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大人が読む古事記とは

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書かれたものには、必ず「書いた目的」があります。
まして『古事記』は、その序文で上記の目的をあきらかにしています。
つまり古事記は、天皇の成り立ちをあきらかにし、国家統治の基本となる「知らす」を具体的に記述することを目的として書かれたということです。
そうであれば、古事記をただの荒唐無稽な作り話や童話としてしか読まないことは、間違ってはいないかもしれないけれど、大人の読み方として不足であるということができます。


20171202 古事記


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2月8日(木)18:30 第23回 百人一首塾
2月18日(日)18:30 第48回 倭塾公開講座
※2月の倭塾・百人一首塾の開催日が変更になっています。
 *****

『古事記』の序文に、「邦家の経緯、王化の鴻基」という一文があります。
「邦家の経緯」は天皇の成り立ち、「王化の鴻基」は天皇統治の基本です。
「天皇の成り立ち」というのは、神々の創生から始まって、高天原における天照大御神による「知らす」の実現、そして天照大御神のご意思に基づく葦原の中つ国の平定、そしてその後万世一系と続く歴代天皇へと続く我が国の根幹のことをいいます。
「天皇統治の基本」が「知らす」です。
それは神々と直接つながる天皇が国家最高の権威であること、その権威と権力の分離、国家最高権威によって民が「おほみたから」とされる皇臣民という日本社会の基本構造です。

書かれたものには、必ず「書いた目的」があります。
まして『古事記』は、その序文で上記の目的をあきらかにしています。
つまり古事記は、天皇の成り立ちをあきらかにし、国家統治の基本となる「知らす」を具体的に記述することを目的として書かれたということです。
そうであれば、古事記をただの荒唐無稽な作り話や童話としてしか読まないことは、間違ってはいないかもしれないけれど、大人の読み方として不足であるということができます。

日本の文化は、いずれも「子供にもやさしいけれど奥が深い」のです。
お茶を飲むだけなら、離乳を始めたばかりの赤ちゃんにもできますが、茶の道を極めることができるのは、一生をかけても、ごくわずかな人しか深淵に到達できないものです。

華道も同じで、花を活けるだけなら、子供にもできますが、華道を極めるには幾年にも及ぶ血の滲むような努力が必要です。
それをやっても果たして師匠の域に到達できるのは万人にひとりあるかないかです。

剣道も、棒振りだけなら三歳児にもできます。
しかし剣の道を極めることができるのは、幾世代にひとりあるかないかです。





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古事記3の一部



私の尊敬するある方は、すでに70歳代の半ばの小柄な方ですが、「長く柔道をやってきたけれど、いまが一番強い」とおっしゃいます。
柔道と言えば、いまではただ試合に勝つことを目的としたスポーツ「jyudo」が盛んです。
スポーツ「Jyudo」は、体力勝負です。
身体が大きくて力の強い者が有利です。
だからスポーツ「jyudo」は、体重別に競技が行われます。

しかしもともとの日本の武道としての柔道には、体重別などありません。
有効も効果もありません。
体の小さい者、体躯ではるかに劣る者が、力の強い大男を、まるで薪(まき)を放るようにポンポンと投げ飛ばす。
年齢も関係ありません。
三船久蔵十段は、70歳代の高齢になってもなお、若手の高段者をまるで子供を相手にするようにポンポンと投げ飛ばしていました。

石川啄木の次の歌は、聞かれたことがあると思います。

 東海の 小島の磯の白砂に
 われ泣きぬれて蟹とたはむる

 たはむれに 母を背負ひてそのあまり
 軽(かろ)きに泣きて三歩あゆまず

だいたい高校生くらいで学校の国語の授業で習います。
しかし高校生がこの和歌を読んでも、「繊細だなあ」くらいか感じることができないかもしれません。
ところが30代、40代の現職世代になると、この歌が心に沁みるようになります。
そして、ふと目頭が熱くなったりします。

ところがそれが60代、70代になり、自分が「あまりに軽き母」の側の世代になると、
むしろ
「そんなところでくじけちゃいけない。
 人生には辛いことも悲しいこともたくさんある。
 それを乗り越えることこそが人生なのだ」
などという感想を持つようになります。
歌そのものはひとつでも、その捉え方は年齢とともに、あるいは人生経験とともに変わってくるのです。

