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先人たちが目指した日本の姿。それは私達の国が常に「よろこびあふれる楽しい国(=豈国)」であり続けることです。


身分や地位、家柄などよりも前に、日本人は誰もが日本人なのです。

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醍醐忠重海軍中将
醍醐忠重海軍中将
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画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


階級闘争史観というのは、兎にも角にも、社会の上層部にある者たちは、全部「敵」であり、その「敵」が独占する富を奪い取ればみんなに幸せがやってくると考える、極めて幼稚な歴史観なのですが、そのようなものに我が国の学問界や文化芸術界などが染まってしまっていたというのは、なんともお寒い限りです。
貴族だ庶民だ対立だと考える前に、たった一点、貴族も武士も平民(庶民)も、等しく同じ日本人であったのだという視点を持つことです。


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 *****

戦後のアニメや映画、ドラマなどにおいて、常に「いかがわしい存在」として描かれてきたのが貴族、いわゆるお公家さんです。
武士たちが忠義を尽したり武芸を競うような映画やドラマでは、お公家さんはいかがわしい権威のもとでなにやら陰謀を働くおかしな人たちであるかのように描かれたし、文学の世界においても、我が国の誇るべき和歌など、あたかも公家は恋愛にのみうつつをぬかしていた存在であるかのように歪めて描かれ続けていました。

おもしろかったのはテレビ時代劇の連続ドラマ『柳生一族の陰謀』(昭和53年)で、亡くなった成田三樹夫演ずる烏丸少将文麿が、化粧をしたお公家さんの陰謀家で、「くじゃれ、おじゃれ」を連発しながら、やたらに剣が強い達人を演じていました。これが実に名演で、毎回楽しみに視聴していたことを覚えています。
ちなみに成田三樹夫さんといえば、東大生だった人で、悪役が多かったですが、実はとても知的な人であったそうです。

これよりすこし時代を遡ると、昭和29年の大映映画『山椒大夫』がありました。
森鴎外原作の小説を映画化した作品で、田中絹代が主演、安寿を香川京子、厨子王を花柳喜章が演じたのですが、世の不正に立ち向かう貴族の若者の姿が描かれました。

漫画の世界では、里中満智子さんが持統天皇の生涯を描いた『天上の虹』があります。が、世の中が持統天皇といえば権力を振りかざした横暴な女帝と解釈している中にあって、唯一持統天皇に好意的な解釈を施した作品でした。
世間一般の解釈と異なるものであっただけに、連載当時は相当な非難もあったようですが、ただ少女漫画であり、あくまでも創作だということで、里中さんは信念を貫かれたようです。
ただ、連載する出版社を次々と変えながらでしたから、たいへんなご苦労であったことと思います。

しかし、思い当たるのはこの程度で、他の作品においては歴史研究も含めて、奈良平安の時代は貴族たちが民衆を厳しく搾取しながら、贅沢三昧と愛欲に満ちたふしだらな生活を送っていた暗黒の時代という、階級闘争史観に基づいた解釈をしたものばかりであったように思います。
いまでも学校の教科書を見れば、当時の生活は、一般庶民がアワやヒエばかり食べていた中にあって、貴族たちはまるで宴会料理のような豪勢な食事を楽しんでいたかのように、わざわざジオラマの写真付きで書かれています。

階級闘争史観というのは、兎にも角にも、社会の上層部にある者たちは、全部「敵」であり、その「敵」が独占する富を奪い取ればみんなに幸せがやってくると考える、極めて幼稚な歴史観なのですが、そのようなものに我が国の学問界や文化芸術界などが染まってしまっていたというのは、なんともお寒い限りです。

貴族だ庶民だ対立だと考える前に、たった一点、貴族も武士も平民(庶民)も、等しく同じ日本人であったのだという視点を持つことです。
階級の前に、私たちは誰もが日本人なのです。
そして日本人とは、天皇のもとに「おほみたから」とされ、誰もがその「おほみたから」のために自分の人生を捧げて生きてきた民なのです。





