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楠木正成と七生報国 死して日本精神を残した猛将

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敵をして「勇士とはこの様な者を申すべき」と言わしめた楠木正成。大義を貫き、戦死を覚悟で逍遥と戦場に赴く姿は「忠臣の鑑」「日本人の鑑」として讃えられました。
吉田松陰、真木保臣、坂本龍馬など多くの志士たちが、正成の墓に参り、明治の新しい国づくりに大きく貢献したといいます。
多くの先人や英霊たちが敬愛した正成の足跡を物語の中に追い、いま私たちが忘れかけている日本人の誇り、日本人の魂とは何なのかを考えてみます。


20180206 楠木正成
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●わずか六年間の物語

 楠木正成は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した河内(かわち)の武将です。
 鎌倉幕府に抵抗し、最後まで勤王をつらぬいたことから、明治以降は「大楠公(だいなんこう」と称されました。
 しかし、正成の出自について、正確なことは何も分かっていません。日本史上、非常に有名でありながら、これほど出自が謎に包まれた人物も珍しいと言われています。

 歴史的に確かなのは、元弘元(一三三一)年の挙兵から、建武三(一三三六)年の自刃まで、わずか六年ほどの間の物語にすぎないのです。

●天皇の蜂起に応えた知謀の将

 時は鎌倉時代末期。すでに幕府の実権は、北条氏の手に握られていました。政治は混迷を極め、腐敗や横領が蔓延し、幕府の権威も失墜していました。
 民は重税に苦しみ、世の秩序も乱れに乱れていたといいます。
 これを見かねた後醍醐(ごだいご)天皇は、幕府打倒を企てますが、二回も計画が漏れて失敗してしまいます。

 元弘元(一三三一)年、二度目の失敗のあと身の危険を感じた後醍醐天皇は、準備も整わないまま急遽(きゅうきょ)、三種の神器をもって挙兵します。そして
幕府に不満をもつ諸国の武将や豪族などに蜂起(ほうき)を呼び掛けました。
 しかし、世が乱れているとはいえ、まだまだ幕府軍の力は強大です。
 世の武家や豪族たちは、世の中の乱れを憂いながらも、倒幕となると恐れをなしてしまいます。

 倒幕の旗印を掲げた後醍醐天皇のもとへ駆けつけた数少ない武将の中に、楠木正成がいました。
 後醍醐天皇は、正成に質問します。
「勝てる見込みはあるのか?」
 正成は答えます。
「武芸に勝る関東武士に正攻法で挑(いど)んでも勝ち目はありません。しかし、知謀(ちぼう)を尽くし策略をめぐらせば勝機は必ず生じます」
 その後、正成は居城の赤坂城で、後醍醐天皇は京都の笠置(かさぎ)山で幕府軍と戦います。


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●奇策に奇策を重ねた赤坂城の戦い

 正成の兵力はわずかに五百余り。これに対し、幕府は数万の討伐(とうばつ)軍を差し向けます。
 鎧兜(よろいかぶと)に身を包んだ重武装の幕府軍に対し、正成軍の兵は、まるで野武士の集団。兜もなく、上半身が裸の者までいました。
 そのため幕府軍の兵たちは、正成軍をなめてかかり、武功をあせるあまり、我れ先にと山城の斜面を勝手に登り始めたのです。
 兵が斜面を埋めた瞬間、ドドンという音とともに、突然、城の外壁が崩れ出しました。府兵の頭上に岩や大木が地響きをあげて転がってきたのです。
 この初戦だけで、幕府側は七百名も兵を失います。

 その後も正成軍は、藁人形(わらにんぎょう)であざむく、熱湯をかける、熱した糞尿を頭からかける(まさに焼け糞をかけた)など、奇策に奇策を重ね、幕府軍を翻弄し
ました。
 一対一で戦うことを名誉とする鎌倉武士と異なり、武勲にこだわらない地侍たちは集団での奇襲や奇策で戦ったのです。
 やむなく幕府軍は、力押しをやめて、いったん兵を引き、城を包囲して持久戦に持ち込みました。

 山城にとどまる正成軍の食料は、二十日で底をつきました。そこに、京都で後醍醐天皇が捕らえられたという急報が入りました。
 正成は城に火を放ち、火災の混乱に乗じて抜け道から脱出し、行方をくらまします。
 幕府側の武将たちは、誰もが「正成は武士の伝統に従って炎の中で自刃した」と考えます。そして、「敵ながら立派な最期だった」と言い合いました。
 これが、有名な「赤坂城の戦い」です。
 このように従来の価値観で動かず、型に収まらない発想と行動力が、正成の正成たる由縁で、後世、特に江戸期に楠木正成は大人気となります。

