もの工場を運営しており日本のことなどそっちのけのようです。
 日本の職人かたぎ(金のことより良い仕事をする)がなくなり、ばれなければ何をしても良い。法律に違反していなければ何をしようと自由だと道義も道徳もありません。
 このような世の中にあって今日のお話のような素晴らしい日本人がいたことはとても嬉しいです。私は夏休みに1週間子供教室を開催しています。帰省した孫たちが対象ですが早速来年の教材にしたいと思います。
 どうもありがとうございました。
 
2017/11/29(水) 16:57 | URL | しょうちゃんのつぶやき #bvoP3EXo[ 編集]
No title
感動しました。千代さん、ケサさん、ダミアン神父、洋の東西を問わず小石を投じる人はいるのですね。
2017/11/29(水) 08:15 | URL | #-[ 編集]
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
*引用・転載について
ブログ、SNS、ツイッター、動画や印刷物作成など、多数に公開するに際しては、必ず、当ブログからの転載であること、および記事のURLを付してくださいますようお願いします。
ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
最新刊
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』

AdSense
カレンダー
08 | 2018/09 | 10
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
最新記事
最新コメント
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

リンク
このブログをリンクに追加する
リンク2
AdSense
カテゴリ
月別アーカイブ
AdSense
解析
スポンサードリンク
ねずさん(小名木善行)著書
↓最新刊↓


↓好評発売中↓






ねずさんメルマガ
ご購読は↓コチラ↓から
ねずブロメルマガ
ご寄付について
ねずブロはみなさまのご支援で成り立っています。よろしかったらカンパにご協力ください。
【ゆうちょ銀行】
記号番号 00220-4-83820
【他金融機関から】
銀行名 ゆうちょ銀行
支店名 〇二九(店番029)
種目  当座預金
口座番号 0083820
口座名義 小名木善行
【問い合わせ先】
お問い合わせはメールでお願いします。
nezu3344@gmail.com

講演のご依頼について
最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
テーマは、ご自由に設定いただいて結構です。
講演時間は90分が基準ですが、会場のご都合に合わせます。
E-mail nezu3344@gmail.com

講演テーマ
<ご参考>
古事記に学ぶ経営学
古事記に学ぶ日本の心
百人一首に学ぶ日本の心
女流歌人の素晴らしさ
日本人の誇り
その他ご相談に応じます。
検索フォーム
AdSense
関連サイト
祝日には国旗掲揚を!
御国旗セット
¥2,190

大型御国旗セット
[ステンレス製3mポール付き]
¥4,800

御国旗伸縮ポールセット【大サイズ】
¥3,000

御国旗セット L
[ マンション設置用 Lタイプ テトロン 国旗 ]

台灣民政府
台湾民政府
サンフランシスコ講和条約で、日本は台湾に関して処分権は連合国に提供しましたが、領土の割譲は行っていません。条約以降、連合国も日本も台湾の処分先を決めていません。つまり台湾はいまも日本であり、台湾にいる1500万人の戦前からいる台湾人は、日本国籍を有する日本人です。私は台湾民政府を支持します。
お薦め書籍1

日中戦争-戦争を望んだ中国 望まなかった日本


江戸の自治制


幻の黄金時代


ドキュメント自衛隊と東日本大震災

AdSense
コメントをくださる皆様へ
基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメントは、削除しますのであしからず。
最新トラックバック
AdSense
コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人である私の判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
エディタ・コミュニティ
edita.jp【エディタ】
amazon
通州事件の真実
通州事件を実際に体験された女性の手記です。
クリックするとテキストファイルが開きます。
https://docs.google.com/file/d/0B9Dh1-gISO9CZERHN2oxempSeEk/edit
ねずブロの拡散・転載について
当ブログの日本の心を伝えるための適法かつ前向きな拡散はおおいに歓迎です。 ただし適法な引用でないと、著作権侵害で処罰されることがありますのでご注意ください。
RSSリンクの表示
FC2ブックマーク

PING送信プラス by SEO対策

QRコード
QRコード
スポンサードリンク