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古事記3の一部



そのお公家さん出身の海軍中将がいます。
醍醐忠重(だいごただしげ)海軍中将です。
終戦当時、日本海軍の第六艦隊司令長官だった方です。
第六艦隊というのは潜水艦の艦隊です。
この醍醐陸軍中将という人の生きざまを通じて、我が国の貴族というものが、どのような人たちであったのか。
いまいちど考えていただければと思います。
身分や地位、家柄などよりも前に、日本人は誰もが日本人なのです。

醍醐中将は、明治二十四(1891)年、名門貴族の醍醐家の嫡男としてお生まれになりました。
醍醐家というのは、旧侯爵家です。
れっきとした華族のご出身です。
華族というと、なにやらひ弱なイメージを持たれる方もおいでになるかもしれません。
けれど醍醐中将は、まさに人として男として、そして帝国海軍軍人として、誰よりも尊敬に値する生き方を貫かれた人でした。

醍醐中将の父親は、戊辰戦争で奥羽鎮撫副総督などを務めています。
けれど醍醐中将がまだ八歳の頃に他界されました。
母も相次いでお亡くなりになり、醍醐忠重は、孤児となって一條家にひきとられました。

子供の頃の醍醐中将は、乃木大将が院長だった頃の学習院旧制中等科に通いました。
そして同時に、嘉納治五郎の講道館で柔道を修業しました。
とても強かったそうです。

明治四十二(1900)年に、海軍兵学校に、第四十期生として入校しました。
入校時の成績は、百五十名中、百二十六番だったそうです。
それが入学後の猛勉強で、卒業時には百四十四名中、十七番になっていました。
たいへんな努力家であったということです。

兵学校で同期だった福留繁元海軍中将によると、兵学校当時の醍醐中将は、「(華族の家柄だけあって)さすがに行儀が良く、上品で服装もきちんとしていた。酒を飲んでも少しも乱れることはなく、謹厳で、しかも謙譲な奴だった」そうです。

昔は、海軍兵学校で成績上位者は、一定の現場勤務のあと、海軍大学校に進学しました。
卒業すれば、その日から高級士官になるからです。
けれど醍醐中将は現場勤務を選択しました。

海軍では、はじめ巡洋戦艦「吾妻」の乗組員になりました。
そして大正六(1917)年に、初の潜水艦勤務に就きました。
このときの潜水艦勤務が、その後の彼の一生を決定づけました。

当時大尉だった醍醐のもとに、練習艦隊参謀にという内示があったけれど、彼は断りました。
醍醐中将は、生涯を潜水艦に賭けようとしたのです。

彼が少佐として潜水艦長だった頃のことです。
海軍が艦隊をA軍、B軍に分けて、大演習を行いました。
このとき醍醐中将が艦長を務める潜水艦は、たった一隻で、相手チームの戦艦群がいる厳戒態勢の舞鶴港に侵入し、相手の全艦隊を轟沈、ないしは大破させるというはなれ業をやってのけています。

もちろん演習ですから実弾は使用していません。
けれど警戒碇泊中の連合艦隊全艦が、忠重が艦長を勤めるたった一隻の潜水艦の奇襲に、なすすべもなく、全滅させられたのです。
この手腕に、当時の海軍関係者全員が、まさに度肝を抜かれています。

昭和十三(1938)年、醍醐中将にご皇室の侍従武官の話がもちあがりました。
このとき彼が海軍大学校を出ていないからと反対意見があったそうです。
しかし人格、識見からいって充分適格との上層部の判断で、彼は見事侍従武官になっています。

当時を振り返って、入江侍従は、
「醍醐さんは、まじめで冗談など滅多に言われない方でしたが、決して固苦しい方ではなく、非常にやわらかい、温かい雰囲気をもった方でした」と語っています。

さて、戦争も末期となった昭和二十(1945)年五月のことです。
醍醐中将は第六艦隊司令長官に就任しました。
このとき、第六艦隊の全員が、歓喜して彼を迎えました。
潜水艦を愛し、潜水艦を知り、部下たちの心を理解する醍醐中将の長官就任は、まさに艦隊全員の喜びだったのです。
醍醐の長官就任で、戦争末期の重苦しい艦隊の気分が、まさに一新されたといいます。