●良将は戦わずして勝つ

 赤坂城の戦いの翌、元弘二(正慶元)年十一月、自刃したはずの楠木正成が再度、挙兵します。
 これに対し、幕府は最強とされる精鋭部隊を差し向けました。
 このとき正成側の兵力数は、幕府軍の四倍もありました。なぜか、正成軍は謎の撤退をします。
 幕府の精鋭部隊はもぬけの殻になった天王寺をなんなく占領しました。
ところが夜になると、天王寺は何万という「かがり火」に包囲され、兵士たちは緊張で一睡もできないまま朝を迎えます。
 しかし、夜が明けても正成軍に動く気配はありません。次の夜になると再び無数のかがり火が周囲を包囲しました。
「正成の大軍は、いつ攻撃してくるのか……」
四日目、精神的にまた肉体的に疲労の極致に達した幕府軍は、ついに天王寺から撤退しました。
 実は、この「かがり火」、正成が近隣の農民五千人を集めて、焚き火をしていただけだったのです。
正成軍は一人の戦死者を出すことなく勝利します。

●諸葛公を彷彿とさせる天才的戦略

 翌、正慶二(一三三三)年二月。幕府は八万騎の大征伐軍を編成し、目の上のタンコブである正成追討を図ります。
 迎え撃つ楠木正成の軍団は、わずか千人。
 正成は赤坂城の背後の山上に築いた要害、千早城に篭城します。
 幕府軍は正成の奇策を警戒するあまり、城に近づくことができません。神出鬼没の相手には、やはり二年前の赤坂城と同様、兵糧攻めが一番と、千早城を取り囲みます。
 ところが、今回は勝手が違いました。
 なまじ八万もの大軍であるがゆえに、先に兵糧の底がついたのは、包囲している幕府軍のほうだったのです。
 正成の作戦は、目の前の大軍と戦わずに、その補給部隊を近隣の農民たちと連携して叩き、敵の食糧を断つというものでした。
 いわば、千早城そのものを囮(おとり)にするという、前代未聞の作戦だったわけです。
 山中で飢餓に陥った幕府兵に対し、抜け道から城内へどんどん食糧が運び込まれていた正成軍は、三カ月たってもピンピンしていました。
 やがて幕府軍からは数百人単位で撤退する部隊が続出し、戦線は総崩れになります。

●鎌倉幕府滅亡の引き金となる

 八万の幕府軍がたった千人の正成軍に敗北した事実は、すぐに諸国へと伝わりました。

「幕府軍、恐れるに足らず」
 これまで幕府の軍事力を恐れて従っていた各地の豪族が次々と蜂起し始めます。
ついには幕府内部からも、足利尊氏(あしかがたかうじ)、新田義貞(にったよしさだ)などの源氏直系の大物豪族たちが公然と反旗を翻(ひるがえ)し始めました。
 足利尊氏は、京都の六波羅探題(ろくはらたんだい)を攻め落とし、新田義貞は、鎌倉に攻め入って北条高時(ほうじょうたかとき)を菩提寺である東勝寺で自害させたのです。

 千早城をはじめとした正成の奮戦は、鎌倉幕府の権威を決定的に失墜させ、諸国の武将に倒幕の機運が到来したことを知らしめました。結果、百四十年続いた鎌倉幕府は滅亡します。
 そういう意味で正成の功績は、尊氏や義貞以上と言っていいかもしれません。
 同年六月、楠木正成は、後醍醐天皇を迎えにあがり、都への凱旋(がいせん)の先陣を務めます。

 ちなみに、赤坂城、千早城の合戦の後日、正成は、敵と味方の戦没者を弔うために、供養塔(五輪塔)を建立し、高僧を招いて法要を行ないました。
 正成は敵の戦没者の供養塔に「敵」という文字を使いませんでした。代わりに「寄手(よせて・攻撃側)」という文字を使ったのです。
 そして、寄手の塚を、味方の塚よりひとまわり大きくしました。

千早赤阪村営墓地の一角に残る「寄手塚」
千早赤阪村営墓地の一角に残る「寄手塚」


 味方の勝利におぼれ、敵のことなどいっこうに顧みない戦国武将が多い中で、こうした正成の誠実な人柄は、際立っています。この供養塔は、現在も千早赤阪村営の墓地に残っています。