我が国は、長い歴史が一度も途絶えることなく続いてきた国です。
その何千年、もしかしたら何万年の民族の営みの中で、変わらないのは親子の愛であり、祖父母の愛です。
子や孫に、少しでも自分が得た教訓を役立ててもらいたい。
そうすることで、よりよい未来を築いてもらいたいと思う気持ちは、いつの時代も変わらないものです。
そして国が続いてきたということは、その思いもまた、ずっと継続してきた国です。

残念ながら諸外国ではそうはいきません。
民族ごと破壊・壊滅させられ、強い者が弱い者を滅ぼし、蹂躙し、その滅ぼした強い者もまた、次の別な民族に滅ぼされてきた歴史を持ちます。
ですから革命や改革の都度、その地域の人口は、3分の1から3分の2が失なわれました。
一族は離散し、先祖の記憶も失われ、ときに言語さえも失われる。
そして地域の地権者や権力者が総入れ替えとなり、その都度、社会がゼロから始まってきたのが、世界の歴史です。
だから神話さえも奪われ、失われてしまっています。

昔、伝言ゲームが流行ったことがありました。
修学旅行のバスの中で、前の席から順に後ろの席の人に伝言をしていくと、わずかな間に話の中味が変質してしまい、それをみんなで笑い合うというゲームです。
少し考えたらわかることですが、同じ民族であり、同じ祖先を持つ者同士であったとしても、まだ交通機関があまり発達していなかった古代においては、地域ごと豪族ごとに、それぞれの神話や伝承が変化していったであろうことは、容易に想像がつくことです。

白村江の戦いの頃までの日本がまさにそういう時代でした。
しかも歴史が古い。
何百年も、ときには何千年も続いている一族です。
ですから全国の諸豪族ごとに、おそらくもとは一緒だったのだろいうけれど、いつのまにか豪族ごとに神話も伝承も、様々に変化していたようです。

そのことを古事記は序文で、
「諸家(もろいえ)のもたらされているところの
 帝紀(すめらきのひつき)及び本辞(さきつよのことば)は、
 すでに正実(まこと)に違(たが)ひ、
 多く虚偽(いつはり)を加えたり」
と書いています。だから、
「今の時に当りて、その失(あやまり)を改めずば、
 幾年(いくとせ)も経(へ)ずして、
 その旨(むね)滅びかねないであろう」
だから、
「帝紀を撰録し、旧辞を調べて、
 偽りを削り真実を見定めて、
 後の世に伝えよう」
ということで書かれたのが『古事記』であると、これは序文に書いてあることです。

では、そうまでして伝えようとした「天皇の成り立ち」や「天皇統治の基本」は、大国主神がウサギと話したとか、頭が八つある蛇に一杯飲ませてこれを倒した、あるいはアメノウズメが裸踊りをして八百万の神々が喜んだとか、そのような物語なのでしょうか。

このように書けば、誰もが「そんなわけはないだろう」とお笑いになることと思います。
しかし残念ながら、大真面目に我が国の神話とはそのようなものであるとしか語られてこなかったというのが、戦後の現実です。

では、本当のこと、『古事記』が伝えようとした物語とはいったいどのようなものなのか。
そのことを、私たちは大人としてしっかりと読み解いて行かなければならないのだと思うのです。
なぜなら、それは私たちと直接血の繋がった祖先が、7世紀の終わりに、まる30年という途方もない長い歳月をかけて遺してくれた物語だからです。

そして『古事記』は、不思議な事に漢字で書かれています。
私たちは、漢字を学校で、音読みと訓読みがあると教わります。
しかしもともと漢字というのは、言葉のまったく違う異民族であっても、漢字の成り立ちから、そこに書いて有ることを知ることができることを目的に使われ広まった文字です。
ですからいまでも、同じ漢字を使っていても、北京語と広東語では、読みはまったく異なります。
このことは、私たち日本人も、同じ漢字に、「呉音、漢音、宋音」などと、時代ごとに様々な音読みがされていることを学校で教わります。

つまり漢字というのは、はじめに「読みありき」ではなく、はじめに「意味ありき」の文字なのです。
ですから私たちの祖先は、その漢字に、大和言葉としての訓読みを与えています。
『古事記』が書かれた時代というのは、まだその試行錯誤が行われていた時代です。
そしてこのことを『古事記』は、
「大和言葉の意味と漢字の意味が一致するときには漢字で、
 一致しないときは、<以音(こえをもちいる)>と
 注釈を付した」
とちゃんと序文に書いています。