この頃、第六艦隊で、作戦可能な潜水艦はたったの九隻でした。けれど醍醐中将が司令長官となった潜水艦隊は、以降、めざましい戦果をあげます。
重巡インデアナポリス撃沈。
駆逐艦アンダーヒル撃沈。
駆逐艦ギリガン大破。
なかでもインデアナポリスは、原爆を、テニアン島に運んだ重巡です。
そのインデアナポリスに、伊五十八潜水艦は、六本の魚雷を発射し、三本を命中させて撃沈しています。
このことを、当時のニューヨークタイムズは、「わが海戦史上最悪の一ページ」と書いています。

この頃の第六艦隊の潜水艦は、どれも人間魚雷「回天」を搭載していました。
醍醐中将は、その回天の出撃の都度、必ず出撃の基地を訪れて、連合艦隊司令長官から贈られた短刀を搭乗員に授与し、激励しました。
そのとき、出撃する回天の乗員ひとり一人と握手するとき、醍醐中将の眼はうるみ、顔には深刻な苦悩がにじんでいたそうです。
優秀な若者を特攻させなければならないのです。そ
のことに醍醐中将は深く悩んでいたのです。

終戦直後のことです。艦隊司令部の機密費の処理をどうするかという問題が起こりました。
このとき、第六艦隊には、かなり巨額の金が残っていたのです。
そしてそのお金の処分が、醍醐長官の決定に委されました。

醍醐中将は、
「このお金は国家のお金です。ですから一銭たりとも私すべきものではありません。何か有意義な使い道はありませんか?」と、鳥巣参謀に相談しました。

鳥巣参謀は、
「回天で戦死した搭乗員の霊前に供えたらどうでしょう。本来なら戦死者全員に供えられれば良いが、この混乱の中ではとても手が回りかねます。回天関係ならば全員わかっていますから」と答えました。醍醐中将はこの方法に賛成し、即座に決定しました。

決定は、昭和二十一(1946)(年正月から春にかけて実行に移されました。
各幕僚が手分けして遺族を訪問し、長官の弔意を捧げ、香料を供えました。遠距離でどうしても行けないところには郵送しました。

このときの醍醐長官の弔辞が、いまに残っています。
以下にその弔辞を引用します。わかりやすさを優先するために、いつものねず式で、現代語に訳してみます。

*****
【弔辞・謹みて回天特別攻撃隊員の英霊に捧ぐ】

去る八月十五日、終戦の大詔下りました。
皇国は鉾(ほこ)を収めて、ポツダム宣言受諾のやむなきに至りました。
まことに痛恨のきわみにして、何をもってこれをたとえたらよいのか、言葉もありません。
散華されたみなさんの忠魂を思えば、哀々切々の情、胸に迫って胸が張り裂けんばかりです。

かえりみるに、みなさんには、志を立てて海軍に入り勇躍大東亜戦争に臨んでいただきました。
けれど戦い中途からの戦況は厳しく、そのためにみなさんは回天特別攻撃隊員となり、そして戦勢を挽回しようとしてくださいました。
その闘魂は、まことに鬼神をも泣かしむるものです。

みなさんは秋霜烈日の訓練に従事されました。
ひとたび出撃するや、必死必殺の体当り攻撃をして敵艦船を轟沈する偉功を樹ててくださいました。
そして、悠久の大義に殉じられました。
まことにその忠烈、万世に燦然と輝くものです。

けれど、みなさんの武勲が赫々(かくかく)たりしものであったにもかかわらず、戦い利あらず、ついに今日の悲運となりました。
いったい誰が、今日のこの事態を予期したことでしょうか。