●味方に通じない「正成の義」

 翌、建武元(一三三四)年。後醍醐天皇は朝廷政治を復活させ、建武の新政をスタートします。
 楠木正成は土豪出身でありながら、河内、和泉の守護に任命されました。
 後醍醐天皇は、天皇主導の下で戦のない世の中を築こうという理想のもとに、恩賞の比重を公家に高く置き、武士は低くしました。
 また、早急に財政基盤を強固にする必要があるとして、庶民に対しては鎌倉幕府よりも重い年貢や労役を課しました。
 朝廷の力を回復するためとはいえ、こうした性急な改革は諸国の武将の反発を呼び、建武二(一三三五)年十一月、足利尊氏が武家政権復活をうたって鎌倉で挙兵します。
 京へ攻め上った尊氏軍を、楠木正成、新田義貞、北畠顕(きたばたけあきいえ)家ら天皇方の武将が迎え撃ち、尊氏軍は大敗を期し、九州へと敗走します。

 しかし正成は、この勝利を単純に喜ばなかったといいます。
 なぜなら、逃げていく尊氏軍に、天皇方から多くの武士が加わり、一緒に去っていったからです。
「天皇方の武士が、ここまで尊氏を慕っている……」
 新政権から人々の心が離反している現実を痛感した正成は、戦場から戻ると朝廷へ向かい、後醍醐天皇に、涙ながらに進言します。
「どうか尊氏と和睦(わぼく)して下さい」
 ところが、公家たちにはこれが通じません。
「なぜ勝利した我らが、尊氏めに和睦を求めねばごじゃらぬのか。不思議なことを申すものよ」
 正成は公家たちに嘲笑され、罵倒(ばとう)されます。

●「正成存命無益なり」

 建武三(一三三六)年四月。いったん九州に疎開したあと、多くの武士、民衆の支持を得た尊氏が大軍を率いて北上を開始します。
 後醍醐天皇は「湊川(みなとがわ・現、神戸)で新田軍と合流し尊氏を討伐せよ」と正成に命じます。
 「討伐」といっても、今や尊氏側の方が大軍勢です。正面からぶつかって、勝てるものではありません。
 楠木正成は、次のように進言します。
「私は河内に帰って兵を集め、淀の河口を塞いで敵の水軍を足留めします。帝は比叡山に移ってください。京の都に尊氏軍を誘い込んで兵糧を使い切らせ、北から新田軍、南から我が軍が敵を挟み撃ちすれば勝利できましょう」
 これに対し公家たちは「帝が都から離れると朝廷の権威が落ちる」と反対し、案を却下します。
 有事と平時の区別がつかなかったのです。

 失意の中、楠木正成は、湊川に向かって出陣します。このときすでに、天皇の求心力は無きに等しい状況でした。
 尊氏軍三万五千に対し、正成軍はたったの七百です。戦力差は何と五十倍です。正成は決戦前に遺書とも思える手紙を後醍醐天皇に書きます。

「今度の戦は、必ず我が軍が敗れるでしょう。民の心で計れば、それは明白です。
 かつて、民の心は天皇と通じていました。
 しかしこの度、私が軍を起こそうとしても、親類や一族の者すら賛成してはくれませんでした。
 いま民の心は天皇から離れています。
 ならば私は生きていても仕方ありません。今度の戦いで、真っ先に命を落とそうと思います(正成存命無益なり、最前に命を落すべし)」

 彼はこの書状を受け取った天皇が、目を開いて現実を直視するように心から祈りました。

●死ぬときの一念「七生報国」

 五月二十五日。湊川で両軍は激突します。
 海岸に陣をひいた新田軍は、海と陸から挟まれ、あっという間に総崩れとなりました。
 そのため正成に合流できなかったばかりか、足利軍に加わる兵までいる始末です。
もはや、戦力の差は歴然としています。誰の目にも、勝敗は明らかでした。
 尊氏は、何とかして正成の命を助けようと、再三降伏勧告をします。しかし、正成軍は鬼気迫る攻撃を繰り返します。
 このままでは自軍の損失も増える一方です。
 尊氏はついに一斉攻撃を命じました。
 多勢に無勢。六時間におよぶ戦いで、正成軍はわずか七十三人になってしまいます。