そうであれば、私たちは、古事記をその注釈と、漢字の意味そのものに注目して、古事記をしっかりと読み解いていかなければならないことになります。
すると、たとえば大国主神が助けたのは「ウサギ」ではなくて、漢字で「菟(と)」と『古事記』は書いています。
「ウサギ」を助けたのではないのです。
「菟(と)」を助けたのです。

いまでは『古事記』の解釈の影響で、「菟(と)」という漢字も「うさぎ」と読むようになりました。
しかし動物のウサギなら、耳が長いですから、本来は「兎」と書かなければならないことです。
では『古事記』に使わわれている「菟(と)」とは何を意味するかというと、植物のネナシカズラのことです。
冒頭に貼った写真が、そのネナシカズラです。
ネナシカズラは、根っこを持たない寄生木です。
つまり、根っこを持たない人、言いかえれば、土地を持って農業をする人ではない、行商などをする人という意味で、『古事記』は、「菟」を登場させているわけです。

このことから大国主神が築いた「大いなる国」というものが、商業や流通を中心として繁栄した国家であったということを私たちは読み取ることができます。
そして国譲りのうえ、天孫降臨した迩々芸命(ににぎのみこと)は、流通ではなくモノづくりを大切にする国家の基礎を築いたという物語に接続していることを、私たちは知ることができるのです。

同様にヤマタノオロチも、『古事記』はどこにも「八本頭の蛇」だなどと書いていません。
書いているのは「遠呂智(おろち)」です。
そして「以音」と注釈をしています。
つまり「遠呂智」という漢字には何の意味もなくて、これは大和言葉の「オロチ」であるということを、ちゃんと注釈に書いているのです。
そして大和言葉の「オロチ」というのは「愚地(おろち)」のことをいいます。
これは、すこし前にあった広島の土砂災害のように、人が住んだり農耕をしたりするのに適さない土地のことを言います。

それが「八俣(やまた)」です。
八は古代の言葉で霊数で、数多くのという意味を持ちます。
つまりいくつあるかわからないほどのたくさんの水源地から水が流れ込む、水害に遭いやすい土地のことを、古事記は「八俣遠呂智」と書いています。

イザナミが黄泉の国で腐乱死体状態になっていたという記述にしても、子供向けなら、そういう読み方でも良いと思います。
しかし『古事記』は、どこにもイザナミが腐乱死体状態だったなどとは書いていません。
書いているのは、「イザナミにウジがたかりて、コロロキて、頭には大雷、胸には火雷、腹には黒雷、陰には拆雷、左手には若雷、右手には土雷、左足には鳴雷、右足には伏雷と、あわせて八つの雷神が居た」です。

「コロロキ」というのは、原文では「許呂呂岐」で、これは「以音」と注釈されています。
つまり漢字には意味はなく、これは大和言葉であるということです。
一般には「ウジがたかって、コロコロと音を立てていた」と訳されていますが、原文は「許呂呂岐(ころろき)」であって、「コロコロ」ではありません。
「ころろき」は古語で、今風に書いたら「嘶(こころ)き」です。
あるいは「ひひらき、いななき」とも読みます。
「いななく」は馬が鳴くこと、「ひひらき」や「こころき」は「しゃべる話し声」のことをいいます。

そもそも古事記は、「蛆」という字を使っていないのです。わざわざ「宇士多加礼許呂呂岐弖」と書き、その後に「此十字以音」と注釈しています。
「宇士多加礼(うじたかれ)」が蛆虫のことなら、「許呂呂岐(こころき)」の説明がつきません。
そもそも蛆虫は、たくさん湧いても、コロコロと音をたてたりしません。

では『古事記』が何を言っているのかというと、これは「まるで蛆が湧いたように大勢の氏(うじ)が密集してガヤガヤとざわめいている様子を見た」という意味になります。

続けて『古事記』は、雷神を列記していますが、大きな雷や、火の雷、拆(さ)けた雷、鳴る雷くらいなら、想像もつきます。
しかし黒い雷、若い雷、土の雷、伏せた雷となると、これは想像がつきません。
つまり、それは空に走る雷や、電気の火花のようなものではないということがわかります。
では、何を意味しているのか。