私達は、みなさんの期待にそうことができませんでした。
ですから、みなさんの忠魂を慰めることなどできかねます。
ああ、なんと申し上げたら良いのでしょう。

けれど、みなさんの誠忠遺烈は、万古国民の精髄です。
必ずやみなさんの七生報国の精神は、脈々と続き、永遠に皇国を護ることでしょう。

今、皇国は、有志以来最大の苦難に直面しています。
今後におけるイバラの道は、実に計り知れません。

けれど、私達は必ずや、みなさんの特攻精神を継承し、たえがたきをたえ、忍び難きを忍び、もって新日本の建設に邁進することをお誓いします。

願わくば、やすらかにお眠りください。
ここに、敬弔の誠を捧げ、みなさんの英霊を慰める弔辞とします。

元第六艦隊司令長官
海軍中将 侯爵 醍醐忠重
**********

遺族の中に、復員して帰って来た弟が、そのお蔭で大学に入ることができた人がいました。
彼は亡き兄のひき合わせであると言って父母と共に喜び、やがて大学を卒えて立派な社会人になりました。
その話を聞いとき、鳥巣元参謀は心から喜ばれました。
「長官がお聞きになったら、さぞ喜ばれたことだろう」
しかしそのとき、醍醐中将はすでにこの世の人ではありませんでした。

昭和二十一(1946)年十二月のことです。
醍醐中将は突然、オランダ当局による逮捕命令を受けました。
そしてその日のうちに巣鴨に収容され、さらにバタビアを経て、翌年二月上旬に、ボルネオのポンチャナック刑務所に移送されました。

醍醐中将は、昭和十八年十一月から第二十二特別根拠地隊司令官として、ボルネオに駐在していたのです。
そこでポンチャナック事件に遭遇していたのです。
ポンチャナック事件というのは、概略次のような事件です。

昭和十八年頃から、日本の敗勢を予想した南ボルネオでは、オランダの一大佐の指揮するゲリラ部隊が、華僑やインドネシア人をまき込んで、反日の運動を激化させていました。
こういう作戦は、戦時においてはあたりまえのようにあったものです。
後方をかく乱させ、敵の戦力を削ぐために、反乱分子にカネや武器を渡して、その反抗をあおるのです。

ある日、ポンチャナックの特別警備隊長をしていた上杉敬明大尉のもとに、副隊長の中村少尉から、ある情報がもたらされました。
それは、十二月八日の大詔奉戴日に行なわれる祝賀会の際、接待役を命ぜられていたインドネシア婦人会のメンバーのための飲料に、反日運動家らが毒を混ぜて、日本の司政官や警備隊幹部、ならびに現地人で構成する婦人会員を皆殺しにし、同時に決起部隊が蜂起して一挙に日本軍を一掃しようとする、というものでした。

報告を受けた第二十二特根司令部は、ただちに容疑者らの逮捕と、彼らの武器・弾薬の押収を命令しました。
そして調査の結果、逮捕された千余人は、まちがいなく反乱の陰謀を企てていたことが確認されました。

しかし、ポンチャナック付近には千人も収容する施設はありません。
そのうえ付近海面にはすでに敵潜が出没しています。
つまり、逮捕した犯人を、別な島に送ることができない情況あったのです。
さらに日本軍の警備隊といっても、たかだか百人ほどしかいません。
さらに、逮捕されていないゲリラもあとどのくらいいるかわからない。
いったん反乱が起きれば、むしろ日本側が全滅するのは目に見えています。
そこで司令部は、四月上旬、上杉大尉に彼らの即時処刑を命じました。

その一方、終戦後のボルネオでは、逆に、オランダからの猛烈な離反、独立運動が起こっていました。
オランダにしてみれば、現地人をたらしこんで憎っくき日本を追い出しさえすれば、ボルネオは手に入ると思っていたのに、実際には、そのオランダ人を、ボルネオの人々は排除したがっていたのです。
そこでオランダは、現地人たちの鉾先をそらすために、ボルネオの民衆の前で、「君たちを苛んだ日本軍を我々が追い出したのだ」という、報復裁判を演出しようと企図しました。
こうして醍醐中将は、戦争終結後一年半も経ってから、ポンチヤナック事件の日本側総責任者として、ポンチヤナック刑務所に収監されたのです。