 最期をさとった正成は、生き残った部下とともに民家に入ります。そして弟、正季(まさすえ)に問いかけました。
「人は死ぬときの一念で転生が決まるという。お前は何を願うか」
「七生まで人間に生れて朝敵を滅ぼしたい」
 正季は答えました。
「自分も思いは同じだ。いつかこの本望を達しよう」
 そう兄弟で誓い合うと、死出の念仏を唱えて家屋に火を放ち全員が自刃しました。
 このとき誓い合った言葉としていまに伝えられているのが「七生報国(しちしょうほうこく)」です。
 正成の首は、一時、京都六条河原に晒(さら)されましたが、死を惜しんだ足利尊氏の特別の配慮で、故郷の親族へ丁重に送り届けられました。
 尊氏側の記録『梅松論(ばいしょうろん)』には、敵将である正成の死を同情的に記しています。
「誠に賢才武略の勇士とはこの様な者を申すべきと、敵も味方も惜しまぬ人ぞなかりける」

●主君に忠誠を捧げた人間の鑑(かがみ)

 尊氏没後、室町幕府は、北朝の正当性を強調するために、足利軍と戦った正成を「逆賊」として扱いました。
 正成は朝敵の汚名を着せられたのです。
 たとえ胸中で正成の人徳に共鳴していても、朝廷政治より武士による支配の優秀さを説く武家社会の中で、後醍醐天皇のために殉じた正成を礼賛することはタブー視されていました。

 その楠木正成を、再び世に出したのが水戸黄門で有名な徳川光圀(みつくに)です。
 元禄五(一六九二)年、徳川光圀は正成の忠義を称え、立派な墓碑を建立しました。それまで正成の墓は、碑石も建てられていない荒れた状態だったそうです。
 新しく建てられた墓碑には、光圀直筆の「嗚呼忠臣楠子之墓」の文字が彫られています。

兵庫県湊川神社にある楠木正成の墓碑
兵庫県湊川神社にある楠木正成の墓碑


 光圀は、「逆賊であろうと主君に忠誠を捧げた人間の鑑(かがみ)であり、全ての武士は正成の精神を見習うべし」と、正成の名誉回復に努めました。
 明治五(一八七二)年には、明治天皇の命により湊川神社が創建され、正成の忠義は、国中に響きわたりました。

●もの言わぬ英霊たちの魂

 楠木正成は、大東亜戦争を戦い抜いた日本軍の将兵に「皇国の最大の英雄」として慕われました。
 人間魚雷「回天(かいてん)」出撃の際には、正成の軍旗に記されていた文字「非理法権天」と書いたのぼりが掲げられ、その本体には楠木一族が用いていた紋所、「菊水」が描かれました。
「非理法権天」というのは、「非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たず」という意味で、「人は天道に従って行動すべきである」という教えです。

 人を思いやり、和をもって尊しとなす日本という国の文化や伝統、そして誇り。
 たとえ相手が自分より数十倍上回っていても、勇猛果敢に戦いに臨む精神。
日本人としての誇りと精神を守るため、「七生報国」を合言葉に散華された二百四六万の英霊たち。
 私たちには、もの言わぬ英霊たちの魂に耳を傾け、英霊たちに恥じない日本の国を、後世に残していく義務があるのではないでしょうか。

お読みいただき、ありがとうございました。

※この記事は2010年2月の記事のリニューアルです。

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20160810 目からウロコの日本の歴史


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コメント
憂鬱な教育問題
桜井よしこさんが産経新聞に日本の教育の危機を投稿していました。
日本の教育が左翼日教組によって歪められていると書いています。
歴史を改竄し、中韓の歴史認識に寄り添うような偏向教育を憂いていました。

韓国が左に傾いたのは金日成の策謀です。
優秀な学生を政治、司法、教育界、マスコミに送り込み、親北政府を造ってきました。

一番影響を及ぼしたのが韓国の「韓国教組」です。
歴史を改竄した教育によって子供たちを反日に育ててきました。
教育によって洗脳された子供たちは元には返りません。

日本も日教組によって子供たちが洗脳されています。
幸い、現在はネットがあります。
若者は新聞やテレビよりネット情報を見ています。

ネットの力で「正しい歴史教育」が出来るようにする必要があるのではないかと感じています。
2018/02/12(月) 13:42 | URL | にっぽんじん #-[ 編集]
正成公も立派ですが、尊氏も立派です。
楠木正成公も立派ですが、私は
どうしても足利尊氏の方が好きな
気持ちは否めません。 再三、正成の
命を助けようと降伏勧告したところや
正成の首を丁重に遺族の元へ届けた事など尊氏は立派な武士である事を
偲ばれます。 残念なのは、後醍醐天皇や側近の公家どもが、重税を庶民にかけて朝廷復興を急いだ事です。

仁徳天皇のように国民の力を回復するまで6年間も無税にされた志の高さ、民を慈しむ姿勢を見習うべきでした。
2018/02/12(月) 07:43 | URL | #-[ 編集]
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ねずさんのプロフィール

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Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
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(著書)

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