そういうことを、しっかりと読み込むことが、大人の『古事記』の読み方であろうと思うのです。

しかし残念ながらそのような視点で古事記を書いた本は、これまでありません。
そこで単行本にしたのが、
『ねずさんと語る古事記、壱〜参』です。

そしてこのような読み方で古事記を紐解いてみると、古代の私たちの祖先が、私たち子孫に残そうとした様々な事柄が、まさに現代にも通じる人生訓として、あるいか取り戻すべき日本の国家観として、実に明快に迫ってくることに驚きます。

是非、座右の書としてご活用いただければと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。

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20160810 目からウロコの日本の歴史


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コメント
古代のお葬式 その半端ない手間と膨大な時間
例えば、古墳時代に貴人が亡くなった場合、猛スピードでお葬式や埋葬が行われたわけではありません。
死亡から非常に長い時間をかけて埋葬に至りました。

その間に、遺体が傷んでしまったり、最悪のケースとして「うじたかれ、ころろきて・・・」という状態になる事もあったでしょう。
ですから、閉ざされた空間で、遺体を洗い清めたり、悪霊払いをやったり、死者の御霊を和ませ、鎮める為に様々な儀式が執り行われたそうです。
そして、その後、改めて盛大な本葬が行われます。

遺体が変わり果てた姿になる事で、「本当に亡くなったのだ」という実感も湧いたでしょうが、逆に、遺体が乱れ悪霊が憑りつき、子孫に祟り、死者がいつまで経っても「成仏」しない事態を酷く恐れる人間の心理も窺い知る事ができます。

以前、東日本で多く見られた縄文・弥生時代の「洗骨」や「再葬」にも同様の心理が見え隠れすると言った事がありました。
土葬した遺族の白骨を掘り起こし、磨いて再度お葬式をするという大変な手間。
死者に対する愛情もあるでしょうが、ここまでしたらもう、死者は「成仏」するしかないでしょう。
沖縄の伝統的な「洗骨」の風習も、ある一定期間を過ぎたら「完全な形であの世へ送ってやる」という強い思いがあるはずです。
2017/12/06(水) 10:43 | URL | 疑問 #iydQorAY[ 編集]
No title
こんにちは。古代日本に住んでいた人々は、言葉をとても大事に扱いました。
多分それは、言葉がカミと結びついていたからでしょう。祝・呪は神事とも
結びついていたからでしょう。日本の信仰は、神道という形をとりましたが、
言葉を大事にするがゆえに、ドグマ(経典)を持たない。言葉は人を育ても
するが、人を縛り洗脳するものでもあるからです。言葉は結局は人間が表す
ものでしかなく、カミそのものでは無い。言葉で書かれた経典は、カミの御
業ではない。だから二元論に陥ったり、狂信者、原理主義者を生み出したり
する・・そして言葉を言葉でもって非難しあい宗派がわかれ対立・・これも
人間らしいと言えば言えますが・・・。
古代の日本人達は言葉を大事にするからこそ、輸入した漢字の使い方もまた
日本らしく魔改造で遊んでいるような気配も・・w
”皇”という漢字~白・王でできています。白は日本で伝統的に貴ばれた色だ
そうで・・カミさまのお使いの白い鹿とか。シロのオオキミ~つまり祭祀を
司るおおきみ。天武帝が天皇という表記を用いるようになったのは、やはり
国外対策なだけでなく国内の百済系亡命移民対策もあったか?
この白という文字は万葉集を始めいろんな和歌の歌集に見られます。その時々
により、微妙~な意味合いが色付けされているようにも思えますねw



2017/12/04(月) 00:21 | URL | くすのきのこ #-[ 編集]
日本語と日本人の他界観
>宇士多加礼許呂呂岐弖

うじたかり、ころろきて・・・

現代人が読んでも、場景の想像が可能な日本語ですね。

古墳時代の人々は、死者を古墳に埋葬する間に、遺体が腐乱し、悪霊が乗り移って暴れ出すという事を非常に恐れ、その為に、遮蔽した空間で遺体を水で洗ったり、死者を和ませる為に、専門職の人々が様々な儀式を執り行ったと言われています。

真心を込めて死者をあの世に送ると同時に、死者に悪霊が憑りついたり、現世の人々に祟ったりする事も非常に恐れたのでしょう。
2017/12/03(日) 10:47 | URL | 疑問 #iydQorAY[ 編集]
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
最新刊
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』

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口座名義 小名木善行
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私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

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