このポンチヤナック刑務所というのがひどいところでした。
郊外の沼田の中にあり、土地が低いために雨が降ると水びたしになります。
しかも井戸もなく、飲み水はすべて天水です。
貯めた天水には、ボウフラがわいています。
不衛生極まりない悪環境です。
昭和四十九年になって、上杉大尉と同期だった小説家の豊田穣氏がこの地を訪れているのですが、三十年近い時を経由しても、その汚さはまったく変わっていなかったと、著書に書いています。

醍醐中将は、昭和二十二年二月にこの刑務所に入れられました。
刑務所の周囲には、深さ二メートルほどのドブがあります。
そこは猫の死体などが浮いていて臭気のひどいところでした。

看守は、そのドブさらいを醍醐中将に命じました。
普通、これはありえないことです。
海軍中将といえば、国際的には三ツ星のヴァイス・アドミラルです。
それだけの高官は、世界中どこに行っても敬意をもって迎えられるものだからです。

けれど、オランダの醍醐中将に対する措置は、その真逆のものでした。
これは報復です。
醍醐中将は、真っ暗などぶの中にもぐって、メタンガスで窒息しそうになりながら、何時間もかけてドブの掃除をしました。
それだけではなく、毎日、笞で打たれたり、殴られたりもしました。
しかし醍醐中将は、最後まで泣き言も愚痴も、ひとことも口にしませんでした。

インドネシア人の看守は、ついに醍醐中将の堂々とした態度に心惹かれてしまいました。
そして、
「自分の権限でできることなら、何でもしてあげるから申し出なさい」と言ってくれるようになりました。

どのみち報復目的の一方的裁判です。
すべてが書類の上で運ばれ、反対訊問も、証人を呼ぶことも許されず、裁判はわずか三時間で終わりました。
そして十月三日、醍醐中将に死刑の判決が言い渡されました。

死刑の判決が出ると、その後に、助命嘆願書をオランダ総督に提出するのがしきたりです。
嘆願書が却下されてはじめて死刑が確定するのです。
死刑が確定した時、通訳が醍醐中将にそのことを伝えると、醍醐中将は、
「ありがとう。大変お世話になりました。オランダの裁判官の皆さんに、あなたからよろしく申し上げてください」と静かに言ったそうです。

処刑は民衆の面前で行なわれました。
処刑の模様を、華僑新聞が次のように伝えています。

「醍醐はしっかりと処刑台上に縛りつけられ、身には真っ黒の洋服を着用、頭にはラシャの帽子を被り、目かくし布はなかった。
努めて平静の様子だった。
刑執行官は希望により歌をうたうことを許したので、彼は国歌を歌った。
その歌調には壮絶なものがあった。
歌い終わって、さらに彼は天皇陛下万歳を三唱した。
それが終わると、直ちに十二名の射手によって一斉に発砲され、全弾腹部に命中し、体は前に倒れ、鮮血は地に満ちた。」

陸軍の現地軍司令官として同じ獄中に生活し、醍醐中将の四カ月後に処刑された海野馬一陸軍少佐は、醍醐中将の処刑のことを、どうしても日本に伝えたくて、彼が持っていた谷口雅春著「生命の実相」という本の行間に、針穴で次の文を書き綴りました。

これはのちに彼の遺品として日本に返還されています。
そこには、次のように書いてあります。
「十二月五日
昨日、醍醐海軍中将に死刑執行命令が来た。
閣下は平然としておられる。
実に立派なものだ。
一、二日のうちに死んで行く人とは思えぬ位に。
かつて侍従武官までされた人だったのに。

十二月六日
海軍中将侯爵醍醐閣下銃殺さる。
余りに憐れなご最後だったが、併しご立派な死だった。
国歌を歌い、陛下の万歳を唱し斃れられた。
その声我が胸に沁む。
天よ、閣下の霊に冥福を垂れ給え。
予と閣下とはバタビア刑務所以来親交あり、予の病気の時は襦袢まで洗って頂いたこともあり、閣下は私のお貸しした「生命の実相」をよくお読みになり、死の前日、そのお礼を申された。
閣下の霊に謹んで哀悼の意を表す。」

東日本大震災の現場でも、たいへんな避難所生活の中で明るくみんなを励ましながら生きておいでの方が、日本にはたくさんいました。
よく「頑張る」と言いますが、日本語のガンバルは、「顔(がん)晴(ば)る」であるともいいます。

醍醐中将は、名誉や地位よりも、現場の一兵卒としての道を選ばれた人です。
華族でありながら、普通の日本人と一緒に働く方でした。
誰よりも努力し、潜水艦長、艦隊司令長官にまで出世しました。
本人が謙虚でいても、周囲はちゃんと見ていたのです。

明らかにオランダ側に非があるのに、その責任をとらされ、処刑されました。
泣き言も言わず、ぶたれても、窒息しそうなドブ掃除を任されても、愚痴も言わず、それだけでなく、身近な刑務所の看守たちには、いつも笑顔でやさしく接しました。
君が代を歌い、陛下に万歳を捧げられ、逝かれました。

醍醐中将の生きざまに、まさに日本人としての生きざまがあります。
醍醐閣下のご冥福を、心からお祈り申し上げます。


※この記事は2011年4月の記事のリニューアルです。

お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
※1、3
お前ら持ててないな(笑)反日左翼ごときの能書きに誇りが持てるとは笑えるなぁ。「この記事を読んで卑屈な出来損ない共のお前らも誇りを持とうね^^」
2018/02/09(金) 00:12 | URL | あ #-[ 編集]
当たり前
まあ自国に誇りを持って生きるなんてのはごくごく当たり前の生き方だと思いますけどね。わざわざ今更言われるまでも無い。むしろ何故できないのか。
2018/01/31(水) 19:40 | URL | ひじき君 #-[ 編集]
No title
こんにちは~。人それぞれでは?
この国土は天災国で、天災を天恵に繋げれるかを常に試されています。
どんな人種が入り込もうが、合わない血筋は絶える。その繰り返し。
その中で培われてきた体制というものは、言葉による思想などでは括
れませんw例えば江戸時代など、社会の底辺の者達ほど獣肉を食する
ような食の多様性がありましたw山の農村ではイノシシがシカがwそ
うした底辺とそのすこ~し上の・・またすこ~し上の・・こういう層
が当然接触してましたしw獣肉は薬食として珍重。しかし上層の階級
はおいそれと口にできない縛りが・・。将軍様など粗食プラス毒見と
いう名の他人様のつついた後の食事w江戸庶民は美味しい白米を食べ
てビタミン不足で脚気死、だから蕎麦屋が流行った。農民は玄米に麦
に蕎麦に雑穀にで脚気とは何?状況。伝統や慣習の全てが良いわけで
も、時代に合っているわけでもない。常に新しいものを受けて、いず
れ合わないものは消えていく・・こ~んな所にも栄枯盛衰~w
階級対立史観は単なる一つの説でしかない。実際の暮らしというもの
は、各層、各業種など全てがお互いに互恵し合い交わって成り立って
いる。対立ばかりしてても暮らせないし食っていけませんからw
・・・しか~し・・究極のポピュリストだった・・つまり聞き分けの
よい八方美人だった近衛文麿内閣が敗戦へ~壊滅へ~と引っ張っていっ
たのは事実です。ですから時には対立も必要なのですよ。お公家さん
も時代により変質していってますね。その中で血筋を保存する努力は
凄いです・・言い換えると政略結婚は当然という縛り・・子供が生ま
れなければ男系・女系を問はず存続のために手を打つとw庶民には、
運がいいと下でも婿養子あるいは玉の輿で側室、学問や寺での立身と
いう手があり、上は逆に尼寺へ~出家~あるいは武家であれば部屋住
み~商家・農家へ~と。社会はゆる~く循環してますねw人それぞれ。
人生は舞台、人はみな役者・・というのはシェイクスピアwせっかく
この天災国・天恵国に生まれついたわけなのです。人生いろいろw
御先祖とその同輩たちの屍の上に生き、いずれまた自分も屍になって
未来の者達に踏みしめられるw・・どんな美学を求めますか?
あ・・〇✖方式の戦後教育に染まった考え方はやめましょうねw





2018/01/30(火) 07:01 | URL | くすのきのこ #-[ 編集]
宮﨑駿さんと久石譲さんこそ、日本人の誇りですね。
いつも普通人の我々の知らないお話をありがとうございます。
日本人として誇らしいといえば、ジブリアニメの宮﨑駿さんと久石譲さんのご活躍でしょう。たまには彼らの作品、特に昨年パリで世界デビューした公演を聞いてみるのもよろしいでしょう。
久石譲 in パリ 宮崎駿監督作品演奏会 (2017年)
https://www.youtube.com/watch?v=uO8iFfVuUmA
この公演のコメント欄の諸外国人や日本人の意見は、我々がここで感じるものとはまったく異なるものがあります。いかに日本人が世界に影響を与えているかわかりますよ。自信を持ちましょうね。
2018/01/29(月) 22:25 | URL | KI #-[ 編集]
言葉がございません、、、
お疲れ様です。
醍醐中将のお話、軍人の鑑と申しますか、凄すぎて恐れ多すぎて、適切な言葉が思い浮かびません。
今の日本、外国人に侵食されている由々しき状況となっており、申し訳ない限りですが、改めて精一杯日本人であることに誇りを持って行きたいと思いました。
2018/01/29(月) 19:44 | URL | KK #kpjYxc8I[ 編集]
日本人の灯り
こんにちは。いつも素晴らしいお話をありがとうございます。
今、日本人は物事の本質を見誤ってはならない時期にあると云えるのではないでしょうか。ここで、宗教論を述べるつもりはありませんし、宗教を否定する者でもありません。もし、宗教そのものが人間の持つ精神性といったものを豊かに、そして安定させ、さらには向上させるものでなければならないはずであるならば、では戦後の日本社会全体が豊かに、安定し、向上しているのでしょうか。そうはなっているとは思えません。むしろ、古より受け継がれてきた日本精神といったものが破壊されているとしか思えないのです。これはネットで知ったことですが、戦勝国による占領政策の一つとして、その国を支配(間接的統治)する為に、敗戦国の現地人と自分達の都合のいい、現地人に似た人種を選んで混血を図り、そしてあらゆる分野に傀儡政策を推し進め支配をしていくようです。戦後の日本はどうでしょうか。終戦直後から現在に至るまでに、朝鮮半島から毎年約1万人近くの人々が人知れず日本へ渡って来ているようです。
もちろん、観光目的ではありません。移民政策が最近よく話題になりますが、すでに日本は戦後から現在に至るまで、朝鮮半島からの移民政策を実施しているのです。おかしいと思いませんか。
戦前の日本の人々は、世界というものの現実を知った時、自分達だけは人間が人間らしく生きることを誓い合ったのかもしれません。だから世界を相手に日本一国だけで戦ったと思います。これは私見ですが、対立ではなく、宗教や思想を超えた日本人の精神の連帯こそが、世界を変えてゆく力になると思えてなりません。
今こそ、日本人による日本人の為の新しい国家観が求められている時ではないでしょうか。
2018/01/29(月) 17:28 | URL | syn-i #18PW0j0E[ 編集]
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
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『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』

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銀行名 ゆうちょ銀行
支店名 〇二九(店番029)
種目  当座預金
口座番号 0083820
口座名義 小名木善行
【問い合わせ先】
お問い合わせはメールでお願いします。
nezu3344@gmail.com

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最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
テーマは、ご自由に設定いただいて結構です。
講演時間は90分が基準ですが、会場のご都合に合わせます。
E-mail nezu3344@gmail.com

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<ご参考>
古事記に学ぶ経営学
古事記に学ぶ日本の心
百人一首に学ぶ日本の心
女流歌人の素晴らしさ
日本人の誇り
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台灣民政府
台湾民政府
サンフランシスコ講和条約で、日本は台湾に関して処分権は連合国に提供しましたが、領土の割譲は行っていません。条約以降、連合国も日本も台湾の処分先を決めていません。つまり台湾はいまも日本であり、台湾にいる1500万人の戦前からいる台湾人は、日本国籍を有する日本人です。私は台湾民政府を支持します。
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コメントをくださる皆様へ
基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメントは、削除しますのであしからず。
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コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人である私の判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
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